軽トラ流れ旅’26 ゼロ磁場、さくらホテル、高遠蕎麦

日本列島を東西に横切る中央構造線。
九州から諏訪湖までの地層の構造線です。

中央構造線が通っているのが伊那谷の東方に位置する分杭峠。
高遠から大鹿村を通って南下する松葉街道という街道が通る道沿いでもあります。

その分杭峠付近には、気があふれていて人を癒すという場所があり、ゼロ磁場と呼ばれています。
中央構造線の線上には、その地層が露呈する場所が何か所かあり、「露頭」と呼ばれています。
ゼロ磁場もそれと関係してるのかもしれません。

この日はその分杭峠へ行ってみることにしました。
秋葉街道は片側1車線の道で、分杭峠付近は道幅も狭く、駐車スペースはありません。
ゼロ磁場が人気を呼んで、訪れる人が増えた結果、麓から峠まではシャトルバスに乗って訪れることとなっています。

この日は朝7時に山小舎を出発。
9時発のシャトルバス始発を目指しました。

茅野へ下りて、杖突街道で高遠を目指します。
高遠から秋葉街道を南下し、途中の戸台というシャトルバスの発着場所に行きます。
そこからは分杭峠方面と、南アルプスの仙丈ケ岳方面とにバスが出ているのでした。

シャトルバスの出発場所戸台パーク

バスを待つ間、案内のおじさんが『ゼロ磁場では、ピリピリするという人もいますが、私は感じたことがありません。磁石がぐるぐる回るのは見たことがありますが』と雑談してくれました。

バスが到着

9時のバスの乗客は、私のほかに夫婦が二組。
運転手さんは道すがら、『前方の集落は云々』、とか、『ここが従前のシャトルバスの発着場所だった』、とか『そろそろピリピリしてくるころ』、だとかアナウンスしてくれます。
場所によってはすれ違い困難な狭い山道を慣れた運転で30分弱で分杭峠へ。

車内風景

そこには別のおじさんが3人ほどいて、気場と呼ばれるスポットでおしりに敷く道具を貸し出してくれます。
少し坂を下るとそこが気場です。
空気が肌寒いだけではなく、澄んで軽い感じがします。
周りの景色も含めて、山の中にいる清々しさに満ちています。

分杭峠から気塲へ下る
気場に到着

気が向けば一時間ほどもいようかな、と思っていましたが、午前中の山は肌寒く、持って行ったヤッケを着込んでも寒さは消えません。
30分後の折り返しのシャトルバス乗り場には、同行の4人全員が揃っていました。

麓の駐車場で軽トラの駐車料金1000円を支払いました。
駐車係のおじさんは『分杭峠は朝の内はまだ寒いだろうね。でもいい場所だったでしょ?』とニコニコしていました。
確かにためったにない清々しい場所でした。
『ピリピリ』はしませんでしたが。

戸台の駐車場に戻る

分杭峠を訪れた後の楽しみは、麓の道の駅と、高遠さくらホテルの温泉と、高津の街の蕎麦屋です。

麓の田圃

道の駅アルプス村長谷は、高遠に下りる途中の長谷村にあります。
付属のパン屋さんには、予約のクロワッサンを受け取るお客さんが並びます。
食堂は、サイドデイッシュの野菜が食べ放題です。
直売所みは、美味しいことで有名な地元の長谷米が玄米も含めて常時出品されています。

道の駅構内にはビジターセンターも建つ
ビジターセンターにて

高遠さくらホテルの温泉は最近の気に入りです。
立寄り湯800円です。
ヌルヌルした感触の肌触りの良いお湯は、上がるとすぐ蒸発して、いつまでも体が濡れていません。
いい温泉の証です。

さくらホテル入口
ホールの油絵

このあとは高遠の商店街の無料駐車場に車を止めて散策です。
目ざす蕎麦屋は休暇中とのことで、2回ほど行ったことのある華留運(ケルン)に入ります。
プロの蕎麦屋さんのいいところは細切のそばが食べられることです。

高遠商店街の和菓子屋。若女将は若いころのボーイフレンドが調布に住んでいたという
和菓子屋に紹介されて訪れたことのある不動産屋。ご主人が田舎暮らしの雑談に応じてくれた

サイドデイッシュにたっぷりのなめこおろしを注文します。
大根おろしに味噌を解いたツユが出てくるものこの店の特徴です。

高頭蕎麦二八

癒しに満ち満ちた分杭峠の旅でした。

大室古墳群

松代の観光案内所でスタッフさんに聞いた、長野市内の大室山古墳群へ行ってみた。

須坂から長野市松代へ向かう道の途中。
長野市若穂という地区の山沿いに古墳群はありました。

麓の千曲川沿いには長野鉄道屋代線という私鉄がかつて走っており、使われなくなったトンネルが残っています。

ナビに従ってこのあたりの集落を通り、田んぼの中を分け入って高速道路のアンダーパスを抜けると、発掘途中の古墳群を中心とした、広々とした公園がありました。

大室山古墳群は大小さまざまな古墳が存在しています。
石室のような造りのものもあれば、現在では土が盛られたようなものもあります。

千曲川右岸のこのあたりには、千曲市森地区の森将軍塚という巨大な前方後円墳が復元されています。
先日、信濃毎日新聞の記事で『3世紀以前の構築か?』と、大和朝廷以前の構築を報道された、弘法山古墳というのが松本にあります。
下諏訪の温泉街の真っただ中に、中規模の古墳が保存されていることもあります。
道端の私有地に石室が残されているのを見掛けることもあります。

