薪の積み込み

薪割り機を借りて割った薪を乾燥台に積込みました。

現状、乾燥台として使っているプラットはほぼ満杯です。
新たにプラットを設置しなければなりません。
また、乾いた薪はプラットから、ベランダなど身近な場所に移して冬に備えなければなりません。

一輪車を使って乾燥が終わった薪をベランダに移します。
ベランダに段ボールを敷いてその上に薪を放り投げます。
ある程度薪が溜まったら、ベランダに上がって数本ずつ薪を抱え、ベランダの奥から積んでゆきます。

今回割った薪の乾燥用に、新たなプラットフォームを設置します。

農協からもらっておいた木製のパレットを使います。
パレット自体は強度があり、薪の重さに耐え得るのですが、パレットの水平を取ることが大事になります。
また、風通しを良くするために土台を15センチほど上げておきたいので、ブロックや石などを組んで土台にしてからパレットを置きます。

今年はなるべく木の種類別に積むようにしました。
カラマツを積んだプラットにはカバーはかけず、雨ざらしにして油分を抜くようにします。

ミズナラは水分が多いので再来年までおいておけるプラットに積みます。

シラカバはおそらく来年からの燃料になるでしょう、乾きやすいように細かめに割っておきます。

冬ごもり急ピッチです。

山小舎の落葉

11月に入り落葉がほぼ終わりました。

天気がいい日は晩秋らしい抜けるような青空が広がります。

陽が陰ると、東京の真冬くらいの寒さが押し寄せます。

屋外での作業は日が暮れる迄が限度です。

山小舎周辺の道路わきには落ち葉が積もっています。

霜は降りますが、まだ氷にはなりません。

花壇に生けておいた玉ねぎの苗は何ともなく、植え付けを待っています。

干し大根、干し柿、干芋を作るには絶好の季節です。

ミズナラ林の落葉のおかげで、夏場は映らなかった5チャンネル(テレビ朝日系)が映るようになりました。

DVD名画劇場 女優NO.8 ジュデイ・ガーランド!

1922年にボードビリアンの父とピアニストの母の間に生まれたジュデイ・ガーランド。
幼いうちから姉二人と舞台に上がり、10代になってMGMと契約して映画デビュー。
「オズの魔法使い」(1939年)でスターになる。

ガーランドをスカウトしたアーサー・フリードはMGMで自分の専権チームを任されるほどの腕利きプロデユーサーで、「MGMミュージカル」として映画史に残る名作ミュージカルを数々手掛けた人物だが、一方の素顔はセクハラとロリコンで有名だった。

MGMの子役は撮影所内の寄宿舎に入れられ、ガーランドたちは勉強もそこで習った。
子役とはいえスターの集まる寄宿舎で、子役たちは飲酒、麻薬、異性関係で乱れていたという。
ガーランドも、MGMからスリムでいることを強制され、アンフェタミン(覚せい剤)を13歳から常用していた。

少女時代のジュデイ・ガーランド

ガーランドは1969年、47歳で客演先のロンドンで睡眠薬の過剰摂取で死亡したが、それまで数度の結婚と離婚、飲酒と薬物の常用、自殺未遂、映画出演時のトラブルを繰り返した。

1950年には、それまでの度重なる遅刻、出勤拒否によりMGMを解雇された。

1954年にはワーナーブラザーズで「スタア誕生」に出演し、評価を得たが、撮影中に繰り返されたガーランドの遅刻、出勤拒否などに懲りたワーナーは「ガーランドとは二度と仕事をしない」と宣言した。

本作でアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、ワーナーから一切の推薦を得られなかったこともあり、受賞を逃した後、ガーランドは何度目かの自殺未遂を起こした。

MGMのマネーメイキングスター、ジュデイ・ガーランド

子役でスタートしたガーランドは、歌って踊れるミュージカルスターとして一世を風靡した。
ダンス向きの小柄な体で切れ切れのダンスと、パンチの効いた歌声を数々の映画で披露。
演技面ではコメデイエンヌとしての才能も発揮した。

ガーランドの才能は1946年に生まれた実娘ライザ・ミネリにも受け継がれた。

ライザ・ミネリはのちに「母はハリウッドが嫌いだった」、「母はハリウッドに殺された」と述べたという。

1999年全米映画協会が発表した映画俳優ベスト50の女優部門で、ジュデイ・ガーランドは8位に評価された。

「オズの魔法使い」 1939年 ヴィクター・フレミング監督 MGM

ガーランド17歳の時の出世作。
映画史に残る永遠のアイコンのひとつに数えられる作品であり、その後の数々の映画、テレビに影響を与えた。

「オズの魔法使い」のジュデイ・ガーランド

映画のオープニング!
ガーランドが農場で「虹の彼方に」を歌う場面!
オズの国について画面がカラーに転換する場面!

