里芋、ショーガを種植えしました

GW最後の畑作業です。

里芋の種芋を植えました。
先日立てておいた畝を整地して植え付けの準備です。
日陰でも大丈夫な里芋の性質を生かし、山影の場所に畝を立てました。
種芋は2キロ用意しました。

株間に化成肥料をひとつかみずつ置いてゆきます。

種芋を芽を下にして置いてゆきます。
芽を下にすると新芽がいったん下にもぐってから地表に出てくるため、小芋が地表に露出することが少なくなり、また小芋が形成される土中のスペースが大きくなる、などの利点があるようです。

といっても、今回はマルチをかけますから、小芋の露出の危険性はありません。マルチは、10月の収穫までの長期間の雑草防止と土中温度の保温のためでもあります。

種芋を置いた後、もみ殻燻炭を種芋にまぶすようにかけました。
草木灰や燻炭は植物の大好物ですしね。
種芋にはこれから半年の間、マルチの下で頑張ってもらうわけですから、励ましの気持ちです。

土をかぶせて均した後、マルチをかけてゆきます。
このマルチ、薄いビニールシートなのですが、近年の畑にはすっかりなじみのものとなっています。
「あれはプロの農家がやっていることで、素人の家庭菜園もどきには必要ない?」と当初、山小舎おじさんは思っていました。
ところが見様見真似で使ってみるとこれが大助かりでした。
何より雑草を防げるのが大きいのです。

欠点は収穫後の処分に手間がかかることです。
剥がしたマルチを燃やして処理したことがありますが、いつまでも火が消えず困ったことでした。

畝の端にマルチの端をセッテイングしてかけてゆきます。
畝にぴったりとセッテイングしなければなりません。
ぶかぶかしていたり、端っこの抑えが弱いと、風が入り、マルチが剥がれてしまうことがあります。
空気を入れないように少しずつ、端っこを土で押さえながらかぶせてゆきます。

里芋が発芽してマルチが盛り上がったときに穴をあけて芽を出してやります。
それまでに1か月くらいかかるかもしれません。

マルチ2列と路地1列の3列に里芋を植え付けました。

隣の畝には、ショーガを植えました。
大きな種ショーガを割りながら植えたので、割口にはたっぷり燻炭をまぶしておきました。

暑い日の作業で消耗しました。
お土産は畑のわきに自生(その昔、大家さんが植えた?)しているウドです。
酢味噌和えにして食べましたが、春の息吹が鮮烈かつ上品に香りました。

あっ、マルチの前にえひめAIを散布するのを忘れました!
土中の微生物の活性化を促すのがおじさん流の農法でした。
特にマルチングの際にはたっぷり入れてから覆うのが鉄則でした。
忘れていました。
発芽後に空けた穴から注ぐことにしましょう。
自然には回復力があります。

伊那谷に春を訪ねて・・・。

畑作業4連勤につかれた山小舎おじさんは、GWのある1日、伊那市へ行ってきました。
伊那は山小屋から直線距離にして上田とほぼ同じ。
松本や長野よりは近いのです。

杖突峠は桜満開

伊那へ行くルートは、茅野へ降りてから西側にそびえる山塊を杖突峠で越えます。
峠を越えたあたりに桜の木が数本あり、満開でした。

城下町・高遠へ続く杖突街道です。
谷あいに集落が続く鄙びた道はいつ来てもなぜか落ち着きます。
今日の今日とて、街道沿いの直売所は閉まっていましたが・・・。

高遠城址公園は閉鎖中・・・

杖突峠を下ると高遠の町。
今は伊那市に吸収合併となっていますが、その昔は高遠藩が治める城下町。
高遠城址は地元の誇りで、桜の季節の高遠城址公園桜祭りは有名です。
今年は例によって桜祭りは中止、城址公園は閉鎖となっていました。

折角高遠に寄ったのだから、地元の神様と古刹にご挨拶。
まずは建福寺。
本堂へ至る石段に沿って数十体の石仏が残っている。
江戸時代に全国的に有名だったという、高遠石工の作によるものだそう。
今は格子の背後で佇む石仏たち。
慈悲深いというよりは独特なきりっとした顔つきをしていました。

