神保町シアターで吉田喜重の「日本脱出」

「日本脱出」   1963年  吉田喜重監督    松竹   神保町シアター(35ミリフィルム上映)

監督・脚本:吉田喜重  撮影:成島東一郎
出演:鈴木やすし、桑野みゆき、待田京介、内田良平、市原悦子

吉田喜重は、1955年松竹に助監督として入社。
同期に田村孟、石堂俶朗、一期先輩に大島渚、山田洋次、二期先輩には高橋治、篠田正浩がいた。
主に木下恵介に付く。

60年「ろくでなし」で監督デヴュー。
64年の「日本脱出」まで6本を松竹で撮る。
その間に撮った「秋津温泉」(62年)は、岡田茉莉子が映画出演100本記念映画として企画し、監督に吉田を指名してのものだった。
2人はのちに結婚する。

松竹退社後は、中日映画製作、日活配給で「水で書かれた物語」(65年)、岡田茉莉子とともに興した独立プロ・現代映画社製作、松竹配給で「女のみずうみ」(66年)など4本を、ATG配給で「さらば夏の光」(68年)を撮る。

69年ATG配給の「エロス+虐殺」からはいよいよ吉田の本質が炸裂する映画作りに邁進。
「煉獄エロイカ」(70年)、「告白的女優論」(71年)、「戒厳令」(73年)と代表作が続いた。

「世界の映画作家」奥付き

吉田のフィルモグラフィーを見ると、松竹時代、独立プロ・松竹(日活)配給時代、「エロス+虐殺」以降のATG配給時代と、数本ごとに局面が変っている。

今回神保町シアターで上映された「日本脱出」は、大島渚、篠田正浩などとともに『松竹ヌーベルバーグ』と呼ばれ、映画ジャーナリズムに注目されていた青年監督時代の作品で、松竹作品として撮られた最後の作品でもある。

例えば、大島渚の松竹時代の4作品(特に間の2本)の豊かさは、配役、セット、背景に色彩豊かに表れている。
それは、メジャーの映画撮影所で撮られた商業映画がもつ”映画らしさ”でもある。

大島が「青春残酷物語」(60年)でヒットを飛ばし、待望久しき松竹の若きエース監督に躍り出たのは、派手な仕掛けと自己顕示が好きで、実は撮影所システムとスター俳優が好きな大島の資質によることが大きかった。
独立プロ時代の長い雌伏を経て、「愛のコリーダ」(75年)以降、金のかかったA級作品で手腕を発揮できたのも、松竹というメジャーの撮影所で過ごした経験があったからだろう。

では、おなじく松竹で助監督時代を過ごし、監督として6作品を撮った吉田喜重はどうだったのか。

吉田の資質は大島とは違い、左翼でもなく、ジャーナリステイックな煽動家タイプでもない。
映画で何かを描こうという動機は、就職難時代にたまたま入社した松竹で職業として身に着けた映画製作の技術として身に着けたものから来ており、その目指すテーマは「エロス+虐殺」以降の難解な諸作品に表れたもので、映画作家としての体質は、湿潤で、女性的なものだった。

「ろくでなし」で監督デヴュー後、「秋津温泉」でヒットは飛ばしたものの、松竹が期待する商業映画の若きエース監督像には程遠かった吉田は、6本目の作品に小説家中村光男の「我が性の白書」の映画化を考えていた。
その吉田に松竹社長の城戸四郎が提案したのがアクション映画だったという。

「日本脱出」。桑野みゆきと鈴木やすし

「日本脱出」は、63年当時の日本が舞台。
ヤクザの舎弟として、歓楽街でフワフワしている若者(鈴木やすし)が、ヤクザが引き起こすトルコ風呂への強盗のアシに使われた挙句、追われる立場に。
ヤクザの女だったトルコ嬢(桑野みゆき)とともに、東京オリンピック前夜の米軍基地周辺をあてどもなく逃げ回る。
みじめで無学の若者の夢はアメリカへ行くというもの。
若者はトルコ嬢の友人のオンリー(坂本スミ子)のツテで密航を企てるが・・・。

作家の吉田には何の思い入れもなく描かれた登場人物たちの、みじめで情けなく、何の動機のも合理性もない衝動性。
アクション映画として、ストーリー展開を説明するカットをあえて省略した造り。
サスペンスの盛り上がりを描かず、ひたすら登場人物のダメさ加減と、ドタバタぶりが描かれる。
そこには映画的なカタルシスはない。

当時の人気のタレントだった鈴木やすしの素人っぽくも熱い演技と、「青春残酷物語」で純愛スターから脱皮した桑野みゆきの、板についてきた汚れ役も、それも含めて監督の吉田が冷静に客観視しおり、見ているこちらも感情移入できない。
それも吉田は想定済みなのだが。

桑野みゆき

成島東一郎の暗さをベースにした撮影。
鈴木をはじめ、待田京介、内田良平と男の登場人物がどれもこれも徹底したヘタレの設定。
半面、市原悦子扮する売春婦の実もふたもないような俗っぽい女の生命力。
坂本スミ子の生き生きとしたオンリーぶり。

主人公が、紛れ込んだ密航のコンテナは実は北朝鮮向けの荷であり、先客のバリバリ北朝鮮信奉者の左翼青年にへきえきしてコンテナから脱出するシーンには笑った。
わけもわからず逃亡を続ける主人公が、東京オリンピック聖火ランナーの中継車に紛れ込んで聖火ランナーを追走するシーンも、当時の国家事業たるオリンピックの風刺と考えると、思い切った設定ではある。

吉田の脚本は商業映画らしくサービス精神に富んでいて、これでもかとエピソードをぶち込んでくる。
各エピソードは、日本の浅薄な大衆文化や権力が先導するブームに対する、揶揄や批評精神にあふれている。
ただそれらが未整理で映画的カタルシスに不足していた。

「世界の映画作家」より

手許に往年の松竹女優・高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦・スター達と過ごした日々」がある。

「胡蝶奮戦」表紙

高千穂は吉田のデヴュー作「ろくでなし」で主人公・津川雅彦の相手役を務めた。
その時のことをこう述べている。

「胡蝶奮戦」より

『(本読みリハーサルが何度も繰り返されて)難しい言葉を混ぜながら、同じことをぐるぐる回って、なんだか理屈をこねまわしている感じで。
(中略)あのころは東大とか京大とかを出て監督さんになった人が多くて、理屈っぽいっていうか、表現の言葉が今までと違うんです。
(中略)松竹ヌーベルバーグと呼ばれて、マスコミには騒がれていましたけれど、私にはどうもわかりにくいところが多々ありました』(p207,208)

 

上田映劇で「美しく、黙りなさい」を見る

「美しく、黙りなさい」  1976年  デルフィーヌ・セイリグ監督  フランス

上田映劇での予告編で存在を知った。

デルフィーヌ・セイリグは、迷宮のような「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ監督)の謎の美女。
「ロバと王女」(70年 ジャック・ドミー監督)ではカトリーヌドヌーブ扮する王女の継母となる妖精役を楽しそうに演じ、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年 ルイス・ブニュエル監督)では食事を求めてさ迷う有閑マダム役を悠然と演じたフランス女優だ。

「えつ?セイリグ唯一の監督作品?女優へインタビューしたドキュメンタリー?」。
これは何としても見なければ。

この日の上田映劇

手持ちのビデオカメラで撮ったモノクロの荒い画質。
ジル・クレイバークが、ジェーン・フォンダが、ルイース・フレッチャーが、たばこをふかしながら、真顔で、質問を一度飲みこんだあと覚悟を決めたように、話し始める。

50年後のジェンダー論者のようにとうとうとしゃべる人。
不貞腐れるように思い出したくないエピソードを吐き出す人。
ガールフレンドと二人でインタビューに応じる人もいる。
質問を外れて延々と自らの女優人生を述べる人(事実は小説より奇なり、を地で行く半生)も。

セイリグからの質問は二つ。
「もしあなたが男性だったとしてもこの職業を選びましたか」と「ほかの女優と友好的な場面を演じたことはありますか」。

ジル・クレイバークは最初の質問に静かに答える。
「ノー」。

ノーと答えた後「男だったら旅に出ていた」、「船乗りになっていた」と答える人もいた。

ゴダールやベルトルッチといった映画作家の問題作に主演していた当時の若手女優の回答が面白い。
「(ゴダールの「中国女」に出演して)あんな中国女がいるわけない」とアンヌ・ヴィアゼムスキー。

マリア・シュナイダーは「あの作品(「ラストタンゴインパリ」)はブランドとベルトルッチの映画だった。彼等は仲良かった」と自らの疎外感を吐露し、「今度は歳の近い俳優と共演したい。ニコルソンはまだしも(「さすらいの二人」のこと)、ブランドは歳が離れすぎている」と前髪に隠れるようにぼそぼそと話す。

2人の主演女優による、なんともとてつもない作品批評が飛び出た!
いいぞ。
ゴダールマニアや、ベルトルッチ信奉者に聞かせてやりたい。
なお、マリア・シュナイダーは「ラストタンゴインパリ」での、ベルトルッチによるセクハラに近い撮影を告発する自伝を発表した。

ジェーン・フォンダは語る。
初めての映画出演では、ハリウッドのメイクによって自分とは思えない顔になったこと。
役柄はボーイフレンドの周りを短いスカートで飛び跳ねるチアリーダーだったこと。
戦前戦時中に渡る女同士の友情を描く「ジュリア」(77年 フレッド・ジンネマン監督)では、バネッサ・レッドグレープの演技に感動し(観客の我々も同感)たが、監督はレッドグレープとの女同士の肉体的接触(握手など)の回数が増えないように苦慮していたこと。

ルイース・フレッチャーは「カッコーの巣の上で」の看護婦役でしか知らなかったが、セイリグの質問に高ぶることもなく、落ち着いて答えており、演技だけではなく人間としての資質の高さを感じた。

エレン・バーステインも70年代の演技派女優として一時代を画したが、セイリグの質問に高揚し、自らの体験を披露する姿が見られた。
「アリスの恋」以来の久しぶりの姿だった。

マリー・デュボア、ジェニー・アガター、シャーリー・マクレーン。
あなた方は、セイリグの質問に真摯に応える真面目な求道者であると同時に、全世界の映画ファンにとってかけがえのないスター女優という宝物である。
その存在と、50年後のジェンダー論者を二重写しにしてドキュメンタリーに止めおいたデルフィーヌ・セイリグという存在は何だったんだ?

なんとホールには、片桐はいりからの花輪があった!映画館万歳

DVD名画劇場 反逆児エルビス!50年代のプレスリー映画

「やさしく愛して」  1956年   ロバート・D・ウエッブ監督    20世紀フォックス

エルビス・プレスリーは、1934年ミシシッピー州テュペロという町のイーストサイド(『白人のクズのたまり場』と呼ばれた貧民街)に生まれた。

エルビスが生まれ育ったミシシッピー州は、南北戦争では南軍の勢力下にあり、北軍の攻撃によって何度も焦土と化した歴史を持つ。
その後、主要産業の綿花栽培が30年代になって害虫により衰退し、世界恐慌の影響をもろに受け、ルーズベルトのニューデイール政策による恩恵を受ける最初の州となった。

定職を持たぬエルビスの父親は、小作人家庭の出身で、妻(エルビスの母)との間に9人の子を設けた。
エルビスの母も小作人家庭の出身で、曾祖母がチェロキーインデイアン、祖母がユダヤ系移民という家系だった。

キリスト教根本主義の牙城だったミシシッピー州の教会に両親とともに通いながら音楽に親しんでいったエルビスは、小学校に上がるとギターをプレゼントされ、級友たちの前で演奏して人気を博していた。
このころ家族ともどもテネシー州メンフィスへ引っ越す。

54年にメンフィスで見いだされたエルビスは、ラジオで流された曲にリクエストが殺到し、発売したレコードも大ヒット。
黒人音楽に影響されたロックという音楽を歌い踊る白人歌手として若者に圧倒的な人気を誇った。

本作「やさしく愛して」は、エルビスが世に出てから2年後に出演した西部劇。
まだまだ全米では海のものとも山のものともつかぬ田舎で人気の歌手のエルビスは、モノクロ作品の重要なわき役としてキャスティングされている。

舞台は南北戦争が終結した南軍の支配地だった田舎。
前線で終戦を知った南軍の小隊が北軍の給料を運ぶ列車を強盗する。
彼等は奪った金を山分けして小隊を解散し、各々故郷へ戻る。
この部分の語りだけで約30分。
プレスリーは出てこない。
入れたDVDを間違えたかなと思い、取り出すが間違えてはいない。