・・・ドキドキし、ハッとして思わず引き込まれる。
DVDを見ていてもそうなのだから、映画館の大画面で見た当時の観客の陶酔感はいかほどだったろう。

ドロシーと案山子とブリキ男

ファンタジーの世界をドラマ化に際し、セットや背景やキャラクターを形作る苦労は想像するに余りあるが、当時のMGM撮影所は最大限の想像力と財力をもってこれに対処している。
現在では多分に定型的な印象をもたらす、それらセットや背景やキャラクターではあるが、例えば現代の子供向けのテレビドラマの悪役キャラの原点がそこにあったりする。

ガーランドが歌う「虹の彼方に」は永遠のポピュラーナンバーだし、オズの国でガーランドがたどってゆくイエローブリックロードは、のちにエルトン・ジョンが自身の曲のモチーフとした。

オズの国のイエローブリックロードを行くドロシーと案山子

17歳のガーランドは、主人公ドロシーを演じるには育ちすぎで、大人が少女を演じているように見える場面もあったが、体格がよく堂々とした大物の雰囲気と、足さばきの見事さに垣間見えるダンスの才能は隠しようがなく、彼女のキャリアのスタートにふさわしい作品となった。

「イースター・パレード」 1948年 チャールズ・ウオルター監督 MGM

アーサー・フリード製作による、いわゆるMGMミュージカルの名作。
一時映画を引退していたフレッド・アステアを、怪我をしたジーン・ケリーの代役とはいえ、スクリーンにカムバックさせ大ヒットとなった1作。

アステアとガーランドの舞台シーン

場末の踊子のガーランドが、パートナーに去られた売れっ子ダンサーのアステアに拾われ、努力の末に新しいパートナーとして売れっ子となる。
ガーランドはアステアに恋をし公私ともにパートナーとなる、というストーリー。

まずは巻頭、アステアの達者なソロダンスで幕を開け、途中にアステアの元パートナー役のアン・ミラーの達者なタップダンスの一幕があるこの作品も、終わってみれば、すべてをかっさらうガーランドのダンスと歌声が圧倒的。

動きはキレキレだし、愛嬌というか親しみやすさがある。
歌声のパンチが効いているのも成長。
特にアステアと組んで踊る、ルンペンに扮した舞台の場面がいい。
ボーイッシュな服装で、コメデイエンヌ的に踊るのが似合っている。
根っからの芸人であり、エンターテイナーなのだろう彼女は。

アステアと歌い踊る

ドラマ的には、ピーター・ローフォード相手に、アステアへの恋心を語るワンカットの長回しのシーン。
長いセリフをシリアスな雰囲気で語るガーランドを見てその演技力にも感心した。

映画的には、アステアがスローモーションで踊り、背景のダンサーたちがノーマルスピードで踊っているという意欲的な画面作りも見られた。

豪華なセットで踊るスター。
バックダンサー役の女優達も一人一人が大変な美人。
これがMGMミュージカルというものか!

ガーランド映画のパターンとして、貧しい生まれの娘が苦労して場末で踊ったり歌ったりしているのを、売れっ子のスターが拾い上げ、娘は頑張って売れっ子になり、拾ってくれたスターへの愛も貫く・・・というパターンがあるようだ。

「スタア誕生」 1954年 ジョージ・キューカー監督 ワーナーブラザーズ

ガーランドの映画生活の総決算のような作品。

30代にはなったが、キレキレの動きは滑らかさを増し、歌声のパンチはますます効き、演技は情感を増し、持ち前の愛嬌と庶民的な親しみは維持されている。

歌と踊りは絶品

約3時間の長尺のうち、1時間が歌と踊り、2時間がドラマ部分の印象。
ストーリーの基本は「イースター・パレード」と同様。
ガーランドが弾き語りで、自分の生い立ちからをモチーフにして歌うなど、彼女の自伝的色彩を濃くしている。

業界の内幕もの的な要素もある作品で、舞台のそで、楽屋、撮影所のスタジオ、広報部などが多く出てくる。
ガーランド扮する主人公は架空の人物ではなく、多分に彼女自身である。

彼女を拾い上げる、売れっ子スターにイギリス人俳優のジェームス・メイスン。
根っからのハリウッド俳優のギラギラがなく、また演技がうまいのでジャストな配役。
ガーランドとの共演も、これが絶妙な塩梅。

メースンとガーランドは絶妙のコンビだった

ガーランドは自らをさらけ出すような役に挑み、アカデミー賞受賞の場面まで演技して臨んだ作品だったが、受賞は逃した。
ゴールデングローブ主演女優賞の受賞があったが。

アカデミー主演女優賞受賞のシーン

キューカーの演出は、ドラマ部分は押さえたトーンで、主人公二人の細やかな心情の描写に注力。
ダンスと歌のシーンではシチュエーションを、舞台、スタジオ、バー、二人の新居、などなど多彩に工夫して演出し、ガーランドの映画カムバックを強力に支援していた。

(余談)

ガーランドの実娘ライザ・ミネリ主演の「キャバレー」(1972年 ボブ・フォッシー監督)はリアルタイムで見ていて忘れられない映画の一つである。
映画のほとんどを占めるかのような、ライザの歌が圧倒的だった。

