2023高遠城址公園さくら祭

「天下第一の桜「といわれる高遠城址公園の桜を見てきました。

令和5年の4月。
信州も各地で桜の満開を伝えています。
今年は高遠へ行ってみようと軽トラに乗りました。

茅野から杖突街道を高遠まで走ります。
杖突峠を下ると、集落が街道沿いに点在する風景が見られます。

桜の季節の集落は夢のような風景でした。
人家の庭、川の堤防沿い、公民館などの建物沿いを春の色合いで満開の桜が彩っていました。

この日の杖突街道は観光バスを筆頭に乗用車が車列を作っていました。
高遠の街に入り、城址公園の臨時駐車場に着くまで車列は続きました。
全国ナンバーの車が集まっています。

駐車場へ向かう車列

駐車場に軽トラを置き、城址公園へ向かいます。
入場者が三々五々集まっています。
入場料を払い園内へ。

入場門は城跡に建つ「高遠閣」の脇にある

園内はソメイヨシノが満開で、花弁が散り始めています。
メインルートに沿って並び立つ提灯が花見らしさを誘います。
お祭りには欠かせない屋台も並んでいます。

テキヤの屋台が並ぶ
茶店も何軒かオープン

城址公園には2、3の櫓や城門などが復元されています。
郷土の出征兵士の霊を慰める忠魂碑もあります。

忠魂碑
城内のくぼ地の沼に桜の花びらが

このお城は武田氏の居城で、信玄亡き後、信濃を攻めた織田信長軍に最後まで抵抗して落城した場所です。
その後、城主は変わり、ご多分に漏れず明治維新後に取り壊され、現在に至っています。

西側には天竜川沿いの伊那の街の向こうに遥か中央アルプスが望めます。
こじんまりとした城内ですが、廃城後に桜を植え、桜で町おこしをしたのは正解だと思います。

雲で見えないが中央アルプス方面を望む

まだ昼間だからなのか、シートに座って花見をするグループはほとんど見られず、三々五々歩く観光客がほとんどでした。

珍しく1組が花見の真っ最中

昼になり、軽トラを高遠市街に回して蕎麦屋を探しました。
高遠は高遠蕎麦でも有名です。
しかし目指す蕎麦屋は観光客で並んでいました。
その向かいの蕎麦屋も同じ。

そこで別の食堂を探しました。
並ばずにソースカツ丼をいただきました。
これで1000円はお値打ちです。

目指す蕎麦屋は並んでいた・・・
別の食堂でソースカツ丼!

午後は伊那へ下り、かねてから気になっていた森本という地元の菓子店へ。
山小舎おばさんがお気に入りの草餅などを買いました。
いつもは直売所で手に入れる草餅を本店で買いました。
この日行われた入学式のお祝いの赤飯の注文が積み上げられている森本菓子店の店内でした。

伊那の森本菓子店
草餅、どら焼きなどをチョイス

帰り道ではいつもの直売所へ。
南箕輪村のあじーなです。
山小舎おばさんが最近凝っている手作りこんにゃくや、地元産の原料で作ったラー油などを買いました。

帰り道はいつもの「あじーな」へ
tててdてづてづkてづくてづくrてづくりてづくりkてづくりこてづくりこnてづくりこんてづくりこんnてづくりこんnyてづくりこんにゃてづくりこんにゃkてづくりこんにゃく手作りこんにゃく手作りこんにゃ手作りこんに手作りこん手作りこ手作り手作手

春本番を前にした高遠、伊那地方の旅でした。

山小舎まで列車で移動

3月の山小舎開きの後、1週間ほどで孫の誕生会があり、自宅に戻りました。
8歳と5歳となり、3年生と年長さんの新学期を迎える彼女たちのお祝いをしました。

自宅までの移動は高速バスで、帰りは列車を使いました。
高速バス駐車場(乗客が自家用車を止めるための)が何年かぶりで満車に近くなり、コロナ時代の終焉を告げていました。
乗車した便(土曜午後)の乗車率は半分ほどでしたが。

