雨の日の山小舎周辺です。

6月は梅雨の時期ですが、夏のような晴天があったり、寒々しい日があったりしました。
長雨が続く梅雨らしい日は少なかったような気がします。

今日は雨です。管理事務所の草苅バイトは休み、畑にも、外での作業もできません。

畑にはこの時期の雨が必要だからどんどん降ってもらっていいのです。

ストーブを炊いて室内を乾かします。少しの遠出を含む外出を企てるのもこんな日です。

大雨が2、3日続くと山小舎の裏の、国有林との境の枯れ川が流れ始めます。
山が雨を保水しきれなくなったようです。

60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
雨の日の山小舎周辺です。

6月は梅雨の時期ですが、夏のような晴天があったり、寒々しい日があったりしました。
長雨が続く梅雨らしい日は少なかったような気がします。

今日は雨です。管理事務所の草苅バイトは休み、畑にも、外での作業もできません。

畑にはこの時期の雨が必要だからどんどん降ってもらっていいのです。

ストーブを炊いて室内を乾かします。少しの遠出を含む外出を企てるのもこんな日です。

大雨が2、3日続くと山小舎の裏の、国有林との境の枯れ川が流れ始めます。
山が雨を保水しきれなくなったようです。

立科町の直売所「菜ないろ畑」は、野菜苗の時期をはじめ、近くに寄った時に必ず寄る直売所です。
山小舎からは笠取峠を越える中山道ルート、もしくは雨境峠を越えるルートのどちらかを使って佐久地方に出て、菜ないろ畑→道の駅女神の里→JA望月→赤坂直売所を巡るのが、山小舎おじさんの楽しみです。
佐久地方は浅間山を右端にした山々が望めます。
八ヶ岳を望む、茅野、原村、富士見とは異なった雰囲気の地域です。
最近はこの基本コースに、望月地区での木村菓子店、春日温泉などを加えたりしてバリエーションをつけています。そうしたところに、姫木管理事務所の職員さんから「春日にチーズ工房がある」と聞きました。
早速行ってきました。
今回のコースは雨境峠を越えるルートで。
峠を立科町へと下り、まず「菜ないろ畑」によってみます。
ここでは、季節によって、ヤーコン、ビーツ、青いトマト、冬瓜、育ちすぎたズッキーニ、などなど珍しいものが手に入ります。
この日は加工用サクランボを売っていました。

「このままシロップ煮にしておくと孫たちが喜ぶかも」と買ってみました。
レジのおばさんは「種を取ってジャムにするといい」と言ってました。
その後は望月経由、春日地区へ向かいました。
春日地区は望月から蓼科山方面に入ってゆくのですが、実質的に行き止まりの地形ということもあり、行ったことがなかったのでした。
最近、自宅の知り合いの方の疎開の場所だったこともあり、行くようになりました。
温泉が集客している地域でもあります。
チーズ工房に注意して道を進み、温泉の間近まで行くと左手に静かにそれらしき建物がたたずんでいました。
「ボスケソチーズラボ」という店です。

静かな場所で、来客もありませんでしたが移住した人が始めたチーズ工房とのことです。
今週末の山小舎おばさんと、同行者夫婦へのおもてなし用にチーズを求めたくて訪れました。
チーズのことはわからないので、とりあえず「白カビチーズ」と、「温泉水で洗ったチーズ」を買い求めました。
果たしてお客さんたちのお気に入りとなるかどうか?




ついでに春日温泉の国民宿舎へ行きましたが日帰り入浴は休業中。
付近の「かすがの森」という温泉施設も同様でした、残念。

帰ってから加工用サクランボをシロップ漬けに加工しました。
実が熟していたので、出来上がりの硬さ具合がどうなるか?
ジャムの方がよかったかな?




ネオレアリスモとは、イタリア映画史の核と言っていい概念と運動であり、イタリア降伏後の戦後時代に作られた作品群を称する。
「無防備都市」、「戦火のかなた」、「自転車泥棒」、「靴みがき」、「揺れる大地」など、ネオレアリスモの代表作を撮ったのは、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィトリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンテイらと脚本家のチェザーレ・ザヴァッテイーニらであり、そこに共通するのは、戦争や封建制のために苦悩する民衆の貧しさを直接的に描いたことだった。.
スタジオでスターが演じる夢の世界を描く映画から、街頭ロケで普通の人々の日常を見せる映画への変貌を果たしたのがネオレアリスムであり、世界の映画作りに影響を与え、のちにフランスの「ヌーベルバーグ」として結実した。
ネオレアリスモを担ったイタリア人映画作家には、上記3名のほか、戦前に国家機関として設立されたチネチッタ撮影所付属の映画実験センターで学んだ、ピエトロ・ジェルミ、ジュゼッペ・デ・サンテイス、ルイジ・ザンパや、同じく映画批評誌「チネマ」同人出身のアルベルト・ラトアーダ、カルロ・リッツアーニらがいる。
また、サイレント時代から活躍し、戦争初期には「ファシスト政権の御用監督」とまで言われた、アレッサンドロ・ブラゼッテイやマリオ・カメリーニらベテランが、戦争後半から戦後にかけては民衆の貧しさをテーマにした作品を撮っており、ネオレアリスモの先駆をなしたといわれている。
(以上は、集英社新書2023年刊 古賀太著「永遠の映画大国イタリア名画120年史」第三章ネオレアリズモの登場より要旨抜粋しました)


「雲の中の散歩」 1942年 アレッサンドロ・ブラゼッテイ監督 イタリア
監督はサイレント時代からのキャリアを誇るアレッサンドロ・ブラゼッテイ。
脚本には戦後にデ・シーカと組んでネオレアリスモの重要な牽引者となった、チェザーレ・ザヴァッテイーニ。
戦時中は「ファシスト政権の御用監督」とまで言われたブラゼッテイだが、本作は、ヴィスコンテイの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)、デ・シーカの「子供たちは見ている」(42年)とともにネオレアリスモの先駆を成す作品といわれている。
映画は庶民の朝のシーンで始まる。
目覚時計で目を覚まし、子供のために牛乳を温め、ぶつくさ言う妻を後にして家を出るサラリーマン・パウロ。
倦怠感に満ちたシーンだが、何やら楽し気なBGMが流れる。
演じる俳優も当時の映画スターらしい風貌だ。
演技的にも、音楽的にも、流れ的にも映画の作りはサイレント時代からの伝統にのっとっている。
決して実験的でも、独創的でも、センセーションを売り物にする映画でもないことがわかる。
その点では、旧来のスタイルの映画に、現実的なテーマを盛り込んだ作品であろうことがわかる。
満員の電車で営業に向かうパオロ。
車内で同僚のサラリーマンと無駄口をたたくうちに、どこか寂しそうな若い女に席を譲ることになる。