戦前のベルリンのキャバレーを舞台にした作品で、ライザの舞台衣装といい、多分に「嘆きの天使」をモチーフにしていた。

ライザは目の大きさなどは母のジュデイに似ているが、大柄でダンサーというよりは歌手の印象が強く、パンチの効いた歌声は何度も言うが圧倒的だった。
母ジュデイの思い出を歌うシーンがある?のが印象的だった。

ジュデイの作品でその歌声を聞いて、娘ライザの歌声を思い出した。

白菜漬け

初めて白菜を漬けてみた。

直売所で白菜が安かったので買っておいた。
195円ほどだった。

白菜は玄関先にしばらく放っておいたが、塩漬けにしてみようと思い立った。

ネットで白菜漬けの作り方を検索すると、四つ割りにして半日干してから漬ける、とある。
天気がいいので、さっそくその通りにしてみる。
ついでに甕と重しも洗って天日消毒する。

白菜を四つ割りにし、天日干し
甕と重しも天日消毒

夕方になって、漬け込む。
甕の容量が足りなさそうだが、強行する。

一段目を漬ける

塩を振り、体重をかけて押し込む。
最後に去年の赤唐辛子と刻み昆布を載せる。
蓋をして重しを載せる。

二段目を漬けこむ。容量一杯!

水があふれそうなので、大きな鍋を水受けとし、重しをもう一つ載せておく。

果たして2,3日後の状況やいかに?

信州ソウルフード放浪記VOL.23 むしり

今年の7月のこと。
佐久地方で有名な「むしり」を食べた。

むしりとは何か?鶏の半身を焼いたものだ。
焼き方に特色があり、ふんわりカリッと焼けていて、身をむしりながら食べるのだ。

このむしりは佐久の中込地区の食堂で売られている。

佐久市中込にある食堂瀬川

行って見ると目指す食堂・瀬川はあった。
電話をかけて予約してある。

時間前だが店をのぞいてみる。
中にはテーブルが一つ。カウンター内にはお姉さんが一人。
声をかけると、中では待てないので車で待て、とのこと。
店内での飲食、待合の禁止はコロナのせいなのかどうかはわからない。

予約受け取り専門

予約時間が来て、改めて店に入りむしりを受け取る。
熱々のものが新聞紙にくるまれて手渡される。
半身で1000円ほど。

むしりは新聞紙にくるまれ、包装紙をかけて手渡される

帰ってから包みを開け食べてみる。
なるほど、外側パリっの中ふんわりでむしりながら食べるのがうまい。
クリスマスなどにローストチキンを買って食べることがあるが、同じような焼け具合だ。

しょうゆ味のタレで焼かれた「むしり」

また一つ信州のローカルフードを知ってしまった。

DVD名画劇場 アメリカ時代のジャン・ルノワール

「大いなる幻影」で一般的な、「ゲームの規則」で映画史的な名声を博したジャン・ルノワールは、画家オーギュストの次男として生まれ、フランスで映画監督となった。

第二次大戦前夜、ヨーロッパを脱出し渡米。
ハリウッドに招かれ、二十世紀フォックスと年2本の契約をした。

ここに、みすず書房刊の「ジャン・ルノワール自伝」と、青土社刊の「ジャン・ルノワール越境する映画」という書籍がある。
前者は自伝。
後者はルノワールの残した書簡をもとに、渡米以降の足跡をたどった内容の、日本人仏文学者による書籍である。

「自伝」目次
「越境する映画」目次

この度見ることができた、ルノワール渡米後のDVD3作品を、2つの書籍に基づいて追ってみた。

渡米第一作とハリウッドでの最初の挫折

その当時の二十世紀フォックスは撮影所長ダリル・F・ザナックが現場の全部をコントロールしていた。
ザナックはいかにもフランス風の素材をルノワールに映画化してもらうつもりで招いたが、ルノワールにはその気がなく、アメリカそのものを描きたかった。

「私個人としては、監督が作家であらねばならぬと思っている。監督だけが(中略)作品のあらゆる要素を組み合わせて、映画に形を与えることができる人物である」(「自伝」 P102)、というのがルノワールの姿勢だった。

また、「『女優ナナ』(1926年)全編を通じて、私が問題とし、最終的には自分の責任においてこれを決めなかったような、いかなる仕事、いかなる表現、いかなる小道具も存在しないのである」(豊かな才能を持つ技術人や俳優たちの助けを借りることを前提としつつも)(「自伝」 P102)、という経験もしていた。

ルノワールのこの二つの言葉は、ハリウッドで行われている映画作りとは対照的だった。

フォックスとの契約後、「100%アメリカ的な題材の映画の監督を私に任せるようザナックを説き伏せるのは大変な苦労だった」(「自伝」 P244)との過程を経て、第一作「沼地」(1941年)の撮影に入る。
題材はルノワールの希望通り、アメリカ南部地方を舞台にしたものだった。

「沼地」。アン・バクスターとルノワール

スタジオで撮影のほぼすべてを行うハリウッド方式に反してジョージア州にロケを敢行した「沼地」の撮影中、ルノワールは、ラッシュを見たザナックから、8項目からなる指導の書簡を受け取る。

