県内ローカル新聞の華麗な世界 たつの新聞と大糸タイムス

軽トラで遠出した時に、コンビニの新聞スタンドでローカル新聞を見つけるようにしています。
たつの新聞は、上伊那地方の辰野町に新聞社があるローカル紙です。
伊那からの帰り、辰野町から峠を越えて茅野へ出る途中に、たつの新聞の編集室があって気になっていました。

軽トラで阿智村へ行った時の道すがら、高速道路の方向を間違えて塩尻で降りて下道を走った時に、辰野町・小野地区のコンビニで見かけて入手しました。

この日のトップ記事は、高齢者向け講座と「たまねき祭」の記事。

たつの新聞一面

16面ある紙面は辰野町のニュースのほか、諏訪市、岡谷市、蓑輪町のそれぞれのニュースのほか、テレビ欄だけで4面、読者欄が2面あります。

バラエテイに飛んだ紙面ですが、この日はたまたまなのかパンチがあるニュースが少なく、焦点がぼやけた紙面のような気がします。

富士アイスの広告
岡谷スカラ座は地域有数のシネコンです

白馬へ行ったときに安曇野市内のコンビニで見かけた大糸タイムス5月17日号。
8面とコンパクトな紙面で1部100円。

大糸タイムス一面

トップは大町の西山神社の宮司さんが伊勢神宮で研修し、指導神職となったとの記事。
ほかにも空手の小中生大会で入賞したリ、ガードレールみがきに励む地元住民やら、小谷村で白馬三山の麓で進む田植えの様子、白馬で開催された地元ワインのマルシェなどの記事が明るく元気のある写真とともに紹介されています。

伝統の地元記事から、華々しい白馬地区の観光記事まで彩り豊かです。

チェーンソー始動!

夏に向けて、丸太の玉切りと薪割りの季節です、が。
今年は丸太の供給がありません。

例年、別荘地内の伐採業務を請け負っていた業者が撤退し、代わりの業者は別荘地内の伐採の入札をしないとのことです。
例年は黙っていても雑木がトラックで運ばれてきていましたが、今年はそんなことはなさそうです。

まだ薪の在庫はありますが今後が心配です。
そんなところにご近所のおばさんが『うちの薪を取りに来てくれない?』と言ってくれました。
一段上の通りでかつてはペンションをやっていた方です。
去年、旦那さんが83歳で亡くなったので、いろいろ整理しているようです。

もらってきた原木と枝

軽トラで行ってみると、敷地の境に置いてあるミズナラの細めの丸太でした。
1メートル半ほどの長さですが、切りたての広葉樹は重いものです。
何度か往復して積み込みました。
ほかにもかまど用の焚付などがあるようですが、この日はここまで。

早速玉切りする

持ってきたミズナラを玉切りします。

チェーンソーの始動です。
新しい燃料を作ります。
古い燃料は捨てて、新しいガソリンで混合燃料を作ります。
余談ですが、今年になってオイルなどが爆上がりしているようです。

混合燃料を作る
エンジンオイルとガソリンを混ぜる

ミズナラをあっという間に玉切りし、鉞で割ってみます。
広葉樹は割りやすいというか、パカンと割れて気持ちがいいものです。

チェーンソーにオイルと混合燃料を装填
あっという間に玉切り終了

割れてもずっしりと重いミズナラを乾燥台に積んでゆきます。
2年くらい干さないと、ストーブには使えません。
乾燥不足の薪は火付きが悪いうえに、薪からは水分がジュクジュクと発生し、水分を含んだススが煙突に付着してしまいます。

木くずが長靴にはいり、靴下に付着するのはチェーンソーワークのお約束

夏の太陽と風で存分に乾かしましょう。

軽トラ流れ旅’26 白馬、大町、穂高の旅

すっかり新しい軽トラの走行性能と居住性にはまった山小舎おじさん。
高速道路を使えるので行動範囲がすっかり広がりました。

今度の休みはどこへ?
新緑に北アルプスの雪景色が残り、観光客が少ないという白馬へ行くことにしました。

岡谷インターから長野道で安曇野インターまで。
1000円ほどの高速料金でした。

下りてから穂高神社へお参りします。
山小舎出発が6時半、穂高神社には8時過ぎに着きました。
朝の境内は静謐そのもの、ただし社務所は開いていないので、今年のお札は帰りに寄った時にいただくことにして、先へ急ぎます。

