おじさんの山小屋から大門街道を下ってゆくと、最初の信号がある交差点で、中山道に合流する。
中山道は江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ。67宿(69次)、530キロの道のりである。
江戸の起点は日本橋だが、実質の出発点は板橋宿。
今の埼玉、群馬を抜けて軽井沢、諏訪を経て木曽へ向かう。
信州に入ると、峠を越え、つかの間の盆地を抜けると、次の峠が現れる山道である。
東海道に比して、大井川などの大河の渡りもなく、取り締まりもゆるく、宿場の宿代も安かったので、それなりに往来が盛んだったらしい。
京都の宮中から江戸幕府に嫁ぐ際に使う街道で、皇女和宮が通った道でもあった。
現在では、長野県の松本から、埼玉、東京方面へ抜ける物流ルートとしてトラックが引きも切らない。
おじさんの畑は、中山道27番宿の、長久保にある。
佐久方面から笠取峠を越えての宿場。
最盛期には旅籠の数が50軒を超えたという。
次の宿場である和田宿から、難所の和田峠を越えて諏訪に至る。
諏訪でで甲州街道に接する。
畑の大家さんの家も長久保宿にある。
今時の町おこしとて、家々は宿場の景観保存を行っている。
屋号を表した看板を掲げた家も多い。
本陣にはかつてのお札が掲げられている。
今でも近辺の集落の中心地で、JRバスのターミナルがある。
上田方面からの路線バスと、和田方面、姫木平方面へのバスの中継地点となる。
便数はごく少ない。「ローカル路線バスの旅」の舞台にはならないだろう。
雑貨屋、食堂などはすでに閉まっており、居酒屋1軒と床屋、酒屋などが細々と続いている。
立派なJAの支店がある。
この街道を歩く中高年のハイカーも散見される。
長久保には1軒宿屋が残る。
次の和田宿には今は宿がないので、諏訪に抜ける和田峠越えのコースをとるとすると、長久保を出発点に一気に諏訪まで行くしかない。
長久保宿から諏訪までの間は、かなり長距離の難コースである。
和田峠の旧歩道は、人気もなく険しい。
旧道の麓にあったドライブインもとうに閉鎖されている。
冬は車でも十分な装備が必要な位雪に閉ざされる。
また、旧道を歩く分にはいいが、新道を歩かざるを得ないときには、脇をビュンビュン通る大型車両の通行に気を付けなければならない。
今も昔も道中に困難はつきものである。