ラピュタ阿佐ヶ谷「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」より 「警視庁物語」シリーズ その2

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」より、「警視庁物語」シリーズを引き続き鑑賞する。

「警視庁物語 遺留品なし」  1959年  村山新治監督  東映

シリーズ第11作。
村山監督は本作が一番好きだという。

実はこれ、前作「108号車」と同時に撮影された作品。
同時撮影は、当時時々あった撮影法らしく、予算削減とスピードアップのため、例えば捜査一課内のシーンを2作品分同時に撮影してゆき、編集で2作品に分けるというもの。
粗製とはいわないまでも乱造を極めた当時の東映でよく行われていたらしい。

同時に撮った「108号車」が本筋のみを追い、枝葉のエピソードをのぞいたシンプルな構造だったのに対し、本作「遺留品なし」は、思いっきり枝葉のエピソードを取り込んだものになっている。
従ってテンポがゆっくりし、犯人に絡む女性たちの心理描写に力がそそがれている。
村山監督の好みは、女性心理の裏表や、人間味あふれる社会風俗の描写にあることがわかる。

製作はシリーズの生みの親の斎藤安代、脚本は長谷川公之という鉄壁の布陣。
音楽は富田勲。
67分の中編だ。

アパートで30歳独身の女性他殺死体が発見される。
遺留品のない現場で数少ない手がかりをたぐって捜査一課の刑事たちが捜査に散ってゆく。
捜査一課長役の松本克平は現場に立ち会うだけの出演。
主任役の神田隆の指揮の元、堀雄二、花澤徳衛、南廣、山本麟一らのレギュラーメンバー。

手がかりは害者が電話交換手だったことと、部屋の残された30万円分の株券。
職場の同僚の証言から、害者が結婚相談所に登録し、付き合っていたらしい男がいたことがわかる。
一方、株屋の営業マンからの情報でプライベートな男関係が浮かび上がる。
同時に所有する株券の番号も入手する。

捜査過程での花澤徳衛刑事の描写が楽しい。
痩せて生活感丸出しの中年刑事を演ずる花澤が、巧みに聞き込み対象者の懐に入り込み、首を突っ込むようにして貴重な情報を探りだす。
張り込み中の喫茶店で何気なくメニューをのぞくと『待てば海路の日和あり』の文字があったりする。
村山監督のユーモア好みのカットだ。
なお、今回はカツ丼は出てこない。

村山監督のこの作品でのこだわりは、女優の選択に色濃い。
有名女優は、犯人の情婦役の星美智子くらいで、あとは地味だったりニューフェースの新人女優だったりを起用。
犯人による結婚を匂わせた詐欺の被害者には薄幸そうな美人女優の東恵美子を、交換手仲間のおしゃべりな情報提供者には蓮っ葉な感じの女優(谷本小夜子)を、さらに参考人(木村功)の遊び相手で偽証する女子社員には派手な感じの若手女優(八代万智子)を配役。

タクシーの運転手で貴重な情報をもたらす女性にはジーパンの似合うボーイッシュな女優を、最後には犯人の被害者の一人として若き日の杉山徳子を使っている。

この念が入ったキャステイング、薄幸美人とブスと崩れた色気のオンパレードではないか。
東美恵子はのちに「白い巨塔」で院長夫人を演じ、八代万智子は「プレイガール」で活躍し、杉山徳子の実力ぶりは定評がある、とはいえ。
ちなみに村山監督が「顔のない女」「108号車」で使っていた、ねんねこを背負う生活感のある女性像へのこだわりは、本作でもワンカットの登場があった。

犯人の情婦役・星美智子

戦後の安定期を迎えるこの時代、住宅地には未舗装の道路が残り、安アパートと粗末な商店が軒を連ね、都電が走っていた東京。
30代を迎える未婚の女性達の裏の実像は、結婚相談所と称する男女出会いの場だったり、株式投資だったりにあったのだ。
そしてそこはオールドミスを食い物にする犯罪者の生息域でもあったのだ。

同僚の他殺を聞いて、その男関係を嬉しそうにペラペラしゃべる女、犯人に経済的にも性的にも搾取されながら信じる気持ちを否定できない女。
これら社会の「実情」を遠慮なく描写する村山監督の、これが監督一流の「ドキュメンタリータッチ」なのだろう。

捜査一課の部屋の片隅で、犯人の逮捕を聞きながらうつむく、東美恵子扮する被害者女性。
事件が一段落し、電気スイッチを消そうとして、彼女の存在に気づき、優しく退室を促す神田隆主任がいい。
『もっといい人がいますよ。これからは、そういう人と幸せをつかむんですなあ(意訳)』という昭和の刑事そのままのセリフを吐きながら。

「警視庁物語 12人の刑事」  1961年  村山新治監督   ニュー東映

火山口へズームしてゆく画像をバックに「ニュー東映」のロゴが入った三角マークが浮かび上がる。
1年ほど続いた東映の第二配給のロゴで幕が開ける。
本作は、併映作を「ファンキーハットの快男子・二千万円の腕」として、ニュー東映のメイン作品として封切られた。

京都と東京の撮影所で、毎週4本を撮り上げなくてはいけなかった当時の東映の殺人的なスケジュール。
ニュー東映の番組の「本編」として、90分の尺を埋める代わりにそこそこの製作費をあてがわれたこの作品。
作品の枝葉のエピソードをたくさん用意して尺を伸ばす工夫を行い、松島への長期ロケを行うなどして費用もかけている。
が、その分、展開のスピード感が薄れ、時には凡長ともなった?
ロケによる効果も『ドキュメンタル』なものよりも『紀行的』なそれとはなっていなかったか?

オリジナルポスター

シリーズも第17作となり、ネタを考える脚本家も大変だったろう。
エピソードには、過去のシリーズ作品の繰り返しも見られる(課員総出で交通事故報告原簿を調べ車両情報から犯人を割り出す徹夜のシーンなど)。

シリーズの基本精神は『刑事の個人プレイやヒロイズムを排し、地道な捜査を淡々と描き、捕物的なアクションは最小限にとどめる』、『捜査対象の庶民の姿を、当時の社会の実情を隠すことなく描く』。
これは変わっていない。
犯人に騙された女性に対する眼差しや、あるいは情報提供者の野次馬的な無責任ぶりに対する突き放した視点も共通している。

プレスシートより

松島のホテルで発見されたハイミスの殺人死体。
手掛かりは、白浜の旅館のネーム入り石鹸箱。
まずは、白浜が和歌山なのか千葉なのかの特定から捜査がスタートする。

千葉の白浜の旅館を特定し、地元の巡査と聞き込みに行く。
いつもながら、地道というかリアルというか、警視庁勤務法務医の経歴の脚本の長谷川公之らしい展開が冴える。
白浜の旅館主が、野球好きの地元のボスで、選挙違反であげられてから警察には非協力的だという設定も味がある。
野球はこの作品のキーワードの一つともなる。

