軽トラ流れ旅 大岡ひじり学園収穫祭

11月中旬。
信州では多くの場所で紅葉も終わり、初雪の便りが聞かれたころ。
大岡にある山村留学の施設で収穫祭があった。
ひょんなことからその情報を知った山小舎おじさんは軽トラで駆け付けた。

大岡ひじり学園という山村留学施設。
大岡は今は長野市の一部だが、市の中心部からは1時間ほどもかかろうか、というほどの山間部。
長野市中心部から国道19号線で西へ向かい、信州新町という地区から山間部を南下したエリアである。

たまたま見た「長野市民新聞」の記事で、大岡ひじり学園の山村留学生が、大岡地区の在来品種のそばを栽培し、来る収穫祭でふるまう、とのニュースに接し、興味を持った。

長野市民新聞11月14日号に載った大岡ひじり学園関係の記事

山小屋から学園までは2時間の行程。
通ったことのない山道を通らなければならない。
折から山小舎周辺は真っ白な雪景色。
行く先の峠道もどんな状況かわからない。
一回は訪問をあきらめたが、当日朝の山小舎周辺は晴れで気温も高めで雪が溶け始めている。
思い切って長靴で出発した。

8時半に出発し、長野へ向かう時のいつもの道を千曲川に沿って北上する。
千曲市の稲荷山地区を過ぎたあたりで西方へ山越えの道に入る。
大岡地区へのショートカットの道。
通るのは初めて。
雪が残っている。
交通量もなく、人気に乏しいが雰囲気のある山村の道をマイペースで走る。

千曲市から大岡に抜ける山間部の集落風景
リンゴ園にも雪が積もっていた

やがて眼前にアルプスの眺望が現れる。
雪を頂き、中腹に雲のたなびきを従えたアルプスのパノラマが広がる。
北アルプスを望むには長野市の山間部か、安曇野エリアまで来なければならない。
ここまで来たのだ。

やがて学園への案内板が道路沿いに現れる。
ひじり学園のひじりとは大岡地区に隣接する麻績村にあるリゾート地・聖高原から来ているのだろう。
山村留学施設のほか、立派な住宅付きのクラインガルテンなども整備した大岡地区は、過疎対策に力を入れていることがわかる。

大岡近くの分岐点
北アルプスの眺望

雪が残る学園前の道にはすでに路駐で車が集まっている。
11時開場を前に太鼓の音が聞こえる。

ひじり学園に到着

開場を前に留学生の父兄会長さんが来場者に挨拶をしているところだった。
留学生が抽選権を配っている。

収穫祭開演前の風景

施設の建物前のスペースにはバザー会場のテントがあり、地元農家出品の野菜のほか、焼きそば、焼き鳥、コーヒーなどが出店している。

留学生施設前の出店

人の流れについて行って施設の中に入ってみると、雑貨や食品などが市価の半額程度で売られており、地元の人たちが段ボールに入れて買いあさっている。
山小舎おじさんも慌てて50円で買い物バックを買い、カレールーや食用油、氷砂糖、鯖缶などを1200円ほど買いあさった。
これも集客の手段なのか、安い!

施設入り口には留学生がなめした小鹿の革があった

施設内は、留学生、府警、関係者、地元民で盛況。
バザーのほかに、1年間の活動報告、これまでの二十数年間の山村留学の記録などが展示されている。
四半世紀も続いているのは、地元の協力体制のたまものなのだろう。
施設内部にはその間の歴史と普段の生活の匂いが染みついており、ここが教育施設だと物語っている。

留学生の活動報告の展示

在来種のそばが食べられるのかな、と思っていたが初日に父兄にふるまわれて終了とのこと。
それではと、大広間のラーメン食堂へ行き、しょうゆラーメンを注文する。
200円。

周りの紅白の幕が張られた大広間は部屋といい飾りつけといい、日本の(田舎の)伝統形式そのもの。
温泉施設の大広間を思い出す。
地元民との交流や発表会はここで行われるのだろう。

