DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その2)


「軽蔑」   1963年    ジャン=リュック・ゴダール監督     フランス=イタリア合作

DVDにセットされていたオリジナルポスター?

「戦士の休息」が終わり、休業していたバルドーだが1年もすると休暇に飽きてきた。

イタリアのプロデューサー、カルロ・ポンテイがジャン=リュック・ゴダールを指名し、アルベルト・モラビアの「軽蔑」を原作にした企画を立ち上げた。
ゴダールはバルドーのヒロイン起用に執着した。
原作が好きだったバルドーは『もとの調子からずれたた脚本と演出によって、原作がすっかり変形されてしまうことだろうということもわかっていた』(「示談p386)が、出演を引き受けた。

撮影中ゴダールは、「君の歩き方はアンナ・カリーナに似ていない。」と言って、本番を20回も繰り返させた。
「アンナ・カリーナを迎えに行ったらいいでしょう。私はほっといてちょうだい。」とバルドーがそれに応えた。

浴槽のシーンでも帽子をかぶり続けたミシェル・ピコリと、これまたいつでも帽子をいじくり続けたゴダールを見たバルドーは、
『ヌーヴェルヴァーグとは帽子をかぶることだったのである。』(「自伝」p390)と評した。

(ヌーベルバーグの旗手ゴダールと、古典的作品のスター・バルドーは)『とんでもない取り合わせだった』(「自伝」p386)

こうして映画「軽蔑」の撮影は開始された。

「軽蔑」のセットで、ゴダールと握手するバルドー

映画の舞台はローマのチネチッタ撮影所。
ハリウッドのプロデューサー(ジャック・パランス)が、名匠フリッツ・ラング(本人)を使い、映画を撮っている。
思うようなラッシュが上がってこないプロデユーサーは、フランスから作家(ミシェル・ピコリ)を呼んで脚本を書き変えようとする。
作家は妻(ブリジット・バルドー)を連れてローマにやって来る。

閑話休題。
「映画の友」編集長だった淀川長治氏が1952年にハリウッドを訪れたときに、RKOスタジオでフリッツ・ラングに会っている。
ハリウッドでは映画監督の才能を評価するのではなく、ヒット中の作品があった場合のみ、彼をもてはやす。
ドイツ時代の栄光を知るものとてなく、忘れられた存在となりかけていたラングは、ドイツ時代の作品を熱心に語る淀川を大いに喜んだという。

ハリウッドでフリッツ・ラングと面談する淀長さん。ラングは50年代にハリウッドを離れて西ドイツに渡る

映画批評家出身のゴダールはこの作品で、ラングを大いなるリスペクトをもって遇している。
英語はもちろん、母国ドイツ語やフランス語でギリシャ古典を論じる教養とマナーに溢れた監督像は、戦前のベルリン・ウーファ撮影所で第一級の監督として君臨していたラングの実像でもあるのだろう。

ゴダールらしい映画遊びもたっぷりみられる。
劇中で「リオブラボー」、「ニコラス・レイ」、「デイーン・マーチン」などの名前が発せられるし、ローマの映画館で上映されているのが、ロッセリーニの「イタリア旅行」だったりする。

DVDの付録より

パランス扮するプロデユーサーは、ラッシュが気に食わないと、運ばれてきたコーヒーセットをぶちまけ、お盆をハンマー投げのように投げ飛ばす。
試写室のスクリーンの下の壁には『劇映画に未来はない リュミエール』なるコトバが書かれていて字幕で翻訳もされる。
ハリウッド式映画作りに対するカリカチュアがゴダール流に表現されている。

フランスが生んだ映画の父・リュミエールの至言を背景に、ハリウッドのタイクーンは乱暴狼藉を繰り広げるわけだが、タイクーンはまた、二言目には「女の裸を出せ」と脚本家に注文を付けながら、その美人妻に暇さえあればコナをかける。

フランスまで来て(実際のロケはローマとカプリ島だが)こんな役を振り当てられたジャック・パランスこそ災難だが、バルドーは『自分が映画の中でどんな役割を果たしているのか皆目見当がつかない様子だった』(「自伝」p390)と、このハリウッドスターを評している。
パランスにとっては最後まで踏んだり蹴ったりの撮影だった。

フルサイズの長回しで延々セリフを交わす画面作りは、脚本の世界観をカメラのラウル・クタールがフィルムに落とし込んだもの。
バルドー夫婦の新居の赤を基調にした配色と、カプリ島の別荘に移ってからの青を基調にした配色もいい。

『ゴダールの指示を忠実に実行するだけで、私自身の奥深い部分は全く出さなかった』(「自伝」p391)
バルドーは、そういいながらも、セリフと動き(フレームから出たり入ったり)の多い長回しによくついて行ってる。

『左翼かぶれの薄汚いインテリという種族にはイライラする』(「自伝」p386)といいながらも、ゴダールとの仕事を引受たからには、表面的にせよ体を張って応えるバルドーの漢気がうかがえる。

(赤)の場面。赤いバスタオルをまとったバルドーと帽子をかぶりっぱなしのピコリ

音楽はジョルジュ・ドルリュー。
『愛の不可解』ともいうべき映画の主題にうまくマッチしたテーマ曲が、落としどころのない主人公夫妻のグダグダのやり取りの言外の倦怠感を伝えていた。

