信州ソウルフード放浪記VOL,45 小木曽製紛所

県内の蕎麦チェーン・小木曽製紛所へ行ってみました。

県内の外食チェーンといえば”県民の中華食堂”テンホウをはじめ、ハルピンラーメン、蕎麦の草笛などを思い浮かべますが、県民の気風というか、地域限定の地味な印象があります。
対して全国チェーンの丸亀製麺などの麺類チェーンが県内のあちこちに出店しており、盛況な印象です。

この小木曽製紛所は地元出身の元大関力士・御嶽海を起用したテレビコマーシャルが流されていました。
蕎麦をすすった御嶽海が力強くうなずき、「うまいっすよ!」とうなっていました。

諏訪市の郊外店舗が並ぶバイパス沿いの小木曽製紛所へ出かけました。

平日の昼時なので立て込んでいるかな?と思いましたが、並ぶ先行客は一組。
丸亀製麺などと同様に、てんぷらなどをセルフでチョイスし、メインの蕎麦を別途オーダーしてトレーに乗せ、レジで会計するシステムです。
メインのメニューについては口頭だけではなく、あらかじめ札をチョイスします。
それを見たキッチン内のおばさんが「温かけ」などと係の人に伝えて湯がきなどの準備に入ります。

メインのメニューは蕎麦のほかに、カレーやどんぶり類もあります。

山小舎おじさんは、かき揚げと山賊揚げをチョイスし、かけけそば普通盛の札をトレーに乗せました。
天ぷらの、特にから揚げ類が安くないのは理解していますが、それでも全部でせいぜい高くて800円前後のイメージでしたが、会計は1000円ちょと。
昨今の外食事情は東京から遠く離れた信州でも一食千円の時代になったのでしょうか。
そういえば前後に並んだサラリーマンのオーダーを見ても、天ぷらは1品で、むしろ蕎麦の大盛や、カツカレーなどでコスパを得ているような気がしました。

蕎麦、ダシ、天ぷらそれぞれの品質には文句なし

席はそこそこに埋まっています。
ファミリー客などもいて地元に根付いた店だということがわかります。

蕎麦のコシがしっかりしていて満足感はありました。
蕎麦湯がセルフで飲み放題なことも気に入りました。
地元のおばちゃんたちで統一したキッチン、レジの、安心感に満ちたテキパキ感には文句のつけようががありません。

再度訪れたいチェーン店なのですが、次回はオーダー内容に注意して1000円内に納めようと思いました。

裏口塞いでDIY!

これだけの古屋になるとDIYは際限ない山小舎です。
喫緊の話題は半地下の裏の戸締りです。

戸が外れた半地下

斜面に土台を形作っている半地下には三つほどの出入り口があります。
うち二つは戸締りしているのですが、一つが戸が外れているのです。

間に合わせに閉めて、固定しておくのですが、いつの間にか元通りです。
風で開くのか、自重で落ちるのか。
いずれにせよ物騒です(野生動物が出入りします)。
冬の寒さにも影響するでしょう。

何度戻してもこの通り

扉は外から打ち付けるのではなく、内側に打ち付けた垂木で枠にはめて固定するようになっています。
垂木の打ち付けが一方が外れているので、はまらないのです。
垂木を再度打ち付け直すことにします。

扉の内側

改めて扉の造作を見ると、扉側から単純に垂木を釘で打って固定しています。
一本の釘が抜けてブラブラになっている垂木に新しい釘を扉側から打ちます。
垂木が固定した扉を半地下の枠に、ハンマーで打ってはめ込みます。

釘を取り出し
扉側から打って垂木を固定

何とか扉を固定できました。
今までは面倒で間に合わせのことばかりしていました。

やってみると単純なこともありますが、ますます面倒の沼にはまることもあるのがDIYです。
面倒がらずにとりあえずやってみるのが田舎暮らし流なのかもしれません。

垂木の幅は枠と合っているので固定できる
半地下裏の現状

トマトを煮る

畑ではトマトが豊作です。
大玉にはならないのですが、8月に入ってからはよく成っています。

いつも通りほとんど潅水しません。
枝を支柱に結びつけ、脇芽は掻きます。

今年もトマトは豊作

実の付け根が割れて来たり、腐ってくるものもあります。
完熟で収穫し、よくできたものは彩に出荷します。
その次によくできたものは姫木別荘地内の友人や近所に配ります。

