山小舎おばさんと行く信州の秋(後編)

後編です。
2日目の行程を終えて、伊那、駒ヶ根方面から山小舎に帰還。
一夜明けて3日目は佐久方面への探索に出ました。
目指すは東御市で行われるチーズフェステイバルです。

姫木管理事務所の草苅バイトの際、立科町から通う職員に聞いた情報です。
東御市でチーズの製造・販売・飲食を手掛けるアトリエ・ド・フロマージュという会社があります。
南向きの斜面に、広いレストランと売店を建て、ピザやチーズフォンデユを提供。
庭には羊小屋なども置いていて、休日には数十台停められる駐車場も満車の集客です。
その会社が音頭を取って、県内のチーズ工房を集めてフェステイバルを開催するとのことです。

10時の開場を目指し、8時半ころ山小舎を出発しました。
東御市の会場に着いたのは10時15分頃、既に駐車場は満車で、歩いて15分ほどの市役所駐車場を案内されました。
しなの鉄道田中駅と市役所、会場をシャトルバスが結んでいるとのこと。
市役所からバスで会場へ向かいました。

東御市のチーズフェステイバル2025会場遠望

バスを降りると、チーズのコスプレをした高校生らしき女の子3人がいます。
寄付金でも募っているのか?と疑問に思いましたが、山小舎おばさんが、ウエルカムしてくれているんだよと教えてくれました。

すでに熱気に包まれている会場。
チーズ工房のテントが並んでおり、いかにも初々しい店子さんが接客しています。
別の列はキッチンカーです。クレープやリゾットなど主催者のセレクトがうかがえます。
クラフトビール、ワイナリーのテントもあり、東御周辺の若い生産者のうねりがのぞきます。
店によっては客の長い列が伸び、テント張りのイートインはすでに満席です。

出店者のテントが並ぶ

先ずはチーズ工房のテントを回ります。
山羊のチーズや、最近通っている佐久市春日地区のボスケソチーズラボの4種盛り合わせなどを入手します。
試食した山羊のチーズはみずみずしい味がしました。

県最南端、南伊那の売木村から来たチーズ工房がありました。
今朝出てきたの?と聞くと、前泊ですとのこと。
店子のおばさんと娘さんの笑顔に、売木村の牧場と山羊ののどかな様子が見えるようでした。

キッチンカーにも長い列が

キッチンカーのハンバーガーをぱくついてから、歩いて市役所駐車場まで帰りました。
そのあとは、浅間サンライン沿いの道の駅・雷電くるみの里へ寄ってみました。
駐車スペースが見つからないほど混んでいたので、山小舎おばさんだけが下りて買い物。
特産の葡萄などのお土産を買っていました。

さて、山小舎おばさん信州行の必須は温泉です。
本日の立寄り湯は、坂城町のびんぐしの湯です。
千曲川沿いの坂城町から、築北村との境の山塊を、狭い道をグネグネ上がってゆきました。
坂城は上田の隣で山小舎からもそう遠くはありません。

坂城町びんぐしの湯

びんぐしの湯は、もともとの温泉街にあるわけではなく、最近できたよくある健康センター的な施設でした。
山小舎からは家族でよくゆく上田のイタリアンレストランのママさんがご推薦の場所とのことです。
ほぼ地元の人しかいなく、静かな館内。
露天風呂からは千曲川沿いの景色がよく見えました。

循環バスの停留所もある

これで2日目の全日程を終了。
山小舎おばさんの10月の信州旅行が終わりました。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第4集) 蝋人形館の”旧と新”

「肉の蝋人形」(MYSTERY OF THE WAX MUSEUM) 1933年  マイケル・カーテイス監督  ワーナー

1921年のロンドン。
蝋人形館に命を懸ける男がいた。
生命を賭けた傑作人形マリー・アントワネットの出来栄えは男の自慢だった。
ところが客の入りがよくなく、興業主は火災保険の保険金で、赤字を取り戻そうと蝋人形館に放火する。
男は最愛のアントワネットとともに業火に沈んだのだったが・・・。

ロンドン時代のイゴール。入魂のマリー・アントワネット像と

昔の雑誌のカラーグラビアのような発色の、二色式テクニカラーで撮られたこの作品。
蝋人形の製作・展示というマニアックな世界を舞台にした、猟奇がかった怪奇譚は12年後のニューヨークへと飛ぶ。

かの地で新たに蝋人形館を開館するというイゴール(ライオネル・アトウイル)。
弟子からは先生と呼ばれる蝋人形の権威だ。
一方、30年代のニューヨークの新聞記者は、生き馬の目を抜くというか、セクハラパワハラ全開でワークライフバランスなどという言葉と無縁の世界。
女優の不審死と死体の紛失、蝋人形館を巡る怪しさに気づく女流記者(グレンダ・ファレル)がいた。

イゴールは弟子のフィアンセ(フェイ・レイ)を一目見てから、マリー・アントワネットの再来と勇み立つ。
イゴールは先般の女優に続き、彼女の体をベースにして蝋人形を作ろうとしていた!
抵抗する彼女の手がイゴールの顔面を叩くと、蝋のマスクが割れ、12年前にロンドンで大やけどを負った姿が現れる・・・。
そこへ女流記者に導かれた警官隊が駆け付ける・・・。

フェイ・レイに迫る車椅子のイゴール

冒頭のプロローグで早くも炎に包まれ溶けてゆく蝋人形の描写が見られる。
ニューヨークに場所を移しては、ミステリアスでマニアックな老先生が、美女に迫る猟奇性が展開!
地下室に展開する蝋人形制作の大規模なラボの釜には常に沸き立った蝋が満たされている!
鬼気迫る美女の絶叫!

