今年も始まる!りんごバイト

10月下旬、今年も始まりました、五輪久保のリンゴ摘みバイト。
まずは王林の摘み取りです。

この日のりんご畑

処は立科町の五輪久保地区のリンゴ農家。
山小舎からは大門地区に下りて、笠取峠を越えたところを山間部コースを取ってしばらく行ったところ。
県内のりんご愛好家には、名産地として名をとどろかせた地区にあります。

10月中には王林の、11月に入ると主力のフジの取入れです。
王林では3日ほど、フジでは1週間ほどの摘み取り期間があります。
3年目の今年は、初めて王林の収穫から参加しました。

王林が実った木

秋晴れのこの日、姫木からは夫婦2組と、男性1人の参加があります。
男性は全員、別荘管理会社のバイト仲間です。
ほかに地元の主婦2人と男性1人の参加がありました。
全員去年からの顔見知りです。

たわわに実った王林を摘み取ってゆきます。
農家さんの1年の集大成ですから、損失のないように気を付けます。
が、どうしても落下や、軸の損失が発生します。

籠に摘み取ってゆく

楽しみは10時と3時のお茶休憩です。
かつては青森からの出稼ぎさんを、宿泊、3食付きで集めていたというこの農家は、バイトの人に対してもホスピタリテイがあります。
現おかみさんは嫁入り当時には、出稼ぎさんへの3食提供が忙しかったとのことです。

最終日には籠一杯の王林をいただきました。
フジの収穫は11月の中旬からとのことです。

お土産にもらった王林

DVD名画劇場 ”赤狩り”20年後の復活 エイブラハム・ポロンスキー

50年代初頭の”ハリウッド赤狩り”で映画界から追放され、69年となった”20年後”にハリウッドに復活したエイブラハム・ポロンスキーの監督作品「夕陽に向かって走れ」を見た。
そこには20年たっても変わらぬポロンスキー生涯のテーマがあった。

脚本家でデヴューしたポロンスキーは、40年代に「ボデイ・アンド・ソウル」(47年 ロバート・ロッセン監督)で、ボクシング界の裏面を告発した後、自身の監督第一作「悪の力」(48年)を発表。
ニューヨークのユダヤ人社会にはびこる非合法ギャンブルの世界で、まかり通る不正義を描いた。

この2作品とも、底辺からの目線で社会の不合理を冷徹なタッチで暴いたものだった。
そこに通底するのは、ポロンスキー独特の『正義』への信奉(というか追及)だった。
それは『青臭い』ほど純粋なものだった。

ハリウッドに吹き荒れた赤狩りは、アメリカ共産党員もしくはシンパとして告発された19人を対象とした第一次の非米活動委員会での証人喚問を経て10人の有罪者を収監したが、51年に第二回の公聴会が開かれた。
ポロンスキーはこの第二次喚問に召喚され、非米活動委員会の非を証言し、ブラックリスト入りした。

左翼がかった知的なユダヤ人移民(の子弟)という典型的な”赤狩りの犠牲者”像がポロンスキーの持つ属性だった。
ポロンスキーはハリウッドを離れ、ニューヨークでラジオやテレビの脚本の仕事をして糊口をしのいだ。

20年後、ハリウッドで映画化された「刑事マデイガン」(69年 ドン・シーゲル監督)の脚色をしたのがきっかけで、 製作者のフィリップ・A・ワクスマンから「夕陽に向かって走れ」の監督オファーを受けた。
赤狩りでブラックリストに載ったり、ハリウッドを離れたりしていたドナルド・トランボなどの脚本家、監督が実名で仕事を始めるようになったころだった。
出来上がった作品は、20年前のポロンスキーそのままの、生々しく、初々しく、痛みを感じるタッチの”青春映画”だった。

「夕陽に向かって走れ」演出中のポロンスキー




「夕陽に向かって走れ」  1968年  エイブラハム・ポロンスキー監督   ユニバーサル

舞台は1909年の西部の町。
インデイアン居留地が近くにある。
『インデイアン狩り』の名人だった父を持つ保安官クーパー(ロバート・レッドフォード)と医者で人類学者のオールドミス、アーノルド博士(スーザン・クラーク)がいる。

インデイアン目当ての密造酒の潜り販売が出入りする20世紀初頭の西部。
そこでは、かつてのインデアンと武力で制圧する開拓時代を終え、合衆国の一員としての体制を整えつつあった。
その町へ、出獄したインデイアンの青年・ウイル(ロバート・ブレイク)が帰ってくる。
居留地の恋人ローラ(キャサリン・ロス)との結婚をその父親に許してもらうために。

黒髪で顔を半分隠し、粗末なワンピース姿で居留地を駆けるキャサリン・ロスが登場。
インデイアン娘というより、ジャン・ルノワールのハリウッド第一作「スワンプ・ウオーター」(41年)で、粗末なワンピースに裸足で画面を駆けていた新人時代のアン・バクスターの初々しい姿を思い出す。