全国有数の個体数を誇る長野県内の古墳。
その全容と、歴史的背景は今後の解明を待たれます。

解明された暁には、東国の中心地としての信州の古代史と、日本史全体の歴史の書き変えもなされるのかもしれません。
生きている間には無理でしょうけど。

軽トラ流れ旅’26 リニア、都留文、道の駅 

今回の軽トラ旅は東京の自宅への往復です。

帰る予定の日の前日から大雨の予報で、テレビは『身を守る行動を心がけてください』の一辺倒。
明けて当日は雨が降っていない茅野駅でも、中央本線が富士見から先が全線運休。
特急あずさは全便運休。
ならばと高速バスを打診するも夕方まで全席予約済み。

自宅へのお土産も用意済みの山小舎おじさん、ならばと愛車軽トラを駆っての勝手知ったる下道での東京往復へと、茅野駅に着いてからの計画変更です。

天気予報は何処?雨らしい雨も降らないまま、韮崎から甲府を経て笹子トンネルで大月へ。
雨らしい雨には大月で出会えました。

寄り道また寄り道のぶらり旅。
夕方6時までかかって自宅に着きました。
『身を守る行動』はできたかな?

自宅滞在の4日後、山小舎への帰途に着きました。

リニア見学センター

東京から長野に向かう下道。
国道20号線に沿って甲府盆地を目指す途中の大月あたり。
最近気にいてるのが道の駅つる。
大月から富士吉田方面に逸れること3キロ。
道の駅の先にリニア見学センターがありました。

孫たちが最近訪れた、というのでジイジも寄ってみます。
リニア見学センターは、平日なのにファミリー層でそこそこの人出でした。

展示内容は期待通りの『科学的夢の未来』。

『夢の超特急』は山小舎おじさんが小学校入学前後の、日本全体に夢があった時代の標語でしたが、今でも同じような夢に酔っているのかJR。
最新の社会トレンドは『自然との共生』『物質から精神へ』に転換しているのではなかったのか?
こちらの勘違いか?

車両の前の三世代
リニアの車内

名古屋までの現状1時間40分が、20分に短縮されることにそんなに意味があるのか?
あると思う人がやっているので、門外漢が立ち入る話ではないのだろうが、それとも時間短縮以外に何か隠された目的があるのか?このプロジェクトに。

工事完成後のジオラマ

20年前、親日の胡錦涛国家主席の招きで中国を訪れた、山小舎おばさんとその次男。
大規模な友好訪中団の一員として上海でリニアに乘ったそうです。
『がたがた揺れていた』とだけ言ってましたが、その後中国のリニアはどうなったのでしょう?

試験走行の線路

世界が20年前に実現した技術を後追いしているだけなのか日本は?
それとも中国と日本しか興味を示さない不要な技術がリニアなのか?

わかりませんが、山梨の都留の山里で、ひっそりと繰り広げられているリニアワールド。
この先どうなるのでしょうか。
まったく夢を感じないまま会場を後にした山小舎おじさんでした。

見学センターから見下ろす風景

都留文科大学

都留市には都留文科大学があります。
そのおかげで人口3万人規模の当地における若年層の比率は現代日本にあって極めて高いとのことです。

市内のミュージアムにて

『リニア関係者にとっては、都留の地元スナックのホステスが、都留文の女子大生のバイトであることが多く、人気が高い』との関係者情報もあります。

山小舎おじさんの若き日の知り合いの青年が、地方国立大学の理学部?を中退して、小学校教師を目指し、都留文に入学していったこともありましたっけ。
引っ越しを手伝った40年ほど前の記憶では、今と違い、牧歌的な風景が広がっていた大学周辺でしたが。

大学の門

道の駅つる

道の駅での目当ては食堂でのランチと、直売所でのお惣菜です。
ランチは富士山湧水ポークのハンバーグプレートがお気に入りです。
活気ある食堂は来客で盛況でした。

道の駅つるの食堂

串カツ2本で500円と高めでしたが購入。
一口で食べられないほどの肉の量にびっくりしました。

富士山湧水ポーク使用のハンバーグプレート。うまかった!

国道20号線が長野に入った頃、左手に現れるホッサマグナの湯・塩川温泉(山梨県)に立ち寄り湯をして帰りました。

フォッサマグナの湯の入り口
タオルを買って入湯

令和8年畑 落花生収穫

落花生を収穫しました。
5株ほど植えた落花生は、勢いよく地上部が伸びていたのですが、雑草に埋まってしまい、間違って雑草ごと地上部を刈ってしまっていました。

周りの人の畑を見ると、落花生の収穫は晴れた日に地上部をつかんで引き抜き、そのまま逆さにして、豆がついている根っこを日に当て、その後は納屋などの日陰にそのままぶらさげて干しています。
その通りにしたいのですが、うちの畑の落花生は根の張りが強く人力では引き抜きできません。
スコップを使って引き抜きました。

落花生を引き抜く
そのまま持って帰る
ばらして日陰で乾燥

雨がちの天気が続くのでそのまま畑においてはおけず、山小舎に持って帰ります。
根についたままの豆を日陰で乾かしてから、豆だけをばらして引き続き日陰で乾燥です。
カビの発生に気を付けます。
去年の落花生は東京の山小舎おばさんに好評だったので今年も期待しましょう。

ガーデンハックルベリーの実を採ってジャムに加工しました。
渋みがあるので生食はできない野菜ですが、アントシアニンの含有率がブルーベリーの10倍ほどという高性能の持ち主です。
今回のジャムはちょっと渋みが残りました。