併せて新聞記者の生態のスピーデイさ、身分の危うさ、ハラスメント三昧、特ダネ探し、などが、女流記者と編集長の間のマシンガントークで繰り返し描写される。
映画は、新聞記者の実態を、コミカルさにかまけて描くことに力を入れている。

炎に包まれるアントワネット像

絶叫要員のフェイ・レイは初代「キングコング」でコングの恋人役に抜擢されたあの女優さん。
よく見れば整った美人で、本作では生きたまま蝋人形にされる寸前の役で絶叫。

絶叫のフェイ・レイ。「キングコング」より

監督のマイケル・カーテイスは、オーストリア=ハンガリー帝国ブダペスト出身のユダヤ人。
同じくユダヤ人のタイクーン、ジャック・ワーナーに誘われて1927年にハリウッドに渡り、以降中堅職人監督として定着。
「カサブランカ」(43年)が有名だが、監督としての守備範囲はエロール・フリンの剣劇ものなどの手堅い娯楽作。
本作では33年乍らカラー作品を任されるなど、タイクーンからの信頼の厚さがうかがえる。



「肉の蝋人形」(HOUSE OF WAX)  1953年  アンドレ・ド・トス監督  ワーナー

今回見たDVDは、A面が53年版の、B面が33年版の「肉の蝋人形」で、A面には特典映像として、オリジナル予告編とニュース映画が収められている。

このオリジナル予告編が凄い。
文字が飛び出てくるだけの(映像なし)予告編は、繰り返し”スリー・デイメンション”とアピールされるという、センセーショナルなもの?
53年版は3D映像で劇場公開された作品なのだ。
また公開時の劇場前の模様を収めたニュース映画では、詰めかけたスター達(ロナルド・レーガンやシェリー・ウインタース)の姿が見られる。

3D作品はカラーセロファンが貼られたメガネをかけて見ると、映像が飛び出すというもの。
本作では、蝋人形が燃えて首が落ちる場面や、蝋人形にされた死体がこちらに向かって倒れ掛かる場面などがスクリーンから飛び出たのであろう。
あるいは夜のニューヨークの街角をさ迷う怪人の姿が、立体的に浮かび上がったのかもしれない。

筋立ては33年版を踏襲。
蝋人形の炎上場面のショック、死体置き場などで暗躍する怪人(蝋人形師)のスリラー、死体が紛失した美女が蝋人形となった恐怖、蝋人形師の地下のラボ(蝋が煮えたぎった風呂釜のような装置)のマッドぶり、などなど映画の見せ場も前作と同様。
マリー・アントワネットの蝋人形に擬すべく、蝋人形師がほれ込んだ美女の危機一髪が最大の山場であることも共通している。
死体置き場で死体が起き上がるなど、細かなシーンで前作から頂いていることが多い。

復讐の鬼となる蝋人形師にビンセント・プライス、その弟子にチャールズ・ブチンスキー(のちのブロンソン)、蝋人形にされかかった美女にフィリス・カーク。
若き日のブロンソンは不気味な聾唖者の役で出演時間も多く活躍している。

監督のド・トスはハンガリー生まれ。
33年版のマイケル・カーテイス同様、ヨーロッパでキヤリアをスタートさせた後のハリウッド入り。
フィルモグラフィを見ると本作「肉の蝋人形」が最も有名な作品のようだ。
ハリウッドに見込まれ、”仕事”に徹した職人中の職人監督だと思われる。
本作は3D映画ということもあり、予算を賭けたA級作品として製作されており、夜のニューヨークの街角の大掛かりなセットや、街を駆け巡る当時の消防馬車の再現などに監督の手腕が見られたものと思いたい。



(もう1本!)「妖婆 死棺の呪い」 1967年 コンスタンチン・エルシュフ、ゲオルギー・クロバチョフ ソビエト

「肉の蝋人形」とはコンセプト的にも関係はないが、ホラー共通ということでソビエト初のホラー映画を見た。

ゴーゴリの短編が原作、総監督にソ連初のカラー作品でカンヌ映画祭色彩賞受賞の「石の花」(46年)を監督したアレクサンドル・プトゥシコが付いた。

舞台は19世紀のウクライナ。
キエフの神学校の哲学生ホマーが体験する怪異譚をソビエト映画独特の悠久のムードで描いたもの。
怪異譚ではあるが全編を貫くのはウクライナの大地が醸し出す、その大陸的なおおらかさ。
ウクライナそのものが主人公のフォークロアともいえる作品。

神学校の学生たちの若さ溢れる逸脱ぶりが描かれる。
校長ら聖職者の型にはまった硬直ぶりも。
大地に根を生やす百姓はもっとどうしょうもなく、普段はただただ飲んだくれている。

村の中庭には、牛や馬や豚やガチョウが歩き回り、家の近くの大木にはコウノトリが巣を作っている。
中世の西洋絵画のような風景。
これが19世紀のウクライナの農村風景なのだろう。

神学校の夏季休暇で帰省途中のホマー等は道に迷い、村の一軒に宿を求める。
納屋で寝ようとするホマーに家の老婆が迫る!
老婆はホマーの背にまたがり空を飛ぶ。
地上に降りた老婆をさんざん殴打するホマー、ダメージを食らった老婆はうら若い美女に姿を変える。

神学校に戻ったホマーは、遠くの村に呼ばれる、村の有力者の娘の臨終の立ち合いをしてほしいと。
村に着くと娘は死んでいる。
父親は三日三晩、娘に祈祷することを命じ、夜になると教会に娘の棺とともに閉じ込める。
ホマーと娘の運命やいかに、そして娘の正体は?

若き魔女が血の涙を流す。演ずるはナターリヤ・ヴァルレイ

ホマーにまたがって空を飛ぶ老婆。
棺の中で魔女となって蘇る娘と、チョークで丸く結界を描いて身を守るホマー。
その攻防が教会で毎晩繰り広げられる。
三日目になると魔女の攻撃はさらに増し、棺ごと飛びまわって結界に体当たりする・・・。

いわゆるホラー映画のショッキングなシーンと異なり、これらの幻想シーンのなんとほのぼのとしていることよ。昔々の魔女と聖職者の対決のおとぎ話のテイストさえ漂う。

悠々迫らざるウクライナの大地から笑われる魔女や怪物のホラー度は、切羽詰まった近代的文明社会におけるそれらとは、切迫度、強迫観念度に於いて全然違う。
歴史と宗教に彩られた中世社会の安心感と、それらが失われた現代社会の不安感の違いとでもいうのか。

突拍子もないフォークロアでありながら、不安感のない作品。
ソ連、ロシアの映画史にあっても異色の作品なのだろう。

DVDに封印されていた解説書

山小舎おばさんと行く信州の秋(前編)

10月半ばの3連休に山小舎おばさんがやってきました。
珍しく山小舎に3泊して(いつもは2泊が多い)信州の秋を堪能してゆきました。
今回の訪問先は、高遠、伊那地方が1日と、東御、坂城方面で1日です。

山小舎に到着して炭火焼きに舌鼓を打った翌日、高遠方面に出発です。
大門街道を茅野に下りて、杖突街道で杖突峠を越えます。
曇り空の肌寒い日です。
目指す蕎麦屋は早くも駐車場が県外ナンバーで満車状態、1時間待ちだそうです。
待機時間中に、もう一つの目的地の長谷村を目指します。

