令和8年畑 トマトの支柱組立て、ジャガイモの土寄せ

6月になりました。
畑では今年2回目の草刈りをしました。

苗の活着の具合を見ます。
キューリが思いのほか調子いいようです。
ナスは例年通り、乾燥に耐えている状況です。
トマトは去年並みでしょうか、丈が伸びてきたので支柱を2段、3段と組みます。
脇芽も摘み取ります。

支柱を組んだトマトの畝

キューリが実をつけてきました。
下段の葉と芽をカットして主軸の成長を促します。

キューリ

ナスの一番花をカットして主軸の成長を促します。

ナス

前回、芽かきをして3本立てにしたジャガイモが芽を伸ばしています。
土寄せして芋の成長を促します。

ジャガイモの土寄せ

食用ホウズキが逞しく主軸を太くしています。
支柱を立てて保護するとともに、根元の脇芽と余分な枝をカットします。

食用ホウズキ

直播したトウモロコシ、インゲン、枝豆です。

トウモロコシ。成育がバラバラ
インゲンは調子よい
枝豆。無事実をつけるか

扶桑社新書「60歳のトリセツ」

題名が気になって手に取ってみました。
内容に接して気に入りました。

著者は1959年生まれの女性脳科学者。
学究の道だけでなく、コンピューターメーカー勤務の後、(株)感性リサーチなる法人の社長を務める。
男の子の母親でもあります。

本書は60歳を超えた我々にとって、目からうろこであり、前途に希望が持てるような内容なのです。
それも脳科学者が具体例に基づき説いているのですから、我々素人の読者にとっては、バッサリと、世事の禍事、悩み事を快刀乱麻を断つが如く一刀両断してくれるのです。

例えば老いについて、『脳は世界をうんと狭くして、外のことがわからなくなるのである』、『ボケたというけれど、見方を変えたら、脳が優しい魔法をかけてくれたのに他ならない』(p33)と、体の機能の低下にい伴う脳の活動低下は必然なことだと解明する。

反面、60代の頭脳の秀逸さについて、『56歳以上のベテランから見たら、35歳以下なんてみんな半人前に見える。気が利かない、勘が働かない、言ってもわからない、発想力が乏しい指示待ち人間』(p40)と、最高潮に達した60代の頭脳と、その域に達していない若い頭脳を比較する。
答えは『60になったら(気が付かない)周りを大目に見よう』(p41)のが著者が60代に伝える人生のコツなのだ。

著者は60歳になった読者に高らかに宣言する、『(より美しく、より強く、より賢くというより良い生殖のための闘いという)呪縛から解放されて、自分自身の人生を生きるターンがやってきた。闘いに駆り出される前の、14歳の脳に戻っていいのである』P104)と。
著者は14歳の時に心を震わせた、ビートルズとダンスとラジオの世界に60歳を過ぎて再会し、その当事者となってラジオのパーソナリテイとなったりする。

女性である著者はさらっと説く、『60歳といえども、女ごころは永遠なので、自分がお花畑でひらりひらりと飛んでいる女の子くらいにしか思っていないのである』。
わかった!自分の周りの婆さんや、奥さんや、いいトシした娘さんが勘違いしている理由が!
60代だけではなく、女ごころも解明してくれる著者なのである。

60代の物忘れについてのアドバイスもあります。
『脳が忘れるのは、人生に必要がない、と脳が判断したから。脳に従ってのんびり生きてゆこう』(p135)、と。

著者の著作は「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」「息子のトリセツ」「母のトリセツ」と続きます。

ヤン・ハヴラサ著「アイヌの秋・日本の先住民族を訪ねて」

1988年未来社刊の本著を国分寺の古書店で見かけて購読した。
未来社はほかにもアイヌや蝦夷地関係の出版がある。

表紙

「アイヌの秋・日本の先住民族を訪ねて」は1930年にプラハで出版された「日本の秋・わが生涯の断片」から北海道紀行に関する部分を翻訳したもの。
著者は1912年に夫人とともに来日し1年間滞在。
その間に各地を旅行した。
その時の様子が本著にまとめられている。

奥付

何より著者によって撮影されたスナップが多数掲載されており、1912年(大正元年)当時の長万部、平取、登別で、暮らすアイヌ人の姿が残された。
彼等は伝統的なアッシ織りの着物に荷を包み、女性たちは口の周りに入れ墨をしている。

山小舎おじさんの生まれ故郷・旭川には、昭和30年代当時、すでに観光化され切った上川アイヌ部落があったが、当時は入れ墨を掘った老齢の女性がまだいた。
純粋なアイヌ人も多かった。

