2025 ヒメキフェステイバル

姫木平別荘地では管理事務所が主催して夏祭りを行っています。
かつては盆踊りをメインに、金魚すくい、くじ引きで当たるカブトムシなどの出し物を行っていましたが、コロナで中止に。
再開後は、出し物を一変してヒメキフェステイバルとして開催されるようになりました。

例年、帰省や来客などでこの時期は不在だった山小舎おじさん。
姫木のお祭りは見たことがありません。
管理事務所のバイトの方々が、会場のテント設置や駐車場の誘導員に動員されるのですが、それにも参加したことがありません。
今年はたまたまフリーで山小舎に滞在していたので9年目で初めて参加してみました。

フェステイバルの会場

当日は雨交じりの曇り空。
7時半に集合します。
駐車場の誘導でのバイト参加です。
会場のロータリーでは、キッチンカーやクラフト出店者が既に開店の準備をしています。
雨合羽を着て仕事です。

担当した駐車場

担当した駐車場は会場に近く、クラフト出店者用の駐車場です。
福井や姫路などの県外ナンバーの車が多数駐車に来ます。
近くのゴミ捨て場に来る別荘住民も多く、また通行止めの道を入ろうとする車や別の駐車場を探す車などが詰め掛けるので、その誘導や案内などで午前中はてんてこ舞です。

昼になって一段落。
交代で昼休みです。
支給された2000円の昼食代で、キッチンカーを回ります。
芋煮と玉こんにゃく、アンズのスコーンにイタリアンコーヒーを食べてほぼ2000円でした。

会場の人出
キッチンカーが並ぶ
山形芋煮で一服
デザートは安曇野から出店のスコーン屋さんで

フェステイバルの出し物は音楽やヨガなどもあり、去年は野外で行われたとのことですが、この日は室内に会場を移して行われました。

クラフト出店のテント

15時でフェステイバルは終了。
テントの撤収に入りましたが、折からの大雨で合羽ごとずぶ濡れ。
結構大変な一日でした。

雨模様の会場

DVD名画劇場 特集・妄執、異形の人々 その1 水と雪と宇宙に潜むもの

特集・妄執、異形の人々」とは

これはシネマヴェーラ渋谷というミニシアター(上映番組はまさに名画座というにふさわしい)の夏の恒例特集のタイトルから頂いたネーミングです。
シネマヴェーラでは夏になるとこのタイトルを銘打ち、石井輝夫の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」や新東宝版「一寸法師」などのカルトといわれる邦画作品を上映していたのです。

カルト作品の上映が一巡し、シネマヴェーラが『妄執、異形の人々』特集を取りやめた今日、代わりにDVD名画劇場の夏の特集として、洋画版カルト作品を特集してみたのです。
第一回は、怪物が出てくる3作品の特集。

得体のしれぬ神の創造物は、水面下にも雪山にも宇宙にもいるのでした。

「大アマゾンの半魚人」  1954年  ジャック・アーノルド監督  ユニバーサル

サイレント時代には、ロン・チャニー主演で「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」など大掛かりなゴシックロマンでヒットを飛ばし、トーキーになって「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」などで、主演のベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフともども伝説を作ったユニバーサル映画が新たな怪物を創造した!

これまでの原作ものから一変、ユニバーサルが作ったのは、オリジナルストーリーによる、未知の怪物が未踏のジャングルの水面下から現れ、探検隊を襲うという、今もファンに愛される伝奇的SF映画だった。

半魚人とジュリー・アダムスその1

白人の老博士が、アマゾンの奥深く海洋生物の調査を行っていたところ、未知の生物の手の化石を発見する。
博士はブラジルの海岸部で肺魚の研究をしている教え子の科学者たち(その中には若い美女も含まれている)の応援を得て、化石生物の本格調査をすべく、現地人が近寄らないブラックラグーンと呼ばれる沼沢地へ船で乗り込む。