石仏たちの反対側には観音像が建ち、高遠の町を見守っています。

西暦721年創建という高遠の守り神、鉾持神社へもお参りしました。
現在の地に遷座した際に、鉾が出土したので改称したという古社です。
急な321段を登って拝殿へ向かいました。
毎年2月にはだるま市が開かれるとのこと。
納められただるまが残っていました。

人気のなさは、畑の近くの長和町松尾神社に匹敵しようかという寂しさでしたが、境内の広さといい、格式ある立派な神社です。

拝殿を望む
神社の門前の廃屋です。破れたガラス窓が何とも言えません。

昼食はお楽しみ、伊那のソースカツ丼

高遠を出れば伊那市の町はもう少し。
伊那といえばソースカツ丼が有名です。
開いていました、田村食堂。初めての店です。
ただし持ち帰りオンリーでの営業でした。
分厚い肉と甘いタレ。さすが地元の名物です。
パック入りのソースカツ丼を軽トラの運転席で食べました。
できれば店内でゆっくり食べたかった。

伊那の横丁は今日も強烈だった

高遠方面から伊那谷へと下り、天竜川を渡った時に目に飛び込んでくる伊那の飲み屋街の看板。

なぜ「日中友好」なのかよくわからないが、車道からまず目に飛び込んでくるのがこの建物

動物横丁と呼ばれるこのあたり、カメの向こうにキリンの看板があるのが見えるでしょうか?

飲み屋の件数が多いので有名な伊那の町。
かなりさびれていますが、かつての名残が強烈に残っています。

焼け跡ではありません。平時は食堂を営業中です。
これは本当の廃屋です。一昔前の建築様式が貴重ですが・・・。
映画館です。シネコンではありませんが、データ上映機器を導入して生き残っています。
路面電車の沿線ではありません。JR飯田線の伊那市内の沿線風景です。
このまま伊那に泊まって一杯飲みたくなります
横丁の銭湯です。効きそうですね

伊那に春を探した1日でした。

明日からまた畑やー。

キャベツの定植を終えました

残っていたキャベツ20株の定植等の作業を終えました。

まず、先日できなかった寒冷紗かけを終えました。
山小舎の納屋から新しい寒冷紗を持ってきて、定植してあったキャベツの畝にかけました。
心配していたシカの食害はありませんでした。

畑は現在、鹿の水飲み場になっているようで、ついでに食べられるものがあれば食べて行ってるようなのですが、畑の排水が進み水飲み場が少なくなっていることと、春となり鹿の食料も増えてきたせいで、出没の機会が減っているからなのでしょうか?

寒冷紗をトンネル方式でかけるのは初めての作業です。
1本目はアーチ形の支柱を立てる際に、間隔のみを注意し、支柱の列を気にしなかったのでトンネルがまっすぐにならず、たわんでしまいました。
2本目はアーチの設置の際に、列がまっすぐになるように気を付けたので、寒冷紗をかけたときにまっすぐなトンネルができました。風がなかったので作業もしやすかったです。

キャベツの苗の水不足によるヘタレも心配していたのですが、1本目のトンネルの中の苗も、露地で植えた苗もヘタっていませんでした。

あえて浸水の影響が残っている粘土質の場所にキャベツ用の畝を立てたのが上手くいっているのかもしれません?
最もその場所は山に近く、午後2時にもなれば直射日光が当たらない場所なので日照不足の心配がありますが。

残っていた20株は3列目の畝に植えました。
もう寒冷紗もアーチ形の支柱も手持ちがないので完全露地栽培です。

四方に支柱を立て鹿よけのピンクテープを回しておきました。
鹿よけというよりは、「ここは人間のテリトリーだ」のアピールのつもりです。

別荘地を縄張りにしている鹿などは人間を見ても逃げませんが、ここら辺の鹿は野生そのものでしょうからナイーブで野生のおきてに鍛えられた用心深い性格に期待です。

実際、この辺の鹿は集落のすぐ裏の畑には出なかったりするのです、人間のテリトリーを避けているのでしょう。
といって、まるで未防備に作付けして「餌付け」になってしまっても困ります。田舎の畑は動物との関係性を試されてもいます。
動物も自然の一部です。