ガーデンハックルベリー
全量収穫して持って帰りジャムにする

ホオズキの収穫が続いています。
樹が寒さで枯れるまで結実が続く野菜です。
東京でも評判がいいので送っています。

ホオズキのこの日の収穫

ピーマン類も寒さに強く収穫が続く野菜です。
葉っぱも佃煮にして食べられます。
収穫したピーマンは焼き浸しなどで食べますが、果肉が厚くて甘いので夕食のサイドデイッシュに重宝します。

ピーマンの収穫

トウガラシ(鷹の爪)が色づいてきました。
うちのトウガラシはとても辛いので、利用には注意が必要です。
いつまでも赤い色が褪せないので飾りとしても重宝します。

トウガラシはもうちょっと待って収穫する予定

夏野菜が終わった後の畑でした。

DVD名画劇場 アメリカ時代のフリッツ・ラング② ヒロイン、ジョーン・ベネット

ジョーン・ベネット

『1910年ニュージャージー州生まれ。
父は有名な演劇俳優、姉も映画界で活躍。
ジョーンは28年に映画デヴュー、30年代にかけては純情な娘役として活躍。
この時代の代表作は「若草物語」(33年)の末娘役。

40年代に入り金髪をブルネットに染めて妖艶な悪女役に変貌。
フリッツ・ラング監督による「マンハント」(41年)以降の4作品はこの時期の代表作となる。
また、三度目の夫、製作者ウオルター・ウエンジャーと45年に独立プロを設立した。』(以上、児玉数夫著「懐かしの映画女優101」2001年 新書館より抜粋)

30年代金髪の娘役時代のジョーン
「決死の猛獣狩り」(46年)のジョーン
「飾り窓の女」セットで、ラング監督とジョーン

ここで3番目の夫・ウエンジャーについても触れなければなるまい。

『ウエンジャーの経歴は、第一次大戦後の1919年のパリ講和会議にウイルソン大統領の秘書官として同行。
その後パラマウントに入社し、ロンドン支局長から制作本部長に。
俳優のフレデリック・マーチに、”ハリウッドにはウエンジャーのような教養ある知的なプロデユーサーはいなかった”と評される。
ルネ・クレールをはじめフリッツ・ラング、マックス・オフュルスなどヨーロッパ系の監督を起用、一方でヘデイ・ラマール、イボンヌ・デ・カーロ、マリア・モンテス、ジーン・テイアニーなど女優の売り出しにも貢献した。

ジョーン・ベネットと結婚し、独立プロダクションまで作ったが、彼女とマネージャーの不倫騒動に端を発し、51年にマネージャーに対する発砲事件を起こして服役した。

製作者としての代表作は「暗黒街の弾痕」(37年 ハワード・ホークス監督)、「歴史は夜作られる」(37年 フランク・ボザーギ監督)、「駅馬車」(39年 ジョン・フォード監督)、「海外特派員」(40年 アルフレッド・ヒッチコック監督)など。
「クレオパトラ」(63年 ジョセフ・L・マンキーウイッツ監督)で20世紀フォックスの経営を傾かせたのが最後の作品となった』(以上、蓮重重彦、山田宏一「傷だらけの映画史・ウーファからハリウッドまで」中公文庫 ウオルターウエンジャーの映画史の章より要旨抜粋)

愛妻ベネット、マックス・オフュルス監督とウエンジャー


「飾窓の女」    1944年   フリッツ・ラング監督   インターナショナルプロRKO配給

真面目な大学教授のエドワード・G・ロビンソンが、妻と子供が旅行に出た間に、男なら羽根を伸ばして遊ぶところ、そんなつもりもなく何気なく覗いたショーウインドウの肖像画の女性に魅入られて、引きずり込まれる二日間の悪夢。

肖像画から抜け出し、教授を誘う訳ありの女にジョーン・ベネット。
ファムファタルでありながら、ラナ・ターナーのように職業的な妖艶さに陥らず、またリタ・ヘイワースのようにエンターテナーのプロに徹することもなく、どこか素人っぽさを残しつつ、自らが引き起こした悪夢の世界で、ある時は能動的な悪女として、ある時は悪夢的展開に戸惑う被害者っぽいヒロインとして立ち回る。
彼女は謎の女であると同時に、現実社会では名のある興行主の愛人でもあった。
なお、ラナ・ターナーとリタ・ヘイワースは当時のセックスシンボルとして、その実名がロビンソン教授の友人のセリフに出てくる。

「スクリーン」1953年10月号より。日本ではこの年の封切りだったようだ

犯罪心理学者のロビンソン教授は、家族の旅行中、独身クラブのようなところで検事と医師の友人と夜を過ごすが、家に帰る途中に例のショーウインドウで美女の肖像画を眺める。
と、絵画の背後からジョーン・ベネットが現れて、教授を部屋に誘う。
一度は固辞した教授だが、美術に関心のありそうな女の誘いに乗ってしまう。

女の部屋は今でいうオートロック式のマンションで、部屋からのOKがないと、エントランスのドアが開かないという、おそらく当時のアメリカでも最新のスタイル。
広々とした部屋にはセンスのいい美術品であふれている。
思わず興味津々の教授。

女は下着の上にスケスケの黒いロングドレスを身にまとっている。
そこへ、中年の男(興行主)が入ってくる、慌てる女が止めるのも聞かずに教授の首を絞めにかかる男。
このままでは殺されてしまうと思った教授は、女から手渡された鋏で男をめった刺しして難を逃れる。
男は死ぬ。

教授と女の出会い

日常の隙間に潜む罠。
悪夢のような不条理。
急展開のスリル。
ドイツ時代からの映画監督としてのフリッツ・ラングの持ち味がこの作品にも横溢している。

ギャングスター、エドワード・G・ロビンソンが、実直な小市民を演じるが、観客はそうは見ていない。
期待通り、非現実の美女に魅入られ、期待通りにその誘いに乗り、期待通りに犯罪に巻き込まれる。