食堂で食べられるラーメン

やがて舞台では留学生の踊りの発表が行われた。
6人の中学生女子による踊りは若々しくてかわいい。
大広間に詰めかけた父兄らはラーメンを注文しつつ、子弟の発表にカメラを向けていた。

食堂(大広間)の全景
中学生による踊りの発表

帰りの時間を気にし始めた山小舎おじさんは外へ出て、出店で大根、ヤーコンなどの野菜を購入。
溶け始めた雪の中帰途に就く。

帰りも初めてのルートで麻績村へ南下。
ひなびた山村と山の景色が続く山間のルートだった。
日陰の路上には雪が残っていたが危なくはなかった。

麻績村からさらに山越えで青木村へ、そこから鹿教湯温泉へ抜けて帰った。
いつもの旅と違い、若々しいエネルギーに触れる旅でした。
結局、長靴のまま帰ってきた晩秋の旅でした。

畑の冬じまい ステップ1

今年も畑の冬じまいです。
今日は玉ねぎの様子見と夏野菜の資材の撤去です。

11月頭に植えた玉ねぎの苗は無事活着していました。
先端は枯れていますが、苗全体が枯れたものはなく、活着成功です。
この後は本格的な寒さと雪を耐え、来春に向けて頑張ってほしいものです。

先端を枯らしながらも根を活着させた玉ねぎ

今年の猛暑に耐え抜いた夏野菜は、たとえばズッキーニは茎が凍って溶けています。
キューリのツルは枯れてなくなっています。
さしもの猛威を振るったトマトの茎も、夏の旺盛さが嘘のように枯れてしぼんでいます。
ナスも小さな実をつけたまま枯れています。
万願寺トウガラシの大きな実があったので収穫しようと思いましたが、実は霜で腐っていました。

実をつけたまま立ち枯れているトマト

キューリやゴーヤ、夕顔のネットを外し、支柱を撤去します。

ゴーヤは支柱を残したまま跡形もない
支柱を外してまとめておく

ナスやトマトの支柱も外します。
トマトは茎を縛った麻ひもを切り外しながらの作業です。
ついでトマトの組支柱を分解します。

空が曇りはじめ、みぞれが降ってきたのでこの日は作業中止。

トマトの組支柱を撤去していた時、みぞれが降ってきた

後日、残りの支柱を撤去し、マルチを外します。
雑草はこのままでいいでしょう。
枯れ草と残滓を燃やすかどうかは撤去してから考えます。

おっと、菊芋の収穫が丸々残っていました!

ロバート・アルトマン傑作選より「雨にぬれた舗道」

長野相生座での「アルトマン傑作選」に駆け付けた。
アルトマンといえば70年代アメリカ映画のアイコンの一人。
「マッシュ」(70年)と「ロンググッドバイ」(73年)しか見ていない筆者だが、作品とともにアルトマンの名前に印象は深い。
当時は次々と新作が発表され話題になっていた監督だった。

この度の傑作選は、コピアボアフィルムの配給。
セレクトは「雨にぬれた舗道」(69年)、「イメージズ」(72年)、「ロンググッドバイ」の3本。
アルトマン初期の、今では上映機会がほとんどない作品たち。
配給のコピアボフィルムは、相生座の支配人によると「旧作の再輸入を積極的に行っている会社」とのこと。

相生座の上映案内板より

「雨の中の舗道」 1969年  ロバート・アルトマン監督 パラマウント

レアな作品を見た。
懐かしくもマイナー感漂う、70年代のアメリカ映画の匂いがした。

70年代前後、ベトナム戦争の疲弊感もあり、時代に敏感な当時の新進作家たちが、アメリカに代表される現代社会を批判的に描くようになった。
それまでのハリウッド映画では企画にも上らなかった社会の現実や人間の孤独、女性や障碍者、少数民族などの立場に立った作品が発表された。
「イージーライダー」を先頭に「泳ぐ人」、「愛はひとり」、「ジョンとメリー」、「ナタリーの朝」などが次々と発表された。
描かれたのは排除されるヒッピー、ひとかどの社会人の孤独、都会の女性の孤独、若者同士の虚無なつながり、底辺の若者の自立、だった。

