ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ⑥ 松原智恵子

松原智恵子は1945年岐阜県池田町生まれ。
実家は名古屋で銭湯を経営するが1959年の伊勢湾台風で父親を失う。

高校時代に日活の『ミス16歳コンテスト』に中部代表で出場したのをきっかけに日活入社。
1961年に映画デヴュー。吉永小百合、和泉雅子とともに『日活3人娘』と呼ばれた。
舟木一夫や西郷輝彦の歌謡映画のヒロインを務め、日活がニューアクションと呼ばれる路線に企画変更すると、渡哲也主演の「無頼シリーズ」などで相手役を務めた。

日活時代の松原智恵子

1971年、日活の一般映画製作中止を機に退社。
主にテレビに活動の場を移す。
その後も、ヴァンプやおばさん役に崩れることなく正統派の熟年役として現役続行中。


「昭和残侠伝 吼ろ唐獅子」  1971年  佐伯清監督  東映東京作品  35ミリフィルム上映

「昭和残侠伝」シリーズ全8作の7番目の作品。
全共闘世代に支持を受け、事実東映の任侠映画で最も収益を上げたシリーズだといわれる。

このシリーズのコンセプトは、ヤクザの仁義、筋、男のプライド、そういった精神に対する礼賛であり、そういった企画を推進しているのは、東映に出入りしていた俊藤浩滋であった。

おそらく上映当時も、観客のほとんどはヤクザのプライドなど、絵に描いた餅であると信じてはいなかった。
ヤクザが、必要悪としての側面は持ちつつも、どんなに世事に汚く、道理に反した、世の中のクズであることは万人にとって自明の理だった。

オリジナルポスターその1

東映の任侠映画が一時的とはいえ、映画史に残るエポックメーキング足りえたのは、高倉健というスターが存在したからだった。
時代劇映画全盛時代に東映が全国トップの興行収入を上げたのは、千恵蔵・右太衛門という歌舞伎出身の2大スターが豪華絢爛なチャンバラ絵巻を繰り広げ、全国津々浦々の日本人に夢を与えたからであり、任侠映画がつかの間の全盛を迎えたのは、1970年前後を迎えた大学紛争後の虚無感漂う日本の大衆のルサンチマンをしばし解放せしめる象徴・高倉健(藤純子も?)がいたからだった。

ただし時代劇映画全盛時代の東映が、千恵蔵・右太衛門ありきだったのに対し、任侠映画の出発点は俊藤浩滋という企画者だった(彼をホイホイと持ち上げる、岡田茂という『不良性感度の高い』映画が好きな、製作責任者がいたこともある)。
俊藤(藤純子の実父)がヤクザの実物たちとともに東映撮影所に持ち込んだものは、仁義、義理、筋などの任侠道といわれる価値観だったが、それらは彼らの自己正当化には役に立っても、世間的には通るものではなかった。
世間は、ヤクザが、強きになびき弱きをくじくゲスの感性の持ち主であること、即物的価値観の礼賛者であることは知りすぎるほど知っていた。

たまたま任侠映画の主役高倉健の10年に1人のスター性があったことから任侠映画は観客に迎え入れられた。
そして「昭和残侠伝」シリーズも8作目を迎えることとなった。
あと1作でシリーズ終焉となることを知ってか知らずか・・・。

プレスシート

ということで「昭和残侠伝 吼ろ唐獅子」を見る。
高倉健扮する渡世人が、ヤクザの正義感たる『仁義を通す』『筋を通す』『落とし前をつける』を連発して、腐った親分と、親分の妻と駆け落ちした子分の間を右往左往する、という筋立て。

さすがに無理筋だろう、健さん。
男女間の駆け落ちに人情をかけるためにやくざの価値観は使えないだろう、と思いつつ画面を追う。
ところが、というか、やはりというか、健さんは硬直的に『仁義』『筋』『落とし前』を繰り返すばかり。

シリーズの重要なわき役、池辺良が最後は健さんに同行して殴り込みというお馴染みの筋立て。
そこに鶴田浩二が出てきて訳知り顔で正義のヤクザを演じる。
正義のヤクザは健さん一人でいいのではないか。
池辺良だって堅気だったのをやむにやまれずドスを握ったから、健さんの味方はいるのだし・・・。

シリーズのコンセプト、任侠映画の精神的支柱の虚構が、硬直化したその姿を露わにしている。
わずかに残った映画的説得性が健さんの醸し出すスターのオーラとスポーツのような殺陣の爽快感だが、そこにも繰り返されたであろう疲れとマンネリがにじみ出ている。

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ヒロインは松原智恵子。
日活時代の「東京流れ者」(66年 鈴木清順監督)では、『流れ者には女はいらねえんだ』『女と一緒じゃ歩けねえんだ』と、棒読みのセリフを繰り出す若き渡哲也の向こうを張って、まるで相手の心情には頓着しないかのようにアイドル的表情を崩さなかった松原智恵子の東映初出演(クレジットには(日活)とあったから日活在籍時代の最後の出演作であろうか)。
また、「無頼」シリーズでは、堅気のお嬢さん役ながら渡の殺陣の現場にウロチョロし、『大丈夫?』と傷の具合を勝手に心配するヒロイン役が妙に似合っていた。

日活時代はどんな状況下にあっても、清純派としての構えを崩さなかった松原智恵子の本作の役は、健さんのかつての思い人にして、その8年後に鶴田浩二の奥さんとなっていた姐さん。
着物姿には凛とした気風が漂っていたが、任侠映画末期の硬直した雰囲気の中では、持ち前の”天然なかわいらしさ”の出しようがなかった。

『親にもらった大事な肌を墨で汚して(中略)つもり重ねた不幸の数をなんと詫びよかお袋に、背中(せな)で哭いてる唐獅子牡丹』。
殴り込みの前の池辺良との道行のシーンにかぶさる主題歌を詠うのはもちろん健さん。
仁義でがんじがらめのはずのヤクザのはずが、人情にほだされまくりの、自虐ネタ満載の、おまけにマザコン丸出しの歌詞。
ほかの役者が歌っていれば、”なに甘えてんじゃあワレ”と逆切れしたくなる内容だが、高倉健だか許された。

池袋文芸坐のマキノ雅弘特集でのこと。
「侠骨一代」(67年)のラストの殴り込みシーン。
背中を切り付けられた健さんの切れた着流しから、汗にまみれた入れ墨が現れる。
殴り込みが終って、荒い呼吸の中、右手から離れないドスを自らの左手で振りほどく。
映画が終って場内が明るくなる中、椅子から立ち上がれない女性客がいた。
マキノ演出も見事だったが、高倉健の類まれなるスター性があった。

シリーズ第1作からの監督佐伯清は、伊丹万作に師事した戦前からの職人派。
ヤクザ礼賛などに同調するはずもないが、このシリーズでは、ココロ入らぬ様式だけの作画がかえって受けたのか。
その虚構の再現ぶりは監督とヤクザの距離感を表すとともに、高倉健という虚構の異様ぶりも際立たせ、映画という虚構を求める観客を引き付けたのだった。

オリジナルポスターその2

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ⑤ 工藤明子

工藤明子

1944年生まれ。
劇団を経て71年に東映と専属契約。
72年まで、主に鶴田浩二主演の任侠映画の相手役として、東映作品14本に出演する。
本編「札付つき博徒」は、東映4本目の出演。
若き大型美人女優として重要なわき役を務める。

70年前後の東映映画の女優は、佐久間良子、三田佳子などかつてのホープはすでに去り、女優がメインの企画では『不良性感度』の高い作品が製作された。
一方の人気企画、任侠映画にあっては、緋牡丹博徒シリーズで主役を務める藤純子を別格として、時代劇全盛時代からのキャリアを誇る桜町弘子、宮園純子などのほか、浜木綿子、松尾嘉代などが、男優たちの相手役を務めていた。

やがて頼みの藤純子も映画界を去り、後に日活からやってきた梶芽衣子が「さそり」シリーズで狂い咲くまで、東映映画にヒロインらしいヒロインは不在だった(スケバンシリーズなどでの池玲子、杉本美樹を除く)。

工藤明子

この間、東映でも新人発掘の試みは続けられ、多岐川裕美や中村英子、中島ゆたか等有望株がデヴューはしていった。
工藤明子も東映が発掘した自前の女優の一人であり、その大型の美貌は、朝ドラ女優(74年 「鳩子の海」)の藤田美保子にも、後輩の中島ゆたかにも似た花のあるものだった。
70年代の「キネマ旬報」では、工藤明子の名前が散見され、一部のファンに支持されたもいたことがうかがえた。
東映らしい、水商売的なテイストの薄幸型美人女優で東映を離れた後はテレビの時代劇やアクションもので活躍した。

今では忘れられたヒロインともいえる工藤明子の出演作に駆け付けた。


「札つき博徒」  1970年  小沢茂弘監督  東映京都  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

鶴田浩二主演の東映京都作品、監督小沢茂弘。
このメンツを見て、どんな旧態依然とした任侠映画を見せられるのだろう?と、昔、浅草名画座で見た同じメンツの作品「三池監獄 凶悪犯」(73年)を思い出しながら、期待せずに開映を待った。
始まった映画は、意表を突く素早いカッテイングのテンポの速い展開と意外な登場人物のキャラクターとその配役だった。

意外な配役とは。
すでに御大的存在だった鶴田に謙虚な無名のムショ帰り役を割り当てる。
それに絡むのが万年悪役の小池朝雄で、珍しく根が正直な曲者役、その連れに山本麟一。
戦前の北九州戸畑の祇園山笠前夜が舞台という時代設定も、現実感皆無な大時代的なものでいい。

オリジナルポスター。左に工藤明子の女賭博師

鶴田に合わせたかのように、セミ大御所の大木実に盲目の堅気を演じさせる。
その連れ合いの桜町弘子は終盤までセリフがない役で、持ち前の勝気な姐さんぶりが封印されている。
待田京介までが弱気な堅気役だ。

旧態依然とした配役と、ワンパターンな勧善懲悪劇を良くも悪くも期待していた、鶴田=小沢コンビが、見事に予定調和を外して始まったこの映画。
主役は祇園山笠の祭そのもので、祭りを運営する堅気衆が前面にフィーチャーされた構成なのだ。
ときどき企画される、ハンデイキャップを背負った集団や個人が悪に対峙するという変則パターンのやくざものの一種なのだ(脚本:笠原和夫)。