ローラ役のキャサリン・ロス

インデイアン達とは生まれながらの知り合いで、地元の地理と自然は知り抜いている、腕利きだが、独断専行で町の権力者には全くおもねない保安官のクーパーは、オールドミス・アーノルドとは寝る関係。
インテリのアーノルド女史は、クーパーの野性味と男くささには体が参っており、その現実が自分ながらに許せない心理も働く。
そのココロは、自然児クーパーの実はやさしく、『正義』を貫く姿にホレているからなのだろう。
女史は、ウイルとローラの件で最後までクーパーの側で顛末を見届ける。

ウイルはローラを連れて逃げる。
結婚に反対するローラの親父を間違って撃ち殺したからだ。
地理を知り尽くしたインデイアンのウイルは、追手を巻くようにコースを避け、馬ではなく徒歩で逃げる。
ローラはヘトヘトになりながら、砂にまみれ、沼に飛び込みながらウイルについてゆく。
ロバート・ブレイク扮するウイルの運動神経は抜群だ。

追手のクーパーも地理とウイルの心理は知り抜いている。
じりじりと包囲網を狭める。
ウイルに追手を殺すつもりはなく、クーパーにもウイルを殺すつもりはない。

野卑なクーパーだが、インデイアンに対する公正な姿勢がたびたび描かれる。
ビリヤード場でウイルを侮辱した白人がウイリーに殴られてクーパーに訴えても白人に冷淡だったり、インデイアン相手の密造酒売りなど摘発しても拘留する価値はないと追放するし、ウイルと幼馴染の白人青年が示すウイルへの同情に町長が反対してもウイルの幼馴染の白人青年を守ったりする。
それは単なる正義感からというよりは、大自然と歴史の一部たる先住民にリスペクトをもって遇するのが、この場所では合理的だからだ、という哲学が体に染みついているからだ。

ウイルとローラ

誤射で追手を殺したウイルは、弾丸を込めていないライフルを持ったまま、クーパーに撃たれる。
その前にローラは死んでいる、廃墟となった別の居留地で手に入れたウエデイングドレスを着た姿で。
ウイルとの心中なのかどうかは説明されない。

クーパーは部下に、町に帰って棺おけを作って持ってくるように指示する。
ウエデイングドレス姿のローラを棺おけに納め、ウイルとともに火葬する。
死体のままで町に持ち帰ると『インデイアンの反乱の首謀者』としてさらされることがわかっているから。
クーパーにとっての『正義』はこうして執行される。
『この場所の歴史と自然と先住民は、現在そこに住む人間によって尊重されなければいけない』という正義が。

ポロンスキー映画のこの作品における『正義の執行者』はレッドフォード扮する保安官だった。
その補佐役がアーノルド女史だった。
芸達者のスーザン・クラークが演じたアーノルド女史はともかく、青春スターの残滓を引きずるロバート・レッドフォードのクーパー保安官の出来は50点。

赤狩り時代を経てヴァージョンアップしたポロンスキー映画の『正義執行者』は、「ボデイ・アンド・ソウル」や「悪の力」の時よりも、より屈折して、より現実的で、何より腕利きでなければならなく、それを体現した人物というのはとてつもなく渋く、汚れてはいるが、真の優しさを持った人物でなければならない。
青春スターの影を引きずるレッドフォードでは役不足(役足らず?)だ、がんばってはいたが。

クーパー保安官と追手

ドラマ作家としてのポロンスキーの腕は確か。
息もつかずにストーリーを引っ張ってゆく。
スリルもささやかなカタルシスもしっかりとある。

70年前後のニューシネマ風の味付けもある抒情的なカメラもいい。
一途な若いカップルが、一途故にまっしぐらに突っ込んでゆく、破滅的なエンデイングに、悲観的でもなく、突き放すでもなく、ヒロイズムに色づけするでもなく、とことん付き合っていた。

軽トラ流れ旅’26 川上村へ

川上村

軽トラ流れ旅の追い込みシーズンです。
10月のある日、東信地方の川上村へ行ってきました。

川上村は長野県の東端に位置し、野辺山地区と埼玉県秩父市の間にあります。
高原野菜で有名な村で、日航ジャンボ機の墜落事件では、墜落した機長が最後に川上村の真っ平らな畑に軟着陸しようと試み、群馬県側の御巣鷹山を越えようとした、と伝えられた場所です。
事故に当たって当時の川上村村長は救援に尽力したといわれます。

野辺山から小海へ向かう国道沿いからは東に離れた川上村。
JR小海線の線路が大きくカーブして川上村によってから小海へと向かっています。

この日は、野辺山駅付近の踏切を越えて川上村方面へと軽トラを進めました。
国道をビュンビュン走っていた自家用車やトラックはとたんに姿を消し、道路の両脇にパッチワークのようなキャベツや白菜、レタスの畑が広がっていました。

