あけましておめでとうございます。
定年おじさんは冬の間の東京暮らしです。
ブログ更新の頻度が減って申し訳ありません。
さて、年末年始に映画を観に行きました。
渋谷シネマヴェーラの「蓮見重彦セレクション・ハリウッド映画史講座特集」へ
よくゆく名画座のシネマヴェーラで、上記の特集上映をやっていました。
蓮見重彦という人は東大総長も務めた仏文学者。
映画評論家としても有名です。
今回の特集はご本人の著作の「ハリウッド映画史講座」で取り上げた作品の中からセレクトしたものとのこと。主に1940年代のアメリカ映画から、左翼系の映画監督、脚本家によるもの、欧州を逃れて渡米した映画監督による作品が中心。
のちのリメーク作品のオリジナル作品である「キャットピープル」(42年)や「犯罪王ディリンジャー」(45年)などを含む27作品です。
全作品がデジタルで上映されました。
蓮見重彦のネームバリューからか、休日の初回など、開場前に20~30人が並ぶなどの人気でした。
なお、蓮見重彦に関しては、多数の信者的映画ファンのほかに、強烈なアンチがいることを付記しておきます。
「夜の人々」(48年)を観る
おじさんは今回の特集上映で、上記の作品を観に行きました。
戦後間もない1948年の制作で監督はニコラス・レイという人。
レイ監督はのちに、主題歌ジャニー・ギターがヒットする西部劇「大砂塵」(54年)や、ジェームス・ディーン初主演作「理由なき反抗」(55年)でヒットを飛ばすが、もともとは左派思想の持主のよう。
今回上映のレイ監督の処女作「夜の人々」は、監督の左派的資質が反映された作風となっています。
おじさんの独断ですが、映画における左派的資質とは、社会現実を反映し、弱者の味方であり、知性的というのがそのイメージであす。
「夜の人々」は1940年代のアメリカの田舎を舞台に、脱獄した若者と少女が自滅してゆくというストーリー。
映画のテーマは、社会の底辺に暮らす無学な若者が、社会には救われないという現実を描くことです。
アメリカ映画らしい、ハピーエンドも、派手なアクションも、虚構の繁栄も、この作品にいはありません。
ただ、無学な若者たちを見つめる目と、背景の現実社会の俗悪さを描く視点があります。
同様なストーリーの映画に後の「俺たちに明日はない」(67年)がありますが、同作の主演二人(ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイ)に象徴されるあざとさが「夜の人々」にはありません。
主演のファーリー・グレンジャーとキャシー・オドンネルの素人臭さには好感しか感じません。
この作品は、B級ギャング映画仕立てということもあろうが、当時は日本に輸入されておらず、映画のデジタル化が進んだ最近になって日本でも見られるようになったとのことです。
アメリカ映画史の断片としての「夜の人々」
「夜の人々」のような、現実を弱者の立場から描くアメリカ映画といえば、おじさんは次のような作品を思い出します。
「怒りの葡萄」(40年)、「アスファルトジャングル」(50年)「ハスラー」(61年)。
いずれもアメリカ国内の恐慌時代や裏社会など厳しい現実を舞台にした弱者の物語であり、現実がそうであるようにハピーエンドとはなりません。
なぜそういった作品が生まれたかというと、ハリウッドには1930年代から、左派思想を持った有能な監督や、脚本家がいたからといいます。
彼らは当然、資本側である製作者と対立し、ブラックリストに載せられパージされていきました。
象徴的な出来事が1950年前後の東西冷戦時代に起こったいわゆる「ハリウッドの赤狩」りです。
「ハリウッドの赤狩り」は、議会での証言(自分がアメリカ共産党のメンバーだったか否か)を拒否した監督、脚本家ら10人が議会侮辱罪で投獄されたことでピークを迎えます。
その後、10人は偽名で仕事をしなくてはなりませんでした。
名誉回復は1970年代のなってからのことです。
「怒りの葡萄」(40年)、「アスファルトジャングル」(50年)「ハスラー」(61年)。
「怒りの葡萄」の監督ジョン・フォードを除き、「アスファルトジャングル」のジョン・ヒューストンや「ハスラー」のロバート・ロッセンは左翼かそのシンパです。「夜の人々」もそういった文脈の中でとらえるべき作品なのでしょう。