ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ③ 本間千代子

筆者と本間千代子とのスクリーンでの出会いは、過年のラピュタ阿佐ヶ谷での「君たちがいて僕がいる」(64年 野田幸男監督)だった。
何の特集だったかは忘れたが、舟木一夫の同名歌謡曲の映画化で、本間千代子は相手役。
地方の町の高校生たちが、家庭の貧困や進学の悩みを友情で乗り越えるという内容だった。

この映画で本間は、舟木と同級生の役。
町の名士である父親の元、クラスのリーダー役として明るく振舞うその制服姿がまぶしかった。
このころは、岡崎友紀や岡田可愛など、ハイテーンの溌溂ぶりが炸裂するテレビドラマに出演する女優がいたが、本間千代子はその中でも日本的で清純な印象があった。

制服姿の本間千代子。舟木一夫とともに

本間千代子は童謡歌手の出身で、東映撮影所に出入りするうちにスカウトされて契約。
ギャング物などの助演をこなしつつ、歌手としても活躍し人気を博した。
東映は、いわゆる不良性感度の高い映画製作を方針としており、佐久間良子が数少ないチャンスを生かした例(「五番町夕霧楼」など)を除き女優が主演の映画は製作されなかった。
歌手としても人気を誇り、また本人の意向もあり、不良性感度の高い映画を好まない本間は、代表作がないまま、日本映画の時流に取り残されていった。

本間の映画出演最後となる本作「やくざ非情史 刑務所兄弟」では、果たして吹っ切れたその姿が見られるのか?
それとも殻を破らない昔の儘の姿なのか?
ラピュタに駆け付けた。

東映若手女優の水木撮影会より。本間の2人後ろは三田佳子

「やくざ非情史 刑務所兄弟」  1969年  松尾昭典監督  日活  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

安藤昇が日活で出演した3本のうちの1本。
相変わらず冷たい凄味のある風体。
人情味とユーモアを持ち合わせているところも、その持ち味だ。

傍役は、善玉が長門裕之、川地民夫、大坂志郎ら。
悪役陣が、ご存じ安部徹、玉川伊佐男らで、そのほかにフリーの美味しい役どころのに丹波哲郎。

対立組との抗争事件で下獄した安藤が出獄して、組の再興に駆けずり回るが、安部徹扮する対立組は全国制覇の組織の威光を着て利権掌握を図り、ことあるごとに妨害する。
孤立奮闘する安藤にはムショ仲間の川地が片腕として助力するが各個撃破されてゆく。
そこへ全国制覇の組織の代貸として丹波哲郎が現れる。
丹波もまた安藤とはムショ仲間だった・・・。

オリジナルポスター

リアルなやくざが撮影所に出入りする東映京都と異なり、日活が製作するやくざ映画は、それらしい俳優に乏しく、細部のリアリテイもない。
東映映画では得意げに描写される花札賭博のシーンは、この作品では最初から描かれないし、東映大部屋のピラニア軍団のような連中が関西弁ですごむシーンもない。
東映に比べて”堅気の役者で作ったやくざ映画”という趣である。
ただ一人、”ホンモノ”安藤昇を除いては。

安藤の妹役で、ムショ暮らしの間、スナック喫茶をやっていたまっとうな娘が本間千代子の役。
”怖い”兄貴の威光からか、その留守中も無事過ごしてきた。
すなわち、非情なやくざ社会の犠牲になり、酒やクスリに手を出すこともなく、ヒモに貢ぐこともなく、ましてや女を抱えたやり手婆的なポジションにいることもないまま過ごしていた。
その存在感は、かすかに現実社会の苦労がにじむ”幸薄い”感は匂ったものの、裏街道の人間特有の”玄人感”に染まることのない、まったくの堅気のものだった。

例えば、彼女を巡るシチュエーションが『まじめに店を守ろうとしたが、流れ者に犯され、女の悲しみからその男と切れずにいる。一方で、その男が敵対組に囲われ、出所してきた兄が、かわいい妹とその男の関係に苦悩する』といった、ありがちな筋立てならどうだろう。
”女の悲しみと、義理だての間で悩み、愛する兄に歯向かう”という、ノワール的な役柄ならば、この時期の本間千代子の演技に、色合いが感じられたかもしれない。
逆に彼女の良さが打ち消されたかもしれない。
そこで決して冒険しないのが本間千代子という女優なのだった。