教授を悪夢に誘い込む悪女が、いかにもの悪女には見えないジョーン・ベネットというところも味噌だ。
犯罪への急転直下の場面では、悪女らしく開き直るのではなく、おどおどして事態収拾に慌てるベネットの姿が見られる。
ベネットもこの悪夢の被害者の一人なのだ。

謎の女ジョーン・ベネット

事態の収拾を図る教授が、いちいちドジを踏むのもおかしい。
死体を車で運んで遺棄するのだが、その都度、警官や料金所に目撃者が現れるし、教授は教授でタイヤ痕や靴跡、血痕などの証拠を残しまくる。
犯罪学者とはいえ、所詮、実際の犯罪の当事者としては素人なのだ。

事件は興行主の失踪から死体発見へと大きなニュースになっており、教授の友人の検事にとっても格好な推理の材料となっていた。
この検事によるこの事件の推理がいちいち的を得ていて、焦る教授が犯人しか知らぬ情報を思わず漏らしてゆく描写も観客にとってはスリリングな味付けだ。

検事の推理は的を得ているが、警察の見立てはズレている。
検事の見立てに対し、話をそらそうとして墓穴を掘る教授。
犯行現場で、捜査線上に上がった女(ベネットかどうかは描写されない)と教授の間一髪のすれ違い。
スリリングであると同時にすっとぼけたブラックユーモワ風に味付された場面が続く。

悪役ダン・デュリエと、おびえるベネット

終盤に現れ、ベネットに付きまとい脅す、興行主のボデイガードは素人っぽくはない。
ロバート・ミッチャムが「狩人の夜」や「恐怖の岬」で演じたような、粘着的なサイコパスの悪人だった。
この悪人が、半分素人のベネットを脅すシーンはこの映画唯一の悪のスリリングな味わい。
ベネットも教授もお手上げのプロの悪人ぶりだった。
このボデイガードを演じたのはダン・デュリエ。




「緋色の街」     1945年    フリッツ・ラング監督     ダイアナプロダクション・ユニバーサル配給

「飾窓の女」と同じメインキャストで作られた作品。
製作はジョーン・ベネットが当時の夫ウオルター・ウエンジャーと共同で設立したダイアナプロダクション。

エドワード・G・ロビンソンがまじめで小心な出納係を、ジョーン・ベネットが蓮っ葉でヒモの体にのみ夢中な街の女を、ダン・デュリエが悪知恵の働くヒモを演じる。

主演の3人は、前作では慣れ切っていなかったものの、本作ではロビンソンはすっかりしょぼくれた小市民として、こぎれいな女の前でおどおどする中年男になり切っているし、ベネットは謎めいた女のベールをかなぐり捨てて、安物のビニールコート姿で足を組んでストローをくわえ、おしろいをはたく、街の女の振舞いを物おじせずに演じている。
そしてダン・デュリエは愛してもいない女のヒモとして路上で女を殴り倒し、また女の愛情を利用して彼女の周辺を浮遊しつつ、詐欺的策略だけは天才的なひらめきを見せて女を操るダニのような男になり切っている。

ヒモの暴力から女を救った男は女を送ってゆく

ベネットの役は街娼なのだが、当時のハリウッドでは『コード』があっただろうし、あるいはベネットのスターとしてのランクがあからさまな表現を避けさせたのかもしれない。
一方で、街角で猿回しが客を呼ぶ描写があったり、またロビンソンの住居が『ブルックリン』だとの台詞もある。
これらの表現は、この作品の舞台が都会の場末で、また移民が住む貧民街であることを表している。

ブルックリンの安アパートに再婚の妻と住み、恐妻家で絵をかくことだけが楽しみのロビンソンは、まじめに出納係を25年務めた信用だけが取り柄。
ベネットとデュリエは裏街道を行く、堅気とは別世界の住人。
この両者が出合ってしまう。
街頭で女を殴打している男に、柄にもなく雨傘を振り回して立ち向かってしまったがゆえに。
さらには、お礼に場末のバーで女とカクテルを飲むという人生初の体験をしてしまったがゆえに。

裏街道チームの美人局的な篭絡に苦も無く引っかかる出納係。
会社の金に手を付けて首になる。
くすねた金でつかの間のマンションを女に買い与えた末に。

出納係の趣味の絵画をついでに売っぱらおうとしたヒモが、やってきた画商の思いもかけぬ評価に悪知恵を発揮して、女を絵の作者とする芝居を打ち、ゴースト作家として出納係に働かせて儲けようとする。
画商のウインドウの絵を見て出納係の悪妻が事態を曲解し、『有名作家の絵を盗作している』と夫を非難する・・・。

女に狂って転落する中年男というメインストーリーにいろんな登場人物が絡み、枝葉のストーリーが発生してゆく。ここら辺の展開は、暗黒街のサスペンス映画であっても、そこはかとないユーモアをちりばめつつ、目まぐるしく展開が二転三転してゆくフリッツ・ラングの作劇スタイルだ。

転々として行くストーリーは、出納係が告訴はされずに首になった後(社長の恩情は「真人間」のハリー・ケリー社長の振舞いと同様)、ホームレスに落ちぶれつつ、自分の罪を訴え続ける場面で終わる。
落ちぶれてからのロビンソンの演技は「嘆きの天使」のエミール・ヤニングスをちょっとだけ思い出させた。

自分の欲望に忠実なだけのジョーン・ベネットがアクシデントで死に、さんざん悪事を積み重ねてきた街のダニのダン・デュリエが、そこだけは冤罪の殺人罪で死刑になる結末は、勧善懲悪できっちりしたことが好きなドイツ系の監督らしい?