畑作業4連勤の勤続疲労にむしばまれた山小舎おじさんは、畑の隅のよもぎを採って帰りました。

連休中の作業は、里芋、ショーがの種植え、とうもろこし、インゲン、枝豆などの芽出しをすればいいでしょう。
夏野菜用の畝立てなども、できればしておきたいところですが、体力・気力との相談次第です。

キャベツを定植、しましたが・・・。

春先の作付けの一つのヤマのキャベツ作付けです。
ここら辺では、キャベツの春作は、4月に作付けして6月から収穫します。

JAでキャベツの苗が出たときに買っておきました。
グリーンボウルやブロッコリー、白菜、レタスなどの苗も同時に出ますが、一番人気はキャベツで、すぐなくなるので、見かけたときに買っておかなければなりません。

1株20円で100株買いました。
JA上田では、キャベツのようにトレーで作られた小さな苗を買うときに、端数の苗をおまけしてくれたりします。
トレーを欲しいだけハサミで切ってレジに持ってゆくのですが、だいたい数は自己申告で店員は数えたりもしません。
ほぼ限定された組合員対象のJAとはいえ、「村社会」のこういった「美点」もこれからも残ってほしいと思ったりします。

キャベツを段々畑に植えます。
ご存知、鹿の大好物です。
活着するまでは乾燥に弱い作物でもあります。

元肥が足りないような気がしたので、急遽肥料を畝に入れりことにします。
去年の牛糞と糠ともみ殻燻炭を混ぜて使いました。

立てておいた畝に、株間30センチ間隔で石灰を振ってから植え付けします。

ここで鹿よけの秘策、寒冷紗をかけます。
ポールを立て、寒冷紗をかけます。
寒冷紗のすそは土をかけて止めます。

この寒冷紗、鹿よけ、虫よけのほかに、温度調節、乾燥防止の効果もあるようです。

ところが、持って行った寒冷紗の長さが足りず、1畝しかカバーできませんでした。
急激に上昇した気温のせいでおじさんの頭の働きがストップしたためのミスのようです。

やむなく、1列の畝には手元にあった鹿よけのピンクテープを張ることにしました。
明日寒冷紗を持ってくることにします。
というか、ピンクテープも長さが足りなかったのですが・・・。

気温30度の下でのドタバタ作業。
仕事は続けすぎると緊張感を失います。
創造力が要求される畑の仕事においてをや、です。
体がヘトヘトで、気持ちが切れていては、土や作物とのいい関係は築けません。今日のところは潔く仕事を切り上げて山小屋へ引き上げました。

手許にはまだキャベツの苗が20株残っていました。
畝の列の用意が足りなく、寒冷紗の用意が足りなく、ピンクテープの用意も足りなかった、トリプル不足の今日の現場でした。

帰り道の大門街道沿いに、真新しいこいのぼりがさつきの空の下泳いでいました。
少し元気づけられました。

レタス、白菜、ブロッコリーを定植しました

連休は別荘地の作業バイトも休みで、畑日和が続きます。
用意しておいた苗の定植をします。
キャベツは雨天の日の前日に植えるとして、そのほかの苗を植えました。

畑は晴天、夏日になりました。
ヤッケを着て行ったのですが、すぐ脱ぎました。
作業中は半そででもいいくらいの陽気でした。

植えた苗は、レタス、白菜、ブロッコリー。
キャベツの苗を買ったついでに、十数本ずつ買っておきました。

関東などでは寒い時期に作る野菜のレタス、白菜などが、長野では夏に採れます。
高原野菜です。

もっとも長野でも夏は暑いので、葉物の栽培には注意が必要です。
一昨年でしたか、育ち始めていたレタスがマルチの熱に触れて溶けてしまったことがありました。
数日前まで瑞々しかったレタスが、後日行ったときには、水気が蒸発したように茶色く乾いてマルチに張り付いていたのです。
まるで蒸発したかのようでした。