愛する兄貴(安藤昇)と本間千代子

本間に好意を寄せていた川地が敵対組に殺された時の悲しみの表現が、本間のこの映画での数少ない見せ場だった。

本間千代子24歳、守屋博との結婚と離婚を経てなお、スマートな体躯から発する清新な色気は”スター”のものだったが。

2月の東京 雪が降る

寒い日が続いた2月の東京です。
朝起きて、ガスストーブをつけるときの室内の温度は、低い時で6度から8度です。
外には、霜が降り、氷さえ張っています。

節分の前後、東京に雪予報が出ました。
いつもの大げさな天気予報かとバカにしていました。
朝起きてみるとものの見事に雪景色でした。

毎年1度や2度は訪れる東京の雪です。
今回の降雪は割と本格的かもしれません。

路面は凍っていないので、自転車で外出もできるのが雪国との違いです。
が、そのぶん体にかかった雪は雨のようにジャンパーを濡らします。

孫に電話して、近くのグラウンドで雪だるまを作らないかといいましたが、用事があるといって断られました。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ② 小山明子

ラピュタの「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」の特集上映。
この日は小山明子がゲスト出演する「戦後最大の賭場」に駆け付けました。

1969年の東映京都作品のこの映画は、ラピュタの特集で初めて知りました。

「関の弥太っぺ」(63年)で渡世人と小娘のつかの間の交流を中村錦之助の好演で描き、「博奕打ち総長賭博」(68年)では三島由紀夫に”ギリシャ悲劇にも通じる”と評せしめ、極めつけは東映と山口組の昵懇ぶりを象徴する「山口組三代目」(73年)を任されるに至った山下耕作の監督作品です。

主演は鶴田浩二。
高倉健と山本麟一が助演、悪役は安部徹、金子信雄、名和宏のお馴染みメンバーに、新東宝出身の沼田曜一が抜擢です。

小山明子は鶴田浩二の女房役。
作品の時代背景は昭和37年(1962年)ですから、明治時代のヤクザの女房的な大時代的な味付けはないものの、昭和のヤクザの女房としてのふるまい、男尊女卑、家制度の尊重に徹した女性像を演じます

松竹時代の小山明子

この時、プライベートでは、小山明子は大島渚の女房。
松竹を、勢い(自らの結婚式で新郎・大島らが松竹首脳を糾弾したため)で退社した後、主婦としてまた二児の母として一家を支え、フリーの女優としても活躍中でした。
フリー後の出演作「続・兵隊やくざ」(65年)では、従軍看護婦役のきりりとした黒い制服姿で、弾避けにと“毛”をねだる勝新をあしらっていました。

本作撮影時は、伴侶・大島作品でいえば「少年」(69年)のメガネの母親役のころ。
赤ん坊をおぶりながら少年に当たり屋行為を強いる役でした。

いずれも彼女のイメージに近い、クールで冷たさのある役処。
1969年当時の実年齢36歳、女優として最盛期のころだったのではないでしょうか。

「戦後最大の賭場」  1969年  山下耕作監督  東映京都  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

この日のラピュタの上映技師は確か女性。
客席から見えるラピュタの映写室内ではテキパキと準備する技師の働きぶりがうかがえる。
プリントの貸出条件が厳しいといわれる、国立映画アーカイブ所蔵作品も、映写技術の高いラピュタではたびたび上映される。

本作は、東映京都のエース監督・山下耕作の最盛期の作品。
「仁義なき戦い」(73年)の出現による実録やくざ映画の台頭を目前にして、さしもの任侠映画の人気も下火になりかかっていたころ。
世の中は、東大安田講堂の陥落が前年で、70年安保闘争も決着がついていた。
本作は、1962年のヤクザの抗争事件を伝える新聞紙面のショットから始まる。

すわ、実録ものの先取りか?
「仁義なき戦い」だったら、センセーショナルな音楽を新聞記事のショットにヒステリックに被せて、物々しいナレーションが社会情勢をドキュメンタルに語りながら物語に入ってゆく導入部となるところ。

