DVD名画劇場 チャールズ・チャップリンの”到達点”

「巴里の女性」  1923年  チャールズ・チャップリン監督  ユナイト

チャップリンが自作の配給会社として、D・W・グリフィス、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードとともに設立したユナイテッドアーテイスツの第一回作品。
チャップリンが監督に専念した初めての作品。
また、1915年以来チャップリン映画のヒロインを務め、私的にもチャップリンと恋愛関係にあったこともあるエドナ・バーヴィアンスが初めて主演を務めた作品でもある。
チャップリンはすでに「キッド」(21年)などで人気の頂点を極めており、のちの代表作の「黄金狂時代」(25年)、「サーカス」(28年)、「街の灯」(31年)、「モダンタイムス」(36年)の製作を控える時代だった。

ユナイテッドアーテイスツを設立したグリフィスら

長年のパートナーであったエドナの女優としての1本立ちを製作の動機にしたというこの作品。
主題はチャップリンらしいヒューマニズム。

貧しい村の若い男女が、親の理解を得られず駆け落ちしようとするが、男の父親が急死し、女だけがパリに旅立つ。
1年後、女は金持ちの愛人(高級娼婦?)として贅沢に暮らしている。
男も老母とともに画家としてパリに移り住み、偶然に女と再会する。
女は男をまだ愛しつつも、金持ちの愛人の誘惑も断ちがたく、また純愛をささげる男との関係も間の悪さが連発して進まない。
そのうち事態は悲劇的に進み・・・。

チャールズ・チャップリン

チャップリンの劇作は、貧しい時代の男女の機微を表現する際にも冴えわたる。
女との結婚をかたくなに否定する父親が、出奔しようとする息子を心配して母親を介してお金を渡すシーンなど、日本映画のような細やかな描写で親の心のを描き切っている。

パリで金持ちの愛人(金持ちにとっては多数の女のうちの一人にすぎない)を捕まえ、虚構の栄華の中で暮らす女にまつわる描写もすごい。
ハリウッドスターのようないでたちの女のスタイル。
出入りするパーテイでは、包帯を巻いたストリッパーを男が巻き取る余興の描写。
愛人業界隈の女たちの嫉妬と足の引っ張り合いを聞かされる側の反応を、当人を写すのではなく、施術中のエステイシャンの反応を写すことで表現する。

人情をわかっているだけではなく、卓越した作劇術を操るチャップリンが凄い。

エドナとマンジュー

そして極め付きがパトロン役のアドルフ・マンジューの起用だろう。
好きなように女を扱い、特権階級を謳歌する1920年代の独身中年男の、悪気のない独善ぶり、自己中ぶり、無責任ぶりをこれ以上ない適役ぶりで演じきる。
その悪気のなさがすでに犯罪的なのだが、本人は無自覚なのか意識的なのか。
周りにするとナチュラルな育ちの良さに見えてしまう。

同じく鼻持ちならない精神の低俗性を体現したエリッヒ・フォン・シュトロハイムの演技に比して、低俗性が下品にならずかえって上品に映るのがマンジューの罪なところだ。
こののちハリウッドのよろめきものでマンジューの起用が続いたという。

20年代のマンジューの活躍を伝える「写真映画100年史第2巻」

上流社会の乱痴気ぶりや、独善紳士マンジューの洗練されたふるまいの描写に力が入りすぎたのか?
これまでチャップリン喜劇のヒロインだったエドナに主演としての力がなかったのか?
チャップリンが否定すべき虚構の乱痴気文化の描写が真に迫りすぎ、本来の、庶民のささやかな幸福追求という主題が途中まで霞んでしまったほどだ。

ラスト、田舎に戻り、亡き彼の母と4人の孤児と幸せそうに暮らす女の姿は、チャップリンのエドナ・バーヴァイアンスに対する祝福に見える。

「巴里の女性」のあとは、ほとんど映画女優としての足跡を残せなかった彼女に対し、チャップリンは生涯週給150ドルの給与を送り、また「巴里の女性」の権利も譲渡したという。

1952年「ライムライト」撮影中のチャップリンを訪ねて、淀川長治がハリウッドを訪問した際、リトルトーキョーでチャップリンの執事をしていた高野寅市に偶然会った淀長さんが、高野を介してエドナと会った。
「私はあの人(チャップリン)の映画以外は出ない、一生。あの人と出会ったことは私の一生の思い出として心に思っていたい。」(1999年 中央公論新社刊 淀川長治、山田宏一著「映画は語る」P261)と淀長さんに話したとのことである。



「独裁者」   1940年  チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

有名なラストシーン。
ユダヤ人の床屋がひょんなことから国の独裁者 にすり替わって演説する。
最初はしゃべることないとおどおどしていたが、やがて己の信念を喋り始める。
独裁者に立ち向かえ、自分たちの自由と人権と民主主義を守るのだ。
自分の理想は誰もが幸せになれる社会だ。恋人のハンナよ顔を上げろ、と。

床屋が独裁者に入れ替わって演説に向かう。その表情に注目

全世界の民衆に向かって宣言したのは、チャップリンの信念。
これまでの監督・出演作品でも貫いてきた心情だ。
ただ、これまでの喜劇作品では、この心情を放浪者の主人公に自虐的に仮託してきたり、せいぜい権力者に対する風刺に止めたりしてきた。
正面から、ひょっとしたら一般民衆の嫌う言葉で己の心情を飾らず表明したのは、映画人チャップリンとして初めてだったのではないか。
製作当時.、チャップリンが一番心配したのもこの点だったといわれている。

ヒトラーをカリカチュアしたチャップリンのハナゲモラ語が炸裂する

第二次世界大戦がはじまったばかりの1940年の公開。
当時のドイツとヒトラーは飛ぶ鳥を落とす勢い。
第一次大戦の敗戦国とはいえ、ヨーロッパの大国ドイツの選挙によって選出されたナチス党と党首ヒトラーを徹底的にオチョクリ、批判したのだから、チャップリンはもちろん周りもこの点をまず懸念した。
現在でいえば中国の習近平を大作映画で有名俳優が正面からカリカチュアライズし避難したようなものか。
こんな主題は、日本ではもちろん欧米でも企画にさえ上がらないだろう。

事実、企画段階の1939年当時、チャップリンは、ユナイトやイギリス当局からヒトラーを揶揄する映画製作について警告されたという。
ドイツのポーランド侵攻後はその心配はなくなったが、敵国とはいえ独裁者を描く喜劇に観客がどう反応するか心配したという。

風船の地球儀と踊る有名なシーン

いつもの喜劇よりじっくりした調子のこの作品で、チャップリンはヒトラーをモデルにした独裁者を徹底的にカリカチュアライズする。
ドイツ語を模した過激な言葉を吐きまくり、吐きまくりすぎて咳き込んだりする。
ジェスチャーも研究していて手の動きがそっくりだ。
過激なセリフでマイクに迫ると、マイクが独裁者を避けるように曲がるギャグもある。
ゲーリングを模した側近のケツに押されて階段を転げ落ち、ゲーリングの過剰な勲章をむしり取る。
タモリのハナゲモラ語や中川家礼二の中国人同士の喧嘩のようなやり取りの物まねも真っ青だ。
これを当時イケイケのヨーロッパ大国の指導者に対して行ったのだから、その行動や命がけだ。
敵はヒトラーのみならず、背後から撃たれかねなかったろう。

独裁者の日ごろの多忙な日常を笑いのめす場面では、美人秘書に迫ったり、時間が1分でも開くと肖像画家と彫刻家の前でポーズを取ったりする。
ペンを取り出そうとしてペン立てからペンが抜けないギャグも。
これらのエピソード、ヒトラーというよりハリウッドのタイクーンたちの生態をヒントにしてはいないか?
特に秘書に迫る場面など。

作品中に現れるゲットーでのユダヤ人描写も直截的。
ユダヤ人商店にJEWとペンキで書いて歩く突撃隊員。
勇敢な娘ハンナ(ポーレット・ゴダード)は突撃隊に口答えし、フライパンで殴りつけたりするが、大人たちはひたすら耐え続ける。
ユダヤ人の床屋として突撃隊の迫害におびえるチャップリン。
これまで、貧困や飢餓など恐怖とスリルに対しても、ギャグでやり過ごしたり、権力者をおちょくったりしていたチャップリンが、政治体制の恐怖におびえる演技をしている。

ポーレット・ゴダート。デートを前に床屋に髪をセットしてもらう。うれしそうな床屋の表情

独裁者の圧政に対して庶民は何もできないのはチャップリンが一番良く知っている。
この作品でのチャップリンは、ピンチを自己流で超越するヒーローから、無力ぶりを晒して、数人の中に埋もれる凡人を演じて、現実の恐怖を表現している。

また、ヒトラーばかりではなく、その盟友ムソリーニへの風刺ぶりも強烈だ。
威張って歩くその姿や、独裁者同士のマウントの取り合いを持ち前のジャグで笑いのめす。
ムソリーニに扮したジャック・オーキーの演技も傑作で、持ち味のギャグを思いっきり表現している。

ムソリーニ?に扮するジャック・オーキー(左)の演技は傑作。対するヒトラー?の無表情

実在の独裁者たちへの風刺は、メジャーの映画作品としてギリギリの表現だったが、なんといってもラストの演説に込めた、チャップリン人生初の本音の呼びかけと、恋人ハンナへの庶民同士の幸福を祈る気持ちがこの作品の総てだ。

チャップリンはこの作品で”映画人として言うべきことを言った”あと、「殺人狂時代」を経てアメリカ当局からにらまれ、非米活動調査委員会(赤狩り)への召喚を前にヨーロッパへと脱出せざるを得なかった。
大戦当時、ソ連への支援を呼びかける集会で演説したことも原因だったが、ヒトラーへの批判がアメリカなどの現体制への批判に通じることを権力者が感じ取った故のチャップリン排除だったのではないか。

チャップリンの宣言は、それがヒトラーに対してのものならば、世の中から容認されたのかもしれないが、権力者一般に対してのものならそれを許せない勢力があったのだろう。
だからこその映画史に燦然と輝く有意義な一作となった。



「殺人狂時代」     1947年   チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

「独裁者」の後にチャップリンが訴えたかったのは、大戦の後の無力感、大衆の痛みと疲弊、大衆の犠牲によって経済的な興隆を謳歌する存在への告発だった。

当初は『青髭』をモチーフとした殺人劇の主演にチャップリンをオファーした、オーソン・ウエルズの企画だったという。
出演を断ったチャップリンだったが、後に自分の企画として、200万ドルをかけ「殺人狂時代」の製作を決める。
映画の冒頭には、原案;オーソンウエルズとクレジットされている。

『いうまでもなく、ルイスBメイヤー、ダリルFザナック、あるいは彼らの神経質な補佐役たちにアイデアを提出するよう依頼されていたとしたら、チャップリンの偉業はなかった』(P393)。
タイクーンたちの帝国(ハリウッド製ピクチャ製造工場)からは、当然ながらこの作品は生まれようがなかった。

舞台は世界恐慌前夜のフランス。
実直、凡庸な銀行出納係のヴェルドウ(チャップリン)が、30年間務めた銀行を不況で首になった後の、虚妄と狂乱の犯罪生活と破滅の物語。

ヴェルドウは、車いすの妻と彼を慕う息子がいながら、生活のために、一人暮らしのオールドミスばかりに取り入って小金をせしめて回る。
パリに置いたペーパーカンパニーを拠点とし、ある時は船長、ある時はインドシナ帰りのビジネスマンを装って、町々に住む一度はコマしたオールドミスたちの間を渡り歩いては、手練手管で株の投資資金を引き出してゆく。
金を引き出した後は、オールドミスたちを殺害し、自宅の焼却炉などで”処分”する。
庭の毛虫を踏まないように気を付け、野良猫に憐れみをかける小市民性がその本性なのだが。

凡庸な小市民のヴェルドウには、列車を乗り継いで町々を綱渡りで移動し、口八丁手八丁のコスプレと出まかせのマシンガントークの才能があるはずはないのだが、そこはチャップリンの演技を楽しむことにする。
対するオールドミス役の女優たち。
ラッパチの水商売上がりの小金持ちを演じるマーシャ・レイという女優がすごい。
ワニ口で鳥ガラのような体つき、ガラガラ声という申し分のない下種なスペックで、ヴェルドウの”偽善”に”オールドミスの世俗性”で対抗し、余りある”個性”を発揮する。

チャップリン映画に恒例の”センチ”な要素としては、街角にたたずむ若い訳あり美人(マリリン・ナッシュ)のエピソードがある。
ヴェルドウは、下手人がばれない毒薬を試す相手として彼女をひっかけるが、彼女の身の上話を聞いているうちに感心して、毒入りのワインをひっこめた上に、金を恵んでしまう。
彼女はのちに、成り上がった高級車に乗って、株の暴落で一文無しとなったヴェルデイを見掛け、拾ってごちそうし、名刺を渡すのだが、オールドミス連続殺人で逮捕寸前のヴェルドウはその名刺を破いて、彼女への類を避ける。

この若い女、映画ではベルギー難民で夫を戦病死で失った上に窃盗で刑務所から出てきたばかり、ということになっているが、どう見ても貧窮を背景とした”夜の女”であり、この時代に欧州やアジアではままあったこと。
チャップリンの脚本でもその設定だったが、当時の検閲がそれを許さず、”夜の女”を示唆する表現が避けられたという。
彼女が”成り上がった”あとのエピソードでも、彼女を軍需産業家の愛人と示唆することに検閲が入ったという。
観客(筆者など)は成り上がった彼女を見てシンデレラストーリーを夢見てしまったが、オリジナルでは、”夜の女が、その若さと美貌を、気まぐれな財界のおっさんに愛人の一人としてもてあそばれている”わけなのだ。
そこには”どこまで行っても、庶民は金持ちに踏みにじられる存在”というチャップリン映画の哲学があったのだ。

株も家族も(もちろんオールドミスたちも)失ったヴェルドウは、すべてを達観し、運命を受け入れる。
犯した罪を受け入れるのはもちろん。
銀行失職後の綱渡りの人生には結局何もなかったこと。
その経験から得られたことは、”庶民には届かない大きな世界の動きはすべてビジネス”だったという世のカラクリ。
戦争による被害もビジネスの結果であり、かつ損害(戦死者)の数は勲章の対象となる不条理。
反面、庶民のやむにやまれぬ殺人は犯罪とされ、処罰されること。

「モダンタイムス」で資本主義の非人間性を告発し、「独裁者」で全体主義を告発したチャップリンは、「殺人狂時代」で、資本主義と全体主義をつかさどる権力体制を告発するに至った。
チャップリンの映画人生での到達点であり、映画でここまで直接的に表現した作品を見たことがない。

「モダンタイムス」と「独裁者」は映画がヒットしたこともあり、アメリカ国内に潜む権力構造は静観していたが、「殺人狂時代」では、在郷軍人会などが上映妨害運動を起こし、国内での上映機会そのものが激減した。
戦時のチャップリンのソ連支援の活動などが、国内の反動勢力の気に食わなかったのだろう。
もっといえば、チャップリンの2度にわたる未成年女性に手を出した末の結婚と離婚、離婚を巡る裁判の泥仕合が格好の非難材料を彼らに提供したこともある。