曰く、背景の細かなディテイルにこだわり時間を浪費している、ドリーやレールを使ってカメラを動かしすぎている、等々。
挙句にザナックは時間と予算の超過により撮影途中でルノワールの解任を決めかける。

結局解任は撤回となったものの、ハリウッド第一作におけるこの騒動はルノワールに遺恨を残す。

「ザナックは(中略)論理性に富み、ドラマの感覚も備えています。ただ彼には感受性がないだけです。」(「越境する映画」P67)とは、ルノワールのザナックに対する、またハリウッドのメジャースタジオに対する思い。

一方でザナックは、
「ルノワールは才能は十分あるんだが、ただ我々の仲間じゃなかったのさ」(「越境する映画」P315)とのちに述べたという。

ルノワールは「沼地」完成後二十世紀フォックスから契約解除される。

「自由への闘い」 1943年 ジャン・ルノワール監督  RKO

ルノワールの渡米第二作。
全編スタジオ撮影で、ハリウッド方式に迎合しつつ、最大限にドラマの主題を追求しながら自分らしさにもこだわったルノワールの仕事ぶりがうかがえる作品。

「自由への闘い」。左からルノワール、モーリン・オハラ、ジョージ・サンダース

フランスをモデルに、ドイツに占領された町の住民を描いている。
戦中に作成され、ドイツが進撃を続けていた時代の作品ながら、恐怖心やサスペンスをそれほど強調しないのはルノワールの作風。

主人公は臆病な独身教師でマザコンのチャールズ・ロートン。
隣に住む教師仲間のモーリン・オハラに内心惚れているが告白などとんでもない。
占領軍への抵抗を呼びかけるビラが配られると見つかりはしないかとびくびくする。

オハラの兄の鉄道員が抵抗者で、オハラの婚約者の鉄道キャリア(ジョージ・サンダース)が占領軍の協力者。

ロートンの母親は息子可愛やで、隣の娘オハラに対抗心を燃やすは、息子が抵抗者の容疑で引っ張られたら、占領軍から市長と陳情に駆け回るは、で関係者をひっかきまわす。
この母親のキャラがルノワール調でいい。

ロートンが勤める小学校の男子児童の教室での暴れっぷりも、子供らしさを強調するルノワール調。

抵抗者であるオハラの兄も、屈託なく下っ端のドイツ兵と仲良くして占領軍の目をごまかす。
ここら辺も、教条的でサスペンス一辺倒のレジスタンス映画に比べ映画の厚みを感じる。

この作品はしかし、戦後直後にフランスで上映された際に不評を受け、さらに米国に脱出したルノワールが逃亡者としてのそしりを受けるに及んで、彼の帰国とフランス映画界への復帰を遠ざけたきっかけとなったという。

「南部の人」 1945年  ジャン・ルノワール監督  ユナイト

ルノワールが興味を持ったアメリカ南部地方を舞台に、綿花畑を開拓する若い農民一家を描いた作品。

ハリウッドの、メジャースタジオでスター俳優を使って大作を撮ることは非現実的となっていたルノワールが、フランス人製作者ロバート・アキムの提案を基にして実現した企画。

主演予定のジョエル・マクリーが下りて、出資者のユナイト映画も下りそうになったものの、ルノワールは低予算を逆手に取り、無名俳優を使って、ロケ隊を結成して撮影した。

手前の二人は偏屈な隣人とその甥っ子役の俳優

白人の小作農民が、メキシコ人に交じって綿花プランテーションで綿花を摘むシーンに始まる。
やがて、独立を決心した主人公一家がおんぼろトラックに家財一式を積んでボロ屋に引っ越し、雨漏りに鍋釜を当てての生活を始める。

農民の生活をリアリズムで描く日本映画が一瞬思い出される。
アメリカ共産党員で赤狩りのハリウッドテンの一人として投獄されたハーバード・ビーバーマンの「地の塩」(1954年)にムードが似ているなと思ったり、不況時代の農民を描く「怒りの葡萄」(1940年 ジョン・フォード監督)を思い出したりするシーンが続く。

若き夫である主人公は妻と協力し、春までの間、川で魚を釣り、野生動物を狩り、春になってラバを使って畑をおこし、種を借りて蒔く。
一緒に来たばあさんは常に文句を言い、幼子は壊血病にかかる。
頼みの隣人は全く非協力で妨害さえする。

ルノワールはしかし若夫婦の逆境を誰のせいにもしない。
社会情勢だの主義主張は関係ない。

どうしょうもなくなって地面に伏せ、神に祈る夫婦に神の答えはない。
偏屈な隣人にダメもとで交渉に行ってみる。
もうだめか、と思うと友人が子供に飲ませる乳牛を持ってきてくれたりもする。

自力と人間関係で問題に対処する、ルノワール流人生哲学が貫かれている。

突然始まる町の飲み屋での、主人公と友人が絡む乱闘シーンと、主人公の母親と町のドラックストアの主人の老人同士の再婚披露宴の大騒ぎ、の二つの場面はルノワール式のお祭り場面か。

結婚式の大騒ぎの夜、一帯を襲った大嵐。
ルノワールが映画でこだわる「水」がおもうさま畑や一帯を覆い流れ、主人公らが流された牛を救いに水の中でもがくシーンが描写される。