「飾窓の女」の全体を通して漂っていた幻想的なムードがなく、スピーデイに現実的なストーリー建てで展開するドラマだった。
裏街道チームを成すジョーン・ベネットとダン・デュリエの吹っ切れた演技が印象的。



「扉の影の秘密」    1947年    フリッツ・ラング監督    ダイアナプロダクション・ユニバーサル配給

ジョーン・ベネットがフリッツ・ラングと組んで作った3作品は、独立プロで製作し、配給はユニバーサルかRKO。
ハリウッドメジャーの中では下位の映画会社による配給である。
配給が大手ではないのは、内容の問題なのか、ラングがMGMから解雇された過去が影響しているのか、あるいは亡命監督の現状を表しているのか。
ジャン・ルノワールが20世紀フォックスに好条件で迎え入れられながら結局クビになったことを思い出す。

閑話休題。
1947年にRKOから『ジョーン・ベネット主演でミステリを撮らないか』との申し出を受けたルノワールは二つ返事で承諾した。
ウオルター・ウエンジャー、ベネット夫妻とルノワール夫妻は交友関係にあり、普段からルノワールはベネットを評価していた。
「浜辺の女」は主人公の戦争の悪夢を幻想的に表現した作品で、ベネットは主人公を惑わせる謎の女として登場するのだが、プレヴュー上映での不評後、撮り直し、再編集とRKO側の要求が1年ほども続き、71分の最終版が出来上がった頃にはルノワールは映画に対する情熱を失いそうになっていた。

「浜辺の女」撮影時のルノワールとべネット

映画を愛し、映画に愛されたジャン・ルノワールを映画嫌いにさせるハリウッドというのも凄い所だが、似たような経験に事欠かなかったであろうフリッツ・ラングが、ハリウッドと折り合いをつけていった過程がこの作品にも見られるのだろうか。

「扉の影の秘密」は、「飾り窓の女」、「緋色の街」に続きジョーン・ベネットを起用した作品。
ベネット主宰のダイアナプロダクション作品でもある。
前2作のメインキャストを務めた、エドワード・G・ロビンソンとダン・デュリエはいないことから、前2作のバリエーションではないことがわかる。

ベネットは謎の女や街の女役ではなく、オールドミスながら裕福で育ちのいいヒロインを演じる。
ただ、『ヒロインが幸せになりました』だけでは、ベネットがラングと組んでまで作るはずはないし、ベネットの魔力で男が破滅してゆく話は作ったばかりだった。

本作では趣向を変え、激しい本性を内に秘めながらも、前向きで健全なヒロインを主人公とし、彼女に様々な驚天動地のスリルとサスペンスが襲い掛かるストーリーにした。
さらにこれまでの2作品にはなかったニューロテイック(異常心理)な味付けを加えた。

主な登場人物は主人公シリア(ベネット)、夫マーク(マイケル・レッドグレーヴ)、その姉キャロライン(アン・リデイア)。

シリアはニューヨークに暮らすお嬢様で裕福な兄の死後、莫大な遺産を受け継ぐ。
メキシコに旅行していた時、背後からただならぬ視線を感じる。
己の情熱的な本性を射抜くような視線に、その男性マークに興味を持ち2日間片時も離れずに過ごす。
そのままメキシコで結婚する。
それからマークとの間に、シリアには理解できない事象が次々と起こる。

始まりは、メキシコの宿から、着電しようもない電報を口実にマークが突然ニューヨークに帰ったり、駅で迎えたシリアの胸にライラックの花が飾ってあるのを見た途端にマークの態度が変わったり、と夫婦間の些細な問題ともいえるものだった。
披露パーテイでマークが来客に、自分の趣味である殺人現場を再現した部屋を見せるに及んでシリアの疑念は高まる。

マークの実家には、人に心を開かないマークの前妻の息子デヴィッド、マークの姉のキャロラインとマークの秘書がいる。
それぞれ謎めいた人物である。
何より秘密めいているのはマークの振舞いだ。
シリアはマークの秘密の部屋を合鍵を使って入り込む。
そこには・・・。

最後の最後までマークを信じるシリア。
彼女を傷つけるのは、夫婦の愛情を感じさせな夫の振舞いだけで、マークの心理的な弱点にではない。
映画は、潔癖症で閉所恐怖症でマザーコンプレックスでついでにシスターコンプレックスのマークの異常さを描き続けるが、それはマークのシリアに対する愛情と矛盾するものではなかった。
マークも心理的被害者としてそれを克服し、シリアと添い遂げようとしていたのだ。
シリアに限らず、死んでいった前妻ら、この家に嫁いできた他人らの恐怖の源は別にあった・・・。

マークの姉を演じるアン・リデイアは、「緑園の天使」でエリザベス・テーラーの母親を演じ印象を残した女優。
リベラル派だったために赤狩りの影響を受け、実力派でありながら50年代に入って映画出演がほぼなくなった。
本作では「レベッカ」(40年 アルフレッド・ヒッチコック監督)でジョーン・フォンテイーンを真綿で首を締めるようにいじめるメイド頭のような役柄だが、まるっきりのサスペンスではない本作品でのそのような役柄を、作り物めいたところなく演じている。
『このしっかりしたお姉さんは、シリアの味方なのだろう』と観客に最後まで思わせる演技だった。

アン・リデイア(「紳士協定」より)

メキシコの教会での結婚式の場面ではジョーン・ベネットのウエデイングドレス姿が見られる。
彼女はこの3年後には「花嫁の父」で花嫁(エリザベス・テーラー)の母親役を務めることになる。

