令和7年畑 ネット張り

キューリや夕顔の畝に、ツルが絡まるようにネットを張りました。

すでにアーチ形の支柱を立てておいた畝に、アーチに被せるようにネットを張ってゆきました。
ネットは山小舎にたくさん余っている、鹿よけにも使える太いものです。
今年はキューリが、乾燥にも負けず、うまく採れますように。

キューリの畝にネットを張る
夕顔などの畝にも
冬瓜の苗

トマトの畝にもアーチ形の支柱を立ててゆき、横に支柱を渡しました。
例年のやり方で支柱を組み、伸びるトマトを支えます。
ミニトマトの苗は盛んに脇芽を出し始めています。
大玉トマトも枯れたものはありません。

トマトの列に支柱を組む。まず1段目

サツマイモの苗を10本買ったので、空いている畝に植えました。
根付くまで枯れずに育ってほしいものです。

サツマイモの苗10本

これまでの気候は、ちょうどいい間隔で雨が降り、酷暑が続くこともないので苗にはちょうどいい塩梅です。
キャベツもしおれていません。
ビーツやシソなどの種も発芽したようです。

直播の枝豆が芽を出した
こちらはインゲン

これからは山小舎でポット蒔きしているトウモロコシの定植、ナスなどの支柱の強化、畝間の除草、枝豆直播の第二段、などを行おうと思います。

落花生の苗は無事活着
ルバーブのトウ立ちはますます高い

DVD名画劇場 戦前ドイツ映画の栄光VOL.2 レニ・リーフェンシュタール〈後編〉

ベルリンオリンピックとレニ・リューフェンシュタール

第11回オリンピック・ベルリン大会は1936年に開催された。

当時はナチス党がドイツの政権を握り、首相はヒトラーだった。
ドイツ国内のユダヤ人迫害は始まっており、国際社会(アメリカのオリンピック協会やユダヤ系の有力選手ら)は、ベルリン大会のボイコットも示唆しながらドイツのユダヤ人政策に抗議した中での開催だった。

ドイツはオリンピックを国威発揚の場ととらえ、ヒトラーはベルリン大会の準備を、ドイツ政府のスポーツ・レクレーション委員会幹事を務めてきたカール・デイーム博士に委任した。
博士は前回のロサンゼルスオリンピックを参考にさらに最先端の技術を用いた。
新式の得点表示器、トラック競技の写真判定装置、フェンシングの電気審判器などだった。

また、博士は4000人の選手村の設置も監督し、フィンランドの選手用にサウナ、日本選手団のために畳、アメリカ用にアメリカ式マットレスなどを用意した。

大会の規模、技術的進歩、大衆化などで、近代オリンピックのエポックメイキングとなったのがベルリン大会だった。
映画という媒体に記録され、拡散したことでも画期的な大会となった。

ドイツ政府は、ベルリン大会の記録映画の撮影をレニ・リューフェンシュタールに委嘱し、そのための映画会社(オリンピック映画会社)の設立を認めた。
リーフェンシュタールは、オリンピック映画会社を通じて予算獲得など映画製作を行った形を取ったが、同社の予算は全額がドイツ政府の出資によるものであり、製作準備、撮影なども政府の特別の便宜に基づいていた。

『彼女(リーフェンシュタールは)できるだけ様々な視点から、できるだけ多くの撮影を試みなくてはならなかった。』(「ドイツ映画の偉大な時代』1981年クルト・リース著 フィルムアート社刊 P475より)

「レニ・リーフェンシュタール」リブロポート社刊
同・奥付き

リーフェンシュタールは、撮影に臨んで競技日程、場所などを把握し、綿密なスケジュールを立てた。
メインクルーに6人のプロカメラマンを用意し、ほかに10人のアマチュアカメラマンを観客席に放って観客らの反応を捉えた。
トラック沿いにカタパルト式の移動レールを設置してランナーをカメラでとらえ、風船にカメラを乗せて飛ばした。また、飛込競技を捉えるために水中カメラを開発した。
前もってIOCから、撮影上の様々な規制を受けながらも、フィールドに穴を掘り、選手の感情を捉えるべく肉薄したり、ドラマチックな盛り上げの再現のために実際の選手と役員に競技を再現させたりした。