野辺山から川上村を目指す

かなり走ったところが村の中心部でした。
役場や直売所、食堂が入った林業センター、郷土文化資料室の入った文化センター、スーパーナナーズやコンビニなどが集まっています。
直売所でカボチャを買いながら店主に話を聞きます。

村役場の構内にある直売所

・ここから秩父に峠道が二本通じているが、十文字峠は封鎖中。大垂水峠はダートで車高が高い車でないと無理。
・白菜は直売所だから300円で出している(東京では一玉1000円がニュースとなっていた)。白菜はそろそろ終わり。
・外国人の技能実習生がいないとこのあたりの高原野菜の生産は無理。ここの周りにもたくさんいる。
とのことでした。

マップをもらって村内のポイントを探し、先ずは役場構内に飼われている川上犬を見に行きました。

川上犬の犬舎

日本犬の一種という川上犬は、5メートル以内に近づくとうなりはじめ、それ以上近づこうとすると軽く吠えました。
猟犬としての誇り高さに敬意を表し、踵を返すと、それ以上吼えませんでした。

役場構内には林業センターというモダンな建物がありました。
2階の食堂はやっていて、覗くと2、3組の来客があります。
ここでランチとしますか。

林業組合センター(2階に食堂がある)

林業センター食堂でチキンソテー定食をかきこんだ後、マップに載っている、郷土文化資料室へ。
大きなホールを持ち、休日の子供たちの居場所だったり、会議室があったりする村立の会館に郷土文化資料室がありました。

村民センターの外観

吹き抜けの会館の2階部分に資料が展示されています。
縄文遺跡から、中世の群馬からの通商路、近年の高原野菜の産地へと、川上村の歴史の展示です。

センターの二階ロビー

その中で特に興味を引いたのが、川上村南部にあり秩父との間に修験道を通じていた金峰山信仰の部分と、日本犬の地方種の川上犬、そして戦後の高原野菜での村おこしの部分でしょうか。

郷土資料館展示、川上犬について
郷土資料館展示、金峰山信仰について
郷土資料館展示、金峰山信仰縁起
戦後初期の高原野菜出荷

金峰山

金峰山は川上村から大垂水峠方面へ向かった峠道を別れたルート上にある日本百名山です。
秩父から金峰山、峠道を下っての川上村までは、は古来からの修験道と呼ばれた地域だそうです。

この日の流れ旅の後半は金峰山関連の信仰文化の痕跡を訪ねること、にしました。

大垂水峠方面の峠道を進みます。
交通量はさらに減って、周辺は高原野菜の収穫風景が広がっています。
まったくの別天地です。

金峰山へ向かう道
川端下の集落入口に立つ大鳥居

川端下(かわはげ)という地区は、金峰山修験道の下流に位置する集落で、立派な鳥居があります。
村営バスのターミナル(車両転換場)があります。
集落内はひっそりと人の気配がありません。
秩父への峠道のほぼ行き止まりの場所になってから徐々に衰退していったのでしょうか。
金峰山神社があるとのことですが見つかりません。

川端下を進み、金峰山ろく方向へ進むとゲートがあってこれ以上は有料道路となっています。
ゲートの中はキャンプ場のようです。
岩登りの名所でもあるのか外人グループがいます。

ここで引き返します。

帰りにスーパーナナーズで買い物。技能実習生の来客が多い

金峰山信仰の軌跡は表面上は残っていませんでした。
秩父との交易ルートもほとんど機能していないようです(ライダーたちの峠越ルートにはなっているようです)。

技能実習生が回す高原野菜の畑が広がり、落ち着いた地域文化と社会が残っている川上村でした。

秋の山小舎飯

鶏中骨肉をトウガラシ麹に漬けてロースト
豚汁の季節。ご飯の友には畑のシソ葉(ニンニクショーユ漬け)とシソの実(塩漬け)
おでんは大根とこんにゃくを煮て市販のおでん袋で増量。付け合わせは畑のピーマン焼き浸し
ニシンの干物と根菜の煮物
美味しい豆腐屋で買ったがんもを焼く
秋の甘味は何と言ってもサツマイモ。アルミにくるんでストーブの上で加熱

紅葉の山小舎と白樺湖

2026年も10月中旬から下旬を迎えようとしています。
山小舎にも空きが訪れました。

紅葉に囲まれた山小屋

樹々が紅葉しはじめ、ミズナラやドングリの葉が落葉しています。
山小舎の玄関先には落ちたばかりの葉が拭き寄せられます。

姫木構内の風景

陽が追落ちると気温が急激に下がり、暖房なしでは過ごせません。
植物の旺盛な活動の季節は終わりましたが、相変わらず鹿たちは毎日山小舎の周りを周回して、庭先にふんをまき散らしてゆきます。
これからはエサ漁りに厳しい季節となります。