悪名高い(ヨーロッパでは悪い冗談と嘲笑された後、マジの事態だとわかってあきれ果てられた)、赤狩り(非米活動委員会)の召喚を受け、事態が最悪を迎えていることを知り、家族とともにアメリカを脱出することになる。

『チャップリンがいかに見栄っ張りで単純でおセンチで、その他さまざまな知的罪を担っていると批判されようと、それでも彼は、ハリウッドのどの映画作家にもまして、時代の核となる問題を把握し、自分の映画でそれに論評を加え、しかも正しい論評を行うということを、どうにかやってのけたのだ。』(「ハリウッド帝国の工房・夢工場の1940年代」1994年 文芸春秋社刊 P393)。

40年代のハリウッド映画を要覧し、各々の作品のみならず、スタッフ、俳優に的確な論評を加えた同書の著者:オットー・フリードリクの的確にして最上級の評価だろう。

チャップリン自身もまた「殺人狂時代」についてこう語る、『私がこれまで作ったなかで、最も才気あるすぐれた映画』(同書 P399)と。

上田映劇で「ミシェル・ルグラン&ジャック・ドゥミ レトロスペクテイブ」

祝・NPO法人上田映劇 信毎文化事業賞受賞

2025年11月20日の信濃毎日新聞一面より

第30回信毎文化事業賞を上田映劇が受賞した。

33歳の支配人が東京からUターンして、閉館中だった現存木造映画館の上田映劇(フィルム上映可能)を再オープンし、細々と、しかしつぶれずに営業し、文化事業に貢献してきたことが評価された。

映画を愛し、映画館を懐かしみ、ミニシアターに親近感を抱き、地方映画館に愛着を感じ、現存木造映画館を尊重し、フィルム上映を懐かしむ者にとってまことに喜ばしいことだ。
上田映劇が受賞した記事が信濃毎日新聞一面に掲載された。

写真左から2人目が映劇の支配人

「ロシュフォールの恋人たち」を見に、上田映劇の姉妹館トラムライゼを訪れた際、支配人がいたのでおめでとうございますと声をかけた。
ありがとうございますと丁寧な返答があった。


「ロシュフォールの恋人たち」  1966年  ジャック・ドゥミ監督  フランス   トウラムライゼにて上映

ジャック・ドゥミが「シャルブールの雨傘」(63年)に続いて送るミュージカル。
音楽はミシェル・ルグラン、主演は「シェルブール」に続いてのカトリーヌ・ドヌーブと実姉のフランソワーズ・ドルレアック。
共演者も豪華だ。

レトロスペクテイブのちらし

フランスの港町ロシュフォールの金曜の朝、祭りのアトラクションを彩るダンサー一行がトラック2台でやって来る。トラックの運転席から出てくるダンサーたち(ジョージ・チャキリスら)が、軽く映画のテーマソング(ドルレアックとドヌーブの双子姉妹のテーマ)の乗って踊り始めるオープニング。
これから始まる映画の胎動を感じさせるようなオープニングのワクワク感。
さあ楽しいミュージカルが始まるぞ。

英が館前。左のコメントがうれしい

ダンサー一行が踊る。
背景を行く町の人々がリズムを取る。
クレーンカメラが町の広場に面したアパートの一室に移動してゆき、ドルレアックとドヌーブの双子姉妹が子供たちにバレエを教えている場面を捉える。
町の美人双子姉妹は、音楽とダンスの才能に溢れていて、まだ見ぬ恋人とパリに憧れる乙女だ。

2人のテーマソングは、何度か聞いたことがあるナンバーでおそらくこの映画最大のヒットソング。
リズム感に溢れるこのナンバーを、ドルレアックとドヌーブが楽しそうに歌い踊る。
キュートな衣装のすそを翻し、若々しい脚を見映えよく躍動させながら。

町の美人双子姉妹を演じるドルレアック(右)とドヌーブ

「天使の入江」(63年)のコートダジュールからシェルブールへ。
82年の「都会の一部屋」ではナント。
ドゥミの”ご当地港町もの”映画の今回の舞台はロシュフォールだ。

夢のようなミュージカルの世界を描きながら、軍隊の行進場面が再三出て来たり、登場人物の一人が恋人を惨殺した新聞記事のシーンがあるなど、唐突な人生の暗黒面の点描は、ヌーベルバーグ左岸派・ドゥミのこだわりか、フランス映画のエスプリか。

ピアノの前で「双子のテーマ」を歌い踊る

旅芸人のジョージ・チャキリスは「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)のパルチザン役の大根ぶりが嘘のようにイキイキしている。
ダンスの脚の上げ方もキレている。

ドルレアックを一目ぼれさせるハリウッドミュージカルのレジェンド、ジーン・ケリーは、踊りこそ衰えてはいないが、まったく旬を過ぎた存在であり、躍動する若手とのズレ感があった。
ケリーの起用は、ハリウッド・ミュージカルへの、オマージュとも批判ともつかぬドゥミならではのこだわりの結果なのだろうが、効果的だったといえるかどうか。
むしろ金髪が若々しい、ジャック・ペランがフランス製のおとぎ話風ミュージカルにふさわしかった。

双子の母親で広場の一角にあるカフェのマダム役のダニエル・ダリューは、若い時はドヌーブのような存在だったが、ここではすっかり落ち着いたマダムを演じて印象深い。
フランスの女優は中年になって更に一花咲かせる、これは好例だ。

ドヌーブの実姉のフランソワーズ・ドルレアックは「リオの男」(63年)でベルモンドを困らせた、活動的でおしゃまなじゃじゃ馬ぶりが忘れられないが、本作でも恋を夢見る妙齢の若い女性を好演。
171センチの長身を感じさせぬ、ドヌーブとの息の合った足の運びを見せるダンスもよかった。
実生活では、本作の後1本に出演した1967年に、25歳で惜しくも交通事故死する。

お祭りの舞台で踊る姉妹

後の大女優カトリーヌ・ドヌーブを生かしきった二人の監督がいる。
「昼顔」(67年)、「哀しみのトリスターナ」(70年)のルイス・ブニュエルと、彼女のキャリアの転機となった「シェルブールの雨傘」を監督したジャック・ドゥミだ。
ドヌーブ自身は、女優としての自らのキャリアで最大のできごとは?との問いにこう語っている。
『ジャック・ドゥミ監督と出会って「シェルブールも雨傘」に出演したこと。この作品で初めて私自身に目覚めた』(1971年 芳賀書店 山田宏一責任編集 シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P104より)。

ドルレアックとドヌーブは、俳優だった両親のもとに生まれた三姉妹の長女と次女で、ドルレアックが父親の、ドヌーブが母親の姓を芸名にした。
ドヌーブがのちに男児を生むことになる、ロジェ・バデイム監督(代表作「素直な悪女」)とパリのディスコで出会ったとき、彼女は17歳で両親姉とともにアパルトマン暮らし、寝室では2段ベッドを姉と共有していた。
当時すでに姉のドルレアックは『フランスのキャサリン・ヘプバーン』と呼ばれる売れっ子、ドヌーブは姉の仕事場についてゆくほど仲が良く、また両親からは姉と同行する場合のみ夜遅くまでの外出を許されていた。
だが、一晩の出会いでドヌーブはバディムと恋に落ち、未婚のまま出産する道を選んだ(出産後、バデイムは自身3度目の結婚をジェーン・フォンダと行っている)。

港もの広場、街角、カフェなどでのロケ撮影が生きている。
ロシュフォールの街々で歌い踊る人々をクレーンを駆使し、俯瞰で捉えるカメラ。
ハリウッド・ミュージカルならばスタジオの大掛かりなセットで撮影されたであろう。
ドゥミのフランス製のミュージカルは、何よりロケがもたらす港町の空気感、街角を行く通行人たちの土地の臭いがいい。
双子姉妹の衣装もおしゃれ。
多すぎる登場人物のエピソードが散漫で、中だるみがあったが、巻頭シーンの高揚感、結末に向かってのフランス映画らしい人間性(男女の恋愛)の謳歌ぶり(現実的な結末も予感させながら)はよかった。

ミシェル・ルグランのスコアは、双子のテーマのほかに、後半を盛り上げるピアノ曲がルグランらしくてよかった。

平日の12:45分の回。
上田映劇の姉妹館トラムライゼの観客は筆者を除き4人。
全員女性だった。

映画館前のウインドウより



「ロバと王女」  1970年  ジャック・ドゥミ監督   フランス      上田映劇にて

ジャック・ドゥミ作品中、本国で最大のヒットとなった作品。
ペロー原作の童話の映画化。
カトリーヌ・ドヌーブ27歳、「シェルブールの雨傘」でスターとなり、「反撥」「昼顔」「哀しみのトリスターナ」でその評価を定着させ、美貌の盛りを迎えていた。

カトリーヌ・ドヌーブ

ドゥミにとっては、「ロシュフォールの恋人たち」などの”ご当地港町シリーズ”から離れ、完全な童話の世界を舞台としたミュージカルに挑んでいる。
童話とはいえ、ロケ撮影を多用する”手作り感”はドゥミらしい。

王様にジャン・マレーを起用。
「美女と野獣」(46年)とジャン・コクトーへのオマージュをささげている。
王子様の母の王妃にミシュリーヌ・プレールを起用しているのも、「ロシュフォールの恋人たち」でのダニエル・ダリューと同様に、古き良きフランス映画へのドゥミからの憧憬が感じられる。

「肉体の悪魔」(46年 クロード・オータン=ララ監督)のミシュリーヌ・プレール

ドヌーブが白馬の馬車でお城を脱出する場面。
扉が開き、白馬が王女を運んで行く。
王女のスローモーションや、フィルムの逆回しは「美女と野獣」の再現だ。
ドゥミのコクトーへの尊敬がある。
何よりジャン・マレーの起用そのものが。

デルフィーヌ・セーリグを重要な妖精役で起用。
このキャステイングはノスタルジックなものではなく、主人公の王女のアドバイス役として”現役感”が必要なもの。「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ)の”硬派”セーリグは嬉々として演じて居る。
妖精の衣装のスリットから美脚がちらちら見えるのだが、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年)でブニュエル必須の”ストッキングを脱ぐ”シーンをセーリグが演じることになる、その先駆けではないか!
彼女の美脚をフィーチャーしたことの。

デルフィーヌ・セーリグ

王様と王女の近親相姦的な愛情と、そこからの脱出、自己の発現をテーマにしている。
王女は高貴な生活を捨て、ロバの皮を被って下女の生活に甘んじる。
嬉々として。
王女の魅力を見抜く王子にも母親の王妃(ミシュリーヌ・プレール)が近親的な愛情を注ぐ。
王女の脱出と自立をサポートするのが森にすむリラの妖精(デルフィーヌ・セーリグ)だ。
この二人、なんとエレガントなキャステイングか、フランス映画の大いなる楽しみだ。

『ロバの皮を頭からかぶって、ネグリジェみたいな長い服を着て、森の中や村の広場をすたすた歩いてゆく、よごれたときのドヌーブの萌芽、王女としての盛装したドヌーブよりも、ずっとかわいらしく私には好ましかった。』(シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P83 澁澤龍彦「カトリーヌ・ドヌーブその不思議な魅力」より)。

同じく澁澤龍彦は書く、『ロバの皮を身にまとって城を逃げ出さねばならなくなっても、村中の男女に馬鹿にされても、ちっとも悲しそうな顔を見せないドヌーブは、隣国の王子様とめでたく結ばれるようになっても、別段それほどうれしそうな顔を見せないのであるる。いつも、どうでもいいような顔をしている。』(同書P83)

ロバの皮を被ったドヌーブ

ドヌーブの特性を見抜いた澁澤龍彦は更に書く。

『王女様の盛装は美形のドヌーブによく似合うが、それを魅力的に感じるのは、見ているものが、その美しさが剥がされるだろうという予感に慄えているのを感じるからであり、ドヌーブの顔は表面的な冷たさ(美しさ)とは裏腹に瞳の奥の不安定な本質が露呈されてしまう。
それは欲望に目を曇らされて倫理観念を見失い、妄想の海の中を泳ぎ出そうとしている、マゾヒステイックな気質の女を表現するのにまことにふさわしい』(同書P82より抜粋)

ドヌーブは退屈な王女の生活を脱し、自らの欲望を満足させるために、身分を隠した汚い女の生活を送った、嬉々として。
結末は王子様との結婚だが、それは本来の歓びではなかった。
娘に結婚を迫っていた王様は、訳アリだった妖精と結婚していた。
めでたしめでたし。
これはドヌーブそのものを描いたストーリーなのか、ペロー童話の趣旨なのか。

ジャン・マレーとドヌーブ

ミシェル・ルグランのスコアでは、森の家で王子のためにケーキを焼く場面のナンバーが楽しい。
「ロシュフォールの恋人たち」の「双子のテーマ」のような傑作はこの作品にはなかったが。

ジャック・ドゥミはこの後、ドヌーブとマストロヤンニで「モンパリ」(73年)、日本の少女漫画を原作とする「ベルサイユのばら」(78年)などを作ったが、生涯の代表作は「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」だったのではないか。

ドヌーブは、「リスボン特急」(72年 ジャン=ピエール・メルビル監督)、「終電車」(80年 フランソワ・トリュフォー監督)などフランスを代表する監督作品に出演、「ハッスル」(75年 ロバート・アルドリッチ監督)などハリウッド作品でも活躍し、最晩年まで映画出演を続けている。

この日の観客は筆者を入れて二人だった
寒かったこの日の上田市内

DVD名画劇場 ”ゲルニカ・モナムール” アラン・レネと戦争の記憶

アラン・レネ

1922年フランス生まれ。
幼少から映画に興味を持つ。
俳優を目指しパリに向かうがのちに映画編集を学ぶために高等映画学院に入学、ジャン・グレミヨンに影響を受ける。
短編映画を撮りはじめ、「ゲルニカ」(50年)、「夜と霧」(55年)などに結実。

59年には『フランス人である我々が、日本人が体験した原爆被害をどこまで知ることができるのか』をテーマに、ヌーヴォー・ロマン派の作家マルグリッド・デユラスに脚本(テクスト)執筆を依頼し、長編第一作「二十四時間の情事」を日仏合作で製作。

ヌーベルバーグの潮流に乗っての長編デヴューでもあったが、ゴダール、トリュフォーらの「カイエ・デユ・シネマ派」とは異なり、テクスト(脚本=文学性)を重要視し、『社会参加の意識が強く、自分たちの左翼的意見を隠そうとはしないし(後略)』(マルセル・マルタン著「フランス映画1943ー現代」1978年合同出版刊 P94)と称される「セーヌ左岸派」に属した。

代表作に「去年マリエンバートで」(61年)、「戦争は終わった」(66年)。
70年代以降も2014年の遺作発表まで旺盛な制作意欲を見せる。

アラン・レネの初期作から、反ファシズム・反戦を製作動機とした「夜と霧」「二十四時間の情事」を見る。
レネの原点は、スペイン市民戦争のファシズムによる弾圧を糾弾したピカソの力作「ゲルニカ」をモチーフにした初期の短編作品にあった。