ということで、今年は完全路地栽培にします。
フェンス内の畑ですから鹿の害はありません。
整地して、定植位置付近に石灰を乗せておきます。

手で穴をすくった後に苗を置いてゆきます。
押し付けずに置くだけにして、そっと土をかぶせます。
大きな苗を定植する場合は、植える穴にたっぷり潅水しておきますが、今回の苗は20円/1本の小さなものです。
ケースの中の苗自体にはたっぷり潅水しておきますがそれ以上の潅水はしません。

今回の教科書はネットではなく、別冊現代農業2018年4月号のムック「農家が教える野菜作りのコツと裏ワザ」です。

苗が植わったらもみ殻を畝全体にかけておきます。
乾燥防止のためです。
もみ殻は2、3年して畑の養分にもなります。
畝の残りの部分にはキャベツの余った苗を植えようと思います。

今日は、フェンス内の畑の一番端っこを耕しました。
石が埋まっていたりしてこれまで耕していなかった場所です。
かぼちゃを植えようと思います。
夏日のスコップでの掘り起こしはバテました。

ふと見ると、去年植えたアスパラの芽が出ていました。
爪楊枝のように細い芽でした。
中には食べられそうな太さの芽も。
収穫は3年目からと聞くアスパラですが、今年は少し手入れをして来年の収穫を楽しみにしたいと思います。

畑の帰りに少々遠回りをして、和田峠のふもとにある黒曜の水へ寄りました。
先客が2組、すぐ後にもう1組来ていました。
半年ぶりの湧水汲みです。
朝のスギナ茶やコーヒー、炊飯に使おうと思います。
いつ飲んでも癖のないすっきりした味です。

長ネギを定植しました

段々畑に長ネギを定植

長ネギの苗を定植しました。
苗100本で600円。
松本一本ネギという地元の品種です。

ジャガイモの隣に植えました。

事前に定植の方法をネットで調べました。
隣の畝から120センチとるのだそうです。
畝間120センチということです。

苗を植える溝を掘ってゆきます。
深さ30センチで底を平らにするといいそうです。
おじさんの畑は30センチも掘ったら、固い粘土層にぶち当たります。
元が田んぼだからです。

田んぼは砂地だったり、ふかふかの土だったりすると水がすぐ浸透してしまい、田んぼになりません。
作土の下を固めたりして、水の浸透を遅らせて田んぼにするのですが、そういった意味でも、田んぼの名残が色濃い、段々畑です。

畝幅を120センチとると、掘った土を積んでおくスペースも、土寄せ用の土を取っておくスペースも十分にあります。
去年は畝幅を狭くしたために土寄せに困りましたので、これはいい!
素人はまだまだ学ばなければなりません。

ということで、粘土層ぎりぎりまで掘った溝に苗を置いてゆきます。
株間は2~3センチだそうです。
植えた後は水も肥料もいらないそうです。
さて、畝の長さは6メートルほど。
果たして苗の数が足りるのか、足らないのか。

実際には2~3センチの密植は困難で、4~5センチの株間になりました。
畝は余りました。
段々畑の広さよおそるべし。

根元に、もみ殻を撒きました。
マニュアルにはありませんが、おじさんなりに考えてのこと。
よくこなれていない粘土質の土壌に密着させられたネギの根っ子の通気性なりを確保しようとしたつもりです。
ただでいくらでも手に入るもみ殻が単に好きなこともありますが。

その上に土をかぶせてゆきます。
根っことせいぜい白い部分が隠れるくらい。
これで植付終了。

元肥は耕耘前に薄く蒔いた牛糞と糠と石灰のみ。
長年蓄えたであろう、段々畑の地力に期待します。

あっ、植える前にえひめAIを溝の底に潅水しておきました。
土中の微生物の力にも期待です。

段々畑には、多年草のローズマリーと明日葉も植えました。
植えた畑は、一番上の1枚で、真ん中の石が露出して、使い勝手の悪いところです。
この畑は一番水はけも悪く、玉ねぎと後はサツマイモくらいに利用しようと思っていました。
うまく活着してほしいです。