『彼女(リーフェンシュタール)は、いつも黒いコート姿のアシスタントたちに囲まれて、その白いコートを際立たせていた』(「レニ・リーフェンシュタール 芸術と政治のはざまに』1981年 グレン・B・インフィールド著 リブリポート社刊 P222より)

「ドイツ映画の偉大な時代」フィルムアート社刊
同・奥付き

編集に18か月をかけ、400,000メートルの撮影済みフィルムを、前後編合わせて約6000メートルにまとめて、「オリンピア」は1938年2月に完成した。

「オリンピア第一部・民族の祭典」  1938年  レニ・リューフェンシュタール監督  ドイツ

前後編に分かれて編集された「オリンピア」の前編。
開会式と陸上競技が収められる。

開会式に至る映画のプロローグ。
「意志の勝利」ではユンカースの飛行から、メルセデスオープンカーのパレードまで会場に至るプロローグを流れるようにまとめ上げたリーフェンシュタールは、オリンピックの開会に合わせて、古代ギリシャの彫像から、競技に挑む若者、神に踊りをささげる女性にオーバーラップさせ、成果の点灯からベルリンまでのランナーを象徴的に演出する。
ベルリン大会から始まった、ギリシャ・オリンピアから開催地までの聖火ランナー。
地図上でルートを追い、町々の様子を捉える。
夕暮れの海岸を一人走り続けるランナーは神々に火を届けようとする神話の一場面のようだ。
大会の主宰者・ドイツと記録者・リーフェンシュタールの意志と狙いが一致した場面だ。
ドイツにおけるベルリンオリンピックは当時の政権の権勢発揚だけではなく、国の歴史と尊厳をかけての催しだたことがわかる。

海岸を走る聖火ランナー

聖火ランナーがベルリンのスタジアムに到着した場面。
塔上のファンファーレはともかく、聖火ランナーの背後からスタジアムの門と満員の場内を捉えるカメラは、臨場感がたっぷりに観客らの高揚感が捉えられている。
この場面は撮り直しではないだろうからリーフェンシュタールら撮影クルーの周到な準備と、当日の果敢な撮影が行われたことがわかる。

選手入場はトップのギリシャをはじめ、オーストリア、イタリアなどの友好国がナチス式の敬礼で行進。
意外なのはフランスの選手もナチス式の敬礼だったこと。
軍隊帽をかぶった日本選手団は一般式の敬礼だった。

演出するリーフェンシュタール

いよいよ競技開始。
映画は、円盤投げ、ハンマー投げ、やり投げ、高跳びなどのフィールド競技やトラックの各種目を順々に捉えてゆく。
この時代のオリンピック陸上種目の上位選手は北欧、西欧、北米の白人選手だったことがわかる。
ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカ、カナダなどの白人選手が活躍し、スタンドは盛り上がる。
欧米にとって平和で活気ある時代だったことだろう。
日本選手も友好国ドイツの大会だからか大規模な選手団を派遣しており、中距離走や跳躍競技に有力選手が出場している。

フィールドに穴を掘って撮影

日本選手がらみの「撮り直し」場面は、棒高跳びの場面で使われる。
優勝決定まで8時間を経過し、日没後に決着を迎えた棒高跳び。
西田選手と大江選手が2位、3位に入賞、優勝はアメリカの選手となるが、優勝を争った西田とアメリカ選手の跳躍前の様子と、暗闇での跳躍場面、決着後の握手などは撮り直された映像だった。
この「撮り直し」、のちの日本でのリーフェンシュタールらと西田選手らの幸福感に満ちた再会の写真を見ても、必ずしも選手らに負担ばかりを負わせたものではなく、むしろ彼らをして映画の「出演者」としての達成感や充実感のようなものをもたらしたのではないかと思われる。
リーフェンシュタールの「演出者」としての満足感はもちろんのことだったはずだ。