収穫寸前で全滅した綿花を前に、畑からの撤退を決心した夫の前に、あきらめずに前向きな気持ちの妻が現れる。
改めて前途に希望を持つ二人を映して映画は終わる。

撮影はテント村をカリフォルニアの綿花地帯にある村に設営して行われた。
ロシア正教会を信じる移民が開拓したその村では、村民も撮影に協力。
ラッシュ上映には村民も詰め掛け、そのあとは撮影隊も含めロシア民謡で盛り上がったという。

「映画とは、際限のない新規巻き直しのことだ。この地で私はまさにすべてをゼロからやり直し、そう悟ったのである。」(「越境する映画」 P87)

「河」 1951年 ジャン・ルノワール監督 ユナイト

英国人女流作家の自伝小説を読んだルノワールが映画化権を獲得したが、スポンサーが見つからない。
現地で育った英国人少女の自伝。
像も虎狩りもないインド(映画)はインドではない、がハリウッドでの常識だった。

一方で、ビバリーヒルズの花屋チェーンの大将がこの小説に興味を示しルノワールに合流した。
インド好きの大将は像も虎狩りも好きだったが、ルノワール作品の制作者兼スポンサーとして名乗りを上げるに際し、像や虎狩りが出てくる映画はあきらめた。

ベンガル地方に住む英国人一家の物語。
娘たちに起こる愛の目覚め、インドの異国情緒に満ちた踊りや衣装。
これらすべてが.安らかな中立性のうちに憩っているように私には思えた。(「自伝」P316要旨)
とはインドにロケハンした際のルノワールの言葉。

主な登城人物は、主人公の少女、その姉、隣家の英印混血の娘、父、母、旅行で立寄る英軍大尉の青年。
青年は二次大戦で片足を失っている。

現地人乳母や門番と仲良く暮らし、塀を乗り越えて隣家と行き来する子供たち。
年上の娘二人は白人青年の来訪に心浮き立つ。

義足となり心閉ざす青年との交流。
隣家の混血娘は学校の寄宿舎から戻り民族意識に目覚める。
それらの出来事を通して描く主人公(のちの自伝作家)の成長。

ルノワールは主人公、姉、混血少女、義足の青年などメインキャストを素人のオーデイションにより配役。
土候の別荘を英国人一家の家に見立ててロケを敢行した。

ルノワールと主要キャスト。左から主人公、その姉、隣家の混血娘

「『河』の撮影期間中、われわれは徹底的に中間色を追放した。(中略)家屋からカーテンから、家具、衣装に至るまで、われわれの点検を受けなかったものは何一つとしてない。」(「自伝」P320、321)

「『河』は私の作品の中で最も手の込んだ準備をした映画のように見えながら、その実、一番自然に近い映画なのだ。」(「自伝」P326)

ルノワールの言葉がすべてを語っている。

作家としての創造性を最大限に追求しつつ、矛盾するようだが、俳優の自然な演技を生かし、安直なドラマよりは状況の流れを尊重し、素材や背景を愛する。

映画に対するルノワールの姿勢が背景に流れている作品だった。

諏訪大社と神宮寺

下諏訪町にある町立諏訪湖博物館と諏訪市の諏訪市博物館がコラボして、「諏訪信仰と仏たち」という特別展示をしているので行って見た。

下諏訪町立諏訪湖博物館の「諏訪信仰と仏たち」のちらし

まずは諏訪湖畔に建つ、下諏訪町の町立諏訪湖博物館へ。
こちらは、地元出身のアララギ派の詩人、島木赤彦の記念館と併設した建物。

博物館の展示内容は、諏訪湖の遺跡や自然、漁業方や道具の展示解説がメイン。
今回の特別展は別室に展示されていた。

博物館前景
常設展示室

特別展移管しては撮影禁止だった。
内容は諏訪信仰の解説と、神仏習合時代に諏訪大社下社秋宮に隣接していた神宮寺についての解説。
下社神宮寺には三重塔まであったという。

秋宮の向かって右奥、今の駐車場の場所から奥に神宮寺はあったとのこと。

また展示内容として、諏訪信仰と切っても切れない鹿食などの肉食の習慣についての解説があった。
それによると、諏訪の神様というのは戦いの神で、武家からの信仰が厚かったため、武家が行う狩猟を仏教などの信仰に適合させるための方便として発達した、との解説だった。

後日、諏訪市博物館へも行って見た。

諏訪市博物館の「諏訪信仰と仏たち」ちらし
博物館前庭にある足湯

こちらも別室に特別展示を行っていた。

諏訪市にある上社本宮と茅野市の前宮の間に神宮寺が立ち並んでおり、門前町が栄えていたとのこと。
今は本宮に隣接する法華寺だけが旧神宮寺として残っているそうです。

長い神仏習合時代には、諏訪大社上社にも寺院や宿坊が存在したこと、明治維新後の神仏判然令により廃仏毀釈運動が起き、寺院が壊され、仏像が廃棄されたこと。
寺院は壊される前に測量して図面が残されており、仏像は別の寺院や神社に隠されたこともわかります。

図面により再現された上社神宮寺の五重塔の模型や、神宮寺の絵図などには歴史の重みを感じます。

ロビーに展示されている上社神宮寺五重塔模型

諏訪市博物館には常設展示物としいて、廃仏毀釈を免れた如来像などもあります。
また、諏訪信仰に対するこちらの博物館の解説のトーンとして、信仰の本質を単に戦の神様としてとらえるのではなく、もっと古い土着の信仰としてとらえているような気がします。
諏訪大社の上社と下社の歴史、風土の違いなのでしょうか?