ところが山下の作風は全く違う。
新聞紙面のショットによる社会情勢の説明が終ると、何事もなく作り物めいた映画の世界に戻ってゆくのだ。

のちの実録映画では、野外の場面はロケに拘り、例えば警察の手入れのシーンなどでは、急停車したパトカーから警官がバラバラと飛び出す緊迫感のある撮り方をし、何ならストップモーションで切ったその後に騒動場面のスチールショットをつなげるくらいのセンセーショナルな演出が行われるところだ。

ラピュタのロビーに飾られたオリジナルポスター

山下は、そういった場面でもスタジオ内で、ライトを明るく当てた作り物めいた雰囲気の中で撮っている。
緊迫感やドキュメンタルに拘らず説明に徹した演出だ。

これは山下の特質でもあるのか、東映が右太衛門、千恵蔵ら両御大の”ご存じ”な時代劇が終焉を迎え業績低下。
苦肉の策のアイデア”集団時代劇”が、つかの間流行った頃の作品「大喧嘩」(64年)の田圃の中の決闘シーンの山下演出を思い出す。
様式的な殺陣が飽きられ、殺伐とした抗争場面に活路を求めた集団時代劇にあって、主演の大川橋蔵が必死に田んぼの中を走り回り、ドスを振り回していた、山場の殺陣。
望遠レンズを多用し、ピーカンの田んぼの新緑がフォトジェニックに切り取られた「大殺陣」のハイライト場面。
そこに青春の徒労感は感じられても、殺伐としたヒリヒリ感はなかった。
これが山下の特質かと思った。

同じくプレスシート

本作「戦後最大の賭場」での配役は、いつもの時代遅れで義理堅い鶴田浩二と、義理との板挟みながら正義を通す高倉健というワンパターン。
悪役はわかりやすいほどの安部徹と、「仁義なき戦い」で吹っ切れる前の中途半端な金子信雄。
最初誰だか分らなかった不気味なキャラ(田代まさしに似ていた)作りの沼田曜一には新味があったが。

一方で、小山明子には映画女優として場数を踏んできた存在感がたっぷり。
これが貫禄というものだろう。
典型的な”よくできたヤクザの女房”的な振る舞いでにこやかに登場し、後半になると組織と個人の板挟みとなって苦労する鶴田に『私は嫁いできたこの家の人間です』と冷静に覚悟を伝え、鶴田に殉じる。

これは、任侠映画に必須の、男尊女卑、家制度尊重、旧道徳観念そもののの女性像であるが、力のない女優が演じると、必死さのみが伝わる(若い女優によるそういったエモーションの発露もいいのだが)演技となる所、凄味さえ伝わってきて納得感がある。
一人仏壇に手を合わせる場面も、何やら妖気すら漂いかねないショットであった。

プレスシート

一方で、主人公鶴田の死にざまの描き方には山下監督の新機軸があった。
『仁義なんて知らねえ、俺はただの殺し屋だ』といって親分を殺す主人公を描いた「博奕打ち 総長賭博」と同様に、ヤクザの暴力を単純なカタルシスとせず、背景にある寂寥感を描くのが山下流とするならば、本作で親分の安部徹を賭場会場で刺し殺した後、鏡に映る、血まみれで尾羽根打ち枯らし、死人のような己の姿に、思わず愕然とする鶴田の描写がそれであった。

また山下作品にあっては、こまかな情念の交流を描くのがその真骨頂でもある。
本作では小山明子の存在が、夫役の鶴田との交流場面でその役割を果たしていた。
彼女がフリーとなった後に各社のやくざ物にたびたび呼ばれてゲスト出演していたものむべなるかなである。

ラピュタ作成のチラシより

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ① 藤純子

2026年最初のラピュタ阿佐ヶ谷では、「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」が特集上映されている。
久しぶりの東京の映画館で35ミリプリントによる上映を楽しみました。

「血沸き肉躍る任侠映画」特集チラシ(ラピュタのガラス越しに撮る)

任侠映画というと、東映京都作品のイメージですが、東映東京作品をはじめ、日活、大映、松竹と各社作品を取りそろえたラインナップは相変わらず意欲的なラピュタです。
今回はそのラインナップから、任侠映画の脇を務める女優たちにフォーカスして鑑賞しました。
最初は藤純子です。