ロバート・アルトマンはテレビでデビューし、「雨にぬれた舗道」は長編劇映画の3作目。
テーマは女性の心理、それも経済的にも身分的にも何不自由ない、まだ若い女性の精神的、性的な葛藤。
アルトマンは、この作品の後「マッシュ」で大ヒットを飛ばし、人気作家となる。
その後、女性心理を描いた「イメージズ」(封切り時は日本未配給)、「三人の女」(77年)という作品を撮っており、こういったテーマに重大な関心があることがわかる。

主演はサンデイ・デニス。
舞台出身の実力派だが、筆者には「愛のふれあい」(1969年。小さな恋のメロデイ」のワリス・フセイン監督作品ということで注目した)、「おかしな夫婦」(1970年。愛川欽也の吹替で忘れられない?ジャック・レモンとの共演)でリアルタイムに接しており、コメデイもできる愛らしい女優との好印象を今に至るまでもっていた。

サンデイ・デニスというこの女優さん、愛らしいコメデイエンヌというよりは、例えば「結婚式のメンバー」(52年 フレッド・ジンネマン監督)で実年齢26歳で12歳の少女を演じ、舞台演劇そのままにしゃべりまくって観客を置き去り?にしたジュリー・ハリスが、商業映画「エデンの東」(55年 エリア・カザン監督)では全観客を味方につけるヒロインに化けたように、いかようにもヒロイン像を演じ分けられる、舞台出身の実力派女優なのだった。

サンデイ・デニス

映画は、サンデイ扮する主人公が雨の日、マンションの窓から、公園のベンチで濡れそぼる若者を見掛けたときに始まる。
マンションに連れ込み世話をし始め、食べさせ、泊まらせる主人公。
身は固く、自分に言い寄る初老の医師のことは生理的に拒否している主人公は、初老の金持ち階級とのパーテイくらいしかやることがなく、心底退屈しており、モノを言わない若者相手に嬉しそうに独白状態でしゃべり続ける。

若者は低層階級の長男で、姉との待ち合わせのために公園のベンチに座っていただけだということがわかる。
自問自答のような独白が続いた後、いよいよ若者に迫ろうとする主人公だが若者には全くその気はない。
やがて残酷な幕切れを迎える。

「雨にぬれた舗道」よりサンデイと若者

ほぼサンデイ・デニスの独演(連れ込んだ若者そのものが彼女の幻影だったという解釈も成り立つ。映画はそうは描いていないが)による女性の内面の世界が描かれる。
性的な葛藤がテーマの一つだが、アルトマンは即物的な描写はしない。
映画のシチュエーションが、独身女性が名前も知らない若い男を連れ込んで、飼い続けるというとてつもなくインモラルなものにもかかわらず。

サンデイがさんざん独りよがりの挙句、若者に葛藤をぶつけた瞬間に、彼が言葉を発するシーンがある。
後半の場面の急転であるが、アルトマンは映画的な盛り上げを否定し、あっさりとした撮り方をする。
ショッキングではあるが観客の期待には応えていない。

サンデイの演技力と存在感が辛うじて画面を支えてはいるが、アルトマンの狭量な世界観が映画のふくらみを狭めていた。

70年代前後は価値観の転換期。
「女性の孤独」「性的な葛藤」を描くブームの中で企画が通り、パラマウントが配給することになった作品だが、意あって言葉足らず、公開後はほぼお蔵入りの扱いとなったのもしょうがない。

アルトマンを研究するについては貴重な作品だが、筆者にとっては見るつもりだった「イメージズ」の見る気をうせさせた作品。
同じようなテーマで、手法がより複雑奇怪に進化している作品を見るのはしんどいから。