本著作に掲載された写真は、記憶に残るアイヌ人の古の姿が甦るようで貴重なものである。

平取のアイヌ婦人

文筆家として祖国で名を成した著者にとっては、日本およびアイヌ人の運命を予告しまた評価することは自明の理であるかのような表現が目につく。
曰く『ここでは暴力を用いない民族性喪失のプロセスが進行中なのである』(p72)と、長万部のアイヌ部落と日本人集落の本質的な差異のなさ(アイヌ人のアイデンテイテイの喪失)を見抜き、『アイヌをこれまで知りえたすべての民族の中で最良なものとみなす』(p77)というロシア提督の言葉を引用して、彼等の素朴で柔和な人格を評価している。

長万部にて

著者の慧眼は、サハリンと蝦夷のアイヌ人について、琉球人と同じく日本人と同化した存在と断じたうえで、『朝鮮人については固有の文化を持った大民族であり、白人に対する抵抗の覚醒と同時に日本の支配に対しても抵抗しており、日本としては、海外進出よりも北海道開拓へ集中した方が賢明だと思われる』(p91要旨)、とまで見抜いている。

長万部の貧しい婦人

この時代の日本滞在記として、慧眼に満ち、諧謔にも彩られた読み物であるが、アイヌに対する紀行文的な関心という意味で貴重な文献だと思われる。

平取にて

軽トラで東京へ

8月の蓼科山登山の準備に、東京の孫一家と高尾山で足慣らしをするというので、自宅に帰りました。
軽トラで。

軽トラに物資を積んで

軽トラのいいところは物資を大量に積めるところ。
家族のリクエストの福味鶏やアルプス牛、さらに長野産の卵や高原野菜類、山小舎で採ったわらび、さらに集めたりんごや桃などのジュース類、地元産のチーズや生ハム、5月の連休に忘れて行った孫親のシャンプー類まで、冷蔵品からそれ以外まで荷台に積んでいけるのです。

5月の最後とはいえ、夏のような日照りが心配なので、保冷ボックスに保冷剤をしこたま仕込んでいきます。
途中のAコープで肉類を買い込みます。
既に日差しは夏のようです。

初夏の八ヶ岳に見送られる

富士見から国道20号線に出ます。
沿線には道の駅白州があるので寄ります。
地元産の山塩と山塩チップスがお目当てです。
甲州街道の台ケ原宿には、元祖信玄餅の金精軒があります。
生信玄餅などを求めます。

甲州街道下道の道中は続きます。
雪の跡が幾筋か残る富士山がかすみの空にぼんやりと見えます。
韮崎からは甲州街道を避けて、甲府の街中から国際色豊かな山梨学院大の前の道を、塩山まで行きます。

葡萄や桃の果樹園が続く塩山を過ぎ、勝沼で甲州街道に合流し、笹子トンネルを抜けると大月のエリアです。
道の駅都留に寄ってみます。
思いのほか地域色が豊かで、物資が豊富な道の駅です。
リニアの見学センターが近くにあるようです。

初めての道の駅都留

大月からは交通量が増え、信号も増えます。
この先の下道は、大垂水峠越です。
相模湖インターから中央道に進みます。
高速は小仏トンネルで東京への峠越です。

8時半に出て15時近くに自宅に到着しました。
Aコープのほか、道の駅や食堂など数か所の寄り道をしました。
暑かったものの、軽トラは冷房も効き快適でした。

目的の高尾山ハイキングは孫たちが参加して行われました。
6合路と3号路?を進み山頂まで。
山頂は外国人も含めた混雑ぶりでした。
たっぷり汗をかいての登山で全員リフレッシュ。
夕食は自宅にて炭火焼きで打ち上げました。
同行して孫たちの相手をし、炭火焼きの準備と焼き手の我が次男には感謝です。

日曜日の高尾山
山頂の孫たち

霧と寒さの長門牧場祭

5月下旬の土日、長門牧場で牧場祭がありました。

この日の長門牧場

寒々しい日、山小舎ではストーブを炊いています。
長袖の上にジャンパーを羽織り出かけました。

牧場の駐車場はほぼ満車。
人出は広い敷地内にチラホラ。
テントの出店の前には人がいません。
人気のソフトクリーム売り場にも人が並んでいません。
人はどこに?

