秋の山小舎

2026年も10月中旬から下旬を迎えようとしています。
山小舎にも空きが訪れました。

紅葉に囲まれた山小屋

樹々が紅葉しはじめ、ミズナラやドングリの葉が落葉しています。
山小舎の玄関先には落ちたばかりの葉が拭き寄せられます。

姫木構内の風景

陽が追落ちると気温が急激に下がり、暖房なしでは過ごせません。
植物の旺盛な活動の季節は終わりましたが、相変わらず鹿たちは毎日山小舎の周りを周回して、庭先にふんをまき散らしてゆきます。
これからはエサ漁りに厳しい季節となります。

山小舎周辺の景色

白樺湖周辺は1年で一番美しい時期を迎えました。
霧や雲に覆われていることが多い蓼科山も、すっきりとした全容を見せています。

蓼科山
白樺湖

軽トラ流れ旅’26 須坂が拠点だ、米子瀑布(登山口)と長電の旅

米子渓谷

長野市の北東に位置する須坂市のさらに東方に、米子大瀑布という場所があります。
日本の滝百選に選ばれ、秋の紅葉で名所となっています。
車道の終点から、徒歩で滝の見える地点まで行けるそうです。
途中にはかつて硫黄鉱山として栄えた跡地があります。

米子瀑布のマップ

数年前から行ってみたかった米子の瀑布。
小布施で葡萄を手配した帰りに寄ってみました。

硫黄鉱山の写真

須坂の市街地から、米子瀑布へと登る林道の入口に着きます。
麓の集落の神社や、傘を被ったお地蔵さんを見ると、このあたりの歴史の深さを感じます。
思っていた観光地とは一味違うようです。

麓の集落にあったお地蔵さん
山道に分け入ってゆく

林道は延々と12キロの山道を登ってゆきます。
対向車はほとんどありません。
道幅は狭く、路面状況も必ずしも良好ではありません。
ようやっと登山口の駐車場に着きました。
ほぼ満車でした。

12キロの山道
突き当りの駐車場

三世代のファミリーが車から降りて登山道に入ってゆきます。
県外ナンバーの車に登山の装備をした夫婦が下りてきました。
登り口からの眺望や見通しはありません、山道へ入ってゆく登山道があるだけです。

登山道入口

これではちょっとの散歩で滝を見られたり、廃鉱跡地に行けるわけではなさそうです。
今回は下見ということで、ここまでとし、瀑布への山歩きは出直しになりそうです。

百名滝の名勝地、硫黄鉱山跡地の景観、修験道としての仏閣など、米子大瀑布の見どころはたくさんありそうです。一周3キロの山道。
約2時間の行程といいますから、私にとっては3時間ほどのハイキングとなりそうです。
来年の季節のいいころに再訪したいと思いました。

長野電鉄

長野電鉄、通称長電(長電)は、第三セクターではない純粋の私鉄として県内最大の規模を誇ります。
長野市を中心に、須坂、小布施、中野、湯田中温泉などを結びます。
一度、権堂駅から長野駅までの地下路線を乗ったことがありましたが、本格的な乗車はありません。
この日は時間があったので、須坂駅へ向かい、湯田中方面行きの列車に乗ってみようと思いました。

駅で時刻表で中野行きの時刻を確かめ、昼飯を求めて駅前のイオンへ。
弁当を買い求めて加温し、それをもって駅の待合室へ。
ここでランチです。

長電須坂駅前
駅改札口
ランチはイオンののり弁

中野行きの普通列車に乗り込みました。
須坂駅は車両の車庫がある広い構内を持つ駅ではありますが、休日の午後のこの時間のホームは閑散としています。
車両は、小田急などのおさがりが多いようで、いろんなタイプの車両が通過してゆきます。

須坂から中野への切符
ホームから見る車庫
中野行き普通列車が到着

車内は高校生や、技能実習生のアジア女性、インバウンドの白人などの乗客でした。
列車は北信の田園風景の中、小布施などを経て終点の中の駅に着きました。
帰りの列車まで、一時間ほど中野の街をぶらつくことにします。

車内
中野駅に到着
中野駅駅ビル

駅前にルートインホテルが建ち、ロータリーにはたまに乗用車が着くくらいで閑散としている中野駅周辺。
国道のロードサイドは外食チェーン店などが並んでいる中野を知っているだけに、市街地の寂しさはひとしおです。

駅前の彫像

営業中の食堂や、閉まった商店、ちょっとした飲み屋街などを見て歩くと時間が過ぎました。
駅前に出店しているベトナム料理店だけが、同胞の来客で賑わっていました。

駅前のラーメン屋は閉まっていた
飲み屋街のスナック
飲み屋街の雑居ビル
中野出身のベイスターズ牧選手

上り列車で須坂に戻り、駐車場に止めていた軽トラに乗り込みました。
夕方近くなった須坂駅前は、部活動?から戻った高校生を迎える自家用車で賑わっていました。

ラピュタ阿佐ヶ谷で森崎東の「女生きてます」「女売り出します」


「喜劇 女生きてます」   1971年  森崎東監督   松竹(ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリフィルム上映) 

ラピュタでの「森繁力」という特集上映での1作。
この作品のトップクレジットは森繁久彌だが、抑えた演技。
すきあれば浮気を企む東宝「社長シリーズ」のようなねちっこさはなく、また女に頼る男の弱さを強調した「夫婦善哉」(55年 豊田四郎監督)や「如何なる星のもとに」(62年 同)のような、スネたりヒネたりした演技でもなく、その両者がほどほど発揮された、年齢相応な控えめな演技だ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