アルトマン傑作のチラシより

雪の日に柿を干す

全国的に低温が予報された朝、山小舎では雪景色の朝を迎えました。

冷え切った山小舎の朝を、薪ストーブと2台の灯油ストーブのフル回転で暖めます。

昨夜は買ってあった渋柿を干し始めていました。
道の駅信州新町で20個ほどを900円で買っておいた渋柿です。

例年通り、皮をむき、ひもで3個ほどずつを結びます。
熱湯に数分漬けて消毒し、ハンガーに紐を結んで干します。
昨夜はストーブのそばにつるしました。

道の駅で仕入れた渋柿
皮をむき、ひもで縛って熱湯消毒する
初日はストーブのそばにつるす

雪が上がってから柿を外に出しました。
風に当てるためです。
念のため、35度の焼酎を実に噴霧しておきます。

翌日外に出す
下記の色と雪がマッチする

この後は外で乾かしつづけます。
天気の良い日は陽に当て、夜は軒下に移します。
3週間ほどで完成です。

翌日、柿の上に積もった雪

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代② ジャック・フェデーとフランソワーズ・ロゼエ(補遺)

ジャック・フェデーはトーキー以降、戦前にフランス映画を3本撮っています。
本ブログでは、そのうち「外人部隊」と「女だけの都」を紹介しましたが、残り1本「ミモザ館」を見る機会がありました。

「ミモザ館」 1934年  ジャック・フェデー監督  フランス

フェデーがハリウッドから帰って「外人部隊」を撮った後の作品。
この後に「女だけの都」を撮ってパリを離れる。
「ミモザ館」を含めた戦前のトーキー3本は、いずれも夫人のフランソワーズ・ロゼエを主演クラスで起用している。

死に瀕した息子と母(フランソワーズ・ロゼエ)

ミモザ館という安宿をニースで営む夫婦がいる。
夫は公営ギャンブル場の管理職で、ギャンブルデイーラーの養成学校の講師も務める。
夫婦には養子がいて特に母親(ロゼエ)は息子を可愛がっている。

時がたちパリに巣立った息子(ポール・ベルナール)は、詐欺師や売春婦がたむろする安宿を根城に、盗難車を転売している。
賭け事には眼がない。
母親が心配してパリにやってきて、折からギャングのボスに焼きを入れられた息子を看病する。
息子はボスの情婦(リズ・ドラマール)に手を出したのだった。

息子は母の説得でニースのミモザ館に帰り、車販売の仕事に就く、が、ボスの情婦が忘れられない。
やがて情婦もミモザ館で息子と暮らすが、庶民の暮らしで我慢できる女ではなく、母とも全く合わない。

母は息子を取り戻すため情婦の居所をボスに伝え、やってきたボスが女を連れ去る。
息子は落胆し、また会社の金を使って賭博で穴をあける。
息子は自死して母の見守る中、その生涯を終える。

母と息子の葛藤

「外人部隊」は社会人としてダメダメの男が、パリで別れた女を生涯忘れられない、という作品だった。
「ミモザ館」の息子も、ぜいたくで浮気性で華美なパリの女を忘れられず人生が破滅する。

どうやら、浮気性の女へのダメな男の片思い、というのがフェデー好みのシチュエーションのようだ。
ぜいたくで、華美で、浮世離れして、だからこそ魅力的な女性と、何度も同じ失敗を繰り返すが人間味はある男の出会いこそが、フェデー劇のパターンの一つのようだ。

フェデーの狙いは、弱い人間同士がどうしょうもない己の業に振り回される様を、ある時は同感を込めてある時は淡々と見つめること。
そこでは倫理観や宗教観に基づく価値判断はない。
フランス映画らしい「人間主義」が貫かれる。