10月の白樺湖

10月も中旬を過ぎました。
秋本番の白樺湖です。

紅葉というのは楓やイチョウが美しいので、ナラなどの落葉樹全般が美しいのではないですね。

ただ自然の色合いというものは絶妙で、色あせたような枯葉でも、ああ秋なんだなあ、という趣を感じます。

10月の白樺湖も土日などは観光客が多く、観光用のボートなども営業しているようです。

湖中に地下水が自噴する場所があります。
その近くの湖畔に湧水が出る場所があります。

家族と娘一家の来小屋を前にして、炊飯用、コーヒー用などに湧水を汲んでみました。

薪割り機を借りる

この間、大量の丸太を玉切したので、玉が大量にたまりました。

別荘管理事務所よりエンジン式薪割り機を借りました。

借りるのはこれで2度目です。

重い機械なので、積込みと積み下ろしには、ラダーレールなどの道具がいります。
また、ラダーレールがあっても、積み下ろしの時はいいのですが、積込みはそのままではできません。
斜度があるレール上を押し上げられるほど、薪割り機は軽くありません。
ですから斜面に下る形で軽トラを配置し、ラダーレールが水平になるようにしなければ積み込めないのです。

いずれにせよ、薪割り機の導入でたまった玉の処理は一挙に進みました。

エンジン音が気になるので、ご近所の手前、土日は作業を行わず、平日であっても一回に30分程度の連続稼働とし、それを4~5セット程度を限度に行うこととしました。

大きな玉、節だらけの玉、枝などなど、どんな木材もたちまち割ってくれて大助かりです。
ミズナラなど硬い素材を、細かくしてくれるのも便利です。

後は積込みですが、今回はできるだけ木の種類別に積み込む予定です。

カラマツは雨ざらしで、ミズナラは乾きが遅いのでなるべく細かく割って風通しの良い場所に干し、覆いをかける。シラカバは乾きが早いので大きめに割って干すことにします。

(お詫び)

写真をブログに転送する前に消去してしまい、今回は写真の掲載ができませんでした。

DVD名画劇場 ハワード・ホークス 男の世界だ!

最近せっせとDVDで映画を集めている山小舎おじさん。
アメリカ娯楽映画の巨匠、ハワード・ホークスの代表作3本を見た。

「暗黒街の顔役」 1932年 ハワード・ホークス監督 ユナイト

これは傑作だ。
アル・カポネの若き日がモデルだという、禁酒法時代のアメリカ(シカゴ?)を舞台にしたギャング映画。

「犯罪王リコ」(1930年 マービン・ルロイ監督)、「民衆の敵」(1931年 ウイリアム・A・ウエルマン監督)とともに3大ギャングスター映画と呼ばれる。

オリジナルポスター

貧しいイタリア移民の息子(ポール・ムニ)が、町のギャングの手下として、ご禁制のビールを強引に酒場に売りつけ、ライバルギャングを武力で制圧してのし上がってゆく。

ポール・ムニ

ポール・ムニのオーバーで愛嬌のある演技が生きている。
いい女を見かけるときのウインクだったり、ボスの指示を受けた後のふざけたようなリアクションが、いちいち、いい!
何の後ろ盾も、コネもなく、特権階級でもなく、身一つでのし上がろうとするアンちゃんの生きざまを、ポール・ムニは表現する。

このポール・ムニのキャラクター。
ギャングスター映画という虚構の世界に割り切って遊ぶ、ホークス一流の演出がなせる業でもあろう。
一方で、アメリカ人・ホークスにとっての、イタリア移民という外国人、の物語としての距離感も感じられる。

作中、マスコミや警察に、「アメリカ人でもない連中が暴れて市民を危険に云々」と発言させてもおり、これは外国人・イタリア移民のはねっ返りの物語である、とのエクスキューズを行っている。

ポール・ムニが警察にしょっ引かれるときに、ムニが調子に乗って、警察官のバッジでマッチを擦り警察をコケにしたら、すかさず警察官に殴らせる。
〈イタリア人のガキ〉に対してあくまで上から目線で、毅然と臨んだ警察(体制)の姿を強調するホークスでもある。

また、マスコミ(体制)もギャング団の抗争に対し、冷静で公正な反応を示す。
新聞社のデスクは、慣れた様子でギャングの勢力争いを分析予測する。

警察とマスコミの、ギャングスターに対する、毅然としてかつ余裕ある、このスタンスは、一般大衆と権力側のゆるぎない常識性を表すものであり、ホークスはことあるごとに作中で強調する。
この、大衆と権力の常識性はラスト、主人公を追い込む警察官の群れの物言わぬ圧力の不気味さに帰結する。