あしたば。生命力のある多年草です
ローズマリー。多年草のハーブです。

上の畑にハーブ類を定植

もう一か所の畑、フェンスに囲まれた畑にハーブを定植しました。

土が一番こなれている畑です。
土がこなれているイコール夏の雑草も取りやすいということです。
さくっと抜けるというか、根が深い雑草が少ないというか。

畑の隅っこをハーブエリアとすることにしました。
石灰だけを蒔いて、畝を立て、そのうちの一列に、買っておいたアイスプラント、オレガノ、パセリ、ミント、パクチーの苗を植えました。

深めに苗を置く穴を掘り、十分に潅水、苗を定植してからも水をやります。
最後に乾燥防止にもみ殻を撒いておきます。
困ったときのもみ殻頼みです。

風による苗のぐらつきを防ぐために深めに植えました。
残りの畝には、バジル、シソ、パクチーなどを植える予定で、山小舎で種をポット蒔きしています。

隣の畑では毎年菊芋を植える人が夫婦で作業していました。
今年も菊芋を作付けするとのことでした。

こうなりゃ神頼みだ! 諏訪大社上社と諏訪湖畔の人々

長野県内も緊急事態宣言。
県知事がローカルテレビでしきりと、不要不急の外出自粛と観光客の来県の自粛を呼び掛けています。
まじめで好感の持てる知事さんなのですが、上から言われたことをなぞるだけのようなコメントが、物足りません。
といっても某都知事のように、ここを先途と勇ましく、テレビにスポットで出まくって、リーダーシップの発揮?ならぬ、公費での選挙活動ばかりされてもどうかと思いますが。

ということで標高1300メートルの山小舎暮らしの定年おじさん、軽トラのガソリンも尽きかけていたので、大門峠を越え、60歳以上割引のガソリンスタンドのある、茅野市のザビック(安売りスーパー)へ向かいました。

折角茅野へ下りたので、諏訪大社へお参りしました。
山小舎を開いた後は、毎年、月遅れの初詣をしている諏訪大社。
上田側の生島足島神社といい、県内有数の神様に車で1時間圏内に位置する山小舎にいられるなんて、恵まれた身分です。

上社前宮へお札をもらいに行く

向かったのは茅野市に位置する、諏訪大社上社前宮。
ご存知の通り諏訪大社は、4つのお宮からなっており、中央に近い2社が上社。
遠い2社が下社と呼ばれます。
上社は、茅野市にある前宮と諏訪市にある本宮からなっており、下社はどちらも下諏訪町にある春宮と秋宮からなっています。

茅野市街を南に抜けた里山沿いに、上社前宮があります。
平時でも参拝客が少ない神社なのですが、この日も連休初日ながら三々五々の人出。静かでした。

参道に茶店もなければ、境内を柵や石垣で囲ってもいません。
おそらく原初の時代と変わらぬ姿を保っている?と思わせる素朴な雰囲気に包まれています。

素朴ではあっても漂う厳粛な雰囲気には襟を正されます。
すがすがしい空間です。
本殿の裏には、祀られている豪族の古墳があるとのことです。

かつては神社を守る有力者の屋敷が連なっていたという古参道は、今では民家の裏道になっています。

境内を流れる清水には、ワサビと思われる草が自生していました。

何年か前にお札をもらった社務所はご時世柄閉所していました。
お札は本宮でもらってくれと書いてありました。

前宮境内から望む、雪を頂いた八ヶ岳連峰です。
原初の時代から変わらぬ景色なのでしょう。

上社本宮へ今度こそお札をもらいに行く

軽トラで10分行けば諏訪市内の本宮へ着きます。

全国的には、諏訪大社といえばここのお宮をさすのでしょう。
広大な駐車場と、参道のみやげ物屋数軒が迎える大きな神社です。

素朴な前宮とは異なり、壮麗な社屋が連なり、お宮の前には地酒の樽が供えられ、社務所には巫女さんが常駐しています。

鳥居から参拝殿へと向かうメインルートは観光地特有の「公な」雰囲気に支配されていますが、境内の背後の原始の森の姿には、本来の諏訪大社の雰囲気を感じることができます。