この作品の主演は森繁の妻で、新宿芸能社なるお座敷ストリッパー派遣会社を仕切る『かあさん』であり、そこへ流れつく女の子たちである。
タイトル通りに『女』が主役なのである。

ロビーに掲示されたプレスシート

今回(「女シリーズ」第二作)の『かあさん』は左幸子。
森繁との共演で思い出すのは「青べか物語」(62年 川島雄三監督)。
当時は漁村だった浦安に移り住んだ小説家(山本周五郎自身がモデル)に絡む地元の芸者を演じ、勝手に森繁の下宿に乗り込みどんちゃん騒ぎをする、無遠慮な破壊力を炸裂させた演技に圧倒されたものだ。
本作でも、その行動力、破壊力、人間力がますます発揮される。

プレスシートより

芸者の置屋を現代風にして、場末風にし、庶民的にしたのが映画の舞台・新宿芸能社。
常に2、3人の女の子が暮らし、雑用をこなしながら、父さん、母さんを含めた全員で食事をし(昼ごはんのソーメンは一つのザルに銘々が.箸を突っ込んでの昭和の食事風景)、お座敷がかかれば出かける。
父さんは暇さえあれば近所のトルコ風呂(スチームバスとマッサージの)に出かける。
女の子は、相思相愛(と思い込んだ)男と結婚しては破れて出戻ってきたり、訳アリの子が流れ着いてきたり。

女の子本人を家族のように面倒を見たり、ヤクザを前に体を張って女の子と家を守るのが、左幸子扮するかあさん。外出から帰ると、休む間もなく、カツラを取り、つけまつげをむしり取って着替えては、女の子に指示を出し、芸能社の収支を気にする。
こわもてにはからきし弱いが、女の子の人生を見越して、人生訓を垂れるのが森繁扮する父さん。
夫婦の役割が決まっている。

新宿芸能社に流れ着き、売れっ子として家を支えるのが、大映で活躍した安田道代扮する好子。
安田はこの時20代中盤だが、日本映画の衰退の時代に汚れ役を厭わず大映を支え続け、実生活では若山富三郎の愛人だったこともある。
安田道代の全盛期が見られるのはうれしかった。

安田道代

他に、独立の資金稼ぎに応募してきた短大生(吉田日出子)や、母さんがバックレた女の子を追って大坂に向かった際に知り合い、母さんの名刺を頼って上京してきた頭の弱いポチと呼ばれる10代の子(久万里由香)が登場して、てんやわんやのエピソードを繰り広げる。

好子には訳アリの男・梅本(橋本功)がいる。
定職につかず、酒癖が悪く、暴力によってしか意思表示ができない社会不適合者なのだが、養護施設出身の二人には、お互いが唯一の社会での味方であり、離れられない。
好子は梅本をまっとうにしようと、母さんに借金して小料理屋を開いたり、男が反省して割烹の下働きに出たりするが、必ず梅本の短気と不器用さとこらえ性のなさでぶち壊すことになる。

この二人の存在は「男はつらいよ」の寅とさくらのハード版であり、森崎東によって現実的に解釈された、愚兄賢妹である。
橋本功扮する梅本は、寅さんから愛嬌と、訳知り顔の人生訓を取り去り、不器用そのものの一途さと暴力性を前面に押し出した姿である(寅さんも最初のころは森川信のおいちゃんと、言いがかりのようなド突きあいを繰り返していた)。

プレスシートより

梅本は好子のお座敷ストリップの現場に乱入しての一度目と、自分のもとを去った好子が母さんのもとに身を隠したと邪推して新宿芸能社に乗り込んでの二度目の大暴れをする。
特に二度目は、芸能社のセット全体を破壊する大暴れで、暴力でしか自分を表現できない人間の悲しさを全身で表していた。
暴れ終った梅本に対し『気が済んだか!好子の前借と家の修理代はあとでお前に請求するからな!』と啖呵を切る左幸子が凄かった(この間、森繁は物陰に隠れている)。

どうなろうと、唯一お互いを信じられる存在の梅本と好子。
刑期明けの梅本を好子が迎える。
仰りの移動撮影の画面を二人がカメラに向かって歩く。
梅本からまさかの「インターナショナル」の一節が漏れる、『立て飢えたるものよ』と。
これは、森崎東の梅本と好子の究極の底辺カップルへのエールなのか。

あるいは、この次に出てくる、『ねんねこに赤ん坊を背負った妻が、服役中の夫に面接しようと刑務所の扉を潜ってゆく』ラストカットにこそ、森崎の弱者への思いが凝縮されているのか。

特集パンフより

映画に使われた「インターナショナル」には意表を突かれたが、「1900年」(76年 ベルナルド・ベルトルッチ監督)での一場面を思い出した。
ファシスト党勃興前夜のイタリアの田舎の駅のプラットホームで、反対勢力の村民が赤旗を翻す中、初老の男がニコニコとアコーデイオンで奏でた牧歌的な「インターナショナル」だった。

「喜劇 女売り出します」   1972年   森崎東監督  松竹(ラピュタ阿佐ヶ谷・アーカイブ所蔵35ミリ上映)

シリーズ第三作。

今回上映されたプリント、第二作「女生きてます」が、昭和の名画座を思い出すほどの傷み具合で、開巻とラスト近くのポチのエピソードがすっぽり切れていた。
更に「女売り出します」はフィルムアーカイブ所蔵作品だった!
72年の、松竹のエース監督の一人だった森崎東作品の上映プリントも会社の倉庫にないのか、松竹。

