軽トラ流れ旅 善光寺街道

11月下旬の雪の予報の日、善光寺街道(国道403号)を走ってみた。
善光寺街道(西街道)は善光寺(長野)と松本を結ぶ街道。
現在では、国道403号線、JR篠ノ井線、高速長野道が旧道をトレースするように走って長野と松本を結んでいる。

稲荷山商店街

スタートは千曲市の稲荷山とした。
善光寺街道最大の宿場であり、かつての商都であった稲荷山のまちを歩いてみたかった。

千曲市稲荷山地区の善光寺街道に面した商店街

街中の無料駐車場に軽トラを止め、商都の面影を残す蔵のまちエリアを歩いてみる。
善光寺街道から1本裏手にある。
かつて生糸と繊維業で栄えたという県内有数の商都の面影に接することができる。

稲荷山に残る蔵
蔵と土塀が形作る小路

表通りに戻ってみる。
通りの商店街は全国各地の商店街の現状例にもれず、さびれている。
おやきの看板を掲げる店が開いていた。

おやきと稲荷ずしを買いながら話を聞く。
元はお茶屋さんだったという商家を借り、営業しているNPO法人とのこと。

お茶屋さん時代の調度、備品をそのまま残してあるのが興味をそそるとともに、改めて稲荷山の昔日の興隆に思いをはせた。

お茶屋の旧商家を再利用したおやき屋さん
店の内部。小上がり
店の内部。お茶を入れるカメなどが残っている
おやき3個とお稲荷さん3個で480円だった。

おやき屋さんに稲荷山の見どころを聞く。
龍洞院というお寺がいいと言ってくれたので、寄ってみることにした。

おやき屋さんの話によると、龍洞院の住職は永平寺の偉いさんだった人で、奥さんが正田美智子さん(現上皇后)のお知り合い?とのことだった(マスク越しの会話でよく聞こえなかったが・・・)。

龍洞院は山すその気持ちのいい場所に立つお寺で、境内はよく整備されていた。
紅葉は終わりかけていたが、最盛期にはさぞきれいなことだと思った。

龍洞院のお堂
鐘突き堂
お寺のそばには篠ノ井線が走る

聖高原と博物館

善光寺街道を西へ向かい、峠を越えて聖高原を目指す。
稲荷山宿と峠の間に宿場っぽい町並みが残っている。

稲荷山から峠への途中にある桑原宿

山道に入り、姨捨のあたりを越える。

姨捨から千曲川方面を望む

雪がちらつき、やがて山林は雪景色に変わる。
地温はまだ高く、路面が溶けているので助かる。
オールシーズンスタッドレスを履いている我が愛車とはいえ、峠の雪道はなるべくならば避けたい。

峠道を上るにつれ雪景色に

善光寺街道中の難所といわれた猿ケ馬場峠を越えると、聖湖が現れた。
猿ケ馬場峠は、かつて芭蕉や正岡子規も越えた記録がある。

峠を越え聖湖に到着。冬景色だった

このあたりからが聖高原のリゾートエリアなのだろう、聖博物館の看板が見えたので寄ってみる。

聖博物館による

伊勢神宮の荘園だったという麻績地区の神社仏閣や、聖山を中心とした山岳信仰、麻績宿の歴史などが主なテーマの博物館。
小規模ながら力のこもった展示ぶりに大いに興味がそそられる。

善光寺街道に関する展示内容その1
その2

このあたりには東洋のマタハリといわれた川島芳子の日本人養父の別荘があり、長野県で女学校を出た芳子も滞在したという。
伊勢神宮との関係といい、川島芳子といい、のっぴきならぬ気配漂う聖高原の歴史背景である。

底冷えの館内をはい出て、受付のおばさんに挨拶。
聞けば、今年は積雪が早く、11月に雪かきをしたのは初めてとのこと。
雪道を気を付けながら国道に戻り、先を急ぐ。

麻績村には「川島芳子」の養父の別荘があった
珍しい和装姿の芳子の写真もあった(右側)

麻績宿、切通し、青柳宿

聖高原から善光寺街道を下るにつれ道が乾き、日差しがポカポカしてくる。
里は晩秋とはいえまだまだ小春日和だ。

麻績宿の名残を探す。
篠ノ井線にあっては聖高原駅周辺が中心部の麻績村。
善光寺街道の旧道沿いが宿場のあったエリアだった。

麻績宿の現在

麻績村を抜け、国道403号線を走り、青柳宿を目指す。
青柳駅方面の標識を左折する。
車1台がやっとの幅の旧道が続く。
旧道には青柳宿までの間に2か所、切通しがある。

旧道にある大切通し

住民らが掘ったという切通し。
壁にはノミの跡が残っていて、岩の上には道祖神らが見守っている。

切通しの側面に残るノミ跡
切通しの上に残る道祖神

切通しの地形は不思議な魅力を持つ。
その向こうには知らない世界が待ってでもいるかのような。

切通しを抜けると青柳宿。
旧道ということもあるのか、まったく道幅を広げていない。
バスがぎりぎり通れるか?くらいの狭い道幅の宿場町。
古民家がずらりと並んでいるわけではないが、道の狭さに歴史が詰まってでもいるかのような世界だった。

青柳宿

国道に出て道の駅さかきたへ寄って昼食。

道の駅さかきた(築北村)
釜揚げうどんセット。1000円。

築北村にまで来た。
このまま403号線を行けば安曇野市を抜けて松本へと続く。
一方、築北村は山を挟んで青木村へも接している。
青木村は我が山小舎がある長和町とともに小県郡を構成している隣村でもある。
帰還はもうすぐだ。

軽トラ流れ旅 ディープな松代めぐり

軽トラでのショートトリップのコーナーです。第一弾は、紅葉も始まった10月の下旬、長野市松代地区へ行ってきました。

現在は長野市と合併している旧松代町。
昭和時代の群発地震や戦時中の大本営移転先候補地として知られています。

武田氏が築城し、のちに真田氏の居城となった松代城の城下町です。
真田幸村が大坂冬の陣で討ち死にした後、幸村の弟・信之が上田城から松代城に移り、子孫が代々お殿さまとなりました。

真田家の長男だった信之は、父昌幸と次男幸村が関ケ原の合戦以降、一貫して豊臣方についたのに対し、父昌幸の命令で徳川についた人です。
上杉、武田など有力豪族の間を渡り歩いてきた地方豪族の真田氏にとって、長男信之を徳川方につけるのは御家存続のためのやむなき手段でした。
思惑通り、徳川の世になった後は信之の子孫が真田家を現在まで存続させています。

松代の秋の風景
松代の武武家屋敷
里山を望む松代の風景

上田市真田の直売所

松代へ行くには地蔵峠越えの県道35号線、通称長野真田線を使います。
このルートを選んだのは、真田地区の直売所に寄る目的もあります。
真田氏存続の地・長野市松代地区へ行く際に、真田家発祥の地・上田市真田地区を通る、というのも不思議なご縁です。

真田地区のゆきむら夢工房という施設には、直売所と観光案内所が建っています。
直売所には地区の新米のほか、リンゴ、キウイ、白菜、など季節の産物が並んでいます。
真田米はうちの家族にも好評です。
値段も手ごろで、新米が5キロ1500円くらい、紅玉が4つ400円くらい、小さめのキウイが1袋200円くらいです。
季節ごとにここに寄るのが楽しみな直売所です。

構内にある直売所
本日のお土産に新米、リンゴなどを購入

隣の観光案内所にも寄ってみました。
入り口に、角間渓谷の案内図が貼られているのが目を引きます。
角間渓谷は真田から群馬に抜ける間道で、真田氏にも由来のある歴史的な道です。
「森林浴の道100選」にも選ばれています。