帰りは自宅からJR三鷹駅までバスに乗り、そこから中央線高尾駅まで電車で、高尾からは小淵沢行きの普通列車に乗りました。
車窓は春爛漫の風景でした。

相模湖から大月あたりまでは、桜が満開から散り始めの時期でした。
様々な春の花が咲き乱れてりました。

笹子トンネルを越えて甲府盆地側に出たところ、甲斐大和駅から見える桜は満開でした。

甲斐大和駅の桜
甲斐大和駅土手の桜

甲府盆地を下ってゆき、勝沼のあたりになると、気温が高いのか桜は散り終わりに近い姿でした。

勝沼の駅の葉桜

甲府が近づくにつれて、沿線に桃畑が広がってきます。
濃いピンク色の桃の花が満開でした。
盆地の西側には富士山が山頂をのぞかせていました。

甲府盆地の桃の花

甲府駅で途中下車。
駅には春休みの少年少女の姿が目立ちました。

甲府で昼食です。
最近行きつけの駅前通りにある割烹料理屋のランチをいただきます。
信玄鶏のから揚げ定食、ごはん大盛です。

最近の値上げブームの影響か、唐揚げの量とごはんの盛が少なくなっていました。
去年までは、唐揚げを食べ尽くすのが一仕事、さらにご飯が普通盛だと唐揚げが余ってしまい、ならばとご飯を大盛にすると満腹すぎて・・・だったのですが、今では大盛でちょうど良い全体量になっていました。
値段は変わっていませんでした。

それでも腹いっぱい。
腹ごなしにいつものように甲府の中心街を一周。
ニュースで見た通り、甲府で長い歴史を持つ岡島というデパートが閉店になり、近くの2号店に統合されていました。
中心街唯一のミニシアターは営業していました。

駅へと戻る途中に城壁が見えます。
武田氏が滅んだあと、幕末までの間に領主が住んだお城です。

甲府の人々に圧倒的に人気があるのは武田信玄で、駅前に銅像が立ってたりします。
山小舎おじさんも、駅から30分ほどの武田氏の居城跡のお寺と博物館には行きました。
一方、駅前のお城には入ったことがなかったのでこの度寄ってみました。

復元された城門をくぐって城内へ

駅からほど近く、城壁に囲まれた小高い丘に城跡があります。
広い城内ですが、天守閣などはすでになく、復元の予定もないようです。
城壁や一部の門が復元されています。
桜はほぼ終わっていましたが、木の下では訪れた人が三々五々休んでいました。

天守台への鉄門
天守台の桜の下で憩う人

一番高い天守台に登りました。
富士山がきれいに見えました。
反対側には雪を頂いた南アルプスの山並みが見えます。

天守台から望む富士
天守台

甲府駅に戻り下り列車に乗りました。

茅野駅に帰ってくると、駅前の八重桜が満開でした。

茅野駅前の八重桜

土台かさ上げで DIY!

令和5年のDIYはじめは、去年からの懸案の出部屋の土台かさ上げです。

山小舎の土台は、居間などに当たる古民家部分はコンクリートを厚く打ったしっかりしたものです。
一方、出部屋、玄関、外物置は新たにあつらえた造作であり、土台も古民家部分の土台とは別物です。

出部屋の土台は、ホームセンターで売っているコンクリート製のポットを地下に数個置いただけのものです。
リフォームの時、その出部屋と玄関に重いサッシを入れました。
また、出部屋は本と、工具などの置き場所にしています。

部屋自体が重くなってきて土台がたわんできたのか、去年あたりから出部屋のサッシのし閉まりが悪くなってきて、鍵を閉めるのが大変になってきました。

去年、管理事務所のバイト仲間に手伝ってもらい、出部屋のポット式土台のかさ上げをし、サッシの閉まりが改善されましたが、あと2か所ほど土台の追加が必要だと思いました。