捜査一課の刑事たち(レギュラーの堀雄二、花澤徳衛、山本麟一に、若き日の千葉真一も加わっている)は宮城県警から出張の二人とともに、主任(神田隆)の指揮の元、真夏の東京へと散ってゆく。

宮城県警から出張した二人の刑事を迎えて、夜の課内でささやかな一杯を行うシーンでは、庶民的な警察部内の日常が描かれる。

封切り当時の新聞広告より

被害者はパチンコ店勤務のハイミス。
聞き込みにパチンコ屋二階の住み込み部屋を訪れる。
下着姿で、布団の上ではしゃぐ若い女店員たちの生活感。
被害者にコナをかけていたクギ師を犯人と仮定するが、その男は店の金を横領し夜逃げしている。
『パチンコ屋の女店員』、『クギ師』といった今は死語となった存在が出てくる貴重な場面。
シリーズ「顔のない女」では今はなき昭和の歴史遺産、ダルマ船が一つの舞台として取り上げられてもいた。

本作では被害者や犯人?の線から、ストリップ小屋、ガラス工場、ゴム工場、パチンコ機製造工場、スラムにある被害者の実家などを舞台にした聞き込みが行われる。
それぞれが短い尺ではあるが、そこで描かれるのは劣悪な環境での労働だったり、未来に希望がない若者たちの享楽性だったりだ。
登場する役者も、被害者の父親役に殿山泰司を配した以外は、若い無名の俳優たち(東映のニューフェースや大部屋俳優)を使っていてそれが効果を上げている。

いつものように捜査一課の室内全景を捉えるカメラアングル。
画面の隅や奥では、山本麟一がシャツの着替えをしていたり、千葉真一がどんぶり飯をかっ込んでいたりする。
個人的なヒーローはおらず、刑事全員が主役であり、もっといえば捜査一課の部屋が主役であるといわんばかりの構図だ。
これがいい。

刑事役の花澤徳衛の比重はますます高くなっていて、張り込みでは若手を指揮している。
また最後に出てくる真犯人の愛人(佐久間良子)を説得し捜査に協力させるという重要な役を担っている。
佐久間良子は「顔のない女」でのようなチョイ役ではなく、出番は限られているが犯人逮捕に至る重要な役で出演。主役級の女優として、場面を引き締めている。
花澤刑事と愛人佐久間と、犯人曽根晴美の三人が、追いつめ追いつめられる緊張感に満ちた新橋駅前のロケは、シリーズらしいドキュメンタルな迫力に満ちていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

曽根晴美扮する真犯人は、東映の土橋投手の先輩のプロ野球選手崩れという設定。
新橋広場の街頭テレビの野球中継で投げる土橋投手を見つめながら逮捕されてゆく。
曽根晴美本人が、東映フライヤーズの選手だったことがあり、ケガで引退後にニューフェースとなったという。
二重三重に『野球』が伏線となったドラマでもあった。

彩ステーションでグァテマラコーヒー

冬のような花冷えのある日、出勤中の山小舎おばさんから電話で彩ステーションに呼び出されました。

ステーションのサポーターの一人である、グアテマラ出身のマリアさんが、自国のコーヒーを点ててくれるというのです。

凍える中、雨でぬれながら自転車で着いたステーションでは、いつもの明るいマリアさんが持参のコーヒーセットでグアテマラコーヒーを淹れ、午前中からのお年寄りにふるまっていたところでした。

コーヒーを淹れるマリアさん

集まりにはナショナルカラーの赤の民族衣装で張り切るマリアさんですが、寒いこの日は原色の緑の割烹着姿。
パラグアイ出身のナンシーさん手製のケーキとのセットでもてなしてくれました。

用意したのは自慢のグアテマラ産コーヒー

20年ほど日本人の旦那さんの実家で義両親と暮らし、看取った話。
週3回、早朝の電車で横浜へ向かい、客船などで訪れるお客さんにスペイン語で対応する仕事をしていること。
自分からバリバリ、日本語で話すのが彼女らしさ。
話の勢い、内容の面白さに、聞いているお年寄りたちは大喝采です。

お客さんは近所の常連さん

この日は急に『来たい』とマリアさんが山小舎おばさんに伝えてきたというグアテマラコーヒー大会。
いろんな才能、人材が集まり、喜んでくれる人がいる場所らしい催しでした。

3月の山小舎

3月中旬に様子を見に山小舎へ行きました。

直前には甲信越地方は雪の予報があり、積雪が心配されました。
スタッドレスタイヤは装着したままです。
高速道路はもちろん、下道は路面乾燥状態。
標高1500メートルの大門峠だけには融雪剤散布の形跡がありました。
着いてみると、心配した通り山小舎の玄関が雪で閉ざされていました。

この日の山小舎の玄関前

最近振った積雪と屋根からの落雪で閉ざされた雪が一部氷となって玄関前を塞いでいます。
スコップで雪かきし、氷を砕かないと家に入れませんでした。

到着した日の夕食は恒例の炭火焼きです。

必死の除雪で開通
信州鶏の炭火焼き

翌日は天気が良く気温も低くないのですが、山小舎周辺は全くの冬景色です。

その日の昼食は茅野側に下りて、最近見つけた蕎麦屋に行きました。
開店前は他県ナンバーのお客さんが並ぶほどの蕎麦屋です。

山小舎周辺の様子
道路もこんな具合
手打ちそばの昼食

その後は、八ヶ岳の奥を目指し、奥蓼科温泉郷の「渋の湯・辰野館」で日帰り入浴です。
山中で行き止まりの「湯のみち街道」というルートを通り、御射鹿池という、東山魁夷の絵で有名になった池を過ぎて登ってゆくと、道沿いに明治温泉、渋温泉が出現します。

ルートを逸れて、除雪されていない坂道を恐る恐る下った場所にあるのが明治温泉。
お湯がいいとのことですがまだ営業開始していませんでした。

八ヶ岳
御射鹿池

湯の道街道に戻って更に行くと、渋温泉辰野館があります。
武田信玄の薬湯と言われる知る人ぞ知る温泉です。
日帰り料金は1650円と見たこともない高額設定ですが、入ってびっくり。
源泉温度は20度で冷たい温度ですが、温めたお湯につかると、体に染みるというか、強烈に暖まるというか。
湯の華で滑りそうな浴槽につかりながら温泉のだいご味を堪能しました。

奥蓼科温泉郷・渋辰野館
湯のみち街道

雪は深いのですが、3月の山小舎は真冬の寒さから一段落し、春の訪れを待つような気配でした。
今年の山小舎開きは4月中旬になりそうです。

ラピュタ阿佐ヶ谷「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」より 「警視庁物語」シリーズ その1

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「警視庁物語」シリーズ

「警視庁物語」シリーズは、東映東京撮影所で1956年に始まり、1964年まで全23作が製作された人気シリーズだった。

舞台は警視庁捜査一課。
一課長(松本克平)と主任(神田隆)を中心に10人ほどの捜査員たちが都内に発生する事件に地道な捜査を続け解決に至るまでの一話完結ドラマ。
全作品がモノクロで撮られ、上映時間は60分から90分で、多くが時代劇の添え物作品として封切られた。