観光案内所の女性に角間渓谷マップはもらえないか?と聞いてみたところ、「おととしの台風の影響で通行止めになっている。ハイキングコースも台風の影響で樹木が倒れるなど景観が変わってしまった」と、新たな情報を加えつつマップを出してくれました。
ここの道も、台風19号の影響で修復中のようですが、いつか行ってみたいルートです。

地蔵峠を越えて松代へ

真田地区から県道35号線で松代へ向かいます。
地蔵峠までは山すその農村風景が続きます。

右手に鳥居が見えたので寄ってみました。
この地区の氏神様のようですが、本殿の造りがお寺の本堂のようにも見えます。
明治維新後の廃仏毀釈の影響で、無理やり神社1本にさせられる前はお寺も兼ねていた?のかもしれません。

新しめの鳥居の奥に本堂風の本殿が見える
ご神木に神社の歴史を感じる

峠が近くなると、道路わきに一列の別荘群が現れます。
まあ、立地的には上田と長野の中間地ではありますが・・・標高も高く、冬は寒そうな場所ではあります。
人様のことは言えませんが。

長野真田線の峠付近

上田市真田地区と長野市松代地区の境の地蔵峠を越えます。
峠にはお地蔵さまが立ち、トイレもあります。
トイレは湧水が常に流れっぱなしの「常時水洗」式です。
もみじがいい具合に色づき始めていました。

地蔵峠の紅葉

松代まち歩きセンターにて

松代郊外に皆神山という民間信仰の歴史を持つ里山がある。
県道わきの標識には「日本ピラミッド」という案内板が掲げられるスピリチュアル系のスポットでもある。

山小舎おじさんが一昨年だったか、皆神山山頂の神社にお参りした後、ふもとの松代中心部にある、松代まち歩きセンターを訪れた。
センターにはフットワーク軽く弁舌鮮やかなスタッフの同年輩がいらっしゃった。
彼から皆神山や松代のガイダンスをいただき、また地元発行の皆神山に関する冊子を買って帰った。

松代へ行ったら街歩きセンターへ行こう!

今回もまた、センターを訪れた。
ご同輩はいらっしゃった。
センターに入るや否や、足取りも軽やかにやってきて「何かご用?」と、2年ぶりのお出迎えをいただいた。

うれしくなって半時間ほども雑談したろうか。
今回の目的の真田宝物館と真田氏のことから、かつて盛り場だった場所、町のランチどころ、天皇御座所予定地のこと、町にある温泉のことまで、ビジターとして欲する情報のすべてをいただいた。

ご同輩は、サラリーマンを60歳定年の後、再就職がたがわず、このセンターに活動の場を求めたとのこと。
NPO法人仲間とボランテイアでセンターを運営しながら町おこしをしている由。

NPO法人の理念を模造紙で展示している

思うようにいかない過疎の町での町おこし。
若い人を巻き込んでの経済的にも継続性のある活動を模索中とのこと。
課題は全国共通であることを山小舎おじさんも痛感。

同様のまちづくりNPO施設は県内の各所にありますが、どうしても活動が内向きになるというのでしょうか、例えば情報が欲しくてその町の施設を訪ねても、仲間との活動中をお邪魔したがごとく、あんた誰?何しに来たの?とでもいわんがごとき空気に触れた経験もないではありません。

こちらのセンターのようにホスピタリティにあふれたスタッフを抱え、地道な活動を続けつつ形に残しているところは旅の流れ者にとっては本当にありがたく、また感心するのです。
その旨はしっかりご同輩にお伝えしました。

ということで、レンタサイクル(半日400円!)を借りて、教わったディープな松代の街歩きにゴー!

センターが誇る地元研究成果の数々

旧商家、氏神、旧飲み屋街、ランチ・・・

まずはセンターで勧められた、町の中心部に近い寺町商家へ。
江戸末期から昭和初期まで質屋を営んでいたという商家の建物を保存し、開放している。
昔日の松代の風景をうかがうには最適な場所。

入り口の門も豪勢だが、中の庭もきれいに手入れされている。
この日は貸し切りで行事が行われていたが、普段はランチもやっているとのこと。

寺町商家の門構え
内部の庭はいい感じ

次いで、センターで教えてもらった旧飲み屋街へ。

その途中に神社があった。
延喜式内の祝神社という。
場所的にも町の氏神的的な神社のようだ。

本来の神様のほかに、八幡様やお稲荷様も祀っているのが特徴的な神社で、正面が拝殿で、左90度に八幡神社と稲荷神社などがある。

これは諏訪下社本宮の配置と同じで、後から祀るようになった神様を、合祀するのではなく、本殿と90度ずらした拝殿に祀ってある。

この神社は地元で「お諏訪さん」と呼ばれるとのこと。
とすれば、正面の本殿に祀る神様が諏訪系の古神ということになり、年代が下るにつれ、境内に他国の様々な神様を取り込むようになったものと思われる。

さて、かつて栄えた場所であるなら必ずあるのが、料亭、赤線などなどの水商売系の場所。
センター情報によると、三業地的な場所はなかったようだが、飲み屋街としては、神屋横丁がその場所だそうだが、10年ほど前に古い建物は一掃されたとのこと。

行ってみると飲み屋が数軒残っていた。
後は住居が並ぶ一角になっている。
神屋横丁はサイズ的にも料亭、置屋などが立地するには狭く、お座敷文化はなかったのかもしれない。

鍵屋横丁の現状風景

ランチタイムになった。
一昨年訪れた、ニュー街道という食堂に行きたかった。
そこで食べたあんかけ焼きそばは質量ともに満足の一皿だった。
写真をとっても良いかと聞くと、店の大将は「そんなもん撮ってどうするの?」と言っていたっけ。

楽しみに訪れると・・・貸切営業の貼り紙が。

ここがだめだと、あとはカフェ、パン屋のイートイン、竹風堂(県内の有名和菓子屋)のおこわ定食、くらいしか選択はなく、やむなくコンビニで弁当を購入。
訪問予定の真田宝物館のある真田公園のベンチでいただくが、ちょっと残念だった。

松代の食堂、ニュー街道。この日は予約営業

真田宝物館

松代の真田宝物館には、信之以降の武具、家康らからの書状、衣装、家具などが展示されている。
現在まで続く真田家が収蔵してきた歴史的な品々である。
これらが残ったのも信之が徳川方について、城主として生き残ってきたからこそのこと。

歴代の城主たちが所有したという甲冑や真田家に輿入れした方々の守り刀などの本物の展示が目を引く。
中には幸村所有の刀というものもあった、真贋は不明だという。

また、戊辰戦争に官軍として出兵した折の真田藩の旗もあった。
六文銭の旗印であった。

反徳川勢の斬込み隊長として大坂の陣などで奮戦した真田の旗印は、のちの幕末にあって再び反徳川勢力の元に翻ったということか、それとも反骨の旗印は幕末には体制側に落ち着いたということなのだろうか。

真田氏の遺物の展示内容の充実度としては、上田市真田地区の博物館はもちろん、上田市立博物館のそれと比しても一番なのではないかと思う。
内容が信之以降の時代のものに限定はされているとはしても。

真田公園内にある宝物館。展示内容の充実度と集客数を誇る

松代城跡から大本営天皇御座所跡へ

真田宝物館から松代城跡へ向かう。
広がる景色の中にたたずむ平城とお濠が姿を現す。
千曲川に向かう扇状地に立地する松代の水はこのお濠に集めれられたという。

明治維新後は石垣のみが残ったという城跡。
城壁のほか、二つの橋と、本丸へ向かう太鼓門が復元されている。
扇状地の端っこにあり、住宅地も途切れている場所にあるので、少々寂しそうに見えるお城である。