山小舎周辺の景色

白樺湖周辺は1年で一番美しい時期を迎えました。
霧や雲に覆われていることが多い蓼科山も、すっきりとした全容を見せています。

蓼科山
白樺湖

軽トラ流れ旅’26 須坂が拠点だ、米子瀑布(登山口)と長電の旅

米子渓谷

長野市の北東に位置する須坂市のさらに東方に、米子大瀑布という場所があります。
日本の滝百選に選ばれ、秋の紅葉で名所となっています。
車道の終点から、徒歩で滝の見える地点まで行けるそうです。
途中にはかつて硫黄鉱山として栄えた跡地があります。

米子瀑布のマップ

数年前から行ってみたかった米子の瀑布。
小布施で葡萄を手配した帰りに寄ってみました。

硫黄鉱山の写真

須坂の市街地から、米子瀑布へと登る林道の入口に着きます。
麓の集落の神社や、傘を被ったお地蔵さんを見ると、このあたりの歴史の深さを感じます。
思っていた観光地とは一味違うようです。

麓の集落にあったお地蔵さん
山道に分け入ってゆく

林道は延々と12キロの山道を登ってゆきます。
対向車はほとんどありません。
道幅は狭く、路面状況も必ずしも良好ではありません。
ようやっと登山口の駐車場に着きました。
ほぼ満車でした。

12キロの山道
突き当りの駐車場

三世代のファミリーが車から降りて登山道に入ってゆきます。
県外ナンバーの車に登山の装備をした夫婦が下りてきました。
登り口からの眺望や見通しはありません、山道へ入ってゆく登山道があるだけです。

登山道入口

これではちょっとの散歩で滝を見られたり、廃鉱跡地に行けるわけではなさそうです。
今回は下見ということで、ここまでとし、瀑布への山歩きは出直しになりそうです。

百名滝の名勝地、硫黄鉱山跡地の景観、修験道としての仏閣など、米子大瀑布の見どころはたくさんありそうです。一周3キロの山道。
約2時間の行程といいますから、私にとっては3時間ほどのハイキングとなりそうです。
来年の季節のいいころに再訪したいと思いました。

長野電鉄

長野電鉄、通称長電(長電)は、第三セクターではない純粋の私鉄として県内最大の規模を誇ります。
長野市を中心に、須坂、小布施、中野、湯田中温泉などを結びます。
一度、権堂駅から長野駅までの地下路線を乗ったことがありましたが、本格的な乗車はありません。
この日は時間があったので、須坂駅へ向かい、湯田中方面行きの列車に乗ってみようと思いました。

駅で時刻表で中野行きの時刻を確かめ、昼飯を求めて駅前のイオンへ。
弁当を買い求めて加温し、それをもって駅の待合室へ。
ここでランチです。

長電須坂駅前
駅改札口
ランチはイオンののり弁

中野行きの普通列車に乗り込みました。
須坂駅は車両の車庫がある広い構内を持つ駅ではありますが、休日の午後のこの時間のホームは閑散としています。
車両は、小田急などのおさがりが多いようで、いろんなタイプの車両が通過してゆきます。

須坂から中野への切符
ホームから見る車庫
中野行き普通列車が到着

車内は高校生や、技能実習生のアジア女性、インバウンドの白人などの乗客でした。
列車は北信の田園風景の中、小布施などを経て終点の中の駅に着きました。
帰りの列車まで、一時間ほど中野の街をぶらつくことにします。

車内
中野駅に到着
中野駅駅ビル

駅前にルートインホテルが建ち、ロータリーにはたまに乗用車が着くくらいで閑散としている中野駅周辺。
国道のロードサイドは外食チェーン店などが並んでいる中野を知っているだけに、市街地の寂しさはひとしおです。

駅前の彫像

営業中の食堂や、閉まった商店、ちょっとした飲み屋街などを見て歩くと時間が過ぎました。
駅前に出店しているベトナム料理店だけが、同胞の来客で賑わっていました。

駅前のラーメン屋は閉まっていた
飲み屋街のスナック
飲み屋街の雑居ビル
中野出身のベイスターズ牧選手

上り列車で須坂に戻り、駐車場に止めていた軽トラに乗り込みました。
夕方近くなった須坂駅前は、部活動?から戻った高校生を迎える自家用車で賑わっていました。

ラピュタ阿佐ヶ谷で森崎東の「女生きてます」「女売り出します」


「喜劇 女生きてます」   1971年  森崎東監督   松竹(ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリフィルム上映) 

ラピュタでの「森繁力」という特集上映での1作。
この作品のトップクレジットは森繁久彌だが、抑えた演技。
すきあれば浮気を企む東宝「社長シリーズ」のようなねちっこさはなく、また女に頼る男の弱さを強調した「夫婦善哉」(55年 豊田四郎監督)や「如何なる星のもとに」(62年 同)のような、スネたりヒネたりした演技でもなく、その両者がほどほど発揮された、年齢相応な控えめな演技だ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

この作品の主演は森繁の妻で、新宿芸能社なるお座敷ストリッパー派遣会社を仕切る『かあさん』であり、そこへ流れつく女の子たちである。
タイトル通りに『女』が主役なのである。