若い女はマリアといい、パオロが偶然電車を降りた後で乗ったバスでも同席となる。
バスが運転手の妻の出産で、遅れたり、祝宴が始まったり、スピードを出しすぎて道を外れたりするうちにパオロはどんどん仕事に遅れ、押し黙っているマリアが気になり、手助けをし、口をきいてゆく。
彼女は不倫の末妊娠し、やむなく田舎の実家へ向かっていることを告白する。
伝統ある家長の父親から受け入れられないだろうことも。
そこで何くれと親切にしてくれたパオロに助けを求める、「父に会う時だけ夫の役を果たしてくれ」と。
「なんで関係のない家族持ちの俺がそこまでしなきゃいけないのか。仕事(菓子のセールス)の途中だし」、
パオロは当然そう言うが、マリアの姿を見ると放っておけなくなり、会うだけならと家に同行する。
田舎の実家では、マリアが大歓迎を受け、結婚と妊娠を知ってからは、神父や署長まで呼んでの大宴会となる。
パウロは抜けられなくなり、マリアの実家で一晩を過ごすが・・・。

50年代にイタリアで、90年代にハリウッドで、さらにインド映画にまでリメークされたこのストーリーは、映画ならではのハートウオーミングドラマの典型というか原点。
「そんなことあるかいな?」と思わせながらも、「そうあってほしい」方向に話が進んでゆく。
二人の周りで起こる奇妙でファンタステイックなエピソードと連動して進む夢の時間は、パウロの夢であると同時に観客の夢でもある。
ネオレアリスモ主流作品の深刻さはないが、未婚女性の不倫による妊娠と家族、社会との軋轢を描いており、その点で42年のデ・シーカ作品「子供たちは見ている」の、大人の世界に蔓延する姦通やブルジョアの無為な生活など『社会の現実』を描いた観点同様に、ネオレアリスモの精神を先取りしている。
主人公のパオロにジーノ・チェルヴィ、マリアにアドリアーナ・ベネッテイ。
マリア役のベネッテイはデ・シーカの「金曜日のテレーザ」(41年)でデヴューした新鋭女優。
その薄幸な美人ぶりは「ローマ11時」(52年)のカルラ・デル・ボッジョや、「街は自衛する」(51年)のコゼッタ・グレコを思い出させる。

監督のブラゼッテイは戦後、歴史大作「ファビオラ」(49年)、艶笑ドラマ「懐かしの日々」(52年)を発表。
さらにショーの記録映画として『夜もの』映画、あるいは『モンド』映画の先駆けとなった「ヨーロッパの夜」(60年)を、あのグアルテイエロ・ヤコッペッテイと組んで発表した。
イタリア映画史を横断する『巨匠』のキャリアではないか。

「不幸な街角」 1948年 マリオ・カメリーニ監督 イタリア
アンア・マニヤーニが存分にその「一人芝居」で大暴れする。
役柄は戦後直後の貧しい家庭の主婦。
幼い一人息子がいて、2年前にアフリカ戦線から復員してきた夫パウロ(マッシモ・ジロッテイ)は失業中。
失業を戦争のせいにして、決して悪辣に社会を渡っていけない夫と、子供のためにコロッケ一つ買えない家計に不満を募らせる妻リンダ(マニヤーニ)。
製作は「にがい米」でシルバーナ・マンガーノを「発見」した、デイノ・デ・ラウレンテイス。
30年代から活躍のベテラン、マリオ・カメリーニを監督に起用、音楽はのちにフェリーニ作品や「ゴッドファーザー」で有名なニーノ・ロータ。
当時の新進映画作曲家ロータの楽し気なBGMに乗って、映画は戦後の貧困な社会を背景とした、ひと時の庶民の夢をつづってゆく。
まだ若く、幼子の母親役が似合うマニヤーニのマシンガントークが、いつものように炸裂する。
漫才でいえば「ノリ突込み」を一人でこなすから、相手役のジロッテイはそばに立っているだけの役割。
見るものはマニヤーニの芝居にあっけにとられる。

稼ぐ手段が見つからず、家ではリンダのマシンガントークに追いつめられたパウロは、高級車の盗難をそそのかされる。
何とか盗難に成功し、モグリの売却業者のもとに急ぐが、夫の浮気を妄信したリンダが息子を連れて車に乗り込んでくる。
楽しそうなリンダと苦虫をかみつぶしたパオロのドライブが始まる。
この場面、浮気を誤解してまくし立てるマニヤーニと、彼女を援護する、いつの間にか集まった群集と偶然にしてはタイミング良すぎる警官が二人を取り囲む。
彼等をバックに一段とオクターブを上げるマニヤーニの、十八番ともいえる誇らしげな姿。
コメデイ映画定番のシチュエーションだが、マニヤーニにかかると見ているこちらのテンションも、わかっていながら爆上がりだ。
イタリア映画らしい、芸達者なエキストラ陣とおせっかい警官の表情も最高!
そうしてモグリの悪徳転売業者のもとにたどりつくが、彼は孫の洗礼にかかりっきり。
教会で洗礼の後は親戚一同(と神父、署長)でお約束の大宴会が繰り広げられる。
早く車を売らないと、と焦るパオロ。
いつの間にか家族に同化し、大笑いしながら盛大に飲んで食うリンダの食欲とコミュニケーション欲?も誰にも止められない。
コメデイ定番の展開の後、なんと!悪徳業者は孫の澄んだ目を見て良心に目覚める!
「初めて泣くのを見た」と乱舞して、悪徳業者を連れ神父ともども教会の懺悔室?になだれ込む親戚及び関係者一同。
かくて悪徳業者は善人となり、車の転売はおじゃんになるのであった。
その後も、政治集会の群れに車の行く手を阻まれたり、無銭飲食でオートバイに追いかけられたり。
「悪」には全く素人のパウロはリンダと息子を乗せて、ヒヤヒヤドキドキの家族ドライブを繰り広げる。
2人の子供を演じる子役がいい。
ドライブの先々で、七面鳥やウサギと出会い、最後は海を見てはしゃぎながら砂浜で遊ぶ幼子。
現実の貧困からの「救い」の映画的表現がやさしい。
ハピーエンドで終わる物語は後味もよい。
貧しい家庭が一日の夢のようなドライブを楽しんだ。
そもそもがパウロが慣れない悪事に手を染めたからだったが、二転三転、犯罪にならずに済んだ。
これは、救いのない現実に苦しむ当時の観客にとっても救いのある、映画的な夢であったろう。
マニヤーニの芝居のいいところは、その熱演がコメデイを狙ったものではなく、結果としてコメデイになっているが、あくまでも本人にとっては真剣なものであること。
この作品でも、マニヤーニは大まじめに周りをかき乱す女性像を演じながら、車は夫が盗んだものだと察したときにきっぱりと夫に自首を勧め、あまつさえ自分が夫の代わりに警察に自首するのである。
まさに大真面目に、正しく生きているのだ、その『勝手な』行動で周りをかき乱しながらも。