朝8時の穂高神社

穂高から白馬へ向かう国道147号線。
ほぼ直線の道は、元の車が続きます。
雪の北アルプスと水が入った田植え前の田圃の風景が美しくてパチリ。

田植えが済んだばかりの安曇野の風景

松川村を通過して大町市に入ります。
白馬へ向かう車列が続きます。
仁科三湖と呼ばれる湖が現れました。

最初に姿を見せた木崎湖畔に寄ってみます。
湖畔にはカヌーや釣舩などの施設がありますが、観光向けに大規模な開発はありません。
静かな山間の湖です。

静けさに包まれた木崎湖

白馬村に入ったところにある、道の駅・白馬に寄ります。
地酒、ワイン、ワサビ製品などがあり、観光客で賑わっていました。
おいしそうなおやきがあったので、野沢菜と切干の2個を購入。
レジで、あったかいおやきですね、というと『近くに工場があって作ってます』とのこと。
後で食べると、特に切干のおやきが絶妙。
こんなおいしい具のおやきを初めて食べました。

JR大糸線・白馬駅
駅前から北アルプスを望む

そのまま白馬村中心部へ。
駅前にはチラホラとインバウンド客の姿が。
道には、逗留しているとみられる白人のジョギング姿が見られました。
地元のAコープには外人向けの英語パンフレットがズラリ揃ています。
県内では、松本城、善光寺に続く外人の多さでしょうか。

スノーピークランドという場所に寄ってみると、ベンチとデッキに憩う日本人裕福層と白人カップルの姿が、残雪の北アルプスをバックに三々五々見られました。
その優雅で金持ち風のたたずまいは、県内ではほかに見られない雰囲気を醸しだしています。
これが北海道ニセコに次いでの海外人気を誇る白馬の一つの側面なのです。

「スノーピーク」のキャンプサイト
「スノーピーク」のデッキで憩う人々

白馬はまた、トライアスロンなどの近代スポーツの聖地でもあります。
長野オリンピックでジャンプ団体が優勝した記念すべきシャンツエの下には、階段を上り下りして、ロードバイクで車道を走る女の子がいました。

オリンピックのジャンプ会場

折角白馬に来たのだからと、早めのランチは蕎麦でもカツ丼でもなくてハンバーガーをチョイス。
コーヒーと合わせて1700円のランチでした。

ハンバーガー

白馬を満喫?したあとは、信濃大町へ戻ります。
目指すは大町温泉郷と、大町山岳博物館です。
まず寄ったのは、大町温泉郷。
観光案内所で係の妙齢の女性に聞くと『立寄り湯なら薬師温泉がありますよ』とのことでした。

大町温泉郷

薬師の湯は立寄り湯専門の施設。
温泉博物館もあり、当地の温泉の歴史なども展示しています。
黒部ダムの工事によって温泉が噴出したのが始まりとのことです。

源泉だという岩風呂に入るとほかの客はゼロ。
熱い湯からぬるい湯まで浴槽が3つありました。
ぬるい湯で十分に満足。
温泉の成分が身に沁みました。

薬師の湯の入り口

温泉を出て、大町市の市街地近くの山岳博物館へ。
ここは北アルプス(後ろ立山連峰)の、明治以前の峠越のルートの歴史から明治以後のスポーツ登山の発展までが展示されています。
中央構造帯生成の地学の話や、このあたりの動植物の展示、特にライチョウ飼育の経緯などが予算をかけて展示されています。
付属の動物園には生きたライチョウが飼育されていました。

大町山岳博物館
サルのはく製が虚空に吼える
ライチョウが小松菜をつつく

大町から安曇野市の穂高まで南下、穂高神社で新しいお札と足腰のお守りをもらって、安曇野インターから岡谷インターまで高速に乗って帰りました。

今までは列車で訪れただけの白馬に軽トラで行くことができ、行動範囲が広がりました。

春の山小舎飯!