ロビーに掲示されたプレスシート

今回(「女シリーズ」第二作)の『かあさん』は左幸子。
森繁との共演で思い出すのは「青べか物語」(62年 川島雄三監督)。
当時は漁村だった浦安に移り住んだ小説家(山本周五郎自身がモデル)に絡む地元の芸者を演じ、勝手に森繁の下宿に乗り込みどんちゃん騒ぎをする、無遠慮な破壊力を炸裂させた演技に圧倒されたものだ。
本作でも、その行動力、破壊力、人間力がますます発揮される。

プレスシートより

芸者の置屋を現代風にして、場末風にし、庶民的にしたのが映画の舞台・新宿芸能社。
常に2、3人の女の子が暮らし、雑用をこなしながら、父さん、母さんを含めた全員で食事をし(昼ごはんのソーメンは一つのザルに銘々が.箸を突っ込んでの昭和の食事風景)、お座敷がかかれば出かける。
父さんは暇さえあれば近所のトルコ風呂(スチームバスとマッサージの)に出かける。
女の子は、相思相愛(と思い込んだ)男と結婚しては破れて出戻ってきたり、訳アリの子が流れ着いてきたり。

女の子本人を家族のように面倒を見たり、ヤクザを前に体を張って女の子と家を守るのが、左幸子扮するかあさん。外出から帰ると、休む間もなく、カツラを取り、つけまつげをむしり取って着替えては、女の子に指示を出し、芸能社の収支を気にする。
こわもてにはからきし弱いが、女の子の人生を見越して、人生訓を垂れるのが森繁扮する父さん。
夫婦の役割が決まっている。

新宿芸能社に流れ着き、売れっ子として家を支えるのが、大映で活躍した安田道代扮する好子。
安田はこの時20代中盤だが、日本映画の衰退の時代に汚れ役を厭わず大映を支え続け、実生活では若山富三郎の愛人だったこともある。
安田道代の全盛期が見られるのはうれしかった。

安田道代

他に、独立の資金稼ぎに応募してきた短大生(吉田日出子)や、母さんがバックレた女の子を追って大坂に向かった際に知り合い、母さんの名刺を頼って上京してきた頭の弱いポチと呼ばれる10代の子(久万里由香)が登場して、てんやわんやのエピソードを繰り広げる。

好子には訳アリの男・梅本(橋本功)がいる。
定職につかず、酒癖が悪く、暴力によってしか意思表示ができない社会不適合者なのだが、養護施設出身の二人には、お互いが唯一の社会での味方であり、離れられない。
好子は梅本をまっとうにしようと、母さんに借金して小料理屋を開いたり、男が反省して割烹の下働きに出たりするが、必ず梅本の短気と不器用さとこらえ性のなさでぶち壊すことになる。

この二人の存在は「男はつらいよ」の寅とさくらのハード版であり、森崎東によって現実的に解釈された、愚兄賢妹である。
橋本功扮する梅本は、寅さんから愛嬌と、訳知り顔の人生訓を取り去り、不器用そのものの一途さと暴力性を前面に押し出した姿である(寅さんも最初のころは森川信のおいちゃんと、言いがかりのようなド突きあいを繰り返していた)。

プレスシートより

梅本は好子のお座敷ストリップの現場に乱入しての一度目と、自分のもとを去った好子が母さんのもとに身を隠したと邪推して新宿芸能社に乗り込んでの二度目の大暴れをする。
特に二度目は、芸能社のセット全体を破壊する大暴れで、暴力でしか自分を表現できない人間の悲しさを全身で表していた。
暴れ終った梅本に対し『気が済んだか!好子の前借と家の修理代はあとでお前に請求するからな!』と啖呵を切る左幸子が凄かった(この間、森繁は物陰に隠れている)。

どうなろうと、唯一お互いを信じられる存在の梅本と好子。
刑期明けの梅本を好子が迎える。
仰りの移動撮影の画面を二人がカメラに向かって歩く。
梅本からまさかの「インターナショナル」の一節が漏れる、『立て飢えたるものよ』と。
これは、森崎東の梅本と好子の究極の底辺カップルへのエールなのか。

あるいは、この次に出てくる、『ねんねこに赤ん坊を背負った妻が、服役中の夫に面接しようと刑務所の扉を潜ってゆく』ラストカットにこそ、森崎の弱者への思いが凝縮されているのか。

特集パンフより

映画に使われた「インターナショナル」には意表を突かれたが、「1900年」(76年 ベルナルド・ベルトルッチ監督)での一場面を思い出した。
ファシスト党勃興前夜のイタリアの田舎の駅のプラットホームで、反対勢力の村民が赤旗を翻す中、初老の男がニコニコとアコーデイオンで奏でた牧歌的な「インターナショナル」だった。

「喜劇 女売り出します」   1972年   森崎東監督  松竹(ラピュタ阿佐ヶ谷・アーカイブ所蔵35ミリ上映)