チェアに寝ころび、蚊帳付きのベッドで暮らす優雅な探検隊は、危険を顧みずアクアラング一丁で怪しげな沼での潜水を繰り返す。
美女(ジュリー・アダムス)は白いホットパンツ姿で男たちの潜水を見守りながら、ある時は我慢できず、白い水着姿で未知の沼に飛び込む。
水底の水草の陰では半魚人がその姿を眺めている。
たまたまその姿を目撃した男たちは、未知の生物存在の証拠を持ち帰らんと興奮する。

半魚人はテントを襲い、船によじ登っては、現地人スタッフを絞め殺したりもするが、美女が泳いでいるのを見るとシンクロして泳いだり、その足に恐る恐る触ろうとしたりと、かわいらしい仕草も見せる。
最後には、思い余って美女を抱き上げて沼に飛び込み、棲みかへ連れ込むが、白人男どもが黙っているはずもなく、水中銃とライフルで仕返しされるという結末が待っている。
手つかずの神秘が文明人によって蹂躙されることになる。

半魚人とジュリー・アダムスその2

3D映画として製作され、今に至るまでファンを持ち、その後の海洋ショッカーものや怪物ものの原典としてリスペクトされている作品。
何よりも半魚人のデザインが、映画のイメージとぴったりな点が素晴らしい。
永遠のキャラクターの誕生だ。

ジュリー・アダムスの水着姿と絶叫ぶりと半魚人のマッチアップぶりも最高。
白い水着のジュリー・アダムスを抱き上げた半魚人のスチール写真は、(少なくともSF)映画史上の名場面の一つである。

平和的な弱者でもある半魚人。
一方、半魚人を殺してでもアメリカに持って帰ろうとする探検隊のスポンサーの野望。
それに対し、科学者的良心を持つ主人公(ジュリー・アダムスの恋人役)というお馴染みの登場人物。
根本的には白人中心の価値観で、現地文化への興味や尊重に乏しいという、50年代のハリウッド映画そのもの。
それよりは、半魚人のデザイン、ジュリー・アダムスの水着姿を楽しむ作品。
半魚人の水中シーンにも力を入れている。
半魚人が泳げば泳ぐほど、人間の動きと同一であることが露わになってはいたが。

続編も3Dで製作されたとのこと。
捕獲された半魚人がアメリカに連れてゆかれ、人間として再教育されるが、うまくいかず人間を襲い、パニックが起こる、というもののようだった。

ジュリー・アダムス。「決闘一対三」(53年)より

「恐怖の雪男」  1957年   ヴァル・ゲスト監督   イギリス・ハマープロ

イギリスのハマープロダクションが、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」で全世界的にヒットする直前に製作した作品。
折からヒマラヤ初登頂や雪男の足跡の写真が世界的ニュースとなったタイミングで製作された。

出だしからハリウッド映画とは違う、ドキュメンタルで地味な緊張感。
これがイギリス映画のムードなのか。
ハリウッド映画なら、絶叫要員の若手女優に色気のある格好をさせ、大衆小説の舞台のような無国籍なセットで、『出るぞ、出るぞ』とゾクゾク感をあおるところ。

東宝の「獣人雪男」(55年 本多猪四郎監督)では、雪に閉ざされた山奥の駅で登山者がいつ来るかわからぬ列車を待つという出だしから、秘境感漂う伝奇的な映画空間が意図的に演出されていた。

本編の「恐怖の雪男」では博士(ピーター・カッシング)が植物研究で滞在するヒマラヤ奥地の僧院の日常風景から始まる。
ラマ僧たちの読経の声、奥の部屋に鎮座するラマと彼に仕えるラマ僧たち。
セリフが多いラマ以外はアジア人エキストラを使っている。

ハリウッド映画なら必要以上に強調するであろうエキゾチシズムが、ギラギラしたものではなくどこか記録映画風にも客観的表現にも感じられる。
アジア各地に植民地支配を実践してきたイギリス文化の蓄積がなせる業なのか。
紅一点の博士の妻も登場するが、博士の同僚の研究者、登山者であり、知性的ではあるがセクシーではない。
雪山の物語であるから肌も出さない。
危機的状況にも絶叫はしない。
ましてや雪男に(抱きかかえながら)拉致されることなど、金輪際ない。