ジャック・パランスの秘書フランチェスカを演じるジョルジア・モルは、魅力と存在感あるイタリア女優で、ハリウッドプロデューサーの秘書というプロフェッショナルな女性を、その裏側をも匂わせながら、上手く演じて居る。

DVD表面
DVD裏面



「セシルの歓び」  1966年  セルジュ・ブールギニョン監督  フランス

監督は「シベールの日曜日」のブールギニョン。
かの作品は少女と青年が主人公。
青年の少女に対する愛が、反社会的な性癖によるものか、青年は戦争が原因であったものの、通常の社会には相いれない存在だった。
二人が会って遊園地で遊ぶ場面の青年の嬉しそうな笑顔は、自分の世界に没入しきった人のそれだった。
また、さらに怖いのがうれしそうに笑う少女の存在で、常軌を逸しているのが青年だけなのか、二人ともそうなのか、わからないことだった。

ブールギニョンの長編第二作目の本作は、大人同士の不思議な関係を描く。

モデルの仕事でロンドンに2週間やってきたフランス人のセシル(ブリジット・バルドー)が主人公。
ロンドン在住の自称地質学者でオタクっぽい青年ヴァンサンがセシルにぎこちなく接近する。

パリには包容力のある大人のパートナーがいて、ロンドンのセシルに毎晩電話をかけてくるが、セシルはどう見ても釣り合いの取れないヴァンサンのアプローチを受け入れる。

この映画、つり合いは取れないが真面目な男が、違う世界の美しい婦人を手に入れ、お互いが幸せになる、という「チップス先生さようなら」のような、恋愛シンデレラストーリーではない。
「シベールの日曜日」のブールギニョン作品なのである。

ヴァンサンを受け入れたセシルは二人でロンドンを出奔する、撮影で着ていたウエデイングドレス姿で。
車はエンストし、スコットランドの古城にたどりつく。
古城には鳥の声を録音して分類する学者のような老人がいて二人を受け入れる。
二人は夢のようなひと時を過ごすが・・・。

やがてヴァンサンはセシルを縛り、嫌いな牛乳を飲ませたりするようになる。
単なるオタク地質学者ではないヴァンサンの本質が露呈されてくるが、セシルの好みとは相いれない。
風呂もない古城の生活とも重なり、セシルの不満は爆発する・・・。

DVDに特典されていたオリジナルポスター?

ヴァンサンは「シベールの日曜日」のハーデイ・クリューガー扮する青年の別バージョンだろう。

セシルはいったんは毛色の変わったヴァンサンに惹かれるがやがて熱が冷める。
彼女はパートナーとの倦怠感はあるものの、非日常に没入はしないのだ。

女優バルドーの持ち味は、その保守性と、常識性と、育ちの良さにある。
異常な性癖の持ち主や、ヒネクレタ性格の役は似合わないし、シビルの役作りでもそうなっていない。

DVD表面

ヴァンサンはセシルを誘って香港行きのJAL便チケットを買い、飛び立つ。
寝坊したセシルは空港に駆け付けるが飛び立った後。

バルドーの存在感はオタク青年と融合するものではなく、ヴァンサンが体現した非日常性は、バルドーの個性に影響を与えることはできなかった。
バルドーに見つめられ、おどおどするオタク青年の眼差しがすべてを物語っていた。

DVD裏面

「ブリジット・バルドー自伝」にはこの作品についてほとんど記載がない。

(「追悼その3」へ続く)

ハマナス剪定で DIY!

山小舎の庭にはハマナスが植わっています。
北海道に咲いているハマナスです。
植物好きの先代のオーナーが植えたものです。

毎年花が咲き、庭のあちこちに芽も出しています。
トゲトゲの芽です。

そのハマナスの木が斜めっているのでロープを張ってまっすぐにしてみます。
ついでに剪定します。

伸ばし放題のハマナスですが夏を前に無駄な枝をカットし、また重力が偏らないようにとの思いです。

込み合った枝を間引き、勢いのある枝を残します。
思いきって偏りのある方の枝を省きます。

トゲトゲだらけのカットされた枝が花ごと地面に集まりました。

しばらくはロープを張ったままとし、樹勢と矯正の加減を見ようと思います。

枯れ立木伐採で DIY!

薪の乾燥台の裏に、枯れたまま立っている木があります。
不要な立木なので伐採します。

薪乾燥台の背後の立木3本。一番右の枯れ木を切る

枯れ木とはいえ伐採は1年ぶり。
それなりに緊張します。

チェーンソーのオイルと燃料を満タンにし、ソーチェーンの張をチェックします。
刃を棒やすりで研ぎます。

幹に刃を入れます。
枯れてフカフカの幹に刃がスーッと入ってゆきます。
バターを切るナイフのようです。

受け口があっという間に切り取れます。

受け口を切る

反対側に入れる切り口も、手ごたえなく入ってゆきます。
切り口を入れてから手で押すとあっけなく倒れてゆきました。

生きている立木とは全く違います。
死んで魂のない木です。

切り口を入れるとあっという間に倒れる

倒れた丸太をつぃでに玉切りします。
あっという間の作業です。

一輪車一回の運搬量です。
重量もありません。

ついでに玉切りする

湿って、腐りかかった木材が入手できました。
これでも割ってから乾かすと、軽くて火付きがよい薪になります。

北信濃新聞 全国高校野球長野県大会・北信濃2チーム特集号

栄村へ軽トラ旅をした帰りにコンビニで「北信濃新聞」を見掛けました。
買ってみると夏の甲子園の県大会増刊号でした。

北信濃新聞6月27日号 280円

県大会のトーナメント表の裏には、北信濃地区から出場する2校の選手と監督、主将、注目選手、マネージャーが紹介されています。
飯山高校と、下高井農林高校のメンバーです。