いつもは、墨を背負ってドスを利かせる連中(大木、待田、小池、山本ら)が、一歩引いて悪役やくざの恫喝のを前に、右往左往する堅気衆を演じるという新鮮味ある筋立て。
待望の工藤明子は身寄りのない女壺振りしとして登場する。

一場面。後姿が工藤明子

素人離れしたクールな美貌にキレのある啖呵。
殺陣のシーンでの動きもいい。

藤純子の緋牡丹博徒と異なり、凄惨な殺陣演出の後、傷を負いやられてゆくのもいい。
耐え忍ぶ設定から、正義感に駆られての殴り込み、そしてやられるまで、鶴田のお株を奪う出来だったのではないか。
惜しむらくは、藤純子や江波京子らの二番煎じ、メインストーリーである主人公らのうっぷん晴らしに花を添えるための役柄だが、魅力は十分発揮した。

堅気衆側の唯一の暴力装置であるムショ帰りの鶴田浩二も死んでゆく。

ヤクザは死に絶え、堅気衆が残って祇園山座差は無事挙行される。
ヤクザ礼賛に堕ちてはいないストーリー。
半端者で調子はいいが、良心は失わなかった小池朝雄も生き残った、珍しく。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ④ 野川由美子

野川由美子

1944年京都生まれ。
高校生の時に、ミス着物コンクール準ミスに選ばれて念願の女優デヴュー。
代表作は「肉体の門」(64年)、「春婦伝」(65年)、「河内カルメン」(66年)といずれも日活出演の鈴木清順演出作品。
筆者が未見なのは不徳の致す限り。

野川由美子

その後は、達者な演技力と親しみやすい関西弁で、テレビ・映画を問わず幅広く活躍。
「仁義なき戦い・完結編」(74年)、「北陸代理戦争」(77年)、「沖縄10年戦争」(78年)など東映実録路線にも、重要な役で登場した。
東映のやくざ映画では、若手女優ががむしゃらに主人公たちにむしゃぶりつく演技が印象に残るが、野川由美子の場合はその個性が突出しており、実録映画の混濁に、良くも悪くも飲み込まれることはなかった。

彼女が日活時代に、清順映画のヒロインを務めていた頃の作品では、東映の「四畳半物語・娼婦しの」(66年 成沢昌成監督)を見たことがある。
東映の若手女優のホープ(の一人)だった三田佳子が娼婦役に取り組んだ作品で、時代背景の再現的にも演技的にも情感のこもったものだったが、コケテイッシュな”泥棒猫のような”野川の演技が印象的だった(この作品は、小林千登勢の性悪演技も忘れられない)。

本作は、野川が東映任侠映画のヒロインとして出演したものである。


「現代やくざ 盃返します」  1971年  佐伯清監督  東映東京  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

東映東京撮影所で製作された、69年に始まる「現代やくざ」と銘打たれたシリーズの3作目。
シリーズ作品につながりはないが、菅原文太が主演を務めている。

いわゆる任侠映画の衰退を受け、時代設定をリアルタイムとし、登場人物を高倉健や鶴田浩二、藤純子といった完全無欠のヒーローとはせず、やくざ者の悲しみや不条理を背景としている。

新東宝で『ハンサムタワー』なる美男スター3人組の一人として売り出され、松竹を経て東映に移った菅原文太。
松竹では、半端なやくざ者が役どころで、「夜の片鱗」(64年 中村登監督)では喧嘩で股間を蹴られて寝込んだ末に死んでゆくチンピラを演じており、そのしみったれぶりが印象的だったが、俳優として開花するまでのことはなかった。

東映が任侠映画の非人間的なヒーロー像を描き続けた末に観客に飽きられ、やくざ者の哀れさ、人間味を描き始メタことは文太にとってチャンスだった。
70年前後の世相の中、人間の弱みを見せながら親分子分の軋轢に悩む主人公を描いた「現代やくざ」シリーズは、最終作「人斬り与太」(72年 深作欣二監督)で、最初から組織内のしがらみに頓着せず、無茶苦茶に暴れまくって孤立・自滅してゆくやくざ者を描き、続いての「人斬り与太 狂犬三兄弟」(  深作欣二監督)とともに、「仁義なき戦い」で爆発する実録やくざ映画への序章となった。

オリジナルポスター

本作「盃返します」は戦前に伊丹万作監督に弟子入りした正統派・佐伯清監督の手になる作品で、大阪万博の利権を争う”現代やくざ”の渡世を、その最底辺で体を張らざるを得ない人間の悲しみをきっちり描いている。
監督の主題は、鉄砲玉となり都合よく使い潰されてゆくやくざ者(菅原文太)の弱さ、哀れさであり、彼の幼馴染(野川由美子)との淡いつながりとその自滅である。

幼いころから文太を見守り、堅気になることを願ってきて、場末で小料理屋を営む野川由美子。
若さが一段落し、芸達者とともに落ち着いた情感が出てきた野川の持ち味を十分生かした演出。
精神的に未熟で、さんざん野川の金銭的、精神的援助を受けながらうじうじ悩む文太は、松竹時代からの持ち味。
観客の同情は誘っても憧憬とはならない主人公像だ。

プレスシート

ラストの殴り込み。
同行を願い出る助っ人をパンチで倒し、単身殴りこんでゆく文太の姿がのちの実録やくざへとつながってゆく。

野川との約束を果たせず、堅気とならぬまま死んだ骨箱を抱えた野川が故郷のバス停に降り立つ。
野川のような女性ならこの後も逞しく生きてゆくだろうという余韻を残しつつ。

神保町シアター『俳優・佐田啓二』特集より「日本の悲劇」

久しぶりに神保町シアターに行った。
午前10時50分に着くと入場待ちの高齢者たちが並んでいた。
さすが東京、さすが都心の映画館である、文化度が高い!(暇な高齢者が多いのか?)。

この日の神保町シアター入口

この日は、「生誕100年 俳優・佐田啓二」特集の最終日。
木下恵介監督の「日本の悲劇」の上映日である。

木下恵介の映画は、見るたびに驚かされる。
その作品からは、先ずは技法の斬新さが目につくが、ついで、女性映画的な雰囲気の中に、人間の心、運命のいたずらを、残酷なまでに突き放す視点を感じるのだ。

特集チラシ

松竹大船調と呼ばれる作品群を作り上げてきた、邦画メジャーの撮影所にあって、その本流を担いながらも異色・独自の作品群を輩出した木下恵介の、辛口の異色作といわれる「日本の悲劇」を見ることができた。

「日本の悲劇」  1953年  木下恵介監督  松竹  神保町シアター(35ミリ上映)

暗い画面が続く。
年齢から目の解析度が落ちたのかと思っていたら、木下恵介の画面作りが、”レフをかけずにわざと汚くして撮る”方法をとったためだった。

暗い画面での長回し撮影が続く。
例えば、宿屋の厨房をフルサイズで、移動撮影を交えつつ、延々とワンショットで撮る場面があるが、そこには主要登場人物を紹介する狙いとともに、彼等を突き放し、彼等が行き来する空間を醒めた目で見ている、木下恵介の視点が感じられる。

特集チラシの解説より

望月優子扮する戦争未亡人が、子供二人を抱え、地べたをはいずり回るようにして戦後を生きてゆくストーリー。

闇米の買出し時の、警察による狩りこみの記憶がフラッシュバックする。
買出しの汽車で知り合った景気のいい闇屋の男に誘惑され、その囲い者となったこともあった。
旅館の仲居として住み込みで勤め始めてからは、酔客たちの宴席にはべり、彼等と湯河原・東京間の列車に同席しては機嫌を取る日々。
小金をためたころに調子よく近づいてくる株屋の口車に乗せられ有り金をはたく・・・。
逞しくも、はしたなく、目先のことに一喜一憂して、社会の底辺を金銭のみを唯一の価値判断材料として生きてゆく主人公。
すべては子供らのため、と自分に言い聞かせながら・・・。

そういう母親を見て育った肝心の子供たちはどうなったか。
客にしなだれかかる母親を見て子供たちは自らの尊厳を傷つけられる気持ちになる。
息子は、母からの離脱を決め、猛勉強のすえ東京の医学生となり、金持ちの医者の養子となることを決める。
娘は、下宿してミシンと英会話を習い、自活を目指すが、自分と同根の女としての母との心理的葛藤に悩み、また従兄に犯された故の男全般に対する復讐心から、近づいてきた好きでもない英語講師の中年男との関係をもてあそぶようになる。

宴席で親父の隣にはべる望月優子

田中絹代がオファーを断ったという母親役を、望月優子が持ち前のバイタリテイに満ちた演技力でこなしてゆく。
闇物資を抱え田舎道を逃げる回想シーンが度々、現実の場面にフラッシュバックされる。
子供らの幼少時代の、子供心を傷つけられるような数々の場面も。

用事がある時だけ湯河原に帰ってくる、成績優秀な学生に育った息子にしなだれかかって甘えて、嫌がられる。
帰京する息子を駅に送りに行くが、逃げられて会えない。
戦死した夫が残した土地と酒屋の権利を義弟に貸して資産活用しようとするが、自分の子供たちはいじめられ(のちに娘は義弟の息子に犯され)、かつ居座られる。
母親の苦悩は続く。

戦後の混乱期に闇買いをしたり、焼け野原でバラック生活した日本人は、普通にいたでしょう。
が、一般的な日本女性なら、闇買い人や小金持ちの囲い者になったり、仕事とはいえ酔客にしなだれかかるような仲居にはまずならなかったでしょう。
そんなことができるのは、プロの素質を持つごく少数の女性であり、平時にあっても機会があればそうしていたでしょうし。

戦後の日本の混乱をを描くのであれば、主人公は望月優子が演じた母のような極端なキャラではなく、平凡なつつましい女性を通して描く方が、むしろ戦後の混乱の異様さがリアルに映ったことでしょう。
木下恵介がこの映画で描きたかったのは、戦後の混乱そのものでも、翻弄される人間の悲惨さそのものでもなく、逆境にあって露わになる人間の本質と、その末路であったものと思われます。