奥蓼科温泉郷 渋御殿湯

八ケ岳周辺には数本の車道が走っています。
蓼科から、美ケ原高原までを周遊するビーナスライン。
麦草峠で八ヶ岳を横断するメルヘン街道などです。

麓でメルヘン街道と別れ、湯みち街道と呼ばれる道路で八ヶ岳の山懐を目指す、その行き止まりにあるのが渋御殿湯です。

湯道街道沿いには、明治温泉、信玄の隠し湯と呼ばれる渋辰野館の二つの温泉旅館があります。
そして最深部にあるのが渋御殿湯です。
ここからは八ヶ岳の麦草峠近くの白駒の池などへ通じるハイキングコースなどがあり、登山客、ハイカーなどに人気で、休日には一日一往復の路線バスも運行しています。

軽トラで茅野側に下り、奥蓼科方面への道案内に沿って走ります。
田園風景と集落を過ぎると、別荘が散見される風景となります。
さらに登ってゆくと山林の風景となり、観光名所の御射鹿池が現れます。
東山魁夷の絵で有名になった場所です。

その先を谷底に向かって下った場所に明治温泉があります。
冬期間は休館しますが、開湯130年といわれる古い温泉です。
源泉は24度だそうで加熱しています。

次に現れるのは、信玄の隠し湯と呼ばれる渋辰野館です。
日帰り入浴料は1400円と高いのですが、加熱した湯船につかると何ともいえずお湯が体と心にしみます。
低温の源泉の浴槽もあります。

辰渋野館を過ぎると途端に路面が荒れてきます。
行き止まりに現れるのは、昭和の山奥の温泉そのものの風景です。
古いモルタル造り(と思われる)の旅館が川に沿って長く伸び、人気(ひとけ)のない景色の中にかすかな硫黄臭が漂います。
空気はもちろん、山の精気に支配され澄み切っています。
良い温泉場の条件が整っています。

奥蓼科温泉郷の最深部、渋御殿湯の風景
休日のみ運行の路線バス停留所

一段と肌寒くなり小雨さえ降ってきた中を、渋御殿湯と呼ばれる館内へ入ります。
70代後半と思しき主が出てきて日帰り入浴料金1100円を告げます。
宿帳を差し出し『名前だけでいいですから』と一言。
記名して、人気(ひとけ)のない館内を浴室へと歩を進めます。
廊下の暗さも昭和の山奥の温泉風情です。
ワクワクします。

渋御殿湯エントランス
浴場への廊下

薄暗い脱衣所にはコインロッカーなど当然ありません。
浴室はオール木造でつるつる滑ります。室は伝統的な木造。
湿気を吸って重くなっている木製の蓋を外して湯につかります。
蓋がしてあるのは渋辰野館と同様です。
源泉が適温に温められ循環しています。
湯温に温められ、硫黄を含んだ湯気に肺臓を癒され、静けさに心を静められます。

浴槽にふたが乗っている。誰もいなかったので撮影させていただきました

ふと見ると浴室の端っこに真四角の浴槽があります。
源泉です。
26度という温度は浸かるのに勇気がいります。
ゆっくりと浸かっていると目が覚めてくるような?気がしてきました。
源泉の成分が効いたのでしょうか?

再度沸かし湯に入って人心地着きますが、体の内部はすでに十分温まっているような気がしました。

源泉の浴槽

主の笑顔に送られて旅館を退出。
かつては登山客でにぎわい、宿泊客で混雑したときもあったのでしょう。
八ヶ岳の麓の古ーい温泉旅館でした。

奥蓼科温泉郷の3つの湯に入りましたが、浴室と浴槽のあつらえの年季の入り方では、渋辰野館とここ渋御殿湯が双璧でしょうか。
ただこの2館とも経営が高齢化しているようです。
その点、明治温泉のスタッフの現役感と一部若いスタッフに未来を感じました。

玄関の断り書きの数々

すぐ隣には東急リゾートが開発し、ゴルフ場や別荘マンションがある蓼科別荘地があるのに、一本入れば寂れた温泉場が残っている。
ここ奥蓼科温泉郷は、別荘族にも、ましてやインバウンドにもノーマークの穴場です。

ちらし寿司を作る

自宅に4日ほど帰ってきました。

折から、山小舎おばさんの高齢者介護福祉事業会社が役所の監査?を受けており、その対応で徹夜も辞さない山小舎おばさんがおりました。
その粘りに敬服しつつ、持ち帰った信州産の食材で労をねぎらいました。

また、家人が仕事中の日中は暇を持て余す山小舎おじさん。
思い立ってちらし寿司を作り孫に持ってゆきました。

季節の折々に拵えるぼた餅。
何かあると作りたくなるちらし寿司、お稲荷さん、が山小舎おじさんの御馳走レパートリーです。
海苔巻きなども手軽に作れればいいのですが、巻くのが下手で・・・。

前夜までに干しシイタケを水で浸します。
翌日、ゴボウ、ニンジン、油揚げなどを切り、干瓢を水で戻します。
今回の干瓢は畑の夕顔を山小舎で干したものです。

シイタケのだし汁で具材を煮てゆきます。
出汁には昆布も加えました。
調味料は砂糖、しょうゆ、酒、みりんです(麹か酒かすがあれば加えたかった)。
同時に米4合に切りこんぶを乗せ、酒を垂らしてを炊きます。