南軍の小隊長だった主人公が故郷に戻る。
末の弟が馬で畑を耕している。
プレスリーがいた。

敗残の南軍兵士の無聊。
勢いを増し旧南軍に詰め寄る北軍の無慈悲。
故郷に残した老いた母と、主人公が出征前に結婚を約束した恋人の今の姿。
などが情感たっぷりに描かれる。
死んだと思った兄の代わりに末弟(プレスリー)が、兄の恋人と結婚していたのだった。

プレスリーと妻役のデブラ・バシェット

追跡する北軍の疾走感。
小隊仲間の裏切りというジレンマ。
仲の良かった兄弟が一人の女性を巡って対立する骨肉の悲劇。

エルビスは「ラブミーテンダー」を夕暮れのテラスで家族に情感たっぷりに歌い、芝居では俊敏な動きと激烈な感情の噴出を見せる。
その演技は、家のためにおとなしく働く末弟の健気な姿であり、去勢されていない若い野生動物のようでもあり、慕っていた兄に裏切られたといきり立つ狂犬のようでもある。

監督の演出スタイルは、南北戦争の背景の庶民の悲劇の情感表現であり、精悍な西部劇のスピード豊かな疾走感の再現であり、新人俳優への眼差し豊かな売り出しでもある。
どの部分もそこそこに成功している作品である。

55年に歌手エルビスのマネージャーとなっていた、音楽業界のメジャー、RCAレコードのトム・パーカーのプロデュースは、テレビを使ってエルビスを全米に売り出すことだった。
有名音楽番組で高視聴率を稼いだエルビスは全米の人気者となり、ハリウッドに進出。
パラマウントと7本の出演契約を結んだ後の映画出演第一作が本作「やさしく愛して」だった。
56年11月に公開された本作は、3週間で製作費を回収するヒットとなった。



「監獄ロック」   1957年   リチャード・ソープ監督    MGM

エルビスの自伝的要素を色濃く盛り込んだドラマ。
モノクロで撮られているのは、エルビスが全米に人気スターとしての信用がまだなかったからだろう。

重機のオペレーターで、給料日のクラブ通いが楽しみのエルビスが喧嘩で刑務所入り。
要領が悪く刑務所内では冷や飯組。
夢は出所後のクラブ経営のエルビスは、なけなしのポケットマネーで手に入れたギターを手に、飛び入りで歌ったところを、偶然見ていた業界関係者の女性ペギーに声をかけられる。
ショービジネスの世界に翻弄されながらも、ペギーのマネージングでレコードがヒット、人気歌手になる。
ペギーと設立したレコード会社を手放し、ハリウッドスターに蔵替えしたエルビスは美女たちとウハウハ。
さて仕事ではたもとを分かったペギーとの関係は?

常に与太ったようなしぐさと、貧乏ゆすりにダルそうな口ぶり。
気に入らないと瞬間湯沸かし器で、無礼な客にギターをたたきつけ、ペギーの実家のパーテイでは中流家庭の教養にひがんで飛び出す。

映画での若き日のエルビスは、実際の姿をモチーフとしてはいるが、育ちの悪さとステージ上の激しい動き(映画では下半身の動きをセーブしているが)だけが持ち味ではなかったようだ。
母親のしつけの元、目上の人には「イエスサー」、女性に対しては「イエスマム」と答えるなどの言葉使いが身についた礼儀正しさは、終生エルビスという人間の評価にもつながったという。

敏腕女性マネージャー・ペギー(ジュデイ・タイラー)がいい。
モデルはマリオン・カイスカー。
1953年に、エルビスがおずおずと自分の歌の録音に訪れたサンレコードの共同経営者だった。

ペギー役のジュデイ・タイラーと

マリオンは録音に来たエルビスの歌を聞いて、この青年こそが『二グロのように歌える(白人の)男がいたら一儲けできる』(サンレコードの経営者サム・フィリップスの口癖)人物だということが分かった。

54年、最大の理解者であるマリオンがサンレコードをやめ、空軍に入隊した。
映画ではマリオン役のジュデイ・タイラーの出番が、エルビスの売り出しとともに急に少なくなったが、こういった史実的背景があったようだ。

単なる成功物語ではなく、売れない歌手のみじめさ、ショービジネスの裏側が描かれている。
若きエルビスの自分自身を彷彿とさせる、貧乏ゆすり、みじめったらしいひがみの表情、それでいて愛嬌のある親しみのキャラ。
その姿は『反逆児』というよりは、大人の価値観には相いれなかったが、田舎の貧しいが可愛げのあるあんちゃんが、おなじく田舎の若者・少女たちを熱気に巻き込んだ時代の寵児、そのものであった。

監督は長くハリウッドで便利屋的に、ジェリー・ルイスの底抜けシリーズなどを作ったリチャード・ソープが起用された。
ソープの起用はMGMのA級作品として本作が企画・製作されたことを示す。



「G・I・ブルース」  1960年   ノーマン・タウログ監督   パラマウント

1958年テキサスの訓練基地に入隊したエルビスは、西ドイツに赴任、60年まで軍務についた。
本作は退役後に作られた第一作。

50年代のロックな田舎青年としての存在から、模範的な米国の若者として方針転換(本来の役どころに目覚めた)したエルビスが繰り広げる軍隊コメデイ。
全体的には、コメデイだが、随所に敗戦国ドイツ(イタリアも)の現実や、駐留GIの名もない庶民性を表すエピソードやセリフが出てくるところは、戦後15年しかたっていない時代性が感じられる。

駐独米軍の戦車兵エルビスの楽しみは地元のクラブでの演奏とシャンなメッチェン(とのイチャイチャ)と賭け事。
駐留先のクラブで歌うエルビスは、さりげなく『美人のドイツ娘』の表現に『ハン』というドイツ人の蔑称を使ったりする。
これは当時のアメリカ人がドイツ人を称する普通のスラングなのだろうが、映画であえて出すのは、敗戦国ドイツのみじめさ、占領政策の現実の表現なのか。

エルビス(が演じるGI)が自分の出自を、父親はタクシーの運転手、祖母はチェロキーインデイアン、とガールフレンドに告白する場面もある。
事実、エルビスの母の曽祖母がチェロキーインデアンだったというのは既述の通り。
ここら辺は、楽屋落ちというか露悪的な趣味を持つハリウッド流のシナリオ作法でもあるが、あるいはGIといってもアメリカでは庶民中の庶民、敗戦国の庶民とは同じ穴のムジナという意味もあるのか。

歌姫リリー(ジュリエット・ブラウズ)は踊りが素晴らしい。
気骨あるドイツ女を演じる。
エルビスがいつもどおり「ハニー」、「イエスマム」と呼ぶとそれを嫌う。
GIによる女性に対するアメリカ流の礼儀がドイツ女性には嫌味に感じられるものなのか。
この女優はネットでも情報が出てこないので詳細不明。
美人ではないが芸達者、ぴったりのキャステイングだった。

ケルンとデュッセルドルフ間の船旅とライン川沿いの観光地でデートシーンもあり、ドイツの観光地紹介という使命を持つのも、後の「万歳」シリーズなど、若大将時代のプレスリー映画そのもの。

全編英語で繰り広げられるのもハリウッド流。
クラブでリリーが無礼な太客にビールをぶっかけた後、ボーイが太客を取りなす場面と、後半のライン川の観光地での人形劇のセリフだけがドイツ語だった。

エルビスの歌のシーンは激しい脚の動きはなく、挑発的な気配はない。
観光地で人形劇に飛び入りし、人形相手に歌って子供たちに大うけするシーンなどに、お人よしのアメリカ人そのもののエルビスの持ち味が出ている。
女にもてるセクシーさというより、人柄の良さで万人に親しまれるエルビスの個性が生きている。

軍務を終え、全米の大人世代からの承認を受けたエルビスが、『反逆児』の時代を終え、『若大将』として映画スターの道を歩み始める第一作。

実生活でも、マネージャーのトムパーカーの戦略は、61年以降の7年間、エルビスの活動を映画出演と、映画で歌われたもののレコード化に限定するというものだった。

「エルヴィス・プレスリー世界を変えた男」   文春新書

本文中の、映画内容以外のプレスリーのエピソードは、平成11年文春新書 東理夫著 「エルヴィ・スプレスリー世界を変えた男」から要約引用しています。

DVD名画劇場 アメリカ時代のフリッツ・ラング② ヒロイン、ジョーン・ベネット

ジョーン・ベネット

『1910年ニュージャージー州生まれ。
父は有名な演劇俳優、姉も映画界で活躍。
ジョーンは28年に映画デヴュー、30年代にかけては純情な娘役として活躍。
この時代の代表作は「若草物語」(33年)の末娘役。

40年代に入り金髪をブルネットに染めて妖艶な悪女役に変貌。
フリッツ・ラング監督による「マンハント」(41年)以降の4作品はこの時期の代表作となる。
また、三度目の夫、製作者ウオルター・ウエンジャーと45年に独立プロを設立した。』(以上、児玉数夫著「懐かしの映画女優101」2001年 新書館より抜粋)

30年代金髪の娘役時代のジョーン
「決死の猛獣狩り」(46年)のジョーン
「飾り窓の女」セットで、ラング監督とジョーン

ここで3番目の夫・ウエンジャーについても触れなければなるまい。

『ウエンジャーの経歴は、第一次大戦後の1919年のパリ講和会議にウイルソン大統領の秘書官として同行。
その後パラマウントに入社し、ロンドン支局長から制作本部長に。
俳優のフレデリック・マーチに、”ハリウッドにはウエンジャーのような教養ある知的なプロデユーサーはいなかった”と評される。
ルネ・クレールをはじめフリッツ・ラング、マックス・オフュルスなどヨーロッパ系の監督を起用、一方でヘデイ・ラマール、イボンヌ・デ・カーロ、マリア・モンテス、ジーン・テイアニーなど女優の売り出しにも貢献した。

ジョーン・ベネットと結婚し、独立プロダクションまで作ったが、彼女とマネージャーの不倫騒動に端を発し、51年にマネージャーに対する発砲事件を起こして服役した。

製作者としての代表作は「暗黒街の弾痕」(37年 ハワード・ホークス監督)、「歴史は夜作られる」(37年 フランク・ボザーギ監督)、「駅馬車」(39年 ジョン・フォード監督)、「海外特派員」(40年 アルフレッド・ヒッチコック監督)など。
「クレオパトラ」(63年 ジョセフ・L・マンキーウイッツ監督)で20世紀フォックスの経営を傾かせたのが最後の作品となった』(以上、蓮重重彦、山田宏一「傷だらけの映画史・ウーファからハリウッドまで」中公文庫 ウオルターウエンジャーの映画史の章より要旨抜粋)

愛妻ベネット、マックス・オフュルス監督とウエンジャー


「飾窓の女」    1944年   フリッツ・ラング監督   インターナショナルプロ・RKO配給

真面目な大学教授のエドワード・G・ロビンソンが、妻と子供が旅行に出た間に、男なら羽根を伸ばして遊ぶところ、そんなつもりもなく何気なく覗いたショーウインドウの肖像画の女性に魅入られて、引きずり込まれる二日間の悪夢。

肖像画から抜け出し、教授を誘う訳ありの女にジョーン・ベネット。
ファムファタルでありながら、ラナ・ターナーのように職業的な妖艶さに陥らず、またリタ・ヘイワースのようにエンターテナーのプロに徹することもなく、どこか素人っぽさを残しつつ、自らが引き起こした悪夢の世界で、ある時は能動的な悪女として、ある時は悪夢的展開に戸惑う被害者っぽいヒロインとして立ち回る。
彼女は謎の女であると同時に、現実社会では名のある興行主の愛人でもあった。
なお、ラナ・ターナーとリタ・ヘイワースは当時のセックスシンボルとして、その実名がロビンソン教授の友人のセリフに出てくる。

「スクリーン」1953年10月号より。日本ではこの年の封切りだったようだ

犯罪心理学者のロビンソン教授は、家族の旅行中、独身クラブのようなところで検事と医師の友人と夜を過ごすが、家に帰る途中に例のショーウインドウで美女の肖像画を眺める。
と、絵画の背後からジョーン・ベネットが現れて、教授を部屋に誘う。
一度は固辞した教授だが、美術に関心のありそうな女の誘いに乗ってしまう。