トーナメント表

飯山高校は春の甲子園に二十一世紀枠で出たことがありましたね。
千曲川と並行して走る国道117号線から見える場所にある県立高校です。

初戦はしんきん諏訪湖スタジアムで、対諏訪青陵戦です。
ベンチ入りメンバー選手の出身中学名も紹介されているところが、地元向け新聞の良さですね。

飯山高校の紹介
マネージャーさんから
下高井農林の紹介
マネージャーさんから

他にはこんな記事がありました。

地元の人物紹介
地元の風物詩

地元色豊かな広告もあります。

とら食堂は須坂で人気の食堂
自動車修理工場の広告も地元ドライバーの心配をフォローしたもの

軽トラ流れ旅’26 新潟県境の栄村へ

新しい軽トラがきてから、快調なエンジンと、パワーステアリングのおかげで行動範囲が広がっています。
この日はかねてから行きたかった栄村を訪れました。
野沢温泉村の北隣り、新潟県津南町と境を接する村です。

秘境ブームの一端を支えた、秋山郷を抱える村でもあります。
今回は行きませんが。

移動時間節約のため高速道路を大胆に使います。
山小舎からは坂城町に下りて、上信越道に乗ります。
朝7時の出発は思いのほか効率がよく、2時間程度で栄村最寄りの豊田飯山インターに到達しました。
もう一つ先の信濃町インターまで行き野尻湖を見ることにしました。

野尻湖

野尻湖は、山小舎おばさん由来のYWCAの施設があった場所で、かねてから話を聞いていました。
俗化していない景色を期待して湖畔まで行きました。

野尻湖畔の船着き場

周遊の遊覧船が2隻浮かんでいて、湖畔から土産物屋、宿泊施設が並んでいます。

奥まった神秘的な場所というよりは、人気のない寂しい雰囲気です。
30年ほど前には秘境ブームで栄えたのが、若い人が去り寂れてしまったような景色です。

それでも湖水は透明でした。
沖合には多数のボートが浮かび、釣り人が糸を垂れています。
ブームが去った後に作られたような宿泊施設には、それなりの観光客が来ているようでした。

対岸の神社と釣り人

飯山・花の駅千曲川

高速道路で1区間戻り、豊田飯山インターへ戻って下道へ出ます。
国道117号線を千曲川とJR飯山線に沿って新潟方面へ走ります。
混みあうこともなく、新緑が目に優しいドライブです。

飯山の国道

飯山市に入り、道の駅・花の駅千曲川に寄ります。
10時前ながら賑やかな人出です。

直売所には地元の野菜が並んでいます。
お客さんたちの目は地場野菜に注がれてります。

道の駅から千曲川方面を
道の駅構内の直場所

魅力的な笹寿司とまだ温かいおやきをひとパック。
ブルーベリーと加工用プラムなどを買いこみます。

この道の駅にはおしゃれなカフェと、アウトドアグッズ・モンベルのブランドショップが併設されています。
道の駅全体の運営はモンベルが行っているのかもしれません。

お買い物

栄村・道の駅信越さかえ

再び117号線を進みます。
それまでは人家で開けた千曲川沿いの風景が、だんだん山間に入ってゆきます。
次の集落が栄村でした。

飯山から栄村に向かう千曲川

道の駅・信越さかえに寄ります。
駐車している車は長岡ナンバーが半分くらいの感じです。

蕎麦を出す店が3か所くらいもある道の駅で買い物です。
地元産のお米が美味しそうです。
値段も5キロで3000円台に下がりました。
人気ナンバーワンだという地元産のトマトジュースを2缶買いました。

道の駅信越さかえの物産館

昼ごはんは、先ほど買った笹寿司をベンチで食べます。
手づくりの味です。
せっかくなのでテント張りの出店でキノコそばを注文。
キノコタップリでアサリまでのっている具だくさんの蕎麦は、思いのほか食べ応えがあり満腹となりました。

本日の昼食
そば一杯を追加

栄村歴史文化館・おらっせ

道の駅を出て1分も走らないうちに新潟との県境です。
県を隔てる千曲川が濁流となっています。

いったん新潟へ出てから、右折して千曲川を再びわたると長野側の集落が続いています。
小学校の分校跡を利用した、栄村歴史文化館・こらっせがありました。

川の向こうは新潟県

入ってみると学芸員の男性が出てきて、付きっ切りで説明してくれます。

  ・展示品は東日本震災の時に、つぶれかかった土蔵の収納物と遺跡からの出土物など。
旧家の土蔵から古文書や家材などを搬出し、記録し、この場所に収納したのは、千葉の大学教授とその関係者のボランテイアだった。
また村内の秋山郷には鎌倉時代から伝わる聖徳太子を描いた巻物が伝わっていてそれらも収納されている。