配る先にも気を付けます。
単身の滞在者はもちろん、奥さんがいても野菜をもらうのが迷惑な人もいます。
喜んでくれる人に配るようにします。
入り口の小嶋さんは旦那さんが亡くなった後は一人で来ていますが、野菜を喜んでもらってくれます(お礼に桃をくれたので、富士見の別荘で学友らと食べました)。

配った後に残ったトマトも多数あります。
実が割れているだけで味はよかったり、傷んだところをカットすると使える実です。
早いうちに煮て、冷凍しておきます。
トマトらしいコクと独特の青臭さがあり、料理に使うと孫たちはバクバク食べます。

湯煎する

トマトを煮る際のポイントは、皮むきと種の処理です。
皮は湯煎して剥くのですが、そのまま煮ると種が残ります。
畑のトマトは種が十分に育っているので、そのままでは邪魔になります。

冷水に戻すと皮がはじける

皮をむいたトマトを半分から4分の一にカットします。
手で種を含んだジェルの部分をこそげ取ります。
煮えづらい固い部分もついでにフライパンに集めて煮詰めます。
これは料理番組で見てから参考にしている方法です。

皮をむいた実をカット
ジェルごと種などをフライパンに
煮詰める

フライパンで煮詰めたものをザルで漉して、トマトの実本体と合わせて煮ます。
ある程度煮込んで水分を飛ばした後、冷まして冷凍です。

種をザルで漉して合わせて煮詰める。少し種は残っている
保冷パックで冷凍庫へ

トマトのほかにブルーベリーやブラックベリー、トウモロコシの粒などで冷凍庫が一杯になってきました。
娘から「トマトが欲しい」と連絡があったので、トマトとトウモロコシを冷凍便で送りました。
ついでに牛スジ肉と信州サーモンを入れておきました。

2025 山小舎来客第五弾!(富士見編)

山小舎に投宿した学友一行。
彼等の地元の地酒や、貴重な漬物類など、高価なお土産を頂きました。

また、山小舎の食材、アルコールなどは割り勘となり、年金生活の山小舎おじさんには助かりました。
さらに来年の浄化槽設置の寄付金までいただきました!
寄付金は、彩ステーション、娘一家に次いで3例目、延べ7人となりました。
勝手な申し入れながら、ご対応ありがとうございます。

一夜明けた山小舎。
6時半に二日酔いの目を開けて下へ降りると、すでにほぼ全員が起きています。
外に散歩に出ている人もいます。

パン、コーヒーに目玉焼き、野菜スープ、昨日のサラダ、ヨーグルト(ジャムとブルーベリー乗せ)、桃、プルーンなど、夏の山小舎の朝食メニューです。
その前に野草茶を煮だして試飲してもらいました。

すでに活動意欲満々のメンバーですが、麓の町は暑いので標高の高い近辺で、午前中はゆっくりすることになりました。
白樺湖から女神湖、車山を回る一団と、姫木周辺を散策する人、山小舎で待機、と3つのグループに分かれて午前中を過ごしました。
昼食は昨日の残りのおにぎりと、焼き鳥、ほかに焼きそばを2玉作りました。
皆食欲があります。

午後は下諏訪温泉の児湯に入ってから、富士見の別荘へ向かいました。
富士見高原リゾートには、参加メンバーのお父さんが建てた別荘があるのです。
ここで一行を見送る予定だった山小舎おじさんも、学生時代のノリよろしくお邪魔して参加ました。

一行は2台で出発。
山小舎おじさんの乗った車は、温泉の後、下諏訪から20号線で小淵沢まで行き、小淵沢インター近くのドラッグストアでビールなどを買いながら、長野側の富士見高原リゾート内の別荘地へ向かいました。
もう一台は夕食の食材を調達して別荘で合流です。

原生林に点在する富士見高原の別荘地は、国産材で別荘を建てることが条件だったそうです。
まずは堂々とした外観。
中へ入ると、居間は吹き抜け構造で、暖気がいきわたるように配置された3部屋が二階にあります。
広さもあり、普段手入れもされている様子がうかがえます。
皆は、勝手知ったるとばかり雨戸をあけ、網戸にして換気、布団なども用意しています。

