映画プロデユーサーの息子で、作家のバッド・シュルバーグの自伝的回顧録「ハリウッド・メモワール」には、1920年代から30年代のハリウッドが活写されており、様々な映画人が登場する。
この書で、子供時代の筆者の視点で印象的に描写されているのが、女優のクララ・ボウとシルビア・シドニーだった。
クララ・ボウは、バッド・シュルバーグの父のB・P・シュルバーグがスカウトしてきた新人女優だった。
子供だったバッドから見ても、〈クララは演技ができなかった。それに覚えがいい方ともいえなかった〉(「ハリウッドメモワール」P160)が、同時に〈彼女の全身から電流のような活発さ、うきうきする感じが発散していた〉(同161P)存在だった。
1920年代のセックスシンボルとしてクララ・ボウの評価は現在定まっている。
シルビア・シドニーはニューヨークの芝居に出ていたところをB・Pにスカウトされた、東欧ロシア系のユダヤ人で、1933年に結成されたのちのHANL(ハリウッド反ナチ同盟)の創立メンバーの一人だった。
映画はトーキーとなり、セリフがちゃんと喋れるタイプの女優が重宝された。
まもなく彼女とB・Pは共に暮らすようになり、B・Pはバッドらが暮らす自宅には帰ってこなくなった。
〈私の目には、シルビア・シドニーが自分の女優としての立場を守るために父の血を吸うきれいな吸血鬼のうちの最新の女だと決めつけている考えを変えることはできないと思えた。〉(同書353P)
今回は彼女らの代表作を見てみようと思った。
「つばさ」 1927年 ウイリアム・A・ウエルマン監督 クララ・ボウ主演 パラマウント
第一次大戦時の複葉機による空中戦を再現した戦争ドラマ。
クララは若き戦闘機乗りの恋人に思いを寄せ、従軍女性ドライバーとして戦地に赴き、また必要とあらばフラッパーな格好でパリのカフェに現れ恋人に迫る、健気で可愛げのあるアメリカンガールを演じる。
監督はこれが出世作となったウエルマン。
無名の存在だったが、空軍の従軍経験をアピールし、当時で製作費100万ドルを超える大作のメガホンをとることを必死に製作者のB・Pに売り込み。パラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーはB・Pの連帯責任を条件にOKした。
とにかく空中戦のシーンが多い。
それもロングショットで撃墜シーンなどが繰り返される。
基本、実写だった時代の空中戦の撮影は、出演する方も演出の方も大変だったろうと想像がつく。
地上戦の再現シーンも大掛かりで、とにかく戦闘シーンの再現に力が入った作品。
一方で、パリのカフェで酔っ払って正体不明の恋人に、フラッパーなクララが迫る場面では、シャンパングラスから泡が出てくる特撮を演出。
ロマンチックなムードを醸し出してもいた。
サイレント時代の作品だが、実写の空戦シーンを中心に今でも目を見張るところのある作品だった。
「暗黒街の弾痕」 1937年 フリッツ・ラング監督 シルビア・シドニー主演
若い主人公たちが社会の無理解から追い込まれ、犯罪に手を染めた挙句に自滅してゆく姿を描く、いわゆる〈ボニーとクライド〉ものの原点といわれる作品。
シルビア・シドニーは主人公の弁護人事務所の秘書だったが、ヘンリー・フォンダ扮する主人公と恋に落ち、犯罪を犯して自滅するまでの行動を共にする。
雨の中、バックミラーに映る目線だけで犯人側を表現した銀行強盗シーン。
人気のない操車場の貨車に隠れるシーン。
恋人が差し入れた拳銃でヘンリー・フォンダが死刑当日に脱獄する一連のシーン。
いずれも〈この世のものとも思えない〉緊張感に満ちた悪夢のような場面が続く。
制作者:W・ウエンジャー、監督:F・ラング、主演:S・シドニーらメインスタッフ、キャストがユダヤ人である事が、開戦前夜の世相と相まっての不安感、悪夢感に満ちた画面を起因せしめているのだろうか?
ドイツからの亡命者、フリッツ・ラングのアメリカ映画の第2作目。
本作でのラングの視点は、登場人物を冷徹に見つめるもの。
本作は、〈ボニーとクライド〉ものの原点と呼ばれてはいるものの、のちの「ハイシエラ」(1941年 ラウール・ウオルシュ監督)でのハンフリー・ボガートとアイダ・ルピノ、「夜の人々」(1949年 ニコラス・レイ監督)のファーリー・グレンジャーと.キャシー・オドンネル、「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)のジョン・ドールとペギー・カミングス、「明日に処刑を」(1972年 マーチン・スコセッシ監督)のデビッド・キャラダインとバーバラ・ハーシーが演じた〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉作品で濃厚に漂う、若い犯罪者への同情というか共感の視点はほぼない。
ヘンリー・フォンダのキャラに同情の余地は少ないし、シルビア・シドニーがフォンダに惹かれる必然性の描写はない。
むしろ、二人の逢瀬の場面で池のガマガエルを執拗に映して、若き犯罪者を突き放すようなラングの視点がある。
もともとが真人間とは異なる世界の人間の物語だといわんばかりに。
冷徹で表現主義的なラングの描写は、銀行強盗のシーンがのちのギャング映画にそっくり使われたり、安モーテルで公証人?から結婚証明書をもらう場面が、のちの〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉映画の数々で繰り返されたり、貨車の場面が「明日の処刑を」に援用されたり、と、映画的記憶の原典の数々を生み出した。
シルビア・シドニーの清純な演技も一見の価値がある。