棒高跳びの撮り直しシーン

「民族の祭典」において、別の意味でリーフェンシュタールの興味を引き、完成した作品で多くを割いたのは、当時100メートルの世界記録者、オーエンスの躍動する肉体と、意外だがマラソンの孫の死力を尽くした極限の姿で、特にオーエンスについては競技の様子はもちろん、その前の緊張感やオフのリラックスした姿などが時間をかけて捉えられている。
当時のナチス政府は、黒人などを差別する政策だったが、リーフェンシュタールはヒトラーの好みより芸術家としての自分の好みを優先したことになる。

当時の様子として、走高跳が男女とも鋏飛びであったこと、短距離走ではスタートブロックは使われず、トラックに穴を掘って足場にしていたこと、やり投げのフォームは現在とほとんど変わっていなかったこと、マラソンではjタウを脱ぎ上半身裸で走る選手がいたこと、棒高跳びの着地点が平板な砂だったこと、などなど興味深い歴史的記録でもあった。

当時の観客が見れば、遠い異国のオリンピックという興味のほかにも、手に汗握る競技のスリルと盛り上がりを堪能したのだろうと思われる。

「オリンピア第二部・美の祭典」  1938年  レニ・リューフェンシュタール監督  ドイツ

前編と同時に撮影・編集された「オリンピア」後編は、陸上競技以外の模様が収められている。
といってもスタジアムで行われた十種競技(トラック、フィールドの代表競技の総合種目)がそれなりの尺で収められおり、ベルリンオリンピックの、何よりリーフェンシュタールの関心が圧倒的にスタジアムの陸上競技にあったことがわかる。

「美の祭典」としてまとめられた競技には、球技、水泳、馬術、自転車などがあるが、「民族の祭典」の描写よりどこか淡々としている。
むしろリーフェンシュタールの関心は作品の中にわかりやすいほどに表われており、それは飛び込み、馬術などにおける人間の(特に男性の)肉体美と躍動、危険なスリルなどである。

撮影するリーフェンシュタール

「美の祭典」は選手村の朝のシーンから始まる。
水面に反射する光、木洩れ日、鳥のさえずり。
夢のような田園のごとき選手村の朝。
裸で湖水に飛び込み、サウナで汗を流す男子選手たち。
フィンランド選手団をモチーフとしたようだが、どうみてもスケッチ的な描写ではなく、ねっとりとした己の美学に基づいて演出されたこのシーン。
ゲルマン神話的なリーフェンシュタールの、そして当時のドイツ権力者たちの理想に基づく場面だ。
「民族の祭典」では、古代ギリシャ神話を題材とした導入シーンを持ってきたリーフェンシュタールが、ここでも自分のこだわりに忠実なプロローグシーンを作りだしている。

「美の祭典」にはスタジアム競技がほぼ出てこないからか、観戦するヒトラーなど権力者たちは写っていない。
そこにいるのは馬術競技の審判・運営の軍服姿のドイツ軍人だったり、ヨット競技でのドイツ軍艦のスタートの号砲だったり水兵の姿だったりする。
彼等は必ずしもナチスではなく、国防軍だったりするのだろうが、競技の現場で目立つ軍服姿は時世を嫌が上でも感じさせる。
リーフェンシュタールは得意げに、また必要以上に軍人の姿を強調している。

リーフェンシュタールが好んだのが飛込競技で、これでもかと繰り返される。
太陽をバックにシルエットに塗りつぶされて空中を舞う選手のシルエット。
当時の飛び込みは空中姿勢が重要だったようで、筋肉隆々の選手たちが、空中姿勢を誇りながら、派手なしぶきを立ててザッパーンと飛び込む。
現在はいかに静かに入水するかを競うのであろうが、当時のスタイルの方がリーフェンシュタールの好みにアピールしたことが想像できる。

飛び込みのワンシーン

馬術のワイルドさが現在からは想像もつかないことも衝撃的だ。
谷に向かって障害が置かれたコースに次々と落馬する選手たち。
そもそも障害のコースが今のように整備された馬場でなく、野原や林を縫って設定されている。
障害には大きな池も設定されてもおり、人馬ともどもずぶ濡れになる。
騎手が振り落とされ、馬が怖がって動かず、馬ごと転倒する。
その荒っぽさがリーフェンシュタールの琴線に触れたのであろうか、馬術競技の尺も長い。