富士見高原リゾート内の別荘へ
部屋の中から外を見る
テーブルでくつろぐ

今は、メンバーのお兄さんが管理しているという別荘。
親族やその友人のみの利用とはいえ、別荘利用の注意やルールが細かく張り紙され、使用料一人1000円を徴収とのこと。
使用料を入れるボックスには、使用者の日付などを記録する台紙もありました。

「利用規定」は別荘所有者にとって参考になる

これらの管理方法は山小舎にとっても非常に参考となりました。

富士見の夜はキムチ鍋と昨日食べられなかったアルプス牛のソテーなどで過ぎてゆきました。
ガスコンロや土鍋、炭や七輪まで完備している別荘は居住性十分でした。

翌日は朝食の後、出発の9時まで希望者で別荘地から山道をハイキング。
鹿の道と呼ばれるハイキングコースを歩きました。
網笠山と呼ばれる八ヶ岳最南端のピークが眺望できる地点まで登り、戻ってきました。
南側には富士見パノラマリゾートと入笠山が見えます。

鹿の道を上る
霧に包まれた網網笠山
パノラマリゾート方面を遠望

この日、一行のうち2人が帰り、残る3人は上田方面へ向かって信州の3日目を過ごしていました。
真田の時代の櫓が残る上田城は、博物館ともども見ごたえがあったとのこと。

来年も皆健康で再会できることを祈ってお別れしました。

2025 山小舎来客第五弾!(準備編)

8月の最終週、今年の山小舎ゲストの末尾を飾る一団がやってきました。
学生時代のサークル仲間の5人です。
昨年四十数年ぶりに山小舎で再会した4人ともう1人です。
今回は全員が飲めるように1泊のスケジューリングです。

日程が決まってからは準備に入りました。
8月は頭に娘一家を中心に1週間の来客。
中旬には道東旅行、と予定が目白押しでした。
ゲストを迎えるには準備期間が必要でしたが、8月の半分は娘一家らのゲスト対応、及び旅行で過ぎてゆきました。

本日も晴天なり。準備開始。
そとでの炭火焼きにはゴミ箱設置がマスト

学友たちの訪問にも気を入れて準備しなければなりません。
食事はいつもの炭火焼きがメインですが、地元の食材で前菜をワンプレート用意することにしました。
「地元の食材」には野菜のほかに、チーズ、ハムなどの加工品もあります。
この間に、地元の人から紹介されたり、ローカルニュースで見て、店を訪問し、味わった食材を集めます。
季節柄、トウモロコシ、アスパラなどの野菜も欠かせません。

畑のズッキーニを炭火焼きしてエゴマ油と山塩をかけたもの、伊那の直売所で買ったトウモロコシの炭火焼き、シイタケ焼き、春日のチーズラボのカマンベールのクラッカー乗せ、姫木の生ハムを高遠のメロンに巻いたもの、丸子の直売所で仕入れたデストロイヤーのホイル焼きバター乗せ、などを、銘々の紙皿に円形に配置します。
前菜のメニューです。
これをつまんでもらっている間に焼き鳥から焼き始める予定です。

ジャンポンドヒメキの生ハムに初トライ
地元産のメロンに巻いてみる
前菜プレートが出来上がる。焼きシシトウのだし浸しは作り忘れる
焼き物

前日からアルプス牛のスジ肉を煮て、野菜とともに味付けしておきます。
当日は温めつつ豆腐を投入して深皿で提供します。

当日は午前中から、鶏ももと砂肝を切り分けて串にさしておきます。
午後からは、佐久の銘柄米・ミルキークイーンを4合炊いて塩結びにしておきます。
ブロッコリーと玉ねぎとビーツのピクルスとゆで卵をそれぞれ和えたサラダも作ります。

外にテーブルと椅子とグリルを配置して炭をおこしておきます。
4時に到着というので、そのころには炭火焼きを開始できるようにします。

牛スジ煮。完食

飲み物は、クラフトビール、高山村のシードル、ワイン、地酒は千曲錦の冷酒。
信州ウイスキー。
別の来客が持ってきたビールもあります。

書いていても疲れました。

4時に予定通り一行が到着。
懐かしい再会の挨拶もそこそこに歓迎の食事の開始です。

焼き鳥から焼き始めましたが、信州豚を焼く前にストップがかかりました。
皆、寄る年波のせいなのか、遠慮深いのか、30代の食欲とは違います。

それでも炭火のあるうちにと焼いた信州豚肩ロースも2パック完食。
ラストのアルプス牛は焼く前に今度こそストップとなりました。
串焼きも10本近く残り、翌日の昼食用となりました。