お城見物もそこそこに自転車を走らせ、大本営跡に向かう。
戦争末期、大本営と天皇御座所などを松代の地下壕に移転しようとした経緯がある。
地下壕の一部は一昨年に見物した。

センターからの情報として、現在地震観測所となっている場所に天皇御座所跡があって見学できるらしいとのこと。行かねばなるまい。

扇状地をひたすら上って地震観測所を目指す。
これ以上は山に突き当たる、という場所に御座所はあった。

トンネルになっているのかと思いきや、別棟の建物があり、内部が当時の御座所そのままだという。
窓越しに眺めることができる。

今も保存される御座所内部を窓越しに撮影

うーん、こんな長野の山の行き止まりの場所で、どうしようというのか?当時の日本政府よ?
76年後の御座所周辺もおそらく何も変わっていないよ、と当時の為政者たちにお伝えしたい。
それとも変わらないから選ばれたのか?ここが。

感慨無量(感ずるところが何もないという意味で)の景色だった。

御座所から見た風景。左手が扇状地の扇頂に当たる山々

加賀井温泉 一陽館

街歩きを終え、自転車をセンターに返し軽トラに乗る。
教えてもらった温泉にでも入って帰ろう。

松代郊外、田園風景のただなかに一軒宿がある。
行き止まりの道を入ると時間が止まったような光景があった。
加賀井温泉一陽館。

東北の湯治場にあるような、ひなびすぎて人気もないような一軒宿。
手入れもされていない木造の母屋、浴室、荒れ果てた休憩棟が並んでいる。
奥からつげ義春が歩いて来ても不思議ではない。

撮影禁止とのことで駐車場からの風景を1枚

日帰り入浴のみの営業のようだ。
受付で入浴の旨を伝えるとおばさんが「初めてですか?」と顔を出す。
「センターから紹介されて」と答えるとおばさんが少し和んだように見えた。
入浴料400円を箱に入れる(500円玉を入れて100円のおつりを自分で取る)。

おばさんが建物から出てきて、浴室の入口の場所から露天風呂の入り方、源泉の流れるルートとそれに合わせた入浴方法などを立て板に水のような鮮やかさで説明し、案内してくれる。

行き止まりの道の角に案内板が立つ

板と日よけシートで区切られただけの露天風呂には湯あみ服を着た女性が子供と入っている。
この露天風呂は女湯からは直接行けるが、男が入りたければ裸のままつっかけを履き、外を歩いてゆかなければならないとの説明。

浴室は脱衣場がなく、浴室の脇に脱衣かごが並んでいる。
これならロッカーがなくても常に浴槽から自分の荷物を眺めていられるが、足をぬらさずに着替える場所がないのが不便。

教えてもらった通り、浴槽の最後尾から湯に入り、段々と源泉が流れる上手に移ってゆく。
41度の源泉が心地よい。

東北では、鶯宿、夏油、鉛、横向、後生掛、乳頭、泥湯、などに入ったことがあり、寂れ切ったというかひなびた温泉は知っているつもりだったが、経験上今までで一番古いというか、さびれたというか・・・。
建物が更新(建て替え、修繕、補修、手入れ)されていない一軒宿としてはナンバーワン(オンリーワン?)だった!

戦後から全く更新されていないであろう建物の中を源泉が流れてゆく。
この源泉、空気に触れると茶色く変色するというシロモノで、無味無臭。
刺激は全くないが、あとで驚いた。

温まってのどが渇くだけでなく、気分がリフレッシュし、入ってよかった感が半端なかった。

入って眠気が飛ぶことを、かつて東北の玉川温泉で経験したが、入って気持ちが前向きになるというのは経験ないかも。
これはすごい温泉かも知れない。
センターさん、ありがとう!

青春18きっぷ 緊急事態下・飯田線の旅

世の中は緊急事態下です。
一方、わが青春18きっぷの有効期限は9月10日までです。
有効期限切れ当日、満を持して飯田線の旅を決行しました。

茅野から伊那新町まで 飯田線不通区間を突破

07:33茅野発の普通列車で岡谷まで行きます。
茅野にこんなに高校生がいたんだ!というほどの人がホームを埋め尽くします。

地元の高校生たちの距離感は微妙です。
混んだ車内とはいえ、リュックは背中にしょったままで、SUICAをカバンにぶら下げたままの姿の彼らは、だからこそ他人との距離感には敏感であるようです。
決して都会の満員電車のように互いに密着しません。
それがヒトとしての本来の感覚のなせるものか、混雑になれない地方人の臆病がなせる業なのかはわかりません。あっ、ソーシャルデイスタンスだったのか!?そうか。

朝7時半前の茅野駅ホーム。この後乗客が集まりだす

中央西線に乗り換えのために岡谷で下車。
岡谷は中央東線と西線の分岐点。
人の流れの主流は東線で、岡谷から塩尻へ最短距離で向かいます。
特急あずさもこちらを通ります。

一方、中央西線は辰野で飯田線と結んでから塩尻へ向かいます。
中央西線の辰野・塩尻間は峠越えの路線ですが、昨今の大雨で線路が土砂に覆われ、一時不通になっていました。
同時に辰野町内の飯田線が、天竜川にかかる鉄橋が雨で痛み、辰野駅と伊那新町駅の間が、現在も不通になっています。

岡谷駅ホーム。川岸駅は西線でみどり湖駅は東線方面。
朝の岡谷駅には高校生たちが大勢降り立つ

中央西線は初めて乗りましたが、天竜川沿いの絶景があったり、純農村風景が見られたり味のある路線でした。
本来のダイヤでは岡谷発がそのまま飯田線に乗り入れることが多いのですが、しばらくは飯田線方面は辰野で代行バスに乗り換えて伊那新町まで行かなければなりません。

18きっぷの遊興客が代行バスに乗り込んでいいものか?とも思いましたが、ラッシュ時間も過ぎたバスの乗客は少なく、JR職員の手慣れた誘導に身をゆだねてバスに乗車。
2駅間、約10分で代行バスは伊那新町駅近くの停留所に到着しました。

中央西線・辰野駅から代行バスに乗る

ここでもJR職員のきびきびとした仕切りで問題なく乗り換えができます。
伊那新町駅は田んぼとそば畑の風景の中にありました。
無人駅です。
残暑の日差しが照り付けています。

ホームで乗務する列車を待つ車掌さんに聞くと、不通箇所の鉄橋はくの字に曲がっており年単位の復旧時間が必要ではないか?とのこと。
伊那新町からの飯田線はダイヤ通りに運行している、とのことです。

毎年のように復旧まで年単位の時間がかかる災害に見舞われる国内の状況には不安を感じざるを得ませんでした。

飯田線・伊那新町駅ホームで飯田行列車を待つ

飯田線 中央アルプスに抱かれた風景を行く

初めて乗る飯田線は、辰野と愛知県豊橋の間を結ぶ単線です。
伊那谷を天竜川に沿って南下します。
長野県内でいうと伊那、駒ケ根、飯田、天竜峡などの主要駅を結んでいます。

今回乗車したのは伊那新町から飯田まで。
2時間15分ほどかかりました。

平地の直線路ではスピードを出すものの、天竜川の段丘上の地形を進むときには時速が40キロ出ていなのでは?と思うほどゆっくり進みます。
駅の数も多く、町や集落を拾いながら、蛇行して走ってゆきます。

飯田線というと、伊那市街地を通る線路を思い出します。
飲み屋などの建物のすぐ脇を通る線路を見て、街と線路の関係が路面電車のようだ、と思っていました。
飯田線の低速は、街との距離感の近さと関係があるのでしょうか?