長谷村の道の駅でこの日初めての活動

道の駅南アルプス長谷村へは高遠から分杭峠方面へ10分弱走ります。
ブドウやリンゴなど秋の味覚であふれる道の駅には新米も売っていました。
長谷村のお米は、分杭峠の水系で育った味の良さで人気です。
昨年のコメ騒動では早々に品切れとなっていましたが、新米の季節となり、買い急がなくても在庫であふれている状況でした、値段は高騰していますが・・・。

賑わう道の駅直売所
新米もたっぷり

高遠に戻って蕎麦屋の前で待機します。
さらに1時間待って入店。
手打ちの10割蕎麦を頼みます。
焼き味噌をダシで伸ばしてそばをすすります。
風味と歯ごたえのある、野趣豊かな、信州らしい田舎蕎麦です。
サイドメニューに五平餅も頼みました。

高遠蕎麦を満喫
五平餅も旨い

その後は伊那方面に遊びました。
飯島町の信州里の菓工房、松川のりんご園、駒ケ岳登山口のこまくさの湯を回るという南伊那・秋のゴールデンコースです。

先ずは飯島町の信州里の菓工房へ。
道の駅花の里いいじまに隣接した大規模な菓子工房です。
和菓子から洋菓子までそろっており、イートインではそれらを味わうこともできます。
この日は秋限定の栗菓子の特売日だったようで、イートインには地元の人が並んでいます。
見るとモンブランに栗おこわなどがセットされたプレートを箸で食べています。
小布施などと並び、南伊那のこのあたりも栗の名産地のようです。

飯島町名産の栗を使ったスイーツ

次いで松川町の宮沢農園というりんご園へ。
11月の孫たちとのリンゴ狩りの候補地です。
この日は山小舎おばさんとともにリンゴ狩りの下見です。
既に秋映、シナノスイート、陽光、紅玉などの品種が真っ盛り。
あいそのいい、I(アイ)ターン移住者だというお兄さんの出迎えを受けて山小舎おばさんもご機嫌。
試食した陽光と秋映がお気に入りで、その2種類を3,4個ずつもぎ取って帰りました。

松川町の宮沢りんご園にて
リンゴ園のお兄さんの案内でリンゴ狩り

夕方が迫る中、駒ケ根まで戻って登山口にあるこまくさの湯へ。
信州では1日1湯が山小舎おばさんの日課です。
ここは、登山者やハイカーで賑わう立寄り湯です。
広めの浴室に熱めの湯です。
ゆったり使って出てきたころは日が暮れていました。

駒ヶ根インターから諏訪インターまで中央自動車道で帰りました。
2日目が終了しました。

薪仕事2025 薪割り(本格的に)開始

丸太の玉の薪割りを開始しました。

カラマツの丸太を玉切りしたものを薪割り機で割ります。
いよいよ薪割り本番です。

道路際に積んでおいた玉の脇に薪割り機を移動します。
さらに軽トラの荷台のあおりを下ろして寄せておきます。

直径の大きな玉を、よっこらしょと薪割り機にセッテイングします。
エンジン始動!

薪割り機を玉の脇にセッテイング

出力をぎりぎりに調整します。
玉を十分割れる馬力で、エンストしないように、といって過剰な出力としないようにアクセルを調整します。

バリバリと音を立ててカラマツが割れてゆきます。
薪割り機のパワーはいつ見てもすごいものです。
刃の行く先にはもちろん、刃の戻る先にも手や足は置かないように注意します。
木によっては割っている最中にパカンと割れてはじけることもあります。
カラマツの皮や木くずがあたりに散乱します。

薪割り機のそばにはガソリン缶を用意

玉の割り方は4等分が基本ですが、直径が大きなものはその半分の8等分にしたり、6等分にします。
積んだ時に下の方の薪は大きく、上に積む薪は細く、軽くしたいので、それを考えて割ってゆきます。
割った先から、薪を軽トラの荷台に放り込みます。

割った薪を軽トラ荷台に放り込む

軽トラの荷台が一杯になったら、積み台に移動して積み込みます。
新しい薪が気持ちよく積み込まれてゆきます。木の香りがして蜂が寄ってきます。

カラマツは油分が多く、それを流すために雨ざらしでこのまましばらく置きます。

積み台に割ったばかりの薪を積み込む

新米と布施温泉

新米の季節です。
山小舎から下った麓はお米の産地。
佐久方面に下ると、浅科地区の五郎兵衛米をはじめ、地域自慢の銘柄米が覇を競う米産地方になります。

かつては、この地方は蓼科山の湧水に恵まれた場所でしたが、春先は湧水の水温が低く、稲作には適さなかったそうです。
江戸時代に地元の五郎兵衛さんという人が、用水路を工夫して冷たい湧水を日光で温める方法を編み出し、水田が盛んになったとのことです。

五郎兵衛米産地の真っただ中、道の駅ホットパーク浅科へ新米を買いにゆきました。
去年の夏ころは、いつ行ってもお米が品切れだった県内の直売所や道の駅ですが、銘柄米の値段が高止まりし、コメの需要も一巡したからなのかどうなのか、新米の季節になった今、五郎兵衛米の新米がたっぷり売れ残っていました。
値段は5キロで4800円もしましたが。

道の駅浅科ホットパーク、直売所
五郎兵衛米の新米がズラリ

ホットパークでランチです。
ここで食べるのは初めてです。
浅間山を遠望しながらの大ロケーションです。

道の駅の食堂テラスより浅間山方面を望む
名物味噌カツ丼を賞味

浅科までくると、望月をはじめ、春日、立科などの地区が帰り道です。
望月農協をはじめ、地元スーパーの越後屋、直売所菜ないろ畑、春日のチーズラボ、望月のOKブレッドなど、魅力的な購買所が目白押しです。

この日は布施温泉によってみることにしました。
夏に山小舎へやってきた5人の学友が立寄ってきた温泉とのこと。
初めて行ってみます。

布施温泉を目指す
沿道はハザ架けの風景が

今どきはよくある感じの田舎の立寄り湯。
立派な建物と、周りの庭園です。
食堂もついている地域のスーパー銭湯的な施設です。
入浴料500円は今時では良心的な方かもしれません。
入浴客は地元の高齢者オンリー、平日の割には混んでいました。

布施温泉
正面玄関

久しぶりの温泉に身も心もほっこり、ゆったりした、ある日の午後でした。

薪仕事2025 薪割り開始

丸太の玉切りが終わりました。
薪割り機を借りてきて薪割り作業の開始です。

別荘地の管理事務所にエンジン式薪割り機を借りにゆきます。
エンジン式なので強力です。
ただし非常に重いので、軽トラへの積み下ろしが大変です。
地面からの積み込みは単独ではできません、ラダーレールなどを使ったとしても。
軽トラの荷台とレールが同じレベルで水平になっていないと、単独での積込みは難しいのです。