アラン・レネ

「夜と霧」  1955年  アラン・レネ監督   フランス(アルゴスフィルム)

戦後10年、アウシュビッツ収容所解放から10年後に作られた作品。
ドイツによるユダヤ人絶滅収容所の全貌を初めてまとめた映画とされる。

10年後のアウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)の夏草に覆われた風景のカラー画面から始まる。

ドイツ国内のナチス党の政権樹立から、ユダヤ人の排斥・強制収容、そして収容所の実像へと時系列に時代を追ってゆく。
家を追われ、貨物列車で移送されてゆくユダヤ人たちの姿は、北米で資産放棄の上、僻地のキャンプに強制収容された日系人を思い起こさせる。

ドイツの戦時収容所にはユダヤ人だけでなく、ドイツ人の政治犯、刑事犯も収容されていたこと。
所内には楽隊や動物園、保育園などがあったこと。
粗暴な看守に対抗する抵抗組織があったこと。
看守用の売春施設(女囚が売春婦)や監獄まであったこと、が語られる。
この時点までは収容所が、刑務所だったり捕虜収容所的な色彩を持っていたということだ。

1942年に親衛隊長ヒムラーがアウシュビッツを視察し『生産的に処分せよ』と指示してから、アウシュビッツが絶滅収容所になった。
ガス室と大規模な火葬施設が作られた。
のちに火葬施設が不足し、死体はバーナーで焼かれたり、野焼きされた。
死体の毛髪は毛布に、遺灰は肥料に転用された。

1945年には収容人数を10万人規模に拡大するとともに、囚人を労働力として活用すべく、ジーメンスなどの国内企業が進出した。
そして連合軍の進出により解放された。

映画は『この責任はだれにあるのか。今も戦争は終わっていない。』と語って終わる。
連合軍の解放場面に問題の解決感は漂わない。
『900万人の霊がさ迷う』とのナレーションも。
この数字は事実誤認とはいえ、フランス映画らしい真実追及の客観性に満ちた作品である。

製作はアナトール・ドーマン。
独立プロ:アルゴスフィルムを立ち上げ、後に「男性・女性」(66年 ジャン=リュック・ゴダール監督)、「バルタザールどこへ行く」(66年 ロベール・ブレッソン監督)などの意欲作をプロヂュースし、「愛のコリーダ」(76年 大島渚監督)「パリ・テキサス」(84年 ヴィム・ベンダース監督)までを作った。

テクストを書いたジャン・ケロールは収容所から生還した作家。
その言葉は作品のナレーションとして語られる。



「二十四時間の情事」  1959年  アラン・レネ監督  日仏合作(大映=アルゴスフィルム)

この作品はいくつもの切り口を持っている。

・監督アラン・レネの「ゲルニカ」「夜と霧」から続く『戦争の傷跡を告発する』作品の系統から。
・大映とアルゴスフィルム(永田雅一!とアナトールドーマン!)のダイナミックこの上ない邂逅と企画実現の経緯から。
・欧州戦争の癒えぬ残像にヒロシマを重ねた脚本のマルグリッド・デュラスの着眼点から。
・欧州と広島という難しい二つの悲劇を奇蹟的に結合させた主演のエマニュエル・リヴァの存在から。

それらの切り口のいずれもが化学反応を起こしたハレーションゆえに、この奇蹟的な映画が誕生したことがわかる。

映画はケロイドの腕が自らの体を撫でまわすシーンと、汗にまみれた男女の腕がお互いの体を撫でまわすシーンのモンタージュから始まる。
短編映画「ゲルニカ」でピカソの絵画を撫でまわすように撮ったアラン・レネの真骨頂だ。
病院の廊下や、原爆資料館の展示物を撫でるようにとらえる移動撮影がモンタージュされる。

反戦映画のロケで広島を訪れているフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)と日本人建築家(岡田英次)が出合う。
いや出会いは描写されない。
二人が汗みどろになって抱き合っている場面が二人の出会いのスタートだ。
翌朝、ベッドでコーヒーを飲んだり、一緒にシャワーを浴びるシーンもあり、デユラスの脚本は男女関係の描写が生々しい。

ホテルの部屋で、翌日の朝

男女の出会いに理屈も何もない、出会った以上は生々しい関係こそ不可欠。
これはフランス映画らしさであり、脚本のマルグリッド・デュラスらしさでもある。
のちに自伝的小説「愛人ラマン」を発表する、仏印サイゴン生まれのデユラスらしく、フランス女性がアジア人の現地人と性愛関係を結ぶ設定はこなれている。

エマニュエル・リヴァのナレーションでデユラスの脚本が語られてゆくことのこの上ない心地よさ。
デユラスのセリフを忠実に、まじめに再現してゆくエマニュエル・リヴァ(と岡田英次)の信頼感というにふさわしい演技。

ロケ地まで女を追った男

東洋人と相対する白人女優ということで、心配があったが、岡田英次と対するときのエマニュエル・リヴァには、若干の戸惑いはあったものの、時には好奇心に彩られた信頼感にあふれ、上から目線の蔑みなどはなく、自らの演技に徹しているのがよくわかる。

妻のいない自室に女を招く男

二人は二度の逢瀬(彼女の宿泊先と彼の自室)を経て、離日の時を迎えるが、それまでの空き時間、広島の町を愛する彼女とともに過ごす、繁華街の「テイールーム・どーむ」という名のカフェで。

このカフェ(バーというか洋酒居酒屋というか)での二人のやり取り(リヴァのほとんど独演)がこの映画のハイライトだ。
広島にとどまれと迫る男。
男に惹かれながらも、戦争中の心の傷が癒されない女。
彼女にとってその身がパリにあろうとも、広島に在ろうとも安らぎとはならないのだ。

テイールーム・どーむにて

女は18歳の時、ヌヴェールという地方都市でドイツ兵と恋に落ちた。
生まれて初めての恋に『死んでもいい』と思った。
ヌヴェールに解放軍がやって来るその日に恋人は、待ち合わせのローヌ河畔で狙撃され、彼女の腕の中で死んでいった。
彼女はドイツ兵と通じたことで髪の毛を刈られ、また家族によって地下室に閉じ込められた。
現在のパリの家族にもあかしていない傷だった。

ヌヴェールで初めての恋に喜びを隠せない女

ヌヴェールでの傷を告白し、目の前の男との愛に悩む女。
テイールーム・どーむで女の苦悩が語られる。
その顔に照明は当たらない。
女が男の腕に崩れ落ちたとき、男の腕に当たっていた照明が女の顔を捉える。

まさにこの映画の核心を表すような、暗さを基調にした照明は大映スタッフのなせる業なのか。
「夜の河」(56年 吉村公三郎監督)で山本富士子の京都のお茶屋でのラブシーンを徹底したバックライトで表現した、大映京都の職人・岡本健一の照明を思い出す。

テイールーム・どーむにて、自らの傷を打ち明ける女

また、テイールーム・どーむでのシーンに、日本の歌謡曲や盆踊りの音がかぶさる。
特に歌謡曲が流れ、女のヨーロッパでの忘れられない傷が語られる場面は、時空を超えた異化効果に満ちた場面となった。
まったく異なる文化、地域が画面で融合する。
背景にはアラン・レネの『撮影地日本に対する前向きな好奇心』があったのだろう。
これがデユラスの脚本にあったのだとしたらその創作力に感服する

ヒロシマとヌヴェールを対比させ、融合させる試みを持った作品。
ヒロシマに対する表面的な理解(これについては、女に向けて『君は広島で何も見ていない』と男に語らせている)に対して、ヌヴェールで女が生涯の傷を追う描写の数々の深刻さ、残酷さが格段にリアルで、そこにフランスと日本の認識の断絶が表れてもいるが。

女と男は語り合ううちに、忘れることに恐怖しつつも、ヌヴェールを忘れてゆき、男に対し『あなたの名はヒロシマね』という。
男は『君の名はヌヴェール』と言って映画は終わる。
戦争と、恋と、故郷に傷ついた女性にとってこれは救いの言葉なのだろうか。

広島駅の待合室にて

長編第一作が日仏合作映画というアラン・レネ。
己のスタイルを崩さず、かといって脚本のヂュラスへのリスペクトも維持し、またロケ地日本への好奇心と尊重もある作品を作った。
山場のテイールーム・どーむでの男女の芝居の演出も上手かった。
これにはスタッフの協力もあるが、スタッフの協力を引き出すのも才能だろう。

エマニュエル・リヴァはロケで広島に滞在中に自らのカメラで広島の町をスナップしていた。
のち(2008年)にその写真集が日仏で出版された。
当時の広島の街角や市井の人の日常が写っている内容だったが、彼女の被写体に向けての親しみと好奇心にあふれたものだった。

また、はるか昔に見た本作は、大映マークで始まる日本配給版で、大映マークの後にはお馴染みの『製作 永田雅一』と縦書きのクレジットがあった。
アラン・レネ作品にしては、と激しい違和感を感じた事を思い出すが、今にして思うのは、大映スタッフの全面協力がなければなしえなかった企画であったろうということである。


(おまけ) 1982年3月のアウシュビッツ

山小舎おじさんがアウシュビッツを訪れたのは、バックパッカー旅も1周年を迎えたころ、今から43年前のことでした。

西ベルリンのポーランド大使館(領事館?)で50マルク(5000円ほど)でポーランドの10日間だったか1週間だった加のビザを入手。
西ベルリンから列車でポーランドのポズニナへ入りました。

アウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)はローカル列車しか止まらないため、最寄りのカトビツェという中都市まで行きました。
カトビツェの町は、石炭ストーブを燃やしたススの臭いが漂っており、かつての北海道の冬を思い出させました。

当時のポーランドはバックパッカーには塩対応でした。
まず安宿(国営旅行会社直営の宿、ユースホステルなど)が見つかりずらい上に、たどりついても宿泊を断られることがありました。
また、街行く人はうつむいて早足に通り過ぎてゆくイメージです。
話しかけてくるのは、ドルと現地通貨を交換したがる闇両替の男くらいでした。
当時のポーランド・ズロチの闇レートはドルと交換すると使えきれないくらいズロチをもらえました。
また、観光案内所以外に英語が通じる場所がない印象です。
レストランではメニューはあるものの、あれはないこれはないで、出てくるのはビーツの真っ赤なスープ(そこに餃子が浮かんでいることも)だけのことが多くありました。

カトビツエから、窓が汚れ、なんだったら割れたままの普通列車でオシビエンチムの駅へ。
そこから路線バスで収容所跡へ行きました。
下りる停留所がわからずキョロキョロしていると、乗客の女性がここだよと教えてくれました。

収容所跡は整備させれた博物館のようになっており、観光客がチラホラいました。
卒業旅行で来ている、富山県滑川出身の慶応大学生と知り合いました。

”アルバイト・マハト・フライ”という、囚人に労働を喚起する収容所の標語が、よくみる写真そのままにゲートに掲げられていました。

靴やメガネなど囚人の遺品がほこりにまみれてガラス越しに積み重ねられていましたが、女性から刈られたであろう遺髪の山の金髪が記憶に残っています。

2段ベッドが連なる収容室の中央には、むき出しの水洗トイレがありました。
収容室の床はタイル張りだったと思います。
囚人の尊厳は否定しつつも、清潔に留意し、尊厳以外の部分は合理的に運営しようとするところにドイツ人らしさを感じました。
「夜と霧」に出てくるトイレは穴が開いただけのものが並んでいましたが、そういった場所もあったのでしょう。

ガス室と火葬施設ですが、レンガ造りのガス室はともかく、同じくレンガ造りで一人ずつ焼くスタイルの火葬施設が2基だけ並んでおりました。
これじゃ大量に焼けないな、と思ったものでした。
「夜と霧」では大規模な火葬施設と野焼きの場面がありました。

広大な収容所跡を巡っているとたった一人になることが多くありました。
既に戦後37年を経過し、地元のポーランドにはほぼ縁がなく、しかし膨大な費用が掛かる(費用負担はだれが?)であろう収容所の背景はいったい?

マルグリッド・デュラスが「二十四時間の情事」のテクストで冒頭に喝破したように『アウシュビッツの何も知らず、何も見ていない』のです。
ましてや戦争を知らない世代の東洋からの旅人にあっては。

茫漠たる思いに駆られながら売店で、”アルバイト・マハト・フライ”を掲げた門の絵葉書を買って送った記憶があります。
ここへ来た記念としてのみの意味として。

アウシュビッツを見た後、クラコフ、ワルシャワと移動しました。
ワルシャワでは、ユダヤ人ゲットー跡とされる場所に行ってみました。
そこには巨大な壁のようなモニュメントが建っており、周辺は数階建てのアパートが整然と並ぶ団地になっておりました。
ソ連軍の到着を目前にしたワルシャワ市民が占領軍に対して立ち上がった、ワルシャワ蜂起の記録フィルムが見たくて旧市街にある博物館にも行きましたが、英語が通じないうえに休館でした。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第5集) テリー・サザーン、ラス・メイヤーの世界

「カジノロワイヤル」  1967年  ジョン・ヒューストン他監督  コロムビア

ハリウッドで長年、ジョーン・ベネットなどスターの代理人や「赤い河」(1948年)、「七年目の浮気」(1955年)などの製作を行ってきたチャールズ・フェルドマンが、そのキャリアの最後に、ユナイト製「007」シリーズ(1962年「ドクター・ノオ」でスタート)とは別系統で作った、イアン・フレミング原作のジェームス・ボンドものの一作。

ショーン・コネリー主演のユナイト製「007」シリーズのパロデイやら、映画史の楽屋落ち、東西冷戦の冷やかしまでがてんこ盛りで、ボンドを誘惑する女性陣のお色気衣装も楽しめる。
ピーター・セラーズの「ピンクパンサー」的なオトボケ演技や、今を時めく(もう終わったか)ウッデイ・アレンのお笑い芸人時代の自虐ネタも存分にちりばめられている。

引退して悠々自適のジェームス・ボンド(デヴィッド・ニブン)が世界征服を企む悪の組織スメルシュの首領ドクター・ノアをせん滅すべく立ち上がる。
ボンドの前には様々な美女(デボラ・カー、新人ジャクリーン・ビセットら)が立ちはだかる。
一方、ボンドを助ける美女たち(「007は二度死ぬ」から連続出演?のウルスラ・アンドレス、ジョアンア・ブテイット、バーバラ・ブーシェら)も百花繚乱。

マタ・ボンドが西ベルリンに潜入する。ジョアンナ・プテイット
ボンド役のデヴィッド・ニブンとバーバラ・ブーシェ

ゲストスターのもったいなさも、この作品のてんこ盛り的な荒唐無稽の表れ。
カジノ王役で出演し、賭博場でなぜかマジックを見せてご満悦なオーソン・ウエルズ。
チョイ役で、ウイリアム・ホールデン、ジョン・ヒューストン、ジョージ・ラフト、ジャン・ポール・ベルモンドが使い捨て風のキャステイング。
これらの配役に全く必然性と関連性がないのもいい。
スターらに手当たり次第に出演打診し、OKの返答の順番に、1日か2日で撮ったのか?