マリオ・カメリーニは1895年ローマ生まれ。
イタリアの僻地出身でも、左翼思想の洗礼を受けたわけでもない、生粋の戦前派映画人といえる存在。
23年に監督デヴューの後、30年代のイタリア映画界をアレッサンドロ・ブラゼッテイとともに支えた。
50年代まで第一線で活躍した。
本ブログでも一度紹介したことがある蕎麦屋です。
高遠経由で伊那に行った際に寄ってみました。
信州のそば処は、戸隠、佐久小海など様々ありますが、高遠もその一つです。
諏訪から杖突峠を越え、伊那谷に至る途中にある高遠は、今は伊那市の一部ですが、歴史ある城下町で景観保存地区が残っています。
そば店の華留運(けるん)は観光客が並ぶ店です。
2度目の訪問は並ばずに入店できました。


ほぼ満席の店内は県外からの客が多い印象です。
「本日の蕎麦」という書き出しが貼ってあります。
「二八 細切り」を注文します。
前回来た時にサイドメニューのわらびを頼んだら、皿に一山出てきてたっぷり楽しめたので、味をしめて、今回はなめこおろしを頼みます。
これまたたっぷりのなめこが大根おろしとともに出てきました。


二八蕎麦は満足する味でした。
愛想はないが(信州の県民性として、商売する方々が愛想を振りまくとは限らないのです)、勘所を心得ているホールのおばさん二人もテキパキしています。

山小舎おばさんにも一度勧めてみたい蕎麦屋です。
カンカン照りのある日、夏野菜の世話が一段落したので、気になっていた休耕地の除草をしました。

2、3年前はジャガイモなどを植えていた畑が4枚あります。
鹿やイノシシの活動地域にあり、ジャガイモの味と場所を学習したイノシシに必ず全量掘り返された畑です。
一時はネットを張り巡らせましたが、冬期間の強風被害や、何よりネットを食い破って侵入し、中で採り残しの枯れた作物を食い荒らしてから、支柱ごとネットをブチ倒して脱出してゆく鹿にボロボロにされた挙句、撤去した経緯があります。
現在は、毎年自然発生する菊芋が生い茂る畑が1枚と、あとは少々を使っているばかりです。


季節になると4枚の休耕地に雑草が容赦なく生い茂ります。
法面も同様です。
また農道の半分程度も、地域の手前、刈らなければいけません。
放っておくわけにはいかないのです。

草刈り機のヘッドを、『ヒモ』から『刃』に替えます。
強い雑草に『ヒモ』をつけた20CCの家庭用エンジンの草刈り機では太刀打ちできません。
この日は休耕地1枚をやっつけました。
細かいことは気にせず、刈りやすい所からドンドン刈ってゆきます。
夏になると草の間から飛び出す、キリギリスやカマキリはまだいないようです。
カエルの姿も見ませんでした。



1枚を刈り終わって、エンジンの調子が弱ってきたので本日の作業は終了。
刈った草の間に白い葉っぱを見せて倒れているヨモギを少々回収して帰りました。

ヨモギは葉っぱだけを洗ってから乾かし、野草茶の材料にする予定です。
上田市内の北国街道沿いにくろつぼという蕎麦屋があります。

土日などは予約しないと入れない人気店です。
上田に行ったついでに寄ってみました。

雨の平日だったこともあり、並ばずに入店できました。
カウンターに案内されました。
店内には数組の先客がいました。
十割蕎麦が売りのようなので注文します。
サイドメニューを見ると、季節の山菜である根曲がりだけがあったので、その『焼き』を頼みました。

古民家をリフォームした店内は、今風ですが、トイレに通じる廊下などに建築当時の匂いを感じることができます。
割と早く根曲がりだけが出てきました。
皮ごと焼いています。
塩をつけて食べるとこれが美味。
北信地方の春の味覚といわれているだけのことはあります。

根曲がりだけを食べ終えると十割蕎麦が出てきました。
食べ応えはあります。
十割でもボソボソしない打ち方はさすが人気店です。
濃い蕎麦湯でフィニッシュしました。

ピエトロ・ジェルミとは
1914年イタリア本土の歴史ある港町ジェノヴァ生まれ。商船学校に入るが、のちにローマに出て、チネチッタ付属の映画実験センターの演技科から監督科に移って卒業。

当時のベテラン監督アレッサンドロ・ブラゼッテイの助監督を務めた後、「証人」(45年)で監督デヴュー。
「無法者の掟」(49年)、「越境者」’(50年)、「街は自衛する」(51年)など、ネオレアリスモの手法を受け継いでイタリアの貧しい人々の生活を描く。
1950年代中盤になると、「鉄道員」(56年)、「わらの男」(57年)、「刑事」(59年ん)といった、小市民の生活の哀歌を描く作品を、自らの主演で発表。
これらの作品は日本でもヒットし、現在でもジェルミの代表作と呼ばれる。