さらにこの作品では、ロゼエ扮する母親の息子への愛という禁断のシチュエーションが加わる。
これこそ無償のといおうか禁断のといおうか、周りが何といっても突き進むタイプの愛情だ。
この作品でも破滅に瀕する息子に妄信的な愛をささげる母親をロゼエが演じる。
一方息子は息子で、出て行った女を死ぬ間際でも忘れられないのが、フェデー流人間描写の粋なのだが。

フェデーとシャルル・スパークによるダイアローグの名調子を、舞台出身の名優たちが名演技で応える。
フランス映画のまさに黄金時代の作品。

フェデーについての文献は手元にないが「天井桟敷の人々」の名女優、アルレッテイの聞き書きがある。
この中にフェデーと「ミモザ館」についてのアルレッテイの言葉がある。
「ミモザ館」での、詐欺師と売春婦が集うパリのカフェ兼安宿のシーンで、息子を待つフランソワーズ・ロゼエの隣で食事をしつつ会話を交わす夜の女の役でアルレッテイが出演しているのだ。

アルレッテイ曰く「フェデーは天性のプレイボーイなの。頼りがいがあってエレガントで、それはもう魅力いっぱいなわけ。(中略)完全主義者で厳格この上ないけれど、常にエレガンスをまとっている人。(中略)フランソワーズ・ロゼエは優しい人で、いつも役者たちの面倒を見ていたわ。」。

フランス映画黄金時代の巨匠、の歴史的位置づけには異論がなかろうが、今では忘れられてしまった感のあるジャック・フェデー作品。
ヒリヒリとした人間の描写に重みとフランス映画の歴史が感じられる。

県内ローカル新聞の世界 長野市民新聞

長野(市)に映画を見に行ったついでにコンビニで地元の新聞を買いました。
長野市民新聞で、週三日発行です。
県内は各地で「市民新聞」が発行されていますが、つながりでもあるのかな。

「長野市民新聞」11月14日号の表紙

長野市民新聞の令和5年11月14日号の1面は「大岡在来のソバ守れ」です。
大岡は長野市の西方の地区で、市内の信州新町と呼ばれる地区の南側の山間部に広がっています。

記事の内容は大岡地区のソバの伝統品種を育てて打っている山村留学の中学3年生の活動紹介です。
中学生の女の子と、地元のおじいさんが収穫した在来種のソバの実をふるいにかけている、非常に味のある写真が大きくフィーチャーされているのが目を引きます。

長野市中心部と松本市と上田市のちょうど中間地点にある大岡地区。
地図で見ると、国道から山に分け入った場所にあり、棚田やゴルフ場が点在するようです。

ここに長野市営の山村留学学園があるようです。
近々、その学園で収穫祭があり、在来種のソバもふるまわれるとのこと。
非情に魅力ある情報です。

1面の山村留学性の記事のほかにも、地方の過疎とその対策をテーマにした記事が目立ちました。
4面の移住者と自治会員の興隆バーベキュー開催の記事、6面の「われら農業人」のシリーズ記事です。

農業が伝統的な主用産業だった大岡地区など長野県内では、生き残りのための山村留学やクラインガルテン、移住などが生き残りのための方策の一つであることを物語っています。
移住後の移住者フォローの大事さについても「地元」が気づいてくれたのであればうれしいことです。
こういった細かな地元情報を拾い上げる市民新聞の姿勢は貴重なものだと思います。

1面には、長野市内の小学校がバンドフェスの全国大会に出場する記事もありました。

5面には「ながの祇園祭学ぶ」という記事があります。
長野市で毎年7月に行われる祇園祭についての記事です。
県内では佐久市の岩村田地区でも行われる祇園祭は、寺社との関係が強い伝統的な祭礼とのこと。
文化県長野らしい記事です。