冬を迎え、サッシの閉まり具合とともに、雨戸の鍵が再びかかりづらくなりました。
新年度を迎え、出部屋の土台の調整(かさ上げ)が急務となっていました。

バイト仲間に教えてもらった器具をホームセンターで2基買ってきました。
コンクリート製の下敷きも買ってきました。

ジャッキで土台をアップし、ホームセンターで買った器具を差し入れ、かさ上げしました。
もう1基の器具も同様に差し入れました。
今回は独力でやってみました。

軒下にジャッキを差し入れジャッキアップ
かさ上げ用の器具を差し入れ高さを合わせる
ジャッキを抜く。2基のかさ上げする

サッシの鍵の閉まりはスムーズになりました。
雨戸の鍵もかかるようになりました。

山小舎のDIYでした。

玉ねぎの苗活着

山小舎開きを行った後、畑へ行きました。

気になっているのは玉ねぎの苗。
昨年11月に200本ほどの苗を定植したものです。

すっかり雪が溶けて、雑草が芽を出す前の畑に、鹿よけのフェンスを開けて入ります。

マルチを敷いた畝では無事に玉ねぎの苗が活着していました。

8割から9割程度の苗が脱落せずに生き残っています。
よく頑張った!
冬前からほとんど苗の丈は伸びていない気もしますが、まだ寒い3月はこれでいいのです。

暖かくなる4月からが成長の時期となります。

よく成長して6月には大玉の玉ねぎが収穫できることを願います。

茅野市八ヶ岳総合博物館

山小舎から茅野に下りて、街中に至る途中に、諏訪東京理科大学の校舎があるのだが、そこに隣接して茅野市の博物館がある。

春の一日、山小舎おじさんは、八ヶ岳総合博物館に2度目の訪問をしてみた。
山小舎暮らし数年を経てからの再訪は、前回の訪問より地域への理解が進み、興味を引く内容が増えている?と思ってのことだった。

入り口には御柱を曳く際の用具が展示されている。
去年は7年に一度の御柱祭の年。
茅野は古い歴史を持つ、諏訪大社上社へ納める御柱8本が、八ヶ岳から引き出されて通る途上にある町。

茅野八ヶ岳総合博物館入り口
下社御柱の引手

入館する。
大人310円。
入館券を買っていると女性の職員が出てきたので写真撮影の可否などを聞く。
入館者はほかに一人だった。

展示内容は、八ヶ岳の造山、地形、河川、温泉などをジオラマで展示するコーナーに始まり、生物関係、縄文遺跡関係、民俗学的な生活用具・地場産業、御柱祭、八ヶ岳山麓の農業用水堰を作った地域の歴史的偉人・坂本養川のコーナーなど。
それぞれが簡潔にまとまっている。

八ヶ岳の地学的ジオラマ
ニホンカモシカのはく製
縄文関係の展示
多数の機織り機が並ぶ民俗学展示コーナー

茅野と八ヶ岳といえば縄文遺跡の本場として、石器、土偶などが出土しているのだが、八ヶ岳総合博物館の縄文に関する展示は比較的あっさりしている。
茅野の博物館としてはもっと縄文にこだわっても、とは思ったが、尖石遺跡の近くには国宝の縄文のビーナスを展示する尖石考古館がある。
こちら茅野市の博物館は総合的な展示を、というわけだと納得。

山小舎に数年住んで、茅野へ下りること数知れず、の山小舎おじさんでも、坂本養川と農業用水堰のことは知らなかった。
御柱祭のことでも、下諏訪町にある諏訪大社下社の木落としの光景にはニュースなどでよく接してはいるが、肝心の上社の御柱祭の里曳き、木落し、川越しの風景を見たことはなかったので、この博物館のビデオで見ることができて貴重だった。