シリーズ第三作。

今回上映されたプリント、第二作「女生きてます」が、昭和の名画座を思い出すほどの傷み具合で、開巻とラスト近くのポチのエピソードがすっぽり切れていた。
更に「女売り出します」はフィルムアーカイブ所蔵作品だった!
72年の、松竹のエース監督の一人だった森崎東作品の上映プリントも会社の倉庫にないのか、松竹。

シネマヴェーラで見た「あこがれ」(66年 恩地日出夫監督)と「めぐりあい」(68年 同)の、退色した、とぎれとぎれのプリントを思い出す。
東宝と松竹がこれでいいのか?
投資の甲斐があるシネコン事業など以外には渋ちんなのか、目が文化資産としての映画ソフトの保存と活用には向いていないのか。
この日の上映が満席だったのは、この作品の上映機会が少ないからだったからなのだろう。

藤原審爾の「わが国おんな三割安」が原作の森崎東の「女シリーズ」。
シリーズを貫くのは、女の逞しさとかわいらしさ、男のだらしなさと純粋さ。
弱者には決してやさしくはない社会の現実と、その社会が持つ人間味。
それは監督の森崎の視線である。

本作の「母さん」は市原悦子。
左幸子と比べると破壊力の差は一目瞭然。
ただ第一作と四作目の「かあさん」が中村メイコであることを考えると、森崎の母さん像はかわいらしさに比重を持つもので、市原悦子に近いのかもしれない。

新宿芸能社に出入りするゲスト女優は、夏純子。
クレジットには(日活)と出る。
まだ5社体制だった最後の時代の映画だったことがわかる。

前作の安田道代と橋本功の底辺カップルよろしく、夏純子の相手役はスリ集団の半端者・米倉斉加年。
ヤクザには見えなくて、きれいごとに納めたがる松竹らしいキャステイイグ?と思ったが、この役は戦災孤児の過去を持ち、やむなく底辺で生き、夏純子には純情をささげる人物なので、演技力のある米倉で結果的にはよかったかと。

更に驚きのキャステイングは岡本茉莉。
寅さんシリースで旅先で寅さんが巡り合う旅芸人一座の若手女優役で、団長の吉田義男とともに『車先生!』と寅に声をかけ、巡業のトラックに乗せたりする、あの女の子である。
昭和時代の田舎の純情娘を体現した岡本茉莉が、山形から出てきて売春宿に住まわされており、夏純子に財布をすられたことからストーリーに重要な役で絡んでくる。

この作品、ほかのシーンでバックに「男はつらいよ」のテーマ音楽が流れたり、この岡本茉莉を都会で騙される娘役でキャステイングしたりと、山田洋次の”きれいごと主義”を揶揄しているように見える。
「男はつらいよ」のヒットで外野が何も言えなくなりつつあったこの時期の山田洋次に対し、同じ松竹の監督から、決してエールとはいえぬメッセージが発せられていたのである。

夏純子と米倉は、岡本茉莉を助けようと、売春宿から救い出す。
組織から落とし前のリンチを受ける米倉。
スリの命の右手を潰されるが、助けに来た夏純子に『俺は左利きなんだ』とうめきながら応える。
凄惨なムードを一変するこのオチには、森崎とその所属する松竹の伝統的なユーモア精神である。

ラストシーンは東京の街頭を颯爽と歩く岡本茉莉のカット。
他人に騙されるフェーズは脱したが、これからは一人の判断で都会を生き抜く、たとえそれが女の売り物で勝負する体一つの商売であっても。
といわんばかりの彼女の覚悟が現れたラストシーン。
森崎の彼女に対するエールでもあり、突き放しでもある。
いつまでも旅芸人一座の町娘役でトラックの荷台で揺られながら田舎周りをやっているよりは、よほど現実的で建設的な姿ではないのか、と。

特集パンフより

神保町シアターで吉田喜重の「日本脱出」

「日本脱出」   1963年  吉田喜重監督    松竹   神保町シアター(35ミリフィルム上映)

監督・脚本:吉田喜重  撮影:成島東一郎
出演:鈴木やすし、桑野みゆき、待田京介、内田良平、市原悦子

吉田喜重は、1955年松竹に助監督として入社。
同期に田村孟、石堂俶朗、一期先輩に大島渚、山田洋次、二期先輩には高橋治、篠田正浩がいた。
主に木下恵介に付く。

60年「ろくでなし」で監督デヴュー。
64年の「日本脱出」まで6本を松竹で撮る。
その間に撮った「秋津温泉」(62年)は、岡田茉莉子が映画出演100本記念映画として企画し、監督に吉田を指名してのものだった。
2人はのちに結婚する。

松竹退社後は、中日映画製作、日活配給で「水で書かれた物語」(65年)、岡田茉莉子とともに興した独立プロ・現代映画社製作、松竹配給で「女のみずうみ」(66年)など4本を、ATG配給で「さらば夏の光」(68年)を撮る。

69年ATG配給の「エロス+虐殺」からはいよいよ吉田の本質が炸裂する映画作りに邁進。
「煉獄エロイカ」(70年)、「告白的女優論」(71年)、「戒厳令」(73年)と代表作が続いた。