廃校した分校の歴史

  ・117号線は善行寺街道として越後との通商路だったが、近年千曲川の対岸に道路を移してから便利になった。
言葉や風習には新潟の影響が強い。

  ・秘境ブームで人気だった秋山郷は、117号線からだけが出入り口だったが、今では志賀高原への抜け道ができて群馬方面からもはいれる。などなど。

地元出身という学芸員さんが熱心に郷土の歴史を語ってくれました。

こうした熱心な方との出会いは、地方の郷土資料館を訪問する際の楽しみでもあるのです。
ついつい聞き入ってしまいます。

蔵から移動させた民具

栄村の資料館で、思わぬ滞在を1時間ほどもしてしまいましたが、まだ13時半。
帰路には野沢温泉村でひとっぷろ浴びましょう。
まだまだ山小舎までは遠い道のりです。

野沢温泉

数年以上も前に山小舎おばさんと訪れたことのある野沢温泉に寄ってみます。
その当時でも、蕎麦屋の客の半数以上が外国人だったり、スノーモンキーをフィーチャーしたツーリストビューローが英語の看板を掲げていたりする国際色豊かな温泉街でした。
立寄り湯に入った山小舎おばさんは、相客が中国人の女性グループだったと申しておりました。

野沢温泉観光案内所。ここで携帯の電池が切れた

その時の記憶をたどって温泉街を一周します。
部外者は立入禁止の麻釜という、野菜をゆでたりする生活の場、を通り、大湯へ。
大湯は古い建物で有名な立寄り湯です。
ここの立寄り湯は管理人がいなく、料金箱にいくらかを投げ入れて入ります。

麻釜の様子(パンフレットより)

入るとすぐ浴室です。
浴槽の脇に脱衣棚があります。
浴室に桶はありますが腰掛はありません。
シャンプーなどはもちろんなく、蛇口からは水道は出ますが温水の配管はありません。
それよりなにより、浴槽のお湯が熱いのです。

大湯に場内(パンフレットより)

渋温泉の立寄り湯、下諏訪温泉の立寄り湯、蓼科温泉の立寄り湯など、入るのに覚悟がいるほどの温度の温泉はありますが、その中でも最大級です。
水道を出しっぱなしにして、すぐそのわきに浸かっている男性が見かねて「ここに入るといいよ」と言ってくれました。
今日は野沢温泉に一泊し、立ち寄り湯めぐりをしているという方でした。

浸かっている内に、眠気が飛んで気分が復活してゆくのは、いい温泉の特徴です。
1~2分の入湯で活性化します。

野沢温泉の湯のすばらしさを改めて痛感してこの日の軽トラ旅を終えました。

山小舎帰還まで2時間以上の下道旅でしたが、日の長い季節故まだ明るいうちに帰着できました。
出発してからほぼ12時間たっていました。

佐久市立近代美術館「暮らしとともに」展

ある日、実術館の企画展のちらしを見掛けました。

少女が二人、ゴザの上に座っている景色でした。
雰囲気は戦前の日本の田舎。
少女の服装から南国の漁村の風景にも見えました。

ある日見掛けた美術間のチラシ

佐久市の近代美術館は、岩村田と中込という市内の中心部を形作るJR駅の中ほどにある、駒場公園にありました。
図書館なども立地する静かな公園の駐車場に軽トラを止めて美術館を目指します。

佐久市の駒場公園内
近代美術館エントランス

受付には3人ほどの関係者がいました。
何となく美術関係に詳しい人たちのように見えました。

天井が高い、近代的な作りの館内。
博物館と同様な建物にカーペットを敷き詰めたような静寂があります。
館内は1階に平山郁夫のシルクロードを題材にした絵画が展示されており、2階と3階が「暮らしとともに」の展示でした。

2階の展示室では陶器やガラス器の展示が目に飛び込んできました。
非日常的な陶器類がフロアに広がっています。
その周りの壁には、長野出身の芸術家の絵画が並んでいます。

2階はガラス器などの展示

中には撮影OKの表示の作品もあります。
抽象的な作品ではなく、目玉焼きだったり、身の回りの物をテーマにした作品群です。

近衛の主題は目玉焼き
こういった絵画も
有島生馬(有島武郎の実弟)作「夏の少女」。

3階にはお目立ての作品がありました。
撮影OKでした。
縦横1.5メートルほどの大作です。
舞台が漁村ではなく、農村でした。
とっくに日本から失われた風景です。
当時は当たり前の景色だったのでしょうが、それを題材とし、芸術作品に昇華させた作家の慧眼は貴重です。

全作品が佐久美術館の所蔵作品とのこと。
今後も気になる企画展をチェックしたいと思いました。

彫像もあった

令和8年畑 二番草

6月下旬になりました。
今年の天候は、暑い日が続かず、時々寒い日、時々雨、です。
キャベツやセロリにはいいんじゃないでしょうか。
トマトやナスには期待するほどのカンカン照りがなくてイマイチかな。

山小舎で来客をもてなしたり、山小舎おばさんにくっついて東京に帰ったりしているうちに、畑が再び真っ青になっていました。
真っ青ではなくて、真緑か。

刈る前の畑

この日は畑の畝間を刈ります。
草刈り機の刃をヒモに替えます。
20CCもない弱力エンジンの我が草刈り機ですが、ヒモに付け替えることができます。
凸凹が多く、柔らかい草が生える、狭い畝間の除草には、ヒモで刈るのがいいのです。