シリーズ通しての脚本は長谷川公之。
千葉大医学部出身で警視庁法医学室に勤務した経験を持つ。
学生時代から執筆活動を続けており、1957年には警視庁を退職して文筆に専念した。
映画化脚本に「警視庁物語」シリーズのほか、「危険な英雄」(57年 須川栄三監督)、「陸軍中野学校」シリーズ、「女賭博師」シリーズ、「密約 外務省機密漏洩事件」(88年)など。

配役はレギュラーの刑事に神田隆、堀雄二、花沢徳衛、南廣、山本麟一、のちに千葉真一など。
ゲストには、今井健二、曽根晴美、室田日出夫、潮健児ら当時の東京撮影所若手俳優陣をはじめ、山村総、木村功、加藤嘉、小沢栄太郎、田中春夫、山茶花究らを単発招集。
また女優陣には高橋とよ、菅井きん、沢村貞子、千石規子、星美智子、浦里はるみら芸達者のほか、岩崎加根子、小宮光江などの若手女優の名も見られる。

「警視庁物語 顔のない女」  1959年  村山新治監督  東映

シリーズ第9作。
村山新治監督はシリーズ第5作目の「警視庁物語 上野発五時三十五分」で監督デヴューしている。

オリジナルポスター

土曜の午後、半ドンが終わった昭和の勤め人たちがプライベート時間を自由に過ごそうとしている。
捜査一課の刑事たちも、独身者はデートに、既婚者は子供と動物園に、また妻の出産する病院へ、と三々五々の時間を過ごす。
ただし本部への定時連絡は欠かさずに。

荒川べりの河川敷で野球少年が不審な浮遊物を発見し、刑事が直ちに集められる。
新聞紙に包まれた女のバラバラ事件だ。
死体から発見されたマネキュアのメーカーの線、死体を包んだ新聞紙と紙紐の線、下腹部の手術跡、などを手掛かりに直ちに聞き込み捜査が始まる。
主任の指示のもとその足で捜査に散る刑事たち。
携帯もなく、パソコンもない時代だが、電話と黒板に集約された情報だけで実に効率よく刑事たちは捜査を行う。
時間をかけて、常にたばこをふかしながら。
何より行動が早い!

刑事が聞き込みに訪れる先の描写がいい。
化粧品会社の女社長(高橋とよ)や、芸者置屋の玄人年増(浦里はるみ)、ストリップ小屋のグラマー(小宮光江)などなど。
いずれも一筋縄ではゆかない癖のある登場人物。
以下少し長くなるが3人について調べてみた。

高橋とよはご存じ小津組の常連、わき役ながら「東京物語」に出ている伝説の人。
プログラムピクチャーへの出演も多い。
本作では死体のマニュキアに使われていた「アリス化粧品」の社長役。
聞き込みの刑事に対し、お客の個人情報を部下の男性社員がいちいち高橋とよ社長に向かって承認をとりながら答えるシーンのすっとぼけた味わいが絶品。

芸者の置屋のおかみさん役の浦里はるみという人。
1955年に東映入りし時代劇では「旗本退屈男」「大菩薩峠三部作」にも出ている。
本作当時はまだ二十代と聞いてびっくりの貫禄ぶり。
劇中、芸者たちが稽古している置屋の玄関先で聞き込みに来た若い刑事(南廣)に『私あなたみたいなハンサムに弱いの』と迫ったりするあたりは40代の大年増に見える玄人っぽさ。

そして小宮光江のストリップ衣装のスタイルの良さ。
1955年鎌倉海の女優カーニバル優勝を引っ提げて東映入り。
川村学園当時は佐久間良子の先輩だった。
「ズベ公天使」(60年)など、女版不良性感度作品の先駆けとのこと。
本作のストリップダンスの稽古場シーンはスタジオから見学者を追い出して撮影されたもの(ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲載された封切り当時のプレスシートより)、なるほど画面に見入ってしまった。
代表作は「はだかっ子」(61年 家城巳代治監督)「花と嵐とギャング」(62年 石井輝男監督)。
惜しくも62年に自死とのこと。

高橋とよ
浦里はるみ
プレスシートより、浦里はるみの出演場面を伝える
小宮光江
小宮光江の出演場面を伝えるプレスシート

刑事たちの聞き込み先はまだまだいる。
陰のあるバイト大学生(今井健二)と、彼が片思いする令嬢(佐久間良子)だ。
令嬢は、乗馬クラブで悠然と刑事相手に微笑むだけだが、この2、3分にも満たない佐久間の登場シーンは、果たして必要あったか。
サービスカット的なものなのか?

とにかく地道に足で捜査を積み重ねてゆく刑事たち。
いくつかの情報を重ね合わせて核心へ近づく。
犬の死体を包んで実証実験を行い、荒川の当該部分は上流へ向かって流されることがわかったりする。
妻の4人目の出産が待望の男の子だとわった刑事(花柳徳衛)が、皆からお祝いをもらうなどといった職場のエピソードもつづられる。

「もはや戦後ではない」(1956年の厚生白書より)1960年当時だが、まだまだ戦後の陰は濃い。
東京の墨田川にはダルマ船で暮らす水上生活者がおり、足立区の荒川沿いにはお化け煙突が聳え立ち、下町の安アパートには管理人がいて、ヤクザの商売には闇ドル買いがあった。
住民の戸籍はどうなっているのか、水上生活者の住むのダルマ船は、犯罪者の格好の隠れ場所にもなる可能性があったりするのだ。

低予算のため、捜査一課の室内セット以外はロケで撮影されたという「警視庁物語」シリーズ。
現在ではすべて失われた昭和の風景が色濃く反映された画面。
アパートの管理人(菅井きん)や、犯人に車を貸した挙句警察に追われて事故死する運転手の妻(谷本小夜子?)の子供を背負って病院へ駆けつける姿に表現される、名もなき庶民たちの姿。

「警視庁物語」は実体験のある脚本家によるてらいなき事実の積み重ねのストーリーを、これまた事実の再現に徹した映像化がもたらした貴重な時代の記録でもあった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「警視庁物語 108号車」  1959年  村山新治、若林栄二郎共同監督  東映

シリーズ第十作は、若林との共同監督。
若林監督については多くを知らない、「遊星王子」などの監督作品があったらしい。

54分の中編だが、その分枝葉がなく本筋がギュッと詰まった1本。
脚本は警察法医学者出身の長谷川公之。
レギュラー陣は不動のメンバー。
枝葉がない分、傍系のエピソードはなく、セリフのある女優は出ていない。

オリジナルポスター

警邏中のパトカーに乗った巡査が、車に乗って逃走中の犯人に射殺される。
直ちに招集される捜査一課の刑事たち。
寝間着姿の刑事たちを巡査が各自宅に迎えに行く場面がタイトルバックに映し出される。
昭和チックながら緊迫感が画面からあふれる。
さあ、捜査開始だ!