ラマの僧院の中庭を歩く博士

未知の生物・雪男(劇中ではイエテイ、スノーマン、クリエイチュアと表現される)へのこの映画のアプローチは、現地ラマ僧たちが語る『見てはいけないもの、畏れの対象、いないもの』と認識の認識に準拠している。

博士は実在を調査したいと思い、植物研究と銘打って僧院に滞在し、チャンスをうかがっているところに、本国から一団がやって来る。
雪男で一儲けしようという山師のような男(フォレスト・タッカー)率いる一行で、現地人を手荒く使い、ポーターには賃金を払い伸ばし、下品に食事をする。
博士はこの一団に同行する。
雪男への尽きせぬ科学的興味のため。

山師を迎える博士と妻

良心的科学者と功名的実業者を対立的に配置するのは「大アマゾンの半魚人」同様だが、細かな描写には大きな違いがある。
現地人に対する白人の支配的な振る舞いの具体的描写には、イギリスのしたたかな歴史の滓を感じるし、延々とした高所の登山シーンでは、ヒマラヤの自然への畏敬を感じる。
「大アマゾンの半魚人」ではあまり感じられなかった、アマゾンへという自然、風土への興味、関心といったものが、「恐怖の雪男」ではチベット文化、ヒマラヤへの客観的な尊重として映画の根幹をなしている。

文化的側面のみの映画ではなく、雪男の謎から醸し出されるサスペンスに満ちた作品でもある。
人間同士の葛藤、自然との対決のスリルもある。
何より強調されるのは、雪男そのものより、雪男を使っての名声、実利の妄想に突き動かされる人間達が醸し出す我執の迷宮である。

檻で雪男を捕まえようとする一行

ヒマラヤとチベット文化の最深部に位置する触れてはならぬ象徴が雪男だった。
映画終盤までその具体的描写は、テントの内部に延びる腕と咆哮だけで表現され、最後に至るまでバックライトに浮かぶ全身像と、顔半分の描写に留められる雪男の姿のみが表れるだけである。

山師が射殺した一匹を観察した博士は、それを『知性を持った優しい表情』と表現し『人間が介入すると滅びる存在』と評価する。
このセリフは、雪男の実像を、特撮の着ぐるみで描写するより効果的に表現している。

山師一団はことごとくヒマラヤの自然によって死に絶え、かろうじて生き残った博士は、身の危険を顧みず助けに来た妻たちとともに僧院に生還する。
ラマの前で『雪男はいなかった(人間が介入する存在ではない)』と報告する博士のセリフがこの作品の結論だ。

ヒマラヤという大自然が支配した、人知が及ばない世界がここに広がっていると同時に、その更に未知の最深部の象徴である雪男は、ましてや部外の人間にとっては、触れてはならぬものなのだった。


「禁断の惑星」  1956年  フレッド・マクラウド・ウイルコックス監督   MGM

ハリウッド最大の映画会社MGMが、2年の歳月をかけ、イーストマンカラー・シネマスコープという当時最高クラスの仕様で仕上げた大作。
宇宙船の光速以上での惑星間移動、宇宙船内の先進的装置類、ロボットの登場、などで後年のSF映画の先駆となった作品といわれる。

船長とアルタ

ファーストシーンで画面の上から宇宙船が現れるのは「スターウオーズ」にコピーされている。
また、宇宙船の乗組員が正体不明の怪物(人間の攻撃的な意識が凝り固まったもの)と闘うというコンセプトは、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどのSF小説(スペースオペラと呼ばれる宇宙冒険ものではない種類の)を連想させる。
登場人物は、メカニカルな専門用語や哲学的用語を駆使し、観客をおどろおどろしい世界に引きずり込むのではなく、むしろ突き放す。