八ヶ岳山麓で農業用堰を作った坂本養川のコーナー
堰についてはビデオで再現されている
下社御柱祭の展示も
茅野市内の木落坂での木落のしの様子

博物館の周りは、芝生が広がり、広い駐車場が隣接している。
天気がいいと北八ヶ岳の山並みを望むことができる。
八ヶ岳総合博物館は、小学生から大人まで楽しめる知のワンダーランでだった。

信州ソウルフード放浪記VOL.25 上田・刀屋の蕎麦

上田にいつも人が並んでいる蕎麦屋がある。
刀屋といってたいていの観光ガイドには載っている。

小説家で「真田太閤記」を書いた池波正太郎が、上田にひいきの飲食店が何か所かあったそうで、刀屋もそのうちの1軒だったとのことだ。

山小舎おじさん、久しぶりに刀屋へ行ってみた。
前に5人連れの家族が並んでいた。
ややあって案内された。

前回来た数年前に、てんぷら付きのざる蕎麦普通盛を頼んで、腹いっぱいだった記憶があった。
改めて注文を取りに来た女性に聞くと「小盛が東京でいうザル1盛分、中もりが2盛分」とのこと。
もり蕎麦中盛を頼む。

一口すすって記憶がよみがえった。
太く、硬い蕎麦だ。
うどんのようなフォルムでもある。
よくかみしめると蕎麦の香りがする。
中盛で腹いっぱいになる。

愛想はないが、かみしめると味があり、腹いっぱいにしてくれる。
まるで信州人のキャラのような蕎麦ではないか!

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ターザンとジェーンのエデンの園

ターザン映画は1918年にアメリカで映画化(大正8年「ターザン」の題名で日本公開)されたのが最初だという。
MGMによる、ジョニー・ワイズミュラー主演での映画化(1932年「類猿人ターザン」)は、作品の数では9作品目の映画化になる。
ワイズミュラーは6代目のターザン役者とのこと。

先に「類猿人ターザン」を見てその面白さに驚いた山小舎おじさん。

ワイズミュラー主演のターザン10作品が入ったDVDボックスがあったので買ってみた。
ワイズミュラーとモーリン・オサリバンのコンビによるターザン物を見てますますターザンものが面白くなった。

「類人猿ターザンの復讐」(原題:ターザン アンド ヒズ メイト) 1934年 セドリック・ギボンズ監督 MGM

MGMターザンシリーズの第2作。
前作で行方不明の父を追ってイギリスからアフリカへやってきたジェーン(モーリン・オサリバン)は、自然児ターザンの出現に恐れおののいたものの、その魅力に心動かされる。
父の死を確認したこともあり、ジェーンはターザンとともにアフリカに残る道を選ぶ。

ワイズミュラーとオサリバンのコンビ2作目の「ターザンの復讐」ではアフリカでターザンと暮らすジェーンの、ジャングルへの適応ぶりとターザンへの愛情が描かれる。

日本公開当時の「類猿人ターザンの復讐」広告

この作品でのジェーンの格好は、セパレーツの上下で、下半身は紐で前後とつなげているだけ。
ターザンのスタイルとの共通性があり、ジャングル生活に適応したジェーンの姿を現す。
だが当時の社会情勢や映画の自主規制状況を考えると、これはかなり思い切ったスタイル。

「ターザンの猛襲」プレスシートより

ジェーンは、前作で彼女に思いを残しながらイギリスに帰っていたハリーと、その友人で象牙で一攫千金を狙う山師のような男のキャラバンを迎え、再会を喜ぶ。
キャラバンにはハリーが用意したドレスや化粧品があり、ジェーンはドレス姿を披露。
ドレスや化粧はジェーンの若い女ごころをくすぐりはするが、ターザンとの絆を切るまでには至らない。

ジェーンが「エデンの園」と呼ぶ河畔。
朝のターザンとの水泳シーンでは、ジェーンが着ていたドレスが木に引っかかり、裸のまま水中を泳ぎ回る。
水中シーンはシリーズで毎回出てくるが、この作品の場面が一番長く、美しい。
ジャングルに適応し、ターザンと暮らす喜びがあふれる。
当時の映画では思い切った表現。

