11月初旬の旅です。
地図を見ると、上田市から真田地区を経て北へ進むと菅平高原に至ることがわかります。
その道は上州街道といい、群馬との県境を越えて嬬恋村に至ります。
上州街道を菅平口という分岐点で左折すると、菅平高原に至り、さらに進むと須坂市に至ります。
菅平高原への道
上田市北部の真田地区を進みます。
国道144号線、上州街道です。
ちなみにこの道、群馬に入ってからは長野街道と呼ばれるようです。
標高があってゆきます。
分岐点がありました。
菅平方面に左折します。
菅平高原は、ラグビーなどスポーツの合宿地として有名です。
グラウンドや体育館の設備が整っています。
絵にかいたような高原の風景です。
東京からの距離は遠い印象ですが、ある程度の期間をスポーツ合宿などで過ごすにはいい場所だと思います。
スキー場も何か所かあります。
東京からの日帰りではちょっときつい立地です。
かつてのスキーブームの頃ならともかく、昨今の集客状況は如何?と思ってしまいます。
菅平高原に入ったときは上田市の領域でしたが、いつの間にか須坂市への境を越えていました。
須坂、大笹街道沿いの風景
菅平から須坂に至る国道406号線は、大笹街道といいます。
須坂の市街地まで急坂をつずれ折りして下ってゆきます。
高原のカラマツ林が過ぎると、スギの植林がカラマツや雑木林の中に混じった景色が現れました。
麓の集落を過ぎ、町に入ったとき、右手に不思議な塔の建物が見えました。
太鼓楼という建物で、お寺の一角に建っています。
かつては法要の時などに太鼓を打ち鳴らしたらしい。
楼の土台の建物の造りに、お寺とは思えない妙な艶があります。
また、お寺本体の建物を見ると、屋根が瓦葺ではなくトタン屋根となっています。
雪国ならではの造りで、東北北部から北海道のお寺に見られます。
山小舎おじさんはトタン屋根のお寺を見ると、郷愁を感じてしまいます。
大笹街道の少し先にある田中本家。
江戸時代から藩の御用を務めた豪商の屋敷で、現在は歴代の品々を展示して一般公開しています。
陶器、箪笥から着物など、状態よく保存されてきた様子がうかがえます。
なるほど今となっては貴重なものの展示ですが、例えば酒田の本間家のような圧倒的なきらびやかさを感じませんでした。
酒田という当時国内有数の物流拠点が生んだ蓄財とは所詮異なる山国のつつましやかな文化の集積、というべきなのでしょうか。
他を圧倒するギラギラな豪勢さではなく、趣味がよいというか、身の丈に合っというか。
同じ豪商でも、信州らしさを観ることができた田中本家でした。
昼食はとら食堂で
地元の人が集まる県道沿いの食堂で昼食を食べた。
ホールに近所のパートさんらしき3人を配置した活気のある食堂。
がっつり系で定評と聞き行ってみた。
来客が引きも切らぬ。
単身の男性が多いが、カップルや仕事途中のグループも多い。
評判の焼肉定食を頼む客が多いようだ。
ごはんとキャベツはお替り自由とのこと。
手作り感十分で、満足感あり。
ただ1,250円は割高感あり。
ごはんのお替りを見越した設定額なのか、それなりの原材料を勘案するとやむを得ないのか。
須坂、旧市街を歩く
須坂は群馬からの大笹街道と、千曲川沿いに飯山から千曲に向かう谷街道の合流地点の町。
谷街道沿いに栄えた旧市街地が蔵の町として再開発されている。
菊祭りが開かれて、家々の前に見事な菊が飾られていた。
かつての商家の後には、カフェなどの新しい店が入っているのが目立つが、一方、昔ながらの商家の造りや味わいのある商店が現存しているところに味がある。
須坂駅前を歩く
須坂のオモテの歴史の一端に触れた後は、現在進行形の須坂の姿、あるいはウラの姿の一端に触れたくて駅前に行った。
須坂駅は、長野電鉄線の駅。
長野市と湯田中を結ぶ私鉄路線上にある。
長野市までの運賃は550円。
土曜日昼間ながら、駅周辺及び駅構内には人気が少ない。
駅前にあたりを睥睨するように屹立しているイオン周辺は多少違うようだが。
いずれにせよ、人の流れは駅周辺から、国道沿いの郊外型店舗地帯に移っているようだ。
ほかの全国各地同様、ご多聞に漏れずに。
駅前に1本怪しげな通りがあったので一巡してみる。
飲み屋街というよりはキャバレー、スナックが集まった通りのようだ。
コロナ禍以降どうなっているのか。
建物の荒廃ぶりから見て、景気が良ければ真っ先に再開発されそうな地域だがその気配やナシ。
店子の撤退→建物の解体→更地の道を歩んでいくのだろうか。
式内・墨坂神社にお参り
市内にある神社にお参りした。
広い境内にお太鼓橋と池。
ご神木の幹が立派である。
落ち葉を踏んで参拝。
帰りは谷街道を使った。
途中の松代で長芋の直売所へ寄る。
50センチ以上の長芋が2本で1,000円。
土産に買って帰った。
須坂のお土産