息子に甘えるが拒否される母親

この作品の母親の本質は、最後まで物質的な価値観に固執する近視眼的な人格であり、それに接し子供たちは自らの尊厳をも傷つけられ、社会をではなく母を憎んで見限る。
母を捨てた息子はまた、必要以上に女としての母を嫌悪する。
息子はその後、金持ちの養子になり、母の呪縛からは脱するが、さりとて彼の人生も、社会的・経済的地位と利益に呪縛されたもので(その意味で母親の価値観を踏襲しており)、その将来の明るい展望の予感はない。

娘は女としてさらに複雑な人生を歩むことになる。
下宿して母の元を離れ、ミシンで身をたてるといいながら英会話を習い(下宿代を含めて母親に頼りながら)、挙句に、英語講師の中年男とその家庭をもてあそび、好きでもないその男と衝動的に出奔してゆく。
相当な尺を取って娘(桂木洋子)の救いのないシチュエーションが語られる。
男全般に対する嫌悪があり、人生に悲観的な境遇とはいえ、どこに彼女に対する人生の祝福があるのだろう。

子供二人はしっかりと母親の本質的な不幸を継承しているのである。

姉(桂木洋子)は冷たく母と弟を見据える

こういった作品にあって、望月優子がたまさか宴席に呼ぶのが流しの演歌歌手(佐田啓二)であり、彼もまた望月には心を開き、復員した長男のいる農家の次男坊だという自分の境遇を打ち明ける。

もう一人、小学校の級長だったという旅館の板前(高橋貞二)は、父親の戦死で進学をあきらめ板前の道に入ったが、口うるさいうえに女に手を出し失敗する。
望月は何かとこの男にも気をかける。

望月の死後、この二人は『いい人だった』と彼女を悼む。
ここにだけ、人間としての尊厳を踏みにじられ、女としての性を酔客たちに弄ばれ、息子には嫌悪された、この作品の母親という人間に対する救いがある。

石原郁子の気鋭の評論

女流映画評論家石原郁子による「異才の人木下恵介 弱い男たちの美しさを中心に」(1999年 株式会社パンドラ刊)を読んでみる。
著者は、木下映画のおける男性とその母親の関係を、『〈母〉は限りなく甘美に優しく(中略)無垢の愛としてこの世ならぬ高みに達し、ほとんど信仰の対象だった』(同書P181)と定義する。

また「日本の悲劇」では、母親が過剰な女性性を発するとき、息子はすさまじい嫌悪を示し絶望に凝り固まるのであるが、同様の描写は木下作品に基調をなす母と息子の関係性でもある、と著者は論じている。

木下恵介の実母に対する思い入れが、生涯の傾向となったようである。

同書目次

また、同書では、娘の出奔についてはも述べる。
『母を捨てるという痛ましい形でしか、自立した大人になることができない』(P187)と。

著者は、彼女の行動に理解とエールを示すとともに、彼女と半端な中年男との”被害者同志”の結合という”ひ弱な優しさ”を描く木下恵介の、娘に対する同情的な視線を評価している。

「日本の悲劇」に限らず、木下恵介の映画全般には、マザコンで弱々しい男と、傷つきながらも自立を目指す女が描かれている、と石原郁子は論じている。

同奥付

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ③ 本間千代子

筆者と本間千代子とのスクリーンでの出会いは、過年のラピュタ阿佐ヶ谷での「君たちがいて僕がいる」(64年 野田幸男監督)だった。
何の特集だったかは忘れたが、舟木一夫の同名歌謡曲の映画化で、本間千代子は相手役。
地方の町の高校生たちが、家庭の貧困や進学の悩みを友情で乗り越えるという内容だった。

この映画で本間は、舟木と同級生の役。
町の名士である父親の元、クラスのリーダー役として明るく振舞うその制服姿がまぶしかった。
このころは、岡崎友紀や岡田可愛など、ハイテーンの溌溂ぶりが炸裂するテレビドラマに出演する女優がいたが、本間千代子はその中でも日本的で清純な印象があった。

制服姿の本間千代子。舟木一夫とともに

本間千代子は童謡歌手の出身で、東映撮影所に出入りするうちにスカウトされて契約。
ギャング物などの助演をこなしつつ、歌手としても活躍し人気を博した。
東映は、いわゆる不良性感度の高い映画製作を方針としており、佐久間良子が数少ないチャンスを生かした例(「五番町夕霧楼」など)を除き女優が主演の映画は製作されなかった。
歌手としても人気を誇り、また本人の意向もあり、不良性感度の高い映画を好まない本間は、代表作がないまま、日本映画の時流に取り残されていった。

本間の映画出演最後となる本作「やくざ非情史 刑務所兄弟」では、果たして吹っ切れたその姿が見られるのか?
それとも殻を破らない昔の儘の姿なのか?
ラピュタに駆け付けた。

東映若手女優の水木撮影会より。本間の2人後ろは三田佳子

「やくざ非情史 刑務所兄弟」  1969年  松尾昭典監督  日活  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

安藤昇が日活で出演した3本のうちの1本。
相変わらず冷たい凄味のある風体。
人情味とユーモアを持ち合わせているところも、その持ち味だ。

傍役は、善玉が長門裕之、川地民夫、大坂志郎ら。
悪役陣が、ご存じ安部徹、玉川伊佐男らで、そのほかにフリーの美味しい役どころのに丹波哲郎。

対立組との抗争事件で下獄した安藤が出獄して、組の再興に駆けずり回るが、安部徹扮する対立組は全国制覇の組織の威光を着て利権掌握を図り、ことあるごとに妨害する。
孤立奮闘する安藤にはムショ仲間の川地が片腕として助力するが各個撃破されてゆく。
そこへ全国制覇の組織の代貸として丹波哲郎が現れる。
丹波もまた安藤とはムショ仲間だった・・・。

オリジナルポスター

リアルなやくざが撮影所に出入りする東映京都と異なり、日活が製作するやくざ映画は、それらしい俳優に乏しく、細部のリアリテイもない。
東映映画では得意げに描写される花札賭博のシーンは、この作品では最初から描かれないし、東映大部屋のピラニア軍団のような連中が関西弁ですごむシーンもない。
東映に比べて”堅気の役者で作ったやくざ映画”という趣である。
ただ一人、”ホンモノ”安藤昇を除いては。

安藤の妹役で、ムショ暮らしの間、スナック喫茶をやっていたまっとうな娘が本間千代子の役。
”怖い”兄貴の威光からか、その留守中も無事過ごしてきた。
すなわち、非情なやくざ社会の犠牲になり、酒やクスリに手を出すこともなく、ヒモに貢ぐこともなく、ましてや女を抱えたやり手婆的なポジションにいることもないまま過ごしていた。
その存在感は、かすかに現実社会の苦労がにじむ”幸薄い”感は匂ったものの、裏街道の人間特有の”玄人感”に染まることのない、まったくの堅気のものだった。

例えば、彼女を巡るシチュエーションが『まじめに店を守ろうとしたが、流れ者に犯され、女の悲しみからその男と切れずにいる。一方で、その男が敵対組に囲われ、出所してきた兄が、かわいい妹とその男の関係に苦悩する』といった、ありがちな筋立てならどうだろう。
”女の悲しみと、義理だての間で悩み、愛する兄に歯向かう”という、ノワール的な役柄ならば、この時期の本間千代子の演技に、色合いが感じられたかもしれない。
逆に彼女の良さが打ち消されたかもしれない。
そこで決して冒険しないのが本間千代子という女優なのだった。

愛する兄貴(安藤昇)と本間千代子

本間に好意を寄せていた川地が敵対組に殺された時の悲しみの表現が、本間のこの映画での数少ない見せ場だった。

本間千代子24歳、守屋博との結婚と離婚を経てなお、スマートな体躯から発する清新な色気は”スター”のものだったが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ② 小山明子

ラピュタの「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」の特集上映。
この日は小山明子がゲスト出演する「戦後最大の賭場」に駆け付けました。

1969年の東映京都作品のこの映画は、ラピュタの特集で初めて知りました。

「関の弥太っぺ」(63年)で渡世人と小娘のつかの間の交流を中村錦之助の好演で描き、「博奕打ち総長賭博」(68年)では三島由紀夫に”ギリシャ悲劇にも通じる”と評せしめ、極めつけは東映と山口組の昵懇ぶりを象徴する「山口組三代目」(73年)を任されるに至った山下耕作の監督作品です。

主演は鶴田浩二。
高倉健と山本麟一が助演、悪役は安部徹、金子信雄、名和宏のお馴染みメンバーに、新東宝出身の沼田曜一が抜擢です。

小山明子は鶴田浩二の女房役。
作品の時代背景は昭和37年(1962年)ですから、明治時代のヤクザの女房的な大時代的な味付けはないものの、昭和のヤクザの女房としてのふるまい、男尊女卑、家制度の尊重に徹した女性像を演じます

松竹時代の小山明子

この時、プライベートでは、小山明子は大島渚の女房。
松竹を、勢い(自らの結婚式で新郎・大島らが松竹首脳を糾弾したため)で退社した後、主婦としてまた二児の母として一家を支え、フリーの女優としても活躍中でした。
フリー後の出演作「続・兵隊やくざ」(65年)では、従軍看護婦役のきりりとした黒い制服姿で、弾避けにと“毛”をねだる勝新をあしらっていました。

本作撮影時は、伴侶・大島作品でいえば「少年」(69年)のメガネの母親役のころ。
赤ん坊をおぶりながら少年に当たり屋行為を強いる役でした。

いずれも彼女のイメージに近い、クールで冷たさのある役処。
1969年当時の実年齢36歳、女優として最盛期のころだったのではないでしょうか。

「戦後最大の賭場」  1969年  山下耕作監督  東映京都  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

この日のラピュタの上映技師は確か女性。
客席から見えるラピュタの映写室内ではテキパキと準備する技師の働きぶりがうかがえる。
プリントの貸出条件が厳しいといわれる、国立映画アーカイブ所蔵作品も、映写技術の高いラピュタではたびたび上映される。

本作は、東映京都のエース監督・山下耕作の最盛期の作品。
「仁義なき戦い」(73年)の出現による実録やくざ映画の台頭を目前にして、さしもの任侠映画の人気も下火になりかかっていたころ。
世の中は、東大安田講堂の陥落が前年で、70年安保闘争も決着がついていた。
本作は、1962年のヤクザの抗争事件を伝える新聞紙面のショットから始まる。