今回も興味深い記事満載のローカル新聞の世界です。

家城巳代治と「弾丸大将」

家城巳代治は筆者が敬愛する映画監督です。

戦前に松竹に入社、渋谷実に師事し、1944年に監督デヴュー。
以降、松竹で4本を監督。
戦後は松竹の組合委員長を務め、1950年にレッド・パージの対象となり松竹を退社。
その後は、主に独立プロで「雲流るる果てに」(1953年)、「異母兄弟」(1957年)など社会派の力作を発表した。1976年死去。
妻は女優でエッセイストでもあった家城久子。

筆者は家城監督作品のうち「雲流るる果てに」、「ともしび」(1954年)、「姉妹」(1955年)、「胸より胸へ」(1955年)の4本を見ていた。
いずれも松竹レッド・パージの直後の独立プロ作品だ。

独立プロ作品とはいいながら「雲流るる果てに」の主演は鶴田浩二、「ともしび」には香川京子、「姉妹」には中原ひとみと野添ひとみ、「胸より胸へ」には有馬稲子が出ている。
いずれも邦画メジャー所属の俳優、女優だったりする。
これらの作品、「ともしび」を除けば配給が松竹、東映などメジャーによるもの。
パージされたとはいえ、家城は松竹で監督昇進した実力者であり、配給、配役の結果を見るにつけ、メジャー作品並みの扱いである。

妻の久子によるエッセイ「エンドマークはつけないで」が手元にある。
内容は家城と久子の出会いと結婚から死別までの間、久子自身の生き方(俳優学校への入学と女優活動、脚本執筆、子供が生まれた後の地域活動、家城プロの設立)を中心に、夫家城の松竹退社後の映画製作の苦労や文化人としての活動ぶりを愛情豊かにつづったもの。
家城監督については、その知識旺盛で誠実な生き方と映画撮影時の厳しさが活写されている。

家城監督と久子夫人

「雲流るる果てに」は特攻に没した学徒兵の手記をもとにした作品。
鶴田浩二が願っての主演。

作品は、特攻に臨む学徒兵の苦悩を中心に、毎日女郎屋に入り浸る仲間、脱走を誘った学徒兵が出撃した後は抜け殻のようになる女教師(若き日の山岡久乃)などの人物像を描写。

当時の教条的左翼史観からすると「好戦的映画」とも評されたと聞く。
しかしながら、鶴田がいつものヨタった演技が嘘のように熱演し、また滑走するゼロ戦を原寸大で再現しての力作。

戦時下を知る映画人の制作による淡々とした造りは、見る者の心にしみた。

「雲流るる果てに」より鶴田浩二と山岡久乃

「ともしび」は子役らを集めて地方に長期ロケした作品。
東北の戦後直後の中学生の生活ぶりが描かれる。

乳飲み子の末妹を背負い、学校に通う中学生は、妹が圧迫されないように立って授業を受ける。
囲炉裏端のランプの光を頼りにミカン箱で勉強する中学生のもとに補習に通ってくる先生(内藤武敏)を中心に陽気に笑い合う中学生たち。