薪割り機をセッテイング

そんな難儀な薪割り機ですが、今ではこれがないと効率的な薪割りはできません!
ということで山小舎のフィールドに無事薪割り機を運んで薪割りの開始です。

今日は駐車場スペースに運び込まれた丸太を割ります。
この丸太は、貯木場から切って運んでもらったのですが、ひと夏の間、地面に転がしてあったので、腐り始めているのです。
割ってもフレッシュな木のようにパカンとは割れません。
グニャリと崩れてしまいます。
燃やすと水ばかり出ます。

これから割る木を集める
腐り始めた丸太を割る

とはいっても折角運んでもらった木なので、できるだけ割って積み込みます。

積込み

これが終ると、丸太から切ったカラマツの薪割りです。

DVD名画劇場 追悼・イタリアの名花 クラウデイア・カルデイナーレ

クラウデイア・カルデイナーレ

1938年、チェニジア生まれ。両親はギリシャ出身のイタリア人だという。
地元の美人コンテストを経て映画界入り。
美人コンテスト出身のイタリア女優には、シルバーナ・マンガーノ、ルチア・ボゼー、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダなどそうそうたるメンバーがいる。

「山猫」(1963年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督)では貴族の令嬢役

58年に映画デヴュー。
60年代に入ってからは、「鞄を持った女」(61年 ヴァレリオ・ズルニーニ監督)、「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)などの主演作品で人気を博し、63年には「山猫」、「8・1/2」とヴェスコンテイ、フェリーニの両巨匠作品に抜擢されて大女優への道を歩んだ。
「ピンクの豹」(63年 ブレイク・エドワーズ監督)以来ハリウッドにも進出した。

「山猫」はフェリーニの「8・1/2」と掛け持ちでの出演だったという。アラン・ドロンと。

筆者が見たカルデイナーレ出演作品は「若者のすべて」(60年 ヴイスコンテイ監督)、「大盗賊」(61年 フィリップ・ド・ブロカ監督)、「熊座の淡き星影」(65年 ヴィスコンテイ監督)、「ラ・スクムーン」(72年 ジョゼ・ジョヴァンニ監督)、「フィツカラルド」(82年 ヴェルナー・ヘルツォーク監督)と少ない。

が、カルデイナーレというイタリア人女優の、若い時の初々しく、土臭く、気が強そうな表情と、庶民的で人懐っこい笑顔は強く印象に残っている。

「リオの男」「カトマンズの男」などの名コンビ、ド・ブロカ監督とベルモンドが再び組んだフランス製時代劇「大盗賊」では、ベルモンド扮する義賊を助け、彼に殉ずる活発で心優しいヒロインを演じていた。
こういう女性が身近にいたら男としては身を捨てて張り切るだろうし、この上なく勇気づけられるだろうと思わせるヒロイン像だった。

姉弟間の狂おしい愛情を基調とする、舞台劇のようなヴィスコンテイの「熊座の淡き星影」は、場面も少なく、ひたすら暗い画面でセリフのやり取りが続いていたが、一方で、カルデイナーレの頼もしい肉感性がもう一つのテーマであった。

70年代以降の作品では、札幌狸小路の1本立て洋画二番館・ニコー劇場で見た「ラ・スクムーン」がある。
フランスの人間国宝・ベルモンド主演の一ひねりしたギャング映画だったが、カルデイナーレが出てくると圧倒的な色気と貫禄が画面を制していた
洋画雑誌のグラビアで彼女のピンナップや過去の代表作に接するしかなかった世代の筆者にとって、年を経たとはいえ、その女優さんとリアルタイムのスクリーンで対面したことの歓びを感じた記憶がある。

「映画の友」1964年12月号の巻頭グラビアより。ハリウッド作品「プロフェッショナル」(66年)の撮影後
「キネマ旬報」1966年10月号増刊の表紙より。「大盗賊」(61年)撮影当時のもの

彼女の追悼として手許にあるDVD2作品を見た。

「暗殺指令」  1960年  エンツイオ・プロヴェンツアーレ監督  イタリア

イタリアのLUX FILMという製作会社の製作・配給、プロデユーサーはのちにカルデイナーレと結婚するフランコ・クリスタルデイ。
カルデイナーレがスターダムに登る前の初期作品で、その初々しくぎこちない演技の、後の大女優の若きを姿を見ることができる。

監督は、社会派フランチェスコ・ロージ作品の脚本メンバーだというが、監督作品はこの1本だけらしい。
シチリアを舞台にし、マフィアに実権を握られたかの地の後進性を、それに反抗した挙句葬られてゆく若い恋人たちを通して描くこの作品。
シチリアを舞台に、戦後イタリア社会の貧困を描くことの多かった、イタリアンネオレアリスモ及びその流れをくむ作品群と共通するところが多い。

「映画の友」1961年4月号に掲載の本作広告より。上半分は「ローマで夜だった」の広告の一部

舞台はシチリア島の寒村。
主人公は兵役から帰った失業若者。
設定は撮影当時の1960年のようだから、大戦時の帰還兵が役柄だった「オリーブの下に平和はない」や「にがい米」のラフ・バローネのように汗じみた着た切りスズメ、髭ボーボーの風体ではない。
本作の帰還兵アントニオ(レナード・カステラーニ)は、やや現代風にこざっぱりしている。
のちに出てくるシチリア島最大の町パレルモは若者がおしゃれして闊歩するほどに賑わっている復興の時代。
同じく敗戦国の日本が、1961年の厚生白書で『もはや戦後ではない』と晴れやかに?宣言し、復興と高度成長期の活気を見せていたかのように。

一方、シチリア島の深部、塩田を主産業とする海辺の寒村の領主はいまだに伯爵一家。
妻を自殺で失った訳ありありの伯爵一家の妹娘グラツイア(クラウデイア・カルデイナーレ)が心を閉じて暮らしている。
グラツイアは、後にアントニオとともに因習まみれる故郷を脱出し、つかの間の青春を謳歌しながらも悲恋の定めに沈んでゆくヒロインとなる。

妹グラツイアの日記を読んで嫉妬する姉

封建的な父親の侯爵、過去を引きずり自由を目指す妹に冷たく復讐する姉。
閉ざされた家庭から自由を求めて船出するグラツイア。
一方、父の代からのしがらみでマフィアの暗殺命令を拒めず、塩田の村で侯爵の暗殺を試みるが果たせず、その後はマフィアの追跡から逃れて、パレルモからイタリア本土へと流れるアントニオ。
二人が脱出の小舟の上で邂逅する。