「世界の映画作家」奥付き

吉田のフィルモグラフィーを見ると、松竹時代、独立プロ・松竹(日活)配給時代、「エロス+虐殺」以降のATG配給時代と、数本ごとに局面が変っている。

今回神保町シアターで上映された「日本脱出」は、大島渚、篠田正浩などとともに『松竹ヌーベルバーグ』と呼ばれ、映画ジャーナリズムに注目されていた青年監督時代の作品で、松竹作品として撮られた最後の作品でもある。

例えば、大島渚の松竹時代の4作品(特に間の2本)の豊かさは、配役、セット、背景に色彩豊かに表れている。
それは、メジャーの映画撮影所で撮られた商業映画がもつ”映画らしさ”でもある。

大島が「青春残酷物語」(60年)でヒットを飛ばし、待望久しき松竹の若きエース監督に躍り出たのは、派手な仕掛けと自己顕示が好きで、実は撮影所システムとスター俳優が好きな大島の資質によることが大きかった。
独立プロ時代の長い雌伏を経て、「愛のコリーダ」(75年)以降、金のかかったA級作品で手腕を発揮できたのも、松竹というメジャーの撮影所で過ごした経験があったからだろう。

では、おなじく松竹で助監督時代を過ごし、監督として6作品を撮った吉田喜重はどうだったのか。

吉田の資質は大島とは違い、左翼でもなく、ジャーナリステイックな煽動家タイプでもない。
映画で何かを描こうという動機は、就職難時代にたまたま入社した松竹で職業として身に着けた映画製作の技術として身に着けたものから来ており、その目指すテーマは「エロス+虐殺」以降の難解な諸作品に表れたもので、映画作家としての体質は、湿潤で、女性的なものだった。

「ろくでなし」で監督デヴュー後、「秋津温泉」でヒットは飛ばしたものの、松竹が期待する商業映画の若きエース監督像には程遠かった吉田は、6本目の作品に小説家中村光男の「我が性の白書」の映画化を考えていた。
その吉田に松竹社長の城戸四郎が提案したのがアクション映画だったという。

「日本脱出」。桑野みゆきと鈴木やすし

「日本脱出」は、63年当時の日本が舞台。
ヤクザの舎弟として、歓楽街でフワフワしている若者(鈴木やすし)が、ヤクザが引き起こすトルコ風呂への強盗のアシに使われた挙句、追われる立場に。
ヤクザの女だったトルコ嬢(桑野みゆき)とともに、東京オリンピック前夜の米軍基地周辺をあてどもなく逃げ回る。
みじめで無学の若者の夢はアメリカへ行くというもの。
若者はトルコ嬢の友人のオンリー(坂本スミ子)のツテで密航を企てるが・・・。

作家の吉田には何の思い入れもなく描かれた登場人物たちの、みじめで情けなく、何の動機のも合理性もない衝動性。
アクション映画として、ストーリー展開を説明するカットをあえて省略した造り。
サスペンスの盛り上がりを描かず、ひたすら登場人物のダメさ加減と、ドタバタぶりが描かれる。
そこには映画的なカタルシスはない。

当時の人気のタレントだった鈴木やすしの素人っぽくも熱い演技と、「青春残酷物語」で純愛スターから脱皮した桑野みゆきの、板についてきた汚れ役も、それも含めて監督の吉田が冷静に客観視しおり、見ているこちらも感情移入できない。
それも吉田は想定済みなのだが。

桑野みゆき

成島東一郎の暗さをベースにした撮影。
鈴木をはじめ、待田京介、内田良平と男の登場人物がどれもこれも徹底したヘタレの設定。
半面、市原悦子扮する売春婦の実もふたもないような俗っぽい女の生命力。
坂本スミ子の生き生きとしたオンリーぶり。

主人公が、紛れ込んだ密航のコンテナは実は北朝鮮向けの荷であり、先客のバリバリ北朝鮮信奉者の左翼青年にへきえきしてコンテナから脱出するシーンには笑った。
わけもわからず逃亡を続ける主人公が、東京オリンピック聖火ランナーの中継車に紛れ込んで聖火ランナーを追走するシーンも、当時の国家事業たるオリンピックの風刺と考えると、思い切った設定ではある。

吉田の脚本は商業映画らしくサービス精神に富んでいて、これでもかとエピソードをぶち込んでくる。
各エピソードは、日本の浅薄な大衆文化や権力が先導するブームに対する、揶揄や批評精神にあふれている。
ただそれらが未整理で映画的カタルシスに不足していた。

「世界の映画作家」より

手許に往年の松竹女優・高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦・スター達と過ごした日々」がある。