1960年代に入ると、男と女の愛の機微をコメデイーで描いた「イタリア式離婚協奏曲」(61年)、「誘惑されて捨てられて」(63年)、「蜜がいっぱい」(65年)などを発表。
イタリア市民や社会にひそむ古風な習慣や生活哲学を痛烈にかつ愛を込めて批判する。

ジェルミの作品の根底に流れているのは、市民に対する限りない愛情の眼差しであり、その意味で彼はヴィットリオ・デ・シーカの流れをくむ作家である。
(以上は、1983年芳賀書店刊「イタリア映画の監督たち」P36「ピエトロ・ジェルミ作品アルバム+監督論」高沢瑛一より要旨抜粋しました。)
「無法者の掟」 1949年 ピエトロ・ジェルミ監督 イタリア
ジェルミ3本目の作品。
舞台は灼熱、荒涼としたシチリア島内陸部の寒村。
その地方を武力で支配するマフィアと新任の裁判官の対立を描く。
マフィアを最初に取り上げた映画とのこと。
脚本にはフェデリコ・フェリーニが参加しいている。

26歳の裁判官グイド(マッシモ・ジロッテイ)が赴任してくる。
前任者は引継ぎもせず逃げるように任地を去った。
グイドを迎える村の雰囲気は殺伐としている、バスの運転手はグイドの荷物を下ろそうともしない。
愛想がいいのは少年のパウリーノくらい。
裁判所に着任して書類を調べる。
告訴から数年ほおっておかれた案件もある。
弁護士、書記官、警察署長らが裁判官と仕事を共にするはずだが、味方は所長だけ。
地元の有力者・男爵はマフィアを使って権力を維持しており、味方のはずの弁護士は男爵の屋敷に入り浸っている。村人たちはマフィアに逆らわず、不利なことも黙って受け入れる。
その表情には過酷な自然に耐えるかのように忍従と諦念が深く刻み込まれている。
グイドがマフィアのアジトに向かう。
ボスが、勇壮な幹部たちを連れて現れる。
『我々が執行すること自体が村の掟であり、正義である』と言わんばかりに。
貫禄たっぷりなボスを演じるのがフランスの俳優シャルル・バネル。
「外人部隊(1934年 ジャック・フェデー監督)」のフランソワーズ・ロゼエの宿六役であり、「恐怖の報酬」(1953年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督)ではイヴ・モンタンの相棒役を演じた味のある役者だ。
ボスは『自分たちは名誉ある男たちだ』と自任。
伝統のマッチョで残忍な価値観を自分たちだけではなく、支配地域の住民たちにも強要し、そのためには暴力を発動する。
その割には、中央の法律を意識して、殺人などを隠そうと画策するのがオカシイ気がするが。
映画では、ボスを中心とするマフィアたちを勇壮に描き、その登場シーンなどでは高らかなマーチをBGMで謳う。

男らしいマフィアではあるが中には卑劣な輩もいる。
村に住む情婦のもとにやってきたその男は、年頃になった16歳の娘に目を付け、なんと結婚を希望する。
母親は『自分を捨てて娘に乗り換えるのね』と分かりながら、生き残るために結婚を了承する。
しかし娘の恋人はパウリーノだった。
二人は駆け落ち同然に契りを結ぶが、のちにパウリーノはそのマフィアに殺される。

マフィアは自分たちのシノギである『男爵が所有する鉱山の利権』のおこぼれにも敏感で、まるっきりヤクザのような存在なのだが、幹部を演じる俳優たちを見る限り『地域の逞しくて、仕事のできる男たちは、マフィアになる』といわんばかりに描かれている。
そうした貧しい地方だシチリアは、ということなのだろう。
ストーリーは展開が早く、エピソードが盛りだくさんで登場人物が多い。
映画は、手際が良くないこともあって、わかりやすくない。
グイドと男爵夫人のロマンスも唐突な感じがする。
パウリーノ少年と16歳の娘のエピソードは素朴でいいが。

法律を盾にする裁判官とマフィアの対立という、アメリカ映画「アンタッチャブル」のような構成。
ただし、裁判官の描き方は『マッチョではない青二才』の雰囲気を残し、また決して法律の全能感を謳いあげるわけではない。
マフィアの登場シーンなどでBGMに流れる勇壮なマーチは、のちのマカロニウエスタンを思わせる。
マフィアを描きつつ、これを一方的に断罪していないのはイタリア映画だからか。
そこには、シチリアの風土が持つ貧しさ、後進性、伝統が強烈に匂う。
ラストは辞任して男爵夫人と村を去るばかりのグイドが、パウリーノの死を知って教会の鐘を鳴らし、集まった村人の前で演説する。
それを聞いたボスが、(この件での)グイドの正義を認め、仲間の下手人を粛正する。
マフィアがシチリアの寒村で一定程度の秩序維持を果たしている現実を描いて映画は終わる。

「街は自衛する」 1951年 ピエトロ・ジェルミ監督 イタリア
骨格は犯罪映画。
犯行描写のスリルとサスペンス、警察の捜査の冷徹さ、犯人を取り巻く人間の非情と悪辣。
これだけ見ると徹頭徹尾の犯罪映画に見えるし、ジェルミのサスペンス演出はうまい。
が、背景にあるのは隠しようがないイタリア社会の貧困。
戦後直後は混乱と貧困をストレートに描いてきたネオレアリスモだったが、戦後数年を経て、犯罪の背景としての貧困を描くようになった、ということなのだろう。
ストーリーは4人のグループによるサッカー場の売上金強奪。
4人は知人ではなく、互いのファーストネームしか知らない。それぞれの犯人の背景と結末が描かれてゆく。
ルイージは妻子を持つ中年男。
台所からベッドまでが一部屋につめこまれたアパートでは妻がミシン仕事をしている。
強盗後、気に病んでノイローゼとなったルイージは、旅費だけ仲間にもらって妻子とともに田舎を目指して電車に乗る。
ねだる幼子に人形を買い与える妻。
妻はもらった金で質入れしていた結婚指輪を買い戻してもいた。
しみじみ嬉しそうな夫婦と人形で遊ぶ娘。
しかし車掌からキップを買おうとして高額紙幣を出したことから騒ぎとなり、ルイージは一人列車を飛び降り、挙句ピストル自殺する。
貧困が救われずに自滅してゆく。
これが現実。