すわ、実録ものの先取りか?
「仁義なき戦い」だったら、センセーショナルな音楽を新聞記事のショットにヒステリックに被せて、物々しいナレーションが社会情勢をドキュメンテルに語りながら物語に入ってゆく導入部となるところ。

ところが山下の作風は全く違う。
新聞紙面のショットによる社会情勢の説明が終ると、何事もなく作り物めいた映画の世界に戻ってゆくのだ。

のちの実録映画では、野外の場面はロケに拘り、例えば警察の手入れのシーンなどでは、急停車したパトカーから警官がバラバラと飛び出す緊迫感のある撮り方をし、何ならストップモーションで切ったその後に騒動場面のスチールショットをつなげるくらいのセンセーショナルな演出が行われるところだ。

ラピュタのロビーに飾られたオリジナルポスター

山下は、そういった場面でもスタジオ内で、ライトを明るく当てた作り物めいた雰囲気の中で撮っている。
緊迫感やドキュメンタルに拘らず説明に徹した演出だ。

これは山下の特質でもあるのか、東映が右太衛門、千恵蔵ら両御大の”ご存じ”な時代劇が終焉を迎え業績低下。
苦肉の策のアイデア”集団時代劇”が、つかの間流行った頃の作品「大喧嘩」(64年)の田圃の中の決闘シーンの山下演出を思い出す。
様式的な殺陣が飽きられ、殺伐とした抗争場面に活路を求めた集団時代劇にあって、主演の大川橋蔵が必死に田んぼの中を走り回り、ドスを振り回していた、山場の殺陣。
望遠レンズを多用し、ピーカンの田んぼの新緑がフォトジェニックに切り取られた「大殺陣」のハイライト場面。
そこに青春の徒労感は感じられても、殺伐としたヒリヒリ感はなかった。
これが山下の特質かと思った。

同じくプレスシート

本作「戦後最大の賭場」での配役は、いつもの時代遅れで義理堅い鶴田浩二と、義理との板挟みながら正義を通す高倉健というワンパターン。
悪役はわかりやすいほどの安部徹と、「仁義なき戦い」で吹っ切れる前の中途半端な金子信雄。
最初誰だか分らなかった不気味なキャラ(田代まさしに似ていた)作りの沼田曜一には新味があったが。

一方で、小山明子には映画女優として場数を踏んできた存在感がたっぷり。
これが貫禄というものだろう。
典型的な”よくできたヤクザの女房”的な振る舞いでにこやかに登場し、後半になると組織と個人の板挟みとなって苦労する鶴田に『私は嫁いできたこの家の人間です』と冷静に覚悟を伝え、鶴田に殉じる。

これは、任侠映画に必須の、男尊女卑、家制度尊重、旧道徳観念そもののの女性像であるが、力のない女優が演じると、必死さのみが伝わる(若い女優によるそういったエモーションの発露もいいのだが)演技となる所、凄味さえ伝わってきて納得感がある。
一人仏壇に手を合わせる場面も、何やら妖気すら漂いかねないショットであった。

プレスシート

一方で、主人公鶴田の死にざまの描き方には山下監督の新機軸があった。
『仁義なんて知らねえ、俺はただの殺し屋だ』といって親分を殺す主人公を描いた「博奕打ち 総長賭博」と同様に、ヤクザの暴力を単純なカタルシスとせず、背景にある寂寥感を描くのが山下流とするならば、本作で親分の安部徹を賭場会場で刺し殺した後、鏡に映る、血まみれで尾羽根打ち枯らし、死人のような己の姿に、思わず愕然とする鶴田の描写がそれであった。

また山下作品にあっては、こまかな情念の交流を描くのがその真骨頂でもある。
本作では小山明子の存在が、夫役の鶴田との交流場面でその役割を果たしていた。
彼女がフリーとなった後に各社のやくざ物にたびたび呼ばれてゲスト出演していたものむべなるかなである。

ラピュタ作成のチラシより

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ① 藤純子

2026年最初のラピュタ阿佐ヶ谷では、「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」が特集上映されている。
久しぶりの東京の映画館で35ミリプリントによる上映を楽しみました。

「血沸き肉躍る任侠映画」特集チラシ(ラピュタのガラス越しに撮る)

任侠映画というと、東映京都作品のイメージですが、東映東京作品をはじめ、日活、大映、松竹と各社作品を取りそろえたラインナップは相変わらず意欲的なラピュタです。
今回はそのラインナップから、任侠映画の脇を務める女優たちにフォーカスして鑑賞しました。
最初は藤純子です。

藤純子

「緋牡丹博徒・花札勝負」  1969年  加藤泰監督  東映京都   ラピュタ阿佐ヶ谷  35ミリプリント

「緋牡丹博徒」シリーズは7作品作られた。
ご存じ、藤純子の人気シリーズにして、東映任侠映画の最後の仇花でもある。
加藤泰監督はうち3作品を手掛ける。

最後には藤に「加藤が監督では出ない」とごねられたとのこと。
助監督として、「羅生門」で大映に来た黒澤明に付いたが、喧嘩して下りたというエピソードや、後の自身の監督作品「丹下左膳・乾雲しん竜の巻」(62年)での左膳の隠れ家のセットの念の入りすぎた作り込みを見ても、加藤の性格のこだわりの強さや映画製作時の粘りと入れ込みようがうかがえる。
加藤の諸作品を見ると、そのこだわりぶりが印象的で、そのこだわりは、しばしば映画的な流れや心地よさよりも優先される傾向にある。

修行の旅の途中、義理堅い親分(嵐勘十郎)一家にわらじを脱ぐ、緋牡丹のお竜(藤純子)。
若頭(山本麟一)が何くれとなく面倒を見てくれる。
親分に対抗するあくどい組長(小池朝雄)がいて何かと言いがかりをつける。
緋牡丹のお竜を騙るイカサマ女博徒(沢俶子)がいる。
あくどい組にわらじを脱ぐ旅人(高倉健)がいる。
組同士の抗争、にせお竜の始末、旅人との義理と人情の絡み。
修業の渡世で、義理に縛られつつ、弱者に味方するお竜の意地は貫き通すことができるのか・・・。

緋牡丹のお竜

本作では、主演の藤の渡世人としてのスーパーヒロインぶりは描かれない。
また藤を取り巻く味方の男たち、高倉健や山本麟一、待田京介そして若山富三郎までもが、人間的な個性の発揮を許されず、ひたすら類型的な”背景”としてワンパターンな演技に終始する。
加藤監督が型通りの任侠の世界を描くことに関心を持っていないことがわかる。
必然的に、緋牡丹のお竜の渡世人としての活躍は、この映画の主題とはなっていない。

では、この作品の影の主人公たちとはだれなのか。
緋牡丹のお竜を騙り、盲目の幼女を抱えながらイカサマ博奕で日陰の人生を凌いでいる中年女と盲目の娘、そしてその娘の別れた父親の、これまたヤクザに便利として使いまわされる、アザを持つ博打打ち(汐路章)の3人なのだ。
監督の思い入れはこの3人についてだけなされる。

名もなく、金もなく、虐げられ、おまけにハンデキャップを持ちながら社会の底辺で生きる3人は、人間としての最後のプライド(他人からの良心に対する義理)をもって死んでゆく。
娘だけは生き残る。
3人に情けをかけ、守ることで、藤が映画の主人公として存在する。

ご存じ、任侠映画の様式美

この作品の藤純子は、アクションよりも人間としての誇りと苦悩を表現して心に残る。
若さの残る横顔のクローズアップのあごのあたりに女ざかりを迎える色気と情念がある。
その情念は、底辺をはい回る3人の同情と救済に向けられており、高倉や待田に対する、様式上の任侠美学よりよほど見るものに訴える。

加藤泰の映画的様式には、ローアングルに対するこだわりや、必要以上のセットの作り込み、あるいは極端な描写(「車夫遊侠伝・喧嘩辰」でのコミカルさや、「明治侠客伝・三代目襲名」での鶴田浩二の空中浮遊など)があるが、この作品ではそれが目立たなかった。
東映の看板シリーズとしての制約や、すでに東映の看板監督となっていた加藤自身の成熟もあったのだろうか。

繰り返し出てくる、ガード下の場面。
通り過ぎてゆく蒸気機関車の煙が線路からガード下に湧き下がるシーン。
さらりとこだわったセットの作り込みがよかった。

特集チラシより

DVD名画劇場 児玉数夫「やぶにらみ世界娯楽映画史」傑作選その2

児玉数夫という映画評論家は、戦後直後の外国映画輸入会社に在籍し、送られてくる洋画を、公開するかしないか、邦題はどうするか、宣伝方法は、の仕事に携わっていた。
ほかの日本人が先に見て評価が定まった作品を、あとで論じる意味での評論家ではなかった。
映画雑誌記者の淀川長治さんより、一段階前で海外作品に接していた。

そのせいかどうか、後年国内外で名高い作品ばかりではなく、輸入当時の世相や製作背景にリアルタイムで接し、作品には偏見・先入観なく独自の評価を下している。
その記録は様々な著作に残されている。

現代教養文庫の1冊「やぶにらみ世界娯楽映画史戦後編」をめくってみる。
戦後の洋画輸入の最前線で児玉数夫が接した洋画の中から選んだ作品が網羅されている。
娯楽映画史と銘打ってはいるが、芸術派が評価するいわゆる名画も、児玉氏が好む作品ならば選定されているところが氏の映画に対する偏見のなさ。
裏表紙では、日本映画評論界のレジェンドになった淀長さんも推薦文を寄せている。

1年ぶりの傑作選に、3本を選んでみた。

「私は殺される」   1948年   アナトール・リトヴァク監督  パラマウント

ハル・ウオリスという、東欧系の本名を持ち、30年代から活躍していた製作者が興したプロダクション作品。
製作はウオリスと監督のアナトール・リトヴァクが共同。

リトヴァクはロシア(ウクライナ)生まれのユダヤ系。
ドイツで映画監督になった後、フランスを経て37年にアメリカに渡り、以降ハリウッドで活躍した。
代表作に「うたかたの恋」(36年)、「凡てこの世も天国も」(40年)、「追想」(56年)など。