藤純子

「緋牡丹博徒・花札勝負」  1969年  加藤泰監督  東映京都   ラピュタ阿佐ヶ谷  35ミリプリント

「緋牡丹博徒」シリーズは7作品作られた。
ご存じ、藤純子の人気シリーズにして、東映任侠映画の最後の仇花でもある。
加藤泰監督はうち3作品を手掛ける。

最後には藤に「加藤が監督では出ない」とごねられたとのこと。
助監督として、「羅生門」で大映に来た黒澤明に付いたが、喧嘩して下りたというエピソードや、後の自身の監督作品「丹下左膳・乾雲しん竜の巻」(62年)での左膳の隠れ家のセットの念の入りすぎた作り込みを見ても、加藤の性格のこだわりの強さや映画製作時の粘りと入れ込みようがうかがえる。
加藤の諸作品を見ると、そのこだわりぶりが印象的で、そのこだわりは、しばしば映画的な流れや心地よさよりも優先される傾向にある。

修行の旅の途中、義理堅い親分(嵐勘十郎)一家にわらじを脱ぐ、緋牡丹のお竜(藤純子)。
若頭(山本麟一)が何くれとなく面倒を見てくれる。
親分に対抗するあくどい組長(小池朝雄)がいて何かと言いがかりをつける。
緋牡丹のお竜を騙るイカサマ女博徒(沢俶子)がいる。
あくどい組にわらじを脱ぐ旅人(高倉健)がいる。

組同士の抗争、にせお竜の始末、旅人との義理と人情の絡み。
修業の渡世で、義理に縛られつつ、弱者に味方するお竜の意地は貫き通すことができるのか・・・。

緋牡丹のお竜

本作では、主演の藤の渡世人としてのスーパーヒロインぶりは描かれない。
また藤を取り巻く味方の男たち、高倉健や山本麟一、待田京介そして若山富三郎までもが、人間的な個性の発揮を許されず、ひたすら類型的な”背景”としてワンパターンな演技に終始する。
加藤監督が型通りの任侠の世界を描くことに関心を持っていないことがわかる。
必然的に、緋牡丹のお竜の渡世人としての活躍は、この映画の主題とはなっていない。

では、この作品の影の主人公たちとはだれなのか。
緋牡丹のお竜を騙り、盲目の幼女を抱えながらイカサマ博奕で日陰の人生を凌いでいる中年女と盲目の娘、そしてその娘の別れた父親の、これまたヤクザに便利として使い潰される、アザを持つ博打打ち(汐路章)の3人なのだ。
監督の思い入れはこの3人についてだけなされる。

名もなく、金もなく、虐げられ、おまけにハンデキャップを持ちながら社会の底辺で生きる3人は、人間としての最後のプライド(他人からの良心に対する義理)をもって死んでゆく。
娘だけは生き残る。
3人に情けをかけ、守ることで、藤が映画の主人公として存在する。

ご存じ、任侠映画の様式美

この作品の藤純子は、アクションよりも人間としての誇りと苦悩を表現して心に残る。
若さの残る横顔のクローズアップのあごのあたりに女ざかりを迎える色気と情念がある。
その情念は、底辺をはい回る3人の同情と救済に向けられており、高倉や待田に対する、様式上の任侠美学よりよほど見るものに訴える。

加藤泰の映画的様式には、ローアングルに対するこだわりや、必要以上のセットの作り込み、あるいは極端な描写(「車夫遊侠伝・喧嘩辰」でのコミカルさや、「明治侠客伝・三代目襲名」での鶴田浩二の空中飛翔など)があるが、この作品ではそれが目立たなかった。
東映の看板シリーズとしての制約や、すでに東映の看板監督となっていた加藤自身の成熟もあったのだろうか。

繰り返し出てくる、ガード下の場面。
通り過ぎてゆく蒸気機関車の煙が線路からガード下に湧き下がるシーン。
さらりとこだわったセットの作り込みがよかった。

特集チラシより

ママチャリ迷走記2026 品川街道をゆく

品川街道は、律令時代に始まる街道で、武蔵国府のある大國魂神社から品川・六郷付近までをつなげた道です。
現在も通り名が残り、調布市内では、ほぼ京王線に沿って甲州街道と並行して走っています。
現在の役どころは付近の住民の生活道路の位置づけでしょうか。