山小舎開きから1か月。山小舎周辺もすっかり春めいてきました。おじさん一人暮らしの山小舎では、楽しみといえば食事。特に夕食です。この間の夕食の数々をご紹介しましょう。

先ずは、昨年冬仕込んだトウガラシ麹に付けた鶏むね肉のグリルです。

サラダはスーパーのお惣菜を塩もみキューリで増量しました

ぬか床を買ってきて、キューリとナスを漬けます。
野菜は畑に苗を植えたばかりなので、スーパーや直売所で買ってきました。

メインは鳥軟骨のグリル

東京から持ってきた(山小舎おばさんの知り合いからのもらい物)北海道産の松前漬けは大好きなサイドメニューです。

豚汁は根菜類の宝庫。松前漬けはカズノコがごろり

直売所で地元産の漬物を物色するのも楽しみ。
長谷村の道の駅で買ったウリの粕漬は美味しかったです。

ウリの粕漬など、つまみ類が並ぶ

魚もよく食べます。
イワシを3枚に開いてのソテーなどは大好きです。
この日はカスベ(エイ)の味噌煮。
故郷・北海道の思い出の味です。

カスベの味噌煮

トン汁とともにカレーは山小舎の定番料理。
最近は固形ルーより、エスニック風のペーストを使います。
この日はタイ風レッドカレー。
具にはナス、ピーマンなどの夏野菜をたっぷり使います。

タイ風レッドカレー

定番の炒め物。この日はレバーと豚のカシラと玉ねぎ、もやしで。

カシラ肉のモヤシ炒め

大門そば打ち教室に参加

山小舎のある姫木から上田方面に下った最初の集落が大門地区です。
そこの農協施設で毎月2回、そば打ち教室が開かれています。

農協に掲げられた看板

バイト仲間の親子が去年参加していたのを聞き、今年から参加してみました。
せっかく信州にいるので、そば打ちを体験し、できれば家族にふるまうくらいをしてみたかったのです。
地元のおばさんに『大みそかの年越しそばは自分で打つよ』と聞いたことにも影響されたのかもしれません。

畑に行く道すがら、大門の農協前に軽トラを止め、5月と6月のそば打ち教室開催のスケジュールを確認しておきました。
張り紙には申し込み先の情報がなかったため、当日に直接農協に向かいました。

カレンダーの掲示

待っていると、先ず年配の男性がやってきました。
いかにもそばなど打ちそうな感じの人です。
参加の意思を告げると、会費の支払いを促され1000円を置きます。
それから、わけもわからぬまま、道具類とそば粉の準備を指示されます。
のし棒、打ち台、そば切包丁などなどを言われるとおりに倉庫から運びました。

三々五々、人が集まってきます。
紹介や、オリエンテーションがないまま、そば打ちの作業が始まります。
そば粉と小麦粉を混ぜ、水を少しずつ入れながら練ってゆきます。
そのころにベテランの女性講師を紹介され、彼女から訓練を受けることになりました。

一見のお客さん向けの講習ではなく、文字通り実践的な訓練でした。
私以外はある程度の経験を積んだ人ばかりで、自分で道具を出して打ち始めています。
講師の方は、彼等にたまにアドバイスするくらいです。
まったくの初心者は私一人です。

コネ方、空気の抜き方、丸め方の手順がありました。
ほぼ全行程を講師の女性が行い、私はその後に、言われるとおりにまねることしかできません。
そして棒でのす作業へと移行します。
タテヨコと伸ばし、正方形に形作って折り曲げます。
手順はとても覚えることはできません。

折りたたんだそばを切ります。
ここからは率先して切りました。
切ったそばは持ち帰ります。

手順がたくさんあって覚えるまで時間がかかりそうです。
コネ方、伸ばし方にセンスと経験が必要なほかに、力も必要です。
どっと疲れた2時間でした。

打ちあがったそばは持ち帰る

持ち帰ったそばは試食しました。
ゆであがった麺がぼつぼつと切れたことは想定通りでしたが、香りと歯ごたえは想定以上でした。
ほとんど講師の方が打ったそばとはいえ、思った以上に美味しかったのです。
ドロッとしたそば湯も楽しめました。

ゆであがったそば、見た目よりうまかった

ある程度慣れるまで、月2回の講習に通いたいと思いました。

上田トラムライゼで’66年チェコ映画「ひなぎく」を見る

「ひなぎく」  1966年 ヴェラ・ヒテイロヴァー監督  チェコスロバキア 上田トラムザイゼ(デジタル上映)