ルイージの妻を演じる巨乳の美人女優はコゼッタ・グレコという人。
貧しい役には不似合いだが、どこか薄幸な匂いもする。
ストレートな貧困の描写が、真実味を持った時代の演技だった。
アメリカのギャング映画の逃避行(フィルムノワールといわれる映画の中で『Love on the Run』と分類される)では、恋人二人が自動車でハイウエイをぶっ飛ばすが、イタリア映画では妻子を伴い、郊外電車に乗ってしみじみ行われるのだなあ、と改めてその湿っぽさ、重たさに感じ入った。

実行犯には加わらなかったが、人気サッカー選手を足のケガで引退したパオロは、選手時代の贅沢な情婦(ジーナ・ロロブリジータ)が忘れられずに犯行に参加。
金を得た後、どろどろの格好で情婦の贅沢なマンションへ向かうが、情婦に風呂場へ案内された後で通報され捕まる。
警察でルイージの死体を見せられグループの名前を白状する。
ジーナ・ロロブリジータはこのエピソードだけの出演。
まだ強烈なセクシー路線には移行していないが、若々しい中に濃厚なメークを施しての「悪女」ぶりを発揮していた。
縁を切った女による冷え冷えとした仕打ち。
これも現実。

実行犯には絵の先生と呼ばれる貧しい画家のグイドもいた。
ジャン=ルイ・バローのような風貌のグイドは、レストランに行って金持ちの客たちに『肖像画はいかがですか』と営業して回るのが仕事。
ある日、美人の客のスケッチを描いたことから美人から電話番号を渡され『うちに来て油絵を描いてちょうだい』と言われる。
美人との関係はそれだけだったが、グイドを追う警察に美人が聴取される。
日本式キモノを羽織って余裕たっぷりに警察の事情聴取を受ける美人役はタマラ・リーズという女優。
ほほ骨が高く、凹凸豊かなゴージャスな美人だ。
グイドは、船で密航しようと、船頭のところへ行く。
スパゲッテイを動物のように食い、家族ともどもいぎたなく笑う船頭はどう見てもまともな人間ではない。
費用600万リラという法外な料金を請求する。
一度断るが、切羽詰まって港にやってきたグイドに『600万なんて言ってねえよな、800万って言ったよな』とおちょくった挙句、仲間と一緒にグイドを絞め殺す。
悪辣さにみじんも救いのない船頭一家の描写には、地獄のような非人間性が描かれる。
これも裏街道の現実。
「無法者の掟」と比べて、散漫な印象はなく、カチッとまとまった作品。
映画監督として『上手になっている』ジェルミの姿が確認できる。

様々な現実的結末を犯罪者は迎えてゆく中で、グループ唯一の10代であるアルベルトがいる。
分け前にも固執せず、グイドに『連れてって』と懇願するも放っておかれる。
諦めて実家へ帰るとそこには警察が。
窓から脱出して壁に貼りつくが、母親の説得で戻り、連行されてゆく。
人間的な結末である。
母親はアンナ・マニヤーニのような猛烈なイタリア母ではなく、聖母のように良識的であった。
ここで、ラストシーンについて考えた。
『壁に貼りつくアルベルトに、イタリアの母親が叫び、自分も窓から飛び出そうとする。慌てて息子が壁から部屋に戻ってくる。』ではどうだったか?
コメデイになっちゃうか。

6月はアンズのシーズンです。
信州の夏の収穫が始まる季節です。
アンズを求めて、量り売りが行われる松代の選果場へ向かいました。
上田の真田地区を抜け、地蔵峠を越えると松代です。
今は長野市に吸収合併された松代町は、戦争時代の大本営掘削から戦後の群発地震で勇名をはせました。
古くは真田家が治めた場所として名をとどめています。
関ケ原の合戦を前に、真田幸村と親父が西軍につき、兄の信之が東軍についたのですが、信濃の弱小大名としてはやむを得ぬ戦略的対処だったのが、その後流された幸村が大坂の陣で名を上げたが討ち死に、断絶。
対して徳川方についたおかげで信之の家系は今も続いており、松代の名家となっているのです。

松代城、真田家の家宝を展示した博物館、武家屋敷、大本営跡、天皇御座所跡、松代温泉など見どころの多い松代ですが、6月のアンズ、秋の長芋など名物の産地でもあります。
カンカン照りのある日、10時ころに選果場につくと、アンズの量り売りコーナーはすでに人だかりがしていました。折角来たのだからと遠慮なくビニール袋をもって人だかりに割り込みます。
そこには先客が選んだ残りしかありませんでしたが、それでもチョイスしていると、新しいB品がどんどん運ばれてきます。
そこに群がる人々・・・、と言いたいところですが手を伸ばすのは我他には一人程がいるばかり。
さすが信州人の遠慮深さ。
秩序ある方々は人を押しのけて奪い合うなどというはしたないことはしないのです。
おかげで、山小舎おじさんは満足するまでアンズをチョイスし、満杯までビニール袋を詰めることができました。
4キロでした。



目的を果たしたので、あとは昼食まで町の探索です。
久しぶりに、NPO松代まち歩きセンターに寄ってみることにします。
ここにいるミタさんというおじさんから、松代温泉やまちの食堂、旧飲み屋街の場所、アンズの仕入れ場所、皆神山のことまで、それこそ松代の楽しみ方の情報をもらったことがあったのです。
いるかどうかのぞいてみます。
ミタさんはいました。
パソコンに向かって作業していましたが、気にせずしゃべりかけると椅子を立って相手をしてくれます。
いつもながら雑談を交わしていると、『NPO仲間で今日オープンするカフェがあるからぜひ寄ってくれ』ということで、ランチは駅前の「おむすびカフェ」で、となりました。
センターでのお土産は松代高校が開発したレトルトカレーです。
こういったところに並んでいいるお土産物も、知っている人からストーリーを聞くことで、購買のきっかけとなるのです。
ミタさんのトークがなければ買っていませんから。
日頃から、結論が出ない問題でもある、『地域の町おこし』を考え、日々実行しているミタさんは貴重な存在として松代になくてはならない人です。