今回の捜査一課はいつにもまして地道な捜査に終始する。
車のナンバー・型式からの線、自動車修理店に残された名刺(偽名)からの線、銃痕からの線等々。
刑事たちはいつにもまして余計なセリフを吐かず、黙々と迅速に足で捜査する。

今回も殉職した巡査の香典を集める場面など、職場としての警察内部の日常描写がある。
これで殉職警官が2000人以上となったなどのセリフもある。
ラストは殉職警官を祀る弥生神社への参拝シーンで終わる。
実際に警察内部にいた脚本の長谷川ならではの書き込みである。

映画のハイライトは、運転免許場の台帳と交通違反調書からの照合作業の場面だ。
捜査一課全員と応援の職員が、夜通し、台帳を一件一件めくってゆく。
暗い照明の元、たばこをくわえながら、ネクタイを緩めて、眠気と戦いながらの作業が続く。
ときどき仲間がお茶を淹れてくれる。
眠気に耐えきれず椅子に横になる。

誰がヒーローでもない、地道な作業。
劇的なセリフもなく、ドンパチは最後の最後だけ。
ひたすら事実を積み重ねて真実を追求する。
「警視庁物語」シリーズの根幹にして真髄がここにある。

プレスシート

働き盛りの、贅肉のない、庶民そのものの、昭和の刑事を花澤徳衛が好演。
この俳優はのちに人情刑事を得意としたが、その発端となる「警視庁物語」では、芝居らしい芝居はなく、セリフは上司の指示に応える「はい」と、捜査結果の事実報告と、簡単な所見だけ。
余計なセリフや性格付けがないのがドキュメンタルでいい。

ある場面で出てきた赤子を背負った女性。
前作「顔のない女」でもタクシー運転手の妻役で子供を背負った女優を使った村山監督が、『名もなき市井の女性』を表すときに使うのが、赤子を背負った地味な女性なのかもしれない。

花澤徳衛が自動車屋の社長(東野英次郎)に協力を仰いで、府中の免許場で台帳の写真を面通しさせるシーンで、カツ丼がさりげなく登場。
作業の合間に二人でかっ込んでいたが、案外その後の刑事ドラマでカツ丼が小道具として多用されるきっかけの場面だったりして。

また、ホンボシにつながるチンピラ(曽根晴美)を拘束し、捜査一課で取り調べする際、昼食に蕎麦の出前を取り、『食べたらどうだ?』とチンピラに促していたが、追いつめられたチンピラは食べるどころではなかったが、実際はそんなものだったろうと思われた。
ここら辺も長谷川脚本の地道でドキュメンタルな名場面だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「ふくしの窓」配布

シルバー人材センターのバイト第二弾として「ふくしの窓」をポステイングしました。

「ふくしの窓」は調布市社会福祉協議会の会報で市内全戸配布。
山小舎おじさんの担当区域は前回同様深大寺元町です。
期間は3月4日から10日まで、配布は期間厳守です。
部数は2060部。
まあ余ります。

「ふくしの窓」第一ページ

「ふくしの窓」はB4サイズ、8ページあります。
それが二つ折りになっており、配布時にはさらに折らなければ郵便受けに入りません。
自転車に積むには前後で500部が限度です。

内容的には見るべき記事なし、の今月号

深大寺だるま市の当日から配布開始です。
この週は、雪の予報が出たり、雨だったり、寒かったり。
天気の合間を縫っての配布です。

この日はだるま市開催日

深大寺元町は、国分寺崖線の上下、野川を挟んでのエリア。
坂道や川沿いなど道路が入り組んでもいます。

また、最近の住宅地は、急坂にあったり、入り口幅2メートルほどの奥に敷地があったりします。

木造アパートの二階にも配布しいますが、ポストがいっぱいだったり、空き家だったり。
アパートやマンション全体の集合ポストがあれば効率がいいのですが。

梅が満開

このエリアは自宅からは離れているので、昼食に帰ってくるのは非効率です。
どこかで休んだり、食事をするのですが、武蔵野市場周辺にしか(あるいは深大寺周辺)食堂や商店がなく、ちょっと不便でもあります。

昼頃には警察の広報車が『ただいま、調布市内で振り込み詐欺の電話がありました・・・。』などとスピーカーで広報しています。
午後1時を過ぎると『まもなく小学校の下校時間です。見守ってください。』のアナウンスも。

もう午後一時かと思いながらのポステイングの日々。
今年は腰が痛くなり、もう年なのかと感慨?も新たです。

桜が開花?

彩ステーションで「春の落語会」

三寒四温の間を縫って、みんなの居場所・調布柴崎の彩ステーションで落語会が開かれました。
POCO&POCOの会の後藤さんが主宰して、山小舎おばさんの彩ステーションが協賛する催しです

落語会の案内ポスター

出演は金原亭小馬生というプロの落語家、入門25年目という真打です。
彩ステーションの関係者のつながりで出演いただき始めて5回目。
1席10万円の芸人が、満席30人ほどの民家に「投げ銭」方式でやってきてくれます。

孫たちも聞きに来るというので、山小舎おじさんも出かけてみました。
開始前、彩ステーションのたたきに並べられた椅子は満席です。
いつものレギュラー陣に加えて新しい顔も見えます。

開始を待って集まる人々

即席の高座に小馬生師匠が上がって落語が始まりました。
このような席でも本式の着物に着替えて、直前には食事をしないように調整して上がってくれます。

まずは古典落語の「泥棒と妾の騙し合い」の話を演じてくれました。
話の終盤、孫の小学校一年生が退屈そうにしたのを見て、高座から『つまらない?』と聞く場面も。
いつもは休憩なしで次の話へ行くところを休憩をはさむこととなりました。

休憩中は孫たちは畳の上で遊んだりして気分転換。
高座も子供向けに、タヌキの声色や食べ物、飲み物の演技を取り入れたわかりやすいものになりました。
4年生の孫は集中して聞いていました。

小馬生師匠が高座に上がる

終演後、師匠を囲んでサポーターたちと懇談。
私服に着替えるとやはりプロの落語家、素人離れした雰囲気となります。
修業時代のことなどをうかがいました。『楽屋ではえらい順番に座る位置が変わる。』『師匠によってお茶の好みが違うので弟子はそれに合わせて淹れる。』『弟子時代は自由な時間や使えるお金はほとんどなかった』などを話してくれました。
まんべんなく周りに気を使い、相手にいやな気を全く感じさせないところにもプロを感じます。

近所の方が、よかったらと女ものの着物を3着ほど持ってきていました。
師匠はそれらを広げて試着しつつ『黄八丈だな』とか言ってました。
いいものをくれたようですが、それがわかる師匠もプロです。
喜んでもらってゆきました。