女の部屋は今でいうオートロック式のマンションで、部屋からのOKがないと、エントランスのドアが開かないという、おそらく当時のアメリカでも最新のスタイル。
広々とした部屋にはセンスのいい美術品であふれている。
思わず興味津々の教授。

女は下着の上にスケスケの黒いロングドレスを身にまとっている。
そこへ、中年の男(興行主)が入ってくる、慌てる女が止めるのも聞かずに教授の首を絞めにかかる男。
このままでは殺されてしまうと思った教授は、女から手渡された鋏で男をめった刺しして難を逃れる。
男は死ぬ。

教授と女の出会い

日常の隙間に潜む罠。
悪夢のような不条理。
急展開のスリル。
ドイツ時代からの映画監督としてのフリッツ・ラングの持ち味がこの作品にも横溢している。

ギャングスター、エドワード・G・ロビンソンが、実直な小市民を演じるが、観客はそうは見ていない。
期待通り、非現実の美女に魅入られ、期待通りにその誘いに乗り、期待通りに犯罪に巻き込まれる。

教授を悪夢に誘い込む悪女が、いかにもの悪女には見えないジョーン・ベネットというところも味噌だ。
犯罪への急転直下の場面では、悪女らしく開き直るのではなく、おどおどして事態収拾に慌てるベネットの姿が見られる。
ベネットもこの悪夢の被害者の一人なのだ。

謎の女ジョーン・ベネット

事態の収拾を図る教授が、いちいちドジを踏むのもおかしい。
死体を車で運んで遺棄するのだが、その都度、警官や料金所に目撃者が現れるし、教授は教授でタイヤ痕や靴跡、血痕などの証拠を残しまくる。
犯罪学者とはいえ、所詮、実際の犯罪の当事者としては素人なのだ。

事件は興行主の失踪から死体発見へと大きなニュースになっており、教授の友人の検事にとっても格好な推理の材料となっていた。
この検事によるこの事件の推理がいちいち的を得ていて、焦る教授が犯人しか知らぬ情報を思わず漏らしてゆく描写も観客にとってはスリリングな味付けだ。

検事の推理は的を得ているが、警察の見立てはズレている。
検事の見立てに対し、話をそらそうとして墓穴を掘る教授。
犯行現場で、捜査線上に上がった女(ベネットかどうかは描写されない)と教授の間一髪のすれ違い。
スリリングであると同時にすっとぼけたブラックユーモワ風に味付された場面が続く。

悪役ダン・デュリエと、おびえるベネット

終盤に現れ、ベネットに付きまとい脅す、興行主のボデイガードは素人っぽくはない。
ロバート・ミッチャムが「狩人の夜」や「恐怖の岬」で演じたような、粘着的なサイコパスの悪人だった。
この悪人が、半分素人のベネットを脅すシーンはこの映画唯一の悪のスリリングな味わい。
ベネットも教授もお手上げのプロの悪人ぶりだった。
このボデイガードを演じたのはダン・デュリエ。




「緋色の街」     1945年    フリッツ・ラング監督     ダイアナプロダクション・ユニバーサル配給

「飾窓の女」と同じメインキャストで作られた作品。
製作はジョーン・ベネットが当時の夫ウオルター・ウエンジャーと共同で設立したダイアナプロダクション。

エドワード・G・ロビンソンがまじめで小心な出納係を、ジョーン・ベネットが蓮っ葉でヒモの体にのみ夢中な街の女を、ダン・デュリエが悪知恵の働くヒモを演じる。

主演の3人は、前作では慣れ切っていなかったものの、本作ではロビンソンはすっかりしょぼくれた小市民として、こぎれいな女の前でおどおどする中年男になり切っているし、ベネットは謎めいた女のベールをかなぐり捨てて、安物のビニールコート姿で足を組んでストローをくわえ、おしろいをはたく、街の女の振舞いを物おじせずに演じている。
そしてダン・デュリエは愛してもいない女のヒモとして路上で女を殴り倒し、また女の愛情を利用して彼女の周辺を浮遊しつつ、詐欺的策略だけは天才的なひらめきを見せて女を操るダニのような男になり切っている。

ヒモの暴力から女を救った男は女を送ってゆく

ベネットの役は街娼なのだが、当時のハリウッドでは『コード』があっただろうし、あるいはベネットのスターとしてのランクがあからさまな表現を避けさせたのかもしれない。
一方で、街角で猿回しが客を呼ぶ描写があったり、またロビンソンの住居が『ブルックリン』だとの台詞もある。
これらの表現は、この作品の舞台が都会の場末で、また移民が住む貧民街であることを表している。

ブルックリンの安アパートに再婚の妻と住み、恐妻家で絵をかくことだけが楽しみのロビンソンは、まじめに出納係を25年務めた信用だけが取り柄。
ベネットとデュリエは裏街道を行く、堅気とは別世界の住人。
この両者が出合ってしまう。
街頭で女を殴打している男に、柄にもなく雨傘を振り回して立ち向かってしまったがゆえに。
さらには、お礼に場末のバーで女とカクテルを飲むという人生初の体験をしてしまったがゆえに。

裏街道チームの美人局的な篭絡に苦も無く引っかかる出納係。
会社の金に手を付けて首になる。
くすねた金でつかの間のマンションを女に買い与えた末に。

出納係の趣味の絵画をついでに売っぱらおうとしたヒモが、やってきた画商の思いもかけぬ評価に悪知恵を発揮して、女を絵の作者とする芝居を打ち、ゴースト作家として出納係に働かせて儲けようとする。
画商のウインドウの絵を見て出納係の悪妻が事態を曲解し、『有名作家の絵を盗作している』と夫を非難する・・・。

女に狂って転落する中年男というメインストーリーにいろんな登場人物が絡み、枝葉のストーリーが発生してゆく。ここら辺の展開は、暗黒街のサスペンス映画であっても、そこはかとないユーモアをちりばめつつ、目まぐるしく展開が二転三転してゆくフリッツ・ラングの作劇スタイルだ。

転々として行くストーリーは、出納係が告訴はされずに首になった後(社長の恩情は「真人間」のハリー・ケリー社長の振舞いと同様)、ホームレスに落ちぶれつつ、自分の罪を訴え続ける場面で終わる。
落ちぶれてからのロビンソンの演技は「嘆きの天使」のエミール・ヤニングスをちょっとだけ思い出させた。

自分の欲望に忠実なだけのジョーン・ベネットがアクシデントで死に、さんざん悪事を積み重ねてきた街のダニのダン・デュリエが、そこだけは冤罪の殺人罪で死刑になる結末は、勧善懲悪できっちりしたことが好きなドイツ系の監督らしい?

「飾窓の女」の全体を通して漂っていた幻想的なムードがなく、スピーデイに現実的なストーリー建てで展開するドラマだった。
裏街道チームを成すジョーン・ベネットとダン・デュリエの吹っ切れた演技が印象的。



「扉の影の秘密」    1947年    フリッツ・ラング監督    ダイアナプロダクション・ユニバーサル配給

ジョーン・ベネットがフリッツ・ラングと組んで作った3作品は、独立プロで製作し、配給はユニバーサルかRKO。
ハリウッドメジャーの中では下位の映画会社による配給である。
配給が大手ではないのは、内容の問題なのか、ラングがMGMから解雇された過去が影響しているのか、あるいは亡命監督の現状を表しているのか。
ジャン・ルノワールが20世紀フォックスに好条件で迎え入れられながら結局クビになったことを思い出す。

閑話休題。
1947年にRKOから『ジョーン・ベネット主演でミステリを撮らないか』との申し出を受けたルノワールは二つ返事で承諾した。
ウオルター・ウエンジャー、ベネット夫妻とルノワール夫妻は交友関係にあり、普段からルノワールはベネットを評価していた。
「浜辺の女」は主人公の戦争の悪夢を幻想的に表現した作品で、ベネットは主人公を惑わせる謎の女として登場するのだが、プレヴュー上映での不評後、撮り直し、再編集とRKO側の要求が1年ほども続き、71分の最終版が出来上がった頃にはルノワールは映画に対する情熱を失いそうになっていた。

「浜辺の女」撮影時のルノワールとべネット

映画を愛し、映画に愛されたジャン・ルノワールを映画嫌いにさせるハリウッドというのも凄い所だが、似たような経験に事欠かなかったであろうフリッツ・ラングが、ハリウッドと折り合いをつけていった過程がこの作品にも見られるのだろうか。

「扉の影の秘密」は、「飾り窓の女」、「緋色の街」に続きジョーン・ベネットを起用した作品。
ベネット主宰のダイアナプロダクション作品でもある。
前2作のメインキャストを務めた、エドワード・G・ロビンソンとダン・デュリエはいないことから、前2作のバリエーションではないことがわかる。

ベネットは謎の女や街の女役ではなく、オールドミスながら裕福で育ちのいいヒロインを演じる。
ただ、『ヒロインが幸せになりました』だけでは、ベネットがラングと組んでまで作るはずはないし、ベネットの魔力で男が破滅してゆく話は作ったばかりだった。

本作では趣向を変え、激しい本性を内に秘めながらも、前向きで健全なヒロインを主人公とし、彼女に様々な驚天動地のスリルとサスペンスが襲い掛かるストーリーにした。
さらにこれまでの2作品にはなかったニューロティック(異常心理)な味付けを加えた。

主な登場人物は主人公シリア(ベネット)、夫マーク(マイケル・レッドグレーヴ)、その姉キャロライン(アン・リデイア)。

シリアはニューヨークに暮らすお嬢様で裕福な兄の死後、莫大な遺産を受け継ぐ。
メキシコに旅行していた時、背後からただならぬ視線を感じる。
己の情熱的な本性を射抜くような視線に、その男性マークに興味を持ち2日間片時も離れずに過ごす。
そのままメキシコで結婚する。
それからマークとの間に、シリアには理解できない事象が次々と起こる。

始まりは、メキシコの宿から、着電しようもない電報を口実にマークが突然ニューヨークに帰ったり、駅で迎えたシリアの胸にライラックの花が飾ってあるのを見た途端にマークの態度が変わったり、と夫婦間の些細な問題ともいえるものだった。
披露パーテイでマークが来客に、自分の趣味である殺人現場を再現した部屋を見せるに及んでシリアの疑念は高まる。

マークの実家には、人に心を開かないマークの前妻の息子デヴィッド、マークの姉のキャロラインとマークの秘書がいる。
それぞれ謎めいた人物である。
何より秘密めいているのはマークの振舞いだ。
シリアはマークの秘密の部屋を合鍵を使って入り込む。
そこには・・・。

最後の最後までマークを信じるシリア。
彼女を傷つけるのは、夫婦の愛情を感じさせな夫の振舞いだけで、マークの心理的な弱点にではない。
映画は、潔癖症で閉所恐怖症でマザーコンプレックスでついでにシスターコンプレックスのマークの異常さを描き続けるが、それはマークのシリアに対する愛情と矛盾するものではなかった。
マークも心理的被害者としてそれを克服し、シリアと添い遂げようとしていたのだ。
シリアに限らず、死んでいった前妻ら、この家に嫁いできた他人らの恐怖の源は別にあった・・・。

マークの姉を演じるアン・リデイアは、「緑園の天使」でエリザベス・テーラーの母親を演じ印象を残した女優。
リベラル派だったために赤狩りの影響を受け、実力派でありながら50年代に入って映画出演がほぼなくなった。
本作では「レベッカ」(40年 アルフレッド・ヒッチコック監督)でジョーン・フォンテイーンを真綿で首を締めるようにいじめるメイド頭のような役柄だが、まるっきりのサスペンスではない本作品でのそのような役柄を、作り物めいたところなく演じている。
『このしっかりしたお姉さんは、シリアの味方なのだろう』と観客に最後まで思わせる演技だった。

アン・リデイア(「紳士協定」より)

メキシコの教会での結婚式の場面ではジョーン・ベネットのウエデイングドレス姿が見られる。
彼女はこの3年後には「花嫁の父」で花嫁(エリザベス・テーラー)の母親役を務めることになる。

上田映劇で クロード・シャブロル傑作選

クロード・シャブロル

クロード・シャブロル監督

『ヌーヴェルヴァーグは、伯母さんの遺産から始まった』という伝説は、シャブロルが当時の妻の祖母からの遺産を短編「王手飛車取り」(56年 ジャック・リヴェット監督)に出資した事象のことをいう。
シャブロルはヌーヴェルヴァーグの当事者であり、素人が映画を製作するという『掟破り』の首謀者であった。

ついでシャブロルは自身の長編デヴュー作「美しきセルジュ」(58年)を製作、ジャン・ヴィゴ賞を受賞した。
翌年製作した「いとこ同志」は、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、興行的にもヒットした。

シャブロルは収益を仲間の映画製作に回し、また、ゴダールの長編デヴュー作「勝手にしやがれ」(59年)に監修として名を連ねるなど、仲間の映画製作への協力を惜しまなかった。

「美しきセルジュ」
「いとこ同志」

クロード・シャブロルは、1930年パリ生まれ。
大学時代からパリのシネマテークに通いつめ、ゴダール、リヴェット、トリュフォーなどと知り合い、「カイエ・デュ・シネマ」誌などに寄稿するようになった。
同時に探偵小説を書き発表してもいた。
心酔する映画監督は、フリッツ・ラングとアルフレッド・ヒッチコックだった。

売れっ子監督となった60年代には、007をフランス向けのパロデイとした「虎は新鮮な肉を好む」(64年)、「ジャガーの眼」(65年)、「スーパータイガー黄金作戦」(65年)など、タイトルからわかる通りの娯楽作品を連発。
周辺からは『商業映画の監督になった』といわれた。

「ジャガーの眼」。男装のステファーヌ・オードランと拳銃を持つマリー・ラフォレ!