シネマヴェーラで見た「あこがれ」(66年 恩地日出夫監督)と「めぐりあい」(68年 同)の、退色した、とぎれとぎれのプリントを思い出す。
東宝と松竹がこれでいいのか?
投資の甲斐があるシネコン事業など以外には渋ちんなのか、目が文化資産としての映画ソフトの保存と活用には向いていないのか。
この日の上映が満席だったのは、この作品の上映機会が少ないからだったからなのだろう。

藤原審爾の「わが国おんな三割安」が原作の森崎東の「女シリーズ」。
シリーズを貫くのは、女の逞しさとかわいらしさ、男のだらしなさと純粋さ。
弱者には決してやさしくはない社会の現実と、その社会が持つ人間味。
それは監督の森崎の視線である。

本作の「母さん」は市原悦子。
左幸子と比べると破壊力の差は一目瞭然。
ただ第一作と四作目の「かあさん」が中村メイコであることを考えると、森崎の母さん像はかわいらしさに比重を持つもので、市原悦子に近いのかもしれない。

新宿芸能社に出入りするゲスト女優は、夏純子。
クレジットには(日活)と出る。
まだ5社体制だった最後の時代の映画だったことがわかる。

前作の安田道代と橋本功の底辺カップルよろしく、夏純子の相手役はスリ集団の半端者・米倉斉加年。
ヤクザには見えなくて、きれいごとに納めたがる松竹らしいキャステイイグ?と思ったが、この役は戦災孤児の過去を持ち、やむなく底辺で生き、夏純子には純情をささげる人物なので、演技力のある米倉で結果的にはよかったかと。

更に驚きのキャステイングは岡本茉莉。
寅さんシリースで旅先で寅さんが巡り合う旅芸人一座の若手女優役で、団長の吉田義男とともに『車先生!』と寅に声をかけ、巡業のトラックに乗せたりする、あの女の子である。
昭和時代の田舎の純情娘を体現した岡本茉莉が、山形から出てきて売春宿に住まわされており、夏純子に財布をすられたことからストーリーに重要な役で絡んでくる。

この作品、ほかのシーンでバックに「男はつらいよ」のテーマ音楽が流れたり、この岡本茉莉を都会で騙される娘役でキャステイングしたりと、山田洋次の”きれいごと主義”を揶揄しているように見える。
「男はつらいよ」のヒットで外野が何も言えなくなりつつあったこの時期の山田洋次に対し、同じ松竹の監督から、決してエールとはいえぬメッセージが発せられていたのである。

夏純子と米倉は、岡本茉莉を助けようと、売春宿から救い出す。
組織から落とし前のリンチを受ける米倉。
スリの命の右手を潰されるが、助けに来た夏純子に『俺は左利きなんだ』とうめきながら応える。
凄惨なムードを一変するこのオチには、森崎とその所属する松竹の伝統的なユーモア精神である。

ラストシーンは東京の街頭を颯爽と歩く岡本茉莉のカット。
他人に騙されるフェーズは脱したが、これからは一人の判断で都会を生き抜く、たとえそれが女の売り物で勝負する体一つの商売であっても。
といわんばかりの彼女の覚悟が現れたラストシーン。
森崎の彼女に対するエールでもあり、突き放しでもある。
いつまでも旅芸人一座の町娘役でトラックの荷台で揺られながら田舎周りをやっているよりは、よほど現実的で建設的な姿ではないのか、と。

特集パンフより

神保町シアターで吉田喜重の「日本脱出」

「日本脱出」   1963年  吉田喜重監督    松竹   神保町シアター(35ミリフィルム上映)

監督・脚本:吉田喜重  撮影:成島東一郎
出演:鈴木やすし、桑野みゆき、待田京介、内田良平、市原悦子

吉田喜重は、1955年松竹に助監督として入社。
同期に田村孟、石堂俶朗、一期先輩に大島渚、山田洋次、二期先輩には高橋治、篠田正浩がいた。
主に木下恵介に付く。

60年「ろくでなし」で監督デヴュー。
64年の「日本脱出」まで6本を松竹で撮る。
その間に撮った「秋津温泉」(62年)は、岡田茉莉子が映画出演100本記念映画として企画し、監督に吉田を指名してのものだった。
2人はのちに結婚する。

松竹退社後は、中日映画製作、日活配給で「水で書かれた物語」(65年)、岡田茉莉子とともに興した独立プロ・現代映画社製作、松竹配給で「女のみずうみ」(66年)など4本を、ATG配給で「さらば夏の光」(68年)を撮る。

69年ATG配給の「エロス+虐殺」からはいよいよ吉田の本質が炸裂する映画作りに邁進。
「煉獄エロイカ」(70年)、「告白的女優論」(71年)、「戒厳令」(73年)と代表作が続いた。

「世界の映画作家」奥付き

吉田のフィルモグラフィーを見ると、松竹時代、独立プロ・松竹(日活)配給時代、「エロス+虐殺」以降のATG配給時代と、数本ごとに局面が変っている。

今回神保町シアターで上映された「日本脱出」は、大島渚、篠田正浩などとともに『松竹ヌーベルバーグ』と呼ばれ、映画ジャーナリズムに注目されていた青年監督時代の作品で、松竹作品として撮られた最後の作品でもある。