自宅在住の山小舎おじさんは、2月のある日、調布市民として親しみのある品川街道(品川通り、品川道)を府中までママチャリ走行してみました。

自宅のある柴崎から国分寺崖線を1段下がり、調布駅近辺から品川街道の旅をスタートします。
調布駅前には衆議院選挙の看板が建っています。
少し行った鶴川街道と京王線が交差するあたり、地下に潜った線路の跡地に鬼太郎公園があります。

この日の調布駅前
鬼太郎広場には子供たちが遊ぶ

京王線に沿って進むと西調布駅周辺です。
「黄昏にB級映画を観てた」という何とも言えないネーミングの、バーなのかカフェなのか、があります。
現在は閉店しているようです。

西調布には駅前に飲み屋を中心にした横丁があります。
スナックや食堂は思い思いの意匠を凝らしていて味があります。
閉まった店の後には新しい看板が掛かるなど世代交代中のようです。

西調布駅前の横丁
個性的な店が点在する

この付近はまた新選組の近藤勇ゆかりの地でもあります。
生家は別の場所ですが、若き日に技を鍛えた道場などがあったようです。

付近にある西光寺境内の近藤勇像

その先の飛田給はサッカースタジアムで有名な場所です。
この日も何かの催しがあるようで、朝から家族連れが三々五々詰めかけています。
東京オリンピック(1964年の)のマラソン折り返し地点でもあります。

味の素スタジアムへの歩道橋

品川街道を進みます。
府中市に入り畑が目立ってきます。

直売所
府中の畑にもビーツが植わっていた

武蔵野台という駅の周辺にある「だんごの美好」は、太巻とだんごで近所に人気の店です。
太巻きは午前中には売り切れるほどです。
家族にも好評なのでよく買って帰ります。

武蔵野台の団子の美好
この日は太巻きとお好みパックをゲット

府中の品川道沿いの小学校の脇を通ります。
この学校には二之宮金次郎の像が残っています。
日露戦争に関する碑も。
付近には石材で作った倉庫が残っています。
素材は軟石といわれるものでしょうか。

二之宮金次郎像
軟石を使った倉庫

京王線多磨霊園駅周辺には、このあたりの中心です。
駅から少し行ったところには、是政の競艇場へとギャンブラーを運ぶ無料バスの発着場所があります。
府中は競馬場と競艇場を有する三多摩地区の悪所(ギャンブル場)の中心地でもあるのです。

多磨霊園駅
少し行ったところには、競艇場へのバスの発着所がある

競馬場への支線の出発駅・東府中を過ぎると賑やかになってきます。
高層マンションや商業ビルがひしめく府中のエリアです。
大國魂神社を中心に置き、律令時代から現代にいたるまで、武蔵野の中心として栄えてきた町です。

府中市内の銭湯
同・蕎麦屋
同・スナック

高層化してきた府中の商業シーンですが、路面店もまだ残っています。

大國魂神社を目指して進むケヤキ並木にぶつかると品川街道の旅の終焉です。

ケヤキ並木

いつも参拝客で賑わう大國魂神社です。

大國魂神社のご神木
菊のご紋章は国家神道時代の由緒を伝える
境内はいつでも縁日のような賑わい

府中は、新宿から高井戸、布田と続く甲州街道の宿場があった場所でもあります。
高札場が残っています。

宿場の高札場あと
古い町並み

大宮八幡宮と武蔵野八幡宮

令和8年1月。
比較的近所の神社2か所ににお参りしました。

この日は杉並区の大宮八幡宮です。
自転車で井之頭通りを東に進んでゆきました。

京王線の永福駅を過ぎたあたりを方南町方面へ左折します。
住宅街の中に大宮八幡宮はありました。

大宮八幡宮の大鳥居

安全祈願のお祓いを受けようと自家用車が列をなしています。
三々五々、参拝者が絶えません。
地元の人に愛されている神社特有の、晴れがましさと暖かさに包まれた境内です。