色紙を書いてくれた

『次回はどうしましょうか。夏に浴衣でやりましょうか?』と言いながら次の場所へ向かってゆきました。
彩での高座もやる気満々のようでした。

ちなみに本日の投げ銭は4万円。
大人は一人1000円、子供500円が標準ですが、「投げ銭」なので基本的には観客各々の「お気持ち」が集まった結果です。

ラピュタ阿佐ヶ谷「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」より 中原ひとみを「再々発見」

中原ひとみ

1936年東京生まれ。
東映第一期ニューフェース。
同期に南原宏治ら。
54年「魚河岸の石松 女海賊と戦う」でデヴュー。

55年、独立プロ作品「姉妹」に参加。
監督は松竹をレッドパージされた家城巳代治、共演は大映の野添ひとみ。
映画出演7本目にしての初期代表作となり、以降家城作品の常連となった。

「姉妹」

50年代後半は東映東京撮影所の現代劇を中心に出演。
57年には今井正監督の「米」、「純愛物語」に参加、後者はベルリン映画祭の銀熊賞を受賞する。

「純愛物語」

60年代にかけて東映東京のほか、東映京都の時代劇にも出演し、東映の看板女優となるも63年からは活躍の場をテレビに移し現在に至る。

中原ひとみと筆者との出会いは、学生時代に16ミリ版で見た「純愛物語」。
ストーリーは被爆者の若い女性がボーイフレンドとの愛をはぐくむというロマンスと悲劇だが、今井監督の粘りが妥協のないドラマとなっていて、画面に見入った記憶がある。

そして後年になって見た「姉妹」。
懐かしいい昭和の地方風景の中、貧しくも活発に生きる庶民の姿が活写された中で、家城監督の意を体現したかのように中原ひとみが生き生きと躍動していてファンになった。

その後見たのは、「おしどり駕籠」という、マキノ雅弘監督による京都撮影所の時代劇。
錦之助とひばりの脇で、射的屋の看板娘の一人として、数人で踊りながら登場するマキノ映画ならではのシーンが印象に残る。

今次の「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」特集では、彼女の現代劇が見られる。
ホームグラウンドだった東京撮影所のプログラムピクチャーから、中原ひとみを再々発見してみよう。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「東映現代劇の名手 村山新治を再発見」のパンフ表紙

「消えた密航船」  1960年  村山新治監督   東映

東映ニューフェース第二期の今井健二(当時は俊二。同期に高倉健、丘さとみ)の数少ない主演作品。
しかも善玉役。
与太者上がりの主人公の設定だからか、表情にゆがみが出始め、暗く鋭い目つきなど、役者人生の大半を悪役として生きることになる下地が垣間見える。

そのガールフレンド役として夜の仙台駅(の設定)で登場する中原ひとみの輝きに比べて今井の存在の暗いこと。
映画の後半まで、今井の正体も、悪か善かもわからない。
中原が味方だから善玉なのだろうけど。

出だしの遭難船からのSOSの信号音を背景にスーパーインポーズが流れる場面。
セミドキュメンタリー風の出だしに、B級サスペンスの緊張感がみなぎる。
悪くない。

親友の不審な死(遭難死を装った殺人?)に疑問を抱き、「知床」の町を訪れ、繁華街で聞き込みを始める今井。
劇中「知床」なる駅や港、駅前の実写風景が出てくるが、これらは清水(現静岡市)でのロケとのこと。

バーでの聞き込み場面。
訳ありのマダム(久保菜穂子)から情報を聞き出そうとする今井の芝居が気になった。
相手がしゃべる時の相槌の仕方や、一瞬の間は、素人劇のようではないか!
これでは今井健二、芝居が下手だから顔のゆがみと目つきの悪さで悪役として生き残るしかなかった、という結論でいいのか?
アクションシーンでの動きはまあまあだったが。

村山新治監督の持ち味は、最果ての港町の闇をドキュメンタルに再現すること。
柄の悪い無名俳優を今井を尾行するチンピラ役に起用して闇のムードを醸し出してはいたが、重要な役に東野栄次郎や岡田英次らお馴染みの顔が出てくるとその緊張感が緩む。
折角の久保菜穂子も役不足(役の方が軽すぎる)。

圧倒的光量で輝く中原ひとみは、全くこの作品に似合あわず、すでにアイドル的存在を越える存在感を発していた彼女にとって、これも全くの役不足だった。
彼女の女優としての実像が、ドラマの虚像をどうしょうもなく上回っていた。

中原が、この怪しい映画でいかにピンチに陥ろうとも危機感が醸し出ないのは困った反面、彼女のファンとしては安心して見ていられた。
今井健二ではすでに当時の中原ひとみには役不足(今井の方が軽い)だった。

「白い粉の恐怖」  1960年  村山新治監督  東映

「警視庁物語」シリーズの村山監督だったら、東京の町を俯瞰でとらえたであろうか、映画の冒頭シーンは静物画のようなケシの花のアップ。
その画面に林光のモダンで怪しげな音楽が被ってタイトルロール。
監督らしいざらざらしたスピード感のあるシーンではなく、警察とタイアップしたまるで反麻薬の啓蒙映画のような出だし。

作品の結論は、『麻薬に手を出したら身を亡ぼす』だから、奇をてらわずに、地味な正攻法でそのテーマと取り組むのは、まじめな村山監督らしい。

村山監督とは59年の「七つの弾丸」以来コンビの続く三国連太郎が厚生省麻薬取締官を演じ、まるで腕利きの刑事のように新宿の最深部で売人やその元締めのヤクザ、さらにはヤクザの幹部とまで渡り合う。
その身を粉にしたおとり捜査、情報収集、犯行現場での取り締まりなどがキビキビと描かれる。

当時の取り締まりは、幌付の小型トラックで現場付近に待機し一斉に立ち入っていたのだから牧歌的だったのではないか。
売人たちは取締官を「ダンナ」と呼び決して手出しはしない。
売人とヤクザはブツを巧妙に隠すし、取引では少しでも不信なことがあると撤収するなど用心深い。

クスリの使用者は決して一般人などではなく、例えば新宿などの盛り場のドヤで暮らし、売春などで生計を立てるような階層だった。
また、おとり捜査の認められている麻薬捜査では、売人側の情報提供者がいたりした。
麻薬を取り巻く世界は、この当時あくまで限定的なものだった。

作品のもう一人の主人公が中原ひとみ。
『初の汚れ役に挑む』とある。
汚れ役は初かもしれないが、これまで庶民的で逞しい少女や、原爆症のヒロインなどを体当たりで演じてきた。
本作では、監督得意のドキュメンタルな視点ばかりではなく、劇映画らしい視点での演出も取り入れており、中原ひとみは監督の演出に応えている。

中原演じる女性像の背景は詳しく描かれない。
地方から出てきて生活苦なのか騙されたのか、やむなく身を売るうちに、新宿のドヤに住み、クスリと切っても切れなくなった女性だ。
劇中『パンパン』と呼ばれるから戦災孤児など戦争や社会の犠牲者なのかもしれない。
ヤサグレてはいるが、親身になってくれる人には好意を持ち、結婚生活にあこがれを持つ。
人生の逆境を逆手にとって、独特の『明るさ』で生きる、という役柄では中原ひとみが生きる。