全く知らなかった映画。
チェコ映画そのものを見たことがなかった。

チェコといえば中欧の工業国。
自動車や戦車を自国で生産できた。
1964年の東京オリンピックでは体操の女子総合で、チャスラフスカ選手が優勝し、その成熟した美しさとともに『東京の恋人』ともいわれた。
チャスラフスカは4年後のメキシコオリンピックにも出場し、個人総合で再び優勝するのだが、この年’68年はプラハにソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が進駐し、自由化に進んでいたチェコのドプチェク政権を葬り去った。
チャスラフスカは国家的英雄としてドプチェク政権に参画しており、その後しばらくは日陰の生活を強いられることになる。

筆者には、’68年のテレビ画面に映るメキシコオリンピックの体操会場で、チャスラフスカが大歓声を受け、片やライバルのソ連選手(クチンスカヤという10代の美少女)が結えないブーイングを受けていた光景を見ていた。

ちらしより

「ひなぎく」は、チェコ自由化の波が生まれつつあった66年に製作された。
政治の自由化に伴う表現の自由への希求を背景に、それでもなお、社会主義国の桎梏、権力者の特権階級化、それに連なるプチブルジョアともいえる上級国民の存在、圧倒的多数の労働者階級の沈黙などなど、過去の負の遺産のが刻印された歴史の影が色濃い。

それを表現するのに、抽象化するのではなく、不条理劇とするのではなく、ファッションでガーリーな二人の少女の行動を通して描くのがこの映画である。

チラシ裏面

2人の主人公の人物像についての説明はない。
二人で住んで、働いているのかいないのか、どうやって生活しているのかわからない。
描かれるのは彼女らの、まったく自由で衝動的な行動だけだ。
金髪の彼女の方は常にひなぎくの花飾りを頭につけている。

金持ちの紳士に取り入り、高級なレストランで食事をする。
今でいうパパ活だろうか。
呼んでいないのにもう一人のほうが勝手にテーブルに座り、勝手にオーダーし、口の周りを汚しながら盛大に食べ飲み続ける。
帰りに駅まで紳士を見送りにゆき、同伴を期待する紳士を列車に残して飛び降りバイバイする。

別な日には、チャールストン風にボードビリアンが踊るキャバレーに乱入し、有閑階級のテーブルの酒をかってに飲みつつ、ボードビリアンのショウを妨害し、ボーイにつまみ出される。

ある日は、蝶の標本を収集する金持ちオタク風の青年の家で、金髪の方の彼女が、標本で隠しつつストリップ風のポーズで青年をおちょくる。

2人の部屋では、天井からぶら下がったソーセージを鋏で切り、食べ、ミルクをこぼしての宴会を繰り広げる。

チラシ裏面

そしてクライマックスシーンでダメを押す。
工場の上階にある貴賓室に侵入し、豪勢なパーテイのために準備されたのであろう、ごちそうや高級なウイスキーを、貪り食い、飲みこぼし、挙句の果てには踏みつけ、なぎ倒しての乱暴狼藉を繰り広げる。
主賓は最後まで出てこないが、共産党幹部のための豪勢な宴会が準備されていたのだろうと思われる。

画面はモノトーンでパートカラー。
モノトーンはセピア調だったり白黒だったり。
短いカットインのポップな流れは、60年代のリチャード・レスター(「ビートルズがやって来る・ヤア!ヤア!ヤア!」風でもある。
何より二人の女の子の気分に、女性監督の”らしさ”が出ている。
その行動に理由も原因もないという、女性らしさが。

女の子そたちは、社会主義体制が硬直し、権力者や上流階級だけが享楽を独占している硬直化した社会構造の中で、勝手気ままに、それらを粉砕して回る。
いわゆる『反体制運動』よりも過激なアンチテーゼである。

ウーマンリブ的に、男性社会を揶揄した場面もある。
被害者意識むき出しだったり、説得的な抗議をするのではなく、まったくナンセンスで衝動的な行動によって。

ガーリーでポップな感覚の背後には、とてつもない社会的闇と硬直しきった歴史の存在が色濃く匂う。

チャスラフスカは、オリンピックというこれ以上ない表舞台で太陽のように咲き乱れた存在だったとすれば、ヒテイロヴァー監督と、勇敢でかわいらしい主演の二人が作った「ひなぎく」は、ひそかに咲いた日陰の花のように自由で感覚的なものだったのだろう。
両者ともに68年に他国から侵入した戦車のによってその尊厳が踏みにじられたのであるが。