今回の傑作選は、60年代後半のシャブロル全盛期といわれる頃の3本が集められた。
『時代』が終わり、ゴダール、トリュフォーはともかく、その後の『ヌーヴェルヴァーグ派作家』の映画は、日本では商業路線に乗らず、シャブロル作品を含めて輸入される本数が少なくなっていた中、作品を発表し続けていたシャブロルだったが、この間の未輸入作品は、日仏学院での特集上映などでしか観る機会はなかった。

ミステリーのテイストを生かしながら、サスペンスのみならず人間性の深淵をうかがうシャブロル映画の神髄をこの傑作選の3本に見ることができた。

傑作選チラシ
傑作選チラシより

「女鹿」   1968年   クロード・シャブロル監督   フランス    上田映劇(デジタル上映)

この日の上田映劇は9時開場。
ロビーで入場を待つ筆者に支配人が『おはようございます』と声をかけてくれた。
挨拶を返す。

予告編の後、場内が暗くなって開映。
ブザーこそ鳴らないが映画館で胸が高鳴る瞬間だ。

いざ上映開始の場内へ

観客のワクワクする高揚感に待ったをかけるような、暗く、落ち着いた開巻のクレジットは、この作品に限らず傑作選の3本に共通していた。
『まあ高揚するのはまだ待て、これは私の映画だ』とでもいうようなシャブロル映画の始まりだ。

暇そうなブルジョワ女とその日暮らしの若い自己流芸術家の物語。
ブルジョワ女はレズビアンで、冬のサントロペの別荘に若い女を連れてゆく。
若い女は自称処女。
そんな風に見えないこともない、当時28歳になるジャクリーヌ・ササールが演じている。
ブルジョワ女は当時のシャブロル夫人、ステファーヌ・オードラン。
この時期のシャブロル映画の語り部にして狂言回しだ。

自称処女のササールのむせかえるような肉感性。
直截的な肉体表現もラブシーンもないのだが、オードランの前でバスタブに浸かっているシーンと、風呂上りの着衣越しに匂い立つ官能性は、その道を飽きるほど極めた設定のブルジョワ女をも惑わせる。
その完成された美貌と、カメラ映りがよく自信に満ちた表情。
ササールと初めてスクリーンで接する観客は思う、『ジャクリーヌ・ササールって何者?』。

サントロペではもう一人の主要キャスト、ジャン=ルイ・トランテイニャンが登場し、二人の間に割って入る。
最初は男がササールを誘惑し、ササールはそれに乗る。
オードランが嫉妬したのか、男を奪い取り(男に興味がなかったはずなのにメロメロとなる)、今度はササールが嫉妬し返す。
オードランのメイクや服装を真似したりして恍惚とするササール。

映画スターとしての輝きで、地味で実力本位なオードランを圧倒するササールの存在感!
傑作選の3本中、本作だけが日本で一般公開となったことも理解できる。
ササールの輝きは客を呼べるのだ。

ラストはシャブロル映画にお決まりともいえる殺人で終わる。
この作品での殺人は、犯罪を犯す側の愛の完遂であるのだろうか。
それとも様々な映画解説が、シャブロル映画の共通するテーマだと説く、『ブルジョワ的日常の崩壊』を描いたものなのだろうか。

殺す側に驚きもおののきもなく、殺される側に恐怖の叫びもないのは、傑作選の3本に共通している。
おそらく他のシャブロル作品でもそうなのだろう。

車やたばこにこだわりがあるのか、登場人物に銘柄を言わせたりするのもシャブロル流か。
また、別荘の管理人(「不貞の女」にも登場)に毛沢東語録を持たせて革命ごっこのセリフを叫ばせたのは、ゴダールの「中国女」(67年)への風刺か。
勘ぐってゆくと、冬のサントロペの舞台設定にトランテイヤンを登場させるのも、「素直な悪女」(56年 ロジェ・ヴァデイム)への揶揄にも見えないこともないが・・・。

ラスト2分間の映像が途切れた。
フィルム上映の時代にはままあったこと。
ドラマの結末は映った後だったので、そのまま出ようとしたら、支配人が慌てて『映像が途切れましたか?』と観客席に確認に来て、直後に途切れた後の2分間(ほとんどエンドマークの部分)を上映してくれた。
映画好きの魂と、プロ根性を見た。

特集チラシより

ジャクリーヌ・ササールは1940年フランス生まれ。
57年の彼女の出世作「芽生え」(アルベルト・ラトアーダ監督)の記事を「映画の友」58年4月号で見つけたので紹介したい。

本ブログでもイタリアンレアリスモの流れをくむ作品として紹介した「明日では遅すぎる」(50年 レオニード・モギー監督)の流れをくむ、思春期世代の淡い感情を主題とした「芽生え」の出演時、ササールは17歳。
見た目が12年後の「女鹿」の時と変わっていない!のに驚く。

「芽生え」

監督のラトアーダは「ポー河の水車小屋」(48年)、「アンナ」(51年)と、ネオレアリスモの流れをくむ作品を発表した監督。
「芽生え」でササールの両親を演じるのはラフ・バローネとシルバ・コシナという第一級のキャステイング.。
目論見通り「芽生え」は世界的にヒットし、ササールは一時、ヤング世代を代表する世界的アイドルの一人となった。

「芽生え」。シルバ・コシナ、ラフ・ヴァローネと
「映画の友」1958年4月号より

「お嬢さんお手柔らかに」(59年 ミシェル・ボワロン監督)、「激しい季節」(59年 ヴァレリオ・ズルニーニ監督)、「できごと」(67年 ジョセフ・ロージー監督)など、話題作、問題作に出演したササールの最後の映画出演が「女鹿」だった。

「映画の友」1960年2月号より。ササールからのサイン入りポートレート

「不貞の女」  1969年    クロードシャブロル監督    仏・伊合作  上田映劇(デジタル上映)

「女鹿」の後連続してモギリに立つと支配人が『2本連続ありがようございます』。
ありがたいのは貴重な傑作選の鑑賞機会をいただいたこちらの方です。

さて、本作は開巻から結末まで緊張感が途切れない、カチッとまとまった作品だった。

郊外の平和な中流家庭の様子から始まる。
柔和と誠実と重厚さを絵にかいたような夫シャルル(ミシェル・ブーケ)はパリの保険会社の重役。
その妻エレーヌ(ステファーヌ・オードラン)は夫思いの陽気で快活な妻。
息子が一人いる。

映画が絵にかいたような幸福な家庭を描写するとき、観客は夫と妻にその闇の有無を想像する。
特にシャブロル作品においては。

シャルルとエレーヌと息子の幸せな家庭

注意深く観察すると、シャルルの柔和な表情には、他人に対して疑い深い性格や、ひとたび疑ったらいつまでも執着する粘着気質の影を見てしまう。
妻エレーヌの振舞いには、自身の秘密と本音を隠すような不自然さが見え隠れしてしまう。

エレーヌとシャルル

果たしてエレーヌは、パリに出かけるときには不倫相手と密会しているのであった。
探偵を雇い、確証を得たシャルルはなんと不倫相手の部屋に乗り込む。
『私たち夫婦はお互いに干渉しないのです』といいつつ、最大の妻に対する干渉行為を無自覚に行うシャルル。
彼の気質は粘着気質のほかに、衝動を抑えきれない性質もあった。
最初は親し気に見せていた両者が、ひょっとした瞬間にシャルルの本心(妻への嫉妬、執着)に触れ、衝動的に相手を殺害する。

偶然からエレーヌと知り合い、不倫相手となる男にモーリス・ロネ。
60年代当初のプレイボーイぶりも衰え、自覚もないまま有閑マダムの暇つぶしの相手となる、自らも離婚経験者の中年男として登場する。
しかもあっという間に殺された後、ご丁寧にシートで包まれ、池に沈められる。
これって「太陽がいっぱい」(60年 ルネ・クレマン監督)の揶揄であり、何より当時の二枚目俳優だったモーリス・ロネ自分自身のパロデイではないのか。

こういったさりげない、悪意と区別のつかない揶揄表現はシャブロル作品の特徴としてほかにもよく見られる。

殺人の後、白昼、事件処理を図るシャルルと、不倫相手が急にいなくなって文字通り意気消沈するエレーヌ。
急に寝たきり状態に陥ったように元気がなくなる妻というのもすごいが、不倫相手しかこの妻の生きがいというものはないのか(多分そうなのだろう)。

妻エレーヌ

この作品の基底を流れる緊張感は、殺人事件とその処理のスリルだけではなく、生きがいを失ったエレーヌの喪失感と、妻に執着するシャルルの焦燥感によるものであることがわかる。

不倫相手の失踪で警察が動き出す。
モーリス・ロネの手帖からエレーヌの存在が割り出される。
シラを切り続ける夫婦のもとに刑事が通い続ける。
この二人組の刑事、セリフなしの方が「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンを突け狙う眼光鋭い刑事役に似ている。ここもシャブロルは、かの作品をパロったのか(考えすぎか)。

何度目かの刑事のお出ましにシャルルが対応する。
シャルルは遠くから心配そうに様子を見るエレーヌ親子に振り返る。
それは『とうとうバレたよ』という仕草なのか、『大丈夫だよ』ということなのか。
エンデイングとなる。

シャブロルがご執心?の「太陽がいっぱい」でも、我が世を謳歌していたドロンが、ロネのシートにくるまった死体がヨットとともに流れ着き、刑事がやって来る場面で終わったのだった(違っていたらゴメンナサイ)。

特集チラシより

ステファーヌ・オードランは、ブルジョワ女として前面に立つより、夫の影に隠れて不倫に生きがいを見出すような傍役の方があっている。
本作の主役は仮面の下の粘着気質と焦燥感を絶妙に表現したミシェル・ブーケだった。

上田映劇看板

「肉屋」   1970年   クロード・シャブロル監督   仏・伊合作   上田トライムライゼ(デジタル上映)

インドシナなどで極限の戦場を経験し、刺殺行為が自らの性癖となった男が故郷の肉屋を継ぐ。
その村の小学校には、児童や村民に慕われるオールドミスの教師がいた。
村の結婚式で知り合った肉屋は彼女を慕い、好意を抱く。

フランスの農村にロケし、『村の住民に捧げる』の字幕で始まるこの作品。
観客は『シャブロルの映画だから、いつ平凡な住民が日常の落とし穴に落ち込み、殺人事件が起こるのか』と先を予測することになるが、作品は観客の予測をもてあそぶかのような、陽気な村の結婚式の場面で始まる。

エレーヌと肉屋は村の結婚式で出会う

肉屋を演じるジャン・ヤンヌは一見おとなしく腕利きの職人風に見えるが、常に戦場での極限体験を話すなど、鬱屈した粘着気質を滲ませる。
その肉屋のぎこちないアプローチを受け入れて、部屋に招き、授業中の教室に招き入れたりする女教師は、周りからエレーヌ先生(マドモワゼル・エレーヌ)と呼ばれ、すっかり村に溶け込んでいる。

ステファーヌ・オードランが演じるエレーヌ先生は、肉屋を受け入れ個人的に付き合っているかのようにふるまうが、それ以上の交渉はない。
彼女のセリフで『10年以上前、相思相愛の男性がいたが、別れた傷を忘れるために村に赴任した』と過去が明かされるが、果たしてそれ以外にどんな秘密や心の闇があるのかは明かされない。

肉屋と歩く、くわえたばこのエレーヌ

連続殺人の犯人が肉屋だとわかったエレーヌは、屋外からいつものように『マドモワゼル・エレーヌ』と許しを請うように呼び掛ける肉屋の入室を断る。
地下室経由で入ってくる肉屋に恐怖を感じるが叫びはしない。
どんな危機的な場面でも、ヒロインが決して叫ばないのがシャブロル流だ。
シャブロル映画で危機に陥るヒロインは、被害者ではなく共犯者なのだから。

侵入した肉屋の『先生とキスをしたかった』という告白と、ナイフで自らの腹を刺す行為を黙って見聞きした後、エレーヌは、周りに助けるを求めるでもなく、自分の車で彼を病院に運ぶ。
病院でストレッチャーに乗せられた瀕死の肉屋を見送るエレーヌの表情にはかすかな笑みがあった。

家業を継ぐ肉屋。左は店の先代(村人が出演?)