飯田線・駒ケ根駅ホーム。彼方に中央アルプスが望める
飯田線社内のつり広告は、愛知県のレジャー施設のもの。沿線は名古屋の商圏。車内は天然のソーシャルデイスタンス。

駒ヶ根を過ぎたあたりから車窓の右手に中央アルプスが顔をのぞかせます。
里山、といってもそこそこの高峰ですが、の背後に見え隠れする中央アルプスの峰の姿は、人里の山とは一線を画す別世界の光景のようです。

車窓から中央アルプスの頂が見える(右端の雲の背後)
車窓左手には天竜川沿いに広がる田んぼと集落の風景

飯田の街を歩く

飯田駅に着きました。
飯田は人口数でいえば長野、松本、上田に次ぐ第四の都市です。
駅前から街を歩いて中心街の規模が上田より大きいと思いました。

飯田駅に着きました
飯田駅前の風景

着いたら、駅前の観光案内所へ行き、市内のマップをもらって、レンタサイクルを借りるつもりでした。
ところが観光案内所は閉鎖、レンタサイクルは貸出中止でした。
緊急事態下(長野県は宣言しておりません。人口比のコロナ感染率でも下から数えて数番目という低さです)での旅行がそもそも非常識だったのでしょうか。

観光案内所には臨時休業の張り紙が・・・

自転車がないので、隣村にある椋鳩十記念館へ行くのはあきらめました。
椋鳩十は飯田の隣の喬木村出身の作家で、サンカを題材にした小説を読んだことで興味があり、飯田に行ったときは寄ってみようと思っていたのです。

次に飯田城址に博物館と柳田国男記念館があるので歩いて行ってみましたが、臨時休館中でした。
非常事態だったのですね飯田。
というか県内が。

柳田国男と飯田(伊那・南信州地方)の関係は、柳田が民俗学のフィールドの一つとして紹介したことにあるようで、世田谷にあった柳田の書斎を飯田に移築したとのことでした。

博物館、記念館にも臨時休館の張り紙です
喫茶店の入り口にも・・・

緊急事態レベル5下でも人間、腹は減ります。
飯田は焼き肉の街として有名ですが、暑いので軽くラーメンでも、と地元の人気店へ行ってみました。

ネット情報通り昼時には人が並ぶ上海楼という店には実際に人が並んでいました。
並んで待って入り、中華そば並盛を注文。
どんぶりにナミナミ盛られたラーメンは、東京の今どきのこじゃれた風のラーメン屋の麺の3倍ほどの量があったでしょうか、満腹になりました。
地方の人気食堂の条件の一つが「量」であることを再認識しました。

昼食時人が並ぶ上海楼

飯田信用金庫の建物がそびえたつ中心街。
商店が多数入居する真新しい雑居ビルが並んだあたりは、最近の中心街の再開発の様子がうかがえます。
一方で古めのアーケード街も残っています。
映画館も2館残っていました。

銀座アーケード街
古くからあるといわれるトキワ劇場
映画館・千劇もあったが人気はない。
焼き肉の街・飯田を天下にアピールする堂々たる看板!
駅近くの焼き肉屋が並ぶ小路

飯田といえば人形劇フェスタという催しが毎年行われ、世界からパフォーマーが集まる場所としても有名です。

中心街にリンゴ並木といわれる並木通りがあり、リンゴの実が成っているのも素敵です。
自然環境のすばらしさを感じます。

お土産には地元の和菓子店でどら焼きときんつばを購入。
また、無人販売していたなしを2個買いました。

飯田人形フェスタの毎年のワッペンが並ぶ街角
中心街のリンゴ並木にはリンゴが実っていた

帰りの飯田線で大失態

3時間ほどの滞在で飯田を後にし、駒ケ根行きの飯田線に乗りました。

爆睡の後、乗っていた列車が駒ヶ根から引き続き伊那新町行き(本来は辰野行き)になるというので停車時間の間、改札口を出て駒ケ根駅前を歩きました。
中央アルプスの玄関口・駒ケ根の街の雰囲気を感じたかったのです。

戻ろうとすると列車が発車してゆきました。
私物のリュックを乗せたまま!

車内アナウンスで聞いたつもりの時間より早いのに!と思いましたが、確認すると時刻どおりでした。
思い込みによる失敗です。

自戒の念にさいなまれながらも、駅員に相談し、JRの遺失物センターへ電話で届け出。
次の列車で伊那新町に向かいました。

リュックには、時刻表、地図のほかお土産の和菓子やナシが入っています!
財布と携帯は身に着けていたのが幸いでしたが・・・。
軽トラや家の鍵もズボンのポケットに入っています。

約30分後の列車に乗り伊那新町に到着しました。
先行の列車がホームに停車し折り返しの出発を待っています。

その列車の車掌さんにリュックがなかったか聞こう、と最後列を歩いていると、わがリュックを持った車掌さんが降車客にそれを掲げながらホームの出口で待っているではありませんか。

リュックにお薬手帳が入っており、名前を確認したとのこと。
山小舎おじさんが名乗っただけで、持ち主確認できたとてリュックを渡してくれました。
持ち主が現れなかったら飯田駅で保管することになったそうです。

機転の利く、良心的な車掌さんに感謝しました。
辰野や岡谷など大きい駅に着く列車だったら、複雑な乗客の流れや車両の回送があったりして、手渡ししようにも困難だったでしょう。
伊那新町で折り返しだったので良かった、と車掌さんも言ってました。

飯田線が不通で代行バスにまで割り込んで地元に「迷惑」をかけ、目的地の飯田では緊急事態の連発で「締め出され」ても、最後に幸運があった!と思いました。
自分のボケが引き起こした、本来なくてもいいトラブルが原因とはいえ、急転直下の解決を幸運と感じ、最後にいい思いで帰途に就いた山小舎おじさんでした。

勝手な「思い込み」には気を付けなければなりません!

青春18きっぷ  飯山線の旅

今年の夏の青春18きっぷ、2回目を使っての旅です。
茅野→松本→長野→飯山のルートで往復の小旅行です。

07:33~08:23 茅野→松本 中央線

朝の茅野駅から出発です。
2学期が始まった高校生たちでホームがいっぱいです。
たくさんの高校生たちが乗車しましたが、彼らはなぜか座ろうとしないのでベンチシートの座席はところどころ空いています。

座って松本まで行けました。
高校生たちは上諏訪、岡谷と順繰りに下車してゆきます。
岡谷を過ぎると時間的にも車内は勤め人、学生風の乗客ばかりとなりました。
早くも予報通りの夏の日差しが照り付けます。

朝の茅野駅ホーム。この後人が増え続けホームは満員状態に

08:40~09:58 松本→長野 篠ノ井線

松本からは篠ノ井線普通列車のみすず号で長野を目指します。
普通列車ながら愛称付きの列車です。

しばらくは犀川に沿って低地を北上します。
安曇野市の明科という駅でかなり人が下りました。
篠ノ井線は松本と安曇野を結ぶ路線でもあるのです。

運転手は女性です。
運転見習い中の男性を指導しながら運転しています。

松本駅で普通列車みすず号の出発を待つ。左は特急あずさ
この日の運転は女性が。見習いさんを乗せている

明科を過ぎるといよいよ長野方面に向け線路は山越えに入ります。
しばらくは山間の田園風景の中を進みます。

聖高原を過ぎ、姨捨にかかるあたりが峠です。
姨捨の駅をスイッチバックで越えた列車は、善光寺平に広がる長野市を眼下に見ながら山を巻くように下ってゆきます。

峠に向かわんとして小休止の篠ノ井線。冠着駅で
姨捨から眼下に善光寺平を望む

県内最大の都市長野に到着。
飯山線の発車までの間、改札を出て近代的な駅ビルの中を散策します。
いつもながら長野駅の駅ビルの県内土産の取り揃えはぴかイチです。
地酒、ワインや発酵食品など県内の名産品を見ると欲しくなります。
帰りに寄ることにします。

近代的な長野駅で途中下車

10:29~11:14  長野→飯山  飯山線

2両編成の飯山線、越後川口行きの列車に乗ります。
長野から信越線の新潟県・越後川口までを結ぶ路線が飯山線です。
初めての乗車です。
今日は新潟県境の町でもある飯山で下車することにします。

長野駅での再入場時に間違って今日2度目のスタンプが押されてしまった!
ホームでは越後川口行きの2両編成が待つ
車内風景。さあこれからが旅の始まりだ!