「日本版」には存在するという水泳女子200メートルの前畑選手の場面はない。
本作品が「オリジナルドイツ語版」だからだろう。

『政府の目的は、ナチ・ドイツとヒトラーのためのプロパガンダ製作にあった。そしてリーフェンシュタールは、意識的にせよ無意識にせよ、この目的を申し分なく見事に達成したのだった』(「レニ・リーフェンシュタール 芸術と政治のはざまに』1981年 グレン・B・インフィールド著 リブリポート社刊 P263より)

春の山小舎リフレッシュ! 玄関、長靴、スリッパ、マットを掃除、洗濯、天日干し

5月とは思えないまぶしい日差しはまるで初夏のようです。
初夏の風物詩・春ゼミの鳴き声が聞こえてきました。
野原ではわらびも芽を出しています。

春ゼミが鳴き始めた姫木の森

山小舎大掃除にぴったりの日です。
この日は毎日利用する玄関の、特に長靴、スリッパとその置き場あたりをきれいにしました。

まずはスリッパです。
2、3年前にすっかり買い替えた来客用のスリッパを2回に分けて洗濯機に放り込みます。
無香料の粉せっけんでぐるぐる回し、脱水したら並べて干します。
今日のような陽気はスリッパ洗いにぴったりです。

洗ったスリッパを干す
洗ったスリッパを並べて干す

スリッパを収容していたケースを取り出し、重曹液で拭いて天日に干します。
1年ぶりのリフレッシュです。
ケースがあった場所(玄関の踏み台の端っこ)をたっぷり拭き掃除して、風を通します。
この冬、玄関には小鳥の乾燥した死骸があったりしました。
冬を越した山小舎は春を迎えてリフレッシュしなければいけません。

スリッパ収納ケースを拭いて、干す

玄関のたたきには長靴とその収納ケースが置かれています。
プラスチックのケースを取り出して外でホースの水をかけます。
長靴は破れたものは捨てて、使えるものは日干しします。
ゴム長靴は、草苅りの仕事などをしていると1年で破れることが多いのです。
また、冬には絶対必要なアイテムでもあるので常備しなければなりません。

洗った長靴収納ケース
長靴を干す

脱衣場の棕櫚のマットも洗いましょう。
酸素系漂白剤にマット全体を漬けておきます。
しばらく置いてから引揚げ、ホースの水とたわしで流します。
茶色の水が出ました。
先代オーナー時代からの備品のマットは、おそらく初めての洗浄だったと思います。
キレイになった後はタップリと天日に干しておきます。

脱所のマットをオキシ洗浄
オキシ漬けしたマットを流水で流す

玄関のたたきからホーキで、ゴミや虫の死骸を掃きだします。
ついでにぞうきんでたたきの部分も拭きます。
どろどろになったぞうきんを庭のバケツに投げ込み、ホースで洗います。

すっかりキレイになりました、玄関はすぐに泥や砂利がたまりますが。

拭いた後の玄関の壁とたたき

さわやかというか、まぶしく暑いくらいの標高1400メートル以上の高原。
この日のミニ大掃除が終わりました。

令和7年畑 水やりと支柱立て

苗を植え終わった畑に行きました。
一番草も刈って、ひと冬の垢を落とした畑です。
夏の旺盛な繁茂の前の隙間だらけの姿です。

この日、一足早い猛暑の中、どの苗も懸命に根付くように頑張っています。
一度も水やりしないトマトも元気です。

キャベツ、レタスの苗、シソ、バジル、ビーツなどの種まきした畝に水をやります。
種を蒔いた上に、乾燥防止に枯れ草などを被せていますが、枯れ草ごとカラカラに乾いています。

