「STRANGERS in HOLLYWOOD」の女神たち その2

ジュリー・ハリスと「結婚式のメンバー」

「エデンの東」(1955年)でジェームス・デイーンの兄の婚約者役を演じたジュリー・ハリスが12歳の少女役を熱演した「結婚式のメンバー」を観ました。
コロンビア配給、1952年のフレッド・ジンネマンの監督作品です。
ジンネマンとしては「真昼の決闘」(1952年)の後、「地上より永遠に」(1953年)の前の作品になります。

シネマヴェーラのパンフレットより

舞台は南部の片田舎の一家庭。
登場人物は主人公の少女(ハリス)と黒人のメイド(エセル・ウオーターズ)、少女のいとこの少年(「シェーン」のブランデン・デ・ワイルド少年)にほぼ限定された舞台劇のようなドラマです。

主人公の癇性な少女が、閉鎖的な土地柄と人間関係に強烈な違和感を抱きつつ暮らしている中で、いとこの結婚や自らの体の成熟を機会に、人格的な成長への足掛かりをつかんでゆくまでの物語。

「結婚式のメンバー」より、左からデ・ワイルド、ハリス、ウオータース

少女の抱える社会への違和感が一つのテーマでもありますが、それをほぼすべてセリフで表現しており、とにかく主人公が延々としゃべる、いらだつ、怒る。
演ずるのは当時27歳のジュリー・ハリス。
30歳で演じた「エデンの東」でのヒロイン役は違和感がなかったのですが、さすがに27歳での12歳の少女役はちょっと、と感じるのは草食民族のおじさんだからでしょうか。

「エデンの東」(1955年)のジュリー・ハリス

細い体つきは12歳でも通るのですが、マシンガンのごとく飛び出すセリフと切れ切れの演劇的アクション、はどう見ても達者な20代の俳優のそれ。
見どころは主人公の少女ぶりではなくて、セリフで説明されるところの若い人格の苛立ちと成長なのでしょうが、草食民族のおじさんとしては、理性に直撃する言語の連打だけではなく、映画ならではの12歳の少女の体温や柔らかさの表現も望んでしまいます。

とにもかくにも演技者としてのジュリー・ハリスをとことん堪能できる作品。
少女の苛立ちと成長を包み込むかのような黒人メイド役のエセル・ウオーターズの存在感が圧倒的で、それには、ハリスの演技力もかなわない、と思いました。

デ・ワイルド少年のとぼけたかのようなたたずまいも忘れられません。

パトリシア・ニールと「ステキなパパの作り方」

パトリシア・ニールは「摩天楼」(1949年 キング・ヴィダー監督)で共演した妻子あるゲーリー・クーパーと恋に落ち、同棲し、子まで宿したことのある女優さんで、この作品の撮影当時(1951年)もロケ先などにクーパーがしばしばやってきたといいます。

シネマヴェーラのパンフレットより

ブロードウエイの舞台俳優出身のニールはインテリでもあり、演技力もある。
若い時ばかりではなく、中年になってからも細やかな心情を演ずることができそうなタイプだ。

彼女の自伝がある。
「ゲーリー・クーパーこそが私が情熱をもって愛したただ一人の男性だった」という記述で結ばれる同書の中で、この「ステキなパパの作り方」については、「どうということのない映画だったが、ヴァン・ヘフリンと仕事をするのは楽しかった」(同書179ページ)とだけある。
たった2行の記述だ。
そのころ彼女の頭の中はクーパーのことでいっぱいだったのだろうか。

パトリシア・ニール自伝「真実」の表紙

戦後中産階級全盛の時代のテレビドラマよろしく、にぎやかでユーモアにあふれたホームドラマのこの作品では、若いシングルマザー役のニールと、シングルファザー役のヘフリンが、その子供たちによってお約束通りに、出会い、てんてこ舞いし、結ばれる。

展開もスピーデイーで、ギャグもふんだんにちりばめられ、適度に風刺も効いた(子供が預けられたキャンプ場のリーダー像は、金髪碧眼の健康オタクで、これはまさにナチス時代の自然主義への皮肉)小品は、亡命後にユニバーサルでエース級の監督に上り詰めていたダグラス・サークによるもの。

ニール扮するママの長男の名前が何と「ゲーリー」。
作り手のウイット(皮肉)なのか、ハリウッドの露悪趣味なのか。
主演女優の不倫真っ最中の相手の名前を劇中の長男の役名に持ってくるとは!

ニールはたくましい母の役柄に徹し、劇中で何度も「ゲーリー」!と息子に叫んでおりました。
そのたびに当時の観客は微苦笑を禁じえなかったことでしょう。
あるいは爆笑したのか?

70年後の観客は、その際の女優パトリシア・ニールの胸中を、ひたすらおもんばかるばかりでしたが。

「摩天楼」の一場面。パトリシアとゲーリー

ドロシー・マクガイアと「らせん階段」

ハンデキャップのある美女が悪漢に追いつめられるパターンを確立したサスペンスの古典。
ロバート・シオドマク監督の職人芸がスリルを盛り上げる「らせん階段」(1946年 RKO配給)。
主演は清純派のドロシー・マクガイアです。

シネマヴェーラのパンフレットより

サイレント映画が上映され、馬車が動いている時代のアメリカが舞台。
屋敷のメイドを務める主人公の周りには、彼女に接近する独身の医者、屋敷に出戻った主とは種違いの兄弟、頑固な下男夫婦など怪しげな人々が立ち現われます。
幼少時のショックで声を出せない主人公に迫る恐怖。
どうやら真実の味方は寝たきりの老女主人(主の母親)ただ一人。

ゴシック調のサスペンス演出をベースに、影と鏡を使った撮影でスリルを強調するドイツ出身の監督シオドマク。
最後にわかる意外な犯人。

気丈にふるまう主人公とハピーエンドは、この作品が単によくできたサスペンスとしてだけではなく、一人の人間の成長への賛歌となっていることがわかります。
最後に言葉を発し、自らの力で窮地を脱し、自立へと成長する女性の姿を描くことがこの作品の一方のテーマとなっています。

行動的で健気なヒロイン像は、他のシオドマク作品にもみられます。
「罠」(1939年)のマリー・デア、「幻の女」(1944年)のエラ・レインズなどです。
広く定義すれば「モルナール船長」(1938年)での船長の娘役の最後のふるまいとも共通します。

「らせん階段」のドロシー・マクガイアはサスペンス映画のヒロイン像として出色のキャラクターを確立していました。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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