霧の中に出店が浮かび上がる
いつもは列ができるソフトクリーム売り場

トラクターが乗りあい貨車を引っ張って牧場を一周する、その乗り場に長い列がありました。
売店とカフェのある建物内部にも人がいるのでしょうか。

テントの下で寒さに耐えている、ボスケソチーズ工房と、アトリエフロマージュでチーズを購入。
アトリエで売り子を務めるお兄さんは元気に愛想を振りまいていました。

ボスケソチーズ工房とアトリエフロマージュの出店

乳しぼり体験コーナーやクラフトの出店にもほとんど人がいません。
何せ寒いのです。
目的のチーズ購入を済ませるとそそくさと長門牧場を後にしました。
その後も続々と車の来場がありました。

乳しぼり体験コーナー

わらび採取

姫木別荘地のスキー場跡地でわらびを採りました。

かつては別荘地内に2か所あったスキー場もすべて廃業になりました。
このうち、姫木スキー場と呼ばれた場所は、10年前に来た時点では廃業していました。
その後、ここ数年で廃業になったのが、もう一つのエコーバレースキー場です。

旧姫木スキー場跡地

姫木別荘地のシラカバ通りを軽トラで上ります。
舗装道路が尽き、行き止まりになった場所が旧姫木スキー場の頂上部分です。
斜面を横に歩いてゆくと、わらびが芽を出しているのが目に入ります。

姫木スキー場の斜面

あまり穂先が分かれずに、芽が出たばかりの瑞々しいものを選んで摘み取ります。
ポキッと折れる部分で摘み取ります。

わらびを採る

足元に気を付けながら斜面をたどって25分もするとザルに一杯のわらびが採れます。
群生するのが特徴です。

収穫

持って帰って根元に重曹をかけ、熱湯を注ぎます。
そのまま一晩おきます。

洗って根元に重曹をかける

翌朝、青く染まったアクを捨てて、何度も水を替えます。

そこへ熱湯を注いで一晩おく

小分けして冷凍し、東京へ持って帰ります。
ごく一部を麺つゆで煮て食べてみたところ、まずまずの食感でした。

ベランダにラック設置で DIY!

山小舎の1Fベランダは、薪や焚付置き場としてまた、畑の資材、塗料と塗装用具、BBQ用具に草刈り機、テーブルソーなどが雑然と置かれています。
以前は機織機がデーンと鎮座していました。

現状のベランダ

薪や焚付の置き場はしょうがないとして、雑然としたそれらを整理整頓したいと思いました。
東京から持ってきたスチール製のラックを組み立てて利用しましょう。

先ずはラックを組み立てます。
たくさんのボルトとナットで、四隅の支柱に棚を固定する方式のラックです・・・。
が、今年3月に持ってきたはずのたくさんのボルトとナットが見つかりません。

ラックを組み立てる

しばらく探しましたが、あきらめてホームセンターに出かけました。
一段に8か所も止める方式のラックです。
ゆるく止めるとグラグラします。
何とか使える程度に締めてベランダの壁際に設置します。

ベランダの壁際を空ける

その前にベランダの現状を整頓します。
今まで使っていた木製のボックス一つを下ろします。
ベランダの床をきれいにします。
この床は何年か前に防腐塗装しています。
山小舎の壁にも塗装しています。

ラック類を新たに配置

新しいラックの下段には塗料の一斗缶を納めます。
ハケなどの塗装道具は上段に納めます。

塗料類を納める

残った木製ボックスにドラム式コードを納めます。
金属ラックの空きスペースなどには、焚付などを作って納める予定です。

ベランダの残りスペースには、畑の資材とBBQ用具(椅子とテーブル)があります。
BBQシーズンを前に使いやすいように整頓したいと思います。

山小舎のDIYは続きます。

坂城町 鉄の展示館とふるさと歴史館

坂城町へ行ってきました。
坂城は千曲川沿いにあり、上田市と千曲市の間に位置します。
かつては北国街道の宿場でもありました。
坂城の前身である坂木宿は、中山道と追分宿(軽井沢宿の西)で別れた北国街道が、小諸宿、上田宿をへて善光寺、越後方面へと北上する途上にあり、当時の有力武将の本拠地でもありました。

坂城町は、長野市へ行く道すがらに、またびんぐし温泉への立寄りに、よく通ります。
この日は、坂城にある鉄の展示館を見たくて訪れました。

鉄の展示館全景

鉄の展示館は、この地に生まれた人間国宝の刀鍛冶を記念して、集まった日本刀を展示するための建物です。
展示室の一つは地元が生んだ名匠の肖像や作品などを展示して功績をたたえています。

坂木が生んだ人間国宝の刀匠
刀匠の部屋を再現

残る二つの展示室はこの展示館に集まった名刀を展示しています。
中には俳優・高倉健から寄贈されたものもあります。
坂城が鉄鋼の産地だったわけではなく、村の代々の鍛冶屋に生まれたのちの名匠の影響から、各地から数々の名刀が集まったためのようでした。

展示品
郷土の英雄・御嶽海

鉄の展示館の近くには、坂木宿ふるさと歴史館があります。
坂木宿の本陣だった建物を博物館にリユースした施設です。
明治天皇が巡幸した際に休んだところでもあります。
門構え、庭園などに風格があります。