情報提供者の朝鮮人中毒者役の山茶花究がうまい。
日活なら小沢昭一の役どころだが、小沢がやるとギャグに傾くところをきちんと芝居で魅せる。
情報提供したのをヤクザに察知され、大阪に逃げるからと小銭を捜査官にせびる芝居。
実はまだ新宿にいて捜査で捕まり、取調室で禁断症状を起こす迫真の芝居の悲惨さ。

この取調室で売人の禁断症状にオタオタする新人取締官役が今井健二。
真面目な新人として三国にくっついての演技。
この俳優、無理に主役をやらず、誰かの脇に回ったら生きる。
悪役に転向した後で、高倉健の兄弟分役として脇に回った「侠骨一代」(67年 マキノ雅弘監督)はよかった。

三国連太郎は、新宿を舞台に、飲み屋、ドヤ街、喫茶店を自分の住処のようにはいずり回るのだが、一方で自分自身の家庭も描かれる。
郊外の貸家に住み、大家の酒屋が電話を取り次ぐ暮らし。
妻と子供が一人、妻の妹が学生で同居している。

妻役に岩崎加根子。
新劇の実力派で、「警察日記」(55年 久松静児監督)の、磐梯山の麓で杉村春子の人買いに身売りされる少女役から、「忍ぶ川」(72年 熊井啓監督)の黒メガネをかけて座敷の奥で弟の嫁を迎える弱視の小姑役まで、幅広い経歴を持つ女優だ。

三国の妻役に岩崎加根子が起用されたのは重要な役だから。
すなわち、麻薬取締官といえど家庭があること、家庭側から見ると危ない仕事であること、そうはいいながら取締官にとって妻は最大の理解者でもあること。
作品の後半で、中毒病棟を退院した中原ひとみを保護するため、彼女を自宅に匿おうとする三国に対し、中原に嫌悪感を感じつつも、最大限夫の仕事に協力しようとする岩崎の演技の説得力はさすが。

中原が家庭の雰囲気に触れ「二人はどうやって結婚したの?」とか「あたいも結婚したいな。あたいは宮川さん(三国の役名)が好きさ」と岩崎に話すシーンがあった。
堅気の岩崎は、嫌悪感を表しつつそっけない返事をするのだが、これが拒絶感ではないところの微妙な表現。
中原の懸命な演技を受け止めた岩崎の懐の広さ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

劇中最後の大捕物は取締官が大企業社員に扮し、ヤクザの大物に取引を持ち掛けるというもの。
ヤクザ側が企業に確認を取るというのも承知の上で、取締官はあらかじめ企業と組んでの仕掛け。
突然、ヤクザが企業本社に訪れ慌てる取締官。
ようやく取引に至り、現行犯逮捕となる。
ここで取締官の口からヤクザの大物に対し「戦時中は大陸で麻薬の取引で財を成し・・・」のセリフが吐かれる。
これまでは、取締官と売人という最底辺同士の対立ばかりが描かれ、「巨悪はどうした?」の不満がないわけではなかった見る者に、そこのところも若干ながら押さえたシナリオだった。

ラストは、自殺とされたが体内から基準値以上のクスリが検出された中原の死。
三国が思わず「殺しだ」と呟く。
身寄りがなく、夫婦二人のみが見送った焼き場の帰り、岩崎が「(自宅に匿った際)もっと親身になってあげればよかった」とつぶやく。
なるほどこの作品の最後の締めはやはり岩崎加根子によるものだったのか。

「野菜だより」3月号

「野菜だより」という月刊雑誌があります。
ブテイック社という出版社が出している大版のカラフルな雑誌です。
書店では、移住情報雑誌、健康雑誌などのコーナーに置かれていることが多い、家庭菜園愛好者向けの雑誌です。

その3月号の巻頭特集がガッテン農法でした。

ガッテン農法は三浦伸章という人が編み出した農法で、藁をねじったものを埋めて畑の性質を改善し、野菜の育ちを良くするものです。
どういう風に改善するのかというと、土中の空気や水分の流れを良くし、微生物を活性化するようです。
また、野菜がどう育つのかというと、早く大きく育つのではなく、遅く小さく育つのですが、野菜本来の味に育つようです。

そしてこれが肝心なのですが、ガッテン農法式に畑を作ると、半永久的に無肥料、無農薬で野菜ができるとのことなのです。
その畑の作り方は、地中の耕盤層まで掘り下げて、硬い層を砕き、ススキや糠、落ち葉、酢、炭などを入れて土を戻すというものです。
そうやって作った畝を毎年使うわけです。
山小舎おじさんの畑ではこうやってすでに数年の野菜作りを行っています。

さて、雑誌「野菜作り」ではどのようにガッテン農法が紹介されているのでしょう?
結論からいえば、かなり簡便に、またその理論をあえてぼかしたうえで、テクニック面だけをグラフィックな記事にしておりました。

「野菜だより」で紹介された、落ち葉を使うガッテン流畝づくり

ガッテン式畝づくりはかなり簡便なものになって紹介されていました。
また、肝心のネジネジ(本来は藁をねじって作る)の作り方がこれ以上なく簡便化されていました。
またその理論には全く触れていませんでした。

草をねじって埋めるテクニックも紹介されている

もともとガッテン農法の三浦さんはたくさんの経験的知識の上に、独特の感性を持ち、未踏の世界へ足を踏み入れたひと。
「科学的」な世界は超越しており、「信じるか信じないか」のレベル。
それを雑誌で紹介すればオカルトとして扱われるでしょう。
例えば「現代農業」などでは取り上げられないでしょう。
ということは、大規模な商業ベースの農業とは相いれないわけです。
自給自足ベースでいえば究極の方法なのですが。

ということで、家庭菜園が趣味の「意識の高い」方々にアピールする「無農薬」「省力」「斬新」といった部分だけを取り出して記事にしたのが「野菜だより」のガッテン農法特集でした。

トマトの斜め植えテクニックの紹介

世の中には玉石混交、いろんな技術、経験があります。
畑の世界は、植物学が解き明かした科学的世界のおそらく数倍もの未解明の世界があるのではないでしょうか。
経験としてその世界に分け入った先人が、これまで無数にいたものと思います。
私たちはこれらの遺産から自分に合うものを学んでいけばいいと思います。

彩ステーション「談論風発の会」

山小舎おばさんが主催している彩ステーションは、調布市柴崎にある「みんなの居場所」。
一軒家を借りて平日オープンし、歌の会、麻雀、体操、ランチの会などを、近所の主にシニアたちを集めて開催したり、時々はプロの音楽家や芸人が投げ銭方式で芸を披露したりもする場所です。
ほかに月一回の子ども食堂を開催(これは地元の小学校のPTAが主催し、彩ステーションは場所提供)したり、バザーを行ったり、関係者の誕生会を開いたりしています。