若い二人の逃避行。
ローカル列車の座席でまどろむグラツイア。
トランクを下げバス停から駅へとシチリアの田舎の草原をさ迷う。
パレルモの駅で心細そうなグラツイアと、その日の本土行きの船をあきらめて彼女のトランクをもって同行するアントニオ。

貧しい庶民出身の、しかし心に太陽のような情熱を秘め、愛する男に尽くすイタリアの若い女の純情、が当たり役となってゆく頃のクラウデイア・カルデイナーレの、初々しい姿が絶品だ。
やはり彼女は貴族より庶民が似合う。

パレルモについた二人のつかの間の幸せ

二人のパレルモの町でのデートシーンが好ましくて涙が出る。
しかしこの喜びも長くは続かない。
追跡するマフィアと逃げるアントニオ、取り残されるグラツイアのすれ違いが、もどかしくも巧みな脚本で描かれる。

アントニオは有力者の名付け親に助けを求めるが取り合ってもらえない。
かえってマフィアに通告される。
グラツイアは貴族の従弟と、その使用人からマフィアに向けての情報が筒抜けだ。
マフィアはシチリアの村民を制圧しているだけっではなく、有力者や支配階級とも持ちつ持たれつの利権関係を結んでいるのだった。

アントニオはホテルの部屋、偽りの告白をして彼女にもとを去る

単にマフィアの支配と田舎の封建性だけを描くのではなく、マフィアと切っては切れない支配階級の腐敗も盛り込んで、シチリアのイタリアの問題に切り込んだ作品。

何よりもクラウデイア・カルデイナーレの初期の出演作として、後の彼女の役柄となった、純情で、貧しくも、しっかりした、太陽のようなヒロイン像の原型がここに見られた。

「ブーベの恋人」  1963年  ルイジ・コメンチーニ監督  イタリア

LUX FILM製作、プロデユーサーはフランコ・クリスタルデイと「暗殺指令」と同じ布陣。
クレジットのトップにパラマウントのロゴが出てくるのは、世界配給を同社が行うのだろう。
資本も入っていると思われる、キャスト等の意向も。
ジョージ・チャキリスの起用はパラマウントによるものだと思われる。
出来上がりはシッカリとイタリア映画だった。

カルデイナーレとチャキリス

1944年、アメリカ軍が進駐してくる。
大歓迎する村の娘たち。カルデイナーレ扮するマーラもその一人。
父はパルチザンのシンパ。
兄の死を伝えに来たパルチザンの同志ブーベ(チャキリス)。
マーラはブーベを一目見て恋に落ちる。

アメリカ軍がイタリア本土に上陸したとはいえ、国内はドイツ軍が支援するファシスト派とパルチザンが内戦状態のイタリア。
教会はドイツ・ファシストに組みし、パルチザンは国内の警察組織にも追われている。
分裂状態の民衆は、ある時はファシストに組した司祭をリンチ寸前にまで追いつめるし、また息子をゲリラ戦で亡くした母親はパルチザンに拒否感を示す。
ドイツや日本と違い、戦争中でも国内が一致団結せず、対抗勢力が武力で衝突するイタリア。
民衆レベルでもそれぞれが四分五裂しており、映画はその現実をさりげなく描き込む。

二人は村のカフェでデートする

マーラが待ちくたびれた頃、ブーベが村にやってくる。
ブーベのズボンのほつれを縫うマーラ。
パラシュートの生地を持ってくるブーベ。
マーラはその上等な絹の生地でワンピースを縫う。
戦時中の貧しい恋人たちの逢瀬。
実年齢25歳になるカルデイナーレにマーラの役がよく似合う。

飲み屋で憲兵親子とけんかになり、仲間が射殺された後、憲兵親子を殺害し、追われるブーベ。
パルチザン組織に匿われ、マーラとの逃避生活を過ごす。
突然、別の場所に移動が決まり、車で去ってゆくブーベに追いすがり、かろうじて別れのキスをするマーラ。

ここら辺の不安定だが、初々しくもみずみずしい二人の関係と、突然の分かれのドラマチックな演出は、コメンチーニ監督はうまい。
社会派そのものではなく、社会的良心を背景にした作風の職人監督、としての面目躍如だ。
パラマウントが出資し、口を出してくる、いわば合作映画をこれだけまとめ上げるのだから上出来だ。

別れた後の二人は、留置所でのブーベとの面会、裁判での証言で顔を合わせるだけの年月が過ぎてゆく。
この間、町で働き、まじめな男・ステファノのアプローチに対し受け入れ寸前まで行く。
マーラとて生身の女なのだ。
その時の正直な気持ちは新しい愛情を受けれることなのだ。

こういった気持ちの動きをしつこく、重厚に描くのがイタリア映画流。
「ひまわり」(70年 ヴィトリオ・デ・シーカ監督)でのソフィア・ローレン演じる主人公もそうだった。

よろめくマーラ。
裁判でも気の利いた証言はできない。

懲役14年の判決があった7年後、駅には27歳になったマーラの姿があった。
ステファノが偶然見かける。
マーラはブーベのもとに月2回、列車に乗って面会に行くのだった。
『7年後は34歳、まだ子供も産める。これまでの7年間はあっという間だった』と、ステファノに告げながら。

これこそイタリアの女性。
軽そうに見えながら(イタリアの男はそうだろうが)、信じるものには一直線、容易には見放さない、土着的で目端は効かないが。

すでに映画にも慣れ、自らの主演を楽しそうに、自由そうに演じるカルデイナーレの姿が見られる。
チャキリスは演技ができないので役不足だが、戦時中の青年の貧しさは出せたと思う。

戦争中のイタリア社会、庶民の断絶とぬぐいきれない傷跡を背景に、当時の若者たちの一途な恋の変遷を描いた作品。
基調にはどっかりとイタリア女性の逞しさが横たわっている。

煙突掃除でDIY!