戦前戦後のハリウッドが、ユダヤ系のタイクーンやプロデユーサーが支配し(本当の支配者はニューヨークの銀行だが)、ドイツ経由で逃れてきたユダヤ人作家たち(ラング、シオドマーク、カーテイス、オフュルス、プレミンジャー、ワイルダー、ジンネマン、そしてリトヴァク等々)に担われてきたかがわかるスタッフ陣だ。

主演はバーバラ・スタンウイックとバート・ランカスター。
スタンウイックは、ニューヨークのレヴュー劇団・ジーグフェルドの”ガールズ”としてこの世界に入り、ブロードウエイを経てハリウッド入り。
フランク・キャプラの作品に多数出演。
「ステラ・ダラス」(37年)、「大平原」(39年)、「レディ・イヴ」(41年)などの代表作が、この時すでにあった。
44年にはフィルムノワール「深夜の告白」でファムファタルを演じて役柄を広げてもいた。

バーバラ・スタンウイック

バート・ランカスターは大学を中退し、サーカスのブランコのりなどを経て、46年「殺人者」で映画デヴュー。
そのきっかけはハル・ウオリスと知り合ったからだった。
2作目の「真昼の暴動」(47年)が出世作だが、40年代は、タフな訳ありの前科者などを演じることが多かった。

「私は殺される」はスタンウイックとランカスターが同列でトップにクレジットされる。
映画出演5作目のランカスターが、ハリウッドトップ女優のスタンウイックと早くも同列の扱いだ(ウオリスの引きもあるか)。

ヒットしたラジオドラマの映画化。
主に室内を舞台に展開されるサスペンスドラマ。
主演を託されたスタンウイックが、一見複雑で実は純情な令嬢という役柄に期待通りの演技で応えた。
ランカスターは、逆境の好青年から自立に悩む婿養子という、売り物のタフさを発揮できない役柄。

殺人打ち合わせの混線電話を聞いてしまうレオナ

大手製薬会社の令嬢でわがまま放題のレオナ役にスタンウイック。
わがまま放題ではあるが、根は純情で夫に依存し、父親にコンプレックスがあって、それが心臓疾患の原因となっている。

貧民窟育ちで、大学のダンスパーテイでレオナに見染められ結婚、大会社の副社長に迎えられるが実権はなく、義父からの自立に焦り墓穴を掘るヘンリー役にランカスター。
こちらも根は純情でレオナに憎しみはないものの、現状を打破しようと道を踏み外し破滅してゆく。

リトヴァクの演出(あるいはハリウッドスタジオの技量なのか)は、室内場面で暗さや影を生かし、カメラを自在に操ってサスペンスムードを高める。
導入部分のテンポ、場面転換のスピード感とそれを盛り上げるBGM。
これぞハリウッド映画、これぞサスペンス。

話が若干複雑で、それをアメリカ映画らしくマシンガントークのセリフで説明しようとするのでついてゆけない部分もあった。
事件の解明に向けての筋立てに無理感もある。

心臓疾患を抱える主人公レオナが、夫の不在や混線電話に、恐れおののき、焦る。
警察やお抱え医師、会社の秘書、電話交換手に矢継ぎ早に電話するが、警察署に迷子がいたり、医者は不倫相手とデートしていたりと事態が解決せず。
こらえ性がなく、心臓疾患で歩けないレオナは焦りまくり、観客はスリリング。
前半の出来は完璧だった。

さりげなく、大会社社長の娘への過干渉と、娘の性格への影響、飼い殺し状態の娘婿の心理などが背景として描かれている。

ヘンリーの最初のガールフレンドで、8年後に夫(検察官)の動きから、ヘンリーの怪しい動きを知り、本人に面会を求める、地味で家庭的なサリー(アン・リチャーズ)がこの映画の良心であり、一服の清涼剤だった。



「ミズーリ横断」  1951年   ウイリアム・A・ウエルマン監督   MGM

クラーク・ゲーブル晩年の西部劇。
監督には男性映画の第一人者・ウエルマンを起用。
ロケを多用、合衆国成立前の西部で暮らす山男たちを描く。

ゲーブル扮する主人公の山男、その息子の回想で語られる山男の半生は、前人未到の西部の山々に、ビーバーやヘラジカを獲物としながら旅団を組んで分け入っての冒険譚だった。
土地の先住民インデアンたちとは、やむを得ぬ戦い以外は、友好をベースとして共存しての暮らし。
共存というより、彼等の領土を通らせてもらい、土地の情報を教えてもらう関係だった。

愛妻を抱く山男

各地の山男たちが年に一回、7月に集うベースには、インデアンたちも集まり、店が立つ。
山男仲間にはフランス語を話す白人や、スコットランドのバグパイプを吹き鳴らす白人もいる。
インデアンと行動を共にする白人も。

このベースで山男たちは、飲み、踊り、射撃の腕を争い、喧嘩をし、女にうつつを抜かす。
といっても踊る相手は山男同士だし、射撃では的当てよりも火薬と弾丸をいかに早く詰めるか(当時は連発銃はなかった)だし、女はインデアンしかいなかった。

妻は子供を馬に乗せて運ぶ

この作品の出だしには、年に一度の山男たちの集いの楽しさが描かれる。
そこからいろんなことがわかってくる。
ごく初期の西部の山男の目的、出身国が多様な山男の構成、先住民との関係、などなど。

カウボーイも定住入植者も、ならず者が仕切り酒場女がうろつくタウンなども、西部にはまだない時代。
西部は自然の中で生活する能力を持つ、雑多な山男たちの生きる場だった。
その”場末のユートピア”的雰囲気に早速画面に引き込まれる。

敵対するインデアンとの対決

テクニカラー、87分のこの作品には、劇的なヒロイズムも宗教的背景も国家主義的価値観もない。
圧倒的な自然と、そこに溶け込むような人間の営みが描かれている。

狩猟の場を目指し30人と78匹の旅団を率い、美しいインデアン娘を金目のもので買取り、利害関係があるインデアンの襲撃を自力でかわし、目的地では柵で砦を作り、インデアン妻との間に愛息を設けた山男(クラーク・ゲーブル)の自立した行動の一つ一つが、この映画のテーマだ。

妻との遺児を抱き妻の墓前にたたずむ

本作には、フランス出身でインデアン語を喋るピエールというゲーブルの相棒が出てくるが、これが何と「巴里の女性」のきざ紳士アドルフ・マンジュー。
まるでウオルター・ブレナンのような役どころだが、その役柄の幅の広さとうまさに驚く。

最初は拒否されたインデアン妻(メキシコ人女優:マリア・エリーナ・マーケス)との関係も、山男の飾らぬ真心で仲良く改善する。
雪だまりの道を率先して進み、祖父の部族が近くに来れば馬を飛ばして会いにゆくインデアン妻だったが、子をなした後、一行をつけ狙うインデイアンの勢力に真っ先に撃たれあっけなく死んでゆく。
それが大自然の摂理の一部だといわんばかりに。

妻の前で、ゆったりと、アイヌのムックリのような楽器を、にやにやしながらかき鳴らすゲーブルの姿が山男そのものでよい。

この時代の、しかもウエルマン作品に、現代のようなエコ思想も、自然回帰思想も、何だったら人種平等思想もないだろうが、原作の持つ力なのか、圧倒的存在感のロケ先の自然の力なのか、人知を超えた世界観が感じられる作品。



「美女と闘牛士」  1951年   バッド・ベテイカー監督   リパブリック

製作は何とジョン・ウエインの独立プロ(第一作)。
配給は「勝手にしやがれ」でジャン=リュック・ゴダールがオマージュをささげた、ハリウッド非メジャースタジオ、モノグラムピクチュアーズを傘下に持つリパブリック社。
この”逆境”の中で堂々たる大作が生まれた。
監督のベテイカーは、「血と砂」(22年)で闘牛士に扮するヴァレンチノの演技指導もしたという。

アニタに迫るジョー

欧米の映画作家が外国を舞台にした映画はたくさんあったろう。
自らが闘牛士だったというベテイカーが舞台に選んだのはメキシコ。
ベテイカーとしては”当然の選択”であり、また”メキシコを描かずして、映画人として先には進めない”心境だったのだか。

ベテイカーのメキシコに対する視線には、彼のメキシコに対する興味と理解とリスペクトがある。
闘牛そのものにも、闘牛士にも、メキシコ人女性にも、文化にも。
映画の各エピソードに共通するのは、ベテイカーが体験したであろうリアルさだ。
それは、劇的な切れ味はなくとも、見るものの心に鉈のようにグサリと突き刺さる。

最終戦のプラザメヒコに入場するジョー

日本に対する戦後直後の占領軍よろしく、50年代のメキシコを旅行するもったいぶったアメリカ人一行に、若いジョー(ロバート・スタック)がいた。
メキシコの上流階級が集うレストランで、有名な闘牛士マノロ(ギルバート・ローランド:メキシコ人俳優)一行になれなれしく近づき、若い美人アニタ(ジョイ・ペイジ)に声をかける。
ジョーは闘牛を教えてくれとマノロのもとに通う。

アメリカ帰りのアニタは一見、おとなしく洗練されたレデイだが、彼女の田舎でシエンタと呼ばれる子牛相手の闘牛会にジョーを誘ったときにその本質を表す。
自信なさそうなドレス姿から、カウガールよろしくハットとポンチョの仕事着に変貌、そのスタイルが決まる!
それは芯が強く、己の信じた道に命を懸ける、熱きメキシコ女の姿だった。

雑誌「スクリーン」54年12月号より

名闘牛士マノロの妻チェロ(ケテイ・フラッド:メキシコ人女優、リンダ・ダーネルに似ている)の強さも描かれる。
田舎の闘牛会場でジョーがデヴューした際に付き添いで同行したマノロの姿に観客が騒ぐ。
泥酔した観客の挑発に引っ込みがつかなくなったマノロが急遽出場して無事牛を裁く。
夫人の懐妊を知りその年での引退を決めていたマノロの気持ちを知りながら、危険な闘牛への出場を認めたチェロ。
無事終わった時に剣を抜いたチェロは、酔客に剣を突き付けながら「もしマノロに何かあったら、お前を殺すつもりだった」と告げる。
メキシコ女の命を張った情熱と覚悟がここでも描かれる。