左から二人目、ボス、ジョージ・ラフト、ポール・ムニ

一般大衆は、タテマエとして危険なギャングどもを非難しつつも、映画における、身一つでのし上がってゆく彼らのある意味公平な世界観に興奮する。

そのメカニズムをよく理解しているホークスは、ギャングスターそのものにはタテマエとしての距離を取りつつも、主人公ポール・ムニの個性だったり、相棒ジョージ・ラフトの仁義にあふれたふるまいだったりを粋でいなせに描く。
また、英語が書けない(移民の)手下のエピソードを時間をかけて描く。

この手下、字が書けないばかりではなく事務所の電話に対応もできない。
が、ラストで主人公が窮地に陥った時に最後まで身を挺して仁義を通した存在として、ホークスは描き切る。
男の約束だったり友情が第一という、ホークス的男の世界である。

また、登場する女性を魅力的に描くのもホークス流。

主人公の妹で兄の〈出世〉とともに遊び人となってゆく娘(アン・ドヴォーラック)や、ボスの情婦で主人公が盛んにコナをかける大人っぽい美女(カレン・モーレイ)というタイプの違う2人の女優は、ホークスが厳選した魅力あふれるキャステイング。

勢ぞろいしたポール・ムニ一家。左端が字は読めないが仁義溢れる子分

主人公の妹が2階の窓から猿回しがやってきたのを見て、それを見物している恋人のジョージ・ラフトに小銭を投げる、なんということのないワンシーン。
アメリカにも猿回しがあったことにも驚くが、身分の低い移動芸人が出入りする移民街で社会の底辺(アメリカ人一般大衆の世界の外)でしか生きるすべのない若者たちの、たまさかの憩いと恋を描いた出色のシーンだった。
一般大衆側の常識性の人、ホークスもその点はわかっている。

イタリア移民の若者たちの生きざまと、個々のキャラクターに共鳴しつつ、一般大衆側の常識にも十分配慮したホークスの傑作だった。

(余談)

この作品、途中から「仁義なき戦い」を思い出しながら見た。
勢いのあるアクションシーンや、社会から疎外された若者のハチャメチャぶりを描くという点では共通している。

ポール・ムニが菅原文太のキャラだとすれば、ジョージ・ラフトは梅宮辰夫か。
字を書けない子分は川谷拓三で決まりだろう。

彼らの命を懸けた友情は底辺に生きる者同士のつながりであり、ホークス流男の世界であると同時に、やくざ映画(というより実録映画)的である。

この作品の女優達も、「仁義なき戦い」シリーズのエモーショナルな女優たちの熱演を思い出させる。
特に主人公の妹役のアン・ドヴォーラック。
兄に対する愛憎と底辺に生きるものの宿命を、ラスト、兄貴に拳銃を向けるも撃てず、警察との銃撃戦では、生命の最後の燃焼のように銃に弾を込めていた姿がこの映画の永遠のアイコンとなった。

アン・ドヴォーラック

妹を射殺し、主人公を追いつめる警察官の群れは、サイレント時代の日本映画、伊藤大輔監督の傾向時代劇、たった一人の主人公を無数の御用提灯の群れが追い詰める絶望的な光景を一瞬思い出させた。

「三つ数えろ」 1946年 ハワード・ホークス監督 ワーナーブラザース

巻頭、依頼を受けた私立探偵フィリップ・マーロウが豪邸に呼ばれる。
依頼人の老人が車椅子で待つ温室に案内される前に階段からショートパンツ姿の若い女が、マーロウを挑発するように下りてくる。
怪しげで、即物的で、いかがわしさ満点のオープニング。

「深夜の告白」(1944年 ビリー・ワイルダー監督)の巻頭では、バスローブ姿のバーバラ・スタンウイックが物憂く階段から下りてきた。
たばこの煙と埃が漂う退廃的な「深夜の告白」の屋敷に比べ、マーロウが呼ばれた屋敷がアメリカンで明るく見えるのは、監督がワイルダーではなくホークスだからか?

ボガートとバコール

マーロウ行くところ魅力ある女性が出現し、マーロウに言い寄る。
ホークスが選んだ女優たちが何ということのない役柄でも魅力を発散する。

ショートパンツの依頼人の次女に続いては、古書店の店員(ドロシー・マローン)。
彼女はマーロウを見るや眼鏡を取って髪を下ろし、店を閉めて別室にマーロウを誘導するし、タクシードライバーの若い女は名刺を渡して「夜の方がいい」とマーロウを誘う。

当時の最新メカであり小物である、自動車や電話を駆使し、動き回るマーロウは、女にかまけるだけではなく腕利きでもある。
何より街(西海岸?)の裏も表も精通した粋な男なのだ。

バコール「震えているのね」、ボカート「怖いさ」

込み入ったストーリーは追ってゆくのも大変でよくわからなくなってくる。
登場する女は全員一見悪女風で、本当の悪女は依頼主の長女(ローレン・バコール)ただ一人。
これもマーロウに惚れて最後は味方になる。

いずれにせよ、筋に重きを置かず、社会正義や常識への偏重はさらさらなく、映画は進む。

それにしても全編喋りまくりのハンフリー・ボカード。
アメリカの探偵はいかなる場合にもウイットをもって言葉で状況に対応しなければならないし、女性に対してはアクションを取らなければならない。
孤独で都会的な、これもホークス流・男の世界ってやつなのだろうか?