例えば、大島渚の松竹時代の4作品(特に間の2本)の豊かさは、配役、セット、背景に色彩豊かに表れている。
それは、メジャーの映画撮影所で撮られた商業映画がもつ”映画らしさ”でもある。

大島が「青春残酷物語」(60年)でヒットを飛ばし、待望久しき松竹の若きエース監督に躍り出たのは、派手な仕掛けと自己顕示が好きで、実は撮影所システムとスター俳優が好きな大島の資質によることが大きかった。
独立プロ時代の長い雌伏を経て、「愛のコリーダ」(75年)以降、金のかかったA級作品で手腕を発揮できたのも、松竹というメジャーの撮影所で過ごした経験があったからだろう。

では、おなじく松竹で助監督時代を過ごし、監督として6作品を撮った吉田喜重はどうだったのか。

吉田の資質は大島とは違い、左翼でもなく、ジャーナリステイックな煽動家タイプでもない。
映画で何かを描こうという動機は、就職難時代にたまたま入社した松竹で職業として身に着けた映画製作の技術として身に着けたものから来ており、その目指すテーマは「エロス+虐殺」以降の難解な諸作品に表れたもので、映画作家としての体質は、湿潤で、女性的なものだった。

「ろくでなし」で監督デヴュー後、「秋津温泉」でヒットは飛ばしたものの、松竹が期待する商業映画の若きエース監督像には程遠かった吉田は、6本目の作品に小説家中村光男の「我が性の白書」の映画化を考えていた。
その吉田に松竹社長の城戸四郎が提案したのがアクション映画だったという。

「日本脱出」。桑野みゆきと鈴木やすし

「日本脱出」は、63年当時の日本が舞台。
ヤクザの舎弟として、歓楽街でフワフワしている若者(鈴木やすし)が、ヤクザが引き起こすトルコ風呂への強盗のアシに使われた挙句、追われる立場に。
ヤクザの女だったトルコ嬢(桑野みゆき)とともに、東京オリンピック前夜の米軍基地周辺をあてどもなく逃げ回る。
みじめで無学の若者の夢はアメリカへ行くというもの。
若者はトルコ嬢の友人のオンリー(坂本スミ子)のツテで密航を企てるが・・・。

作家の吉田には何の思い入れもなく描かれた登場人物たちの、みじめで情けなく、何の動機のも合理性もない衝動性。
アクション映画として、ストーリー展開を説明するカットをあえて省略した造り。
サスペンスの盛り上がりを描かず、ひたすら登場人物のダメさ加減と、ドタバタぶりが描かれる。
そこには映画的なカタルシスはない。

当時の人気のタレントだった鈴木やすしの素人っぽくも熱い演技と、「青春残酷物語」で純愛スターから脱皮した桑野みゆきの、板についてきた汚れ役も、それも含めて監督の吉田が冷静に客観視しおり、見ているこちらも感情移入できない。
それも吉田は想定済みなのだが。

桑野みゆき

成島東一郎の暗さをベースにした撮影。
鈴木をはじめ、待田京介、内田良平と男の登場人物がどれもこれも徹底したヘタレの設定。
半面、市原悦子扮する売春婦の実もふたもないような俗っぽい女の生命力。
坂本スミ子の生き生きとしたオンリーぶり。

主人公が、紛れ込んだ密航のコンテナは実は北朝鮮向けの荷であり、先客のバリバリ北朝鮮信奉者の左翼青年にへきえきしてコンテナから脱出するシーンには笑った。
わけもわからず逃亡を続ける主人公が、東京オリンピック聖火ランナーの中継車に紛れ込んで聖火ランナーを追走するシーンも、当時の国家事業たるオリンピックの風刺と考えると、思い切った設定ではある。

吉田の脚本は商業映画らしくサービス精神に富んでいて、これでもかとエピソードをぶち込んでくる。
各エピソードは、日本の浅薄な大衆文化や権力が先導するブームに対する、揶揄や批評精神にあふれている。
ただそれらが未整理で映画的カタルシスに不足していた。

「世界の映画作家」より

手許に往年の松竹女優・高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦・スター達と過ごした日々」がある。

「胡蝶奮戦」表紙

高千穂は吉田のデヴュー作「ろくでなし」で主人公・津川雅彦の相手役を務めた。
その時のことをこう述べている。

「胡蝶奮戦」より

『(本読みリハーサルが何度も繰り返されて)難しい言葉を混ぜながら、同じことをぐるぐる回って、なんだか理屈をこねまわしている感じで。
(中略)あのころは東大とか京大とかを出て監督さんになった人が多くて、理屈っぽいっていうか、表現の言葉が今までと違うんです。
(中略)松竹ヌーベルバーグと呼ばれて、マスコミには騒がれていましたけれど、私にはどうもわかりにくいところが多々ありました』(p207,208)

 

甲府の街中 点描

山小屋と自宅との行き来。
手段は自家用車のほかでは、高速バスか鉄道になります。

高速バスが安くて早くて便利ですが、山小舎おじさんは鉄道が好きです。
それも普通列車が。

自宅から山小舎へ普通列車で向かう場合は、先ずJR高尾駅に向かいます。
京王線で行くか、三鷹から中央線で行くかは其の時の気分で。

高尾からは毎時1本ほどの下り普通列車が出ています。
甲府行きの列車が多いです。
大月止まりも、小淵沢や松本行きもあります。

いずれにせよ甲府で降りて昼食を摂り、ゆっくり街を見て回るのがルーテイーンです。

昼食を食べる場所は、お気に入りの駅前通りの割烹店での信玄鶏のから揚げ定食のほか、駅近くのラーメン屋、街中の中華屋、弁当を買って駅前広場で食べるなど。
最近は駅裏を開拓しようと、駅近くの立食い蕎麦、ちょっと足を延ばして山梨大学の学生食堂や大学近くの中華屋にも行きました。