安全祈願に列をなす車両
詰めかける参拝客たち

遅い初もうでの客、お宮参り、御朱印を求める人、何かの集まり、いろんな人が集う場所です。

本殿で祈願
門の立派なご紋章は、国家神道の場として戦前より由緒ある神社であることを示す

吉祥寺にある武蔵野八幡宮神社は、その前をそれこそ数えきれないくらい通っています。
これまで一度も参拝したことがありませんでしたが。

武蔵野八幡宮境内はひっそりとしている

この日も自転車で通りかかり、気にかかったので寄ってみました。

吉祥寺の雑多な雰囲気が、境内に入ったとたん遮断されます。
鳥居の袂には神田上水の源である井之頭の石碑があります。

井之頭の石碑が立つ

大宮八幡と異なり、参拝客はもちろん人気の少ない境内を進み、お参りします。

本殿を望む

思ったより歴史と静謐さを感じます。
ときどき御参りしたい神社です。

立派な作りの本殿

新春の靖国神社

東京へ戻ってきた、”半信州人”にして”旧道産子”の山小舎おじさんです。
自宅で過ごす2026の新春、お江戸ど真ん中の神保町を探索、靖国通りに沿って市ヶ谷まで歩くお約束の散歩コースをたどります。
この日は全く久しぶりに靖国神社に寄ってみました。

九段坂下から望む靖国神社の大鳥居。
近くによってもその巨大さに圧倒されます。
鳥居を潜ると幅の広い参道が伸びています。
神様への参拝路というよりは首都で催されるイベントの舞台に似つかわしい場所です。
凱旋門へと続くシャンゼリゼ通り、ベルリン勝利の塔へ続く直線路の日本版と言ったら言い過ぎでしょうね。

参拝客というよりは観光客というべき人々に交じって進むと、拝殿に近づきます。
ここまでくると神社らしい厳かさが漂います。
大きなカフェがあり、休憩する客の多さが観光地の明るさを醸し出してもいます。
落ちているごみもなく、インバウンドの参拝客のマナーがよいのが特筆されます。

境内の売店
奉納される清酒は全国から

拝殿で参拝。
奥の本殿?は撮影禁止とか。
玉ぐしをささげる政治家らが撮影されたりしたら困るのでしょうか?

菊のご紋章が輝く。
拝殿に並ぶ人々

右手にある遊蹴館という宝物?館には零線21型や彗星艦爆の復元機が展示されています。
桜花という特攻機も。
また未婚で散っていった特攻隊員に捧げる花嫁人形の展示も。
そう、ここ靖国神社は明治維新以来、国のために散っていった英霊を祀る神社なのです。
とはいっても戊辰戦争で薩長軍とたたかい破れた諸藩の武士たちの霊は祀られていないそうで、その点には納得いきませんが。

と言いつつ、小春日和の境内でコーヒーを飲んでベンチでひと時。

神保町の古書店で仕入れた古い映画雑誌をひもときます。
めくるたびに古紙の破片とともに、雑誌に含まれた時間がこぼれ出てゆくような何とも言えないひと時でした。

カフェにはテラスとベンチが
ベンチで50年代の「映画の友」「スクリーン」を開く

信州ソウルフード放浪記VOL,46 スーパー・ナナーズとナナーズカフェ

1月の頭を孫たちと山小屋で過ごした山小舎おじさん。
水道トラブルの解決のため、帰京した家族と別れ山小舎に残りました。
やがて水道問題も解決。
この間、久しぶりの山小舎滞在を2,3日過ごししました。

新しい軽トラの足慣らしに佐久方面へドライブです。
小諸に通りかかるとスーパーナナーズがありました。
県内では小海店との2店舗体制の地元系スーパー。
通りかかると寄りたくなるナナーズです。

ナナーズ小諸店

佐久地方の銘柄米や、店内製のお惣菜など、お土産やランチにお手頃感がある品ぞろえが魅力的です。
軽トラを広すぎる駐車場に乗り入れます。

小諸のナナーズには、なんとカフェがありました。
軽食だけではなくとんかつなどのランチが食べられます。
スーパーでは出色のサービス体制です。
この日の昼食はここで決まりです。