暗くなってからは舞台を山小舎内に移し、地酒、ウイスキーと乾き物で、汲めど尽きせぬ話題とともに第一夜は過ぎたのでした。

当日のメニュー。書いておかないと忘れる。漬物とデザートは出し忘れたり作らなかったり

令和7年畑 ホウズキ収穫

8月の畑は雑草のジャングルです。
その密林の中でホウズキの木が勢いを伸ばしています。

収穫間近なホウズキの実

数年前からホウズキの苗を数本植えていました。
たくさん採れた年もあり、東京に送ると楽しみにしていた人もいました。

初めての時は抵抗がありますが、絶妙な酸味と甘みがあり、その味に惹かれます。
県内の直売所でも出回り、10個ほど入ったパックが数百円で売られていることもあります。

旺盛なホウズキの木。奥に青い実が見える

鑑賞用のホウズキと同じ袋を持った実がなります。
袋が黄色から茶色になると中の実が熟した証拠です。
袋ごと収穫します。

ホウズキはまだまだとれそうです。
今年は彩ステーションに送るほか、姫木別荘地内のバイト仲間にもおすそ分けしました。
毎回、ナスやトマトなどの野菜には大感激してくれるのですが、翌日聞くとホウズキはまだ食べていないとのことでした。

収穫したホウズキ

畑は、キューリが終了。
水気がないのでトマト以外の果菜の成りがよくありません。
ナスやゴーヤなどには潅水しようと思います。
カボチャも成っているようですが、草に埋もれて確認できていません。

個に比の収穫1。トマト最盛期
この日の収穫2

令和7年畑 夏草との格闘

8月は来客や旅行で畑に行けない日が多くなり、作物は雑草とともに放っておかれることが多くなります。
作物は雑草の猛威にさらされます。

久しぶりに訪れた畑は、軽トラの駐車場所も雑草に覆われていました。
草刈りをしなければなりません。

畑の横を通る中山道沿いに畑を見る。フェンスがツタに覆われている
草ボーボーの軽トラ駐車場所

軽トラの駐車場所から除草を始めます。
イネ科の雑草が存分に生い茂っています。
草刈り機のヘッドに丸歯を取りつけエンジンの回転を上げて回します。
フェンスに絡みついたツタも強敵です。

駐車スペースから草刈り開始
刈ったそばから熱射が雑草を枯らしてゆく

圃場へ入ると作物が一面の雑草に覆われています。
1か月も放っておくと夏場はこうなってしまいます。

フェンス内の圃場はこの通り

圃場の周りと畝を中心に刈ってゆきます。
夏の酷暑が容赦なく襲い掛かります。

圃場の周辺から刈ってゆく
畔の部分もこの通り

雑草ばかりではなく、茎が太く背の高いイタドリのようなものも圃場の周辺にバシバシ生えています。
日光と風通しの邪魔になるのでできるだけ切り倒します。

此方の体力と相談してざっとこの日の草刈りを終えます。

こまかな部分の手入れはまだまだこれからです。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第2集) 吸血鬼三代

「吸血鬼」  1932年  カール・ドライヤー監督  フランス=ドイツ

カール・ドライヤーは、1889年デンマーク生まれの世界的監督。
その代表作「裁かるるジャンヌ」(28年)は英国の映画専門誌・サイトアンドサウンドが10年ごと選出している映画史上ベストテンに、1952年以来たびたび選出されている。

本作「吸血鬼」は「裁かるるジャンヌ」の次回作としてフランスで撮影された。
トーキーだがセリフは少なく、字幕で説明が入るなど、技術的、作風的に特色ある(過渡期の?)作品。
「裁かるるジャンヌ」に続いての起用である撮影のルドルフ・マテは、技法、構図、陰影などの画面作りに凝りに凝った成果を見せた。

カール・ドライヤー

吸血鬼を題材にした映画としては、22年の「ノスフェラトウ」(F・W・ムルナウ監督)ほどのドラマ性、映画としての完成度はない。
また、31年のハリウッド製「魔人ドラキュラ」(トッド・ブラウニング監督)に見られ、その後の吸血鬼ものの原典となった、ドラキュラの怪物としての万能性や、ホラー映画としての見世物感、あざとい俗物性の強調は、更にない。