そうやって甲府の街をぶらぶらしている間に、街のデパートが閉店し、その建物が取り壊されたり、新しいマンションが建ちあがったり、場末のエリアに発見があったりしました。
甲府の街は県内最大の街であり、歴史も古いので、特に飲み屋街の店には味があるのです。
今回は改めて甲府の街の再発見をまとめました。

岡島デパート本店が立っていた場所は更地になった
岡島デパート2号店は営業中だが、上にマンション?が建っている
甲府の飲み屋街の名物は小路
こういう小路もある
小路はたくさんある
渋い飲み屋跡
スナックに貼られたPOP。ちょっと寄りたくなる
長野県で人気の富士アイスが甲府にあった!
山梨県庁。その自体に注目
県庁から城跡方面を望む

積丹の夕日 北海道墓参紀行

今年の墓参は9月末になりました。

毎年一度のお墓参りです。
結婚以来の40年間、家族同行で行っています。
実家があった間は、帰省を兼ねて、両親没後は道内旅行と親せきとの一席を兼ねて、行っています。

今年の旅程は三泊。
墓参と親せきとの一席の後、札幌で一泊。
二日目は、積丹半島の入舸(いりか)という集落にある民宿で一泊。
最後は支笏湖畔の丸駒温泉で一泊、となりました。

墓参を済ませ、叔母さんや従兄との再会の翌日、レンタカーで積丹半島を目指します。
余市までは高速道路で、その後は半島の東岸を走りました。
余市の観光スポットはともかく、夏のシーズンを終えた積丹半島から観光客の波は去っていました。

積丹の果てに立つバス停。運行はコミュニテイバスが1日1本のみ

民宿は海産物の夕餉で有名らしく、シーズン後のこの日もほぼ満室でした。
7月、8月は予約も困難なようで、夕食朝食の海産尽くしには、来たかいがあったと堪能しました。
禁漁期間に入ったウニの海水煮は味が濃厚でしたし、蝦夷アワビの踊り焼きや、煮魚、焼き魚など民宿の若いスタッフの意欲が詰まったような食卓でした。

民宿での夕餉。心づくしの海の幸が並ぶ
民宿の庭には干し魚が回る

夕食前のひと時、海岸道路に沿って入舸の漁港から隣の集落の漁港まで歩いてみました。
肌寒いくらいの気温でしたが、人気のない積丹半島の先端部の夏の跡の景色に、しみじみ心洗われる思いでした。

民宿から海岸沿いに散歩
海の安全を守る?お地蔵さん
かつての水産物荷捌き場あと
夕日に染まる積丹海岸
風雪に備えた神社
積丹半島の夕日

翌朝は民宿から車で5分ほどの、「日本の渚百選」にも選ばれたという、島武意海岸というところへ寄りました。
朝から観光バスでインバウンド客が乗りつけていました。

海岸へのトンネルをくぐる
海岸が眼前に広がる

3日目は積丹半島を西に向けて半周し、神恵内、岩内と回りました。
「飢餓海峡」前半の舞台にもなった岩内は初めてでしたが、思いのほか開けた町でした。
ここでは評判の焼き魚定食を出す店に並び、その後は長躯、羊蹄山麓をかすめて支笏湖を目指しました。

羊諦山麓に湧く湧水
支笏湖
丸駒温泉旅館のロビー

三泊目の丸駒温泉は二度目の宿。
期待通りの温泉に満足して、今年の墓参旅行を終えました。

葡萄ジャムと干芋

今年は葡萄が豊作で味もよく、値段も安かったので、産地の小布施まで行って買い込みました。
小布施へ行くのは、自宅や親せきなどへの贈答品の手配のためですが、現地で葡萄を眺めていると『自宅用』というひと箱が置いてあるのが目に入りました。

種なし巨峰自宅用ひと箱1200円

種なし巨峰のB品で、段ボールのひと箱に4房ほど入って1200円です。
たちまち葡萄ジャムの加工が頭をよぎりました。

レジで叔母さんから『早めに食べてください』といわれたので、『ジャムにします』というと、『もったいない』といわれました。
地元では、粒がバラバラになったものや、ツルが枯れ切ったものを加工用に回すのでしょう。

葡萄の加工は種のある品種だと手間ばかりかかるので、こういった種なしのB品は一般家庭では加工のチャンスなのです。

いつもの手順で煮てゆきます。
ときどき潰しながら煮るのが独特の行程でしょうか。

旬の素材による風味のあるジャムができました。

小瓶×4のジャムができた

いつの間にかサツマイモが出回ってきました。
スーパーにはいつでもあるのですが、直売所に出回るのは新物の収穫後です。

ゴロっとしたものを買っておきます。
一つ150円からせいぜい300円です。
しばらく常温でほおっておきます。

各地の直売所で買い集めたサツマイモ。全部で1000円ちょっと

サツマイモを洗って蒸かします。
蒸かす時間は十分に取ります。
串がスーッと入るまで熱を通します。

蒸かし器で蒸かす

熱いので、軍手を水に濡らし、芋をつかんで皮をむきます。
むいた芋を包丁でカットしてゆきます。
厚さは5ミリから1センチ未満でしょうか。
黄色く滑らかな断面だと、美味しい干芋になります。
残念ながらそうでなければ、硬めの干芋になります。
蒸し方というよりは、もともとの芋の材質のような気がします。