カフェのテーブルにはショッピング中のマダムたちをはじめ、勤め人のお父さんたち、そして老人たちが、麺類やプレートなどを前に思い思いに食事を楽しんでいます。
私も食券を買い、水を汲んで座り、注文したおろしとんかつ定食を待ちます。
昼食タイムのカフェは満席で、2人体制の厨房(一人は外国人女性)は大忙しです。

出てきたおろしとんかつ定食。
ご飯の量が物足りませでしたが(大盛を選ぶこともできた)、カツのうまさ、米の味はさすが地元スーパーの誇りを感じるもの。
値段も含めて満足です。
学生食堂のプアな雰囲気が漂いますが、モールにあるイートインの”餌場”のような終末観はありません。
田舎のスーパーのラウンジの”気の置けなさ”がグッドです。

おろしとんかつ定食

小諸に来ればナナーズカフェ。
これで決まりです。

近代的な売り場風景
この日は冷凍ニシンなどをお買い上げ

1月の山小舎を在来交通で後にする

山小舎の正月を孫らとともに過ごしました。
その間、台所の水道が不通でした(洗面所、風呂、洗濯機、トイレの水は出た)。

地下に下りて、水道管の損傷のなさ、電熱線の稼働を確かめ、問題がないことを確認しました。
それでも水が出ないのは素人の手におえず、業者を依頼。
山小舎おじさんが一人残って対応を予定します。

ダメもとで蛇口付近の水量調節のねじを緩めてみると水がドバっと出ました。
解決です。
凍結ではありませんでした。
業者に断わりの連絡を入れました。

単身、独力で自宅に戻ることにします。
交通手段は長和町のコミュニテイバスで白樺湖まで、アルピコ交通の路線バスで茅野駅まで、そこからはJRです。

当日の白樺湖発の路線バスの時刻に合わせて、長和町コミュニテイバス・ながわごんを予約します。
当初は定時運行だったコミュニテイバスはデマンド方式に代わっています。
山小舎の玄関前まで来てくれて一律300円で、町内全域と白樺湖周辺、丸子中央病院やスーパーツルヤなどに行ってくれます。
出先からもオーダーできます。

この日の山小舎の朝

当日、朝8時20分にやってきたながわごんで西白樺湖バス停まで。
待ち時間がありましたが、空いていた土産物屋で過ごし、9時ころの路線バスで茅野駅まで行きました。
運賃は2000円。
値上がりしてましたが、シーズンオフでも1日2本の路線バス(茅野駅、車山高原間)が運行しているのは心強いものです。

コミュニテイバス・ながわごん
西白樺湖バス停で路線バスを待つ
朝日に映える蓼科山

真っ白な白樺湖御周辺の雪景色の中をバスでらくちんな移動です。

定時通りやってきた路線バス
この日のバスの車内。ほかに外人客が4人いた
バスから見た白樺湖の湖面

茅野駅で立食い蕎麦で腹ごしらえ。
甲府行きの普通列車に乗り込みます。
大月で東京行きに乗り換え、三鷹で降りてバスで帰宅しました。

茅野駅の駅蕎麦は東京のそれに比して美味い
甲府行き普通列車の車内

山小舎の2026新年

2026年あけて1月。
冬休みの孫たちが山小舎で雪遊びをしました。

寒々しい1月の山小舎

前のりして家を温めておいたジジ・ババ。
山小舎は冷え切っていました。
水道の凍結はなかったものの、台所の蛇口が反応せず不自由しました。

ストーブをガンガン焚いて部屋を温める

それでも孫一家は、いつもの炭火焼きに舌鼓を打ち、翌日には近くのブランシュ鷹山スキー場で子供向けスキー教室を2時間受講しました。
この子らの親世代は、人によってはスノーボード世代なのですが、本人たちの希望によりスキーでの講習だったとのこと。

二日目は鍋と昨日の焼き物の余り
鎌倉を作っていた

空いた時間で山小舎周辺での雪遊びも。
坂と橇があれば十分楽しそうなのが子供の良いところです。

雪遊びを喜ぶ

台所の水道問題で一人残ったジジ。
問題は凍結ではなく、蛇口の水量弁の開け閉めだったことが判明し、一人遅れて帰宅となりました。
孫たちは2月にも来たいと申しておりました。