飯山は古くから越後と結ぶ物資の流通ルート上に位置し、信州の北の玄関口と呼ばれていました。
現在ではウインタースポーツで有名な野沢温泉村、木島平村、斑尾高原などの玄関口としても有名です。

途中から千曲川に沿って飯山線は進みます。
長野を出ると県内には大都市もなく、乗客数は少ない車内ですが、沿線の集落は家々の数も多く、なんとなく昔からの富の集積を感じさせます。

千曲川に沿って飯山線は進む
旺盛な夏草の茂りが車窓を打ち叩かんばかりの一瞬!

飯山をさ迷う

飯山駅に到着しました。
北陸新幹線が止まるようになって新築されたのでしょう、立派な駅舎です。
さっそく観光案内所で市内のマップを入手します。
ついでレンタサイクルを調達します。

新幹線開通で威容を誇る飯山駅

駅ビル内のレンタサイクルショップ。
自転車に限らず広くアウトドア関連のグッズが展開するショップになっています。

ここのお姉さんが親しみやすい人で、市内の見どころから雑談に至るまで、おじさんのお話相手をしていただきました。
初めての土地でのざっくばらんな人との出会いに不安も解け、親しみがいや増す山小舎おじさんです。

お姉さんありがとう!
(レンタサイクルの返却時に、地元で人気のパテスリーヒラノで買った洋菓子2つを、貴重な情報のお礼にお渡ししました。)

駅ビル内のアウトドアショップで自転車をレンタル
マップを片手にお姉さんから情報収集

昼飯はレンタサイクルショップのお姉さんも御用達のイナリ食堂へ。
限定のかつ丼を頼んでみました・・・。

結論を言うと後悔するほどの大盛でした。
道理で体育会系の若者がどんどん入ってくるわけだ・・・。
それでも飯を完食、食べきれなかったカツ3切れをテイクアウトしてもらって這う這うの体で店から出ました。

(レンタサイクルショップのお姉さんに「食べきれなかった…」と報告すると「やっぱり…」と言ってました。)

地元で有名なイナリ食堂へ
見よこのボリューム

カンカン照りの陽気に苦しい腹。
自転車でマップを頼りに、ふるさと館、雁木通り、飯山城址、商店街と市内を回ります。
合間に神社仏閣にもチョイスして寄ってみます。

ふるさと館の近くに神社があったので寄ってみました。
稲荷神社です。

片山稲荷神社
階段を上ってお参りした

雪国独特の雁木という昔のアーケードが残る商店街がありました。
レンタサイクルショップのおねえさんの情報で知った雁木通りです。
情報は地元で仕入れるに限ります。

通りの両側に仏壇屋が並んでいます。
通りの山側にはお寺がずらりと並んでいます。
まるで仏壇屋がお寺の出店として並んでいるような塩梅です。
案外そういうことだったりして。

雁木通りのはずれからはジャンプ台が見えます、さすが雪国です。

雁木通の標識
雪国ならではの雁木が続く
雁木通りの山手にはお寺が続く。大聖寺のお地蔵さん

飯山城址公園にもゆきました。
上杉謙信が信州侵攻の出城として築いたという飯山城。
千曲川と街道を見下ろす地勢上の要衝にありました。

天守付近に立つ城跡の標識
城址公園内の風景

商店街は地方都市の例にもれず閑散としています。
その中にガイドブックに載るような店がポツンぽつんと営業しています。
目抜き通りの土地は廃業したものの旧オーナーたちの支配が続き、それ以外の場所で若い事業者たちが商売を始めている・・・ということなのでしょうか。

洋菓子、ウナギ、笹寿司など元気そうな店が点在してはいました。
本屋も残っていました。
飲み屋は点在していましたが、いわゆる飲み屋街らしきものは見当たりませんでした。

市内本町付近の商店街
駅近くの公園に置かれたC56蒸気機関車が雑草に覆われていた。かつては飯山線で活躍していたことであろう

かつては越後とのルート上の町として数多くの料亭が軒を連ねたといわれる飯山。
その時代を知る名残は、たくさんのお寺と雁木通の仏壇屋だけになっているようです。

現在の飯山は、新幹線の開通と、アウトドアレジャーで巻き返しを図っていますが、頼みは野沢温泉村に定着し、斑尾高原などに進出しつつあるという(レンタサイクルショップのお姉さん情報)外国人、ということになるのでしょうか。

自転車の返却時、情報のお礼に洋菓子を渡すと、お姉さんはとても喜んでくれました。
アンケートに答えると「信州IIYAMA」のネーム入りペンをくれました。

15:58分の長野行列車で飯山を離れ、長野駅でお土産を仕入れて帰りました。

お土産。甘酒(飯田)、日本酒(佐久)、みそ(岡谷)、ラーメン(長野)

青春18きっぷ

青春18きっぷというJRの企画乗車券がある。
全JR線の普通列車が乗り降り自由で、春、夏、冬の3シーズン発券され、現在の価格は当日限り有効の券が5枚ついて12,050円。
使い方によってはかなりお得な切符となる。

8月上旬から中旬にかけてを家族と過ごした山小舎おじさん。
東京の自宅から山小舎への帰還用に、思い立って18きっぷを購入した。

2021年版青春18きっぷ

東京・三鷹から長野・茅野まではJRの乗車券が3,080円(営業キロ数171,1キロ)。
高速バス料金が、高速深大寺・高速茅野間で3,300円(予約なし当日現金料金)。
比べると18きっぷの1日乗り放題約2,400円は、金額的には、かなり割安となる。
しかも乗り降り自由の特典付き(ちなみに、高尾から茅野までの乗車券を買うとすると途中下車できない)である。

独身時代、東京から札幌への帰省に18きっぷを使ったことがある。
当時は上野から青森まで、普通列車を乗り継いで1日で行けた。

第一日目は青森駅の連絡船待合室で仮眠をとり、翌早朝の青函連絡船で函館へ。
朝発の札幌行きで計二日がかりで帰省したものだった。

途中の東北線は長い時間だったが、上野発の普通列車を黒磯、郡山、仙台、小牛田、盛岡、野辺地などで乗り継ぐ旅も若者にはいい経験だった。
暑い季節とて、持って行った手製の握り飯が、昼食時、栃木の黒磯あたりで包みを解いてみると、はや、すえて(痛んで)いた、という残念な思い出もある。

帰りも18きっぷの残りを使い、当時の発売価格約10,000円で東京・札幌を、計4日(4枚使用)がかりで往復した。

さて2021年の青春18きっぷ。
三鷹駅のみどりの窓口で購入し、そのまま高尾経由甲府行きに乗り込んだ。

昼前の甲府行き普通列車は思いのほかガラガラ。
コロナのせいか、夏休みのせいか。

高尾発甲府行き普通列車社内。最後尾に事業用荷物が積まれている

高尾の次の駅は早くも相模湖駅。
小仏峠を越えればそこは脱東京の風景が広がっていた。
夏の日差しが降り注ぐ。

笹子峠を越えて、甲府盆地へ入れば富士山の姿を里山越しに仰ぎ見つつ、暑く湿った盆地の夏を行く・・・のはずが曇が出始めたせいか、夏の靄のせいか富士山は見えず、普通列車の旅は続く。