お米が炊き上がりました。

お湯に浸しておいた寿司桶にご飯をあけ、すし酢で味付けします。
すし酢は米酢に砂糖とダシを加えたものです。
ご飯全体に照りが出たらすし飯の完成です。

具材が煮詰まってきました。
甘めで濃い目の味付けがポイントです。
具材に油揚を加えると味がご飯全体に伝わります。

軽く絞った具材を酢飯に合わせます。
団扇であおぎつつ、具材を混ぜてゆきます。
粗熱を取ったら出来上がりです。
錦糸卵とでんぶ、のりをちらしていただきます。

孫たちの反応は『ベリーグッド!』。
なんと干瓢が美味しかったとのことです。

岡谷スカラ座界隈のことなど


戦前には製糸工場が建ち、県内外から集まる女工さんであふれたという岡谷は、大正時代には鰻が年間50トンも捕れたという諏訪湖に面した町です。
今では水門で諏訪湖とそこから太平洋に流れ出る天竜川の間が隔てられ、諏訪湖で採れる鰻は激減しました。

岡谷では、鰻屋さんへ行くか、レイクウオークというショッピングモールへ行くか、諏訪湖畔から花火を見るか、ですが、隠れたセールスポイントは中心部にある市営駐車場が5時間無料なことです。

駐車場が入った商業ビルの閑散とした風景を眺めつつ、向かいのビルのスーパーで野菜の廉価販売を覗くともうやることがないのが悩みです。
少し歩けば駅があり、かつては駅へつながるビルに飲食店などが並んでいたのですが、現在はビル自体が閉鎖され、ますます見るところがなくなりました。
交通の起点としての岡谷駅も、路線バスが茅野との間にしかなかったりで、JR中央線の駅として以外はほとんど機能しておらず、寂しいものがあります。

岡谷市営駐車場が入居するイルプラザ
ビル内の注意書き
1Fのゲームセンター

その岡谷中心部にスカラ座という映画館があります。
名前からして独立系映画館のようです。
上田や塩尻、伊那、飯田などに残っている、文化財的な現存木造映画館ではありません。
ロードショー系封切り作品専門のシネコンです。

かつて女工さんであふれたという岡谷のメイン通り

この日は、5時間無料の市営駐車場に軽トラを停め、スカラ座へ諏訪地域唯一のシネコン映画館の様子を見てきました。

スカラ座への近道

今どきの映画館らしく、ポスターの掲示をスマートに行っただけのレイアウトの入り口を開けると、チケット売り場へのアプローチがあります。
全部で7つのスクリーンを持つシネコンです。
ロビーには時間別、スクリーン別の上映予定作品がマトリックスされています。
ロビー奥には3人もの若い従業員が立っています。
ほかにスクリーン別に誘導するの動線上に案内係の女の子が一人。
売店には専任の女性もいます。
ポップコーンセットが750円とあります。
従業員は全員黒のユニフォームです。

近代的な入口

デートカップルのヤングが出てきて売店の前にいます。
ほかには客の姿はありません、上映中なのでしょう。
ロビーは黒一色で統一されています。

外壁でのポスター掲示

このシネコンのロビーの風景は、吉祥寺のそれと、また上田アリオというモールにあるそれと、同じです。
レイアウトもそうですが、コンセプトというか雰囲気がそっくりです。
現在のシアターを表すコンセプトです。

上映作品の案内

岡谷スカラ座が独立資本のシネコンだとして、そのスタイルが東宝シネマスなど配給会社系のシネコンと酷似しているのは、あるいは配給会社など業界の上流から、独立興行側への契約上の締め付けのようなものがあるからなのでしょうか。

別棟に2スクリーンある

「鬼滅の刃」、「名探偵コナン」や「スパーダーマン」などの作品は、配給会社直営の映画館以外で上映するためには、貸出料金のほかに上映回数などの厳しい条件をクリアしないとだめで、それ以前に上映環境などにも条件付けされているのかもしれません。
そうだとしても、独立系としてロードショー上映に拘り、岡谷の街で興行の世界というケモノ道を突き進むスカラ座の存在に興味がわきます。

左がロビーとメインスクリーンのある棟

早々にロビーからの退散を決めた視界に、上映予定作品のチラシのラックが飛び込んできました。
『原作:大川隆法』の文字が目をかすめます。
まだ幸福の科学が新作が出ているのです。
当該チラシを素早くかっさらいます。

幸福の科学の新作チラシ

数年前に、茅野の新星劇場という”現存木造映画館”で幸福の科学製作の映画を見たことを思い出しました。
観客はほかに一人でした。
当時はすでに新星劇場は定期的な上映は行っておらず、毎年秋の『小津安二郎記念蓼科高原映画祭』の会場となる以外は、春休み時期のアニメくらいしか興行上映はしていませんでした。
幸福の科学作品の上映は、新星劇場での久しぶりの興行上映でした。

その幸福の科学作品までシネコンに取られては、新星劇場の生きる道がますます細くなってしまうではありませんか。

新星劇場でモギリをしていたオーナー夫人の言葉を思い出しました。
『うちも「鬼滅の刃」を上映したいけど、一日8回の上映が貸し出し条件なのよ』と。
複数のスクリーンを持つ、大都市圏の映画館しか、人気作品の興行はできなくなっているのですね。

岡谷スカラ座と茅野新星劇場が今のところどちらも現存している長野県の興行界です。

葡萄の季節到来

9月といえば葡萄です。

県内の葡萄の産地は塩尻盆地が有名ですが、近年では須坂、小布施といった北信地域が有名です。
シャインマスカット、クインルージュ、ナガノパープルなどなど、覚えきれないくらいの数の品種が並びます。

この日は小布施まで軽トラを飛ばして葡萄の出荷の様子を見てきました。
目指すは小布施の道の駅に付属する直売所です。

道の駅小布施付属の直売所

菅平を越えて須坂に下り、平地を北上すると小布施です。
道の駅に目指す葡萄の直売所があります。
さっそく売り場を物色します、が、期待していた華々しさがありません。
平日なのか、来客数も閑散としています。
去年、自宅と北海道の親戚に送った、3品目セットを探して、係のおばさんに尋ねると以下のような説明がありました。