手前のキャベツ、レタスに水やり

ナス、キューリ、ピーマン、夕顔、などなどに潅水します。
葉っぱが垂れ下がっていた夕顔、ズッキーニなどには恵みの水だったでしょうか。
ナスやゴーヤも水は大好きなのです。

畑のそばの側溝の水量が少なくなってきたので、次回は山小舎から水を運ぶことにしましょう。

ポリタンクを潅水に使う

潅水の後は支柱を立てる作業です。
トマト、キューリ、ゴーヤ、夕顔、ヘチマ、冬瓜などの畝にアーチ形の支柱を立ててゆきます。
その前にナス、ピーマンなどの苗のあんどんを外し、支柱を1本立てて苗を支えておきます。
ツルが出るものもとりあえず支柱を1本立てておきます。

トマトの畝にアーチ形の支柱をかける
夕顔、冬瓜などの畝にも支柱

もう少しすると、アーチにネットをかけたり、横棒をつけたりしますが、本日はここまで。

いよいよ夏を迎える準備の畑です。

軽トラ流れ旅2025(ショート) 山梨県白州へ、道の駅と塩沢温泉

かねてから行きたかったホッサマグナの湯へ行ってみました。

まずは、富士見へ出て国道20号線を目指します。
富士見町の中心部にあるAコープをのぞいてみます。
割と大きな店舗で、地元産の福味鶏からアルプス牛までそろっています。
地元産の山菜と、長野産の風さやかというお米を購入しました。
5キロ3800円ほどでした。

富士見町中心部から国道20号線に出て南下します。
塩沢温泉は甲州街道・蔦木宿の手前、山梨県境より少し手前です。
時間があるので、そのまま南下し、二つほどの道の駅を巡ってみることにします。

国道沿いに南下すると、道の駅蔦木宿があります。
ひょっとして限定の手打ちそばが残ってないか?と寄ってみました。アウトでした。

そのまま南下して山梨県に入ります。
道の駅白州に行ってみます。

道の駅白州

ここの食堂で昼ごはん。
湧水をペットボトル2本に組んで、隣接する地元スーパーをのぞきます。
食品フェアをやっていたので、県内の甲州街道台ケ原宿の酒蔵・七賢の純米酒粕や甲州ハイボールなどを買います。酒粕は、みそ汁や煮込み料理のコク出しに重宝するのです。
ハイボールは来客用です。
道の駅はいつもながら賑わっていました。

蕎麦、からあげ丼セット
名物の山塩ソフト
天然水氷には人が並んでいた

国道を北上してホッサマグナの湯・塩沢温泉に戻ります。
初めての温泉ですが気になっていました。
列島を分断する大地溝線上にある、地球の磁力に溢れてそうなネーミングに惹かれました。

国道20号線脇の看板

850円と安くない入浴料です。
地元民と富士見町民は420円でした。
そうそう、塩沢温泉は山梨県の温泉だったのです。
国道20号線は何キロも前に長野県に入っていますが、温泉は山梨県の領域だったのです。

温泉は源泉が冷たいのですが、ぬるめの湯と熱めの湯の浴槽があります。
ぬるめの湯に首まで漬かって、仕上げは熱めの湯でにしました。
例によって長湯はしなかったのですが、効きました。
後で体が軽くなったというか、芯まで伝わったような感じがしました。

最近の恒例として、温泉オリジナルのタオルを買って帰りました。
再訪したい温泉がまた見つかりました。

オリジナルのタオル

県内ローカル新聞の華麗な世界 須坂新聞

足を延ばした時に地元のコンビニに顔を出して、新聞スタンドをのぞいてみることがあります。
5月の連休前に、須坂の隣の高山村を訪れたとき、村内のコンビニで須坂新聞を手に入れました。

須坂新聞2025年4月26日号第一面

週刊で、4月26日号、280円です。
発行は須坂新聞社。
「郷土の未来を創造するコミュニテイペーパー」とうたっています。
この号は全16ページ、コンビニのおばさんは「いつもより薄いね」と言ってました。
連休前だからでしょうか。