蒸かしあがった芋を皮をむいて切ってゆく

ザルに並べて天日干しします。
雨の時には室内へ。
夜はストーブの傍らに置きます。
自宅で毎年待ち焦がれている干芋になります。

ザルに並べる
天日干し

薪割り 追い込み

秋も深まってきて、薪割りの追い込みです。

小屋近くのヤードに残った玉の山
斜面に残った玉

原木の丸太は玉切りしてあるので、あとは薪割りして乾燥台に乗せる仕事です。
空いた時間を見つけて手割します。
そこで問題が生じるのは、なかなか斧や楔とハンマーだけでは割れない玉があることです。

節があるもの、二股に分かれているものなどがそうです。
斧で手割するときには、どうしても割れにくいものは後回しにします。
加齢により手割の力が弱ってきたせいもあります。
段々、そういった割れにくい玉が溜まってきます。

この日はチェーンソーを出動させ、節のあるもの硬いものに切れ目を入れてゆきました。
エンジンの力を借りて割ってゆくのです。

固い部分にチェーンソーで切れ目を入れる

こうして徐々に薪割りをこなしてゆきます。

切れ目にくさびを入れるなどして割ってゆく

乾燥台の確保も問題です。二年目に入った薪を小屋の軒下に移して、空いた場所に積み込みます。

丈の短い薪は、台所下の乾燥台に運びます。
ここは、案外日当たりの良い場所です。

ヤードの乾燥台に積み込む
縦の短い薪はコンテナに入れて・・・
台所下の乾燥台に運んで積む

上田映劇で「美しく、黙りなさい」を見る

「美しく、黙りなさい」  1976年  デルフィーヌ・セイリグ監督  フランス

上田映劇での予告編で存在を知った。

デルフィーヌ・セイリグは、迷宮のような「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ監督)の謎の美女。
「ロバと王女」(70年 ジャック・ドミー監督)ではカトリーヌドヌーブ扮する王女の継母となる妖精役を楽しそうに演じ、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年 ルイス・ブニュエル監督)では食事を求めてさ迷う有閑マダム役を悠然と演じたフランス女優だ。

「えつ?セイリグ唯一の監督作品?女優へインタビューしたドキュメンタリー?」。
これは何としても見なければ。

この日の上田映劇

手持ちのビデオカメラで撮ったモノクロの荒い画質。
ジル・クレイバークが、ジェーン・フォンダが、ルイース・フレッチャーが、たばこをふかしながら、真顔で、質問を一度飲みこんだあと覚悟を決めたように、話し始める。

50年後のジェンダー論者のようにとうとうとしゃべる人。
不貞腐れるように思い出したくないエピソードを吐き出す人。
ガールフレンドと二人でインタビューに応じる人もいる。
質問を外れて延々と自らの女優人生を述べる人(事実は小説より奇なり、を地で行く半生)も。

セイリグからの質問は二つ。
「もしあなたが男性だったとしてもこの職業を選びましたか」と「ほかの女優と友好的な場面を演じたことはありますか」。

ジル・クレイバークは最初の質問に静かに答える。
「ノー」。

ノーと答えた後「男だったら旅に出ていた」、「船乗りになっていた」と答える人もいた。

ゴダールやベルトルッチといった映画作家の問題作に主演していた当時の若手女優の回答が面白い。
「(ゴダールの「中国女」に出演して)あんな中国女がいるわけない」とアンヌ・ヴィアゼムスキー。

マリア・シュナイダーは「あの作品(「ラストタンゴインパリ」)はブランドとベルトルッチの映画だった。彼等は仲良かった」と自らの疎外感を吐露し、「今度は歳の近い俳優と共演したい。ニコルソンはまだしも(「さすらいの二人」のこと)、ブランドは歳が離れすぎている」と前髪に隠れるようにぼそぼそと話す。

2人の主演女優による、なんともとてつもない作品批評が飛び出た!
いいぞ。
ゴダールマニアや、ベルトルッチ信奉者に聞かせてやりたい。
なお、マリア・シュナイダーは「ラストタンゴインパリ」での、ベルトルッチによるセクハラに近い撮影を告発する自伝を発表した。

ジェーン・フォンダは語る。
初めての映画出演では、ハリウッドのメイクによって自分とは思えない顔になったこと。
役柄はボーイフレンドの周りを短いスカートで飛び跳ねるチアリーダーだったこと。
戦前戦時中に渡る女同士の友情を描く「ジュリア」(77年 フレッド・ジンネマン監督)では、バネッサ・レッドグレープの演技に感動し(観客の我々も同感)たが、監督はレッドグレープとの女同士の肉体的接触(握手など)の回数が増えないように苦慮していたこと。

ルイース・フレッチャーは「カッコーの巣の上で」の看護婦役でしか知らなかったが、セイリグの質問に高ぶることもなく、落ち着いて答えており、演技だけではなく人間としての資質の高さを感じた。

エレン・バーステインも70年代の演技派女優として一時代を画したが、セイリグの質問に高揚し、自らの体験を披露する姿が見られた。
「アリスの恋」以来の久しぶりの姿だった。

マリー・デュボア、ジェニー・アガター、シャーリー・マクレーン。
あなた方は、セイリグの質問に真摯に応える真面目な求道者であると同時に、全世界の映画ファンにとってかけがえのないスター女優という宝物である。
その存在と、50年後のジェンダー論者を二重写しにしてドキュメンタリーに止めおいたデルフィーヌ・セイリグという存在は何だったんだ?