笹子峠を越えた勝沼あたりの風景
この日の甲府盆地は富士山が望めず

甲府で下車し、昼食がてらの市内漫歩。
列車の旅では途中下車することの多い甲府の街。
今日の散策は駅から南の街の中心街方面へ。

コロナなのか夏休みのせいか、人出も少ない甲府の街。
飲食店には「県の要請により休業」との張り紙が目立つ。

15時過ぎの長野行きをホームで待つ間、空は一転雨模様。
乗車後、韮崎のあたりでは車窓を雨粒がたたく。

長野へ入り雨が上がる。
茅野駅到着。

反対側の上り線ホームには制服姿の高校生の群れが降り立つ。
長野県は8月20日前に2学期開始か。

長野行きを待つ甲府駅ホーム
茅野駅に到着

黒四ダム

令和3年7月中旬。
家族が山小舎に来たので、黒部まで行ってきました。

絶景地として名高い黒部ダムを見たかったのです。

今回は黒部第四ダムを見て引き返すルートにしました。
黒部立山ルート全体は、長野県信濃大町から富山県までですが、富山まで行ってしまうと帰りが大変なのです。

山小舎から長野側の出発点、信濃大町・扇沢までは車で行きます。

高速・安曇野インターを降りて、北アルプスのふもとの田園風景の中を扇沢を目指します。
扇沢は観光道路・黒部立山アルペンルートの基地でもあり、北アルプスの登山基地でもあります。

ここまでの道路は交通量も少なかったのですが、扇沢の駐車場はほぼ満車の状態でした。
観光客のほかに登山客の姿も目立つ扇沢駅です。

扇沢駅のバス駐車場
駅の券売所。登山姿も目立った

ここから電気バスでトンネルをくぐり黒四ダムを目指します。
最近までトロリーバスが走っていたルートです。

一車線の幅のトンネルがダムまで続きます。
途中一か所、バスが交差できる幅になっています。
一度に3台ほどのバスが発車しますので座ってゆけました。

電気バスの発車を待つ乗客
黒部ダム行きのバス

15分ほどの乗車時間の間に、破砕帯現場や富山との県境を通り抜けます。
黒四ダムというと、当時最大級の土木的国家事業の現場として、まさに昭和の「プロジェクトX」の歴史的モニュメントでもあるわけですが、その中でも最大の「プロジェクト」として伝えられる、トンネルの破砕帯突破という話の舞台は、このトンネルのことなのでした。

夏とはいえ半袖では涼しすぎるくらいのトンネルを抜けると、黒部ダム駅です。
階段を上がると眼下に黒四ダムの景観が現れます。

黒部ダム駅からひたすら階段が続く
展望台からダムを見下ろす

健脚向きの階段を上がり降りして、黒四ダムの全貌を眺めます。
目を上げると、北アルプス・白馬岳や立山連峰の姿が遠望されます。

一番下の展望台へ下ってゆくと、ダムの観光放水を比較的間近に見ることができます。
標高が高いので紫外線高めの日差しが降り注ぎます。
まぶしく暑い世界です。

ダム湖を展望
この時期は観光放水が行われている
一番下の展望台からの風景
ダム工事に使われたという工具が展示されている

一角にダム建設の様子を展示する施設がありました。
トンネル、ダム建設前の黒部の様子や、建設中の記録がパネル展示されています。

壁のようにそそり立つ北アルプスの奥地になぜダムを建設しようとしたのか?はこれらパネルを見終わっても、その理由は判然としませんが、こういった無茶な、歴史的な工事が許され、行われた歴史的事実は記録され、記憶されるべきなのでしょう。

資料館の入り口
工事前の黒部の景観に驚く
工事初期の人力輸送の様子
有名な破砕帯突破の様子
映画「黒部の太陽」のパネルもあった

黒部立山アルペンルートを富山側に進むなら、ダム駅から乗り換えです。
我々は1時間ほどダムを見て、扇沢駅へ引き返します。

ひたすら暑い、梅雨明けの安曇野を走って家路につきました。

県境を越えて 草津温泉へ行く

長野県は、山梨、群馬、新潟など八つの県に接しています。
県境はそれぞれ山で隔たれています。

その山塊を峠道でつないで、山梨、岐阜との間に中央本線が、愛知との間に飯田線が、新潟との間に大糸線と飯山線、北陸新幹線が走っています。
山梨県の小淵沢から県内の小諸を結ぶ小海線もあります。

県をまたぐ線路はこれだけです。
それらの線路も、中央本線と新幹線を除き、狭い谷間や山間を辛うじて単線が張り付いているような具合です。

いかに長野県が閉ざされた地形であるかがわかります。
県内の状況も似たようなもので、各地方が山に囲まれており、地方間の行き来は峠を越えるか、川沿いに行くしかありません。

ということで今回、思い立って草津温泉に行った際にも、県境の峠道の深さ、厳しさ、を思い知らされたことでした。
6月初旬に、奥さんが山小舎に陣中見舞いに来た際に草津へ行ったのでした。

行きのルートは、上田市の真田地区から菅平方面に北上し、途中で群馬方面に折れる道順でした。
県境付近は片側一車線の山また山のつづれ折で、峠を下りると、キャベツ畑の風景が広がっていました。
まとまって開かれた畑や、整備された道路などをみて、「長野とは別の地方へ来たのだなあ」と感じました。

草津へ入るとそこは大きな町でした。
古い温泉街と別荘地が同居しているようなところで、想像していたよりにぎやかでした。

昼食は奥さんがネットで調べたイタリアンへ。
根曲がりダケというタケノコや、タラの芽などが出てきました。

イタリアンレストランの窓から見る初夏の草津

昼食後は、西の河原公園の駐車場に車を止め、公園を下って温泉街へ向かいました。
西の河原公園は、温泉が流れ、賽の河原のような白茶けた風景が続きます。
三々五々、観光客が散策しています。

西の河原公園の風景

温泉街へ下り、湯畑の方面に歩いてみます。
温泉街の歴史を感じさせる土産物屋が並んでいます。

中心部の湯畑では、源泉が、何本もの木の樋を流れてゆくのが見られます。
源泉が流れてゆく景色は、秋田の玉川温泉でも見られます。
荒々しく、近寄りがたい玉川温泉のそれに比べて、ややおとなしく感じるものの、温泉街の中心部に源泉を引っ張って華々しくデモンストレーションするというところに、草津温泉の温泉街としての意欲と歴史を感じます。
さすが日本三大温泉の一つです。

温泉街を歩く。前方には饅頭売りのおじさんたちの姿が見える
中心部にある湯畑の風景

湯畑のあたりは観光客で賑わっていました。
長野県では、善光寺か松本城、夏の軽井沢にでも行かない限り、出会うことのない人出です。
ここは群馬県、首都圏であり関東圏だと実感しました。

湯畑と観光客

西の河原へもどり、露天風呂へ立寄って帰りました。
ぬるめの湯でしたが、上がってからも汗が出続けるほど効きました。

帰りは行きとは別のルートで帰りました。
軽トラで来なくてよかったと思うほどの山越えの連続でした。

甲府の街 2時間ほっつき歩き

山小舎おじさんの街歩き、甲府の巻です。

自宅と山小舎の行き来を列車で行うことにはまってしまった山小舎おじさん。
今回は、高尾から甲府行きの列車に乗っての山小舎帰還の旅。
乗り継ぎまでの2時間、甲府の街を歩いてみました。