戦場で人間としての精神的醸成を絶たれた肉屋と、過去を捨てて逃避した女教師との関係は、平時には補完的なものであり、非常時には共犯的なものとなった。
人間として永遠に未完成な存在(肉屋)は、心の中に巨大な喪失感を抱える教師にとっては、永遠の生徒のようなものだったのかもしれない。
いつも付きまとい、夜になると窓の外から甘えたような声をかける肉屋と、性愛抜きでそれを受け入れるエレーヌ(しかも彼女は学校の2階に住んでいる)の関係は、まさに先生と出来の悪い生徒の永遠の悪夢そのものだった。

事件の発生とともに村にやって来る警察。
刑事は『全く手掛かりがない』といいながら、エレーヌと肉屋にぴったり貼りつく。
シャブロル映画の刑事たちは「不貞の女」の時と同様に野生の獣のような嗅覚を持っている。

特集チラシより

作品のヒロインを演じた、ステファーヌ・オードランは、この時のシャブロル夫人。
「女鹿」や「不貞の女」でのブルジョワ女性役から一転、過去に闇がありそうだが現実社会に適応し、周りに慕われる教師という、いわば庶民の役。
この教師のようなミニ丈のワンピース姿で、くわえたばこで村を闊歩するような、ざっくばらんな仕草の訳あり庶民役が彼女に似合うと思うのは筆者だけでしょうか。

ブルジョワ女性役の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年 ルイス・ブニュエル)もよかったが・・・。

トラムライゼの看板

上田映劇で新作「ヌーヴェルヴァーグ」を見る



「ヌーヴェルヴァーグ」    2025年   リチャード・リンクレイター監督   フランス

山小舎おじさん今年初の新作映画鑑賞。
劇映画となると何年振りか。
新作ってこんなに面白かったのか?
それともたまたま、年代的な感性に合致したのか?

上田映劇のウインドウ。「ヌーヴェルヴァーグ」の同期間に「勝手にしやがれ」が上映される

監督が、50年代末のパリのカイエ・デュ・シネマに巣食う若い映画評論家たちが映画監督としてデヴューしてゆくヌーヴェルヴァーグという時代に興味とあこがれを持ち、素直に映画化している。
監督の素直さ、素人っぽさは、全世界の隅々に生息する映画ファンと共通しているのがこの映画の凄い所であり、愛すべきところだ。

クロード・シャブロルが「美しきセルジュ」でデヴューし、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」がカンヌ映画祭で評判をとった頃。
黒メガネでタバコを離さないゴダールは、カイエの編集室でタイプを叩いていた。
気になるトリュフォーのカンヌデヴューを確かめにカンヌに車を飛ばす。
旅費は編集室の引き出しにある金庫から失敬した。

「映画の友」1960年4月号掲載の広告

シャブロルとトリュフォーのデヴュー作のおかげで、シャブロル監修、トリュフォー原案の条件でゴダールの長編デヴュー作にプロデューサーが付いた。
生涯一度のチャンス。
素材は新聞記事になった自動車盗難の話。
主演には短編で使ったボクサー上がりの青年(ジャン=ポール・ベルモンド)。
相手役のアメリカ娘には、「聖ジョーン」でデヴューし、トリュフォーが『新しい映画の女神降臨』と絶賛し、カイエの表紙を飾ったジーン・セバーグを、無鉄砲にも希望した。

ベルモンドにはジムのオーナーみたいなおばさんが、『映画に出るなら商業映画に』と苦言を呈するが、べルモンドは『どうなるかわからないが、ゴダールは信用していい』と思っており、縁もゆかりもないセバーグに出演を勧めに行く。

セバーグはハリウッドでの「悲しみよこんにちは」出演の後、結婚したフランス人弁護士とともにパリにいた。

すぐ離婚し、セバーグの評伝(水星社「ジーン・セバーグ」)では精彩なく描かれている、元夫フランソワ・モレイユだが、映画では登場場面も多く、いらだつセバーグを慰めたり、契約中のハリウッドのコロムビア映画との交渉ごとに手腕を発揮するなど頼もしく描かれている。

「映画の友」1958年12月号掲載の記事より。左が実物のフランソワ・モレイユ

「勝手にしやがれ」の撮影開始前にゴダールがスタッフを選定する。
以後コンビを組むことになる撮影のラウール・クタールのキャラがいい。
実際のクタールについては知らないが、インドシナに従軍して映画撮影を覚えたというこの人物は、長身と長い顔をしており、顔合わせではゴダールと撮影の専門的な会話を交わして意気投合する。

現場では『覗くか?』とゴダールに聞き(ゴダールは『いや』と答える)、『回せ』の掛け声には『もう回っている』と答える。
ロケでのゲリラ撮影では、嬉々として車いすに座り(押すのはゴダール)、カモフラージュしたリヤカーにカメラを抱えて潜り込む(リヤカーを押すのはゴダール)。
クタールにとっては、無手勝流のヌーヴェルヴァーグの現場など、インドシナの戦場に比べて何のことはないんだろう。

一方で記録係やメイク係の女性にとってゴダールの現場は全くの素人騒ぎだった。
小道具の位置のズレや、俳優の目線の違いには『これではつながらない』と当たり前の指摘をしても、『このままでいい』と答えるゴダールに絶望する記録係。
メイク係は主演女優セバーグのとりなしで何とかスタッフに残る。
終盤のロケで『もう少しで終わる』とせいせいする彼女。

劇中で着用したワンピース姿のセバーグ

セバーグは出番のない日も現場に出かけてくるが、ゴダールは決まった脚本は作らず、毎日現場でなにやら書いている姿に苛立つ。
セリフはゴダールの口から出演者にカメラの背後から告げられる。
しまいには、セリフの癖をマネしてゴダールをからかう。

ハリウッド女優として、演技とアドリブで対処し、それなりに現場を楽しんでいるように見えるセバーグだが、あまりの無軌道ぶりにしばしばゴダールと衝突する。
『あなたの映画なんて知らないわ』。
クランクアップの現場で各スタッフはお互いにハグするが、セバーグとゴダールは握手だけだった。

「勝手にしやがれ」の封切り記念パーテイにて、セバーグとゴダール(「映画の友」60年7月号より)

様々な映画人のそっくりさんが登場する。
ロベルト・ロッセリーニがカイエ編集室を訪れたとき、ヌーヴェルヴァーグ系の映画人が集合する。
ジャック・ドミー、アニエス・ヴァルダ、アランレネもいる、名前が表示されないと誰かはわからないが。
ロッセリーニはホテルに送っていったゴダールとの別れ際に金を無心する。

撮影の終盤、パトリシア(セバーグの役名)の部屋でベルモンドと戯れるシーン。
ベルモンドの独白シーンの撮影では、セバーグがカメラの横に陣取りベルモンドにアドバスする。
この時の女優ゾーイ・ドウイッチはセバーグが蘇ったかと思ったくらいにそっくりだった。
それ以外の場面では、実際のセバーグより背が高く、顔が骨ばっているゾーイは、シャロン・ストーンにしか見えなかったが。

セバーグとベルモンドの同志的友情が、撮影期間を通して高まってゆく様も見てとれる。
セバーグが40歳で不慮の死を遂げたとき、葬儀に参列したのもベルモンドだった。

ゴダールが見学に訪れる、ロベール・ブレッソンの「スリ」の撮影現場。
ブレッソンのそっくりさんの目玉と背広の模様もよかったが、メイクされている主演俳優が、実際とそっくりで驚いた。

「ヌーヴェルヴァーグ」チラシ表紙

どのシーンも興味津々。
どこかで見聞きしたシーンやエピソードが再現されている。
知らなかったエピソードも。
それも映画ファンの視点で。

画面から初々しさが消えないのは、出演者がゾーイ・ドウイッチ以外は職業俳優ではないからか。
それとも監督がファンの視点で、ヌーヴェルヴァーグの時代を再現することにワクワクしているからだろうか。

「ヌーヴェルヴァーグ」チラシ裏面

ゴダールを演じるギョーム・マルベックという人。
独特の愛嬌があり、動きもいい。
実際のゴダールは、自意識過剰で頭でっかちのクセありすぎの人物だったのだろうが。
そこで私からの質問が一つ。
ゴダールは映画を見るときも黒メガネをかけていたのだろうか?この作品でのように。

ゴダールについて、本人の難解な言葉や、研究書のわかりずらい文字を見るより、まず最初にこの映画を見たらどうだろう。
ヌーヴェルヴァーグの時代に、血の通った偏屈な監督がいて、すったもんだの挙句、時代に残る映画が生まれたという事実が、温かい目で語られているのを見て、これ以上ない入門となるだろう。

この日の上田映劇はまるでゴダール祭り
ベルモンドとセバーグが案内してくれるような、上田映劇の館内

  

DVD名画劇場 アメリカ時代のフリッツ・ラング① ヒロイン、シルビア・シドニー

フリッツ・ラングは1890年オーストリア=ハンガリー帝国時代のウイーンに生まれた。
1907年にウイーン美術学校に入学、続いて科学技術学校に学んだ。

ちなみに同郷のヒトラーは同じ1907年にウイーン美術学校の入学に失敗している。
ヒトラーに比べて、才能的にも家庭的にも恵まれていたラングは、第一次大戦に出征、負傷したのち入院中に書いたシナリオが認められ、映画界入りした。

映画監督となったラングは、「ドクトル・マブセ」(22年)、「ニーベルンゲン」(24年)、「メトロポリス」(27年)など、サイレント時代の歴史に残るドイツ映画の作品群を発表。
第一次大戦後にあって、「カリガリ博士」(19年)など、表現主義と呼ばれる芸術運動により復興したドイツ映画界の次の世代を、FWムルナウとともに担った。

フリッツ・ラング

ゲルマン神話の映画化である「ニーベルンゲン」は、2年間の準備期間と7か月の製作日数をかけて製作された。
ウーファ社とデグラ社という国内の映画会社大手の共同制作による、第一次大戦後のインフレーションにもかかわらずドイツ映画界が総力を挙げて作り出した大作で、ドイツ人の魂の故郷ともいえる物語の映画化は、ドイツ社会に影響を与え、その表現様式がのちにナチス党の祭典様式に取り入れられた。(キネマ旬報社「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」p45~47より引用)

「ニーベルンゲン」
「ニーベルンゲン」

「メトロポリス」は、ウーファ社が700万マルクを投じたドイツ映画始まって以来の大作となった。
21世紀の大都市メトロポリスを舞台に、独占資本家と労働者の対立と和解を描く。
ラングは偏執狂的な情熱で、摩天楼、地下工場、人造人間など、近未来都市のセットを造出した。
この作品が発案された背景には、当時成立したドイツ独占資本とアメリカ資本の流入による資本主義社会の究極化への予感があったといわれる。(同上p53~55より引用)

「メトロポリス」
「メトロポリス」

「怪人マブゼ博士」(33年)をナチス政権により公開禁止処分にされたラングは、1934年宣伝相ゲッペルスに呼ばれる。
ゲッペルスは「M」(31年)、「怪人マブゼ博士」と反ナチ的背景を持つ作品を作ったラングを要注意人物視していたが、同時に「ニーベルンゲン」を作った才能を買ってもいた。
ゲッペルスはラングに、将来に統合されるドイツ映画界の中心人物として、ナチス政権下で働くように求める。
返事を保留したラングはその日のうちにパリへ去る、映画界入りしたときから、二人三脚で創作に務めてきた脚本家の妻テア・フォン・ハルボウには何も告げずに。(妻はこの時にはナチス党員だった)。(フィルムアート社「ドイツ映画の偉大な時代」p369~371より引用)