ヘッドをヒモに替えて出陣

ゲートを開けると「真っ青」な畑が現れます。
草刈り機のエンジンをぶん回して畝間を歩きます。
雑草がどんどん刈れてゆきます。
ビニールマルチを傷つけたり、キューリネットに絡まないように注意しながら刈り進めます。

畝間の除草を開始

それでも一度、ネットの端に絡めてしまいました。
そうなるとエンジンを止めて絡んだネットを切り外さなければなりません。

やはり畑は手を入れるといいものです。
すっきりします。

夏野菜の旺盛な成育がイマイチ見られませんが、この後に爆発してくれるでしょう。

きれいになった畝間
落花生の畝間

翌日からは雨の予報ですが、葉物類、キューリ、ナスなどには潅水をしておきます。
また、最近実の成り方が少ないズッキーニがよく受粉できるように、下葉をカットして通気良くしておきます。

トウモロコシ
ミニトマト
ナス

第4回!彩レデイース来小舎

彩レデイースが山小舎にやって来る季節になりました。
4年目です。
今年は2人です。

最初の年は4人参加(山小舎おばさんを入れて5人)でした。
諏訪の鰻屋で待ち合わせし、諏訪湖一周から片倉館で温泉、諏訪大社本宮を参拝して山小舎へのコースでした。
2年目からは3人のゲストでした。

毎週、調布柴崎のみんなの居場所・彩でランチを作ってくれるメンバーです。
近所のマンションから通ってくれます。
ランチの会のほかにも、鏝絵(だったかな)の教室を開いたり、銀座へ食事に行ったり、山梨まで信玄餅の工場へ行ったり、韓国仕込みの手作りキムチを持ってきてくれたり、と多士済々の方々です。

山小舎へ来てからもわらび採りをしたりしました。
毎年、山小舎で一泊する前には県内での昼食と温泉が楽しみなようです。
同行する山小舎おじさんの食費を旅の会費から出してくれたり、山小舎浄化槽工事費をカンパしてくれたりもしました。

そんな彩レデイースの来訪を前に、山小舎ではごちそうを用意して待ちました。
今年の目玉はオードブルです。
メインの炭火焼きとそばを出す前に、大皿にオードブルメニューを各自分用意しようと思ったのです。

当日のメニュー
串に仕込んだ鶏もも

オードブルのメニューは、地元産のパテ、畑で採れたキューリの醤油麹添え、おなじくピーマンの焼きびたし、鶏肉のトウガラシ麹焼き、ビーツのピクルス、焼きトウモロコシ、焼きシイタケ、茹でアスパラなどです。

オードブルを盛りつけ中

温泉上がりで腹ペコなお二人は、例年のも増して、食べる食べる。
その間に講習会で打ったそばをゆでて出します。
醤油麹に漬けたシソで巻いたおにぎりも用意しています。

おにぎり
宴スタート

そばを食べている間に、仕込んでおいた鶏もも串などの焼き物を炭火に乗せます。
こうして夜の宴は過ぎてゆきます。

鶏レバー
レデイースは洗い物を片付けてくれる

翌朝は霧でした。
山小舎おばさんの企画立案で、この日の朝食を車山肩のコロボックルヒュッテで摂ることにして8時半ころ出発。
霧のビーナスラインを走って現地へ。
ヒュッテに向かうとすでに10人以上の客が9時の開店を待っていました。

霧の車山高原

霧もさることながら、風と低温で寒いこと!
レデイースからウインドブレーカーを借りてその場を凌ぎます。
名物のボルシチとパンの朝食を注文。
サイフォンのコーヒーが美味かった。

食後はまだ早いニッコウキスゲの姿を遊歩道沿いに求めながら車山高原を散歩しました。
満足感たっぷりのレデイースツアー。
来年も待ってまっせ。

ニッコウキスゲを求めて

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その1)



バルドーとロジェ・ヴァデイム

去年(2025年)ブリジット・バルドーが亡くなった。
同時代の名女優、クラウデイア・カルデイナーレが亡くなったのも去年だった。

26歳の時、パリの名画座でバルドーの出世作「素直な悪女」を見たことがある。
洗濯物の背後にヌードで横たわり、これでもかと黒人たちとチャチャチャを踊りまくる22歳のバルドーは、ピカピカとした光を放っていた。
スターというものは、何年たってもフィルムを通して輝いていることを知った。
古今東西の名作が真新しいプリントで上映され続けているパリという街での貴重な体験だった。

ブリジット・バルドー

「素直な悪女」でスターダムに躍り出たバルドーだったが、本人はスターの生活に興味はなく、男と快い生活と動物のみに生きがいを感じていたようだ。
プチブルジョアの家庭に生まれ、幼少期よりバレエを習うお嬢様だったが、15歳の時に雑誌の表紙に出始めた。
それが縁で、映画のスクリーンテストを受け、監督マレク・アレグレの助手だったロジェ・ヴァデイムと恋に落ちた。
バルドー記念すべき愛の旅立ちの第一章である。