駅構内の立ちそば屋で腹ごしらえ。蕎麦とミニソースカツ丼セット

一度歩いたことがある甲府。
武田信玄の館や博物館などは見ていたので、今回は駅の南に広がる中心街、特に飲商店街を歩いてみました。

その前に、エキナカの探検。
最近のエキナカは、特に新幹線の止まる駅などは、地元物産品の販売などで充実しています。
秋田、盛岡、長野、新潟、金沢のエキナカの充実ぶりが思い起こされます。

そこで甲府エキナカにも期待しましたが、やや地味な印象でした。
やはり新幹線が通らないと、観光客などの出入りが少なく、地元客中心になるからなのでしょうか。

それでも食べてみたかった、レーズンバターサンドなどが売られているのを確認できたので、マークしておきました。
帰りに買うことにします。

武田信玄公が睨みを利かす甲府駅

駅前のロータリーの一角に観光案内所があります。
高速バス、路線バスの券売所を兼ねた、観光案内所としては大きな建物です。

ここで街のマップをゲットしようと思ったのですが、バスの案内に注力した施設だからでしょうか。ちょっと物足り鋳物しかなかった。

路線バスの案内の方に、「韮崎までの便はある」「韮崎に行けば白州までの便がある」などと確認できたのは番外の収穫でしたが・・・。

ガイドマップを入手

マップを片手に駅前通りから散策をスタート。
商店街、飲食店街のエリアを中心に歩き、帰りにお城のあたりを通ることにします。

駅前の通り

マップで「飲食・ショッピングエリア」と表されている範囲は広く、外周を歩くだけでも軽く30分ほどはかかりそうです。

岡島百貨店というデパートがありました。
地元資本?のデパートが生き残っているのは立派なことです。
昨今のご多分に漏れず、平日午後とはいえ、店の内外に活気はありませんでしたが・・・。

岡島デパート

アーケード街も複数ありますが、残念ながら活気のなさは同様です。
買い物客は郊外のロードサイドかモールに集まっているのでしょう。

銀座通りアーケード

飲み屋街がありました。
こちらは夕方前の開店準備時間とはいえ、夜の活気を思い起こさせるものがありました。
甲府の町の規模の大きさ、人口と人の流れの多さを感じさせる飲み屋街の規模です。

飲み屋街
飲み屋街のただなかに映画館があった!

飲み屋街のあちこちに小路、横丁があるのも特徴です。
かつては飲み屋街の隅々まで人があふれていたのでしょう。

横丁その1
横丁その2
横丁その3

乗り継ぎの列車の時間が迫ってきたので、駅に向かいます。
途中でお城に寄ってみます。
中に入る時間がないのでお濠越しに城壁を撮影しました。

このお城、郷土の英雄・武田氏の城ではなくて、武田氏滅亡後に築かれ、豊臣、徳川の管轄下にあったもの。
周辺に漂う熱気は、武田氏関連の史跡とは比べものにならない低さでしたが、おじさんの気のせいでしょうか。

甲府城のお濠
城門

長野行き各駅停車の発車時刻が迫る中、エキナカで購入した、レーズンバターサンドとマスカット大福。
味はマスカット大福の勝ち!(山小舎おじさん独断選)でした。

名物シャインマスカット大福
レーズンバターサンド

ビーナスライン→諏訪→辰野の旅

11月中旬の土曜日。晴れた日に軽トラでぶらりと旅に出ました。

 晩秋のビーナスライン

茅野から美ヶ原までの76キロの観光道路がビーナスラインです。
この日、このビーナスラインを通って、大門峠から霧ケ峰高原まで行きました。

ビーナスライン、大門峠付近

土曜日とはいえ、まだ10時前。
紅葉も終わりに近く、初霜はとうに降りています。
思ったより交通量が少ない、この日のビーナスラインです。

展望台から茅野方面を見る。朝もやがたなびいている

途中、展望台が各所にあります。
雲海なのか、朝もやなのか、視界の下に雲かキリカがたなびいています。

富士見台という場所もありました、遠くではありますが、富士山がこんなにきれいに見えるとは思いませんでした。

富士見展望台から見る富士山のシルエット

目を西に転じると、すっかり雪化粧をした北アルプスの峰々も展望できます。
空気のキレイな時期のビーナスラインもいいなと思いました。

北アルプスが見える、写真がピンボケですみません

 諏訪の町に立ち寄る

ビーナスラインを途中で下り、上諏訪の町に下ります。
急激なつづらを降りると、国道20号線、上諏訪の町(諏訪市)の中心部、酒蔵が並んでいるあたりに降り立ちます。

上諏訪へ下りる途中の山の紅葉

今日の目的地は、辰野から牛首峠への道なので、上諏訪は通り道です。
とはいえ、いつものように、20号線や、湖岸の道で、上諏訪の町を通り過ぎるのではなく、気になっていた崖際の道を通ってみました。
崖際の道とは、国道20号線と並行して、諏訪湖の段丘の下を走る道です。

通ってみると、昔ながらの生活感のある町の姿がありました。
観光とは縁のない地元住民の町です。
駅近くには寂れかかった味のある飲み屋横丁もありました。

思わず軽トラをストップさせ、足を運んだのは通りの一角にある手長神社の鳥居が見えたときでした。

上諏訪の手長神社鳥居

参道には長い階段が続いています。
階段を登り切った段丘の上に、社屋がありました。

雰囲気のある神社です。
湖面が遠望される一等地に立つ境内は、明るさを感じさせる場所です。

参道には階段が続いている

宮司さんが本殿のお勤めをしていたので挨拶すると、「地元の方ですか?」と聞いてきたので、「長和町からです」と答えました。

御朱印集め?と思われたようでしたが、この神社の雰囲気にひかれてお参りしたとわかると、「東信にもいい神社が多いですよ。町々で祀っている神社に寄ってみてください」とのことでした。

手長神社の本殿
境内からは諏訪湖が望める

 辰野町のタイガー食堂にて昼食

諏訪から国道20号線で塩尻方面へと向かいました。
塩尻峠に至る途中を左折し、伊那谷を通る国道153号線へ出ようと山を越えました。

山越えの道沿いの風景

郷の集落風景を抜けると、国道153号線に行き当たりました。
伊那街道・小野宿のあたりです。
今日の目的の一つは、辰野町小野地区の御料理・タイガーという食堂に寄ることです。

中央線・小野駅

タイガー食堂は、昭和29年に、かの山下清が1か月ほど逗留していたこともあったという、地元で有名な食堂です。

「裸の大将」(1958年)は小林圭樹が山下清を演じた東宝映画でしたが、劇中、駅弁を作る仕出し屋に清が逗留(一応雇われていた)するシーンがありました。その仕出し屋のモデルかな?と思いましたが、そうではなく、画家として有名になった後の清が、新潟に花火を見に行く途中で逗留していた食堂とのことでした。

小野駅前の御食事・タイガー

ソースカツ丼のほか、鶏だしの効いたラーメンもお勧めらしい。
そこで、ミニ焼き肉丼とラーメンのセットにしました。

ラーメンは汁まで完食。
完全手作りの味、満腹感はあるも、後悔感が一切なし。
値段が1,530円と高めだったこと以外は文句なし、でした。

ミニ焼き肉丼とラーメンのセット。文句なし!

田舎の食堂にありがちな、惰性で営業しているかのような停滞感がない空間。
山下清が長期逗留したのもむべなるかな?
1958年公開の映画「裸の大将」に描かれていた、戦中から戦後の日本の地方と人々の姿が思い出されるような、タイガー食堂でのひと時でした。

かつて山下清がここに逗留していた

 牛首峠に迷い込む?