エピソードごとの関連性もなく、ストーリーの展開に必然性もない。
5人ほどの監督(ヒューストンのほか、ロバート・パリッシュ、ヴァル・ゲスト、ケン・ヒューズ、ジョセフ・マグラス、と監督の選出にも一貫性なし)に各パートを任せ、全体の責任を持つ演出者は置かなかったのだろう。
結果として、個々のエピソード、場面に見るべき点はあったものの、それらに統一感はなく、”混沌”と”支離滅裂”に貫かれた作品が出来上がった。
デヴィッド・ニブンを狂言回しに、セラーズとアレンの芸、女優陣のお色気、パロデイで場をつないでゆく。

ピーター・セラーズを誘惑する若きジャクリーン・ビセット

冷戦下のベルリン。
東西の壁を挟んで”、片や”ブルーエンジェル(「嘆きの天使」)”名のキャバレーネオンが怪しく輝き、その足元で売春婦が蠢く西側。
カメラがパンすると、壁際に兵士と鉄条網、全体を覆う赤いライテイングに重苦しいBGMが流れる東側が映しだされる。
鉄のカーテンの硬直ぶりと資本主義の堕落ぶりを揶揄するハリウッド”鉄板”の東西冷戦描写だが、そのあからさまぶりが、わかりやすくて面白い。
ロンドンからタクシーでやってきた、女スパイのマタ・ボンドが潜入する西ベルリンのキャバレーの建物内部は「カリガリ博士」をカリカチュアした(オマージュではない)アヴァンギャルド風書割セットという徹底ぶり。
当時の東側体制とドイツ文化は、ハリウッド映画にとって風刺の対象だったことがわかる。

往年のスター、デボラ・カーとオーソン・ウエルズはそれぞれ自らのパロデイを演じている。
スコットランド出身のカーは、ボンドを誘惑しつつもその魅力に陥落して修道院に隠居する貴族役。
映画の末尾で、清楚な修道女姿で登場し、ボンドに寄付を乞う。
「白い砂」などで、その代表的イメージにもなった修道女姿のパロデイを自ら演じる。

オーソンは巨魁の黒幕役という、近年の自らの役柄に沿った姿で登場。
唐突にマジックを披露するが、マジックはオーソン、プライベートでの趣味だった。

こうしてかつての主演スターが自らのパロデイもしくはプライベートな芸を披露。
ここまでくると彼らにとっての最後の売り物は、過去の名作で着た衣装くらいではなかろうか。

カジノでのオーソン・ウエルズ。ウルスラ・アンドレスも見える

60年代の終わりに当たって、映画はかつてのように人気スターの主演で商売できる時代を終えていた。
で、次の時代の売り物は何か?
悲惨な現実社会を等身大に描くことか、ナンセンス・パロデイに逃げることか、ヒッピー・ドラッグなど別の価値観に向かうことか。

ナンセンスとパロデイの線を目指した本作だが、どうしたことかそのズレ感が痛々しい。
だが本作に価値があるとしたら、堂々とズレに徹したその鈍感ぶりにある。
大スターのありがたみをぶち壊した功罪もあるが、時代の流れか。

バート・バカラックのテーマ音楽がゴキゲンにタイトルバックから流れ、脚本のテリー・サザーンのブラック感覚は60年代のサブカルチャームードにマッチした。

本作の後、映画は吹っ切れたように徹底した現実描写や、徹底した戯画化や、徹底したサブカルチャーに向かうことができたのではないか。



「キャンディ」  1969年  クリスチャン・マルカン監督   米・仏・伊合作

監督のマルカンはフランスの俳優で監督は2作目。
テリー・サザーン原作の映画化権を買取り、友人のマーロン・ブランドに出演を依頼、その影響でリチャード・バートンらビックネームの出演を実現、ABCフィルムズから資金を引く出すことに成功した。

原作者のテリー・サザーンは、「博士の異常な愛情」(64年)、「カジノロワイヤル」(67年)、「イージーライダー」(69年)、「マジッククリスチャン」(70年)などの脚本で知られるブラックユーモア感あふれる作家である。
「キャンディ」は、だれよりもサザーン印あふれる作品だった。
主演のスエーデンの若手女優エヴァ・オーリンのふわふわムード溢れる存在感が何より際立ってはいたが。

インチキ詩人の講演を聞く高校でのキャンデイ

ミニスカート全盛時代のアメリカのハイスクール。
その他の女子高校生に交じって登場するエヴァ・オーリンのマシュマロのようなキュートさ。
講演に招かれたインチキ俗物詩人のリチャード・バートンならずとも、魂を吸い取られてしまいそうだ。

キャンデイ・クリスチャン(オーリン)の家には庭師(リンゴ・スター)がいる。
家に入ってはいけないと命じられているが、地下のビリヤード台の上でキャンデイを犯してしまう。
かねてより惹かれていたようだ。

ニューヨークへ向かう飛行場で、空てい部隊の飛行機に助けられたキャンデイ一行。
彼女の愛くるしい姿を見て、部隊長のゴリゴリの国粋軍人ウオルター・マッソーが色気づいて(里心がついたというのか)しまう。

ニューヨークに着いたキャンデイは、けがをした父親をヒスパニック系の名医(ジェームス・コバーン)に診せる。名医には看護婦の愛人軍団がついている。
名医に口説かれたキャンデイは愛人にひがまれ、妨害される。

シャルル・アズナブール扮するせむしの浮浪者に犯されそうになり、ヒッチハイクで逃げ込んだトレーラーには、ラスボス、マーロン・ブランドのヨガのグルがいる。
もちろんインチキ修行者だ。

キャンデイことエヴァ・オーリン

60年代アメリカを象徴する、芸術家、軍人、医療者、ホームレス、スピ系のインチキぶりを暴くのは原作者テリー・サザーンの得意とするところ。
その暴き方も、毒が効いている。

軍人は『アカとヒッピーたちを叩き潰す』と念仏のように唱え続け、名医はその手術を観客の前でエンターテイメントの如くショーアップするが、肝心な部分は助手に任せる。
ヨガのグルは魂のレベルアップを説きながら腹が減るとジャンクフードを貪り食う。

全部に共通するのは、一皮めくるとただのスケベなおっさんという、その一点だ。

社会の権威者らに毒づく一方で、さりげなくアメリカ社会の現状も揶揄する。
名医がヒスパニック系で差別を逃れるため名前を変えており、かつ病院の掃除婦をしている実母を邪険にしていたり。
メキシコ人や日本人を差別するアメリカ人をからかったり。
ニューヨークのギャング社会の女に対する凶暴さを生々しく表現したり。

それにしても、マルカン監督と親しいというブランドの怪演はいいとして、リンゴやアズナブールはどういう経緯で出演したのか。
ギャラは歩合制だったらしいが出演して後悔はなかったのか。
気になる所だ。

キャンデイは、まさに現代の生き地獄をさ迷うイノセントな聖女の如く、完璧なプロポーションで迷える男たちに施しを与える。
エヴァ・オーリンはキャンデイを具現化した存在だった。

テリー・サザーンは18世紀の小説「カンディード」をモチーフに「キャンデイ」を書いたといわれる。
青年カンデイードの”地獄巡り”とその果ての悟りを描いた18世紀の物語は、美少女キャンデイに置き換えられて20世紀に蘇った。

「カンデイード」は、モンド映画を世に広めたイタリアのグァルティエロ・ヤコペッテイにより映画化もされている。
「ヤコペッテイの大残酷」(1974年 原題:MONDO CANDIDO)として。

こういった共通点をたどると、「キャンデイ」はアメリカ版モンド映画なのかもしれない。


「ワイルド・パーテイ」   1970年   ラス・メイヤー監督 20世紀FOX

ドラッグカルチャー世代感満載の70年代ムービー。
製作監督はインデイペンデント界の雄ラス・メイヤー。
巨乳好みのエロムービーの巨匠で、初のメジャー配給作品だ。
製作にはFOXの支配者ダリル・F・ザナックが当然一枚かんでいる。

「哀愁の花びら」(67年 マーク・ロブスン監督)の続編ではない、とのコメントが流れて映画は始まる。
芸能界の舞台裏を描いた同作の続編として企画された「ワイルド・パーテイ」だが女性の原作者から、原作との関連を拒否されたといういわくつきの作品。
原題は「BEYOND THE VALLY OF THE DOLLS」で、「哀愁の花びら」の原題「VALLY OF THE DOLLS」をモロに意識しているのだが。

安っぽいガールズバンド(白人二人は巨乳)がマネージャーとともに、西海岸に流れてくる。
ドラッグとセックスとヒッピーの西海岸に。

メンバーの一人が叔母さんの遺産を継ぐとか継がないとか。
黒人のメンバーに同じく黒人のボーイフレンドができたとか。
エッジが効いているバイセクシャルなプロデユーサーの推しでメジャーデヴューし、テレビ出演するほどの売れっ子になるとか。
パーテイにたむろするジゴロとねんごろになったメンバーが、ボーイフレンドだったマネージャーを振ったとか。
振られたマネージャーがポルノ女優とデキるとか。
どうでもいいエピソードが展開する。

毎晩繰り広げられるパーテイ

エピソードをつなぐカッテイングの早さ、ところどころに光る構図の鋭さ。
大戦中の記録映画からのキャリアを誇るメイヤー監督の感覚が随所にみられる。
カッテイングの合間合間に、巨乳やヌードを挟むところも抜け目ない。
ポルノ女優がバンドのマネージャーに仁王立ちして別れを宣言する堂々たる仰角の構図は、監督の女性に対する憧憬、信仰が表れているようで感慨深い。

芸能界の虚構をテーマとしながら、だらだら続くエピソードの羅列が一変するのがラストの残劇描写。
両刀使いのプロデユーサーが、自身のセキュシュアリテイーか、アイデンテイテイかをジゴロに侮辱されてから一変し、狂気のバイセクシャル女装マンと化す。

女装マンは、”伝説の剣”でジゴロの首を刎ね、眠っている女性の口にピストルを突っ込み引き金を引く。
同年に起こったシャロン・テート邸での惨殺事件に影響されたともいわれるこのシークエンスは、のちのバイオレンス描写に影響を与えたらしい。
シャロン・テートが「哀愁の花びら」の主演の一人だったことも不吉な縁だ。

楽屋落ち、スターのプライバシーへのからかいが”芸”の一つでもあるハリウッド文化が、実際の惨殺事件ですらパロデイの材料とし始めたということか。

ヒッピーに顔をしかめる大人がいる、黒人が付き合うのは黒人だけ、ヒスパニックや東洋人の影はほとんどない時代の西海岸。
ドラッグとセックスは欠かせない業界人の世界。
ついでにドイツ人とナチスに対するからかいも欠かさない。

出演者全員が無名で、この作品を出世作として世に出ているわけでもない。
これぞラス・メイヤーのインデイペンデント魂か。
安っぽい描写の中にも時々ぴかっと光る映画人魂があった。

ラス・メイヤー

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第4集) 蝋人形館の”旧と新”

「肉の蝋人形」(MYSTERY OF THE WAX MUSEUM) 1933年  マイケル・カーテイス監督  ワーナー

1921年のロンドン。
蝋人形館に命を懸ける男がいた。
生命を賭けた傑作人形マリー・アントワネットの出来栄えは男の自慢だった。
ところが客の入りがよくなく、興業主は火災保険の保険金で、赤字を取り戻そうと蝋人形館に放火する。
男は最愛のアントワネットとともに業火に沈んだのだったが・・・。

ロンドン時代のイゴール。入魂のマリー・アントワネット像と

昔の雑誌のカラーグラビアのような発色の、二色式テクニカラーで撮られたこの作品。
蝋人形の製作・展示というマニアックな世界を舞台にした、猟奇がかった怪奇譚は12年後のニューヨークへと飛ぶ。

かの地で新たに蝋人形館を開館するというイゴール(ライオネル・アトウイル)。
弟子からは先生と呼ばれる蝋人形の権威だ。
一方、30年代のニューヨークの新聞記者は、生き馬の目を抜くというか、セクハラパワハラ全開でワークライフバランスなどという言葉と無縁の世界。
女優の不審死と死体の紛失、蝋人形館を巡る怪しさに気づく女流記者(グレンダ・ファレル)がいた。

イゴールは弟子のフィアンセ(フェイ・レイ)を一目見てから、マリー・アントワネットの再来と勇み立つ。
イゴールは先般の女優に続き、彼女の体をベースにして蝋人形を作ろうとしていた!
抵抗する彼女の手がイゴールの顔面を叩くと、蝋のマスクが割れ、12年前にロンドンで大やけどを負った姿が現れる・・・。
そこへ女流記者に導かれた警官隊が駆け付ける・・・。

フェイ・レイに迫る車椅子のイゴール

冒頭のプロローグで早くも炎に包まれ溶けてゆく蝋人形の描写が見られる。
ニューヨークに場所を移しては、ミステリアスでマニアックな老先生が、美女に迫る猟奇性が展開!
地下室に展開する蝋人形制作の大規模なラボの釜には常に沸き立った蝋が満たされている!
鬼気迫る美女の絶叫!