作品のタッチは生活の厳しさのみを描くのではなく、子供たちの底抜けの明るさ、そこはかとないユーモアを欠かさない。

「ともしび」より香川京子

「姉妹」は忘れられない作品。
ダムの管理で山奥の社宅を転々とする一家の姉妹の物語。

妹役の中原ひとみがいい。
東映の番線番組では準主役の町娘が定番だった彼女がこの作品では芯のある娘を演じる(今井正の「純愛物語」の彼女も良かった)。

社宅の前の道は雨が降ったり雪解けの時は泥んこ。
その道を下駄で歩く姉妹。

河原で牛を飼う訳ありの夫婦(殿山泰司ら)がいる。
近所の嫌われ者の夫婦を「でも私は好きだよ」と何事もないように擁護する妹。

姉は結婚する、嫁入りはバスで。
花嫁姿の姉がバスの後部座席から手を振る。

なんということはない地方の庶民の生活が淡々と描かれる。
その貴重さ、強さ、楽しさ、美しさ。

「姉妹」より中原ひとみと野添ひとみ
姉の嫁入りの場面
「姉妹」演出中の家城監督。左から二番目は久子夫人。

家城監督の遺作は、妻の久子の脚本による「恋は緑の風の中」(1974年)。
家城プロの第一回作品で原田美枝子の映画デヴュー作でもある。

製作中に東宝の配給が決まったという。
やはり腐っても松竹の監督出身者、家城監督は何か持っている。

一人息子を育てた経験を持つ久子が脚本を書き、青春ものはと渋る家城監督を説得し、配給が決まらないままにスタートした作品だという。
筆者は未見。

「恋は緑の風の中」のノベライズ本。原田美枝子と佐藤佑介

家城監督は、1954年から7年間、東映と専属契約を結び9本の作品を作った。
「異母兄弟」という家城監督の代表作を独立プロで発表した後のことで、監督後期のフィルモグラフィーを成す作品群を東映で撮っていたのだ。

これには、時代劇で観客動員を続け、勢い余ってニュー東映なる配給ルートを作り、東映東京撮影所の現代劇で新配給ルートを埋めようという東映大川社長の思惑があった。
そこで監督として信用のある家城に話があったことがうかがえる。

東映で家城は、のちの東映のエース監督となる佐藤純也、降旗康夫を助監督に起用した「東映家城組」をなし、佐藤らとは後々まで師弟関係であった。
映画史に残ったり、賞を取るような作品は作らなかったが(「裸の太陽」のベルリン映画祭青少年向き映画賞受賞を除く)、当時の若手女優のホープ、佐久間良子や三田佳子を起用した興味深い作品群を撮っている。

今回、ラピュタ阿佐ヶ谷で「ニュープリント大作戦」と題した特集があった。
これまで数々の特集上映に際し、新しくプリントを焼いて(多くはラピュタ持ち出のことと思われる)上映した作品を集めた特集だ。
その1本に家城監督東映時代の「弾丸大将」(1960年)があったので駆け付けた。

「弾丸大将」 1960年  家城巳代治監督  東映

家城監督が東映専属になって3本目の作品。
テーマは米軍演習場で身の危険を冒して不発弾や薬きょうを回収する日本人の姿を通して、静かに反戦を訴えるもので、家城監督の信条から逸脱するものではない。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示されたポスター

手法的にはますます教条的左翼主義を排した自由なものとなっている作品。
主演の南廣扮する「不発の善ちゃん」は米軍演習場で不発弾を掘り出し、信管を抜き、火薬を抜いて売るのが得意。周りには、暴発により夫を亡くした未亡人(淡島千景)や、未亡人と両思いになった挙句暴発で死ぬ男(木村功)など、周辺の部落民が跋扈する。

善ちゃんは女(春丘典子)がいるものの、未亡人に惚れて通い詰めるが、未亡人は木村功が死んでから心ここにあらずとなり、偶然近づきになった米軍人と結婚を約束する。
渡米前の準備金にと不発弾を掘る未亡人だが善ちゃんの目前で爆死する。

映画はひたすら演習場で着弾地点へ「突撃」する善ちゃんたちを活写する。
善ちゃんたちは、戦争が終わっても自ら危険を顧みず、まっしぐらに行動する日本人そのものだ。
部落の飲み屋の描き方、善ちゃんと女の描き方、善ちゃんの未亡人への迫り方も描かれるが、家城監督らしくその描写に良識は失われない。

淡島千景と南廣

川島雄三ならハチャメチャに破廉恥に、今村昌平ならねちっこくいやらしく撮るであろう、田舎の無学な衆の居酒屋におけるふるまい、男の女への迫り方、は淡々と演出される。
人間の生態描写がこの映画のテーマではないということだ。

善ちゃんはまた教条的左翼ではないので、生活のためには米軍基地反対はせず、代わりにやってきた自衛隊に対しても弾拾いを敢行する。
実践的で生活力が旺盛なのだ。
それが善ちゃんの限界でもあるのだが。
善ちゃんは戦後のわれわれ日本人の姿なのだ。