バルドーとヴァデイム

両親の目を盗んでの交際期間を経てヴァデイムと結婚。
アレグレの助手を経てシナリオライターとなったヴァデイムは、戦争を経験した戦後世代で、パリの若者文化の渦中で過ごし、俳優のクリスチャン・マルカンや無名時代のマーロン・ブランドなどとも交友があった。
その時代の先端的をゆく世俗性と、異国情緒たっぷりの男性性が箱入り娘のバルドーをメロメロにさせたのだった。

生まれたままで15年たっただけの愛すべきバルドーは、奔放のようでいて貞淑、一途な寂しがり屋な素質が全開。
良くも悪くも他人のための社会性など一切持たずに、本能のままにふるまい、それを受け入れてくれる信頼のおける人間で身の回りを固めた。
長年の付き合いのメイクアップアーテイストや女性プロデユーサー、ゲイの秘書、それに犬かロバを加えた信頼のおけるメンバーを自らチーム・バルドーと呼んだ。

「素直な悪女」の後は、夢のような金銭条件で契約を迫るハリウッドをかわしながら、ミシャル・ボワロン、ヴァデイムなど若手の作品に出演。
一方で、クロード・オータン=ララ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾなどのベテラン監督の作品に出演するようになる。
名匠の作品にあってもバルドーは自己流を貫いた。

バルドー自伝表紙

1996年、バルドーは自伝を出版した。
「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」(1997年 早川書房邦訳刊)である。

ヴァデイムとの出会いや、「素直な悪女」撮影のころを中心に読んでみた。
どこを切ってもバルドー印。
女の子っぽさ、繊細さ、育ちの良さ、わがまま、耐性のなさ、社会性のなさ、がどのページからもその新鮮な切り口を露呈している。

図々しさもあり、特に男に惚れる瞬間の早さと、その後の一途な依存性は天下一品のバルドーの世界。
ヴァデイムに飽きた後(彼は終生の理解者であり庇護者だったが)、「素直な悪女」で共演したジャ=ンルイ・トランテイニャンにぞっこんの2年間を過ごし、ある日一瞬で歌手のジルベール・ベコーに乗り換えるのが彼女20台前半の男性遍歴として人生のサイドストーリーを飾るのである。

自伝カバーの宣伝文より

57年の「月夜の宝石」(ヴァデイム監督)で長期スペインロケに出かけたときの、バルドーとそのチームのエピソードを自伝より引いてみたい。

経緯はこうである。
『マドリードから汽車で20時間もかかる海岸沿いの村に一行が到着した。
ブーゲンビリアが咲き乱れ、オレンジの花の匂いのする寝室ふたつのバンガローに、ジャニーヌ(バルドーの照明代役)と泊まるバルドーは幸福そのものだった。
ジャニーヌはスペイン人のハンサムなこれまた代役(バルドーの相手役:ステイーブン・ボイトの)に一目ぼれし、むさぼるように見つめ合う。
その晩、男はジャニーヌのベッドにに忍んで来る。
ロケ隊が引き上げるときに二人は(スペインに残るため)さよならを言いに来たのだった。』

『二人は幸せそうで、心ここにあらずという風情だった(中略)愉快な話である。その日からジャニーヌとは会っていない』(自伝P188)。

夢のような南国の漁村でのロケ合宿。
恋人たちは自然に惹かれ都会生活に関係なくほどけて行った・・・。

バルドーとは楽園で幸福を味わうために生まれてきた女神なのであろう。
それは彼女が愛し、信頼するチーム全員にも同じようにいえることだったようだ。

自伝奥付



「恋するレオタード」  1954年  マレク・アレグレ監督  フランス(コロムビア映画配給)

バルドー20歳、ヴァデイムと結婚して2年たっていた。
10本目の映画出演作、といっても主演はまだなし、の時期だった。

マレク・アレグレはフランスの中堅監督。
ブリジットが15歳の時に、彼女の両親を説得してカメラテストしたことがあった。
この時のアレグレの助手は当時17歳のロジェ・ヴァデイムだった。
ブリジットはテストに落ち、また予定されていたこの作品は無期延期となった。

アレグレは「素直な悪女」の1本前にブリジットの主演で「裸でごめんなさい」(56年)という作品を撮っている。
1956年は、ブリジットとヴァデイムはすでに結婚しており、ブリジットの主演で監督デヴュー作を準備していた年になる。

マレク・アレグレ監督を中心にバルドーとヴァデイム

本作「恋するレオタード」は、ジャン・マレーがウイーンの音楽教室のカリスマ校長に扮し颯爽と登場。
40年代のフランス映画界にあって、詩人ジャン・コクトーによる「美女と野獣」(46年)の王子様役で登場し、その後も名女優たちと共演した、あのジャン・マレーである。
登場場面が、神々しく引き締まろうというものだ。

なるほど、美形ぶりと颯爽とした振る舞いはジャン・マレーそのものだが、本作は音楽学校の女学生たちが主役の、ほろ苦い成長ドラマである。
マレーは、彼女たちのあこがれの的の大人の男性役。
離れて住むプリマドンナの夫人との愛に悩みつつ、身の回りの若い女学生にちょっかいを出す俗っぽいオヤジでもあった。

マレー校長に憧れる女学生に、金髪の悩める美形、イザベル・ピア。
彼女と校長を競い合い、校長宅に押し掛ける女学生にブリジット・バルドー。
レオタードから伸びた長いまっすぐな脚が若々しいブリジットと、北方系の金髪美少女の影を演じるイザベルが対照的なキャラとなる。