併せて新聞記者の生態のスピーデイさ、身分の危うさ、ハラスメント三昧、特ダネ探し、などが、女流記者と編集長の間のマシンガントークで繰り返し描写される。
映画は、新聞記者の実態を、コミカルさにかまけて描くことに力を入れている。

炎に包まれるアントワネット像

絶叫要員のフェイ・レイは初代「キングコング」でコングの恋人役に抜擢されたあの女優さん。
よく見れば整った美人で、本作では生きたまま蝋人形にされる寸前の役で絶叫。

絶叫のフェイ・レイ。「キングコング」より

監督のマイケル・カーテイスは、オーストリア=ハンガリー帝国ブダペスト出身のユダヤ人。
同じくユダヤ人のタイクーン、ジャック・ワーナーに誘われて1927年にハリウッドに渡り、以降中堅職人監督として定着。
「カサブランカ」(43年)が有名だが、監督としての守備範囲はエロール・フリンの剣劇ものなどの手堅い娯楽作。
本作では33年乍らカラー作品を任されるなど、タイクーンからの信頼の厚さがうかがえる。



「肉の蝋人形」(HOUSE OF WAX)  1953年  アンドレ・ド・トス監督  ワーナー

今回見たDVDは、A面が53年版の、B面が33年版の「肉の蝋人形」で、A面には特典映像として、オリジナル予告編とニュース映画が収められている。

このオリジナル予告編が凄い。
文字が飛び出てくるだけの(映像なし)予告編は、繰り返し”スリー・デイメンション”とアピールされるという、センセーショナルなもの?
53年版は3D映像で劇場公開された作品なのだ。
また公開時の劇場前の模様を収めたニュース映画では、詰めかけたスター達(ロナルド・レーガンやシェリー・ウインタース)の姿が見られる。

3D作品はカラーセロファンが貼られたメガネをかけて見ると、映像が飛び出すというもの。
本作では、蝋人形が燃えて首が落ちる場面や、蝋人形にされた死体がこちらに向かって倒れ掛かる場面などがスクリーンから飛び出たのであろう。
あるいは夜のニューヨークの街角をさ迷う怪人の姿が、立体的に浮かび上がったのかもしれない。

筋立ては33年版を踏襲。
蝋人形の炎上場面のショック、死体置き場などで暗躍する怪人(蝋人形師)のスリラー、死体が紛失した美女が蝋人形となった恐怖、蝋人形師の地下のラボ(蝋が煮えたぎった風呂釜のような装置)のマッドぶり、などなど映画の見せ場も前作と同様。
マリー・アントワネットの蝋人形に擬すべく、蝋人形師がほれ込んだ美女の危機一髪が最大の山場であることも共通している。
死体置き場で死体が起き上がるなど、細かなシーンを前作から頂いていることが多い。

復讐の鬼となる蝋人形師にビンセント・プライス、その弟子にチャールズ・ブチンスキー(のちのブロンソン)、蝋人形にされかかった美女にフィリス・カーク。
若き日のブロンソンは不気味な聾唖者の役で出演時間も多く活躍している。

監督のド・トスはハンガリー生まれ。
33年版のマイケル・カーテイス同様、ヨーロッパでキヤリアをスタートさせた後のハリウッド入り。
フィルモグラフィを見ると本作「肉の蝋人形」が最も有名な作品のようだ。
ハリウッドに見込まれ、”仕事”に徹した職人中の職人監督だと思われる。
本作は3D映画ということもあり、予算を賭けたA級作品として製作されており、夜のニューヨークの街角の大掛かりなセットや、街を駆け巡る当時の消防馬車の再現などに監督の手腕が見られたものと思いたい。



(もう1本!)「妖婆 死棺の呪い」 1967年 コンスタンチン・エルシュフ、ゲオルギー・クロバチョフ ソビエト

「肉の蝋人形」とはコンセプト的にも関係はないが、ホラー共通ということでソビエト初のホラー映画を見た。

ゴーゴリの短編が原作、総監督にソ連初のカラー作品でカンヌ映画祭色彩賞受賞の「石の花」(46年)を監督したアレクサンドル・プトゥシコが付いた。

舞台は19世紀のウクライナ。
キエフの神学校の哲学生ホマーが体験する怪異譚をソビエト映画独特の悠久のムードで描いたもの。
怪異譚ではあるが全編を貫くのはウクライナの大地が醸し出す、その大陸的なおおらかさ。
ウクライナそのものが主人公のフォークロアともいえる作品。

神学校の学生たちの若さ溢れる逸脱ぶりが描かれる。
校長ら聖職者の型にはまった硬直ぶりも。
大地に根を生やす百姓はもっとどうしょうもなく、普段はただただ飲んだくれている。

村の中庭には、牛や馬や豚やガチョウが歩き回り、家の近くの大木にはコウノトリが巣を作っている。
中世の西洋絵画のような風景。
これが19世紀のウクライナの農村風景なのだろう。

神学校の夏季休暇で帰省途中のホマー等は道に迷い、村の一軒に宿を求める。
納屋で寝ようとするホマーに家の老婆が迫る!
老婆はホマーの背にまたがり空を飛ぶ。
地上に降りた老婆をさんざん殴打するホマー、ダメージを食らった老婆はうら若い美女に姿を変える。

神学校に戻ったホマーは、遠くの村に呼ばれる、村の有力者の娘の臨終の立ち合いをしてほしいと。
村に着くと娘は死んでいる。
父親は三日三晩、娘に祈祷することを命じ、夜になると教会に娘の棺とともに閉じ込める。
ホマーと娘の運命やいかに、そして娘の正体は?

若き魔女が血の涙を流す。演ずるはナターリヤ・ヴァルレイ

ホマーにまたがって空を飛ぶ老婆。
棺の中で魔女となって蘇る娘と、チョークで丸く結界を描いて身を守るホマー。
その攻防が教会で毎晩繰り広げられる。
三日目になると魔女の攻撃はさらに増し、棺ごと飛びまわって結界に体当たりする・・・。

いわゆるホラー映画のショッキングなシーンと異なり、これらの幻想シーンのなんとほのぼのとしていることよ。昔々の魔女と聖職者の対決のおとぎ話のテイストさえ漂う。

悠々迫らざるウクライナの大地から現れれる魔女や怪物のホラー度は、切羽詰まった近代的文明社会におけるそれらとは、切迫度、強迫観念度に於いて全然違う。
歴史と宗教に彩られた中世社会の安心感と、それらが失われた現代社会の不安感の違いとでもいうのか。

突拍子もないフォークロアでありながら、不安感のない作品。
ソ連、ロシアの映画史にあっても異色の作品なのだろう。

DVDに封印されていた解説書

DVD名画劇場 追悼・イタリアの名花 クラウデイア・カルデイナーレ

クラウデイア・カルデイナーレ

1938年、チェニジア生まれ。
両親はギリシャ出身のイタリア人だという。

地元の美人コンテストを経て映画界入り。
美人コンテスト出身のイタリア女優には、シルバーナ・マンガーノ、ルチア・ボゼー、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダなどそうそうたるメンバーがいる。

「山猫」(1963年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督)では貴族の令嬢役

58年に映画デヴュー。
60年代に入ってからは、「鞄を持った女」(61年 ヴァレリオ・ズルニーニ監督)、「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)などの主演作品で人気を博し、63年には「山猫」、「8・1/2」とヴェスコンテイ、フェリーニの両巨匠作品に抜擢されて大女優への道を歩んだ。
「ピンクの豹」(63年 ブレイク・エドワーズ監督)以来ハリウッドにも進出した。

「山猫」はフェリーニの「8・1/2」と掛け持ちでの出演だったという。アラン・ドロンと。

筆者が見たカルデイナーレ出演作品は「若者のすべて」(60年 ルキノ・ヴイスコンテイ監督)、「大盗賊」(61年 フィリップ・ド・ブロカ監督)、「熊座の淡き星影」(65年 ヴィスコンテイ監督)、「ラ・スクムーン」(72年 ジョゼ・ジョヴァンニ監督)、「フィツカラルド」(82年 ヴェルナー・ヘルツォーク監督)と少ない。

が、カルデイナーレというイタリア人女優の、若い時の初々しく、土臭く、気が強そうな表情と、庶民的で人懐っこい笑顔は強く印象に残っている。

「リオの男」「カトマンズの男」などの名コンビ、ド・ブロカ監督とベルモンドが再び組んだフランス製時代劇「大盗賊」では、ベルモンド扮する義賊を助け、彼に殉ずる活発で心優しいヒロインを演じていた。
こういう女性が身近にいたら男としては身を捨てて張り切るだろうし、この上なく勇気づけられるだろうと思わせるヒロイン像だった。

姉弟間の狂おしい愛情を基調とする、舞台劇のような「熊座の淡き星影」は、場面も少なく、ひたすら暗い画面でセリフのやり取りが続いていたが、一方で、カルデイナーレの頼もしい肉感性がもう一つのテーマであった。

70年代以降の作品では、札幌狸小路の1本立て洋画二番館・ニコー劇場で見た「ラ・スクムーン」がある。
フランスの人間国宝・ベルモンド主演の一ひねりしたギャング映画だったが、カルデイナーレが出てくると圧倒的な色気と貫禄が画面を制していた
洋画雑誌のグラビアで彼女のピンナップや過去の代表作のスチールに接するしかなかった世代の筆者にとって、年を経たとはいえ、その女優さんとリアルタイムのスクリーンで対面したことの歓びを感じた記憶がある。

「映画の友」1964年12月号の巻頭グラビアより。ハリウッド作品「プロフェッショナル」(66年)の撮影後
「キネマ旬報」1966年10月号増刊の表紙より。「大盗賊」(61年)撮影当時のもの

彼女の追悼として手許にあるDVD2作品を見た。

「暗殺指令」  1960年  エンツイオ・プロヴェンツアーレ監督  イタリア

イタリアのLUX FILMという製作会社の製作・配給、プロデユーサーはのちにカルデイナーレと結婚するフランコ・クリスタルデイ。
カルデイナーレがスターダムに登る前の初期作品で、その初々しくぎこちない演技の、後の大女優の若きを姿を見ることができる。

監督は、社会派フランチェスコ・ロージ作品の脚本メンバーだというが、監督作品はこの1本だけらしい。
シチリアを舞台にし、マフィアに実権を握られたかの地の後進性を、それに反抗した挙句葬られてゆく若い恋人たちを通して描くこの作品。
シチリアを舞台に、戦後イタリア社会の貧困を描くことの多かった、イタリアンネオレアリスモ及びその流れをくむ作品群と共通するところが多い。

「映画の友」1961年4月号に掲載の本作広告より。上半分は「ローマで夜だった」の広告の一部

舞台はシチリア島の寒村。
主人公は兵役から帰った失業若者。
設定は撮影当時の1960年のようだから、大戦時の帰還兵が役柄だった「オリーブの下に平和はない」や「にがい米」のラフ・バローネのように汗じみた着た切りスズメ、髭ボーボーの風体ではない。
本作の帰還兵アントニオ(レナード・カステラーニ)は、やや現代風にこざっぱりしている。
のちに出てくるシチリア島最大の町パレルモは若者がおしゃれして闊歩するほどに賑わっている復興の時代。
同じく敗戦国の日本が、1961年の厚生白書で『もはや戦後ではない』と晴れやかに?宣言し、復興と高度成長期の活気を見せていたかのように。

一方、シチリア島の深部、塩田を主産業とする海辺の寒村の領主はいまだに伯爵一家。
妻を自殺で失った訳ありありの伯爵一家の妹娘グラツイア(クラウデイア・カルデイナーレ)が心を閉じて暮らしている。
グラツイアは、後にアントニオとともに因習まみれる故郷を脱出し、つかの間の青春を謳歌しながらも悲恋の定めに沈んでゆくヒロインとなる。

妹グラツイアの日記を読んで嫉妬する姉

封建的な父親の侯爵、過去を引きずり自由を目指す妹に冷たく復讐する姉。
閉ざされた家庭から自由を求めて船出するグラツイア。
一方、父の代からのしがらみでマフィアの暗殺命令を拒めず、塩田の村で侯爵の暗殺を試みるが果たせず、その後はマフィアの追跡から逃れて、パレルモからイタリア本土へと流れるアントニオ。
二人が脱出の小舟の上で邂逅する。

若い二人の逃避行。
ローカル列車の座席でまどろむグラツイア。
トランクを下げバス停から駅へとシチリアの田舎の草原をさ迷う。
パレルモの駅で心細そうなグラツイアと、その日の本土行きの船をあきらめて彼女のトランクをもって同行するアントニオ。

貧しい庶民出身の、しかし心に太陽のような情熱を秘め、愛する男に尽くすイタリアの若い女の純情、が当たり役となってゆく頃のクラウデイア・カルデイナーレの、初々しい姿が絶品だ。
やはり彼女は貴族より庶民が似合う。

パレルモについた二人のつかの間の幸せ

二人のパレルモの町でのデートシーンが好ましくて涙が出る。
しかしこの喜びも長くは続かない。
追跡するマフィアと逃げるアントニオ、取り残されるグラツイアのすれ違いが、もどかしくも巧みな脚本で描かれる。

アントニオは有力者の名付け親に助けを求めるが取り合ってもらえない。
かえってマフィアに通告される。
グラツイアは貴族の従弟と、その使用人からマフィアに向けての情報が筒抜けだ。
マフィアはシチリアの村民を制圧しているだけっではなく、有力者や支配階級とも持ちつ持たれつの利権関係を結んでいるのだった。

アントニオはホテルの部屋で偽りの告白をして彼女にもとを去る

単にマフィアの支配と田舎の封建性だけを描くのではなく、マフィアと切っては切れない支配階級の腐敗も盛り込んで、シチリアのイタリアの問題に切り込んだ作品。

何よりもクラウデイア・カルデイナーレの初期の出演作として、後の彼女の役柄となった、純情で、貧しくも、しっかりした、太陽のようなヒロイン像の原型がここに見られた。

「ブーベの恋人」  1963年  ルイジ・コメンチーニ監督  イタリア

LUX FILM製作、プロデユーサーはフランコ・クリスタルデイと「暗殺指令」と同じ布陣。
クレジットのトップにパラマウントのロゴが出てくるのは、世界配給を同社が行うのだろう。
資本も入っていると思われる、キャスト等の意向も。
ジョージ・チャキリスの起用はパラマウントによるものだと思われる。
出来上がりはシッカリとイタリア映画だった。

カルデイナーレとチャキリス

1944年、アメリカ軍が進駐してくる。
大歓迎する村の娘たち。カルデイナーレ扮するマーラもその一人。
父はパルチザンのシンパ。
兄の死を伝えに来たパルチザンの同志ブーベ(チャキリス)。
マーラはブーベを一目見て恋に落ちる。

アメリカ軍がイタリア本土に上陸したとはいえ、国内はドイツ軍が支援するファシスト派と抵抗するパルチザンが内戦状態のイタリア。
教会はドイツ・ファシストに組みし、パルチザンは国内の警察組織にも追われている。
分裂状態の民衆は、ある時はファシストに組した司祭をリンチ寸前にまで追いつめるし、また息子をゲリラ戦で亡くした母親はパルチザンに拒否感を示す。
ドイツや日本と違い、戦争中でも国内が一致団結せず、対抗勢力同士が武力で衝突するイタリア。
民衆レベルでもそれぞれが四分五裂しており、映画はその現実をさりげなく描き込む。

二人は村のカフェでデートする

マーラが待ちくたびれた頃、ブーベが村にやってくる。
ブーベのズボンのほつれを縫うマーラ。
パラシュートの生地を持ってくるブーベ。
マーラはその上等な絹の生地でワンピースを縫う。
戦時中の貧しい恋人たちの逢瀬。
実年齢25歳になるカルデイナーレにマーラの役がよく似合う。

飲み屋で憲兵親子とけんかになり、仲間が射殺された後、憲兵親子を殺害し、追われるブーベ。
パルチザン組織に匿われ、マーラとの逃避生活を過ごす。
突然、別の場所に移動が決まり、車で去ってゆくブーベに追いすがり、かろうじて別れのキスをするマーラ。

ここら辺の不安定だが、初々しくもみずみずしい二人の関係と、突然の分かれのドラマチックな演出は、コメンチーニ監督はうまい。
社会派そのものではなく、社会的良心を背景にした作風の職人監督、としての面目躍如だ。
パラマウントが出資し、口を出してくる、いわば合作映画をこれだけまとめ上げるのだから上出来だ。

カフェでの二人。行き違いの気配が

別れた後の二人は、留置所でのブーベとの面会、裁判での証言で顔を合わせるだけの年月が過ぎてゆく。
この間、町で働き、まじめな男・ステファノのアプローチに対し受け入れ寸前まで行く。
マーラとて生身の女なのだ。
その時の正直な気持ちは新しい愛情を受けれることなのだ。

公開当時のパンフレット

こういった気持ちの動きをしつこく、重厚に描くのがイタリア映画流。
「ひまわり」(70年 ヴィトリオ・デ・シーカ監督)でのソフィア・ローレン演じる主人公もそうだった。

よろめくマーラ。
裁判でも気の利いた証言はできない。

懲役14年の判決があった7年後、駅には27歳になったマーラの姿があった。
ステファノが偶然見かける。
マーラはブーベのもとに月2回、列車に乗って面会に行くのだった。
『7年後は34歳、まだ子供も産める。これまでの7年間はあっという間だった』と、ステファノに告げながら。