男たちは、闘牛の何に惹かれるのか。
金か名誉か歓声か。
メキシコで闘牛の写真を撮りつつそれを探るアメリカ人写真家に語らせる「20年たってもまだわからない」と。
その部屋には、数々の名闘牛士たちの写真、特に事故の時の、が飾られる。

ジョーは田舎の大会でデヴューした後、見守るマノロに向かって「興奮して、怖さを忘れた」と語る。

そのマノロが、ジョーの危機に、我を忘れて飛び出し、人生で初めて牛につき上げられ命を落とす。
自分の行動に迷いはなく、後悔はなかったろう、闘牛士として。
これもメキシコの男。

マノロを死なせたと、全メキシコの非難がグリンゴ(白人に対する蔑称)のジョーに集中する中、最後の大舞台に現れたジョーに対し、チェロは亡き夫の肩掛けを託し、その幸運を祈る。
これもメキシコ女。

ケガをした闘牛士の見舞いの場面がある。
またマノロの事故と死、その妻の喪服姿など、闘牛にまつわる死の影が強調される。

死を賭けて牛に挑む闘牛士の姿と歓喜する群集。
闘牛士に与えられるこの上ない名誉。

闘牛向きの勇敢な牛を選ぶ目利きの文化も描かれる。

メキシコの闘牛を巡る男、女、そして牛までも、そのただなかにいたベテイカーの視点を堪能するドラマ。
全体のムードが悠々迫らない。
メキシコの風土のように。

ハリウッド映画としてはとてつもない異色作にして、アメリカ以外を舞台にした傑作でもある。

バッド・ベテイカー

DVD名画劇場 チャールズ・チャップリンの”到達点”

「巴里の女性」  1923年  チャールズ・チャップリン監督  ユナイト

チャップリンが自作の配給会社として、D・W・グリフィス、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードとともに設立したユナイテッドアーテイスツの第一回作品。
チャップリンが監督に専念した初めての作品。
また、1915年以来チャップリン映画のヒロインを務め、私的にもチャップリンと恋愛関係にあったこともあるエドナ・バーヴィアンスが初めて主演を務めた作品でもある。
チャップリンはすでに「キッド」(21年)などで人気の頂点を極めており、のちの代表作の「黄金狂時代」(25年)、「サーカス」(28年)、「街の灯」(31年)、「モダンタイムス」(36年)の製作を控える時代だった。

ユナイテッドアーテイスツを設立したグリフィスら

長年のパートナーであったエドナの女優としての1本立ちを製作の動機にしたというこの作品。
主題はチャップリンらしいヒューマニズム。

貧しい村の若い男女が、親の理解を得られず駆け落ちしようとするが、男の父親が急死し、女だけがパリに旅立つ。
1年後、女は金持ちの愛人(高級娼婦?)として贅沢に暮らしている。
男も老母とともに画家としてパリに移り住み、偶然に女と再会する。
女は男をまだ愛しつつも、金持ちの愛人の誘惑も断ちがたく、また純愛をささげる男との関係も間の悪さが連発して進まない。
そのうち事態は悲劇的に進み・・・。

チャールズ・チャップリン

チャップリンの劇作は、貧しい時代の男女の機微を表現する際にも冴えわたる。
女との結婚をかたくなに否定する父親が、出奔しようとする息子を心配して母親を介してお金を渡すシーンなど、日本映画のような細やかな描写で親の心のを描き切っている。

パリで金持ちの愛人(金持ちにとっては多数の女のうちの一人にすぎない)を捕まえ、虚構の栄華の中で暮らす女にまつわる描写もすごい。
ハリウッドスターのようないでたちの女のスタイル。
出入りするパーテイでは、包帯を巻いたストリッパーを男が巻き取る余興の描写。
愛人業界隈の女たちの嫉妬と足の引っ張り合いを聞かされる側の反応を、当人を写すのではなく、施術中のエステイシャンの反応を写すことで表現する。

人情をわかっているだけではなく、卓越した作劇術を操るチャップリンが凄い。

エドナとマンジュー

そして極め付きがパトロン役のアドルフ・マンジューの起用だろう。
好きなように女を扱い、特権階級を謳歌する1920年代の独身中年男の、悪気のない独善ぶり、自己中ぶり、無責任ぶりをこれ以上ない適役ぶりで演じきる。
その悪気のなさがすでに犯罪的なのだが、本人は無自覚なのか意識的なのか。
周りにするとナチュラルな育ちの良さに見えてしまう。

同じく鼻持ちならない精神の低俗性を体現したエリッヒ・フォン・シュトロハイムの演技に比して、低俗性が下品にならずかえって上品に映るのがマンジューの罪なところだ。
こののちハリウッドのよろめきものでマンジューの起用が続いたという。

20年代のマンジューの活躍を伝える「写真映画100年史第2巻」

上流社会の乱痴気ぶりや、独善紳士マンジューの洗練されたふるまいの描写に力が入りすぎたのか?
これまでチャップリン喜劇のヒロインだったエドナに主演としての力がなかったのか?
チャップリンが否定すべき虚構の乱痴気文化の描写が真に迫りすぎ、本来の、庶民のささやかな幸福追求という主題が途中まで霞んでしまったほどだ。

ラスト、田舎に戻り、亡き彼の母と4人の孤児と幸せそうに暮らす女の姿は、チャップリンのエドナ・バーヴァイアンスに対する祝福に見える。

「巴里の女性」のあとは、ほとんど映画女優としての足跡を残せなかった彼女に対し、チャップリンは生涯週給150ドルの給与を送り、また「巴里の女性」の権利も譲渡したという。

1952年「ライムライト」撮影中のチャップリンを訪ねて、淀川長治がハリウッドを訪問した際、リトルトーキョーでチャップリンの執事をしていた高野寅市に偶然会った淀長さんが、高野を介してエドナと会った。
「私はあの人(チャップリン)の映画以外は出ない、一生。あの人と出会ったことは私の一生の思い出として心に思っていたい。」(1999年 中央公論新社刊 淀川長治、山田宏一著「映画は語る」P261)と淀長さんに話したとのことである。



「独裁者」   1940年  チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

有名なラストシーン。
ユダヤ人の床屋がひょんなことから国の独裁者 にすり替わって演説する。
最初はしゃべることないとおどおどしていたが、やがて己の信念を喋り始める。
独裁者に立ち向かえ、自分たちの自由と人権と民主主義を守るのだ。
自分の理想は誰もが幸せになれる社会だ。恋人のハンナよ顔を上げろ、と。

床屋が独裁者に入れ替わって演説に向かう。その表情に注目

全世界の民衆に向かって宣言したのは、チャップリンの信念。
これまでの監督・出演作品でも貫いてきた心情だ。
ただ、これまでの喜劇作品では、この心情を放浪者の主人公に自虐的に仮託してきたり、せいぜい権力者に対する風刺に止めたりしてきた。
正面から、ひょっとしたら一般民衆の嫌う言葉で己の心情を飾らず表明したのは、映画人チャップリンとして初めてだったのではないか。
製作当時.、チャップリンが一番心配したのもこの点だったといわれている。

ヒトラーをカリカチュアしたチャップリンのハナゲモラ語が炸裂する

第二次世界大戦がはじまったばかりの1940年の公開。
当時のドイツとヒトラーは飛ぶ鳥を落とす勢い。
第一次大戦の敗戦国とはいえ、ヨーロッパの大国ドイツの、選挙によって選出されたナチス党と党首ヒトラーを徹底的にオチョクリ、批判したのだから、チャップリンはもちろん周りもこの点をまず懸念した。
現在でいえば中国の習近平を大作映画で有名俳優が正面からカリカチュアライズし非難したようなものか。
こんな主題は、日本ではもちろん欧米でも企画にさえ上がらないだろう。

事実、企画段階の1939年当時、チャップリンは、ユナイトやイギリス当局からヒトラーを揶揄する映画製作について警告されたという。
ドイツのポーランド侵攻後はその心配はなくなったが、敵国とはいえ独裁者を描く喜劇に観客がどう反応するか心配したという。

風船の地球儀と踊る有名なシーン

いつもの喜劇よりじっくりした調子のこの作品で、チャップリンはヒトラーをモデルにした独裁者を徹底的にカリカチュアライズする。
ドイツ語を模した過激な言葉を吐きまくり、吐きまくりすぎて咳き込んだりする。
ジェスチャーも研究していて手の動きがそっくりだ。
過激なセリフでマイクに迫ると、マイクが独裁者を避けるように曲がるギャグもある。
ゲーリングを模した側近のケツに押されて階段を転げ落ち、ゲーリングの過剰な勲章をむしり取る。
タモリのハナゲモラ語や中川家礼二の中国人同士の喧嘩の物まねも真っ青だ。
これを当時イケイケのヨーロッパ大国の指導者に対して行ったのだから、その行動や命がけだ。
敵はヒトラーのみならず、背後から撃たれかねなかったろう。

独裁者の日ごろの多忙な日常を笑いのめす場面では、美人秘書に迫ったり、時間が1分でもあくと肖像画家と彫刻家の前でポーズを取ったりする。
ペンを取り出そうとしてペン立てからペンが抜けないギャグも。
これらのエピソード、ヒトラーというよりハリウッドのタイクーンたちの生態をヒントにしてはいないか?
特に秘書に迫る場面など。

作品中に現れるゲットーでのユダヤ人描写も直截的。
ユダヤ人商店にJEWとペンキで書いて歩く突撃隊員。
勇敢な娘ハンナ(ポーレット・ゴダード)は突撃隊に口答えし、フライパンで殴りつけたりするが、大人たちはひたすら耐え続ける。
ユダヤ人の床屋として突撃隊の迫害におびえるチャップリン。
これまで、貧困や飢餓など恐怖とスリルに対しても、ギャグでやり過ごしたり、権力者をおちょくったりしていたチャップリンが、政治体制の恐怖におびえる演技をしている。