カフェに行く前に、松代に来れば寄る地元のスーパー現金屋に行きます。
小粒なネクタリンなどを買いました。
何せ安いのです。


その向かいには、つたやという菓子店があります。
和菓子から洋菓子、パンまでそろう地元の人気店です。
ミタさんの話だと、店が繁盛し若い職人たちがたくさんおり、商品を開発しているとのこと。
その話を聞いて、商品ケースを眺めると、なるほど美味しそうで元気のあるケーキがたくさん並んでいるではないですか。
今回はおやきとお供えのどら焼きを買いましたが、次回は洋菓子もいいと思いました。


地図を見つつ、松代駅を目指します。
長電・松代駅はすでに廃線となり駅舎だけが残っています。
線路跡は広大な未舗装の無料駐車場になっています。
駅前にはかすかに街の名残が匂い、ラーメン屋の看板などが残っています。




カフェに入り、『ミタさんの紹介で来ました』というと『NPOはあの人のおかげでもっている』と反応がありました。ソーキそばはダシが美味しく、具材のラフテーの味付けも絶品でした。
見かけより満腹となりました。
『松代駅の駅舎は維持費もかかるので今年中に解体される』との話でした。


長電松代駅前の風景を見ることができた松代の旅でした。
アンズは帰ってから早速加工しました。

伊那市にあるレトロな映画館に「鹿の國」を見に行きながら、いつもの伊那の町を味わってきました。

この日は夏至前の6月中旬とは思えないカンカン照り。
冷房の効かない軽トラのコックピットもボイラーのようです。
何十回とたどった杖突峠を越えて伊那に向かいます。
杖突街道を下り、高遠の町に至ります。
町はずれにある直売所によってみます。
季節ごとに、知っている直売所に顔を出し、地場の産品を眺めるのが好きなのです。
高遠の直売所は小規模ですが、近所の農家の野菜が魅力です。
秋にはマツタケなども並びます。
この日目がいったのは、『撒くだけで根の張りが違う』と手書きのPOPで人を誘う?液肥でした。
試しに買ってみるか?と1本手に取ります。

店内を一巡すると、今時では珍しくお米の5キロ袋が目に入りました。
店番のおばさんに聞くと『高遠は長谷村の方からの水と、藤沢の方からの水が合流するの。美味しいので有名なお米ができる。毎日30キロ精米して持ってくる。』とのこと。
業者がいて、地元の米を集め、都度精米して直売所におろしているのです。
ゼロ磁場で有名な分杭峠から長谷村を経由する水系と、杖突峠から藤沢集落を経た水系が合流する高遠で育った米とのこと。
中央構造線地帯で育ったお米です。
5キロ3000円と値段も手ごろ、入手します。


それから伊那へ急ぎ、旭座で鹿の國」を見ます。
終映は12:30分、カンカン照りの市内に出ます。
歩いていると餅屋さんがありました。
一度か二度買ったことがあります。
メニューは減っていましたが営業は続いていました。
線路をまたいだ昭和の古民家風の食堂のことを聞きましたが、経営者の高齢で廃業したとのことです。


そのまま味のありすぎる裏道を歩いていると、今日のランチどころ「門」の裏口に出ました。
メニューを確かめて入店。
ほぼ満席の来客です。
高齢のママさんも元気な様子。
前回食べたソースカツ丼が忘れられず、再度注文。
前回は、飛込の客と見破られたのか、運んでくれた叔母さんが『丼の皿を使って食べるといいですよ』とレクチャーしてくれましたっけ。
分厚いソースカツ丼を伊那で食べるうれしさを堪能します。
「門」のソースは少ししょっぱい気がしました。
一巡した客も去り、食べ終わるころには空席が目立つのも信州の、田舎の食堂らしさです。




表のアーケードに出ると古本屋さんが目に入りました。
入ってみると店の規模の割に品ぞろえがいいようです。
映画の本を買い、店主と雑談します。
『映画は好きですが、時間がなく旭座には行ったことがありません。古い映画館を回っている人が旭座にも来るようです』とのこと。
「鹿の國」を見た話をすると関心を示していました。

まだまだ早い時間帯ですが帰途に着きます。帰りのルートは、伊那市から北上して辰野を通り、塩尻に入ったところで峠越え、20号線の塩尻峠の道に合流し、和田峠から姫木へ向かいます。
途中いつもの、南箕輪村の「ファーマーズあじーな」という直売所によってみます。
加工用のいちごの大箱を仕入れるのは毎年ここでです。
いちごのシーズンは終わっていました。
ジュゼッペ・デ・サンティス
1917年生まれ。
長じてチネチッタ付属の映画実験センター・監督科を卒業し、ビスコンテイらが集っていた雑誌「チネマ」同人となり、映画批評に健筆をふるう。
ヴィスコンテイ処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に共同脚本として参加。
マルキシズムの影響を受け、共産党の出資で撮った「荒野の抱擁」(1948年)で監督デヴュー。
以降「にがい米」(49年)、「オリーヴの下に平和はない」(50年)とネオレアリスモ史上に残るの重要な作品を発表する。
シルバーナ・マンガーノ、ルチア・ボゼーといったイタリア映画史に残る、美人でグラマーな女優のデヴュー作を撮ったのも、この監督の功績である。
「にがい米」 1949年 ジュゼッペ・デ・サンティス監督 イタリア
後の大プロデユーサーーのディノ・デ・ラウレンティスの製作第一作、シルバーナ・マンガーノの映画初出演、監督ジュゼッペ・デ・サンテイスの第二作。
のちにイタリア映画界を国際的にも引っ張ってゆく才能(特にラウレンテイスとマンガーノ)が揃った作品。
まさにイタリア映画戦後世代の台頭のムーブメントであった。

題材はイタリア社会の貧しさ、それを表現する素材には戦後世代のエネルギーを象徴するような18歳のシルバーナ・マンガーノを抜擢。
この時点で、この映画は、貧しくもつつましやかな庶民の姿を、いわゆる正攻法ではなく、無知で享楽的な若さと肉体をもって描こうとしていることがわかる。