DVD表面

学院の生徒たちの描写が生き生きしている。
生徒同士のカップルが生まれ、校長を巡る女の子同士の噂話が駆け巡る。
校長の個人レッスンを巡る抜け駆けなどもありそうだ。
このあたりの生き生きしたエピソードの積み重ねはアレグレ監督の職人技か。

学友を出し抜いて校長と個人レッスンの上、弄ばれて初恋を信じてしまうイザベルとブリジットの夢が破れる結末は、校長の心が夫人のもとにあるからといういつものストーリー。

DVD裏面

冬のウイーンの街角。
コートの襟を寄せ、アパートへ急ぐる女優の姿。
フランス映画らしい何気ないカットにアレグレ監督の感性が漂う。

助手のヴァデイムと練ったというシナリオには、様々なエピソードがちりばめられ、若い学生たちの輝きと挫折とが工夫して表現されている。
少女漫画のような筋回しと、エピソードの数々に見られる通俗性が、後のヴァデイム映画の通底しているところが面白いが

日本非公開。
原題名「未来のスターたち」。

バルドーのフィルモグラフィ。本作は「未来のスターたち」とある



「素直な悪女」   1956年   ロジェ・ヴァデイム監督    フランス

カラーのシネマスコープ画面が南仏の漁村風景を映し出す。
カラフルな洗濯物が翻るその背後には裸のバルドーが寝そべっている。

サントロペの漁村に造船所を大規模に経営しようと、実業家のエリック(クルト・ユルゲンス)がやって来る。
洗濯物の背後で立ち上がってエリックに応えるジュリエット(ブリジット・バルドー)。

ジュリエットは孤児院からサントロペの里親に引き取られている18歳。
村の書店の店番をする以外はブラブラしている。
前開きのスカートで自転車を漕ぎ、港の青年たちにはやし立てられる。
それが大人には気に食わないがジュリエットは平気だ。

日本封切り時のポスター(左半面)
同(右半面)

村の造船所にはアントワーヌ(クリスチャン・マルカン)とミシェル(ジャン=ルイ・トランテイニャン)と末弟の三兄弟がいて、アントワーヌはジュリエットにかまい続けている。
魅力満開だが誰にでもオープンというわけではないジュリエットは、漁村から脱出できるのならアントワーヌについても行こうとするが、遊びで捨てられることは嫌がる。
自分の裸を見て興味津々のエリックの金と贅沢にも興味はある。

クルト・ユルゲンスと

バルドーが世界に向けて自分を売り出したこの作品。
当時の夫ロジェ・ヴァデイムの監督デヴュー作にして世界的大ヒット作となった。
主人公・ジュリエットは、三兄弟全員を愛人にした少女が、そのうちの一人を殺害したという事件をモチーフにしたヴァデイムのオリジナル脚本が生んだヒロインだった。
そのヒロイン像は、妻バルドーの嘘偽りのない人間そのものだった。
また映画で描かれるエピソードは、ヴァデイムがバルドーと知り合ってからの実体験に基づく事柄ばかりだった。

15歳でヴァデイムと知り合い、恋に落ちたバルドーは、交際が許されるまでの間、また結婚が許されるまでの間、ロミオとジュリエットのような気持で過ごしており、ヴァデイムは処女作のヒロインにその名を付けた。
サントロペを舞台にしたのも、ブリジットの両親がこの地に別荘を持っていたからだった。

ジュリエットが大人の不興を買い、孤児院に戻されようとして、自分に一途に愛をささげるミシェルと結婚して急場をしのぐ。
教会での式が終わったとたん、披露宴を待たずに寝室にしけこんだ挙句、ジュリエットがごちそうを一皿とワインだけをもって、「お休み」と寝室にリターンするエピソードは、バルドーとヴァデイムの結婚当日の様子と同じだ。

ジャン=ルイ・トランテイニャンと

ジュリエットはミシェルの愛を受け入れて幸福な生活を望むのだが、一方でその幸福を実現するのが怖いとつぶやく。
ヴァデイムはこの作品で、バルドーに『自分の魂をさらけ出すこと』(ヴァデイム著「我が妻バルドー、ドヌーブ、フォンダ」p132より)を求めた。
そのつぶやきはバルドーの魂のつぶやきそのものだった。

映画のラストシーン。
偶然にもアントワーヌとデキてしまい、ミシェルの心も千々乱れるなか、黒人のボンゴにのってチャチャチャを踊りまくるジュリエット。
己の煩悩を鎮めようとするが如く、否、人並みの幸福を希求することの怖さを忘れようとするが如く、スカートの間から細く長い脚をむき出しにして激しく踊るジュリエット。
ヴァデイムがかつてのバルドーに見た姿だったという。

チャチャチャを踊るジュリエット

この作品、様々な男女にまつわるエピソードは、芸能新聞のように通俗性に溢れているところがヴァデイムらしいが、ジュリエットというキャラクターの本質性と、演じるバルドーの資質との不可分性は、まさに映画史におけるのエポックメーキングであった。
だからこそ世界中の観客はそれを目撃しに映画館に押し掛けたのだった。

DVD表面

バルドー本人は自伝に曰く『撮影があれほど楽しかったことはない。私は演じてなどはいなかった。ありのままの私を見せればいいだけだったのだ。』(「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」p126より)

