DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (その2) 吸血鬼三代

「吸血鬼」  1932年  カール・ドライヤー監督  フランス=ドイツ

カール・ドライヤーは、1889年デンマーク生まれの世界的監督。
その代表作「裁かるるジャンヌ」(28年)は英国の映画専門誌・サイトアンドサウンドが10年ごと選出している映画史上ベストテンに、1952年以来たびたび選出されている。

本作「吸血鬼」は「裁かるるジャンヌ」の次回作としてフランスで撮影された。
トーキーだがセリフは少なく、字幕で説明が入るなど、技術的、作風的に特色ある(過渡期の?)作品。
「裁かるるジャンヌ」に続いての起用である撮影のルドルフ・マテは、技法、構図、陰影などの画面作りに凝りに凝った成果を見せた。

カール・ドライヤー

吸血鬼を題材にした映画としては、22年の「ノスフェラトウ」(F・W・ムルナウ監督)ほどのドラマ性、映画としての完成度はない。
また、31年のハリウッド製「魔人ドラキュラ」(トッド・ブラウニング監督)に見られ、その後の吸血鬼ものの原典となった、ドラキュラの怪物としての万能性や、ホラー映画としての見世物感、あざとい俗物性の強調は、更にない。

どちらかというと「アンダルシアの犬」(29年 ルイス・ブニュエル監督)のようなアヴァンギャルド映画、あるいは戦前のベルリンを舞台に、エドガー・G・ウルマーやビリー・ワイルダーといったユダヤ系の若い映画人が集結した「日曜日の人々」(30年) のような素人俳優を使ったセミドキュメンタリーのスタイルに似ている。
主体はドライヤーの感性であり、撮影者マテの技法であるかのような斬新さがある。

劇映画でいえば「カリガリ博士」(20年 ロベルト・ヴィーネ監督)の全編が悪夢のような不条理に満ちた作風にも似ている。

印象的な開巻の一場面。大鎌を持った農夫がいる

フランスのある村にたどりついた旅行者アラン・グレイが主人公。
いきなり、宿についたアランの後姿をフォローする移動撮影と、大鎌を担いで渡し船の出航を知らせる農夫のカットバックが見られる。
開始早々、悪夢のような、異次元の世界のような違和感に満ち満ちた映像が展開する。

宿の部屋は窓から外の光があふれるような、露出過剰の画面もある。
部屋に飾られた、臨終の風景を描いたかのような絵画をなでるように見るアラン。
「アンダルシアの犬」そのものの、つながりのない象徴的なシーンが続く。

夜、宿の部屋をノックし、老人(村の領主らしい)が入ってきて『私が死んだあと開封するべし』とした封書を置いて去るあたりからアランの悪夢の世界に入ったらしい。
どこからが悪夢で、何が現実かわからないし、映画はそもそも悪夢と現実を峻別して描いてはいない。

アランは領主の屋敷へ行って病弱な娘を見る。
彼女は吸血鬼と呼ばれる悪霊に魅入られ血を吸われたらしい。
吸血鬼を助ける存在の村の医者がアランから採血して(娘に輸血する?)ことでアランを吸血鬼の子分としてしまった(らしい)。

吸血鬼とは生前に悪行を重ね、成仏できない霊的存在であり、本作では老婆の姿?で夜に棺から出てくる。
棺を開くショットが棺内部から撮られる鋭角的なショットが斬新だ。

犠牲者の娘は邪悪な目つきをするが、『死ねたら楽なのに』と正気に戻ったようなセリフも吐く。
彼女は、村の因習にとらわれ、宿業の結果として死んでゆく犠牲者として描かれる。
吸血鬼の犠牲者が、首に歯の後をつけて狂ったように血を求め、十字架にわざとらしくひるむ、ハリウッド以降の吸血鬼の犠牲者像はここにはない。
むしろ「ノスフェラトウ」の、村民に差別され、弱々しく、光の中に消滅してゆく吸血鬼像に近い。

「ヴァンパイア」名で発売されたDVD版。淀長さんの解説付きだ

いずれにせよドライヤーの興味は吸血鬼の不死身の悪役像にあるわけではなく、またホラーにあるのではない。
怪物としての吸血鬼の不気味さと並行して、古い因習にまみれた農夫たちを、シャドーや大鎌などの小道具を使って描いていることからも、吸血鬼伝説を欧州の負の歴史の一部としてとらえている。
結局それらの描写がホラーとなっているのだが。

撮影のルドルフ・マテは、「最後の億万長者」(34年 ルネ・クレール)、「リリオム」(34年 フリツラ・ラング)らを撮影。
ハリウッドに渡り、「孔雀夫人」(36年 ウイリアム・ワイラー)、「海外特派員」(39年 アルフレッド・ヒッチコック)、「生きるべきか死ぬべきか」(42年 エルンスト・ルビッチ)などそうそうたる作品の撮影を担当。
のちに監督に転じた。