今年やっと煙突掃除をしました。

毎年春頃に行っている煙突掃除。
薪ストーブを炊いている住まいに住むものとして、煙突を設けている住まいに住むものとして、定期的に行わなければならない仕事です。

屋根にかかる垂直煙突
煙突の室内を通る平行部分

古い道産子として、昭和の時代の冬の北海道で過ごしてきた山小舎おじさんは、小学生の頃の石炭ストーブだった自宅では、ストーブを焚く冬の間は毎月一回、父親が煙突掃除をしていたのを思い出します。
晴れた日曜日などに、火を焚く前の煙突を外し、外に出てブラシで煙突の内部をこすってススを出していました。
そのあとはストーブの吸い込みがよくなったものでした。

あの時代の北海道の冬はまた、低く垂れこめた大気にススの匂いが、漂っていたのを思い出します。
長く積もった雪の表面にススが黒く積もっていたことも。
そしてその匂いが1982年冬のポーランド南部の地方都市・カトビツエの空気を吸って思い出したことも。

さて、なんやかんやで引き延ばしていた煙突掃除。
10月の晴れ間、時間と気持ちに余裕のある午前中にやっと始めました。

毎年行っている作業ですが、屋根に上がること、ススがどさっと出てその処理に準備が必要なことに気を付けて作業開始です。
まず、屋根に上がって煙突の垂直な部分の底を塞いでいるポケットを開けます。
ポケットの内側にどっさりついた、濡れたススに驚きます。
水気さえ滴っています。
これだけ生木を燃やしていたということです。

垂直ポケットを開けるとススがどさっと落ちる

水平部分を塞ぐポケットは2階の室内から外します。
ここからブラシを入れて往復すると、ススが屋根の上と、ストーブの内部に落とされます。
これをバケツに受けます。

並行ポケットからブラシを通す

ススの入ったバケツと、2枚のポケットをもって外に出ます。
乾いたススを捨てるとともに、ポケットについた濡れたススをホースで洗い流します。

ついでに屋根にぶちまけられたススと灰を下からホースで洗い流します。

ポケットを2枚煙突に取り付け直します。
ストーブ内部に落ちたススをスコップで掻きだしバケツに入れて捨てます。
完了です。

掃除終了
ストーブの吸い込みがよくなった

10月に入って夏が終わったどころか、雨の日などは長袖を着て、ストーブを焚かなければ寒い日がある山小舎です。

この日はぽかぽかの日差しの中、ゆっくりと作業ができました。
しばらくはストーブの吸い込みがいいでしょう。

モミの木オイルとネパールカレー

長野日報に載っていた『地元産モミの木から作った精油』を求めて、出荷先の諏訪大社本宮東参道のカフェを訪れたけれど、発売開始が翌日からだったり、再度訪問の際にはカフェが定休日だったりの話は、本ブログでお伝えした通りです。

10月に入ったばかりの金曜日に、気になっていたモミの木精油を追い求め、改めてカフェを訪れました。
カフェは開店していました。

本宮東参道のカフェ

店には若いマスターが一人、愛想のよかったママさんは不在、客はいません。
マスターに確認すると、モミ精油は販売されていました。

モミの木を蒸留したエッセンシャルオイルとそのオイルを水で割ったウオーターの2種類が主な製品です。
値段はスプレー瓶が2000円、ミニボトルが600円。
それぞれテイステイングができます。
手首にスプレーして匂いを嗅ぐと、鮮烈な木の香りが頭の底まで響きます。
精気漂う深山の森に連れていかれたようです。

オイルとディフューザー(オイルを数滴たらして部屋につるすなどの道具)のセットを購入しました。
都会で暮らす山小舎おばさんへのプレゼントです。

モミの木エッセンシャルとディフューザーのセット、1200円

店内には県内のニッチな産物がプレゼンされています。
竹炭があったり、アカマツのエッセンシャルがあったり、黒曜石やコケをレイアウトした置物なども。
それぞれ、生産者がいたりデザイナーがいるとのことでした。
山小舎には黒曜石はたっぷりあるので、空気の浄化用?に竹炭を一袋求めてみました。

モミの木精油製品

併せて諏訪大社の歴史を学べることもこのカフェのテーマの一つ。
関連本がずらりと並び、大社の古地図の複製が展示されたりしています。

マスターと大社について雑談しつつ、コーヒーを頼みました。
小型の焙煎用具で炒って淹れる『本日のおすすめ』コーヒーは飲みやすく飽きの来ない味でした。

カフェで一服

マスターに神長官守矢家のことを聞きました。
『当代の守矢早苗さん(独身)がなくなると断絶だね』というと『跡継ぎがいるそうですよ』とのこと。
適格者がいれば養子をとって歴史をつないできた神職の家系にはそういう手があったのですね。
ただミシャクジを下ろす呪文(口伝)については、現当主の祖父の代を最後に、伝承が途切れているそうです。

カフェ内部
カフェにはいろいろな情報のパネルが

マスターに昼食のおすすめ店と、立寄り湯の情報を聞きました。
美味しいカレー屋が近くにあるというので寄ってみました。

東参道から大社方面へ歩き右折、表参道と並行して進む道沿いの民家が目指すネパールカレー店でした。
民家に似つかわしくない旗がひらめいています。
恐る恐る入ると玄関は古民家風です。
靴を脱いで上がる店内は畳敷きの部屋にテーブルが10席ほど、すでに数組が飲食中です。
チャイを頼んで読書をする若者もいます。

民家を再利用したネパールカレー店
入口
築100年の玄関内部

オーナーらしき女性がオーダーを取りに来ました。
チキンダルバードを頼みます。
チキンカレー、インデイアカ米、ダルスープ、ヨーグルトに副菜が数種類付いた定食です。
ご飯とダルスープはお替り自由とのこと。

チキンダルバート1300円
店内にはネパールグッズも

店内にはネパール人の男女も数名働いていました。
カレーとダルスープは上等。
インデイアカ米はやや硬い炊きあがりに感じました。
一度お替りして満腹、満足しました。
立寄り湯には寄らずに買い物して帰りました。

(おまけ) ネパールでのカレーの思い出など

1981年の4月から5月にかけて1か月ほどネパールにいたことがあります。
カトマンズでは地元の定食屋に出入りしました。

ネパールには、チベット料理の流れを汲む麺やギョーザ(モモ)、水牛料理などもありますが、一般的に食べられるのはダルバードと呼ばれるカレー定食です。
これはインドとも共通します。
人々はこれを右手の指で上手に食べます。
外人客にはスプーンを出してくれます。

給仕はカンチャと呼ばれる少年が行っており、呼ぶとごはんやカレーのお替りをよそってくれます。
客は食べたいだけお替りし、いらなくなると途中でも(ご飯などが残っていても)食べるのをやめて立ち上がります。

カレーの具はチキンが多かったように記憶しますが、日本で食べるネパールカレーのように肉がゴロゴロ入ったカレーは(ホテルのレストランでもなければ)出てきません。
屋台でマトンカレーを頼んだことがありましたが、骨とそこにへばり付いたスジが入っていました。
また、庶民的食堂や屋台では、具が一種類だけのことが多く、玉ねぎだけ、ジャガイモだけのカレーが一般的で、肉のダシが効いたコクのある味のカレーは食べたことがありませんでした。