宇宙船が目指す惑星にたどりつき、着陸するまで、高速から減速する際に乗員を磁気的に防護したり、着陸地点を立体的宇宙図の中で特定したり、惑星の軌道に乗ってから着陸に至る行程を表現したり、と科学的事実を踏まえて宇宙間移動を描写する。
単にサスペンスとしてのSF映画ではないことがここからもわかる。

アルタはロボットを制し船長らを博士の書斎に迎える

円盤形宇宙船から階段で惑星に降り立った乗員らが、まったく平服で体を防御していなかったり、宇宙船を守るため隊員が夜警の番をしたりと、前時代的な描写もある。

20年前から惑星に住み着き、宇宙船の着陸に協力的ではなかった博士(ウオルター・ピジョン)の住処は未来型SF映画そのもので、博士が作ったロボットの能力はドラえもんそのものの万能型。
ここら辺は近未来的SFだ。

映画のミューズとして、裸足に体にぴったりしたミニワンピース姿で登場する博士の娘アルタ(アン・フランシス)に早速隊員が迫るというアメリカ映画らしすぎる展開もある。

ロボットは宇宙船に迎えられ操縦する

しかし、隊員らが感じている、博士とその住処、研究対象、20年の間に生まれ育った娘への違和感は、作品のテーマとも結びついた映画の基調をなす。
博士は隊員に重大な秘密を隠しているし、社会と常識を知らずに育った娘が纏う違和感は彼女が博士の犠牲者だということだ。

アン・フランシス扮するアルタは、シーンごとに新しいミニワンピースに着替えるし(隊員から煽情的な格好を非難され、ロボットに命じてロングドレスを作らせる場面があるが)、朝は裸で池で泳ぐし(水着という概念を知らず)、隊員らとキスしても体が反応しない。
絶叫担当でも科学者のような存在でもない。
お色気担当ではあるが。
彼女の、アメリカンガール的なフレッシュさが、妖艶さと反対の、人知に染まらぬ自然児的な色合いを出している。

宇オルター・ピジョン、アン・フランシス、ロボット

ある日宇宙船が襲われ、隊員が惨殺される。
時期を知った博士は船長らに惑星の秘密を打ち明ける。

惑星には20万年前に高度な文明が栄えていたが、滅んだこと。
ただし各種の高度な装置が、自分でエネルギーを補給し、メンテナンスしながら残っていること。
ここで隊員に紹介される、創造力養成装置という3次元の思考実現装置がスゴイ。
この作品に関わった、脚本家、デザイナーたちのオタク性が存分に発揮された場面だ。

『怪物が美女を抱く』のがお約束のイメージ

自らの意識が怪物となり、隊員のみならず自分にも襲い掛かろうとしたあげく、博士が自らとともに惑星の最期と怪物の破壊を行う。
人間性に目覚めたアルタは愛する船長とともに脱出し地球へ向かう。

作り方やキャステイングによっては、猟奇的・伝奇的な作品になったであろう素材だが、科学的デイテイルへの徹底したこだわりと、オタク的創造性により、地味ながらまじめで内省的な作品となった。

長々とした科学的、哲学的セリフと、それを視覚的に表現したオタク性。
色を添える美女までを配したゼイタクなSF映画であった。

アン・フランシス。「禁断の惑星」は彼女の代表作となった

令和7年畑 8月になりました

畑は8月になりました。
炎天下が続きます、降雨量は少ないです。

畑は、毎週一回の出荷のほかにも、別荘地内の知人に配る分の収穫があるようになりました。

旺盛なヤーコン

娘一家が孫を連れての山小舎滞在中に一度畑に向かいました。
収穫と潅水と枝などの管理のためです。

ズッキーニは黄色い品種が良く成った
夕顔がぶら下がっている

トマトが今が盛りと真っ赤になっています。
ナスは白ナスを中心に実をつけています。

枝豆が食べられそうです。
全部抜いて持って帰ります。
山小舎で根を切り、葉を落としておきます。
トウモロコシは結実と同時に小動物によって倒されています。

収穫その1

近所2軒に配り、残りは山小舎おばさんと娘で分けてもらいました。
娘は、トマトを煮てソースを作ると喜んでいました。

収穫その2

2025 山小舎来客第四弾!