どちらかというと「アンダルシアの犬」(29年 ルイス・ブニュエル監督)のようなアヴァンギャルド映画、あるいは戦前のベルリンを舞台に、エドガー・G・ウルマーやビリー・ワイルダーといったユダヤ系の若い映画人が集結した「日曜日の人々」(30年) のような素人俳優を使ったセミドキュメンタリーのスタイルに似ている。
主体はドライヤーの感性であり、撮影者マテの技法であるかのような斬新さがある。

劇映画でいえば「カリガリ博士」(20年 ロベルト・ヴィーネ監督)の全編が悪夢のような不条理に満ちた作風にも似ている。

印象的な開巻の一場面。大鎌を持った農夫がいる

フランスのある村にたどりついた旅行者アラン・グレイが主人公。
いきなり、宿についたアランの後姿をフォローする移動撮影と、大鎌を担いで渡し船の出航を知らせる農夫のカットバックが見られる。
開始早々、悪夢のような、異次元の世界のような違和感に満ち満ちた映像が展開する。

宿の部屋は窓から外の光があふれるような、露出過剰の画面もある。
部屋に飾られた、臨終の風景を描いたかのような絵画をなでるように見るアラン。
「アンダルシアの犬」そのものの、つながりのない象徴的なシーンが続く。

夜、宿の部屋をノックし、老人(村の領主らしい)が入ってきて『私が死んだあと開封するべし』とした封書を置いて去るあたりからアランの悪夢の世界に入ったらしい。
どこからが悪夢で、何が現実かわからないし、映画はそもそも悪夢と現実を峻別して描いてはいない。

アランは領主の屋敷へ行って病弱な娘を見る。
彼女は吸血鬼と呼ばれる悪霊に魅入られ血を吸われたらしい。
吸血鬼を助ける存在の村の医者がアランから採血して(娘に輸血する?)ことでアランを吸血鬼の子分としてしまった(らしい)。

吸血鬼とは生前に悪行を重ね、成仏できない霊的存在であり、本作では老婆の姿?で夜に棺から出てくる。
棺を開くショットが棺内部から撮られる鋭角的なショットが斬新だ。

犠牲者の娘は邪悪な目つきをするが、『死ねたら楽なのに』と正気に戻ったようなセリフも吐く。
彼女は、村の因習にとらわれ、宿業の結果として死んでゆく犠牲者として描かれる。
吸血鬼の犠牲者が、首に歯の後をつけて狂ったように血を求め、十字架にわざとらしくひるむ、ハリウッド以降の吸血鬼の犠牲者像はここにはない。
むしろ「ノスフェラトウ」の、村民に差別され、弱々しく、光の中に消滅してゆく吸血鬼像に近い。

「ヴァンパイア」名で発売されたDVD版。淀長さんの解説付きだ

いずれにせよドライヤーの興味は吸血鬼の不死身の悪役像にあるわけではなく、またホラーにあるのではない。
怪物としての吸血鬼の不気味さと並行して、古い因習にまみれた農夫たちを、シャドーや大鎌などの小道具を使って描いていることからも、吸血鬼伝説を欧州の負の歴史の一部としてとらえている。
結局それらの描写がホラーとなっているのだが。

撮影のルドルフ・マテは、「最後の億万長者」(34年 ルネ・クレール)、「リリオム」(34年 フリツラ・ラング)らを撮影。
ハリウッドに渡り、「孔雀夫人」(36年 ウイリアム・ワイラー)、「海外特派員」(39年 アルフレッド・ヒッチコック)、「生きるべきか死ぬべきか」(42年 エルンスト・ルビッチ)などそうそうたる作品の撮影を担当。
のちに監督に転じた。

「吸血鬼ドラキュラ」  1957年  テレンス・フィッシャー監督   イギリス・ハマープロ

イギリスの製作会社ハマープロが、30年代のハリウッドでホラー映画をヒットさせたユニバーサルのドラキュラ、フランケンシュタインなどをリメークしたのは50年代のこと。
ワーナーブラザースの出資と配給で「フランケンシュタインの逆襲」を製作したのが57年。
次回作が「吸血鬼ドラキュラ」だった。

