長野日報に載っていた『地元産モミの木から作った精油』を求めて、出荷先の諏訪大社本宮東参道のカフェを訪れたけれど、発売開始が翌日からだったり、再度訪問の際にはカフェが定休日だったりの話は、本ブログでお伝えした通りです。
10月に入ったばかりの金曜日に、気になっていたモミの木精油を追い求め、改めてカフェを訪れました。
カフェは開店していました。

店には若いマスターが一人、愛想のよかったママさんは不在、客はいません。
マスターに確認すると、モミ精油は販売されていました。
モミの木を蒸留したエッセンシャルオイルとそのオイルを水で割ったウオーターの2種類が主な製品です。
値段はスプレー瓶が2000円、ミニボトルが600円。
それぞれテイステイングができます。
手首にスプレーして匂いを嗅ぐと、鮮烈な木の香りが頭の底まで響きます。
精気漂う深山の森に連れていかれたようです。
オイルとディフューザー(オイルを数滴たらして部屋につるすなどの道具)のセットを購入しました。
都会で暮らす山小舎おばさんへのプレゼントです。

店内には県内のニッチな産物がプレゼンされています。
竹炭があったり、アカマツのエッセンシャルがあったり、黒曜石やコケをレイアウトした置物なども。
それぞれ、生産者がいたりデザイナーがいるとのことでした。
山小舎には黒曜石はたっぷりあるので、空気の浄化用?に竹炭を一袋求めてみました。


併せて諏訪大社の歴史を学べることもこのカフェのテーマの一つ。
関連本がずらりと並び、大社の古地図の複製が展示されたりしています。
マスターと大社について雑談しつつ、コーヒーを頼みました。
小型の焙煎用具で炒って淹れる『本日のおすすめ』コーヒーは飲みやすく飽きの来ない味でした。

マスターに神長官守矢家のことを聞きました。
『当代の守矢早苗さん(独身)がなくなると断絶だね』というと『跡継ぎがいるそうですよ』とのこと。
適格者がいれば養子をとって歴史をつないできた神職の家系にはそういう手があったのですね。
ただミシャクジを下ろす呪文(口伝)については、現当主の祖父の代を最後に、伝承が途切れているそうです。


マスターに昼食のおすすめ店と、立寄り湯の情報を聞きました。
美味しいカレー屋が近くにあるというので寄ってみました。
東参道から大社方面へ歩き右折、表参道と並行して進む道沿いの民家が目指すネパールカレー店でした。
民家に似つかわしくない旗がひらめいています。
恐る恐る入ると玄関は古民家風です。
靴を脱いで上がる店内は畳敷きの部屋にテーブルが10席ほど、すでに数組が飲食中です。
チャイを頼んで読書をする若者もいます。



オーナーらしき女性がオーダーを取りに来ました。
チキンダルバードを頼みます。
チキンカレー、インデイアカ米、ダルスープ、ヨーグルトに副菜が数種類付いた定食です。
ご飯とダルスープはお替り自由とのこと。


店内にはネパール人の男女も数名働いていました。
カレーとダルスープは上等。
インデイアカ米はやや硬い炊きあがりに感じました。
一度お替りして満腹、満足しました。
立寄り湯には寄らずに買い物して帰りました。

(おまけ) ネパールでのカレーの思い出など
1981年の4月から5月にかけて1か月ほどネパールにいたことがあります。
カトマンズでは地元の定食屋に出入りしました。
ネパールには、チベット料理の流れを汲む麺やギョーザ(モモ)、水牛料理などもありますが、一般的に食べられるのはダルバードと呼ばれるカレー定食です。
これはインドとも共通します。
人々はこれを右手の指で上手に食べます。
外人客にはスプーンを出してくれます。
給仕はカンチャと呼ばれる少年が行っており、呼ぶとごはんやカレーのお替りをよそってくれます。
客は食べたいだけお替りし、いらなくなると途中でも(ご飯などが残っていても)食べるのをやめて立ち上がります。
カレーの具はチキンが多かったように記憶しますが、日本で食べるネパールカレーのように肉がゴロゴロ入ったカレーは(ホテルのレストランでもなければ)出てきません。
屋台でマトンカレーを頼んだことがありましたが、骨とそこにへばり付いたスジが入っていました。
また、庶民的食堂や屋台では、具が一種類だけのことが多く、玉ねぎだけ、ジャガイモだけのカレーが一般的で、肉のダシが効いたコクのある味のカレーは食べたことがありませんでした。
定食屋でトイレに行くと、隣でカンチャが人懐っこい笑顔で食器を洗っていました。
インド、ネパールでは、生まれながらに井戸水で鍛えられた昭和の日本人でも、あっという間に腹が下ったのでした。
ある時、カトマンズ近くのバス停脇の屋台でドーナツ状の揚げパンを食べていました。
視線を感じるので振り向くと、祖母らしき老婦人に連れそった少年が半分口を開けて恨めしそうにこちらを見ています。
少年は、屋台のテーブル席を独占して賑やかにふるまう白人グループのお大尽ぶりには眼もくれず、ぼそぼそと揚げパン1個をほおばる日本人の口元のみをひもじそうに見ています
思わず揚げパンをほおばる日本人の口も半開きのままで停止しました。
しかしながらここで少年と揚げパンを共有した(少年に揚げパンを恵んだとして)、その後の展開はインド、ネパールを旅してきた日本人にとって容易に想像がつきます。
同伴の老婆(のみならず周りの人も)が、わたしにもくれと要求してくるのです。
ただ間近でこちらを眺める少年の無心な目には、擦れてきた旅人も負けました。
揚げパンの食べかけの部分を手折ると残りを少年に贈呈し、その後に起こるであろう事態に対処するため、急いで立ち上がって逃げるように移動しました。
その刹那、テキもさる者、私にもくれと唇に指を当てて迫る老婆の姿が目の隅にありました。