フランスからアメリカに渡ったラングは、MGMにいたデヴィッド・セルズニック(「風と共に去りぬ」のプロデューサー)との個人契約でMGMに迎え入れられたが、処遇が決まらず、セルズニックが独立してMGMを去った後には、契約更新を断られた。

結局、渡米第1作「激怒」のヒットで、50年代後半までハリウッドで映画監督として活動することができた。
50年代末には西ドイツに戻り、自作のリメイク「怪人マブゼ博士」(60年)を撮る。
65年にはゴダールに乞われて「軽蔑」に自身の役?で出演し、教養豊かな老監督ぶりを演じた。

今回は、ラングが渡米直後に撮ったアメリカ映画、第1作と第3作を見る(第2作目の「暗黒街の弾痕」は当ブログにて紹介済み)。

「激怒」    1936年   フリッツ・ラング監督    MGM

結婚衣装のディスプレーの前にたたずむ結婚間近の二人(スペンサー・トレーシーとシルビア・シドニー)。
シルビア一筋のスペンサーと幸福そうなシルビア。

フリッツ・ラングの渡米初期作(「暗黒街の弾痕」と「真人間」)ならば、人の道に背いた(ことのある)恋人たちの、道ならぬ(波乱に満ちた)恋路のプロローグとして設定されたこのシチュエーション。
本作では、主人公は工場勤務から独立し、兄弟らとガソリンスタンドを立ち上げた善良な庶民という設定。

が、しかしいかに善良とはいえ、主人公が、身に覚えのない犯罪の容疑者として、あわや民衆のリンチの危機に瀕する不条理に迷い込むことになるのは、ラング映画の主人公の宿命だった。

フリッツ・ラングのハリウッド第1作は、こうして故なく犯罪に巻き込まれる青年を主人公として始まる。
主人公の無垢で一途な婚約者を演じるのがシルビア・シドニー。
本作から3作品連続してラングは彼女をヒロインに据えることとなる。

田舎の無知で、善良とはいえず、むしろリンチを好む歴史的伝統を隠しようもないアメリカの住民が、無実のスペンサーを誘拐犯人として追い込む。
うわさ、好奇心、無責任、扇動を、楽しむかのように増幅させてゆく住民たちを、畳み込むように描くラング。
まるで、歴史浅く、単純で好戦的なアメリカの国民性を戯画化するかのような演出だ。

犯罪(容疑)者を追い込むリンチの恐怖は、ドイツ時代の「M」に比して恐怖度が少ない。
暗さを強調し、得体のしれぬ恐怖感に満ち満ちた「M」に比べて、本作のリンチ(未遂)シーンはアクションを強調したスリリングなものとなっており、恐怖の原因は扇動された群衆に限定されている。
ドイツ時代のナチスの権力の狭隘さを暗示的に描いた{M」の恐怖のほうが、不気味なのだ。

「激怒」

更に、本作の群集心理の背景には、自らの選挙対策を最優先し、リンチを放置する州知事の存在や、野次馬的に煽り立てるマスコミの蠢動がある。
こういったアメリカ社会の宿痾を忘れずに描くのも外国出身のラングの真骨頂。

「地獄の英雄」(51年)で、人命の危機を特ダネとして集まったマスコミと物見遊山の人々をこれでもかと描いたのは、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人監督という点で、ラングの後輩にあたるビリー・ワイルダーだった。

本作の狙いは、扇動された群衆の怖さを描くことだけではない。
群衆による刑務所の放火から生き残ったスペンサーの復讐心理を描くことにむしろ主眼が置かれる。

復讐鬼として世間に存在を隠しながら、弟たちとリンチを扇動した住民を告訴し、裁判で罪を断じようとするスペンサー。
ここら辺、裁判長や保安官を公正で職務に忠実な人物として描いたのは、ドイツ育ちのラングらしい。
果たして、裁判においても、アメリカ社会では必ずしも正義が執行、貫徹されるとは限らないのだが。

最後の最後では、『激怒(FURY)』したはずのスペンサーが、婚約者シルビアとの人間的つながりに目覚め、リンチ扇動者を許すという大団円のハピーエンドとなる。

ラングのハリウッド第1作が成功したのも、このハピーエンドのためなのだろう。
ラングが好むであろう、理路整然とした理屈(と理屈が通らない不条理)の世界はどうなったのか。

『1936年当時、MGMとの契約更新を断られていたラングに「激怒」の監督の依頼をしたのは、この企画をMGMに持ち込んだ、ジョセフ・L・マンキーヴィツ(パラマウントのベルリン支部でドイツ映画に字幕を付ける仕事をしていたことがあった。のちに「三人の妻への手紙」(49年)、「イヴの総て」(50年)でアカデミー監督賞を受賞)だった。

本作の撮影中、ラングは自己流(ドイツ流?)の撮影方法を貫こうとし、現場で軋轢が生じた。
撮影後、ラングは作品のいかなる改編も拒み、MGMを解雇された。
作品はマンキーヴィツにより編集されヒットした。

いずれにせよ作品の成功はドイツの監督にもハリウッド・アクションが撮れるという証明となり、様々な結果を招いた』。(以上、文芸春秋社刊「ハリウッド帝国の興亡・夢工場の1940年代」p72~75より引用)



「真人間」   1938年   フリッツ・ラング監督    パラマウント

フリッツ・ラング渡米第3作。
3作全部のヒロインにシルビア・シドニーを起用、本作はその最終作となった。

シルビアの相手役の主人公はジョージ・ラフト。
前身はギャングだったというハリウッドスターである。
製作者としてパラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーがクレジットされているが、実際の製作は監督のラングが兼ねている。

リアルなギャングだったラフトが本作では前科者を演じる。
ただし、『更生しようとする前科者が、やむにやまれず犯罪に再度手を染め破滅する』という、犯罪映画にありがちなパターンを、この作品は少しひねって作られている。

従業員250名のデパートが舞台。
社長(ハリー・ケリー)は善人は善人でも、とことん筋の通った人物。
従業員中数十人の前科者を雇用している。
社長が単なる社会貢献から善行を行っているだけの人物ではないことは最後にわかる。

デパートで昔のワル仲間の誘いをはねつけつつ仕事に励んでるラフトには、店員仲間のシルビア・シドニーという両思いのガールフレンドがいる。
2人はエスカレーターで上下にすれ違う時に手を握り合うほどの中だが、恋人という程ではない。

「真人間」

ラフトは自分の前科が広まっていないカルフォルニアで新しい人生を始めようと、社長の紹介状を胸に長距離バスに乗りこむ。
愛するシルビアに見送られて・・・。
シルビアが離れてゆくバスのラフトに向かって叫ぶ、『今夜プロポーズされたならOKしようと思っていた』。
ラフトはトランクを窓から投げ捨て、バスから飛び降りる。
このスピーデイで洒落た展開は、アメリカ映画的な明るさそのもので、犯罪映画っぽくなくていい。

2人は真夜中に、”インフォメーション”と呼ばれる何でも相談所で結婚証明書を取得し、シルビアのアパートにしけこむ。
ユダヤ人の大家夫妻は、最初はラフトを追い出そうとするが、二人が結婚したと知って歓迎する。

アメリカ特有の、街角の結婚届所の存在と、名もなき恋人たちが逃避行の際に行う、届出所の証人の前での結婚。
この、”日陰者の恋人たちの結婚”はラングの前作「暗黒街の弾痕」でも描かれていた。

シルビア・シドニーは『前科を持ち、前途に不安があるが、自分を愛してくれる青年についてゆき、一途な、幸福そうな表情をする』役柄が似合う。
薄幸そうなのではない、客観的には幸福が望めない状況でも、自分が愛する相手と一緒になった女ごころのうれしさを演じられるのだ。

実はシルビアも保釈中の身。
それを隠して結婚したが、やがてラフトが事実を知り、やけになってワル仲間の誘いに乗りデパートの強盗のグループに戻る。
それを知ったシルビアは身を捨てる覚悟で社長に相談する・・・。

夜中にデパートを襲ったラフトのグループの前に社長とシルビアが立ちはだかる。
社長は翌日8時の出社を条件に今回のことは不問に処すとして立ち去る。

一方、シルビアは黒板を背にギャングどもの前で仁王立ち。
如何に今回の犯罪が収支的にも割に合わないかを数字を書いて示してゆき、ギャングどもは犯罪の割の合わなさを理解し、ラフトはシルビアの元に戻る。
「激怒」「暗黒街の弾痕」ではひたすら恋人の後をついてゆくだけの存在だったシルビアが、一人の人間として自立した役を演じる、これは記念すべき作品なのではないか。
そのハイライトが黒板に数字で説いてゆくシルビアのこのシーンなのではないか。

前2作のペシミズムから翻り、ハピーエンドを意識したという結末は、フランク・キャプラ(「スミス都へ行く」(39年)、「群衆」(41年)、「素晴らしき哉、人生」(46年))的”アメリカの善意”の物語を思わせるほど。

フリッツ・ラングらしさは、ヒロインのシルビア・シドニーの憂いに満ちた瞳の奥に潜む影と、それが示唆する現実の恐怖にあるはず?だったが、そのシルビアが凛々しくも黒板にチョークで現実のそろばん勘定を証明するほどに(キャプラ的”アメリカの善意”に)”自立”したのである。

これは暗黒犯罪映画、心理的スリラーを旨とするであろうラングの世界からシルビアが、役者として別の世界にスケールアップしたということなのだろうか。
それともシルビアの当時の愛人BPシュルバーグが重役を務めるパラマウント映画の都会的社風に、ラングが妥協しての産物なのだろうか。

前述の、フィルムアート社刊「ドイツ映画の偉大な時代」から引用した通り、ラングのドイツ脱出は、ゲッペルスからの断われない誘いを受けたその日に、フランスに出国したことになっているが、それは本人の自己申告上のものであり、実際は本人がかなりナチスに自己保身を売り込んでいた(がその保証がなく脱出した)のが事実であるとの考証もある。(ウイキペデイアより)

女優シルビア・シドニーの実像のしたたかさとともに、名匠フリッツ・ラングと現実世界の関係もいろいろあったようだ。

シルビア・シドニー

上田映劇で、ロベール・ブレッソン傑作選

NPO法人上田映劇が経営する、大正年間より現存する木造映画館・上田映劇。
支配人は上田高校から日大芸術学部大学院を出てUターン。
営業停止していた上田映劇を再興して今に至る。
昨年には信濃毎日新聞の表彰を受けた当地の文化人でもある。
何より映画館1館(姉妹館トラムライゼと併せて2館)の常時上映を継続しているのが凄い。

上田映劇の玄関
現存木造シアター、上田映劇の雄姿

ミニシアターとして分類される上田映劇では、シネコンでは上映されない新作のほか、再輸入された旧作洋画が主な上映作品。
この再輸入洋画には、ベルモンド傑作選、ルノワール作品、ブニュエル作品、「黄金の七人」、ミムジー・ファーマーの70年代の代表作、などなどがある。
キングレコードなどが、旧作をデジタル素材で再輸入・配給したもので、映画ファンの琴線に触れるプログラムだ。

次回上映のポスター

今回は、ユーロスペースなど二つの業者の配給により、ロベール・ブレッソン傑作選として5作品が公開された。
上田映劇でも上映され、そのうち2作品に接することができた。

ロベールブレッソン傑作選のチラシ
チラシより

「スリ」    1959年     ロベール・ブレッソン監督    フランス

「抵抗」(56年)とともにブレッソンの名を日本にも広めたのが本作。
生涯にわたるブレッソンのスタイルは、本作でも確立、踏襲されている。

現代のパリ。
インテリだが、不景気と自身の社会性のなさから無職の青年がいる。
実家には病弱の母親が一人。
いよいよ生活に困った青年は、調子が良いくらいに社会適応性のある友人にバイト先の紹介を頼む。
ところが青年は、友人の紹介するバイトではなく、スリの世界に入り込み、重大はピンチもないまま、器用なその手先を使ってスリで稼ぎ始める。
一方で、寝たきりの母親はアパートの隣室の娘の介護を受けつつ死んでゆく。
母の死に痛痒を感じないわけではない青年だが、母の面倒を見てくれた娘に愛着を感じる。
やがて警察に捕まり、投獄された青年は、面会に来た娘に愛を告白する・・・。