ちなみに前回の「DVD名画劇場」で紹介した「恐怖の雪男」はそれ以前に製作されたハマープロ作品で、イギリス映画らしさに溢れた佳編だったが、ハリウッドの出資はなく、また日本未公開だった。

DVDパッケージ

クレジットタイトル順では、吸血鬼を退治する医者の博士、ピーター・カッシングがトップ。
ドラキュラ役でブレークし、のちには「007」の悪役にも起用されるクリストファー・リーは4番目。

配役は地元イギリスで固められているようだが、カラーで再現されるドラキュラ城内部などのセットには予算がかけられている。
また、吸血鬼に篭絡される女優陣の生々しさや、ドラキュラの超人的な凶悪さ、吸血鬼と博士らの手に汗握る攻防などがカラーで劇的に再現されている。

クリストファー・リー扮する血だらけの吸血鬼

開始早々ドラキュラ城を訪れた司書に、吸血鬼となっている美女が迫る。
肉感的な美女が牙をむきだして司書ののどにかみつく。
ドラキュラが美女ののどにかみついたり、美女が男ののどにかみつくシーンのクローズアップは、この作品から吸血鬼映画の売り物となったのかもしれない。
ショッキングで生々しく、エロチックな吸血鬼映画の山場の一つである。

更には、棺桶で町にやってきたドラキュラが、夜な夜な篭絡しに通ってくる若い女性の恍惚の表情もいい。
ドラキュラ除けのニンニクの花や十字架を排除し、窓を開けてドラキュラを待つ女性は、吸血鬼の被害者というよりは、背徳の誘惑者の夜這いを心わななかせて待つ女性の心理そのものである。
クリストファー・リーのドラキュラは誘惑者の色気と俗物性に溢れている。

美女に迫るドラキュラ

被害者の女性たちは、一方では棺桶で横になっているときに杭で打たれて被害時の姿になって成仏し、また夫からの輸血によって回復する。
十字架には大げさに反応し、焼き鏝を当てられたように傷跡がつく。
日光にも弱い。
こういった吸血鬼の弱点をドラマチックに表現したのもこの作品からであろう。
行動力豊かなドラキュラと博士らのスリリングな攻防も、現代的だ。

最後の見せ場は、光を浴びて崩れ去ってゆくドラキュラの特撮シーン。
クリストファー・リーの大げさともいえる断末魔の表情と、手や顔が崩れて飛散してゆく特撮が素晴らしい。

吸血鬼の子分になっている美女が迫る

ドラキュラ城の立地する19世紀のトランシルバニアの村の居酒屋の主や集う人が、因習にまみれた閉鎖的な中世の中欧に見えないこと。
ドラキュラ城内部のセットが新しく、御殿のようで、30年代のユニバーサル版のクモの巣とほこりにまみれたセットと比べて、ホラー感がなかったこと、などの不満はある。

決して吸血鬼ものの原典、決定版とは思えないが、吸血鬼の特徴の再現や被害女性とのエロチックな関係の示唆などに現代的な表現を見せた作品である。
ピーター・カッシングの存在もハマーフィルムの至宝というべきものであろう。

ピーター・カッシング扮する正義の博士
DVDパッケージの裏面

「ドラキュラ’72」  1972年  アラン・ギブソン監督   イギリス・ハマープロ

ハマープロによるドラキュラシリーズ6作目。
第1作が製作された1957年から25年たっている。
主演の吸血鬼とそれに対する博士の配役は、鉄板のクリストファー・リーとピーター・カッシング。
第1作ではカッシングがトップだったクレジット順が本作では、リーがトップに来ている。

リー扮するドラキュラは第1作から衰え知らず、ますます目を充血させて鬼気迫っているが、カッシングは終盤の山場の急を急ぐシーンで息切れが目立ち、格闘シーンでは弱々しくやられっぱなで、年齢を感じさせる。
そこが本作の演出意図でもあるのだが。

1972年のロンドン。
世の中は新世代の若者が我が物顔に青春を謳歌している。
謳歌といってもたまり場で無為に過ごし、クスリと酒とフリーセックスに時間を潰しているだけ。
余りに暇なものだから、グループにいつの間にか紛れ込んだ正体不明の若者ジョニーの誘導で、黒ミサに興味本位で参加し、100年前に滅んだドラキュラの復活とヘンシング博士一族への復讐に、きっかけを与えてしまう。
そのグループにはヘンシング博士(現代の)の孫娘ジェシカ(ステアニー・ビーチャム)がいる。