「ターザンの復讐」よりターザンとジェーン

ジェーンを演じるイギリス人女優、モーリン・オサリバンは1911年生まれ。
本作品撮影時は22、3歳でまさに若さがキラキラしている頃。
前作でのおてんば娘ぶりから、愛する人と暮らす若い娘への変貌を溌溂と演じている。

DVDボックスより

山師の策略で、ターザンが死んだと思ったジェーンは一度はイギリスへの帰還を覚悟するが、こういったジェーンと文明社会との切っても切れない関係性はシリーズ中で繰り返されることになる。

シリーズ中最長と思われる上映時間104分は、大半がジェーンの魅力に捧げられたものだった。

「ターザンの逆襲」(原題:ターザン エスケイプス) 1936年 リチャード・ソープ監督 MGM 

本作から監督は娯楽映画の職人として長く活躍したリチャード・ソープに交代。
さあ、ターザンは何から逃げるのか?

「ターザンの逆襲」より

イントロはいつものようにアフリカの奥地へ着いた蒸気船から降り立つ白人一行のシーン。
やってきたのはジェーンの従姉姉弟。
おじが残した遺産を餌にイギリスへジェーンを連れ帰そうとする。

一方、ジャングルでの新婚生活も板についてきたジェーンは、偶然チンパンジーのチータが持ち帰った女性の下着を見てターザンの浮気?を疑ったりの若妻ぶりを発揮。

二人の新居は、ハンドメイドではあるものの、像の力で昇降するエレベーターがあり、チータがハンドルを回す扇風機が備わっている立派なツリーハウス。
ターザンが作ったらしい。
食事はテーブルで摂り、ターザンがサーブする。

これら、文明生活をコピーした新居を、ユーモアととるべきか、ジェーンと文明生活のつながりの強さとみるべきか、当時のアメリカ映画の価値観の発露とみるべきか。

イギリスにいったん帰ることを決めたジェーンにすねるターザン。
説得し励ますジェーン。
ジャングルの王者ではあるが、文明社会との接触場面では、直情径行の「問題児」ぶりを隠さないターザンと、文明的でしっかり者のジェーンという、カップルの色がこの作品あたりから確立する。

一度は、いとこ一行と同行してターザンのもとを去るジェーン。
荒れるターザン。
ターザンものらしくない心理劇的展開が重たく、そぐわない。

すべての問題が解決し、ジェーンはイギリスに帰らなくてもよくなる。

従姉は「あなたは(素晴らしい男性と、理想的な環境という2つを得て)すべての女性がかなえられるわけではないポジションにいるのだ」とジェーンに言うラストシーン。
ジャングルに残るジェーンに対する最大級の賛辞でドラマが終結する。

ジェーンのコスチュームは、この作品以降、ショートパンツの上におとなしいワンピースを着たスタイルに変更。
ジェーンが自然の中で肌を露出して色気や美しさを発揮するシーンはなくなる。

「ターザンの猛襲」(原題: ターザン ファインズ ア サン)  1939年 リチャード・ソープ監督  MGM

MGMターザンシリーズ第1作から7年。

おてんば娘だったジェーンも落ち着いた若妻に。
そして本作で母親となる。

「ターザンの猛襲」本国宣伝

南アフリカへ鉱山経営に向かう飛行機が、ターザンが住む絶壁に衝突して不時着。
富豪夫婦は死に、赤ん坊が残される。
チータが飛行機から赤ん坊を回収し、ターザンに渡す。
この作品あたりからチータの活躍が目立ち、チータ単独の場面も増えてくる。