彩ステーションには、常時参加するシニアたちが20人ほどもいるので、例えばランチの会の炊事だけでも結構な手間が必要です。
そのための献立、調理、後片付けを行うボランテイアのスタッフ(サポーターと呼ぶ)が数人いて、毎週ランチの会を開催してくれたりします。
また、自分の特技を講習会のネタにして主催してくれる人がいたり、地域に在留の外国人が故国の料理の会を開いたりして、多彩なプログラムが提供されます。

そのプログラムの一つに「談論風発の会」というのがあります。
興味があったので参加してみました。
この日は3月11日。
最近は忘れがちだが、東日本大震災の日でした。

彩ステーションのホールで準備する参加者たち

主宰者は80代に近い女性。
彩ステーションのサポーターの一人として数年参加している人。
この人の司会で会が始まった。
参加は近所のシニアたち。
元気な人もいれば、ほとんど目の見えない人、認知症で会話が頓珍漢な人もいる。
お馴染みのメンバーばかりなので場の雰囲気はこなれている。

ホールの片隅にはまだひな人形の姿が

まずは14年前の震災当日、どこにいてどんな体験をしたのか?というテーマが司会者から提示されました。
皆さんとっくに退職していた時代だったようで、自宅付近の様子だったり、現地の知り合いが災難に遭った話が多かった。
自分の番が来たので、会社員時代に当日を迎え徒歩で会社から5時間かけて自宅に帰った話をした。
当時の都内の緊迫した雰囲気、閉鎖された駅舎の周りで列を作る人、渋滞で全く動かない都心部の車道、歩道を埋めて黙々と歩く人々など、忘れようにも忘れられない記憶を話した。
「そういえばこの話を誰かにしておきたかったんだ」と思いながら。
3月11日の「談論風発の会」にタイムリーな話題を振っていただいた司会者に感謝です。

会の後半は合唱だった
。彩ステーションには20部の手づくり歌集が配られた。
「ギターで歌おう会」というのを主宰している人が自力で作ったものとのことで、立派な作りに驚いた。

スタッフが自作された歌集の表紙

歌集で歌を選びながら10曲ほど。
テーブルの真ん中にデジタル式のスピーカーを置き、司会者の助手のような人がスマホから選曲して飛ばしたものが流れ、皆はそれに従って歌うのだが、隣の高齢者が本式の発声で歌っているので驚いた。
その方はかつて地域の公民館で合唱の会を主宰していたとのことだった。

歌集の目次
この日の選曲はザ・ピーナツの「恋のバカンス」から

1時間以上が過ぎ、用意された桜餅を食べて会が終了した。
会費は300円(通常は100円だが、この日は桜餅付きとのことで実費分増額)だった。

久しぶりに歌を歌えて気分転換になり、また忘れかけていた震災時の記憶を言葉に出せた貴重な機会でした。
彩ステーションに集う高齢だが貴重な人材にも感心しました。

桜餅がおやつ

ラピュタ阿佐ヶ谷「新春初蔵出し東映時代劇まつり」より 長谷川安人監督と集団抗争劇

マキノ光男が死に、岡田茂が撮影所合理化の責任を取って大泉撮影所長に左遷されていた1963年の東映京都撮影所。折から映画界全体の地盤沈下が顕著で、観客動員数と映画会社の収益は減少を続け、1960年には邦画各社合計で168本も作られていた時代劇は、1962年には77本にまで激減していた。

この間の、東映時代劇に関する状況の変化を「あかんやつら・東映京都撮影所血風録」から要約して引用する。

『東映にあっては、千恵蔵、右太衛門の両御大を筆頭に、大友柳太郎、東千代之介の人気が低下し、彼等の主演作品が当たらなくなっていた。
また、両御大に代わって東映の看板を背負っていた中村錦之助は、60年代に入って文芸大作路線に転じていたが、作品の出来はともかく、年を追って観客動員を減らしてゆき、錦之助と並ぶスターの大川橋蔵は、大島渚や加藤泰と組んでの新機軸が、まったくといっていいほど観客の支持を得ることができなかった。
こうして東映のスターシステムは崩壊し、すべては観客を喜ばせるためという東映時代劇の美学も消え失せた。』

『1963年、京都撮影所の企画部次長となった渡邊達人は、「集団抗争時代劇」というスタイルを考え出した。
これまでの明朗・軽妙の情の世界から、リアルな任務遂行の理の世界を描き、スターの魅力に頼らず、華麗に舞い踊る殺陣ではなく、生々しい殺し合いとしての殺陣を描く、というコンセプトのもと、天尾完次プロデューサー、結束信二、鈴木尚之、笠原和夫ら若手脚本家、長谷川安人、工藤栄一、山内鉄也といった若手監督を登用した。』

  長谷川安人監督について

ワイズ出版の「日本カルト映画全集2・十七人の忍者」がある。
集団抗争時代劇の第一作といわれる同作品をテーマにしたムックである。
内容は同作のシナリオをメインに、長谷川監督へのインタヴュー、関係者の談話などで構成されている。

長谷川安人監督について「東横映画に入るまでの自分史・長谷川安人」から以下に要約・引用する。

ワイズ出版「十七人の忍者」」
「十七人の忍者」目次

『大正大将11年広島県比婆郡生まれ。
4歳の時に一家で朝鮮に移住し各地を転々とする。
高等工業時代に、映画の撮影所に入ろうと、単身東京へ出る。
屋台で隣りの席にいた朝鮮時代の小学校の同級生と遭遇し、部屋代を半分負担して彼と同居。
その彼の姉が新興キネマのスクリプターをしており、彼女のつてで同大泉撮影所に撮影助手として入社。
1年後、撮影所内で何気なくはじいた石ころが女のすねに当たり、女は騒ぎ立て、逆上した長谷川は女の脚を叩く。
女は撮影所長お気に入りの女優候補で、謝らなかった長谷川は新興キネマをやめる決心をする。』

『釜山から汽車の乗って、新京の満州映画協会を目指し、製作部長のマキノ光男の自宅を訪ねた。
奥さんは自宅に泊めてくれ、翌朝会ったマキノは「まあええわ。徴兵までの娑婆や」といって満映啓民部(ニュース映画製作)に入れてくれた。
仕事で満州東北部の興安領を回り、北満の白系露人、オロチョンの狩猟等に接した。
その後、縁あって北京の華北電影公司へ移り、山西省の山々や、蒙古へ記録映画の撮影で赴いた。
長橋善語というマキノ家の番頭だった人が所長だった。
朝鮮で育ち、満映と北京時代の経験は長谷川の精神性に大きく影響した。』

『徴兵に際し、現地入隊ではなく現隊入隊を選び本籍地の広島で入隊した。
重慶近くの山中で終戦を知った。
親しくしていた見習士官から拳銃をもらって脱走した。
揚子江を下って南シナ海へ出、インド洋から紅海、地中海を目指すつもりだったが、昭和22年には札幌郊外の牧場で季節労働者をしていた。
折から、新興キネマ太秦撮影所で、マキノ光男を中心にした満映帰りの映画人たちが東横映画をスタートさせていた。.
札幌の長谷川に長橋善語から便りが来た。
「お前も頭がシャンとしたら京都に来い」』