70年代とドラキュラの接点をどう表現するのかというのが本作のポイントの一つだったが、無為な若者の興味本位のオカルト趣味がもたらす心理的隙間をそこに持ってきたわけだ。
カッシング扮するヘンシング博士の研究も、存在も、70年代の世相からはかけ離れており、いきなり博士とドラキュラの古式豊かな抗争劇を持ってきても現代とはつながらなかったろうから。

軽薄で空虚な現代の若者たちが、オカルトに取り込まれ、その象徴たる吸血鬼に簡単に篭絡されてゆくというストーリーは、事実は小説より奇なりではないが、悪の前に非力な現代人を象徴していて、その意味でのリアリテイーがある。

ドラキュラの超人的能力の誇張や、対するヘンシング博士の神の力を背景にした正義の表現は最低限に抑え(老境に差し掛かったカッシングに敢えて年齢を意識させた演技をさせて)、現代人の不安定な心理の危うさの恐怖を強調した作品。
ドラキュラ本人ではなく、その弟子の子孫のジョニーをメインに持ってきてその不気味さを強調し、現代とのマッチングをしてもいる。
ここには、イロモノとしてのドラキュラではなく、現代の不安というリアリテイを背景とした緊張感を持った新たなドラキュラものを目指した製作陣の姿勢がみられる。

ジェシカ役のステファニー・ビーチャムはマーロン・ブランドと共演した「妖精たちの森」(71年 マイケル・ウイナー監督)でブランド相手に体当たり演技でデヴューした女優。
存在感は十分で、演技も上手い。
新世代の若者の浮遊感には似合わなかったが、悪夢に汗だくで悶える演技や、ドラキュラの花嫁として白いドレスから見事な胸の形をのぞかせる場面などは圧巻だった。

ジョニーに誘惑され、ドラキュラに崩壊させられる若者グループの一員で「シンドバッド7回目の航海」(74年)や「007私を愛したスパイ」(77年)でスターダムに上った、無名時代のキャロライン・マンローも出ている。

ハマープロによるドラキュラシリーズは、7作目の「新ドラキュラ・悪魔の儀式」(73年)でクリストファアー・リーとピーター・カッシングの最後の共演を終え、「ドラゴンVS7人の吸血鬼」(74年)でシリーズ最終作を迎えることとなる。

軽トラ流れ旅2025  最近話題の小諸の町へ行ってみる

小諸が何かと話題です。
「小諸人なからマップ」というタウンマップが、2024年7月に「小諸人なからマップ製作委員会」より発刊されてローカルニュースにもなりました。
若い女性らしい感性と情報量に溢れたタウンマップです。
駅前の観光案内所で200円で買い求めました。

軽井沢で中山道と別れ、越後を目指す北国街道の宿場であった小諸。
懐古園として市民に慕われる小諸城址。
島崎藤村と「千曲川スケッチ」。
JR小海線の終着駅として旧信越線(現しなの鉄道)と連絡する交通の要衝。
近年ではリンゴ園のほか、ワイナリーなどでも有名です。

地方都市のご多分に漏れず、駅前や北国街道沿いの商店街がシャッター通りとなった後、近年では、空き店舗などに若者や移住者などの店が開店したり、ウイスキー蒸留所やワイナリーが設置されたりしているようです。

まず、小諸市街から高峰高原の方向へ登った場所にある、小諸蒸留所へ行ってみました。
地元産のウイスキーを生産しているという噂の近代的なラボです。

ホテルのロビーとバーのようなホール兼バーでは、バーテンダー相手に昼間からウイスキーをあおる若めのお客さんがいます。
ガラス越しに蒸留所のラボが見えます。

ウイスキーのラボ

お土産でもと物色しますが売っているものは見当たりません。
受付で聞くと「ウイスキーの生産が2年目です。3年で出来上がりますので発売は来年末になります」とのこと。
残念でした。

建物外からバーのある内部をのぞく

次いで駅へ向かいます。
なからマップを入手し、昼食を摂ってから、北国街道沿いの古い街並みを歩きましょう。

小諸駅から駅前通りを見る
駅近くの飲み屋街

駅構内はローカル色溢れるムード。
地場野菜の無人販売と、待合室には駅の歴史をたどる展示物。
列車の運行本数の少なさは昨今のローカル鉄道の実情を物語っていますが、立ち去りがたい小諸駅構内です。