「小布施物語」の店舗内部。セットが並んでいる

『シャインマスカット、クイーンルージュなど(の人気品種)は6日から出ます。うちは露地栽培なので』
『中旬になると味もよくなり、品種も品数もそろったセットが出ると思いますよ』とのことでした。
やってきたのが2、3日早かったようです。

親戚に送ったセット

『ここ(「おぶせ物語」と銘打った売り場)は葡萄生産者のグループの売り場なの』とのこと。
品質には自信がありそうです。
せっかくなので、北海道の親戚に1セットの宅配を注文、山小舎用に加工用の巨峰をひと箱買いました。
この売り場には、中旬に再訪問しようと思います。

「おぶせ物語」外観

せっかく小布施まで来ました。
まだ11時前です。高山村方面へ向かい、農協限定販売のシードルを売っている高山村選果場に行ってみます。

高山村農協選果場で。念願のシードルをゲット

更に走って村内の温泉を目指します。
今日は近場の子安温泉へ行ってみます。
新装した近代的な建物がありました。
従来通りの直売コーナーと食堂を備えた、木の香り豊かな温泉施設になっていました。

新装、子安温泉の外観

雨の平日にしては集客数が多い子安温泉は、近場の高齢者の居場所にもなっているのでしょうか、休憩室には持参の弁当を広げるおじさんや、ふろ上がりのビールで乾杯するおばさんグループの姿が見られました。

子安温泉食堂にてから揚げ定食

食事と温泉を済ませて後は帰るだけです。
まだ昼過ぎ、下道を松代経由で帰りましょう。

松代ではいつものスーパー現金屋と菓子の蔦屋によって買出しします。
現金屋は果物が安いので、この日も洋ナシやプルーンなどをまとめ買い、コンポートやジャムの材料とします。
蔦屋では饅頭や干菓子などを買って山小舎での甘味の備えとします。

小布施、松代で調達した洋ナシ、ネクタリン、イチヂク
同上、巨峰、トウモロコシ

まだ時間があります、久しぶりに街の中心部にある観光案内所に寄ってみます。
松代の観光案内所は、従来の若いお姉さんが座っていてパンフレットが置いてあるだけの場所ではありません。
定年以上のおじさんが頑張っていて、来客には熱意のこもった情報提供を行い、必要に応じて即席の意見交換も辞さず、松代とその誇る歴史的背景に熱情をささげるスタッフがいるのです。
メンバーを中心としたスタッフがまとめた出版物が平積みとなっており、手書きの活動報告が壁に貼られています。その中心人物がミワさんという方です。

この日はミワさんは会議だか?で4時まで不在。
留守番の方と三々五々話しました。

武田の出城として作られた松代城のこと。
廃線となった長野電鉄松代駅舎が売却移転となること。
今に続く真田家が実は途中で松平家から養子を迎えていたこと。
真田家が一時財政困難から代々の鎧などを売却したので博物館ができたこと。
佐久間像山を重用した真田家。
松代大本営の歴史的保存と政治勢力の関係。
松代に食堂が少ない悩み。
養蚕と製糸業で栄えた松代だが、その後の産業転換がなかく没落したこと。
街中に水路が保存されていること。
近年廃線となった私鉄屋代線のこと。
などなど約1時間にも及んだ松代ワールドに関するトークに、椅子に座る間も忘れてしまいました。
この人の熱量もミワさんに負けてないわ・・・。

スタッフさんから聞いた松代近郊の大室古墳には行ってみようと思いました。

いやあ、地域って堀越せば起こすほど出てくるものなんですね、歴史だったり文化だったりが。
長野県に限らないのでしょうが。
この先もいろんな場所に行くのが楽しみです。

薪割り一直線

庭に山積みの玉(丸太を切ったもの)を薪割りします。

庭に山積みされた玉

玉は長さが40~45センチ、太さは様々ですが、直径が巨大なものはありません。
この玉を割って干さないと薪とならないのです。
長年かければ玉のままでも乾きはしますが、1から3年で薪として使うためには割って乾燥を促進しなければならないのです。

軍手を用意

ここ数年はエンジン式の薪割り機を借りてきて、せーので割っていますが、今年は手割でボチボチ行きましょう。

小ハンマーとくさびを用意

積んである玉の種類は、キハダ、ミズナラ、カラマツ、シラカバなど。
形状は、節があったり、二股になっていたり、曲がっていたり。
きれいな円筒形の、割りやすい玉はむしろ多くありません。

硬くて斧の刃が跳ね返されたり、繊維がグネグネしていてそもそも動画のようにパカッと割れない材質のものもあります。

斧で割れるものは割ってゆく

斧で刃が立たないものは、楔を使います。
小ハンマーで刃を立ててから、大ハンマーで打ち込むと大抵の玉は割れが入ります。

斧で割れないものはくさびを使う

気が向いた時の、夕方の涼しくなってからの作業です。

1時間もすると汗が垂れてきて、疲れが出てきます。
慣れてくると、打ち込むポイントや角度、力がわかってきて効率がよくなります。
同時にヘタってくるので、割った薪を積み込む作業と交互に行うなどします。
数年前までは、指や手首、肘、腰などの関節に痛みが出てくるまで作業継続できましたが、今はとてもとても、です。

それでも季節が寒くなるまでは玉を割って積み込まなければなりません。
体を動かし、汗をかく貴重な運動でもあります。

割った薪を乾燥台に積み込む