ふるさと歴史館
上り口の部屋に展示された五月人形

室内には坂木宿と領主の村上氏の歴史が展示されています。
村上氏のことはほとんど知りませんでした。
群雄割拠していた信濃の豪族の一つで、武田、上杉、織田、豊臣という全国クラスの勢力の影に隠れ、翻弄され、敵対したり庇護されたりの末、歴史に消えていった勢力です。
瀬戸内海で海賊といわれた村上水軍とも関係があったようです。

展示品・関ヶ原屏風絵

館内に残された古文書の数々。
文書の最後にサインのように記される花王のデザインが鮮烈で、当時の文化の洗練された様子と、戦国時代の武将の殺気ある覚悟のようなものがうかがえました。

展示品・村上氏書状

歴史館を出て、北国街道沿いの商店街を歩きます。
かつての国鉄信越線(現・第三セクターしなの鉄道)坂城駅近くは、町の中心部です。
そこには、上田から善光寺に至る千曲川沿いの人の息づきが残っています。
忘れられ気味ではありますが。

坂城の街、北国街道沿い
看板が立つ横丁も

小諸、上田、坂城から善光寺へ延びる北国街道の旅も面白そうです。

令和8年畑 キューリのネット架け、ジャガイモの芽かき

寒くなったり、暑くなったり、の5月です。
標高1400メートル以上の山小舎は凍えてストーブ炊きっぱなしでも、畑は丸裸で、寒気と酷暑にさらされます。
先日の低温障害では、ハックルベリーやカボチャ、ズッキーニの葉先がやられていました。

葉先が枯れた後逞しく育つハックルベリー
低温障害の後遺症がないズッキーニ.
キャベツは育ちかたがバラバラ

この日はキューリのネット架けを主目的に出かけました。
低温障害は免れたキューリの苗が割と元気でした。
さっそくU字型の支柱を立てネットを張ります。
この列にはキューリ6本と夕顔、ヘチマが各1本あります。

何とかキューリネットを張る

何とかネットを張ってから、余った部分を畝脇にたくし込みます。
放っておくと、余ったネットに雑草が絡みつき、草刈り機の刃や紐にネットが絡みつきます。

発芽したジャガイモを見てみます。
株ごとに数本以上の芽が出ています。
芽は3~4本に抑えて芋の太りを促します。
余分な芽を鋏でカットします。

ジャガイモの芽をかく

低温障害のハックルベリーは主軸をすっかりやられましたが、下から新芽が出ています。
成育はすっかり遅れますが枯れた主軸と葉っぱをカットします。

余力があったので、トマトの支柱立を行います。
大きめのU字型を数本立てます。
次回に横に支柱を渡してゆこうと思います。
脇芽の出たトマトの手入れをします。

トマトの畝に支柱を立てる

トウモロコシ、枝豆、インゲンを直播しておきましたが、ほぼ全部が発芽していました。

直播したインゲンが発芽
トウモロコシも発芽

「文書に見る安土桃山時代」神長官守矢資料館企画展

茅野駅のベルビアという商業ビルの掲示板で、この企画展を知りました。

諏訪大社の神職を務める家系の守矢家に付属する資料館です。
近くにミシャクジ神を祀る本山もあります。
ミシャクジとは、古来の諏訪信仰とは、諏訪の神様とは。
その答えを司る、最も核心的な場所でもあります。

神長官守矢家門
資料館全景

ふだんは守矢家に伝わる古文書や、諏訪大神のお祭りである御頭祭の昔日の模様を再現した展示を行っている資料館ですが、この企画展では、武田家を駆逐し、諏訪地方を支配した織田とその後の豊臣の時代における、諏訪地方と大社の神職らの動向を古文書を通じて読み解こうとするものです。

展示物・守屋家について
展示物・御頭際供物

この時代、初めて地域の部外者の直接的な支配を受け、神長官やらも逃走したりします。
神職らは単なる聖職者ではなく、実効支配者として実力(武力)を備えた権力者として外部の侵入者に敵対するものだったのです。
一方で、明治までは綿々と口伝された呪文により、カミを下ろす霊能者でもあったのです。

企画展全景

織田により、住居、神社までも放火された神長官でしたが、豊臣に支配が変わってからは、文書により、神社の復興と自らの復権を訴えてもいたようです。
まさに一筋ならではいかないところが、歴史なのでしょうし、諏訪大社を巡る時代の流れなのでしょう。

企画展・信長侵攻に際しての禁制を通知する公文

資料館を見た後は、ミシャクジ神をお参りします。
前宮の本殿も質実剛健な気風を感じますが、守屋家に付属?するミシャクジ神本殿も、これ以上ない野趣と寒風に耐えきった素朴さを感じさせます。

ミシャクジ神本殿
清酒と鹿の角が供えられる