これこそイタリアの女性。
軽そうに見えながら(イタリアの男はそうだろうが)、信じるものには一直線、容易には見放さない、土着的で目端は効かないが。

すでに映画にも慣れ、自らの主演を楽しそうに、自由に演じるカルデイナーレの姿が見られる。
チャキリスは演技ができないので役不足だが、戦時中の青年の貧しさは出せたと思う。

戦争中のイタリア社会、庶民の断絶とぬぐいきれない傷跡を背景に、当時の若者たちの一途な恋の変遷を描いた作品。
基調にはどっかりとイタリア女性の逞しさが横たわっている。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第3集) ”サイコパス”ロバート・ミッチャム

ロバート・ミッチャム

この俳優は1940年代以降のハリウッド映画のタフガイとして活躍した。
「天使の顔」(1952年 オットー・プレミンジャー監督)では救急隊員役として、ヒロインであるジーン・シモンズの相手役だった。

50年代に入って、役柄を広げたのか、適役を演じることのなったのか、「狩人の夜」(1955年)と「恐怖の岬」(1961年)の2本の映画に出演した。
どちらもタフガイというヒーローではなく、敵役である。
これらの作品でミッチャムは、定型の悪役ではなく、怪演技ともいうべきサイコパスぶりを披露し、彼本来の資質を開花させるとともに、映画史に残る悪役のひとつの型を作った。

ロバート・ミッチャム

「狩人の夜」   1955年  チャールズ・ロートン監督   ユナイト

映画史に残るカルト作品。
この作品の功績は、原作を発掘し、製作にこぎつけた製作者のポール・グレゴリーと監督のチャールズ・ロートンに第一義的には譲るものの、独特の世界観を作品にもたらした撮影のスタンリー・コルテスとともに、配役のロバート・ミッチャムのサイコパスな演技に負うところが多い。

オリジナルポスターにはミッチャムにすがるネグリジェ姿のシェリー・ウインタースが

大恐慌下の30年代のウエストバージニア州の田舎町。
銀行強盗の末に息子に1万ドルの隠し場所を託して刑死した父親(若き日の「スパイ大作戦」、ピーター・グレイブス)。
獄中でこの話を知り、牧師に身を偽って残された家族に接近するパウエル(ロバート・ミッチャム)。
未亡人(薄幸の女性役が似合っていた頃のシェリー・ウインタース)と偽りの結婚をし、幼い兄妹から金の隠し場所を聞き出そうとする。

物を盗んだり、人を殺すことを何とも思わないパウエルは、ストリップ小屋での観劇中に自動車盗難で警察に捕まる境遇がよく似合う。
左手の指の甲にHATE、右手にLOVEと入れ墨をしており、これだけでも十分サイコ野郎なのに、その手を絡ませて善悪の戦いと善の勝利を田舎の善民に説き喝采を受けるその牧師姿は、単なる悪の具現化を超越した怪物性を際立たせる。
これ以上ない悪であり、俗物であり、サイコパスなのだ。
ロバート・ミッチャムの個性とパウエルの怪物性が融合し、この先の悪夢をもたらす。

カルト映画史に燦然と輝くサイコヒーロー、パウエル

パウエルの正体を見破り殺された未亡人(ご丁寧に、湖底に自動車とともに沈んだシェリー・ウインタースを映画は美しいもののように丁寧に描写する)。
いろいよ金のありかを巡って虐待を繰り返すパウエルから逃れ、母を殺された兄妹は小舟に乗って川を下る。
兄の方は最初からパウエルを信用していない。
農夫を殺し馬を奪ったパウエルは、彼のテーマソングである讃美歌を歌いながら、兄妹を追跡する。

作品に、寓話性と十分な悪夢をもたらすカメラが川を行く兄妹を捉える。
プラネタリウムのように不自然に光る夜の星と三日月。
明らかに太めのひもで作ったクモの巣。
不自然にカメラの前に置かれたカエル、ウサギの背景に兄妹の船が流れる。

川に沿った土手を白馬にまたがってゆくパウエルはシルエットで捉えられる。
この悪夢に彩られた童話のワンシーンのようなカットが作品の一つのハイライトでもある。

そういえばこの男、獄中での登場シーンは二段ベッドからさかさまに現れたし、兄弟の家へ現れる際はシルエットでの登場だった。
ショック効果というよりは、この男の異常性を表現してのものであろう。

疲れ果てた兄妹がたどりついたのは、孤児3人を育てる老婦人(リリアン・ギッシュ)のもと。
農場の生産物を孤児とともに売って自立する老婦人。
この御仁もキリスト教信者。
孤児たちに愛を注ぐが、家を出て帰らない実の息子には未練を持っている、生身の人間でもある。
彼女は現れたパウエルの偽牧師ぶりを見破り、その異常性に対しては銃をもって対抗する。

パウエルの襲来に毅然と銃を構えるリリアン・ギッシュの雄姿

孤児のうち最年長の娘がパウエルに雑誌とアイスで誘惑される。
これを知った老婦人は娘をかき抱き悪人に誘惑される愚を説く。

このシーンのリリアン・ギッシュの存在感に圧倒される。
これがサイレント時代にグリフィス作品でヒロインを務めてきた大女優の力量なのか。
テクニカルな面の目立つこの作品のカメラも、固定したフルサイズの長回しでギッシュの演技に敬意をしめす。
作品のテーマの一つでもある、ロバート・ミッチャムとの「善悪対決」でも勝負前から決着がついたかのようだ。

ギッシュはパウエルに利用された年長の娘を諄々と諭す

一度追い返されたパウエル(もうロバート・ミッチャムそのものといったほうがいいか)が夜になって再びやって来る。
例によって讃美歌を口ずさみながら。
それを聞いた老婦人も思わずその一節を口ずさむ、寝ずの番で銃を携えながら。
善悪の共通点はキリスト教にあるということか。

悪は一瞬にして駆逐され、みじめにパトカーに押し込まれる。
映画はあれだけ偽牧師を絶賛した田舎の善民たちが一転して、彼を吊るせと押し寄せるさまを捉える。
老婦人の年長の孤児が最後まで、自分を女としてかまってくれたパウエルを、いい人だったとつぶやく様も。

圧倒的な善であるリリアン・ギッシュが、小物のサイコパス、ロバート・ミッチャムを一瞬で叩き潰した、というのが映画のテーマの一つ。
もう一つのテーマは、善も悪も表裏一体、生身の人間同士だということ。
生身の大衆はまた、即物的だし、簡単に騙されて反省もしないということ。

俳優として名高い監督のチャールズ・ロートン。
この作品が公開時にはヒットせず、理解されるまで20年以上かかったこともあり、監督作品はこの1作だけだった。

実はロリコンだったというチャールズ・ロートンと、ねっとりとしたカメラのスタンリー・コルテス、麻薬で逮捕歴のあるロバート・ミッチャム。
3人のサイコ野郎の本質に近いものが集結した極め付きのカルト作品だった。

「恐怖の岬」  1962年  J・リー・トンプソン監督  ユニバーサル

ロバート・ミッチャムという俳優、タフガイの役でも、どうしょうもないクズの役でも、たたずまいが変わらない。
それがいいのかどうかはわからないが、役柄を問わず、”そこにいるのはもれなくロバート・ミッチャム”という存在なのだ。

この作品は60年代の入ってからのもので、暴力描写や性的(なものをうかがわせる)描写がより直截的なものになっており、ミッチャムのサイコな凶悪ぶりもより激しく表現されている。
思わせぶりな神秘性は全くなく、わかりやすいサスペンスに徹した画面作り。
そこには、”現実”の救いのなさのみが醸し出される。

自分の婦女暴行事件の証人となった弁護士のサム(グレゴリー・ペック)を8年間の入獄中、逆恨みして、出獄後にサム一家にストーキングし、自らのサデイズム趣向に基づいた復讐を図るケイデイ(ロバート・ミッチャム)。
サム一家の住む町に現れ、サムが弁護士として働いている裁判所に歩を進めるミッチャムの”崩れた”風体は、いつものロバート・ミッチャムの”ヨタッた”姿そのもの。
それが演技なのか地なのか?

家族でボーリングに興じるサム一家に近づくケイデイ。手前が娘のナンシー

60年代に入ったアメリカの町は一見すると繁栄に彩られており、サム一家の邸宅は広大な庭に囲まれ、黒人メイドを使っている。
しかし、映画は、来るべき70年代の挫折と断絶を予見させるがごとく、サム一家の暗い危うさを見逃がさない。

一人娘のナンシーのショートパンツ姿は、「ロリータ」(62年 スタンリー・キューブリック監督)のスー・リオンを思い出させる。
母親は、ナンシーの下校を車で迎えに来ているにもかかわらず、着飾って買い物に興じ、車から離れて娘を危機に陥らせるし、最終局面のケープ・フィアーでのハウスボート上でケイデイに迫られ、恐怖とも歓びともつかぬうめき声をあげる。
二人とも隙だらけで、来るべき時代の危機に無警戒なのだ。

ケープ・フィアーのハウスボートでサムの妻に迫るケイデイ

町の酒場には夜の女がいて、その女は生まれ故郷から流れてきた女で、ケイデイの誘いに応え自室に招いた挙句、彼のサデイズムの洗礼を受けて恐怖のあまり、あわてて町から長距離バスで去る。
警察からの捜査協力依頼を拒否して。
このエピソードはケイデイの常軌を逸した変態ぶりを描くとともに、60年代にはアメリカ社会の底辺に一般的だった、”町々を流れ歩く売春婦”の存在を描いてもいる。
「裸のキッス」(64年 サミュエル・フラー監督)は、”カツラを自ら吹き飛ばし、スキンヘッドとなった女が客の男を殴り倒す”、という冒頭シーンが有名だが、その女は洋酒のセールスウーマンを装った売春婦が町に流れてきたという設定だった。

60年代にはアメリカの病巣がかなりの部分で出そろっていたということだ。
そうした60年代のアメリカ社会の腐敗の萌芽とそれが招く暗さ、人々の危うさがこの作品の基調でもあった。

当時の近未来に対する予想もできない恐怖を象徴的に表したのがケイデイというキャラクター。
恐怖や悪に対抗する価値観としての宗教性はすでにない。
悪に対するのは法律だけ。
正義を担保するべき警察力も法律に縛られていて、悪を超絶的に発揮するサイコパスに対しては無力だ。
サイコパスに対する常識・理屈の無力を描いたという点では時代を先取りした作品だ。
サイコパスに対する一般人の無防備、トンチンカンぶりを徹底して描いた点も先進的だ。

パナマ帽と葉巻がケイデイのトレードマーク

法律や合法的手段ではケイテイに対抗できないと悟った後のサムがいい。
それまで、どこか他人事のように構えていたサムが、”極悪非道なクラントン一味と実力で雌雄を決しようとするワイアット・アープ”のように覚悟を決める。
実力(暴力)で決着をつけることを決めた後のグレゴリー・ペックは、最低限の支援を警察に求め、家族の協力のもと一人でケイデイに挑む。
ペックが黙々と独力で実力を行使する役は、「日曜日には鼠を殺せ」(64年 フレッド・ジンネマン監督)での、”自らの信念に基づきスペイン内戦後の祖国に戻るため、一人ピレネー山脈を越える元戦士”の役を思い出させる。

最後の最後で実力行使に出るサム

ロバート・ミッチャムの演技は、「狩人の夜」よりもさらに深化し、60年代のアメリカ社会の病巣を先取りするサイコパスぶりを発揮。
そのキャラクターは、凶暴性、変態性に加え、法律にも強い理屈が加わっての最強ぶりだった。
ペックとの最終決戦の場・ケープフィアーに現れ、ペックの妻が残るハウスボートのドアを開けて姿を現す場面は、”キング・オブ・クズ野郎”の最終降臨シーンとして映画史に残りそうな出来栄えだった。

ペックと親友の警察署長にマーチン・バルサム。
私立探偵にテリー・サバラス。
60年代アメリカ中流家庭夫人の虚飾と小市民性と隠れた背徳を演じて印象的だったのはポリー・バーゲン。

本当の”サイコパス”は60年代のアメリカ社会そのものだったのかもしれない。

上田トゥラム・ライゼで「黒川の女たち」をみる

「黒川の女たち」を見に、上田映劇の姉妹館トゥラム・ライゼに出かけた。
数少ない国内現存木造映画館の上田映劇と同一NPO法人が運営するトラム・ライゼも、もとはといえば上田市内の古い映画館。
コンクリート打ちっぱなしの建物は1998年都市景観賞に選ばれている。

上田高校出身で日大芸術学部大学院卒で卒論は「ジョン・カサベデス」の若い支配人は、上田映劇の観客が各回数人の時期過ごしながら、トゥラム・ライゼにまでテリトリーを増やし、どうなるかと思ったが続いている。

久しぶりに訪れた同館には、若く輝くような笑顔の女性ボランテイアスタッフが観客を迎え、元気に継続していた。
次回上映の韓流作品には何と地元の女子高校生らが詰め掛ける盛況ぶりだった!