ポーレット・ゴダート。デートを前に床屋に髪をセットしてもらう。うれしそうな床屋の表情

独裁者の圧政に対して庶民は何もできないのはチャップリンが一番良く知っている。
この作品でのチャップリンは、ピンチを自己流で超越するヒーロではなく、無力ぶりを晒して、数人の中に埋もれる凡人を演じて、現実の恐怖を表現している。

また、ヒトラーばかりではなく、その盟友ムソリーニへの風刺ぶりも強烈だ。
威張って歩くその姿や、独裁者同士のマウントの取り合いを持ち前のジャグで笑いのめす。
ムソリーニに扮したジャック・オーキーの演技も傑作で、持ち味のギャグを思いっきり表現している。

ムソリーニ?に扮するジャック・オーキー(左)の演技は傑作。対するヒトラー?の無表情

実在の独裁者たちへの風刺は、メジャーの映画作品としてギリギリの表現だったが、なんといってもラストの演説に込めた、チャップリン人生初の本音の呼びかけと、恋人ハンナへの庶民同士の幸福を祈る気持ちがこの作品の総てだ。

チャップリンはこの作品で”映画人として言うべきことを言った”あと、「殺人狂時代」を経てアメリカ当局からにらまれ、非米活動調査委員会(赤狩り)への召喚を前にヨーロッパへと脱出せざるを得なかった。
大戦当時、ソ連への支援を呼びかける集会で演説したことも原因だったが、ヒトラーへの批判がアメリカなどの現体制への批判に通じることを権力者が感じ取ったが故のチャップリン排除だったのではないか。

チャップリンの宣言は、それがヒトラーに対してのものならば、世の中から容認されたのかもしれないが、権力者一般に対してのものならそれを許せない勢力があったのだろう。
だからこその映画史に燦然と輝く有意義な一作となった。



「殺人狂時代」     1947年   チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

「独裁者」の後にチャップリンが訴えたかったのは、大戦の後の無力感、大衆の痛みと疲弊、大衆の犠牲によって経済的な興隆を謳歌する存在への告発だった。

当初は『青髭』をモチーフとした殺人劇の主演にチャップリンをオファーした、オーソン・ウエルズの企画だったという。
出演を断ったチャップリンだったが、後に自分の企画として、200万ドルをかけ「殺人狂時代」の製作を決める。
映画の冒頭には、原案:オーソン・ウエルズとクレジットされている。

『いうまでもなく、ルイス・B・メイヤー、ダリル・F・ザナック、あるいは彼らの神経質な補佐役たちにアイデアを提出するよう依頼されていたとしたら、チャップリンの偉業はなかった』(「ハリウッド帝国の興亡」P393)。

タイクーンたちの帝国(ハリウッド映画工場)からは、当然ながらこの作品は生まれようがなかった。

舞台は世界恐慌前夜のフランス。
実直、凡庸な銀行出納係のヴェルドウ(チャップリン)が、30年間務めた銀行を不況で首になった後の、虚妄と狂乱の犯罪生活と破滅の物語。

ヴェルドウは、車いすの妻と彼を慕う息子がいながら、生活のために、一人暮らしのオールドミスばかりに取り入って小金をせしめて回る。
パリに置いたペーパーカンパニーを拠点とし、ある時は船長、ある時はインドシナ帰りのビジネスマンを装って、町々に住む一度はコマしたオールドミスたちの間を渡り歩いては、手練手管で株の投資資金を引き出してゆく。
金を引き出した後は、オールドミスたちを殺害し、自宅の焼却炉などで”処分”する。
庭の毛虫を踏まないように気を付け、野良猫に憐れみをかける小市民性がその本性なのだが。

凡庸な小市民のヴェルドウには、列車を乗り継いで町々を綱渡りで移動し、口八丁手八丁のコスプレと出まかせのマシンガントークの才能があるはずはないのだが、そこはチャップリンの演技を楽しむことにする。

対するオールドミス役の女優たち。
ガラッパチで水商売上がり風のガメツイ中年小金持ち女、を演じるマーシャ・レイという女優がすごい。
ワニ口で鳥ガラのような体つき、ガラガラ声という申し分のない下衆なスペックで、ヴェルドウの”偽善”に”オールドミスの世俗性”で対抗し、余りある。

マーシャ・レイ

チャップリン映画に恒例の”センチ”な要素としては、街角にたたずむ若い訳あり美人(マリリン・ナッシュ)のエピソードがある。
ヴェルドウは、毒薬を試す相手として彼女をひっかけるが、彼女の身の上話を聞いているうちに感心して、毒入りのワインをひっこめた上に、金を恵んでしまう。
彼女はのちに、成り上がって高級車に乗り、株の暴落で一文無しとなったヴェルデイを見掛け、拾ってごちそうし、名刺を渡すのだが、オールドミス連続殺人で逮捕寸前のヴェルドウはその名刺を破いて、彼女への類を避ける。

この若い女、映画ではベルギー難民で夫を戦病死で失った上に窃盗で刑務所から出てきたばかり、ということになっているが、どう見ても貧窮を背景とした”夜の女”であり、この時代に欧州やアジアではままあったこと。
チャップリンの脚本でもその設定だったが、当時の検閲がそれを許さず、”夜の女”を示唆する表現が避けられたという。
彼女が”成り上がった”あとのエピソードでも、彼女を軍需産業家の愛人と表現することに検閲が入ったという。
観客(筆者など)は成り上がった彼女を見てシンデレラストーリーを夢見てしまったが、オリジナルでは、”夜の女が、その若さと美貌を、気まぐれな財界のおっさんに、愛人の一人としてもてあそばれている”わけなのだ。
そこには”どこまで行っても、庶民は金持ちに踏みにじられる存在”というチャップリン映画の哲学があったのだ。

マリリン・ナッシュ

株も家族も(もちろんオールドミスたちも)失ったヴェルドウは、すべてを達観し、運命を受け入れる。
犯した罪を受け入れるのはもちろん。
銀行失職後の綱渡りの人生には結局何もなかったこと。
その経験から得られたことは、”庶民には届かない大きな世界の動きはすべてビジネス”だったという世のカラクリ。
戦争による被害もビジネスの結果であり、かつ損害(戦死者)の数は勲章の対象となる不条理。
反面、庶民のやむにやまれぬ殺人は犯罪とされ、処罰されること。

「モダンタイムス」で資本主義の非人間性を告発し、「独裁者」で全体主義を告発したチャップリンは、「殺人狂時代」で、資本主義と全体主義をつかさどる権力体制を告発するに至った。
チャップリンの映画人生での到達点であり、映画でここまで直接的に表現したメジャー作品を見たことがない。

「モダンタイムス」と「独裁者」は映画がヒットしたこともあり、アメリカ国内に潜む権力構造は静観していたが、「殺人狂時代」では、在郷軍人会などが上映妨害運動を起こし、国内での上映機会そのものが激減した。
戦時のチャップリンのソ連支援の活動などが、国内の反動勢力の気に食わなかったのだろう。
もっといえば、チャップリンの2度にわたる未成年女性に手を出した末の結婚と離婚、裁判での泥仕合が格好の非難材料を彼らに提供したこともある。

悪名高い(ヨーロッパでは悪い冗談と嘲笑された後、マジの事態だとわかってあきれ果てられた)、赤狩り(非米活動委員会)の召喚を受け、事態が最悪を迎えていることを知り、家族とともにアメリカを脱出することになる。

『チャップリンがいかに見栄っ張りで単純でおセンチで、その他さまざまな知的罪を担っていると批判されようと、それでも彼は、ハリウッドのどの映画作家にもまして、時代の核となる問題を把握し、自分の映画でそれに論評を加え、しかも正しい論評を行うということを、どうにかやってのけたのだ。』(「ハリウッド帝国の工房・夢工場の1940年代」1994年 文芸春秋社刊 P393)。

40年代のハリウッド映画を要覧し、各々の作品のみならず、スタッフ、俳優に正当な論評を加えた同書の著者:オットー・フリードリクの的確にして最上級の評価だろう。

チャップリン自身もまた「殺人狂時代」についてこう語る、『私がこれまで作ったなかで、最も才気あるすぐれた映画』(同書 P399)だと。

上田映劇で「ミシェル・ルグラン&ジャック・ドゥミ レトロスペクテイブ」

祝・NPO法人上田映劇 信毎文化事業賞受賞

2025年11月20日の信濃毎日新聞一面より

第30回信毎文化事業賞を上田映劇が受賞した。

33歳の支配人が東京からUターンして、閉館中だった現存木造映画館の上田映劇(フィルム上映可能)を再オープンし、細々と、しかしつぶれずに営業し、文化事業に貢献してきたことが評価された。

映画を愛し、映画館を懐かしみ、ミニシアターに親近感を抱き、地方映画館に愛着を感じ、現存木造映画館を尊重し、フィルム上映を懐かしむ者にとってまことに喜ばしいことだ。
上田映劇が受賞した記事が信濃毎日新聞一面に掲載された。

写真左から2人目が映劇の支配人

「ロシュフォールの恋人たち」を見に、上田映劇の姉妹館トラムライゼを訪れた際、支配人がいたのでおめでとうございますと声をかけた。
ありがとうございますと丁寧な返答があった。


「ロシュフォールの恋人たち」  1966年  ジャック・ドゥミ監督  フランス   トウラムライゼにて上映

ジャック・ドゥミが「シャルブールの雨傘」(63年)に続いて送るミュージカル。
音楽はミシェル・ルグラン、主演は「シェルブール」に続いてのカトリーヌ・ドヌーブと実姉のフランソワーズ・ドルレアック。
共演者も豪華だ。

レトロスペクテイブのちらし

フランスの港町ロシュフォールの金曜の朝、祭りのアトラクションを彩るダンサー一行がトラック2台でやって来る。トラックの運転席から出てくるダンサーたち(ジョージ・チャキリスら)が、軽く映画のテーマソング(ドルレアックとドヌーブの双子姉妹のテーマ)の乗って踊り始めるオープニング。
これから始まる映画の胎動を感じさせるようなオープニングのワクワク感。
さあ楽しいミュージカルが始まるぞ。

英が館前。左のコメントがうれしい

ダンサー一行が踊る。
背景を行く町の人々がリズムを取る。
クレーンカメラが町の広場に面したアパートの一室に移動してゆき、ドルレアックとドヌーブの双子姉妹が子供たちにバレエを教えている場面を捉える。
町の美人双子姉妹は、音楽とダンスの才能に溢れていて、まだ見ぬ恋人とパリに憧れる乙女だ。