この日のトラムザイゼは入場者が7人。
金曜11時40分からの回にしては多めの観客だったのではないか。
この作品に関する潜在的関心の高さを感じた、といえば大げさだろうか。

令和8年畑 苗に霜?の害

夏野菜の苗の定植が8割がた終わった5月中旬。
水やりに訪れた山小舎おじさんが茶色く枯れた苗の葉先を発見しました。

カボチャやハックルベリー、ズッキーニ、ヤーコンなど、緩斜面の上流に植えた苗がやられています。
霜の害か?

5月中旬まで霜注意報が出ていた東信地方。
標高1450メートルの山小舎では、鉢植えしたシソとバジルの葉がすっかりやられて茶色く枯れていました。
根っこは生きているのでまた芽が出てきているのですが、生育は”激遅”確定です。

標高800メートルほどの畑にも霜は降りたのか?
朝晩さぞ寒いだろうことは想像に難くないのですが。

葉先が枯れたズッキーニ
同じくヤーコン
カボチャもこの通り

畑を上流から順番に見てゆくと、キューリ、トマト、ナスなどの主力野菜は元気です。
どうしたのか?
下流の方は霜が降りなかった、としか思えません。

元気なナスとキューリ
トマト

いずれにせよ結果オーライ。
葉先が枯れた苗も新しい芽が出てきました。
新しい苗に植え替えなくてもいいでしょう。

トマトが乾燥で葉が黄色くなったものもありますが、自分の根っこで給水していってもらいましょう。

水が好きな、ナス、キューリ、ゴーヤなどにはタップリ潅水します。
うれしいことにジャガイモの芽が出てきました。

ジャガイモの芽

シシトウ、万願寺トウガラシ、セロリ、冬瓜などの苗を買って、追加で定植します。
畝はほぼ苗で埋まりました。

本棚整理で DIY!

居間の書棚には、長野県の歴史・神社仏閣関係の本、農業関係の本、田舎暮らし関係の雑誌や本、さらには管理費、税金などの請求領収証関係、リフォームの資料、別荘地内及び地域の便利帳、パソコン関係のパスワード類などのファイルが数冊。
県内道路地図や名所案内などの冊子類、更には年代順に並べたDVDも一部(1910年から30年代前半の)あってぎっしりです。

片付け前の居間の書棚

2階には子供向けの絵本や、児童文学、図鑑類、国内外の旅行記、などが本棚2基に詰まっています。

片付け前の2階の書棚

今回は、本・雑誌を整理します。
目的の一つは、数冊になった山小舎アルバムを居間の本棚に収容したいこと。
もう一つは、読まない本、いらない本を整理し身軽になること、です。
興味があって入手した本でも、これからの人生で読む量は限られているのです。

まず書棚からDVDを取り出します。
次に読まない書籍を段ボールに詰め込みます。

10冊ほどあった「現代農業」のバックナンバーを、3冊程度を残し段ボールへ。
ファイル類は、毎年の請求領収書やパソコン関係などを残し、本棚下段の扉の中へ。
この扉付き下段には、先代オーナーが集めた黒曜石や土器の破片などが保存されています。
棄てはしませんが、猫に小判のお宝です。

黒曜石
火打石。先代所蔵のお宝?

空いたスペースに山小舎アルバムを収納。
全体的に収容率50%ほどとすっきりしました。
ついでに本棚そのものも動かして、背後のスペースを掃除できました。

山小舎アルバムが書棚に収まった
書棚を動かして掃除もできた
整理後の居間の書棚
整理後の2階の書棚

2階の分も合わせて段ボール6箱分にもなった処分量。
今までなら処分する気にならなかったかもしれません。
これが終活というものなのでしょうか。

ブックオフに持ってゆく段ボール

茅野のブックオフで6500円ほどになりました。

出部屋の土台補強で DIY!