定食屋でトイレに行くと、隣でカンチャが人懐っこい笑顔で食器を洗っていました。
インド、ネパールでは、生まれながらに井戸水で鍛えられた昭和の日本人でも、あっという間に腹が下ったのでした。

ある時、カトマンズ近くのバス停脇の屋台でドーナツ状の揚げパンを食べていました。
視線を感じるので振り向くと、祖母らしき老婦人に連れそった少年が半分口を開けて恨めしそうにこちらを見ていま。
少年は、屋台のテーブル席を独占して賑やかにふるまう白人グループのお大尽ぶりには眼もくれず、ぼそぼそと揚げパン1個をほおばる日本人の口元のみをひもじそうに見ています
思わず揚げパンをほおばる日本人の口も半開きのままで停止しました。

しかしながらここで少年と揚げパンを共有した(少年に揚げパンを恵んだとして)、その後の展開はインド、ネパールを旅してきた日本人にとって容易に想像がつきます。
同伴の老婆(のみならず周りの人も)が、わたしにもくれと要求してくるのです。
ただ間近でこちらを眺める少年の無心な目には、擦れてきた旅人の日本人も負けました。

揚げパンの食べかけの部分を手折ると残りを少年に贈呈し、その後に起こるであろう事態に対処するため、急いで立ち上がって逃げるように移動しました。
その刹那、テキもさる者、私にもくれと唇に指を当てて迫る老婆の姿が目の隅にありました。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第3集) ”サイコパス”ロバート・ミッチャム

ロバート・ミッチャム

この俳優は1940年代以降のハリウッド映画のタフガイとして活躍した。
「天使の顔」(1952年 オットー・プレミンジャー監督)では救急隊員役として、ヒロインであるジーン・シモンズの相手役だった。

50年代に入って、役柄を広げたのか、適役を演じることのなったのか、「狩人の夜」(1955年)と「恐怖の岬」(1961年)の2本の映画に出演した。
どちらもタフガイというヒーローではなく、敵役である。
これらの作品でミッチャムは、定型の悪役ではなく、怪演技ともいうべきサイコパスぶりを披露し、彼本来の資質を開花させるとともに、映画史に残る悪役のひとつの型を作った。

ロバート・ミッチャム

「狩人の夜」   1955年  チャールズ・ロートン監督   ユナイト

映画史に残るカルト作品。
この作品の功績は、原作を発掘し、製作にこぎつけた製作者のポール・グレゴリーと監督のチャールズ・ロートンに第一義的には譲るものの、独特の世界観を作品にもたらした撮影のスタンリー・コルテスとともに、配役のロバート・ミッチャムのサイコパスな演技に負うところが多い。

オリジナルポスターにはミッチャムにすがるネグリジェ姿のシェリー・ウインタースが

大恐慌下の30年代のウエストバージニア州の田舎町。
銀行強盗の末に息子に1万ドルの隠し場所を託して刑死した父親(若き日の「スパイ大作戦」、ピーター・グレイブス)。
獄中でこの話を知り、牧師に身を偽って残された家族に接近するパウエル(ロバート・ミッチャム)。
未亡人(薄幸の女性役が似合っていた頃のシェリー・ウインタース)と偽りの結婚をし、幼い兄妹から金の隠し場所を聞き出そうとする。

物を盗んだり、人を殺すことを何とも思わないパウエルは、ストリップ小屋での観劇中に自動車盗難で警察に捕まる境遇がよく似合う。
左手の指の甲にHATE、右手にLOVEと入れ墨をしており、これだけでも十分サイコ野郎なのに、その手を絡ませて善悪の戦いと善の勝利を田舎の善民に説き喝采を受けるその牧師姿は、単なる悪の具現化を超越した怪物性を際立たせる。
これ以上ない悪であり、俗物であり、サイコパスなのだ。
ロバート・ミッチャムの個性とパウエルの怪物性が融合し、この先の悪夢をもたらす。

カルト映画史に燦然と輝くサイコヒーロー、パウエル

パウエルの正体を見破り殺された未亡人(ご丁寧に、湖底に自動車とともに沈んだシェリー・ウインタースを映画は美しいもののように丁寧に描写する)。
いろいよ金のありかを巡って虐待を繰り返すパウエルから逃れ、母を殺された兄妹は小舟に乗って川を下る。
兄の方は最初からパウエルを信用していない。
農夫を殺し馬を奪ったパウエルは、彼のテーマソングである讃美歌を歌いながら、兄妹を追跡する。

作品に、寓話性と十分な悪夢をもたらすカメラが川を行く兄妹を捉える。
プラネタリウムのように不自然に光る夜の星と三日月。
明らかに太めのひもで作ったクモの巣。
不自然にカメラの前に置かれたカエル、ウサギの背景に兄妹の船が流れる。

川に沿った土手を白馬にまたがってゆくパウエルはシルエットで捉えられる。
この悪夢に彩られた童話のワンシーンのようなカットが作品の一つのハイライトでもある。

そういえばこの男、獄中での登場シーンは二段ベッドからさかさまに現れたし、兄弟の家へ現れる際はシルエットでの登場だった。
ショック効果というよりは、この男の異常性を表現してのものであろう。

疲れ果てた兄妹がたどりついたのは、孤児3人を育てる老婦人(リリアン・ギッシュ)のもと。
農場の生産物を孤児とともに売って自立する老婦人。
この御仁もキリスト教信者。
孤児たちに愛を注ぐが、家を出て帰らない実の息子には未練を持っている、生身の人間でもある。
彼女は現れたパウエルの偽牧師ぶりを見破り、その異常性に対しては銃をもって対抗する。

パウエルの襲来に毅然と銃を構えるリリアン・ギッシュの雄姿

孤児のうち最年長の娘がパウエルに雑誌とアイスで誘惑される。
これを知った老婦人は娘をかき抱き悪人に誘惑される愚を説く。

このシーンのリリアン・ギッシュの存在感に圧倒される。
これがサイレント時代にグリフィス作品でヒロインを務めてきた女優の力量なのか。
テクニカルな面の目立つこの作品のカメラも、固定したフルサイズの長回しでギッシュの演技に敬意をしめす。
作品のテーマの一つでもある、ロバート・ミッチャムとの「善悪対決」でも勝負前から決着がついたかのようだ。

ギッシュはパウエルに利用された年長の娘を諄々と諭す

一度追い返されたパウエル(もうロバート・ミッチャムそのものといったほうがいいか)が夜になって再びやって来る。
例によって讃美歌を口ずさみながら。
それを聞いた老婦人も思わずその一節を口ずさむ、寝ずの番で銃を携えながら。
善悪の共通点はキリスト教にあるということか。