2人のテーマソングは、何度か聞いたことがあるナンバーでおそらくこの映画最大のヒットソング。
リズム感に溢れるこのナンバーを、ドルレアックとドヌーブが楽しそうに歌い踊る。
キュートな衣装のすそを翻し、若々しい脚を見映えよく躍動させながら。

町の美人双子姉妹を演じるドルレアック(右)とドヌーブ

「天使の入江」(63年)のコートダジュールからシェルブールへ。
82年の「都会の一部屋」ではナント。
ドゥミの”ご当地港町もの”映画の今回の舞台はロシュフォールだ。

夢のようなミュージカルの世界を描きながら、軍隊の行進場面が再三出て来たり、登場人物の一人が恋人を惨殺した新聞記事のシーンがあるなど、唐突な人生の暗黒面の点描は、ヌーベルバーグ左岸派・ドゥミのこだわりか、フランス映画のエスプリか。

ピアノの前で「双子のテーマ」を歌い踊る

旅芸人のジョージ・チャキリスは「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)のパルチザン役の大根ぶりが嘘のようにイキイキしている。
ダンスの脚の上げ方もキレている。

ドルレアックを一目ぼれさせるハリウッドミュージカルのレジェンド、ジーン・ケリーは、踊りこそ衰えてはいないが、まったく旬を過ぎた存在であり、躍動する若手とのズレ感があった。
ケリーの起用は、ハリウッド・ミュージカルへの、オマージュとも批判ともつかぬドゥミならではのこだわりの結果なのだろうが、効果的だったといえるかどうか。
むしろ金髪が若々しい、ジャック・ペランがフランス製のおとぎ話風ミュージカルにふさわしかった。

双子の母親で広場の一角にあるカフェのマダム役のダニエル・ダリューは、若い時はドヌーブのような存在だったが、ここではすっかり落ち着いたマダムを演じて印象深い。
フランスの女優は中年になって更に一花咲かせる、これは好例だ。

ドヌーブの実姉のフランソワーズ・ドルレアックは「リオの男」(63年)でベルモンドを困らせた、活動的でおしゃまなじゃじゃ馬ぶりが忘れられないが、本作でも恋を夢見る妙齢の若い女性を好演。
171センチの長身を感じさせぬ、ドヌーブとの息の合った足の運びを見せるダンスもよかった。
実生活では、本作の後1本に出演した1967年に、25歳で惜しくも交通事故死する。

お祭りの舞台で踊る姉妹

後の大女優カトリーヌ・ドヌーブを生かしきった二人の監督がいる。
「昼顔」(67年)、「哀しみのトリスターナ」(70年)のルイス・ブニュエルと、彼女のキャリアの転機となった「シェルブールの雨傘」を監督したジャック・ドゥミだ。
ドヌーブ自身は、女優としての自らのキャリアで最大のできごとは?との問いにこう語っている。
『ジャック・ドゥミ監督と出会って「シェルブールも雨傘」に出演したこと。この作品で初めて私自身に目覚めた』(1971年 芳賀書店 山田宏一責任編集 シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P104より)。

ドルレアックとドヌーブは、俳優だった両親のもとに生まれた三姉妹の長女と次女で、ドルレアックが父親の、ドヌーブが母親の姓を芸名にした。
ドヌーブがのちに男児を生むことになる、ロジェ・バデイム監督(代表作「素直な悪女」)とパリのディスコで出会ったとき、彼女は17歳で両親姉とともにアパルトマン暮らし、寝室では2段ベッドを姉と共有していた。
当時すでに姉のドルレアックは『フランスのキャサリン・ヘプバーン』と呼ばれる売れっ子、ドヌーブは姉の仕事場についてゆくほど仲が良く、また両親からは姉と同行する場合のみ夜遅くまでの外出を許されていた。
だが、一晩の出会いでドヌーブはバディムと恋に落ち、未婚のまま出産する道を選んだ(出産後、バデイムは自身3度目の結婚をジェーン・フォンダと行っている)。

港の広場、街角、カフェなどでのロケ撮影が生きている。
ロシュフォールの街々で歌い踊る人々をクレーンを駆使し、俯瞰で捉えるカメラ。
ハリウッド・ミュージカルならばスタジオの大掛かりなセットで撮影されたであろう。
ドゥミのフランス製のミュージカルは、何よりロケがもたらす港町の空気感、街角を行く通行人たちの土地の臭いがいい。
双子姉妹の衣装もおしゃれ。
多すぎる登場人物のエピソードが散漫で、中だるみがあったが、巻頭シーンの高揚感、結末に向かってのフランス映画らしい人間性(男女の恋愛)の謳歌ぶり(現実的な結末も予感させながら)はよかった。

ミシェル・ルグランのスコアは、双子のテーマのほかに、後半を盛り上げるピアノ曲がルグランらしくてよかった。

平日の12:45分の回。
上田映劇の姉妹館トラムライゼの観客は筆者を除き4人。
全員女性だった。

映画館前のウインドウより



「ロバと王女」  1970年  ジャック・ドゥミ監督   フランス      上田映劇にて

ジャック・ドゥミ作品中、本国で最大のヒットとなった作品。
ペロー原作の童話の映画化。
カトリーヌ・ドヌーブ27歳、「シェルブールの雨傘」でスターとなり、「反撥」「昼顔」「哀しみのトリスターナ」でその評価を定着させ、美貌の盛りを迎えていた。

カトリーヌ・ドヌーブ

ドゥミにとっては、「ロシュフォールの恋人たち」などの”ご当地港町シリーズ”から離れ、完全な童話の世界を舞台としたミュージカルに挑んでいる。
童話とはいえ、ロケ撮影を多用する”手作り感”はドゥミらしい。

王様にジャン・マレーを起用。
「美女と野獣」(46年)とジャン・コクトーへのオマージュをささげている。
王子様の母の王妃にミシュリーヌ・プレールを起用しているのも、「ロシュフォールの恋人たち」でのダニエル・ダリューと同様に、古き良きフランス映画へのドゥミからの憧憬が感じられる。

「肉体の悪魔」(46年 クロード・オータン=ララ監督)のミシュリーヌ・プレール

ドヌーブが白馬の馬車でお城を脱出する場面。
扉が開き、白馬が王女を運んで行く。
王女のスローモーションや、フィルムの逆回しは「美女と野獣」の再現だ。
ドゥミのコクトーへの尊敬がある。
何よりジャン・マレーの起用そのものが。

デルフィーヌ・セーリグを重要な妖精役で起用。
このキャステイングはノスタルジックなものではなく、主人公の王女のアドバイス役として”現役感”が必要なもの。「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ)の”硬派”セーリグは嬉々として演じて居る。
妖精の衣装のスリットから美脚がちらちら見えるのだが、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年)でブニュエル必須の”ストッキングを脱ぐ”シーンをセーリグが演じることになる、これはその先駆けなのか?

デルフィーヌ・セーリグ

王様と王女の近親相姦的な愛情と、そこからの脱出、自己の発現をテーマにしている。
王女は高貴な生活を捨て、ロバの皮を被って下女の生活に甘んじる。
嬉々として。
王女の魅力を見抜く王子にも母親の王妃(ミシュリーヌ・プレール)が近親的な愛情を注ぐ。
王女の脱出と自立をサポートするのが森にすむリラの妖精(デルフィーヌ・セーリグ)だ。
この二人、なんとエレガントなキャステイングか、フランス映画の大いなる楽しみだ。

『ロバの皮を頭からかぶって、ネグリジェみたいな長い服を着て、森の中や村の広場をすたすた歩いてゆく、よごれたときのドヌーブの萌芽、王女としての盛装したドヌーブよりも、ずっとかわいらしく私には好ましかった。』(シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P83 澁澤龍彦「カトリーヌ・ドヌーブその不思議な魅力」より)。

同じく澁澤龍彦は書く、『ロバの皮を身にまとって城を逃げ出さねばならなくなっても、村中の男女に馬鹿にされても、ちっとも悲しそうな顔を見せないドヌーブは、隣国の王子様とめでたく結ばれるようになっても、別段それほどうれしそうな顔を見せないのであるる。いつも、どうでもいいような顔をしている。』(同書P83)

ロバの皮を被ったドヌーブ

ドヌーブの特性を見抜いた澁澤龍彦は更に書く。

『王女様の盛装は美形のドヌーブによく似合うが、それを魅力的に感じるのは、見ているものが、その美しさが剥がされるだろうという予感に慄えているのを感じるからであり、ドヌーブの顔は表面的な冷たさ(美しさ)とは裏腹に瞳の奥の不安定な本質が露呈されてしまう。
それは欲望に目を曇らされて倫理観念を見失い、妄想の海の中を泳ぎ出そうとしている、マゾヒステイックな気質の女を表現するのにまことにふさわしい』(同書P82より抜粋)

ドヌーブは退屈な王女の生活を脱し、自らの欲望を満足させるために、身分を隠した汚い女の生活を送った、嬉々として。
結末は王子様との結婚だが、それは本来の歓びではなかった。
娘に結婚を迫っていた王様は、訳アリだった妖精と結婚していた。
めでたしめでたし。

これはドヌーブそのものを描いたストーリーなのか、ペロー童話の趣旨なのか。

ジャン・マレーとドヌーブ

ミシェル・ルグランのスコアでは、森の家で王子のためにケーキを焼く場面のナンバーが楽しい。
「ロシュフォールの恋人たち」の「双子のテーマ」のような傑作はこの作品にはなかったが。

ジャック・ドゥミはこの後、ドヌーブとマストロヤンニで「モンパリ」(73年)、日本の少女漫画を原作とする「ベルサイユのばら」(78年)などを作ったが、生涯の代表作は「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」だったのではないか。

ドヌーブは、「リスボン特急」(72年 ジャン=ピエール・メルビル監督)、「終電車」(80年 フランソワ・トリュフォー監督)などフランスを代表する監督作品に出演、「ハッスル」(75年 ロバート・アルドリッチ監督)などハリウッド作品でも活躍し、最晩年まで映画出演を続けている。

この日の観客は筆者を入れて二人だった
寒かったこの日の上田市内