「スリ」の一場面

ブレッソンのスタイルは、後年の説明を極力省いたものと少し異なり、巻頭に「この映画は刑事ものではない(中略)自らの弱さによってスリという自らにふさわしくない冒険に駆り立てられた若者の悪夢である(攻略)」という字幕が入る程度に説明的だ

「刑事ものではない」、と断りは入るが、画面に映る50年代のパリの街頭風景は時代を映し出しているし、刑事らしくない刑事(素人俳優)の登場も、ねらってはいないのだろうが緊張感を画面にもたらす。
劇映画としてスリリングな作品でもあり、何より紛れもない50年代のフランス映画のテイストを感じさせる。

一方で、素人俳優の主人公は、象徴的なセリフと具体的な動作に徹したふるまいで、『行間の芝居』や『伏線』『心理的芝居』からは隔絶した存在である。
泣きの芝居も、怒鳴りも叫びも、アクションシーンもない。
ヘンリー・フォンダとモンゴメリー・クリフトを合わせたような風貌で、どっちつかずの戦後世代のモラトリアム的行動を淡々と行うだけだ。
その具体的な振る舞いが、青年の奥底にある虚無感成り、閉塞感を浮き上がらせる。

母親を介護する謎の女を演ずるマリカ・グリーン(のちに職業女優に転ずる)は、主人公以上にその人物についての背景説明はなく、クールな美貌を無表情に見せるだけで、セリフも更に少ない。
美貌のタイプがブレッソン映画のヒロイン(「白夜」(69年)、「湖のランスロ」(74年)の素人女優にも、「バルタザールどこへ行く」(66年)のアンヌ・ヴィアゼムスキー、「やさしい女」(69年)のドミニク・サンダ;どちらものちに職業女優、にも似ている)に共通しているところが興味深い。

感情表出を排し、動作にのみ専念した演出は、スリの手口の物理的な描写に象徴的にみられる。
スリという動作の非日常性を強調するためでもなく、またスリルを盛り上げるものでもないその機械的で、記録的な描写がブレッソン映画のスタイルなのだろう。

ちらしより

『この世には法律を超越してもいい人間がいる』と内心思っており、刑事にもそう主張する主人公。
西欧思想のエリート主義なのか、あるいはキリスト教思想を源流としたものなのか。
筆者から見ると単なる優柔不断で中途半端なモラトリアム思想にしか見えないが、そういった主人公の精神を人間性として取り上げるのもブレッソンのテーマなのだろう。

もう一つのテーマがキリスト教上の神の救い。
ラストで刑務所で面会する主人公と娘がお互いの愛情に気づき、荘厳なテーマ曲が二人を包む。
出口の見えない虚無に陥っていた主人公に射す一筋の光。
『神の救い』はブレッソン終生のテーマであったようだ。

「少女ムシェット」   1967年   ロベール・ブレッソン監督   フランス・ゴーモン社

製作はゴーモン社のアナトール・ドーマン。
「二十四時間の情事」(59年 アラン・レネ)、「男性・女性」(66年 ジャン=リュック・ゴダール)、「愛のコリーダ」(76年 大島渚)の製作者だ。
ブレッソンとは「バルタザールどこへ行く」(66年)に次いでの仕事となる。

59年制作の「スリ」と比べると、ブレッソン映画の変わらないところと変わったところがあるのに気付く。

変わらないところは、素人俳優の起用(過剰な芝居の排除)、最小限の音楽、ロケの多用(本作はオールロケ?)、突き放した社会描写、キリスト教的背景など。

一方で、本作で見せたバリエーション的変化は、ブレッソン好みの神秘的なヒロインが不在なこと、高踏的・精神的な存在の不在(地方の寒村が舞台なので)といったところか。

本作の主人公ムシェットは村のつまはじき。
ぼろを着て学校には通っているが学友には相手にされていない。
悪ガキには性的嘲笑の対象にされる。
学友に対しては泥だんごをぶつけてうっぷんを晴らす。
頼みの母親は寝たきりで、家事と生まれたばかりの弟の世話は、ムシェットにかかっている。

健気な少女の奮闘物語という設定とは正反対に、ひねくれているムシェットは、学校では教師に逆らって目を付けられ、家では.朝のカフェオレの準備を、牛乳をこぼしながら雑に行い、弟のおむつ替えでは手を抜く。
家族を含めて誰にも一人前に扱ってもらえないムシェットは生活全般が投げやりだ。

村は現代フランスの農村なのだが、走っているトラックは古く、ひょっとして戦前なのかと思わせる。
休日に賑わう遊園地の遊具を見ると、60年代後半の時代設定のようだが。

村で唯一の社交場のカフェに集まり、店員の若い女性に言い寄る村の顔役。
ムシェットの父と兄は、密造酒をカフェに卸して日銭を稼ぎ、帰ってきてはそのままの姿でベッドにもぐりこむ。
ムシェットにとっては夢も希望もない、無知であさましい村の現実だ。

チラシより

或る夜に家出したムシェットは、森の番小屋で一夜を過ごし、癲癇持ちの密猟者に襲われる。
ショックを受けるムシェットだが、人に聞かれると密猟者のことを「私の恋人」と答える。
初めてまともに相手をしてくれた人物だったのだ。

母親が死に、村のおばさんたちはムシェットに同情の言葉をかけ、朝食を出したり、いらなくなったドレスを恵んだりする。
ムシェットが、コーヒーカップを落としたり、しおらしい反応をしないと、「ふしだらな娘」「神に反した行い」だと手のひらを反す。

とっくに他人に期待することなどなくなっていたムシェットは、一人になってドレスを広げる。
ムシェットがドレスを体に当てて坂を何度も転がる。
そのまま池に落ちる。
讃美歌のようなテーマ曲が流れる。
巻頭に続いて2回目のBGMだった。

原作があるとはいえ、貧しく夢のない背景描写が徹底している。
主人公はとても映画の主人公になるような美少女ではないし、周りの大人も誰一人彼女を導く人物ではない。
かといって作為的に悪意のある人物などもおらず、ひたすら現実的で救いのない描写が続く。

映画はムシェットに同情的な描き方はしない。
それどころか、これでもかとムシェットのダメなところ嫌なところを描く。
それでも神の救いはムシェットにあった。
彼女が死んでから。

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その3)

70年代の出演作品2本を紹介する。

「ラムの大通り」   1970年   ロベール・アンリコ監督    ゴーモン社(フランス)

スペインとメキシコに長期ロケし、オープンセットで1920年代のカリブ海沿岸の町を再現。
丘にはクラシックカーや馬車と仕出しを、海には当時の密輸船を浮かべての贅沢な撮影を実現した。

監督は、短編「ふくろうの河」(61年)で注目を浴びたのち、「冒険者たち」(66年)、「若草の萌えるころ」(67年)、「オー」(68年)で清新な感覚を見せたロベール・アンリコ。
その持ち味の、”社会の表街道からは外れているが、一本気の好人物が己の信じる道を突き進(んで挫折する)”という監督永遠のテーマをここでも追及している。

「冒険者たち」で印象的だった、青く広い海への憧憬が本作でも再び詠われる。
旧型の輸送船(煙突が立っているスタイルの)へのオタク的拘りも感じられる。
宮崎アニメがヒコーキに拘るように。
この作品では、実写版でありながら帆船まで出てくる徹底ぶりだ。

DVD表面

映画の舞台は20年代の禁酒法時代のカリブ海の密輸ルート、”ラムの大通り”と呼ばれた、メキシコ、ジャマイカ、キューバ、ハイチで囲まれた海域。
そこにはボロ船と度胸一つで大金を夢見て、ラム酒の密輸に命を懸けるを男たちがいた。

変わり者だが、酒と喧嘩に強く、船を操る腕もいいのが主人公のコルドー(リノ・ヴァンチュラ)。
アメリカの沿岸警備隊に船を撃沈され、メキシコの海岸に流れ着いて無一文になった後、自ら射的(実弾の)の的になって賞金を稼ぐという賭を10回もやって大金を稼ぐと、再びボロ船を買ってジャマイカのキングストンに凱旋する。
いわば密輸界の男の中の男だ。

生きて帰ったコルドーにラム酒の荷主たちは好条件で仕事を依頼する。
一方、偶然飛び込んだ映画館で、リンダ・グリュー(ブリジット・バルドー)というスターが主演するアフリカ冒険もののサイレント映画を見たコルドーは、リンダと空想の中で運命の出会いを果たす。
雑誌や新聞のスクラップを船の自室に貼り巡らし、ラム酒の荷積みを中断して、映画の続きを見にハイチのポルトーフランスに船を出す。

2人は浜辺で出会う

こうして、命知らずで武骨な男と、サイレント映画の夢のスターとの、冒険時代の夢に溢れた海を舞台にしたロマンチックな夢物語が始まる。

先ず、サイレント映画を模したモノクロ画面に現れるバルドーのスタイルの良さに驚かされる。
撮影時で36歳にもなろうかというバルドーが、アフリカの白人女王風のヒョウ柄の衣装からのぞかせるお腹と足のシェイプアップぶり!

バルドーの20年代の映画スターぶりもいい。
美男美女が揃い、フラッパーガールとタキシードが揃って踊るパーテイの華やかさ。
その中でもひときわスリムでチャーミングなバルドー。
次々とミニ丈の20年代のファッションに身を包み、まつげをパタパタさせながら、チャールストンを踊り、最後には歌まで歌う。
スタイルと身のこなしがいいから、どのファッションも魅力的この上ない。
アンリコ監督のヒロインの選択は「冒険者たち」のジョアナ・シムカスの例をみるまでもなく、素晴らしい。

DVD裏面より

コルドーはリンダと付き合うようになる。
スターという虚像でいながら、実物のリンダは漢気のあるコルドーに惚れ得るだけの人間味を持ち主でもあった。
リンダは更に、密輸船に乗船し、沿岸警備隊との交戦では、顔を煤けさせながら救急箱をもって仲間を助けて回り、最後には舵まで握って、駆け付けた英国貴族の帆船の艇長に敬意を評されるのだった。

急に表れた帆船と英国貴族の存在は必然性が薄いものの、リンダが貴族から求婚されて応じたり、その後にやっぱりコルドーの船に来て浮気したり、そのことで貴族とコルドーが決闘することになったり、とドタバタが続く。

リンダはやってきた一団にさらわれて映画界に復帰。
禁酒法が開けた1933年に保釈されたコルドーは映画館でリンダの看板を見かけて入場し、画面に没入。
自分が劇中ででリンダを抱きかかえているような夢を見つつ、いつまでも座席を離れないのだった。

作品への出演契約にサインをする前にシナリオを読んだバルドーは、
『台詞にはユーモワがあふれ、物語は禁酒法時代の漫画のようで、私の役はチャーミングでいたずらっ娘らしいところがちりばめられた、魅力的なものだった。それに私は歌を歌うことになっていたのである。』と、この作品との出会いを記している。(「自伝」p610)。
彼女と作品との幸福な出会いが目に浮かぶようだ。

またバルドーは共演したリノ・ヴァンチュラについて、
『どこかジャン・ギャバンを思わせるところがあり、なかなか親しくなれなかった』としながらも、
『料理とトランプ遊びを通じて、私はリノ・ヴァンチュラというとっつきは悪いが根は傷つきやすく、愛すべき熊を手なずけることができた。』と記している(「自伝」p614)。
この二人も劇中の二人同様に幸福な出会いだったようだ。

DVD裏面より

小生はこの映画を封切り時に見ている。
函館のロマン座という洋画二番館だった。
当時高校1年だったか。
リンダを思うコルドーの純情に同化しつつ見ていたのだろう。
バルドーの美しさと華やかさ、そして武骨な海の男を受け入れるやさしさを今でも忘れない。
映画ファンを今に至るまで続けている原動力の一つがこの作品だった。

「華麗なる対決」  1971年   クリスチャン=ジャック監督     フランス=イタリア=スペイン合作

ブリジット・バルドーことBBと、クラウデイア・カルデイナーレことCCの初共演。
両スターの顔合わせ映画として、「お約束」に徹した作品。
BB、CCの両レジェンドを愛する映画ファンにとっては十分に楽しめた。

DVD表面。昔のベニヤに絵の具で描いた看板のテイスト

BBはこれが「シャラコ」(68年 エドワード・ドミトリク監督)に次ぐ2本目の西部劇。
(20世紀初頭の中南米を舞台にしたメキシコロケ作品「ビバマリア」:65年 ルイ・マル監督、というアクションコメデイはあったが)。