ボーイと名付けられすくすく育った赤ん坊。
ターザンとジェーンはボーイの親を自任。
ボーイの遊び相手はチータと仔象。

また、ターザンはほぼ英語を解している。
発する言葉は、相変わらず単語をつなげたものだが。

「ターザンの猛襲」ボーイとターザン

遭難した夫婦の死亡を確認するためのキャラバンがやってくる。
莫大な遺産が絡む。
遺産の独り占めを狙ってキャラバンの中の悪人が策動。
直感で悪人を見破るターザン。

ジェーンは、文明人の余韻を残すため、悪人の言葉に騙される。
というか、文明人のジェーンは直観ではなく、相手の発する言葉の論理性如何で物事を判断するため、結果的にターザンの行いに抵抗し、悪人を助けることにもなってしまう。
ただし、結末はターザンの活躍により悪人が滅び、ジェーンはターザンに謝り、二人の仲は一層深まるのだが。

DVDパッケージより

この作品から、キャラバンの一員として、おどけ者ながら直観的にターザンを理解し、最後に悪人に対抗(しようと)する芸達者なキャラが加わる。

「ターザンの黄金」(原題:ターザンズ シークレット トレジャー) 1941年  リチャード・ソープ監督 MGM

ターザンシリーズの主題は、素朴な自然主義。
ターザンに象徴される、平和を愛し、自活能力に優れ、自然を愛する直観力、を賛美している。
もっとも、ジェーンに象徴される常識的な文明性へのリスペクトも忘れてはいない。

本作ではその主題にもう一歩深く踏み込む。

「ターザンの黄金」本国宣伝

ボーイが家族で泳ぐ川の底で金の塊を見つける。
ターザンは黄金には興味がないが、山にも同じものがあるという。
ジェーンはボーイに文明社会での金の価値を教える。

部族の調査にやってきた学術調査のキャラバンがターザンのもとへやってくる。
歓待するジェーン。
新居には吹き出す温泉で蒸し焼きや茹で料理ができるグリルや、湧水を引いてかける冷蔵庫まで新設されている。.

しっかり者のジェーンを先頭にターザン一家

ジェーンはしっかり者のママとしてボーイを教育。
キャラバンが持っている望遠鏡や映写機に積極的にボーイを触れさせる。

ボーイが金塊を見せたことで学術キャラバンは内部分裂。
悪人派が良識派を駆逐し、ターザンを銃で排除して、ジェーンとボーイを人質に金塊奪取へ向かう。
前回から登場の、おどけキャラ(バリー・フィッツジェラルド)がここで活躍し、ターザンの逆転劇をアシストする。

すっかり落ち付いたヤングママぶりを発揮するジェーン役のマーガレット・オブライエンは20代最後の出演。
ポーレット・ゴダードとジェーン・フォンダを合わせたような美人女優に成長している。
ターザンとの会話は、出会った頃の思い出話をするまでに言語が進化。
一方、いったんは悪人の「言葉」に騙され、結果としてターザンを窮地に陥らせるパターンを本作でも踏襲している。

DVDパッケージより

ラストシーン。
「君達のような人が増えれば世界は平和になる」と、ターザンを助けた、おどけ者(バリー・フィッツジェラルド)に言わせて、ターザンの文明に毒されない素朴な生き方が賛美される。
金第一主義の弊害を明確に否定して、映画はその主題を深化させる。

では、そのあとはどうなのか。
去ってゆく白人を見送る「理想的」なターザン一家が、まるで〈絶滅を待つ、エデンの園の希少生物〉のように、はかなく寂しげに映ったのは気のせいか。

そう見えたのは、〈素朴な自然性〉以上の価値観を、この映画も当時の社会も持ち得ず、そういった中で〈金第一主義〉だけを否定する状況にいわば〈放置〉されたターザン一家が不安定に見えたからではなかったか。

「ターザン紐育へ行く」(原題:ターザンズ ニューヨーク アドベンチャー)1942年 リチャード・ソープ監督 MGM

ワイズミュラーとオサリバンのコンビの最終作。
ターザンは少々おっさん臭くなり、30歳を迎えたジェーンは堂々たる中堅美人女優。
オサリバンは、映画監督のジョン・ファローと結婚し、1945年には、のちにミア・ファローとなる娘を出産することになる。