ここで念願のお札をいただくことができました。
社務所で硝子戸の向こうにいる巫女さんはやはりマスクをしていました。

八重桜満開の法華寺へ

本宮の裏手に法華寺というお寺があります。
初めて寄ってみました。

山門脇の八重桜が咲き誇っています。
何とも言えない鮮やかな色です。

このお寺、忠臣蔵の悪役、吉良上野介の養子の墓があるのです。
山形の米沢から吉良の養子に入り、赤穂事件に連座して、諏訪に蟄居を命じられた養子が、ひっそりと寺の裏手の山すそに供養されています。

この法華寺、明治時代の廃仏毀釈騒動で、かなりのお堂が文字通り廃棄されたとのこと。
並行して、隣接する諏訪大社本宮が、国家神道の名のもと整備、統制されていき、今日に至ったことがうかがえます。

答えはあった、諏訪湖畔は繰り出す人々でにぎやか

ついでに諏訪湖を1周して帰りました。
諏訪湖畔、特にメインの下諏訪町から湖の反対側の岡谷市のエリア。
湖畔に公園が連なっており普段は住民の憩いの場になっていますが、ここが連休初日の今日は賑やかだった!

外出自粛ではなかったのか?
人があふれています。
茅野や岡谷にこんなに人がいたのか?!

それも中高生らしき若者が多い。
平時なら街に遊びに出てしまう若者が、自粛の名のもとに湖畔に繰り出しているのだ。

いいではないか。
平時は人気がなく、死んだようだった地方の町が、実はこれだけ老若男女のマンパワーを秘めていたなんて!

これも緊急事態がもたらした、天地返し、真実暴露、仕切り直しの一環なのだ。にぎやかでいいと思います!

怒涛の農作業3連勤!ジャガイモを植える

農作業3連勤です。
初めてかもしれません。
半月くらい遅れている今年の農作業。
老骨に鞭打って猛チャージ?です。

畝を立てた畑にジャガイモを定植しました。
同時に畑の隅の大量の枯葉と枯れ枝を野焼きしました。

野焼きの前には地元の消防署に電話で連絡します。
これは大家さんの指示でもあります。

都会では禁止の野焼き、焚火ですが、田舎では届け出すればできます。
畑のごみ(野菜の残滓、枯葉、枯れ枝など)は現場で燃やさなければどうにもならない、という田舎の事情を考慮してのものだと思われます。
畑から立ち上る煙という田舎の風物詩は健在です。

野焼きの間にジャガイモを定植します。
男爵10キロ、デストロイヤー、レッドムーン各1キロ、インカの目覚め0.6キロです。
全部で14キロと思っていましたが、12.6キロの間違いでした。
こういった記憶違いというか、思い込みにも、寄る年波を自覚せざるを得ない山小舎おじさんです。

デストロイヤーから植えます。
種芋を包丁で2分割します。
切り口に草木灰をまぶします。
一足幅の株間で種芋を畝に置いてゆきます。

元肥を調合します。
牛糞と糠、化成肥料を混ぜておきます。

株間に間に元肥を一握り置いてゆきます。
種芋と元肥に土をかぶせてゆきます。

男爵の種は小玉ですから、カットはしないで植えます。
種からは既にかなり芽が出ています。

使った畝は、全部で12列半でした。
ちょうど1キロで1列の見当通りでした。
気になるのは畝幅が狭かったのでは?と思ったこと。
これからは育つにつれ、芋が露出しないように土寄せしてゆかなければなりません。

耕耘、畝立て、種植えと怒涛の3連勤を乗り切りました。
ジャガイモの種植えが終わると春の作付けの山を越えた感じがします。
何とか4月中にできました。
腰がしびれて、体がガタガタですが充実感があります。