CCは、60年代前半にはハリウッドに居を移しており、66年に「プロフェッショナル」(リチャード・ブルックス監督)、68年に「ウエスタン」(セルジオ・レオーネ監督:伊米合作のマカルニウエスタン)という西部劇に出ている。
根性が入った顔つきに、乗馬がうまく、アクションシーンが似合い、ついでにドレス姿ではこぼれるバストを強調できるCCは西部劇向きだ。

DVD裏面より

BBはどう見てもアクションが得意そうには見えない。
この作品でも、ひらひらのドレスから、黒ずくめの女ガンマンスタイルまで、ヨーロッパ製ウエスタンらしいファッションを披露。
野性味とバストだけで勝負するCCに比べて高いファッション性を見せている。

DVD裏面より

美人の妹4人を率いて西部を荒らしまわり、フランス人が開拓してフランス語が公用語の町へやってきたBB。
召使は黒人男性だ。
対するCCは弟4人を率いて列車強盗で荒稼ぎする町の女盗賊。
その義侠心と美貌で町の人気者だ。
召使は老インデイアン。
この2つのグループが町の郊外の牧場を巡って対立する。
石油が出ると噂されている牧場だからだ。

BBは、CC相手にガンアクションや荒馬乗りを見せる。
トリック撮影やスタントマン込みの演技とはいえ、レジャンドが取り組むアクション演技に、見ている映画ファンは喜び、ハラハラする。
もちろん姉妹5人で川で水浴びするお色気シーンもある。

姉御肌でスピーデイな動きが身上のCCは、女ガンマンスタイルに身を固めてのパキパキした動きがたまらない。
走っている列車に馬で追いつき、列車に乗り込んで屋根を走る。
もちろんスタント込みの撮影だが、CCが扮するルイーズの動きに見える。

DVD裏面より。タイマンが終った両者

牧場に集まった両グループは両姉御のタイマンで勝負を決着することになる。
果てしない取っ組み合いが始まる・・・。

前半には、フランスのベテラン女優ミシュリーヌ・プレールが、網タイツ姿で歌いながら娼館の階段を下りてくるという場面もある。
彼女の出演場面はここだけだが、まだまだ見事な網タイツ姿を見せる。
1922年生まれの彼女は、「肉体の悪魔」(46年 クロード・オータン=ララ監督)でジェラール・フィリップを誘惑する人妻を演じ、本作と同年に製作された「ロバと王女」(70年 ジャック・ドミー監督)で、ジャック・ペラン扮する王子の母親の王妃を演じたばかりだった。

ミシュリーヌ・プレエール。40年代のポートレート

「俺たちに明日はない」(67年)、「お前と俺」(70年)が印象的なマイケル・J・ポラードは、町のドジドジな保安監兼判事兼公証人を演じる。
アクターズスタジオ仕込みだという独特のセリフ回しと間は健在だったが、この作品ではコミカルな部分を強調しており、一定の存在感は見せた。

バルドー自伝の表紙

「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」では、映画最大の山場となるCCとの取っ組み合いの場面について、
『このシーンの撮影は一週間続いた。(中略)二度か三度、私の唇は割けた。かわいそうにクラウデイアは目の周りにあざができそうだった。この情け容赦ない戦いで、私たちの間にあった溝は埋まった』(「自伝」p632)
と記している。

また共演したカルデイナーレについては、『慎み深いが精力的な女性』、『いくつもの試練を静かにそして威厳をもって乗り越えることができる人』(いずれも「自伝」p632)と最大限の敬意を表している。

ヨーロッパの2大女優の共演を、適度な汚れ役を与えつつ、それぞれに花を持たせ、最後は大団円で締めくくった作品。
それが映画の中だけではなく、リアルなBBとCCに間にあっても同様だったのがうれしい。

ブリジットバルドーは、「華麗なる対決」の後2本の映画に出演して映画界を引退した。
「自伝」は、動物たちのための新しい生活に入ることを静かに宣言して終わっている。

映画界でやることはやり尽くしたのであろうバルドーが、ライフワークたる動物愛護に人生をささげるという彼女らしい潔さがここにある。

DVD裏面

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その2)


「軽蔑」   1963年    ジャン=リュック・ゴダール監督     フランス=イタリア合作

DVDにセットされていたオリジナルポスター?

「戦士の休息」が終わり、休業していたバルドーだが1年もすると休暇に飽きてきた。

イタリアのプロデューサー、カルロ・ポンテイがジャン=リュック・ゴダールを指名し、アルベルト・モラビアの「軽蔑」を原作にした企画を立ち上げた。
ゴダールはバルドーのヒロイン起用に執着した。
原作が好きだったバルドーは『もとの調子からずれたた脚本と演出によって、原作がすっかり変形されてしまうことだろうということもわかっていた』(「自伝」p386)が、出演を引き受けた。

撮影中ゴダールは、「君の歩き方はアンナ・カリーナに似ていない。」と言って、本番を20回も繰り返させた。
「アンナ・カリーナを迎えに行ったらいいでしょう。私はほっといてちょうだい。」とバルドーがそれに応えた。

浴槽のシーンでも帽子をかぶり続けたミシェル・ピコリと、これまたいつでも帽子をいじくり続けたゴダールを見たバルドーは、
『ヌーヴェルヴァーグとは帽子をかぶることだったのである。』(「自伝」p390)と評した。

(ヌーベルバーグの旗手ゴダールと、古典的作品のスター・バルドーは)『とんでもない取り合わせだった』(「自伝」p386)

こうして映画「軽蔑」の撮影は開始された。

「軽蔑」のセットで、ゴダールと握手するバルドー

映画の舞台はローマのチネチッタ撮影所。
ハリウッドのプロデューサー(ジャック・パランス)が、名匠フリッツ・ラング(本人)を使い、映画を撮っている。
思うようなラッシュが上がってこないプロデユーサーは、フランスから作家(ミシェル・ピコリ)を呼んで脚本を書き変えようとする。
作家は妻(ブリジット・バルドー)を連れてローマにやって来る。

閑話休題。
「映画の友」編集長だった淀川長治氏が1952年にハリウッドを訪れたときに、RKOスタジオでフリッツ・ラングに会っている。
ハリウッドでは映画監督の才能を評価するのではなく、ヒット中の作品があった場合のみ、彼をもてはやす。
ドイツ時代の栄光を知るものとてなく、忘れられた存在となりかけていたラングは、ドイツ時代の作品を熱心に語る淀川を大いに喜んだという。

ハリウッドでフリッツ・ラングと面談する淀長さん。ラングは50年代にハリウッドを離れて西ドイツに渡る

映画批評家出身のゴダールはこの作品で、ラングを大いなるリスペクトをもって遇している。
英語はもちろん、母国ドイツ語やフランス語でギリシャ古典を論じる教養とマナーに溢れた監督像は、戦前のベルリン・ウーファ撮影所で第一級の監督として君臨していたラングの実像でもあるのだろう。

ゴダールらしい映画遊びもたっぷりみられる。
劇中で「リオブラボー」、「ニコラス・レイ」、「デイーン・マーチン」などの名前が発せられるし、ローマの映画館で上映されているのが、ロッセリーニの「イタリア旅行」だったりする。

DVDの付録より

パランス扮するプロデユーサーは、ラッシュが気に食わないと、運ばれてきたコーヒーセットをぶちまけ、お盆をハンマー投げのように投げ飛ばす。
試写室のスクリーンの下の壁には『劇映画に未来はない リュミエール』なるコトバが書かれていて字幕で翻訳もされる。
ハリウッド式映画作りに対するカリカチュアがゴダール流に表現されている。

フランスが生んだ映画の父・リュミエールの至言を背景に、ハリウッドのタイクーンは乱暴狼藉を繰り広げるわけだが、タイクーンはまた、二言目には「女の裸を出せ」と脚本家に注文を付けながら、その美人妻に暇さえあればコナをかける。

フランスまで来て(実際のロケはローマとカプリ島だが)こんな役を振り当てられたジャック・パランスこそ災難だが、バルドーは『自分が映画の中でどんな役割を果たしているのか皆目見当がつかない様子だった』(「自伝」p390)と、このハリウッドスターを評している。
パランスにとっては最後まで踏んだり蹴ったりの撮影だった。

フルサイズの長回しで延々セリフを交わす画面作りは、脚本の世界観をカメラのラウル・クタールがフィルムに落とし込んだもの。
バルドー夫婦の新居の赤を基調にした配色と、カプリ島の別荘に移ってからの青を基調にした配色もいい。

『ゴダールの指示を忠実に実行するだけで、私自身の奥深い部分は全く出さなかった』(「自伝」p391)
バルドーは、そういいながらも、セリフと動き(フレームから出たり入ったり)の多い長回しによくついて行ってる。

『左翼かぶれの薄汚いインテリという種族にはイライラする』(「自伝」p386)といいながらも、ゴダールとの仕事を引受たからには、表面的にせよ体を張って応えるバルドーの漢気がうかがえる。

(赤)の場面。赤いバスタオルをまとったバルドーと帽子をかぶりっぱなしのピコリ

音楽はジョルジュ・ドルリュー。
『愛の不可解』ともいうべき映画の主題にうまくマッチしたテーマ曲が、落としどころのない主人公夫妻のグダグダのやり取りの言外の倦怠感を伝えていた。

ジャック・パランスの秘書フランチェスカを演じるジョルジア・モルは、魅力と存在感あるイタリア女優で、ハリウッドプロデューサーの秘書というプロフェッショナルな女性を、その裏側をも匂わせながら、上手く演じて居る。

DVD表面
DVD裏面



「セシルの歓び」  1966年  セルジュ・ブールギニョン監督  フランス

監督は「シベールの日曜日」のブールギニョン。
かの作品は少女と青年が主人公。
青年の少女に対する愛が、反社会的な性癖によるものか、青年は戦争が原因であったものの、通常の社会には相いれない存在だった。
二人が会って遊園地で遊ぶ場面の青年の嬉しそうな笑顔は、自分の世界に没入しきった人のそれだった。
また、さらに怖いのがうれしそうに笑う少女の存在で、常軌を逸しているのが青年だけなのか、二人ともそうなのか、わからないことだった。

ブールギニョンの長編第二作目の本作は、大人同士の不思議な関係を描く。

モデルの仕事でロンドンに2週間やってきたフランス人のセシル(ブリジット・バルドー)が主人公。
ロンドン在住の自称地質学者でオタクっぽい青年ヴァンサンがセシルにぎこちなく接近する。

パリには包容力のある大人のパートナーがいて、ロンドンのセシルに毎晩電話をかけてくるが、セシルはどう見ても釣り合いの取れないヴァンサンのアプローチを受け入れる。

この映画、つり合いは取れないが真面目な男が、違う世界の美しい婦人を手に入れ、お互いが幸せになる、という「チップス先生さようなら」のような、恋愛シンデレラストーリーではない。
「シベールの日曜日」のブールギニョン作品なのである。

ヴァンサンを受け入れたセシルは二人でロンドンを出奔する、撮影で着ていたウエデイングドレス姿で。
車はエンストし、スコットランドの古城にたどりつく。
古城には鳥の声を録音して分類する学者のような老人がいて二人を受け入れる。
二人は夢のようなひと時を過ごすが・・・。

やがてヴァンサンはセシルを縛り、嫌いな牛乳を飲ませたりするようになる。
単なるオタク地質学者ではないヴァンサンの本質が露呈されてくるが、セシルの好みとは相いれない。
風呂もない古城の生活とも重なり、セシルの不満は爆発する・・・。

DVDに特典されていたオリジナルポスター?

ヴァンサンは「シベールの日曜日」のハーデイ・クリューガー扮する青年の別バージョンだろう。

セシルはいったんは毛色の変わったヴァンサンに惹かれるがやがて熱が冷める。
彼女はパートナーとの倦怠感はあるものの、非日常に没入はしないのだ。

女優バルドーの持ち味は、その保守性と、常識性と、育ちの良さにある。
異常な性癖の持ち主や、ヒネクレタ性格の役は似合わないし、シビルの役作りでもそうなっていない。

DVD表面

ヴァンサンはセシルを誘って香港行きのJAL便チケットを買い、飛び立つ。
寝坊したセシルは空港に駆け付けるが飛び立った後。

バルドーの存在感はオタク青年と融合するものではなく、ヴァンサンが体現した非日常性は、バルドーの個性に影響を与えることはできなかった。
バルドーに見つめられ、おどおどするオタク青年の眼差しがすべてを物語っていた。

DVD裏面

「ブリジット・バルドー自伝」にはこの作品についてほとんど記載がない。

(「追悼その3」へ続く)