さあ、今回の旅の目的の一つ、辰野から牛首峠を越えて、木曽側に出るルートへゴーです。

辰野町小野地区から伊那街道を伊那に向かって右折し、牛首峠を目指します。

牛首峠への道

峠道は県道254号線です。
しばらくは集落を過ぎる道。
畑のあぜ道のようなところもあります。
軽自動車でも交差不可能な道幅が続きます。

集落を繋いで道が続く
崖の途中から往来を見守る道祖神

伝説に彩られた牛首峠を越えると、下りの山道。
ここまで、行きかった車は2台、道を譲って追い抜かせたのが1台。

伊奈側から木曽へと抜ける貴重な道の一つですが、利用する人はほとんどいないようでした。

牛首峠の案内板
峠付近の風景

突然、国道19号線・中山道に出て、峠越えは終了。
塩尻方面へと軽トラを走らせて帰りました。

国道19号線と合流

信州ワンデーパスの旅

信州ワンデーパスというJR東日本の企画切符がある。
秋の1日を使って旅に出てみた。

茅野駅を出発して、小淵沢から小海線、小諸から長野まではしなの鉄道線、長野から松本まで篠ノ井線、松本から茅野まで中央本線のルートで一回りすることにした。

 7:23~7:45 茅野→小淵沢(中央本線)

7時半前に軽トラを茅野駅前の駐車場に入れて駅へ。
窓口でワンデーパスを買う。2,680円。

通勤通学客でにぎわう茅野駅構内。
こんなに活気のある茅野駅は初めて見た。
ホームに立つたくさんの高校生たちを見て、「やはり茅野は市だけある」と思った。

朝の茅野駅ホーム風景

高尾行き普通列車に乗る。
ボタンを押してドアを開け乗車した人々は、乗った後、ボタンを押してドアを閉める。
車内に寒気が入るのを防ぐのだ。
乗客数はパラパラだが、各シートに数人は座っている。

茅野駅ホームで高尾行きの発車を待つ

 7:48~9:58 小淵沢→小諸(小海線)

小淵沢駅からは八ヶ岳が間近に見える。
小海線のホームへ行くと1両だけの車両が待っていた。
通勤時間帯のあわただしい雰囲気からは隔絶されたローカルなムードが漂っていた。

小淵沢駅から望む朝の八ヶ岳

車両には先客が3人。
観光客だろうか、路線図を眺めている人がいる。
音もなく車両は出発した。

小海線車両の車内風景

しばらくは両側に雑木林が続く。
別荘地帯を登ってゆく。
ときどき枝が車両をかすめてゆく。

この感じ。
両側に山の木々が迫る山岳路線。
仙台と山形を結ぶ仙山線が奥羽山脈を分け入ってゆく姿を思い出した。
山国日本ではこういった路線は各地にあるのだろう。

八ヶ岳山麓の車窓

登り終わった小海線は、野辺山から高原の畑地帯に入りスピードを上げる。

野辺山高原の畑作地帯

やがて千曲川に沿って、谷地形を走ってゆく小海線だが、これまで並走してきた国道141号線としばし別れるコースを取る。
川上村という、秩父へ抜ける峠につながる旧道沿いの、今は忘れられたような場所。
ベトナム人らしき若者が三々五々乗車し、ほぼ満席になった。
この後、新幹線に接続する佐久平まで乗客は増え続けていった。

紅葉をむかえた車窓風景

小海で国道141号線に再合流した小海線。

小海からは千曲川上流と並行して走る

終点が近づくにつれ、山村の風景から郊外の住宅地の風景へと車窓が変遷してゆく。
臼田、中込、岩村田と過ぎるうちに乗客が増え続ける。
佐久平でごっそり下車していった人々は、新幹線の乗り継ぎだったり、モールで買い物をするのだろうか。

佐久平盆地のはざかけ風景
佐久平駅は新幹線停車駅

平日午前中の小海線下りは、沿線の人々の生活路線として機能していた。

 10:07~11:10 小諸→長野(しなの鉄道線)

小諸駅に到着。
駅の外に出て缶コーヒーを買ってのどを潤す。

外に出た目的はもう一つ。
小諸駅からJR線には乗り継げないので、しなの鉄道線の切符を買うため。

ワンデーパスでこの先へ行くには、佐久平から新幹線に乗る方法があるが、特急料金が必要。
各駅停車の旅なら、長野までの間、第三セクター線に乗り換える方法がいいかなと思ったのだ。
長野まで1,180円の別料金。

小諸駅にて
ワンデーパスとは別に切符を購入
しなの鉄道長野行きに乗車

しなの鉄道は、旧信越本線の軽井沢、篠ノ井間が、北陸新幹線の開業に伴い、第三セクターに移管されたもの。
さぞローカルな寂れた路線か?と思ったらそうではなかった。

車両はJRの払い下げで、本日唯一のボックス席を有する車両だが、走っているのは国道18号線に沿った、軽井沢、長野間。
東信地方と呼ばれる県東部地方を走る主要路線なのだ。

平日昼間といえどそこそこの乗車率。
買い物にゆくのか上田でどっと下りて行った。
さぞかし朝夕の通勤通学客も多いであろう。

千曲川沿いの田園風景

東御、上田、坂城、千曲といったなじみの地名を過ぎてゆく。
篠ノ井でJR篠ノ井線に合流して長野駅へと着く。

善光寺平ではリンゴの季節
しなの鉄道の長野駅に到着

 14:07~15:20 長野→松本(篠ノ井線)

長野市で約3時間の滞在。
街歩きの様子は別稿で報告します。
ここからは再びワンデーパスを使った旅です。

松本行きは2両編成。
乗客はほぼ満席。
終点松本まで乗ってゆく人が多かったのは意外でした。

長野駅で松本へ向かって帰途に着く

長野(善光寺平)と松本(松本盆地)を結ぶのが篠ノ井線。
中央本線方面(松本)と北陸新幹線(長野)という県内東西の主要路線を連絡するという役割を担っています。
そのため、両都市の間に横たわる急峻な山地に登ったり、トンネルでくぐっての路線です。
途中の姥捨駅への上りは、今でもスイッチバック方式で列車が運行されています。

姥捨から長野方面を展望
姥捨駅へはスイッチバックで入る

山岳部をおりてからは、松本川の主要河川・犀川に沿って平坦部を進みます。
篠ノ井線のハイライトは、姥捨から平地に至る山間部と山里の風景でしょうか。

篠ノ井線の山里の風景

 15:55~16:45 松本→茅野(中央本線直行)

松本駅で小淵沢行き普通列車のホームへと向かう。
発車まで30分以上あるが、長野の街歩きで疲れていたこともあり、乗車して待つことにした。
これが正解だった。
下校時間も近く、また人の移動が多い路線なので、どんどん乗客が増える。
乗車率150パーセントほどもあろうかという状態で発車。
茅野までその状態が続いた。

国道19号線と並行して走る路線。
正式には塩尻までは篠ノ井線で、塩尻から先が中央本線になるとのこと。

車窓には郊外型店舗と住宅が続く風景。
信州というより全国共通の郊外風景に近い。
しかも満員の車内には松本の大学やからの帰りと思しき若者が多数で、途中の塩尻、岡谷、下諏訪では高校生もどっと乗ってくる。

ローカルの寂しさはゼロ。
やはり社会には人がたくさんいたほうがいい。
その地方のカラーが感じられるから。

夕方の茅野駅。
どっと下車する高校生たちの流れに紛れながら初めて信州の本当の姿の一端に触れたような気がするのでした。

茅野駅で下車。やはり駅には大勢の人が似合う

駅前の駐車料金は、約10時間で1,500円でした。