夏野菜の苗を植えるまではまだまだ作業があります。
キャベツ、長ネギの苗の定植があります。
枝豆、インゲン、トウモロコシの芽出しが待っています。

ジャガイモ用の畝立てをしました

今週は中盤からゴールデンウイーク。
別荘地の作業バイトも5月6日までお休みです。
遅れていた農作業を取り戻すチャンスです。

天気がいいので今シーズン初めて、シーツ、布団カバー、タオルケットの洗濯をしました。
布団も干しました。

牛糞をもらいに長門牧場へ行きました。
地元長和町の数少ない観光名所にして主要産業である長門牧場。
閉園中の張り紙を横目に場内に入ってゆきます。
牛糞の持ち出しはできるようです。
完熟牛糞はほとんど残っていませんでしたが、ジャガイモの元肥くらいは確保できました。

牧場から畑へ向かう道でサルを見ました。
道路の真ん中に出て何かを探しているようでした。
これまで野生動物は鹿のほかに、ウサギ、タヌキ、リスなどを見ましたがサルは初めてです。
写真は撮れませんでした。

段々畑の最下段をジャガイモ用の畑にしようと思います。
幅50センチで畝を立ててゆきます。
おじさんの場合、畝は人力で立てます。
去年やったときより格段に立てやすくなっていました。
土が畑らしくなってきたのと、排水が上手くいっているからだと思います。

途中で、畝の幅が50センチでは狭いのではないか?と思い出しました。
畝幅が狭いと、土中のジャガイモが露出しやすくなり、実が青くなってしまうのです。
去年もかなり青い実ができてしまいましたが、今年も同じミスを犯してしまうのか?
途中から幅60センチに訂正して15列の畝ができました。

男爵10キロ、そのほかの品種が4キロで計14キロの種芋があります。
1キロ1列として14列、予備に1列で計15列の畝を立てました。
これでも畑1枚の半分ほど。
実際はもう少し畝が必要になるかもしれません。

チェーンソーの修理でJAに寄ると、キャベツの苗が出ていました。
キャベツ100株、ブロッコリー、白菜、レタスを10株ほどずつ買いました。
1株20円です。

帰ってから、ポットにゴマの種をまきました。

山国信州も春本番。
夏以降の収穫に向けて畑が忙しくなります。

畑全部を耕し終えました

耕運機(管理機)で残りの畑を耕しました。
耕し残っていたのは、段々畑の上2枚とフェンスに囲まれた畑1枚の計3枚。

まずはいつもの段々畑に向かいます。
この間の晴天で、先日耕した下2枚の畑はいい具合に乾いています。
今日は残り2枚を耕します。
いつも通り、糠と石灰を撒いてから耕しました。

今日耕した2枚は、一番排水ができていなく、石垣寄りの部分は浸水で粘土になっています。
粘土部分は馬力の弱い管理機では、刃に粘土がくっついて耕し切れず、畑として使用できません。

何とか、段々畑4枚を耕し終わりました。
この後は、畝を立てて定植あるいは種まきです。
この畑は鹿が出ますから、作物によっては、ネットなどをかぶせなければなりません。
また、ジャガイモの株間の元肥用に牛糞を牧場から少々調達してこなければなりません。

玉ねぎの様子です。
思ったよりも順調に伸びているようです。
収穫は大丈夫かな?

お弁当の後、もう一か所の畑へ向かいます。
中山道沿いのフェンスに囲まれた畑です。
面積は40坪ほど。借りて4年目となる畑です。

フェンスをあけて管理機を中に入れます。
糠と石灰を撒いて耕します。
食害の心配のない畑なので、果菜、トウモロコシ、かぼちゃなどを作る予定です。
畑らしいホクホクとした土が柔らかく起こされてゆきます。
作土のいいにおいがします。
早速カラスが飛んできて畑を歩き虫をついばんでいました。

畑へ通う道、大門街道です。
昨年の台風19号で路肩が崩壊した現場は、補修ができて通行できるようになっていました。

大門街道を別荘地のほうへ上ってゆき、大門稲荷神社近くの畑で炭を焼いていました。
伏せ焼きというのでしょうか、比較的簡単な方法ではありますが、趣味以外で行う炭焼きの現場を実際見るのは初めてです!
なんだか感動しました。