長谷川監督の人生前半史があまりに面白く破天荒でスケールが大で、氏の人となりが横溢していると思ったので長々と引用した。

東映で助監督になってから以降は、同著のインタビューから以下に抜粋・要約する。

「十七人の忍者」奥付

『東映時代には助監督として、渡辺邦夫、松田定次らにつく。
どちらも看板番組を任される大御所監督だが、古い習慣を拒否したり、監督に尋ねられたことに正論で返すなどして、両大御所の組をクビになったり、監督昇進の機会を逃したりする。

ジプシー助監督として、吉村公三郎、成瀬巳喜男、丸根賛太郎、中川信夫ら外部からの監督にもつく。

なんと、大島渚の「天草四郎時貞」にもついた。
この作品は、話題性のある若い監督に自分の新たな面を引き出してもらおうとした大川橋蔵が、大島起用を会社に対して押し切って実現したものだったが、東映系の映画館主たちは初めから橋蔵と大島の取り合わせには反対だった。
出来上がりやその色合いの見当がつかないからだった。
スタッフたちは撮影中に半ば公然と「こらあかんで」と言っていた。
会社や橋蔵の望む天草四郎像と大島がねらうものが、まったく違うことはスタッフならば察しはついていたからだった。

演出中の長谷川監督

1963年「柳生武芸帳・片目水月の剣」で長谷川は監督デヴュー。
近衛十四郎主演のシリーズ6作目だった。
阿蘇山ろくで馬100頭を集めてロケしたり、天守閣を三角に作るセットを組んだりした。』

ラピュタ阿佐ヶ谷では、東映時代劇特集の1本として「十七人の忍者」が上映された。

「十七人の忍者」オリジナルポスター

「十七人の忍者」  1963年  長谷川安人監督  東映

脚本は、1960年に2年で8本の契約を東映と結んでいた新鋭の池上金男。
現場の総指揮は、渡邊達人企画部次長の任を受け集団時代劇の牽引役となった天尾完次プロデューサー。

勢ぞろいした最後の伊賀もの17人。その表情を見よ

東映の三角マークがモノクロの画面に音もなく映し出される。

大げさな表情は封印し、ひたすら静の演技に終始する大友柳太郎。
食らいつくように目を剥く里見浩太朗。
諦念したように冷たい表情の東千代之介。

普段着の伊賀もの17人が揃い、頭領からの命を受け目的地の駿府へと散る。
目的は公儀への謀反を企てる駿府大納言以下の諸藩連判状を奪取し、謀反実行の前に幕府により内密に平定させること。

この日のために日常を世を忍ぶ仮の姿で送ってきた最後の伊賀もの17人。
鍛えてきた忍法を発揮する晴れの舞台であるが、高揚感、華々しさはない。
あるのは、索漠とした寂しさ、わびしさ。
任務の向こうに確実に待っている死を予感してのものか、あるいは滅びゆく隠密、伊賀ものの定めが醸し出すのか。

隠密、忍び、伊賀もの、としての掟は、頭領の命令によって死ぬこと。
頭領は配下が使命を果たすことのみ考え、そのために知力・体力の限りを尽くす。

「十七人の忍者」より

3組に分かれた伊賀ものたちは駿府城に着き、それぞれに城内侵入を試みるが、駿府とて幕府による隠密の策動は承知のこと、伊賀ものに対抗すべく根来忍者の頭領(近衛十四郎)を軍師として城内の警備に当たらせている。

悲壮感に満ち、己の定めを粛々と受けれるがごとき伊賀ものたちに対し、根来の頭領はひたすら激しく、表情豊かなリアクション。
普段は最下層の武士ゆえ、城内の家臣たちに蔑まれている根来衆の怨念と反抗心をむき出しにして伊賀ものを迎え撃とうと待ちかまえる。
使命を果たすことに加え、自分たち根来衆の名声獲得と地位向上の野心に満ちている。
一方の駿府城の家臣たちは、根来の頭領の指示に従って防衛ラインを築きつつも、内心では根来への不信と軽蔑を隠そうともしない。
これが身分の差というものなのだろう。
また、ここに駿府城と根来の油断とスキがあった。
対する伊賀ものたちは完全に捨て身である。

花沢徳衛と三島ゆり子

駿府城の鉄壁の防御に17人の人員をいたずらに消耗し、頭領まで生け捕られた伊賀ものは、くノ一(三島ゆり子)もいれて残り5人。
頭領から「お前が指揮を取れ」と命ぜられた若き里見浩太朗が、自らも迷いながら作戦を決断してゆく。
すべては連判状奪取というただ一つの使命のため。
内心では年若い里見の指示を快く思っていなかった東千代之介も、里見の目的達成への無私の努力を見て、忍者としての掟に従い、捨て駒として死んでゆく。

東千代之介と里見浩太朗

最後のチャンスに、お濠を渡り、城壁をよじ登り、道具を駆使して城内へ侵入する行程を時間をかけて描く。
侵入用に彼らが持つ道具の「重さ」が感じられる。
画面の緊張感は最後まで途切れない。
何より役者たちが(ということはスタッフたちも)一生懸命やっているのがわかる。

伊賀忍者にとって幕府からの使命は、身分制度を背景にもした一族の存亡にも関わる絶対的なもの。
それを果たすためには、私情を排して集団で当たる。
ある意味野生の掟に近い、実力のみ、弱肉強食の世界。

作品は、その無機質な世界観を根底に、技術的、策術的な忍法のディテイルを丁寧に盛り込んでいった。
集団抗争時代劇は本作のヒットによってスタートを切った。

里見浩太朗

監督の長谷川は言う(「日本カルト映画全集2・十七人の忍者」より)。
・劇中の乾門は、彦根市と井伊家にお願いに行って、彦根城の石垣にぴったりはまる門のセットを作った。
橋の手前から見ると、濠、橋、門、城壁、松の樹々と全体が立派に映えたのでうれしかった。
・スタッフには、セットごとにカットのアングルと人の動き、用意する小道具などを描いて渡した。
皆に僕と同じ思いをして作業をしたかったから。
・濠の中の水中シーンも皆が乗ってやってくれた「おう、やろうやろう」と。
・配役は意識的に吟味した、わき役だが重要な役に千代之介を配したのもそのため。

根来対伊賀、頭領同士の最終対決。近衛十四郎と大友柳太朗

スタッフ、配役に恵まれ、アイデアを十分に盛り込み緊張感に溢れる力作、快作となった。
妥協を嫌う長谷川監督の気質がよく表れた作品だと思う。
プログラムピクチャーであっても、監督をはじめとしたスタッフの創意が貫かれている点では立派な「作家(達)の映画」が出来上がることを示している。

役者たちの決然とした表情は、全盛を誇った東映時代劇の凋落を目の当たりにした、これから映画界で働き盛りを迎えなければならない者たちが、まさに難攻不落な未知の領域に挑もうとするときの、不安に満ちながらも決然としたもののようにも見えた。