悪は一瞬にして駆逐され、みじめにパトカーに押し込まれる。
映画はあれだけ偽牧師を絶賛した田舎の善民たちが一転して、彼を吊るせと押し寄せるさまを捉える。
老婦人の年長の孤児が最後まで、自分を女としてかまってくれたパウエルを、いい人だったとつぶやく様も。

圧倒的な善であるリリアン・ギッシュが、小物のサイコパス、ロバート・ミッチャムを一瞬で叩き潰した、というのが映画のテーマの一つ。
もう一つのテーマは、善も悪も表裏一体、生身の人間同士だということ。
生身の大衆はまた、即物的だし、簡単に騙されて反省もしないということ。

俳優として名高い監督のチャールズ・ロートン。
この作品が公開時にはヒットせず、理解されるまで20年以上かかったこともあり、監督作品はこの1作だけだった。

実はロリコンだったというチャールズ・ロートンと、ねっとりとしたカメラのスタンリー・コルテス、麻薬で逮捕歴のあるロバート・ミッチャム。
3人のサイコ野郎の本質に近いものが集結した極め付きのカルト作品だった。

「恐怖の岬」  1962年  J・リー・トンプソン監督  ユニバーサル

ロバート・ミッチャムという俳優、タフガイの役でも、どうしょうもないクズの役でも、たたずまいが変わらない。
それがいいのかどうかはわからないが、役柄を問わず、”そこにいるのはもれなくロバート・ミッチャム”という存在なのだ。

この作品は60年代の入ってからのもので、暴力描写や性的(なものをうかがわせる)描写がより直截的なものになっており、ミッチャムのサイコな凶悪ぶりもより激しく表現されている。
思わせぶりな神秘性は全くなく、わかりやすいサスペンスに徹した画面作り。
そこには、”現実”の救いのなさのみが醸し出される。

自分の婦女暴行事件の証人となった弁護士のサム(グレゴリー・ペック)を8年間の入獄中、逆恨みして、出獄後にサム一家にストーキングし、自らのサデイズム趣向に基づいた復讐を図るケイデイ(ロバート・ミッチャム)。
サム一家の住む町に現れ、サムが弁護士として働いている裁判所に歩を進めるミッチャムの”崩れた”風体は、いつものロバート・ミッチャムの”ヨタッた”姿そのもの。
それが演技なのか地なのか?

家族でボーリングに興じるサム一家に近づくケイデイ。手前が娘のナンシー

60年代に入ったアメリカの町は一見すると繁栄に彩られており、サム一家の邸宅は広大な庭に囲まれ、黒人メイドを使っている。
しかし、映画は、来るべき70年代の挫折と断絶を予見させるがごとく、サム一家の暗い危うさを見逃がさない。

一人娘のナンシーのショートパンツ姿は、「ロリータ」(62年 スタンリー・キューブリック監督)のスー・リオンを思い出させる。
母親は、ナンシーの下校を車で迎えに来ているにもかかわらず、着飾って買い物に興じ、車から離れて娘を危機に陥らせるし、最終局面のケープ・フィアーでのハウスボート上でケイデイに迫られ、恐怖とも歓びともつかぬうめき声をあげる。
二人とも隙だらけで、来るべき時代の危機に無警戒なのだ。

ケープ・フィアーのハウスボートでサムの妻に迫るケイデイ

町の酒場には夜の女がいて、その女は生まれ故郷から流れてきた女で、ケイデイの誘いに応え自室に招いた挙句、彼のサデイズムの洗礼を受けて恐怖のあまり、あわてて町から長距離バスで去る。
警察からの捜査協力依頼を拒否して。
このエピソードはケイデイの常軌を逸した変態ぶりを描くとともに、60年代にはアメリカ社会の底辺に一般的だった、”町々を流れ歩く売春婦”の存在を描いてもいる。
「裸のキッス」(64年 サミュエル・フラー監督)は、”カツラを自ら吹き飛ばし、スキンヘッドとなった女が客の男を殴り倒す”、という冒頭シーンが有名だが、その女は洋酒のセールスウーマンを装った売春婦が町に流れてきたという設定だった。

60年代にはアメリカの病巣がかなりの部分で出そろっていたということだ。
そうした60年代のアメリカ社会の腐敗の萌芽とそれが招く暗さ、人々の危うさがこの作品の基調でもあった。

当時の近未来に対する予想もできない恐怖を象徴的に表したのがケイデイというキャラクター。
恐怖や悪に対抗する価値観としての宗教性はすでにない。
悪に対するのは法律だけ。
正義を担保するべき警察力も法律に縛られていて、悪を超絶的に発揮するサイコパスに対しては無力だ。
サイコパスに対する常識・理屈の無力を描いたという点では時代を先取りした作品だ。
サイコパスに対する一般人の無防備、トンチンカンぶりを徹底して描いた点も先進的だ。

パナマ帽と葉巻がケイデイのトレードマーク

法律や合法的手段ではケイテイに対抗できないと悟った後のサムがいい。
それまで、どこか他人事のように構えていたサムが、”極悪非道なクラントン一味と実力で雌雄を決しようとするワイアット・アープ”のように覚悟を決める。
実力(暴力)で決着をつけることを決めた後のグレゴリー・ペックは、最低限の支援を警察に求め、家族の協力のもと一人でケイデイに挑む。
ペックが黙々と独力で実力を行使する役は、「日曜日には鼠を殺せ」(64年 フレッド・ジンネマン監督)での、”自らの信念に基づきスペイン内戦後の祖国に戻るため、一人ピレネー山脈を越える元戦士”の役を思い出させる。

最後の最後で実力行使に出るサム

ロバート・ミッチャムの演技は、「狩人の夜」よりもさらに深化し、60年代のアメリカ社会の病巣を先取りするサイコパスぶりを発揮。
そのキャラクターは、凶暴性、変態性に加え、法律にも強い理屈が加わっての最強ぶりだった。
ペックとの最終決戦の場・ケープフィアーに現れ、ペックの妻が残るハウスボートのドアを開けて姿を現す場面は、”キング・オブ・クズ野郎”の最終降臨シーンとして映画史に残りそうな出来栄えだった。

ペックと親友の警察署長にマーチン・バルサム。
私立探偵にテリー・サバラス。
60年代アメリカ中流家庭夫人の虚飾と小市民性と隠れた背徳を演じて印象的だったのはポリー・バーゲン。

本当の”サイコパス”は60年代のアメリカ社会そのものだったのかもしれない。