スカートをまくり上げて、蓄音機をならしながら広場で一人踊る18歳のマンガーノ。
ガムをかみながら出稼ぎ仕事を要領よくこなし、田植えになるとぴちぴちのショートパンツに膝上までのハイソックス。
宿舎では黒いスリップ姿で胸元を晒し、太ももから腋毛まで見せる。
圧倒的な肉体の存在感。
単なる若さの披歴でも、過剰なセックスアピールでもなく、すでに唯一無二の存在感をまとった新人女優である。
腰のあたりの太さが昔風なのもいい。

旧来の価値観にとらわれるわけでもなく、階級闘争にも無縁の存在であるマンガーノは、目先の物欲に支配され、ひたすら貧しさからの脱却(男にすがっての)を望む、戦後のアプレゲールな存在。
若くて勢いのある彼女は出稼ぎ集団のシンボル的存在として一目置かれている。
心ならずも貧しい出稼ぎ労働者の群れにいることに内心の焦燥感を抱いている。
その反動で、物質的な自己実現に固執してもいる。
彼女に絡むのは、犯罪者の男(ヴィットリオ・ガスマン)と、彼にそそのかされて身を持ち崩し、田植え労働者の群れに身を隠している女(ドリス・ダウリング)、先の戦争から10年間の兵役に疲れた軍曹で、若く肉感的なマンガーノが忘れられない男(ラフ・バローネ)。
それぞれが救いようのない悪だったり、悪を反省して更生しようとする人間の良心だったりするのだが、その登場人物たちが三角関係のように絡み合う。

サッカー場のように広い水田に並んでの田植え、田んぼで泥だらけになっての労働者同士の喧嘩、雨の中で箕のような雨具を被っての田植え、用水路の堰を破られ田圃に水があふれたときの右往左往。
契約労働者と未組織労働者の対立と和解。
前近代的な雇い主側への素朴な抵抗。
彼女たちに野卑な声をかける村の男たち。
宿舎の納屋で藁をカバーに詰めた寝具の上でスリップ一丁で過ごす女達。
風呂もシャワーもなく水路で水浴びする生活環境。

デ・サンテイス監督の狙いはそのあたりのシーンに表われているのだろうが、デ・ラウレンテイスプロヂューサーの狙いは、マンガーノの胸と太腿にあった。
そしてその狙いは世界中のヒットとなって的中した。
ラウレンテイスはその後、「道」(54年)、「カビリアの夜」(57年)、「天地創造」(66年)、「キングコング}(76年)などで大プロデユーサーとなり、マンガーノ(ラウレンテイスと49年に結婚)は、夫君の製作作品のほか、ヴィスコンテイやパゾリーニ作品の常連として活躍した。
「にがい米」はこの二人にとっての記念すべき第一作なのだった。


「オリーヴの下に平和はない」 1950年 ジュゼッペ・デ・サンティス監督 イタリア
デ・サンテイス監督の第三作、美人コンテスト優勝者のルチア・ボゼー映画初出演。
イタリア郡部の貧しい現実を素材にしたドラマ。
戦後まだ5年という製作時期がより生々しい現実感を生んでいるのは「にがい米」と同様。
舞台はチョッチャリア地方という山岳地帯。
第二次大戦の激戦地・カッシーナに近いという。
村民は羊と山羊を放牧して暮す。
家畜の数がそのまま財の多寡を示す、前近代的な社会だ。
そこでは悪辣な手段によっても、家畜を増やすボスが支配する社会でもあった。
同地方出身のデ・サンテイス監督が実話をもとにしての作品だという。

兵役3年、収容所3年を経て帰ってきた28歳のフランチェスコ(ラフ・バローネ)が主人公。
帰ってきたら羊がボスに盗まれている。
ルチア(ルチア・ボゼー)という恋人がいるが、ボスに気に入られ婚約することになり、フランチェスコとの交際を家族に禁じられている。
フランチェスコは羊を奪い返し、ルチアとともに村を離れる決心をするが、悪辣なボスに裁判に訴えられる。
フランチェスコに有利な証言をした村民は、家畜に毒を盛られたり、家に放火されたりする。
頼みのルチアまでが家族が復讐されることを心配して偽証する。
フランチェスコは有罪となり投獄される。
一方、羊を奪い返した際に逃げ遅れてボスに強姦されたフランチェスコスコの妹マリアは、ボスが忘れられずに密会を続ける。
ボスとルチアの結婚式にも現れる。
ボスの母親は息子とマリアの顛末を知り、結婚するのはこの二人だと断ずる。
ルチアは結婚指輪を外してその場を去る。
復讐の念に燃えたフランチェスコスコは脱獄してボスを狙う。
それを知ったルチアはフランチェスコスコのもとに駆け付ける。
なかなか受け入れないフランチェスコスコだったが、やがて二人は結ばれ行動を共にする。
警官隊の山狩りが迫り、ボスがフランチェスコスコの復讐に恐れおののき、村民たちがボスの悪辣さに反旗を翻し、と状況が切迫する。
果たしてフランチェスコスコとルチアの運命やいかに?

「にがい米」のマンガーノ同様、デヴュー作の役名ルチアが芸名と同じというヒロイン、ルチア・ボゼーは前半は無理解な両親と、嫌悪感しかないボスの間でひたすら無表情の演技。
家族を捨てフランチェスコスコのもとに駆け付ける決心をしてからは表情が一変。
オリーヴ摘みの女達の中心でスカートをまくり上げて踊りを披露して警官隊の注意をそらす。
フランチェスコと再会してからは、決然とした女の表情と立ち姿を見せ、行動的なヒロインに変身。
その顔つきと突き出た胸は「ならず者」(1943年 ハワード・ヒューズ監督)でデヴューしたアメリカ人女優、ジェーン・ラッセルを彷彿とさせた。