一面には全国ニュースでも話題の、ふるさと納税返礼品の産地偽装問題です。
須坂市の返礼品を同市産のシャインマスカットとしていたものが、一部小布施などの市外地産のものが混じっていた事件です。
総務省が絡む事柄で、お上の話題の施策の信頼性を傷つけるということから全国ニュースになったようです。
実際は須坂と小布施は隣接しており、産地を区切っても、品物的には意味がないのですが・・・。
納税者というより、総務省にとっての大問題なのでしょう。

地元の話題としては、高山村の獅子舞の話題、須坂市の子神楽隊の話題などが大きく取り上げられています。

季節の話題としては、桜や鯉のぼりなど、春本番を伝える話題も。
やはりローカルの春には桜と鯉のぼりの写真が欠かせません、あと田植えの風景とか・・・。

学術的に郷土史を伝えるコラムが第56回を数えています。
こういった郷土の歴史研究を発表する場としてもローカル新聞は貴重です。

全体的に目立った事件というか記事はなく、おとなしい紙面づくりの新聞です。

広告にも特色のあるものはなかったのですが、記者1名募集の広告が目を引きました。

令和7年畑 草刈り、苗植え、種まき

麓の田んぼには順々に水が張られ、代掻き、田植えのころとなってきました。
田圃の畔では早くも雑草を刈る姿も見られます。

麓の田んぼは水が引かれている

我が畑でも、畔など畑周辺の雑草が無視できないほどに繁茂してきました。
タンポポなどは早くも綿帽子がみられるものもあります。

今年初めて草刈り機に混合ガソリンを入れ、試運転してみました。
問題なくエンジン始動したので、刃を新しいものに替え、畑に出かけました。

草刈り前の畑
春の小川はさらさらゆくよ

新しい刃の切れもよく、草刈り機は思う存分稼働しました。
刈った草からヨモギを回収することもできました。
畝間の雑草は刃をヒモに替えて刈る方が、凸凹の面や柔らかい草に対応できてよいのですが、そのままま刃で刈りました。
乾燥が続く畝間から土ぼこりが舞い上がりました。

新しい刃はぐんぐん刈ってゆく
畝間も刈る

水やりの後、まだ埋っていない畝に第三回の苗植えをしました。
ハックルベリー、落花生、地元品種の小布施なすを新たに植えたほか、地ヤーコン、ズッキーニ、夕顔などを追加で植えました。
畝はほぼ埋まりました。

水やりも欠かせない
この日植えたハックルベリー
落花生も植えてみる

山小舎に帰ってからポットに土を盛り、トウモロコシとインゲンを蒔きました。
芽が出るまでは、ポット全体を保温しておきます。
インゲンは先に直播もしていますから第二弾の植付用です。
トウモロコシはこれが第一弾。
第二弾はポットの苗を定植した後に蒔く予定です。

トウモロコシをポット蒔き

春の恵み!ヨモギを干す

5月中旬、畑に行くとヨモギがどんどん育っているのが目につきます。

ヨモギは昔から日本人に親しまれてきました。
最近ではその薬効も話題になり、従来の草餅、草だんごとしての利用だけでなく、野草茶や燻して煙を浴びるなどの利用方法も行われています。

山小舎では数年前から野草茶の材料として、ヤーコン葉、スギナ、菊芋などとともに活用しています。

ヨモギは一年中採取できますが、やはり新芽が柔らかい春が一番の採取時期です。
雑草がまだ生い茂らない畑や畔で、地面にへばりつくよいうに群生している葉の裏が白いヨモギの姿を見ると、思わず摘み取りたくなります。

5月の新鮮なヨモギの葉先

わざわざ摘み取らなくても、春先の草刈りの後、刈った雑草の中に交じってるヨモギをより分けてくることもあります。
葉の裏が白いヨモギは雑草に交じってもすぐわかるのです。

籠一杯持って帰ってきたヨモギを水で洗います。
混じった雑草などもより分けます。

まずは天日干し

水を切って乾燥です。
ザルに広げて日中は天日干しに、夜間や雨天の時はストーブのそばに置きます。
何なら金属のザルを二重にして、そこに広げストーブに乗せておきます。
焦げないように注意すればカラカラになります。