「胡蝶奮戦」表紙

高千穂は吉田のデヴュー作「ろくでなし」で主人公・津川雅彦の相手役を務めた。
その時のことをこう述べている。

「胡蝶奮戦」より

『(本読みリハーサルが何度も繰り返されて)難しい言葉を混ぜながら、同じことをぐるぐる回って、なんだか理屈をこねまわしている感じで。
(中略)あのころは東大とか京大とかを出て監督さんになった人が多くて、理屈っぽいっていうか、表現の言葉が今までと違うんです。
(中略)松竹ヌーベルバーグと呼ばれて、マスコミには騒がれていましたけれど、私にはどうもわかりにくいところが多々ありました』(p207,208)

 

甲府の街中 点描

山小屋と自宅との行き来。
手段は自家用車のほかでは、高速バスか鉄道になります。

高速バスが安くて早くて便利ですが、山小舎おじさんは鉄道が好きです。
それも普通列車が。

自宅から山小舎へ普通列車で向かう場合は、先ずJR高尾駅に向かいます。
京王線で行くか、三鷹から中央線で行くかは其の時の気分で。

高尾からは毎時1本ほどの下り普通列車が出ています。
甲府行きの列車が多いです。
大月止まりも、小淵沢や松本行きもあります。

いずれにせよ甲府で降りて昼食を摂り、ゆっくり街を見て回るのがルーテイーンです。

昼食を食べる場所は、お気に入りの駅前通りの割烹店での信玄鶏のから揚げ定食のほか、駅近くのラーメン屋、街中の中華屋、弁当を買って駅前広場で食べるなど。
最近は駅裏を開拓しようと、駅近くの立食い蕎麦、ちょっと足を延ばして山梨大学の学生食堂や大学近くの中華屋にも行きました。

そうやって甲府の街をぶらぶらしている間に、街のデパートが閉店し、その建物が取り壊されたり、新しいマンションが建ちあがったり、場末のエリアに発見があったりしました。
甲府の街は県内最大の街であり、歴史も古いので、特に飲み屋街の店には味があるのです。
今回は改めて甲府の街の再発見をまとめました。

岡島デパート本店が立っていた場所は更地になった
岡島デパート2号店は営業中だが、上にマンション?が建っている
甲府の飲み屋街の名物は小路
こういう小路もある
小路はたくさんある
渋い飲み屋跡
スナックに貼られたPOP。ちょっと寄りたくなる
長野県で人気の富士アイスが甲府にあった!
山梨県庁。その自体に注目
県庁から城跡方面を望む

積丹の夕日 北海道墓参紀行

今年の墓参は9月末になりました。

毎年一度のお墓参りです。
結婚以来の40年間、家族同行で行っています。
実家があった間は、帰省を兼ねて、両親没後は道内旅行と親せきとの一席を兼ねて、行っています。

今年の旅程は三泊。
墓参と親せきとの一席の後、札幌で一泊。
二日目は、積丹半島の入舸(いりか)という集落にある民宿で一泊。
最後は支笏湖畔の丸駒温泉で一泊、となりました。

墓参を済ませ、叔母さんや従兄との再会の翌日、レンタカーで積丹半島を目指します。
余市までは高速道路で、その後は半島の東岸を走りました。
余市の観光スポットはともかく、夏のシーズンを終えた積丹半島から観光客の波は去っていました。

積丹の果てに立つバス停。運行はコミュニテイバスが1日1本のみ

民宿は海産物の夕餉で有名らしく、シーズン後のこの日もほぼ満室でした。
7月、8月は予約も困難なようで、夕食朝食の海産尽くしには、来たかいがあったと堪能しました。
禁漁期間に入ったウニの海水煮は味が濃厚でしたし、蝦夷アワビの踊り焼きや、煮魚、焼き魚など民宿の若いスタッフの意欲が詰まったような食卓でした。

民宿での夕餉。心づくしの海の幸が並ぶ
民宿の庭には干し魚が回る

夕食前のひと時、海岸道路に沿って入舸の漁港から隣の集落の漁港まで歩いてみました。
肌寒いくらいの気温でしたが、人気のない積丹半島の先端部の夏の跡の景色に、しみじみ心洗われる思いでした。

民宿から海岸沿いに散歩
海の安全を守る?お地蔵さん
かつての水産物荷捌き場あと
夕日に染まる積丹海岸
風雪に備えた神社
積丹半島の夕日

翌朝は民宿から車で5分ほどの、「日本の渚百選」にも選ばれたという、島武意海岸というところへ寄りました。
朝から観光バスでインバウンド客が乗りつけていました。

海岸へのトンネルをくぐる
海岸が眼前に広がる

3日目は積丹半島を西に向けて半周し、神恵内、岩内と回りました。
「飢餓海峡」前半の舞台にもなった岩内は初めてでしたが、思いのほか開けた町でした。
ここでは評判の焼き魚定食を出す店に並び、その後は長躯、羊蹄山麓をかすめて支笏湖を目指しました。

羊諦山麓に湧く湧水
支笏湖
丸駒温泉旅館のロビー

三泊目の丸駒温泉は二度目の宿。
期待通りの温泉に満足して、今年の墓参旅行を終えました。