8月1日から6日まで、入れ代わり立ち代わり来客があった山小舎です。

1日から3日までは、娘一家4人が来ました。
社宅以来のママ友一家4人も一緒でした。
子供たちがそれぞれ同学年の仲良しです。
この家族は3年前にも一泊できています。
今回は2泊です。

来客を迎える準備
炭火焼きの用意
この日のメニュー書
炭火焼きで盛り上がる

間の1日は、ジイジこと山小舎おじさんはフリー。
若い二家族で行動してもらいます。
依田窪プールや、立岩和紙の里での体験紙漉き、温泉立ち寄りなどを楽しんだようです。

用意した桃
用意したミートソース

初日は室内での炭火焼きをメインに、地元のチーズ、ハム、ピクルスなどの前菜を用意し、二日目は久しぶりに外でBBQをしました。
椅子やテーブルなどは軒下を漁って何とか用意、食材は信州豚、アルプス牛のほか、たれに漬けておいたスペアリブなど。
大いに飲んで食べました。
総勢8人+おじさんでの大宴会となりました。

BBQの用意
夜の花火

3日目に娘の旦那が、ともだち一家の車で帰京。
代わりに山小舎おばさんがやってきました。
それからは、おばさん主導の元、行きつけの上田のイタリアンレストランや、駒ケ根への小旅行などを楽しみました。

駒ケ根への小旅行。養命酒工場付属の公園にて
同上

暑い日が多く、体力を使いましたが、貴重な夏休みとなりました。

ある日の朝食
毎日の洗濯

夏だ!松本スイカ市だ!

今年のスイカ市は9時開場を目指して7時に山小舎を出発しました。
去年は、9時ころ出発して午前中についたのですが、目指す百瀬農園のスイカは直前で本日の販売終了となったからです。

松本市郊外のスイカ選果場
選果場に集められたスイカ

新和田トンネルを抜け、20号線で塩尻峠を越えます。
塩尻のまちでコーヒーとサンドイッチの朝食。

山形村、松本方面へサラダ街道などの農道を走って、目指すスイカ市会場へ着いたのが9時前。
既に駐車場は満車に近く、人気の農園のテントには20人から数十人の列がありました。

9時前から目指す農園のテントに並ぶ人々

炎天下、百瀬農園の列の最後尾に並びます。
今年は買えそうです。
スイカの値段はL玉で2300円と、覚えている限りの値段1600円からはこの数年でかなり値上がりしています。

今年の値段はL玉が2300円
波田の百瀬農園がお気に入り

2玉買って、一つは自宅に送り、一つを持って帰りました。
大きなスイカです。
百瀬農園の直売所を仕切る、いつものおばさんが、やや年を取ったものの元気な姿を見せていました。

山小舎に持って帰ったスイカは、別荘地内を流れる急流に一晩漬けて冷やします。
やって来る孫たちの楽しみになります。

9時過ぎにはスイカ市を立ち、来た道を戻ります。
途中の山形村の直売所にも寄ってみます。
トウモロコシや桃などが盛大に集荷されていて、大賑わいです。
加工用のブルーベリーや完熟トマトの大袋、炭火焼き用のトウモロコシなどを仕入れます。

帰る途中に山形村の直売所による

真夏の信州は1年分の収穫で賑わっています。

沿道では秋に収穫の野菜の作付けが行われていた

令和7年畑 休耕地農道の草苅り

収穫が始まった畑作業です。

私が借りている(ことになっている)畑は、今収穫期を迎えている圃場のほかに4枚ほどの休耕地があります。
休耕地には夏の旺盛な雑草が猛り狂っています。
雑草のことは気になっているのですが、猛暑の中、畑で収穫し、潅水し、伸びた枝を管理し、側溝から水を汲むだけで汗だく、フラフラです。
除草の気力、余力がないままに過ごしてきました。