なんとホールには、片桐はいりからの花輪があった!映画館万歳

DVD名画劇場 反逆児エルビス!50年代のプレスリー映画

「やさしく愛して」  1956年   ロバート・D・ウエッブ監督    20世紀フォックス

エルビス・プレスリーは、1934年ミシシッピー州テュペロという町のイーストサイド(『白人のクズのたまり場』と呼ばれた貧民街)に生まれた。

エルビスが生まれ育ったミシシッピー州は、南北戦争では南軍の勢力下にあり、北軍の攻撃によって何度も焦土と化した歴史を持つ。
その後、主要産業の綿花栽培が30年代になって害虫により衰退し、世界恐慌の影響をもろに受け、ルーズベルトのニューデイール政策による恩恵を受ける最初の州となった。

定職を持たぬエルビスの父親は、小作人家庭の出身で、妻(エルビスの母)との間に9人の子を設けた。
エルビスの母も小作人家庭の出身で、曾祖母がチェロキーインデイアン、祖母がユダヤ系移民という家系だった。

キリスト教根本主義の牙城だったミシシッピー州の教会に両親とともに通いながら音楽に親しんでいったエルビスは、小学校に上がるとギターをプレゼントされ、級友たちの前で演奏して人気を博していた。
このころ家族ともどもテネシー州メンフィスへ引っ越す。

54年にメンフィスで見いだされたエルビスは、ラジオで流された曲にリクエストが殺到し、発売したレコードも大ヒット。
黒人音楽に影響されたロックという音楽を歌い踊る白人歌手として若者に圧倒的な人気を誇った。

本作「やさしく愛して」は、エルビスが世に出てから2年後に出演した西部劇。
まだまだ全米では海のものとも山のものともつかぬ田舎で人気の歌手のエルビスは、モノクロ作品の重要なわき役としてキャスティングされている。

舞台は南北戦争が終結した南軍の支配地だった田舎。
前線で終戦を知った南軍の小隊が北軍の給料を運ぶ列車を強盗する。
彼等は奪った金を山分けして小隊を解散し、各々故郷へ戻る。
この部分の語りだけで約30分。
プレスリーは出てこない。
入れたDVDを間違えたかなと思い、取り出すが間違えてはいない。

南軍の小隊長だった主人公が故郷に戻る。
末の弟が馬で畑を耕している。
プレスリーがいた。

敗残の南軍兵士の無聊。
勢いを増し旧南軍に詰め寄る北軍の無慈悲。
故郷に残した老いた母と、主人公が出征前に結婚を約束した恋人の今の姿。
などが情感たっぷりに描かれる。
死んだと思った兄の代わりに末弟(プレスリー)が、兄の恋人と結婚していたのだった。

プレスリーと妻役のデブラ・バシェット

追跡する北軍の疾走感。
小隊仲間の裏切りというジレンマ。
仲の良かった兄弟が一人の女性を巡って対立する骨肉の悲劇。

エルビスは「ラブミーテンダー」を夕暮れのテラスで家族に情感たっぷりに歌い、芝居では俊敏な動きと激烈な感情の噴出を見せる。
その演技は、家のためにおとなしく働く末弟の健気な姿であり、去勢されていない若い野生動物のようでもあり、慕っていた兄に裏切られたといきり立つ狂犬のようでもある。

監督の演出スタイルは、南北戦争の背景の庶民の悲劇の情感表現であり、精悍な西部劇のスピード豊かな疾走感の再現であり、新人俳優への眼差し豊かな売り出しでもある。
どの部分もそこそこに成功している作品である。

55年に歌手エルビスのマネージャーとなっていた、音楽業界のメジャー、RCAレコードのトム・パーカーのプロデュースは、テレビを使ってエルビスを全米に売り出すことだった。
有名音楽番組で高視聴率を稼いだエルビスは全米の人気者となり、ハリウッドに進出。
パラマウントと7本の出演契約を結んだ後の映画出演第一作が本作「やさしく愛して」だった。
56年11月に公開された本作は、3週間で製作費を回収するヒットとなった。



「監獄ロック」   1957年   リチャード・ソープ監督    MGM

エルビスの自伝的要素を色濃く盛り込んだドラマ。
モノクロで撮られているのは、エルビスが全米に人気スターとしての信用がまだなかったからだろう。

重機のオペレーターで、給料日のクラブ通いが楽しみのエルビスが喧嘩で刑務所入り。
要領が悪く刑務所内では冷や飯組。
夢は出所後のクラブ経営のエルビスは、なけなしのポケットマネーで手に入れたギターを手に、飛び入りで歌ったところを、偶然見ていた業界関係者の女性ペギーに声をかけられる。
ショービジネスの世界に翻弄されながらも、ペギーのマネージングでレコードがヒット、人気歌手になる。
ペギーと設立したレコード会社を手放し、ハリウッドスターに蔵替えしたエルビスは美女たちとウハウハ。
さて仕事ではたもとを分かったペギーとの関係は?