DVDパッケージより

エデンの園で泳ぐターザン一家の姿がトップシーン。
新居にはチータがハンドルを回す「食器洗い機」が新設されている。
ジェーンは幸せそうだ。

やがてライオンの捕獲を目的とした一行が双発機で不時着する。
ボーイが現場に向かう。
白人3人のうち一人を操縦士と見破るボーイ。
自然児としての直観力がボーイにも備わっており、ターザン二世として成長していることがわかる。
一方、一行のうちの悪人はボーイが仔象を手なずける様子を見て、サーカスで大儲けできると悪だくみを考える。

凶暴なジャコニ族の来襲と救援に駆け付けるターザンとジェーン。
ツタがジャコニ族によって切られて落下する二人。
さらに火をかけられる。
チャンスとばかりにボーイを連れて離陸する白人たち。

チータに助けられたターザンたちは、ボーイを追って海岸の街へとたどり着く。
ジャングルでの格好のまま裸足で港町の往来を歩く二人は好奇の的。
白人の高官に掛け合って、黄金と交換にニューヨークまでの航空券を入手。
中国人のテーラーでそれぞれの洋服をあつらえる。

ニューヨークの空港、タクシー、ホテルでの騒動の描写は、大人し目。
ドタバタは主にチータが引き受け、よく訓練されたチンパンジー芸をたっぷり披露。
ターザンも服の上からシャワーを浴びて叫ぶなどするが、ギャグっぽい描写はされていない。

「ターザン紐育へ行く」より

洋装もよく似合うジェーンは、当初は法律に従うようにターザンを説得し、ボーイを戻すために裁判にまで訴える。
が、実の親ではないことが判明し、ボーイの親権を証明できない。
その瞬間、裁判所でターザンの怒りが爆発。
拘束された部屋の窓を破って脱出。
警官とビルの屋上から、吊り橋の上まで大捕物を展開。
サーカステントでは悪人を相手に空中ブランコで立ち回る。

この展開、反権力・アナーキーなものではなく、無声映画の喜劇で警官をからかう喜劇役者のふるまいに近い。
むろん喜劇風演出はされておらず、ターザンの直情径行を強調し、ターザンだから許される、という風で観客も全面的にターザンを応援したくなる。
公務執行妨害と裁判所侮辱罪については、情状酌量され執行猶予となる結末が用意され、文明との妥協の場面も用意されている。

ジェーンは法律に頼り、ターザンを自重させたことを反省。
「これからもついてゆく」とターザンに謝罪。
一家はアフリカに戻り、エデンの園で泳ぐ一家の姿がラストシーン。

母親役で、ますます落ち着きの出ているジェーン。
自らの色気発揮は少ないが、だからこそコスチュームから覗く形の良い足が、大人の色気に変わっていて貴重だったことを申し添えたい。

まとめ

・原作のターザンは類猿人と呼ばれ、いわば人外魔境に暮らすジャングルの王だったの(だろう)が、そういった伝奇性、猟奇性は第2作目までで、それ以降は、ジェーンの存在感が増し、ターザンは家庭人、常識人としての一面が強調されている。

・映画のベースには素朴な自然賛歌があり、平和を乱す拝金主義、武器などの文明はターザンによって否定、排除される。
ジェーンは文明人として一義的にはそれらを排除しないが、最終的にはターザンの価値観に従う。

・このシリーズは女優モーリン・オサリバンの成長物語でもある。
イギリスからハリウッドに渡り、シリーズ第1作から体当たりでターザンのヒロインを熱演。
ジャングルに定着した当初を描く第2作では思い切ったコスチュームを披露、はつらつとした魅力を全開にする。
シリーズ後半では母親としての落ち着きも見せ、洋装でのニューヨークのシーンなどでも芸達者ぶりを見せた。