炎天下の農道にはびこる雑草

とはいえ借りている農地が雑草まみれになっているのを放置するのも忍びありません。
この日は休耕地で除草することにしました。

休耕地は面積が広く、またこの日は収穫と出荷も予定していたため、除草は農道部分のみとしました。

休耕地の現状

カラカラに乾き、さすがの生命力を誇る雑草も枯れかかっている農道に刈払機をかけます。
土ぼこりとともに雑草がカットされてゆきます。
こちらも炎天下の作業で息絶え絶えです。
何とか休耕地脇の農道全部を刈りました。

刈ったそばから枯れ草のように乾いてゆく雑草
刈り終えた農道。法面にはまだまだ雑草が残る

この日は、穂が出てきたトウモロコシに糠の追肥しました。
また実がついてきた枝豆にもたっぷり潅水します。

糠を撒く

トマトがかなり収穫できました。
キューリは乾燥の影響で小休止です。
白ナスの結実が順調です。

収穫したトマト
キャベツを初収穫

真夏の白樺湖

山小舎近くの観光地といえば一番に思いつくのが白樺湖。
もとは湿地だった場所をせき止め人口の湖とした場所です。
今は大規模に観光開発され、ホテル、遊園地、スキー場、各種アクテイビテイ、土産物店が集まっています。

20~30年前のリゾートブーム、ペンションブーム、スキーブームの時には湖畔に観光ホテルや土産物店が林立?していたようですが、ブームが去った後は多くが廃墟となっていました。
近々はその廃墟も撤去されてゆき、新たな宿泊施設だったりが整備されてきつつあります。

7月下旬の日曜日、大門街道で茅野から帰る道すがら、白樺湖を1周してみました。
大門街道は自家用車で引きも切らず、またアルピコ交通の路線バスも増発されてそこそこの乗客を乗せて走っていました。

湖対岸の無料駐車場です。
車中泊?の車が並ぶほかに、三菱アイが集まっています。
社会人サークルのオフ会なのでしょうか。

無料駐車場に集まる自家用車
三菱アイの集まり

更に走ると池之平ホテルに近づき、人の姿が多くなります。
1年中客の姿が絶えない池之平ホテルです。

池之平ホテル近く

コンビニの後ろ側にはテントがたくさん建っています。
マルシェのような催し物でしょうか。
賑やかさがマックスです。

コンビニの背後にテントが見える

ファミリーランドという遊園地も賑わっています。
夏らしい風景です。

遊園地ファミリーランド

1周して池之平側の無料駐車場によってみます。
高原らしいうら寂しさを感じる風景です。
湖岸では結婚カップルが写真に納まっていました。

蓼科山
結婚カップル

夏の山小舎リフレッシュ! 障子紙の張替え

今年の山小舎は来客も多く、室内外のリフレッシュの年です。
しばらく行わなかった「大掃除」「廃棄」「手入れ」を行っています。
使わない布団・毛布・シーツ類は思い切って捨て、食器棚もほぼ10年ぶりに中味を取り出し不要な食器類を捨てました。
年1回のルーテイーンとしての、カーテン洗い、本の整理、食糧庫の整理なども行いました。

3年ぶりのルーテイーン復活となったのが、障子紙の張替えです。
玄関への引き戸として障子戸が使われている山小舎では、障子がポイントの一つです。
使う頻度も高く、枠はともかく障子紙の劣化は進みます。日本家屋には障子や襖が似合います。
今年は思い切って障子紙を張り替えました。

軽トラの荷台も使い戸外に障子戸を広げる

晴れた日に障子戸を外に出してホースで水をぶっかけました。
木製の調度品に水をかけるのはご法度なのでしょうが、この際、作業の省力化です。
ついでに枠そのものをきれいにできます。

そこにホースで水をかける

水をかけた障子戸から障子紙を剥がし、枠の汚れをたわしで洗い流します。
洗ったそばから真夏の日差しで乾いてゆきます。

障子紙を剥がす
枠をきれいにして乾かす

乾かした障子戸を室内に持ち込んで紙貼りです。
この作業が大変なのです。
ノリの濃さ、枠への糊付け加減、紙の貼り方、とすべての行程で技能的、能率的な作業が求められます。
昭和の家庭では大掃除の一環として毎年行われていました。
昔の日本人の能力の高さを思い知らされます。