この日朝一回目の「黒川の女たち」にも大人の客約10名が来場した。
上映後は館前で支配人らと記念撮影する遠来の客もいた。

「黒川の女たち」  2025年  松原文枝監督  テレビ朝日

劇中何度も出てくる満州時代の集合写真がある。
7名の若い女性、岐阜県白川村黒川地区からの開拓団の当時の独身女性らの記念写真である。
後列右端がこの映画の主人公ともいうべき女性。
1925年生まれで、20歳の年に開拓団が満州引揚の際に、団の安全と引き換えにソ連軍の接待要員とされた女性の一人である。

この集合写真は平時に撮られたものだと思われる。
平時とはいえ、満民の農家を接収しただけのあばら家で厳しい冬を過ごし、あまつさえ国家は戦時体制で、ソ連との国境を控えるという立地に緊張の糸は緩むことがなかっただろう。
彼女らの表情からもうかがえる。
同時に、若き独身女性ながらも「大人」としての自覚と責任感も。
当時は20歳前後といえば立派な一人前。
女性であれば主婦に代わっての家事労働全般のほか農作業はこなせたし、こなす自覚はあったろう。

満州開拓団の移住は国策として、太平洋戦争半ばの1943年になっても続けられた。
国内では、次男三男、貧乏な家庭は移住せよ、とされた。
一方、極東のソ連軍は日本の満州移民団の場所、人数などを正確に把握し、その目的の一つにしても対ソ連の防御のため、と正確に把握していた。

やがて敗戦。
黒川開拓団は関東軍に見捨てられ、自力で避難の途中、侵攻していたソ連軍に保護を求める。
その目的は原住民である満人からの略奪・報復からの保護であった。
隣の開拓団は集団自決をしていた。
黒川開拓団の団長は、命は軽くない、と自決を避け、全員の帰国を模索した。
ソ連軍は保護の代わりに女性による接待を求めた。
団長は既婚者をのぞく18歳以上の独身女性に犠牲を求めた。
団長からの申し出に、団が無事になるならと娘らは応じた。

映画では、団の犠牲となり接待に応じた4人の女性を登場させる。
本人らは当然了承の上だ。
最初は顔出しを拒否するも映画の後半となって、孫らとの楽しいひと時を全身で表す女性がいる。
映画の途中で亡くなるが、2010年代になって長野県阿智村の満蒙開拓記念館の講演で、自らの体験を話し、初めて公に歴史の闇を自ら語った女性がいる。
もう一人は施設に入っているがこうした動きに共感を寄せる。

映画の主人公ともいえる女性は、満蒙記念館での講演にも臨席し、かつてはテレビの別の取材時に引揚時の話題の報道を働きかけたことがある。
引揚後には実の弟から、満州帰りの女は汚れていて嫁の貰い手がないといわれ、故郷を離れて同じ引揚者の男性と結婚、岐阜県内の開拓地で酪農をした。
「外地で生きるか死ぬかの経験をした。日本で生活をして苦労と思ったことがない」と女性は語る。
引揚者同士で集まった時だけ泣く。

引揚の時より、帰ってきてからの方がつらい。
引揚の時、男の人がもう少ししっかりしてくれれば。と語る人も。
生涯結婚せず亡くなった人もいた。

黒川開拓団は、当時の団長はなくなったが、息子が二代目となって活動していた。
回顧文集に接待の記録を書いた女性はその部分だけ削除されて掲載された。
接待の事実が、公にできない時代が70年続いた。

当事者の女性たちのほかに、当時子供だったが女性らと家族同様に接してきた次世代の女性がいて、彼女らを何くれと支援してきた。
彼女らと現在もつながり続ける現団長がいた。
悲しみや、憤怒の時を過ぎ、この事実をないことにしたままではいけないと思い続ける当事者らがいた。

2010年代になって、現団長は正式に当事者女性らに開拓団としての判断を謝罪し、亡くなった諸霊らにわびた。
当事者らを弔う「乙女の碑」に経緯を解説する碑文を隣接した。
満蒙記念館での当事者女性らの歴史的講演があったこともきっかけにした現団長の判断だった。

老齢になった当事者4人の表情には、涙もなく、恨みもない。
清々しいというべきか、命題を乗り越えたものだけが持つ高みに立った表情というか。
真の強さを持つものの表情というか。

映画は、当事者たちの表情を淡々とというか、あまり整理されないままとにかく生の声と表情を記録してゆく姿勢だった。
感情を誘導するような盛り上げは一切行わないし、既存の価値観や歴史感への誘導もしない。
圧倒的に歴史証人としての彼女らの存在感が重いのだ。
カメラは彼女らの日常的付き合いや楽しみに同席しては喜んでおり、撮る側ではなく彼女らが主体であることを鮮明に示す。
製作者のこの姿勢があったからこそ彼女らから歴史的事実を引き出せたのであろう。

当事者の中心メンバーで映画の主人公的存在の女性は1925年生まれで、昭和の年と自らの満年齢が同じというバリバリの戦中派。
戦地で生死の境をさ迷ったり、空襲下を逃げまどったり、若い身空で耐乏生活に耐えたり、空腹の日常下で学徒動員されたり、の世代である。
彼女らはその中でも特別苦労した引揚者のなかの、さらに70年間、周りにとっても日本の歴史的にも触れることができなかった事件の経験者で、自らそのことを「なかったことにはできない」と闘わざるを得ない運命に選択された人。
すべてを超越した神々しい表情で自らの使命に従うその生きざまは、戦中派ら昔の世代らしいし、何より日本人らしい。

彼女らの存在を知って、孫のように付きまといながら、記録を紡いでいった女性監督の姿勢がうれしかった。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第2集) 吸血鬼三代

「吸血鬼」  1932年  カール・ドライヤー監督  フランス=ドイツ

カール・ドライヤーは、1889年デンマーク生まれの世界的監督。
その代表作「裁かるるジャンヌ」(28年)は英国の映画専門誌・サイトアンドサウンドが10年ごと選出している映画史上ベストテンに、1952年以来たびたび選出されている。

本作「吸血鬼」は「裁かるるジャンヌ」の次回作としてフランスで撮影された。
トーキーだがセリフは少なく、字幕で説明が入るなど、技術的、作風的に特色ある(過渡期の?)作品。
「裁かるるジャンヌ」に続いての起用である撮影のルドルフ・マテは、技法、構図、陰影などの画面作りに凝りに凝った成果を見せた。

カール・ドライヤー

吸血鬼を題材にした映画としては、22年の「ノスフェラトウ」(F・W・ムルナウ監督)ほどのドラマ性、映画としての完成度はない。
また、31年のハリウッド製「魔人ドラキュラ」(トッド・ブラウニング監督)に見られ、その後の吸血鬼ものの原典となった、ドラキュラの怪物としての万能性や、ホラー映画としての見世物感、あざとい俗物性の強調は、更にない。

どちらかというと「アンダルシアの犬」(29年 ルイス・ブニュエル監督)のようなアヴァンギャルド映画、あるいは戦前のベルリンを舞台に、エドガー・G・ウルマーやビリー・ワイルダーといったユダヤ系の若い映画人が集結した「日曜日の人々」(30年) のような素人俳優を使ったセミドキュメンタリーのスタイルに似ている。
主体はドライヤーの感性であり、撮影者マテの技法であるかのような斬新さがある。

劇映画でいえば「カリガリ博士」(20年 ロベルト・ヴィーネ監督)の全編が悪夢のような不条理に満ちた作風にも似ている。

印象的な開巻の一場面。大鎌を持った農夫がいる

フランスのある村にたどりついた旅行者アラン・グレイが主人公。
いきなり、宿についたアランの後姿をフォローする移動撮影と、大鎌を担いで渡し船の出航を知らせる農夫のカットバックが見られる。
開始早々、悪夢のような、異次元の世界のような違和感に満ち満ちた映像が展開する。

宿の部屋は窓から外の光があふれるような、露出過剰の画面もある。
部屋に飾られた、臨終の風景を描いたかのような絵画をなでるように見るアラン。
「アンダルシアの犬」そのものの、つながりのない象徴的なシーンが続く。

夜、宿の部屋をノックし、老人(村の領主らしい)が入ってきて『私が死んだあと開封するべし』とした封書を置いて去るあたりからアランの悪夢の世界に入ったらしい。
どこからが悪夢で、何が現実かわからないし、映画はそもそも悪夢と現実を峻別して描いてはいない。

アランは領主の屋敷へ行って病弱な娘を見る。
彼女は吸血鬼と呼ばれる悪霊に魅入られ血を吸われたらしい。
吸血鬼を助ける存在の村の医者がアランから採血して(娘に輸血する?)ことでアランを吸血鬼の子分としてしまった(らしい)。

吸血鬼とは生前に悪行を重ね、成仏できない霊的存在であり、本作では老婆の姿?で夜に棺から出てくる。
棺を開くショットが棺内部から撮られる鋭角的なショットが斬新だ。

犠牲者の娘は邪悪な目つきをするが、『死ねたら楽なのに』と正気に戻ったようなセリフも吐く。
彼女は、村の因習にとらわれ、宿業の結果として死んでゆく犠牲者として描かれる。
吸血鬼の犠牲者が、首に歯の後をつけて狂ったように血を求め、十字架にわざとらしくひるむ、ハリウッド以降の吸血鬼の犠牲者像はここにはない。
むしろ「ノスフェラトウ」の、村民に差別され、弱々しく、光の中に消滅してゆく吸血鬼像に近い。

「ヴァンパイア」名で発売されたDVD版。淀長さんの解説付きだ

いずれにせよドライヤーの興味は吸血鬼の不死身の悪役像にあるわけではなく、またホラーにあるのではない。
怪物としての吸血鬼の不気味さと並行して、古い因習にまみれた農夫たちを、シャドーや大鎌などの小道具を使って描いていることからも、吸血鬼伝説を欧州の負の歴史の一部としてとらえている。
結局それらの描写がホラーとなっているのだが。

撮影のルドルフ・マテは、「最後の億万長者」(34年 ルネ・クレール)、「リリオム」(34年 フリツラ・ラング)らを撮影。
ハリウッドに渡り、「孔雀夫人」(36年 ウイリアム・ワイラー)、「海外特派員」(39年 アルフレッド・ヒッチコック)、「生きるべきか死ぬべきか」(42年 エルンスト・ルビッチ)などそうそうたる作品の撮影を担当。
のちに監督に転じた。

「吸血鬼ドラキュラ」  1957年  テレンス・フィッシャー監督   イギリス・ハマープロ

イギリスの製作会社ハマープロが、30年代のハリウッドでホラー映画をヒットさせたユニバーサルのドラキュラ、フランケンシュタインなどをリメークしたのは50年代のこと。
ワーナーブラザースの出資と配給で「フランケンシュタインの逆襲」を製作したのが57年。
次回作が「吸血鬼ドラキュラ」だった。

ちなみに前回の「DVD名画劇場」で紹介した「恐怖の雪男」はそれ以前に製作されたハマープロ作品で、イギリス映画らしさに溢れた佳編だったが、ハリウッドの出資はなく、また日本未公開だった。

DVDパッケージ

クレジットタイトル順では、吸血鬼を退治する医者の博士、ピーター・カッシングがトップ。
ドラキュラ役でブレークし、のちには「007」の悪役にも起用されるクリストファー・リーは4番目。

配役は地元イギリスで固められているようだが、カラーで再現されるドラキュラ城内部などのセットには予算がかけられている。
また、吸血鬼に篭絡される女優陣の生々しさや、ドラキュラの超人的な凶悪さ、吸血鬼と博士らの手に汗握る攻防などがカラーで劇的に再現されている。

クリストファー・リー扮する血だらけの吸血鬼

開始早々ドラキュラ城を訪れた司書に、吸血鬼となっている美女が迫る。
肉感的な美女が牙をむきだして司書ののどにかみつく。
ドラキュラが美女ののどにかみついたり、美女が男ののどにかみつくシーンのクローズアップは、この作品から吸血鬼映画の売り物となったのかもしれない。
ショッキングで生々しく、エロチックな吸血鬼映画の山場の一つである。

更には、棺桶で町にやってきたドラキュラが、夜な夜な篭絡しに通ってくる若い女性の恍惚の表情もいい。
ドラキュラ除けのニンニクの花や十字架を排除し、窓を開けてドラキュラを待つ女性は、吸血鬼の被害者というよりは、背徳の誘惑者の夜這いを心わななかせて待つ女性の心理そのものである。
クリストファー・リーのドラキュラは誘惑者の色気と俗物性に溢れている。

美女に迫るドラキュラ

被害者の女性たちは、一方では棺桶で横になっているときに杭で打たれて被害時の姿になって成仏し、また夫からの輸血によって回復する。
十字架には大げさに反応し、焼き鏝を当てられたように傷跡がつく。
日光にも弱い。
こういった吸血鬼の弱点をドラマチックに表現したのもこの作品からであろう。
行動力豊かなドラキュラと博士らのスリリングな攻防も、現代的だ。

最後の見せ場は、光を浴びて崩れ去ってゆくドラキュラの特撮シーン。
クリストファー・リーの大げさともいえる断末魔の表情と、手や顔が崩れて飛散してゆく特撮が素晴らしい。

吸血鬼の子分になっている美女が迫る

ドラキュラ城の立地する19世紀のトランシルバニアの村の居酒屋の主や集う人が、因習にまみれた閉鎖的な中世の中欧に見えないこと。
ドラキュラ城内部のセットが新しく、御殿のようで、30年代のユニバーサル版のクモの巣とほこりにまみれたセットと比べて、ホラー感がなかったこと、などの不満はある。

決して吸血鬼ものの原典、決定版とは思えないが、吸血鬼の特徴の再現や被害女性とのエロチックな関係の示唆などに現代的な表現を見せた作品である。
ピーター・カッシングの存在もハマーフィルムの至宝というべきものであろう。

ピーター・カッシング扮する正義の博士
DVDパッケージの裏面

「ドラキュラ’72」  1972年  アラン・ギブソン監督   イギリス・ハマープロ

ハマープロによるドラキュラシリーズ6作目。
第1作が製作された1957年から25年たっている。
主演の吸血鬼とそれに対する博士の配役は、鉄板のクリストファー・リーとピーター・カッシング。
第1作ではカッシングがトップだったクレジット順が本作では、リーがトップに来ている。

リー扮するドラキュラは第1作から衰え知らず、ますます目を充血させて鬼気迫っているが、カッシングは終盤の山場の急を急ぐシーンで息切れが目立ち、格闘シーンでは弱々しくやられっぱなで、年齢を感じさせる。
そこが本作の演出意図でもあるのだが。

1972年のロンドン。
世の中は新世代の若者が我が物顔に青春を謳歌している。
謳歌といってもたまり場で無為に過ごし、クスリと酒とフリーセックスに時間を潰しているだけ。
余りに暇なものだから、グループにいつの間にか紛れ込んだ正体不明の若者ジョニーの誘導で、黒ミサに興味本位で参加し、100年前に滅んだドラキュラの復活とヘンシング博士一族への復讐に、きっかけを与えてしまう。
そのグループにはヘンシング博士(現代の)の孫娘ジェシカ(ステアニー・ビーチャム)がいる。

70年代とドラキュラの接点をどう表現するのかというのが本作のポイントの一つだったが、無為な若者の興味本位のオカルト趣味がもたらす心理的隙間をそこに持ってきたわけだ。
カッシング扮するヘンシング博士の研究も、存在も、70年代の世相からはかけ離れており、いきなり博士とドラキュラの古式豊かな抗争劇を持ってきても現代とはつながらなかったろうから。

軽薄で空虚な現代の若者たちが、オカルトに取り込まれ、その象徴たる吸血鬼に簡単に篭絡されてゆくというストーリーは、事実は小説より奇なりではないが、悪の前に非力な現代人を象徴していて、その意味でのリアリテイーがある。

ドラキュラの超人的能力の誇張や、対するヘンシング博士の神の力を背景にした正義の表現は最低限に抑え(老境に差し掛かったカッシングに敢えて年齢を意識させた演技をさせて)、現代人の不安定な心理の危うさの恐怖を強調した作品。
ドラキュラ本人ではなく、その弟子の子孫のジョニーをメインに持ってきてその不気味さを強調し、現代とのマッチングをしてもいる。
ここには、イロモノとしてのドラキュラではなく、現代の不安というリアリテイを背景とした緊張感を持った新たなドラキュラものを目指した製作陣の姿勢がみられる。

ジェシカ役のステファニー・ビーチャムはマーロン・ブランドと共演した「妖精たちの森」(71年 マイケル・ウイナー監督)でブランド相手に体当たり演技でデヴューした女優。
存在感は十分で、演技も上手い。
新世代の若者の浮遊感には似合わなかったが、悪夢に汗だくで悶える演技や、ドラキュラの花嫁として白いドレスから見事な胸の形をのぞかせる場面などは圧巻だった。

ジョニーに誘惑され、ドラキュラに崩壊させられる若者グループの一員で「シンドバッド7回目の航海」(74年)や「007私を愛したスパイ」(77年)でスターダムに上った、無名時代のキャロライン・マンローも出ている。

ハマープロによるドラキュラシリーズは、7作目の「新ドラキュラ・悪魔の儀式」(73年)でクリストファアー・リーとピーター・カッシングの最後の共演を終え、「ドラゴンVS7人の吸血鬼」(74年)でシリーズ最終作を迎えることとなる。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第1集) 水と雪と宇宙に潜むもの

特集・妄執、異形の人々」とは

これはシネマヴェーラ渋谷というミニシアター(上映番組はまさに名画座というにふさわしい)の夏の恒例特集のタイトルから頂いたネーミングです。
シネマヴェーラでは夏になるとこのタイトルを銘打ち、石井輝男の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」や新東宝版「一寸法師」などのカルトといわれる邦画作品を上映していたのです。

カルト作品の上映が一巡し、シネマヴェーラが『妄執、異形の人々』特集を取りやめた今日、代わりにDVD名画劇場の夏の特集として、洋画版カルト作品を特集してみたのです。
第一回は、怪物が出てくる3作品の特集。

得体のしれぬ神の創造物は、水面下にも雪山にも宇宙にもいるのでした。

「大アマゾンの半魚人」  1954年  ジャック・アーノルド監督  ユニバーサル

サイレント時代には、ロン・チャニー主演で「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」など大掛かりなゴシックロマンでヒットを飛ばし、トーキーになって「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」などで、主演のベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフともども伝説を作ったユニバーサル映画が新たな怪物を創造した!