ルチアがボスとの結婚をすんでのところで回避できたのは、ボスの母親の行動からだった。
「ベリッシマ」のアンナ・マニヤーニもすごかったが、イタリアのおっ母の存在感!がここでも炸裂。
たとえ悪辣な息子のマンマであっても、カソリックの信仰が最優先するのがイタリア。
先にマリアを強姦していたことを知ったマンマはボスに黙ってビンタを張り、「結婚相手はマリアだよ。ルチアは関係ない」と結婚式を強制終了させ、結婚そのものを再起動させる。
最初に手を付けた女性を妻としてめとらなければならない、という当時のカソリックの大原則は絶対であった。
離婚ができないのも同様。
そしてイタリア男はマンマの言うことを終生、最大限に尊重しなければならないのもイタリア人の基本の基だった。フランチェスコに「奴はキリスト教徒ではない、凶暴な犬だ」と断じられたボスも、最小限のカソリック教徒であり、イタリア人だったのだ。

「揺れる大地」の漁民が、資本家たる網元の支配に抵抗し、いったん挫折した後も団結を尊重するように、本作における放牧を生業とする村民たちのドラマでも、団結による勝利が高らかに謳われる。
辛辣な現実描写と階級闘争による勝利を謳った本作だが、デ・サンテイス監督の手腕は「にがい米」同様、スペクタクルな場面でも存分に発揮される。
脱獄したフランチェスコが家に閉じこもったボスに向かって声をかける場面など、反響効果を利かせたセリフ、悪漢を追いつめるヒーローのクールさ、そもそもが悪漢に対し我慢に我慢を重ねた末の反撃というドラマ構成。
グラマーでヒーローにぴったりくっついたヒロインも存在。
これはイタリア映画の体臭でもあり、そのまま後年のマカロニウエスタンで再現された呼吸でもあった。
ネオレアリスモは元祖マカロニだったようだ。

「ローマ11時」 1952年 ジュゼッペ・デ・サンテイス監督 イタリア
戦後7年目を迎えたイタリア。
戦中戦後の混乱期は過ぎたものの、戦争に起因する貧困と格差は埋まらないまま、不況の世相が続いていた。
経済のパイが広がらず、循環も滞ったまま、限られた正業に失業者の群れが殺到する。
これは、1951年1月にローマで起こった実話をもとに、関係者に取材して作られたドラマである。
新聞に載った募集広告。
『美人タイピスト1名募集』。
広告主はボロアパートの1室で事務所を開く会計士。
そこへ応募の女性が200人ほども押し寄せる。

戦後のすさんだ空気が残る街、失業中の女性たちは10リラの屋台の焼き栗でさえ買うのを躊躇する。
しかし、並び始める女性の一人にウインクしてバスを次々に見送り、名前と住所をせがむ水兵がいる。
メイドの身分から解き放たれようとタイピストに応募する少女に手を出す男がいる。
ここはイタリア。
男はもちろんイカレているが、女達もどこかのんびりしていて、切迫感より人間味が先行している。
ボロアパートの門を『開けろ、開けない』でのひと悶着もイタリア的。
応募した女たちの、袖すり合うも他生の縁的な井戸端会議的コミュニケーションぶりも面白い。
もちろん、だしぬけの横入りや、騒音に抗議するアパートの住人達に対する抗議のドタバタぶりはイタリア映画のお約束。
大騒ぎして、自分だけでも就職しようとする女達は失業者とは思えないほど元気だ。
夫も失業中で、この中では一番切羽詰まった感じの女が、抜け駆けして面接室に入ったことから他の女たちが騒ぎ出し、手摺が壊れて階段が崩落する。
一人が結局死に、ほとんどが救急車で病院に連れていかれる。
病院では入院費1日3700リラが自費だと聞き、勝手に退院してゆく女達。
マスコミが病室に乱入し、ベッドに腰を掛けて全員にインタヴュー。
得意の歌を披露する娘もいる。
本当にこんなんだったのか?イタリア的すぎないか?
責任所在の捜査のため、警察が集めた関係者。
アパートの大家、住人、タイピストの募集主、アパートの設計者、それぞれが勝手に責任逃れの言い訳をわめく。
その中で、列を抜け駆けした女が責任感から泣き崩れる。
死んだ女とは階段で並ぶうちに知り合ったばかり、彼女が水兵と住所を交わしていたことも知っていたのだった。
警察による責任者の追及は結局なかったが、貧困の現実は変わらない。
壊れたアパートの門の前で再び並び始める娘がいるのだった。

映画が描きたかったのは、戦後数年を経てなおイタリアの貧困の現実。
そしてその責任が個人にはないこと。
応募した女達には、田舎からもう戻らない覚悟で出てきた娘、金持ちの育ちながら貧乏絵描きと愛し合う娘、スラムに住む売春婦、上司と不倫の末妊娠して前職を辞した女らがいる。
映画の後半は彼女らの現状と行く末を描いてゆく。
デ・サンテイスの彼女らに対する視線には温かさががある。
彼女らは逞しく、ユーモラスでさえある。
俳優の動きを捉えるカメラは移動撮影を多用し、状況全体を流れるようにとらえる。
縦の構図で、画面の奥で芝居させるカットもある。
階段崩落のアクション?シーンも真に迫っている。
女優たちのお色気にも手を抜かない。
脚本には、デ・シーカ作品で有名なネオレアリスモの中心人物のチェザーレ・ザヴァッテイーニを起用。
デ・サンテイスの映画作りは、準備段階から俳優の選択、撮影技法に至るまで、いつもながら本格的だった。

特に女優たちの存在感、演技は印象深い。
「オリーヴの下に平和はない」でデヴューしたルチア・ボゼーは貧乏画家と同棲する金持ち娘。
事故が新聞沙汰となり家族が迎えに来るが、途中で車を降りて画家の元へ戻る。
夫婦で失業中の妻はタイプに自信があり、どうしても就職したいことから割り込んで顰蹙を買い、事故の原因を作った、その後罪悪感にさいなまれる。
この幸薄い美人妻を演ずるのはカルラ・デル・ボッジョという女優。
逞しい売春婦で、戦後を色濃く引きずるスラム街に住み、お客?同伴でタイピストに募集するのはレア・バドヴァーニ。
スラムを見たお客?は去っていった。
彼女はこの後、更生できるかどうかはわからないが、たくましく人生を生き抜いてゆくことは確かだ。