新しい障子紙を貼ってゆく
つぎはぎだらけながら貼り終える

体力、気力、集中力が必要な障子紙貼り作業。
3枚の障子戸に貼り終わるまで、体感時間は半日、気力は1日分使います。

雑ながらなんとか貼り終わりました。

障子がきれいになるのは何とも言えません。
住居に手が入っていて、室内の生気がよみがえる気がします。

3年目の課題がクリアーできました。
家族、来客が来た時の話題にもなります。

ただし水をかけまくった木枠が膨張したのか、引き戸自体の滑りが悪くなったのが難点です。

障子戸をはめる
防寒にも役立つ障子戸がリフレッシュ!

薪仕事2025 玉切り開始

カラマツの丸太が来たので玉切り開始です。

玉切りとは丸太を薪にする加工の一工程で、丸太を幅40~50センチに輪切りにする作業です。
チェーンソーを使って行います。

すでに試運転を終わり、刃も新品に替えているチェーンソーを起動させます。
一応、刃に棒やすりをかけてから作業を始めるのがお約束です。

また、騒音が出る作業ですので、作業する時間帯や曜日に気を付けます。
平日の午前か午後に作業するにしても、あまり長時間続けて行わないようにします。

うちのチェーンソーは燃料満タンで20~30分の稼働時間です。
燃料満タンにしておいてなくなるまで、せいぜい2クール、仕事がたまっていても3クール分の連続作業時間に留めるようにします。
自身の疲れと隣近所の騒音被害に考慮するためです。

また、作業中は、刃が土や石をかまないように注意します。
石や鉄をかむととたんに切れなくなり、棒やすりで研いでも切れ味が復活しません。
切れないチェーンソーでの作業は時間ばかりがかかり全く進みません。
マシンもエンジンが加熱したりします。

作業初めのこの日は、短めの丸太を2~3本カットするに留めました。
マシンのエンジンの調子と刃の切れを確認するための小手調べといったところです。
条件さえ整えば例年通りの作業工程で行ける、とあたりが付いたところで終了しました。

この後はしばらく炎天下で玉切りの作業が続きます。

玉切りが終わると、管理事務所から薪割り機を借りてきて薪割りです。
できれば夏のうちに薪割りまで終わらせたいところです。

山小舎メンテナンス 風呂場のシャワーと蛇口

今年の冬、山小舎の水道の水抜きのミスがあり、風呂場のシャワーと蛇口の切り分けの部品が壊れました。
蛇口部分の水抜きが不完全だったため、シャワーと蛇口が同時に出るようになったのです。

2月の来訪時に発覚し、業者に来てもらいましたが、古いタイプのため部品がなく、ユニットバス全体を取り替えないとダメと言われていました。
シャワーと蛇口につながる栓を止め、浴槽につながる栓を生かすと、浴槽にお湯を張ることはできました。

この度山小舎のトイレの水洗化、雑排水の浄化の発注を別の業者に行いました。
その際、風呂場のシャワーも見てもらったのですが、シャワーと蛇口そのものを取り替えることで対応してもらうことができました。

壊れたシャワー、蛇口を取り外す

業者さんには3時間ほど風呂場にこもってもらい、新しいシャワーと蛇口を設置してもらいました。
久しぶりにシャワーを使えるようになりました。
山小舎の利便性の一つの復活です。

新しいシャワー・蛇口を取りつける。空いた穴は後日塞いでくれた

なお、本題のトイレ、雑排水の浄化の工事は、町からの助成金の枠が今年はすでにいっぱいのため、来年になります。
そうなると汲み取りは必要なくなり、水洗トイレとなり、雑排水の浸透桝の問題もなくなります。

引き続き冬場の水抜きには気を付けなければなりませんが。