カラカラになったら出来上がり

カラカラになったら保存容器に乾燥材と一緒に入れておきます。
この時、鋏で切りながら詰めてゆくと量が入ります。

ちょっと前の現代農業別冊でヨモギ特集号があったので紹介しておきます。

別冊現代農業2023年4月号・表紙
同・目次
腰痛に良いというヨモギ座布団
お馴染み草餅

春の山小舎リフレッシュ! 電灯の笠を掃除

シーズンインの山小舎リフレッシュ(大掃除)の再開です。
年に1回やりたいのが、ダイニングテーブルの上の照明器具の掃除です。

山小舎のダイニングテーブルは頑丈で、焼き台などを置けるように鉄板を貼った炉を切っており、来客があるとそこに焼き台を置いて炭火焼きをするのが恒例になっています。
室内で炭火焼きができるのは、スカスカの日本家屋で、通気の良いの山小舎ならではですが、そうはいってもテーブル真上の照明器具や、換気扇などはススによる油汚れが付きます。

山小舎おばさんも、来館の折にその汚れを気にしていた照明器具(傘)を掃除しました。

まず傘が漬かるくらいの大きめの洗面器を用意し、重曹をお湯に溶かします。
そこに傘を漬けて待ちます。

流しに線建機を用意してお湯を張り重曹を溶かす。そこに傘を漬ける

やがて汚れが浮き上がり、たわしでこすると落ちてゆきます。
ただ、汚れが分解したわけではないので、傘から除去された油汚れはなかなか流れ去ることはなく、傘の別の場所や、たわし、洗面器の端に移動してこびりつくこともあります。
手もべたべたして、触った場所に汚れが付着します。

油汚れをたわしでこすり落とす

流れ去らない汚れは、まずキッチンペーパーでぬぐい取ります。
ざっくりきれいになったら、再度お湯の流水で流しながらたわし洗いします。
この時、手の油汚れもなるべく取り去っておきます。

すっきりしました

難敵の油汚れを何とか除去したら、傘とソケット類を乾かして再度設置すれば出来上がりです。

洗ったものを乾かして設置

山小舎おばさんなど女性陣や、来客などは、汚さや乱雑さに敏感です。
「山小舎らしさ」はいいのですが、気を付けて今年のシーズンを迎えたいと思います。

令和7年畑 苗の定植②

夏野菜定植の第2段です。

塩尻の農協から苗を仕入れた翌日に畑へ向かいました。
仕入れた苗ポットの土はカラカラだったり、湿っていたり色々です。
山小舎から出発するときに、えひめAIの希釈液にポットの底を漬けておきます。

この後の水やりは定植後に行います。
トマトは水やりしません。
ナスやピーマンンなどは支柱を立て縛っておきます。

キューリの苗を置いて植え付けの準備
定植後のズッキーニ
トマトに支柱を添える

ハーブの種まきもしました。
青じそ、赤しそ、バジルの苗を1本ずつ植えておいた周りに、それぞれの種を蒔きます。
その上に水をやった後、枯れ草で覆い乾燥を防ぎます。
いつも失敗するハーブの直播、今年はうまくいってほしいです。

ビーツも直播して枯れ草で覆っておきます。
今後は畑に行った都度、水やりします。

穴あきマルチをかけた畝に、インゲンと枝豆を直播します。
インゲンと枝豆は時間差でもう1回蒔く予定です。

まだ畝が4列ほど残っています。
1列はトウモロコシを植えるとして、後は何を植えるか考えましょう。

別の畑にはヤーコンの苗を5本定植しました。
ここの畑は、鹿とイノシシのフィールドです。
彼等のパトロールの巡回路なのです。
キジのつがいも住んでいます。
畑はあってもほとんど人が来ることのない野生の王国です。
ヤーコンは比較的食害の少ない野菜ですが、鹿を甘く見てはいけません。
ネットでトンネルをかけておきます。

ヤーコンの苗
植えた後・・・
トンネルの準備
ネットをかけてすそを固定

どうやら今年も作付けの目途が立ちました。