DVD裏面



「戦士の休息」    1962年   ロジェ・ヴァデイム監督     フランス

60年代に入ったバルドーは、この作品で映画界を引退しようと考えていた。

チームバルドーの働きでここまで女優として生活してきたバルドーだったが、パパラッチや記者、野次馬たちに脅かされるスターとしての生活に疲れ切っていた。
彼女はバルドーチームのマネージャーやメイク係、代役のために、映画を介してやっと生きているのだった。
チームのメンバーたちはそれぞれ夫や家族と各々の生活を楽しんでいるのに。

また、アルジェリア独立を巡って、バルドーの父親が反独立組織から脅迫を受け、彼女も巻き込まれて警察の護衛を受けてもいた。
さらに彼女の生活の中心となったのは、生涯のテーマともなる動物愛護への関心だった。

牛のと殺方法を巡って、特殊ピストルによると殺をと、内務大臣と面会して提案したりした。
彼女自身はヴィーガンとして、例えば撮影所の食堂でステーキを注文した人にヒステリックな反応をするようなこともあった。

私生活では、「真実」(60年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)で共演したサミー・フレーと生活を共にしていた。
心はフレーに締められていた。

「戦士の休息」より

「戦士の休息」は、莫大な遺産を相続した若い女(バルドー)が、旅先で自殺未遂をしていたボヘミアン(ロベール・オッセン)を拾って、腐れ縁のような関係に巻き込まれてゆくというストーリー。
気ままに生きてきたボヘミアンは当然定職も社会的地位もなく、ついでに人間としての誠意も夢も希望もない。
女の金で酒を飲み、戯言を喋り散らし、抱き寄せるだけだ。
小説を書くというが出だしの1ページだけだった。
フィレンツエで、ボヘミアンが女を捨てて娼婦に走ったことから現実に覚醒する女だった・・・が・・・。

育ちのいい常識的な女性が、遺産相続という人生の転機で、本来巡り合うはずのないボヘミアン的な男の「自由人の魅力」に惹かれてさ迷う現代の迷宮巡りの物語。

DVD表面

遺産となる屋敷の暖炉の火にバルドーのネグリジェを投げ込み、抱き寄せるボヘミアン。
パリの女の部屋で、ガウン一つでベッドのボヘミアンに倒れ込むバルドー。
掃除する彼女に「裸で掃除しろよ」と命じ、従うバルドー。
ヴァデイムはバルドーの堂々たる体と色気だけを描いているが、撮り方によってはアブノーマルな趣向が色濃く出たであろう場面の数々が本作の見どころか。

女が自分に固執し始めたことに気づいたボヘミアンが、本能的に女から逃げようとつぶやく「愛なんてくだらない」。
それでも愛し続ける女に最後に応える「君を愛してるみたいだ。でも怖いんだ」。

結局、女の愛にほだされて、所在なきボヘミアンの心も女のもとに定まれり、の結論。
ということは、男の変態性に刺激されて女の異常性が目覚める話でも、ボヘミアンが自由と引き換えに崩壊する生活と精神を描くものでもなかったようだ。

『「戦士の休息」はあまり好きになれなかった。ルノー(ロベール・オッセン)の美しい目にうっとりして、愚かな行動に走る若い娘は私の柄に合わなかったのである。(中略)カップルの取り合わせが悪く、脚本にもメリハリがなくて、全体的に生き生きした躍動感がなく、パンチにも欠け、人を陶然とさせるところがなかった。まるでフリーズドライの映画だった。』(「ブリジットバルドー自伝」p381より)

主体性がないようで、自我が確立しており、無軌道な快楽主義とは一線を画す男気の持ち主、バルドーらしい言葉である。

DVD裏面

60年代に入ったバルドーは、かつての『野性味ある育ちのいいお嬢様』から、『落ち着いた若奥様風』へと変貌を遂げていた。

初夏の農産加工3選

畑の作物がぼちぼち採れてきました。
新鮮なうちに収穫して加工しましょう。

青じそが伸びてきました。
根元から分決して伸び始めたので、そのうち1本を折ってきました。
週末の来客用に加工しておきましょう。

折ってきたシソ

収穫したシソは数日の間なら、茎を水に漬けておけば葉っぱはピンとしていますがそれ以上は持ちません。
そこで自家製の醤油麹に漬けることにします。

醤油麹を取り出す

醤油麹にニンニクを混ぜ、そこへシソの葉っぱを浸します。
温かいご飯と一緒に、あるいはおにぎりを巻いて食べられそうです。

ニンニクを混ぜた醤油麹にしそを漬け込む

去年から植わっているルバーブの茎を切って持ってきました。
これでジャムを作ります。
小瓶に一杯までいかないほどの量ですが、ジャムができました。
畑で育てたルバーブのジャムです。

ルバーブを切る

直売所にはたまにビーツが売っています。
一袋3玉ほど入っていて150円ほどです。
買って帰ります。

来客時のサラダ用に、ピクルスに加工します。

ゆでたビーツの皮をむきカット

玉を30分ほどゆでて皮をむきます。
カットしたら熱いピクルス液に漬けて煮沸すれば完成です。
ピクルス液には自家製の柿酢を使いました。
和風の丸い味のピクルスになりました。

ピクルス液に漬けこむ