茅野駅近く、中央線の線路際に新星劇場という映画館がある。
近くを通るたびに気になる存在だ。
毎年9月に開催される「小津安二郎記念蓼科高原映画祭」には、映画祭の会場になり、入り口の駐車場にレッドカーペットが敷かれ、地元のスタッフによるふるまい酒、コーヒー、ポップコーンなどの出店が並ぶ。
映画祭は県外からの来訪者も多く、上映作品には沢山の観客が訪れる。
令和2年は映画祭が中止になった。
山小舎おじさんは過去の映画祭で、この劇場で司葉子のトークショーを聞いた。
シネコンやらミニシアターとは異なる、天井が高い造りと大画面。
かつては全国に存在した、旧スタイルの映画館の造りを今に残す、という誠に懐かしい空間でもある。
この新星劇場、興行を常打ちしていない。
劇場経営者の女性に聞くと、今では出張上映や貸館を主にしているとのこと。
出張上映用のデジタル上映機器を持っているのは県内でここだけとのことだった。
ということで、今年も一度くらいは新星劇場に入りたい、と思っていた。
ある日、通りかかると映画のポスターがデイスプレイされていた。
軽トラを駐車場に入れ、窓口へ寄ってみると、いつもは人気のない入口に経営者の女性がいた。
戸を開けて聞いてみるとちょうど午後の回の上映開始直後とのこと。
よしっとばかりにシニア料金1,100円を払って飛び込んだ。
とうとう3度目の新星劇場入場ができた!
しかも映画祭で、ではなくて一般上映で!
場内にはほかに2人の観客がいた。
上映中の作品は「夜明けを信じて」。
新作である。
幸福の科学の製作作品であるが、日活配給の一般作品の扱いとのこと。
映画の内容は、教祖・大川隆法の自伝で、ひたすら同人へのよいしょに終始した、信者向けのものだった。
しかしなんとなく憎めない雰囲気があったのは、主演の新人俳優の個性のせいだったのか?
宗教がらみのスポンサード映画というと、創価学会の「人間革命」(1973年)が真っ先に思い出される。
監督、主演ともに通常映画でも大作仕様のものだったが、何よりも脚本に橋本忍という、日本映画の脚本家の重鎮を起用しており、同作品は宗教枠を超えて、例えば、橋本忍からみの回顧上映においてもフューチャーされる程のクオリテイーを有していた(ようだ)ことが印象的な作品だった。
このように、1970年代の新興宗教映画が、大向う受けを狙ったもので、たとえていえば、田舎の成金百姓が自宅をお城のように作りたがるようなコンセプトだったとすれば、眼前に展開する2020年の新興宗教映画は、現代の一般社会・一般人の価値観・ムードを理解し、それに迎合したもの、として映った。
今どきの新興宗教は上から目線ではだめだ、こけおどしでは人は騙せない、との理解に立ったうえでの戦略なのであろうか。
そうはいえどもやっぱりスポンサード映画。
主人公はともかく、また一般の芸能人崩れの千眼美子(旧名・清水富美加)などはともかく、脇役で出ている、映画テレビで初めて見る方々は、俳優、女優としてはプロなのだろうが、その全員に漂う不自然さ、マイナー感、は、作品そのものに対するそれ、よりもより多くの違和感を生じせしめていた。
戦略の不徹底か、隠しようにも隠し切れない本質の一端なのか。
上映後、もぎり役の女性から改めてお話を伺った。
定期上映より、出張上映に力を入れざるを得ない要因として、人気作の上映条件がきつい、とのことだった。
例えば人気アニメの「鬼滅の刃」は1日8回の上映が条件だったりするのでやりたくてもやれないとのこと。
シネコン上映が前提条件だったりする現在の興行の難しさを感じた。
これからも存続してほしい新星劇場だが、ご高齢に近い現在の経営者に後継者が現れるかどうかがカギだろうと思われる。