ヒロイン、ローレン・バコールはラスト、やってくる黒幕を前にしたマーロウに、「震えてるの?」と聞く。
「怖いさ」と答えるマーロウに対し、泰然自若といった風で補助する。

男勝りで度胸があり、いざという時に、男の尻を叩かんばかりに助ける、ホークス映画の女性像である。

(余談)

チャンドラー原作のフィリップ・マーロウ物は数々映画化されているが、「ロンググッドバイ」(1973年 ロバート・アルトマン監督)が忘れられない。

いわゆる70年代のアルトマン風マーロウではあるが、主役のエリオット・グールドの力の抜け具合がよかった。

富豪の依頼主、悪女、悪役、と登場人物は「三つ数えろ」と変わりないが、グールド流のマーロウはあまりしゃべらず、腕利きにも見えない。
といってヒッピー的な新解釈のマーロウでもなく、もたつき、やられつつ事件に対処してゆく。

ラストシーン、事件の黒幕で富豪の妻の悪女が見つめる中、彼女を無視して通りがかりのメキシコ娘を捕まえ、くるりとダンスして去ってゆくマーロウ。
ボガードとは全く違うふるまいながら、精一杯筋を通そうとする70年代の男の粋がさりげなく表現されていた。

「赤い河」 1948年 ハワード・ホークス監督  ユナイト

1800年代の西部。
テキサスからカンサスへの牛の搬送路を開拓した男たちの物語。
ホークス流のアメリカの叙事詩。
ほとんど男のみによって語られ、女優は2人しか出てこない。

ほとんどがロケで撮影され、何百頭もの牛が移動し、時には暴走する。
俳優たちは牛を追い、野営する。
馬にを操り、川を渡り、埃をかぶり、雨に打たれ、インデイアンと銃撃戦を行う。

ホークスは引き気味のカメラで牛と西部の風景を捉える。
俳優らは多くの場合、情景の一部分だ。

古い価値観のジョン・ウエイン。
年とともに頑固さが増し、横暴にさえなる。

少年時代にウエインに拾われ、息子として育ったモンゴメリー・クリフト。
南北戦争も経験し、牧童たちの人権だったり、汽車敷設などの近代化に敏感な新しい世代。
この二人(ウエインとクリフト)を中心にした、世代論と組織論であり、世代交代を背景にした男の人情の世界。

名わき役、ウオルター・ブレナンは、ウエインの長年のパートナーだったが、ミズーリまでの1600キロの牛追いの最中に、新しいボス・クリフトに鞍替えする。

断固として自らの野望を実行し、そのためには他人の命も利益も二の次、女の気持ちは三の次。
他人の窮地などは気にしない。
男らしいが横暴なジョン・ウエインは古い時代のアメリカの価値観の象徴。
100日に及ぶ牛追いの困難(人生の困難)に対し臨機応変に対応できず、牧童たちの反感を買う。

時代の価値観に即したクリフトにボスが交代するのは必然だが、理屈はいいとして果たして二人の感情は?

巻頭でウエインが、すがる女性をあっさあり置き去りにして自分の野望のためテキサスへ向かい、残った女性は幌馬車隊とともにインデイアンの襲撃に滅ぶ。
この伏線は、14年後の牛追いの最中にクリフトが助ける幌馬車隊の女性(ジョアン・ドルー)に引き継がれて二世代越しに伏線回収されることになる。

ジョアン・ドルー扮する〈新〉ヒロインは、矢に肩を射抜かれても気丈にふるまい、気に入ったクリフトを追いかける。
クリフトが牛追いに同行はさせないというと、あとから来たウエインに掛け合って追いかけ、目的地で合流する行動力。

左からジョン・ウエイン、ハワード・ホークス監督、ジョアン・ドルー

ラストシーンで殴り合う親子に拳銃をぶっぱなし、「あんたたちお互いに好きなんだから殺し合えるわけないでしょ」と喝破する。
まさに激しい〈ホークス的女性像〉の決定版である。

母親にケンカをたしなめられた親子のように、ばつが悪そうに笑い合うウエインとクリフト。

男は女に敵わないのだ、というホークス流のテーマである。
取ってつけたような結末でもあるが。

クリフトに対し「震えてるの?」と叱咤するジョアン・ドルーは「三つ数えろ」でボカートを励ますバコールと同様。

牧童の反乱に対し、ブレナンがライフルを放り、受けたウエインがぶっぱなすスポーテイなアクションシーンは、監督のホークス自身が「リオブラボー」でセルフリメイク。

どちらもホークス映画の名場面である。

デヴュー作のモンゴメリー・クリフトはトム・クルーズそっくりの精悍さだった。