特集パンフより

あまり効果的ではなかった(というか、もったいないキャステイング)が、都会から開拓部落にやってきた場違いな美人未亡人役の淡島千景。
こういったメジャーなキャステイングも、家城監督の実力と人脈がなせる業なのだろうか。

貴重な東映専属時代の家城作品に接することができた。

「弾丸大将」演出中の家城監督

山小屋冬の模様替え その1

冬を迎え山小舎の模様替えをします。

夏の間の採光のためにあけてある吹き抜けを閉じました。

夏の間、採光のためにあけてある吹き抜け

吹き抜けは、採光のためには良いのですが、寒さがきつくなるとせっかくの暖気が2階へ行ってしまい、1階に暖気が回ってくるのに時間がかかるためです。
日中も暖房をした日などはまだいいのですが、夕方外出から帰った日などは1階が冷えたまま夜となってしまいます。

1階のストーブの暖気を効率よく使うためには、暖気が回るスペースを狭くする必要があります。
吹き抜けを閉じることはもちろん、人のいない和室を閉めたり、浴室ヘ向かう通路や階段の下に断熱のためのシートを下げたりするのです。

その第一弾としての作業です。

コンパネを運んで閉じてゆきます

吹き抜け部分に張ってあったコンパネを元に戻します。
大小6枚ほどのコンパネをベランダから運び、手摺越しに吹き抜け部分に設置します。
設置するという程厳密ではないのですが、暖気が吹き抜けから2階に漏れないようにします。

閉じ終わった吹き抜け

2階が寒くなるということにはなるのですが、居住時間が圧倒的に多い1階の居間が温かくなり、灯油代も節約できるという利点に越したことはありません。

霜の朝

11月です。
霜月です。
山小舎は日が暮れると急激に気温が下がる季節となりました。

日中は日が当たると何とか表で作業ができます。
日が暮れるともうだめです、寒くて。

室内はストーブを焚きっぱなしです。
薪ストーブはもちろん、2台ある灯油ストーブも焚きます。
灯油代もかかります。

いつにもまして寒い朝、外に出てみると真っ白に霜が降りていました。

落ち葉が霜で白くなっています。
霜柱で地面が盛り上がっています。
玄関先のマットが凍り付いています。
屋根が白くなっています。

軽トラはウインドウが真っ白です。
出発するには、ウインドウの霜を手でこそげ落としつつ、暖気運転とワイパーの合わせ技で視界を確保しなければなりません。
ウインドウに限らず、マットを敷いた荷台が白く凍っています。

山小屋は冬直前です。

今年のリンゴ狩り

11月上旬、今年もリンゴ狩りに孫一家がやってきました。

山小舎の前で遊ぶ孫たち

夜に到着した一家を迎え、恒例の室内炭火焼き大会です。

最初の晩は炭火焼き大会

翌日はリンゴ狩りの予定でしたが、体調不調の下の孫娘のために無理をせず、近場の女神湖で遊ぶことにしました。湖畔のレストハウスでランチしながら秋の女神湖を楽しみます。
食後は湖畔の木道を歩きました。

女神湖で湖面を眺める
女神湖畔の木道を散策

女神湖の後は少し先の長門牧場で一休み。
大人にとってはここのソフトクリームが楽しみなのです(孫たちは、満腹後のスイーツには興味なし)。

長門牧場にて

翌日は満を持してのリンゴ狩り。
今年も小諸の松井農園にお世話になりました。

勝手知ったるリンゴ園。
秋映、シナノスイーツ、シナノゴールドなどをもぎ取りました。
紅玉を磨いてツルツルにするのも毎年の孫たちのお楽しみ。

リンゴ園にて
リンゴ園案内人御説明を受ける

今年の秋も山小舎をたっぷり楽しんだ孫一家でした。