書庫と物置として利用している居間続きの出部屋があります。
戸外作業の際には、サッシを開けて道具類を出していますが、この部屋の土台が沈下して重いサッシが閉まりずらくなったり、外れそうになったりしています。

これまで、サッシの下に土台を支えるプラスチック製の支えを入れて補強していましたが、冬を越すと支えの地盤が凍ったり、解凍したりで緩み、支えが効かなくなります。
そこで現在は車用のジャッキ2基で持ち上げています。
元はといえば母屋側の本式の土台上にない出部屋なので、根本的な沈下の解決は困難です。

この日、出部屋沿いの薪置き場が空になったのを機に、出部屋の床下を覗いてみました。

薪台があった場所。出部屋の土台を設置する

出部屋の土台というのは、途中にコンクリート製の円柱が設置され、サッシ側に山型コンクリート製のものが2基あるだけの構造でした。
居間側は床の木材が居間の土台にかかっているだけです。
また床下には鉄製のブレーキングが2基転がっていました。

ブレーキングをはめ込む

ブレーキングを引っ張り出して出部屋の床下にはめ込み、支えと落ち葉の拭き込み防止にできそうです。
新たな薪の積み込みをする前にこの作業を行いましょう。

隙間がある

床下の土をならし、ブレーキングを縦にはめ込みます。
少し隙間があったので、隙間に板をトンカチで打ち込み、ブレーキングを固定します。
とりあえず、出部屋の側面土台は強化できました。

隙間に板をはめ込む

現状サッシは問題なく開閉できています。
今後、サッシ側の土台を山型コンクリートで補強しようと思います。

ブレーキングをはめ込み手前に薪置き場を設置

久しぶりに上田の街へ

今シーズン初めての上田の街です。
久しぶりに中心部を歩いてみました。

海野町商店街駐車場に軽トラを停め、アーケード街の富士アイスを目指します。
数人の先客がいました。
並んで注文と支払い、あんこ2個、クリーム1個にアイスを頼みます。
すぐにアイスが出て、ベンチに座りながらじまん(”じ”は志に濁点)焼きが出るのを待ちます。

市民に愛される富士アイス

この富士アイス、上田に来始めたころは店の前に路駐の車が並び、お客さんが列を作っていました。
箱単位で買ってゆくお馴染みさんが多い中で、1個注文の客には先に出してくれることもありました。
そのうちに、会計の後に順番札を渡されるようになりました。
焼き台では常に忙しそうにおばさんが働いています。
人気の少ないアーケード街でここだけには人だかりができています。
じまん焼き100円、アイス250円は値上がりしていますが、まだまだ手ごろな値段です。

アーケード街には真田氏に由来のあるお宮があります。
高市神社というそうで、高市総理おめでとう、の幟がかかっていました。
オバマ大統領誕生に勝手にフィーバーしていた福井県小浜市を思い出します。

商店街の高市神社

神社の背後のレトロな建物は、かつて森鴎外が泊まった建物とのことでした。

神社の背後の建物

引き続き中心街を歩いてみます。
コーヒーの木の実も、カレーのベンガルも営業しています。
ベンガルには本日売り切れの札がかかっていました。

喫茶店。・木の実。数年前はコーヒー180円だった
池何正太郎も好んだというカレー・ベンガル

横丁を曲がると相生食堂があったところ。
数年前までは親切なご高齢の夫婦が運営していました。
閉店後は貸店舗の札がかかっていましたが、今でもそのままとなっています。

閉店したままの相生食堂

ぐるっと回って上田映劇のある小路へ入ります。
木造の現存映画館として文化財的な価値さえ持つ映画館がひっそりとたたずんでいます。
NPO法人を運営母体として地元出身の若者が復活させました。
常設館としてほぼ毎日、営業上映しているところに価値があります。

上田映劇の雄姿

この日はロビーにだけ入らせてもらい、映画関係の古本を眺めさせてもらいました。

この日のモギリ当番の若い女性にヒアリング。
レトロスペクテイブや上田に由来のある作品上映の予定は?と聞くと、困った様子でしたが、気を取り直して『「ヌーベルバーグ」という作品を予定しています。50年代後半のヌーベルバーグ運動を素材にした新作です。』とスマホ画面を検索して見せてくれました。
世代が違っても、シルバーのお客にも対応しようとしてくれる、映画好きの若者の感性に触れたようでうれしく感じました。
支配人(上田高校から日大芸術学部卒)はいいスタッフに恵まれているなあ。

これが木造現存映画館だ!
入り口

短い時間でしたが上田の中心街は絶えることなく生命力が続いていました。
山小舎から近い貴重な街でもあります。