小諸駅構内。手前に無人販売コーナー
待合室の片隅の展示コーナー

ランチは駅前通りの雑居ビル二階にある洋食屋・キャンデイライトで。
1階の入り口に出ているサンプルが目に留まりました。

「なからマップ」でのキャンデイライト紹介部分

上がってみると高齢の夫婦が切り盛りするローカル色あふれる店内。
ソースかつ、コロッケ、エビフライが乗ったお重のランチが750円。
甘いソースが特色です。
喫茶で談話する婦人も利用する街の喫茶兼食堂。
残ってほしい店です。

北国街道沿いに歩いてみます。
脇本陣の古民家が残っているあたり。
建物は宿と喫茶に利用されています。
この日は座敷で何かの集まりも催されていました。

北国街道沿いの武家屋敷
脇本陣跡

古い建物が残る北国街道を歩き、藤村プロムナードという何ともない通りを通って軽トラの駐車場所へ戻りました。

街道沿いの古い酒屋
改造沿いの街並み

次回は小諸蕎麦の名店、中心街の甘味処「みつばち」、ワイナリー、などを訪問したいと思います。

(地元情報)

小諸在住の姫木管理事務所職員からの話です。

北国街道沿いに建つ長野銀行職員がコロナに感染したときのことだそうです。
コロナ発生期の長野県内では、毎日のニュースに新規感染者を発表していました。
「本日の発症者は、上田市の40代男性会社員1名。これまでの県内発生者は累計30名」などと。

そのころ長野銀行小諸支店の女性行員が感染したそうです。
田舎なので、ニュースなどを情報源にすぐ本人が特定されたのでしょう、アングラ的に。
それで銀行のガラスに投石されたそうです。
管理事務所職員は、投石後の割れたガラスにビニールをかけた建物に入ったことがあったそうです。

コロナという、地球規模の壮大な金儲けの茶番劇が生んだ悲劇です。
何年間も毎日毎日テレビで「宣伝」したおかげで、日本国におけるコロナの存在は、絶対で、アンタッチャブルなものとなりました。
高齢者を中心に何度でもワクチンと称する治験薬をわが身に打ち、また打つことを強要され、県外ナンバーの車で帰省したり外出することが家族から止められ、また白眼視されました。
つい最近のことです。
その時代の社会的、経済的、健康的被害は全く清算されるどころか、増幅、再生産されて今日に至っています。

長野銀行への投石は、「おらが町に疫病を持ち込んだ恥知らずな非国民」への非難だったのでしょうが、多かれ少なかれそういった風潮は田舎に限らず都会でもあったのではないでしょうか。

江戸時代の身分制度、戦前の挙国一致と同じように、21世紀のコロナによる統制においても、体制に反するものへの庶民レベルの制裁は生きていたのです。

薪仕事2025 去年のカラマツを割る

薪仕事が溜まっています。
まず今年やってきた丸太を玉切りします。

まだまだ丸太が残る
チェーンソーで玉切りしてゆく

法面下の薪の乾燥台には去年以前に積んでおいた薪がたくさんあります。
その中には、カラマツの大きな口径の玉を四つ割りにして積んだのものがあります。
積んだ当時は生木で硬く、とりあえず薪割り機で割って積んでおいたのです。

そのままではストーブに放り込むことができないほどの大いので、実用サイズに割って山小舎の近くに持ってくることにします。

法面の下のカラマツの薪台

法面を軽トラをバックで下り、カラマツの積み台付近に持ってきます。
薪を荷台に放り込みます。
乾燥台1基の薪を軽トラ2往復で運び上げます。
少々法面が緩んでいても4駆の軽トラは大丈夫です。

軽トラを法面下につける
カラマツの薪を軽トラに積み込む

運んできた薪を作業スペースにおろし、少しずつ割ってゆきます。
まだまだ斧で断ち割るほど乾燥してはいないので、楔を使います。
楔を打ち込むとひびが入るので、斧で断ち切って実用的なサイズの薪とします。

作業スペースへ運ぶ
おろしたカラマツを半分ほどに割ってゆく

軒下などに積み上げておいて夏中の暖房(というか湿気の除去や煮炊のため)とします。

軒下に積み込む

まだまだ薪仕事は続きます。