常に与太ったようなしぐさと、貧乏ゆすりにダルそうな口ぶり。
気に入らないと瞬間湯沸かし器で、無礼な客にギターをたたきつけ、ペギーの実家のパーテイでは中流家庭の教養にひがんで飛び出す。

映画での若き日のエルビスは、実際の姿をモチーフとしてはいるが、育ちの悪さとステージ上の激しい動き(映画では下半身の動きをセーブしているが)だけが持ち味ではなかったようだ。
母親のしつけの元、目上の人には「イエスサー」、女性に対しては「イエスマム」と答えるなどの言葉使いが身についた礼儀正しさは、終生エルビスという人間の評価にもつながったという。

敏腕女性マネージャー・ペギー(ジュデイ・タイラー)がいい。
モデルはマリオン・カイスカー。
1953年に、エルビスがおずおずと自分の歌の録音に訪れたサンレコードの共同経営者だった。

ペギー役のジュデイ・タイラーと

マリオンは録音に来たエルビスの歌を聞いて、この青年こそが『二グロのように歌える(白人の)男がいたら一儲けできる』(サンレコードの経営者サム・フィリップスの口癖)人物だということが分かった。

54年、最大の理解者であるマリオンがサンレコードをやめ、空軍に入隊した。
映画ではマリオン役のジュデイ・タイラーの出番が、エルビスの売り出しとともに急に少なくなったが、こういった史実的背景があったようだ。

単なる成功物語ではなく、売れない歌手のみじめさ、ショービジネスの裏側が描かれている。
若きエルビスの自分自身を彷彿とさせる、貧乏ゆすり、みじめったらしいひがみの表情、それでいて愛嬌のある親しみのキャラ。
その姿は『反逆児』というよりは、大人の価値観には相いれなかったが、田舎の貧しいが可愛げのあるあんちゃんが、おなじく田舎の若者・少女たちを熱気に巻き込んだ時代の寵児、そのものであった。

監督は長くハリウッドで便利屋的に、ジェリー・ルイスの底抜けシリーズなどを作ったリチャード・ソープが起用された。
ソープの起用はMGMのA級作品として本作が企画・製作されたことを示す。



「G・I・ブルース」  1960年   ノーマン・タウログ監督   パラマウント

1958年テキサスの訓練基地に入隊したエルビスは、西ドイツに赴任、60年まで軍務についた。
本作は退役後に作られた第一作。

50年代のロックな田舎青年としての存在から、模範的な米国の若者として方針転換(本来の役どころに目覚めた)したエルビスが繰り広げる軍隊コメデイ。
全体的には、コメデイだが、随所に敗戦国ドイツ(イタリアも)の現実や、駐留GIの名もない庶民性を表すエピソードやセリフが出てくるところは、戦後15年しかたっていない時代性が感じられる。

駐独米軍の戦車兵エルビスの楽しみは地元のクラブでの演奏とシャンなメッチェン(とのイチャイチャ)と賭け事。
駐留先のクラブで歌うエルビスは、さりげなく『美人のドイツ娘』の表現に『ハン』というドイツ人の蔑称を使ったりする。
これは当時のアメリカ人がドイツ人を称する普通のスラングなのだろうが、映画であえて出すのは、敗戦国ドイツのみじめさ、占領政策の現実の表現なのか。

エルビス(が演じるGI)が自分の出自を、父親はタクシーの運転手、祖母はチェロキーインデイアン、とガールフレンドに告白する場面もある。
事実、エルビスの母の曽祖母がチェロキーインデアンだったというのは既述の通り。
ここら辺は、楽屋落ちというか露悪的な趣味を持つハリウッド流のシナリオ作法でもあるが、あるいはGIといってもアメリカでは庶民中の庶民、敗戦国の庶民とは同じ穴のムジナという意味もあるのか。

歌姫リリー(ジュリエット・ブラウズ)は踊りが素晴らしい。
気骨あるドイツ女を演じる。
エルビスがいつもどおり「ハニー」、「イエスマム」と呼ぶとそれを嫌う。
GIによる女性に対するアメリカ流の礼儀がドイツ女性には嫌味に感じられるものなのか。
この女優はネットでも情報が出てこないので詳細不明。
美人ではないが芸達者、ぴったりのキャステイングだった。

ケルンとデュッセルドルフ間の船旅とライン川沿いの観光地でデートシーンもあり、ドイツの観光地紹介という使命を持つのも、後の「万歳」シリーズなど、若大将時代のプレスリー映画そのもの。

全編英語で繰り広げられるのもハリウッド流。
クラブでリリーが無礼な太客にビールをぶっかけた後、ボーイが太客を取りなす場面と、後半のライン川の観光地での人形劇のセリフだけがドイツ語だった。

エルビスの歌のシーンは激しい脚の動きはなく、挑発的な気配はない。
観光地で人形劇に飛び入りし、人形相手に歌って子供たちに大うけするシーンなどに、お人よしのアメリカ人そのもののエルビスの持ち味が出ている。
女にもてるセクシーさというより、人柄の良さで万人に親しまれるエルビスの個性が生きている。

軍務を終え、全米の大人世代からの承認を受けたエルビスが、『反逆児』の時代を終え、『若大将』として映画スターの道を歩み始める第一作。

実生活でも、マネージャーのトムパーカーの戦略は、61年以降の7年間、エルビスの活動を映画出演と、映画で歌われたもののレコード化に限定するというものだった。

「エルヴィス・プレスリー世界を変えた男」   文春新書

本文中の、映画内容以外のプレスリーのエピソードは、平成11年文春新書 東理夫著 「エルヴィ・スプレスリー世界を変えた男」から要約引用しています。