これまでの原作ものから一変、ユニバーサルが作ったのは、オリジナルストーリーによる、未知の怪物が未踏のジャングルの水面下から現れ、探検隊を襲うという、今もファンに愛される伝奇的SF映画だった。

半魚人とジュリー・アダムスその1

白人の老博士が、アマゾンの奥深く海洋生物の調査を行っていたところ、未知の生物の手の化石を発見する。
博士はブラジルの海岸部で肺魚の研究をしている教え子の科学者たち(その中には若い美女も含まれている)の応援を得て、化石生物の本格調査をすべく、現地人が近寄らないブラックラグーンと呼ばれる沼沢地へ船で乗り込む。

チェアに寝ころび、蚊帳付きのベッドで暮らす優雅な探検隊は、危険を顧みずアクアラング一丁で怪しげな沼での潜水を繰り返す。
美女(ジュリー・アダムス)は白いホットパンツ姿で男たちの潜水を見守りながら、ある時は我慢できず、白い水着姿で未知の沼に飛び込む。
水底の水草の陰では半魚人がその姿を眺めている。
たまたまその姿を目撃した男たちは、未知の生物存在の証拠を持ち帰らんと興奮する。

半魚人はテントを襲い、船によじ登っては、現地人スタッフを絞め殺したりもするが、美女が泳いでいるのを見るとシンクロして泳いだり、その足に恐る恐る触ろうとしたりと、かわいらしい仕草も見せる。
最後には、思い余って美女を抱き上げて沼に飛び込み、棲み家へ連れ込むが、白人男どもが黙っているはずもなく、水中銃とライフルで仕返しされるという結末が待っている。
手つかずの神秘が文明人によって蹂躙されることになる。

半魚人とジュリー・アダムスその2

3D映画として製作され、今に至るまでファンを持ち、その後の海洋ショッカーものや怪物ものの原典としてリスペクトされている作品。
何よりも半魚人のデザインが、映画のイメージとぴったりな点が素晴らしい。
永遠のキャラクターの誕生だ。

ジュリー・アダムスの水着姿と絶叫ぶりと半魚人のマッチアップぶりも最高。
白い水着のジュリー・アダムスを抱き上げた半魚人のスチール写真は、(少なくともSF)映画史上の名場面の一つである。

平和的な弱者でもある半魚人。
一方、半魚人を殺してでもアメリカに持って帰ろうとする探検隊のスポンサーの野望。
それに対し、科学者的良心を持つ主人公(ジュリー・アダムスの恋人役)というお馴染みの登場人物。
根本的には白人中心の価値観で、現地文化への興味や尊重に乏しいという、50年代のハリウッド映画そのもの。
それよりは、半魚人のデザイン、ジュリー・アダムスの水着姿を楽しむ作品。
半魚人の水中シーンにも力を入れている。
半魚人が泳げば泳ぐほど、人間の動きと同一であることが露わになってはいたが。

続編も3Dで製作されたとのこと。
捕獲された半魚人がアメリカに連れてゆかれ、人間として再教育されるが、うまくいかず人間を襲い、パニックが起こる、というもののようだった。

ジュリー・アダムス。「決闘一対三」(53年)より

「恐怖の雪男」  1957年   ヴァル・ゲスト監督   イギリス・ハマープロ

イギリスのハマープロダクションが、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」で全世界的にヒットする直前に製作した作品。
折からヒマラヤ初登頂や雪男の足跡の写真が世界的ニュースとなったタイミングで製作された。

出だしからハリウッド映画とは違う、ドキュメンタルで地味な緊張感。
これがイギリス映画のムードなのか。
ハリウッド映画なら、絶叫要員の若手女優に色気のある格好をさせ、大衆小説の舞台のような無国籍なセットで、『出るぞ、出るぞ』とゾクゾク感をあおるところ。

東宝の「獣人雪男」(55年 本多猪四郎監督)では、雪に閉ざされた山奥の駅で登山者がいつ来るかわからぬ列車を待つという出だしから、秘境感漂う伝奇的な映画空間が意図的に演出されていた。

本編の「恐怖の雪男」では博士(ピーター・カッシング)が植物研究で滞在するヒマラヤ奥地の僧院の日常風景から始まる。
ラマ僧たちの読経の声、奥の部屋に鎮座するラマと彼に仕えるラマ僧たち。
セリフが多いラマ以外はアジア人エキストラを使っている。

ハリウッド映画なら必要以上に強調するであろうエキゾチシズムが、ギラギラしたものではなくどこか記録映画風にも客観的表現にも感じられる。
アジア各地に植民地支配を実践してきたイギリス文化の蓄積がなせる業なのか。

紅一点の博士の妻も登場するが、博士の同僚の研究者、登山者であり、知性的ではあるがセクシーではない。
雪山の物語であるから肌も出さない。
危機的状況にも絶叫はしない。
ましてや雪男に(抱きかかえながら)拉致されることなど、金輪際ない。

ラマの僧院の中庭を歩く博士

未知の生物・雪男(劇中ではイエテイ、スノーマン、クリエイチュアと表現される)へのこの映画のアプローチは、現地ラマ僧たちが語る『見てはいけないもの、畏れの対象、いないもの』と認識の認識に準拠している。

博士は実在を調査したいと思い、植物研究と銘打って僧院に滞在し、チャンスをうかがっているところに、本国から一団がやって来る。
雪男で一儲けしようという山師のような男(フォレスト・タッカー)率いる一行で、現地人を手荒く使い、ポーターには賃金を払い伸ばし、下品に食事をする。
博士はこの一団に同行する。
雪男への尽きせぬ科学的興味のため。

山師を迎える博士と妻

良心的科学者と功名的実業者を対立的に配置するのは「大アマゾンの半魚人」同様だが、細かな描写には大きな違いがある。
現地人に対する白人の支配的な振る舞いの具体的描写には、イギリスのしたたかな歴史の滓を感じるし、延々とした高所の登山シーンでは、ヒマラヤの自然への畏敬を感じる。
「大アマゾンの半魚人」ではあまり感じられなかった、現地の自然、風土への興味、関心といったものが、「恐怖の雪男」ではチベット文化、ヒマラヤへの客観的な尊重として映画の根底をなしている。

文化的側面のみの映画ではなく、雪男の謎から醸し出されるサスペンスに満ちた作品でもある。
人間同士の葛藤、自然との対決のスリルもある。
何より強調されるのは、雪男そのものより、雪男を使っての名声、実利の妄想に突き動かされる人間達が醸し出す我執の迷宮である。

檻で雪男を捕まえようとする一行

ヒマラヤとチベット文化の最深部に位置する触れてはならぬ象徴が雪男だった。
映画終盤までその具体的描写は、テントの内部に延びる腕と咆哮だけで表現され、最後に至るまでバックライトに浮かぶ全身像と、顔半分の描写に留められる雪男の姿のみが表れるだけである。

山師が射殺した一匹を観察した博士は、それを『知性を持った優しい表情』と表現し『人間が介入すると滅びる存在』と評価する。
このセリフは、雪男の実像を、特撮の着ぐるみで描写するより効果的に表現している。

山師一団はことごとくヒマラヤの自然によって死に絶え、かろうじて生き残った博士は、身の危険を顧みず助けに来た妻たちとともに僧院に生還する。
ラマの前で『雪男はいなかった(人間が介入してよい存在ではない)』と報告する博士のセリフがこの作品の結論だ。

ヒマラヤという大自然が支配した、人知が及ばない世界がここに広がっていると同時に、その更に未知の最深部の象徴である雪男は、ましてや部外の人間にとっては、触れてはならぬものなのだった。


「禁断の惑星」  1956年  フレッド・マクラウド・ウイルコックス監督   MGM

ハリウッド最大の映画会社MGMが、2年の歳月をかけ、イーストマンカラー・シネマスコープという当時最高クラスの仕様で仕上げた大作。
宇宙船の光速以上での惑星間移動、宇宙船内の先進的装置類、ロボットの登場、などで後年のSF映画の先駆となった作品といわれる。

船長とアルタ

ファーストシーンで画面の上から宇宙船が現れるのは「スターウオーズ」にコピーされている。
また、宇宙船の乗組員が正体不明の怪物(人間の攻撃的な意識が凝り固まったもの)と闘うというコンセプトは、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどのSF小説(スペースオペラと呼ばれる宇宙冒険ものではない種類の)を連想させる。
登場人物は、メカニカルな専門用語や哲学的用語を駆使し、観客をおどろおどろしい世界に引きずり込むのではなく、むしろ突き放す。

宇宙船が目指す惑星にたどりつき、着陸するまで、高速から減速する際に乗員を磁気的に防護したり、着陸地点を立体的宇宙図の中で特定したり、惑星の軌道に乗ってから着陸に至る行程を表現したり、と科学的事実を踏まえて宇宙間移動を描写する。
単にホラーとしてのSF映画ではないことがここからもわかる。

アルタはロボットを制し船長らを博士の書斎に迎える

円盤形宇宙船から階段で惑星に降り立った乗員らが、まったく平服で体を防御していなかったり、宇宙船を守るため隊員が夜警の番をしたりと、前時代的な描写もある。

20年前から惑星に住み着き、宇宙船の着陸に協力的ではなかった博士(ウオルター・ピジョン)の住処は未来型SF映画そのもので、博士が作ったロボットの能力はドラえもんそのものの万能型。
ここら辺は近未来的SFだ。

映画のミューズとして、裸足に体にぴったりしたミニワンピース姿で登場する博士の娘アルタ(アン・フランシス)に早速隊員が迫るというアメリカ映画らしすぎる展開もある。

ロボットは宇宙船に迎えられ操縦する

しかし、隊員らが感じている、博士とその住処、研究対象、20年の間に生まれ育った娘への違和感は、作品のテーマとも結びついた映画の基調をなす。
博士は隊員に重大な秘密を隠しているし、社会と常識を知らずに育った娘が纏う違和感は彼女が博士の犠牲者だということだ。

アン・フランシス扮するアルタは、シーンごとに新しいミニワンピースに着替えるし(隊員から煽情的な格好を非難され、ロボットに命じてロングドレスを作らせる場面があるが)、朝は裸で池で泳ぐし(水着という概念を知らず)、隊員らとキスしても体が反応しない。
絶叫担当でも科学者のような存在でもない。
お色気担当ではあるが。
彼女の、アメリカンガール的な明るさが、妖艶さと反対の、人知に染まらぬ自然児的な色合いを出している。

ウオルター・ピジョン、アン・フランシス、ロボット

ある日宇宙船が襲われ、隊員が惨殺される。
時期を知った博士は船長らに惑星の秘密を打ち明ける。

惑星には20万年前に高度な文明が栄えていたが、滅んだこと。
ただし各種の高度な装置が、自分でエネルギーを補給し、メンテナンスしながら残っていること。
ここで隊員に紹介される、創造力養成装置という3次元の思考実現装置がスゴイ。
この作品に関わった、脚本家、デザイナーたちのオタク性が存分に発揮された場面だ。

『怪物が美女を抱く』のがハリウッド製SF映画のお約束

自らの意識が怪物となり、隊員のみならず自分にも襲い掛かろうとしたあげく、博士が自らとともに惑星の最期と怪物の破壊を行う。
人間性に目覚めたアルタは愛する船長とともに脱出し地球へ向かう。

作り方やキャステイングによっては、猟奇的・伝奇的な作品になったであろう素材だが、科学的デイテイルへの徹底したこだわりと、オタク的創造性により、地味ながらまじめで内省的な作品となった。

長々とした科学的、哲学的セリフと、それを視覚的に表現したオタク性。
色を添える美女までを配したゼイタクなSF映画であった。

アン・フランシス。「禁断の惑星」は彼女の代表作となった

雪男についての思いで

私が25歳から26歳のかけての1981年に、バックパッカー旅行でネパールに1か月ほど寄ったことがあります。
カトマンズとポカラに滞在したのですが、ポカラから1週間ほど山歩きをしたことがあります。
秀峰マチャプチャレの周りを1か月かけて回るジョムソンルートというトレッキングコースの、ほんの一部を歩きました。

ルート上には車道などはなく、村々を結ぶ交通手段は歩くこと。
気や水道はありません。
物資の運搬にはポニーのような馬を何頭か仕立てて行ったり、急病人はおぶって運んでいたりしました。
外国人にも人気なそのルートは、沿道の村に茶店や食堂、宿泊施設などがあり、コカ・コーラやパンケーキなどといったメニューを出している店もありました。

4日ほどかけて到達した村には、マナスルやダウラギリを遠望できる丘のふもとにありました。
ヒマラヤの名峰を肉眼で見られる地点まで到達したのです。
その村にはトレッキング客専用のロッジがあり外人客で賑わっていました。
そういうロッジには、たいがい英語で接客するスタッフがおり、12歳くらいに見える女の子だったり、若い男だったりが達者な英語で接客しているものでした。
彼ら以外のスタッフ(家族経営?)は恥ずかしそうにしているのが常でした。

そういったロッジの囲炉裏に当たりながら、英語を話す現地人のスタッフ(若い男)と、カナダから来た二人連れと話していたとき、思いついて「イエテイはいるのか?」と現地人スタッフに聞いてみました。
彼は、バカにするなと言わんばかりの顔で、半笑いしながら否定しました。
私は意地悪にも「カナダにはサスカッチというイエテイがいるよ」と言って、カナダ人の方を見ました。
カナダ人は苦笑いしながら「ビッグフット」と答えました。

その時のネパール人の、あっけにとられて、茫然自失、しばらく開いた口を塞ごうともしない表情が忘れられません。

その反応の奥底には、若いネパール人が迷信として記憶の底に葬り去っていた、前近代的な地域性や民族性に、外国人が無神経に触れたことへの思いもよらぬショックからのものなのか、それとももっと深いタブーのようなものがあるのかはわかりません。

私にとって、イエテイの棲みかに最も近くまで行った場所で聞いた現地情報は、何も得られなかっただけでなく、その背後の漆黒の闇に深さを思わせたのでした。