・アフリカロケの部族や動物の珍しいシーン。
スタジオでの動物を使ったシーン(特に多数の像を使ったアクションシーン、猛獣とと格闘シーンンなど)。
大勢の黒人を使っての部族の襲撃シーン、キャラバン隊の再現シーン。
などに工夫が見られ、アフリカもの猛獣物の原典となった。
人が川でおぼれた瞬間にワニが出動してゆくカットなどはこの後の映画で繰り返されることになるお馴染みのものだ。

モーリン・オサリバン

令和5年 山小舎開き

3月下旬に山小舎開きをしました。
今日から山小舎暮らし6シーズン目のスタートです。

山小舎おばさんに送られて山小舎入り

2月までは、雪が玄関へのアプローチを覆っていた山小舎周辺でしたが、雪の影はほぼどこにもない状況。
暖冬だったのでしょうか。

玄関にはすでに雪がありません

心配だった上下水道管の凍結もこの気温では全く心配ないようです。
水道管の温熱サーモスタットも切って大丈夫でしょう。

山小舎前の道路もこの通り

それでも夕方近くなると急激に気温が下がります。
薪ストーブは焚きっぱなしです。

後日晴天に恵まれた山小舎。シーツ類の洗濯外干しは何ヶ月ぶりでしょうか

去年あたりから山小舎暮らしにマンネリの影が出てきたというか、加齢で疲れやすくなったというか、感激が少なくなってきたシーズンを自覚しています。

それだけいろいろなことに対して深堀りができそうな予感もします。

体力と気力、体幹、バランスが弱くなっていることも事実。

健康と事故に気を漬け乍ら、ポイントごとに充実した山小舎暮らしをしていこうと思います。

今年はさらにゲストが増えそうな気もします。

彩ステーションの落語会

山小舎おばさんが管理している、調布柴崎の彩ステーション。
今年もみんなの居場所として、健康体操、栄養講座、歌う会、健康マージャン、子供食堂、バザーなどを開催している。

これら催し物は、山小舎おばさんが主催するのではなく、管理栄養士などの専門家や、子ども食堂では小学校のPTA会が主催するなどして行っている。
彩ステーションの役割は場所提供だ。

催し物がない日でも、近所の人や放課後の小学生たちが立寄ったり、東京都や調布市の行政担当者が見学に来たり、大学院生が卒論のフィールドワークに来たり、日本人と結婚して市内に暮らしている外国人が遊びに来たりしている。

この日は落語をやるというので顔を出してみた。
普段、ステーションの協力者として活動している方の持ち込み企画で、真打の金原亭馬玉という落語家が来るとのこと。

当日は落語の後、打ち上げをするとのことでその準備もあり、山小舎おじさんはステーションへ。
炭起こしなどをしつつ、落語会の方ものぞいてみる。

テーブルに座布団を敷いて即席の高座。
観客は満員の35人。
投げ銭方式で、結局3万円集まったとのこと。

馬玉さんは、調布に住んだことのある落語家さんとのこと。
座ったとたんに客をつかむ技は見事。
1時間ほどの公演時間だったが、やろうと思えばいくらでも時間をつなげられるとのこと。
集まった皆さんは笑いっぱなしでした。

その後は、打ち上げの炭火焼き大会。
不肖、山小舎おじさんの送り出し会も兼ねての宴会となりました。
今年も山小舎で野菜作りを頑張ろう。

神代中学の桜

近所の神代中学の校庭に沿って桜並木があります。
東京に桜開花宣言が出た後、神代中学の校庭付近を通ってみました。

山小舎おじさんの子供たちがこの中学に通っていた頃は、桜の満開は入学式が終わった頃で、グランドに花びらが散っていたのを覚えています。
現在は、温暖化の影響なのか、入学式を待たずに咲き始めています。

桜の季節とはいえ、三寒四温。
ポカポカ陽気の間には肌寒い曇り空が混じる季節です。

三鷹を流れる仙川の河川敷が菜の花真っ盛りです。

近所の庭のミモザが咲き乱れています。