「吸血鬼ドラキュラ」  1957年  テレンス・フィッシャー監督   イギリス・ハマープロ

イギリスの製作会社ハマープロが、30年代のハリウッドでホラー映画をヒットさせたユニバーサルのドラキュラ、フランケンシュタインなどをリメークしたのは50年代のこと。
ワーナーブラザースの出資と配給で「フランケンシュタインの逆襲」を製作したのが57年。
次回作が「吸血鬼ドラキュラ」だった。

ちなみに前回の「DVD名画劇場」で紹介した「恐怖の雪男」はそれ以前に製作されたハマープロ作品で、イギリス映画らしさに溢れた佳編だったが、ハリウッドの出資はなく、また日本未公開だった。

DVDパッケージ

クレジットタイトル順では、吸血鬼を退治する医者の博士、ピーター・カッシングがトップ。
ドラキュラ役でブレークし、のちには「007」の悪役にも起用されるクリストファー・リーは4番目。

配役は地元イギリスで固められているようだが、カラーで再現されるドラキュラ城内部などのセットには予算がかけられている。
また、吸血鬼に篭絡される女優陣の生々しさや、ドラキュラの超人的な凶悪さ、吸血鬼と博士らの手に汗握る攻防などがカラーで劇的に再現されている。

クリストファー・リー扮する血だらけの吸血鬼

開始早々ドラキュラ城を訪れた司書に、吸血鬼となっている美女が迫る。
肉感的な美女が牙をむきだして司書ののどにかみつく。
ドラキュラが美女ののどにかみついたり、美女が男ののどにかみつくシーンのクローズアップは、この作品から吸血鬼映画の売り物となったのかもしれない。
ショッキングで生々しく、エロチックな吸血鬼映画の山場の一つである。

更には、棺桶で町にやってきたドラキュラが、夜な夜な篭絡しに通ってくる若い女性の恍惚の表情もいい。
ドラキュラ除けのニンニクの花や十字架を排除し、窓を開けてドラキュラを待つ女性は、吸血鬼の被害者というよりは、背徳の誘惑者の夜這いを心わななかせて待つ女性の心理そのものである。
クリストファー・リーのドラキュラは誘惑者の色気と俗物性に溢れている。

美女に迫るドラキュラ

被害者の女性たちは、一方では棺桶で横になっているときに杭で打たれて被害時の姿になって成仏し、また夫からの輸血によって回復する。
十字架には大げさに反応し、焼き鏝を当てられたように傷跡がつく。
日光にも弱い。
こういった吸血鬼の弱点をドラマチックに表現したのもこの作品からであろう。
行動力豊かなドラキュラと博士らのスリリングな攻防も、現代的だ。

最後の見せ場は、光を浴びて崩れ去ってゆくドラキュラの特撮シーン。
クリストファー・リーの大げさともいえる断末魔の表情と、手や顔が崩れて飛散してゆく特撮が素晴らしい。

吸血鬼の子分になっている美女が迫る

ドラキュラ城の立地する19世紀のトランシルバニアの村の居酒屋の主や集う人が、因習にまみれた閉鎖的な中世の中欧に見えないこと。
ドラキュラ城内部のセットが新しく、御殿のようで、30年代のユニバーサル版のクモの巣とほこりにまみれたセットと比べて、ホラー感がなかったこと、などの不満はある。

決して吸血鬼ものの原典、決定版とは思えないが、吸血鬼の特徴の再現や被害女性とのエロチックな関係の示唆などに現代的な表現を見せた作品である。
ピーター・カッシングの存在もハマーフィルムの至宝というべきものであろう。

ピーター・カッシング扮する正義の博士
DVDパッケージの裏面

「ドラキュラ’72」  1972年  アラン・ギブソン監督   イギリス・ハマープロ

ハマープロによるドラキュラシリーズ6作目。
第1作が製作された1957年から25年たっている。
主演の吸血鬼とそれに対する博士の配役は、鉄板のクリストファー・リーとピーター・カッシング。
第1作ではカッシングがトップだったクレジット順が本作では、リーがトップに来ている。

リー扮するドラキュラは第1作から衰え知らず、ますます目を充血させて鬼気迫っているが、カッシングは終盤の山場の急を急ぐシーンで息切れが目立ち、格闘シーンでは弱々しくやられっぱなで、年齢を感じさせる。
そこが本作の演出意図でもあるのだが。

1972年のロンドン。
世の中は新世代の若者が我が物顔に青春を謳歌している。
謳歌といってもたまり場で無為に過ごし、クスリと酒とフリーセックスに時間を潰しているだけ。
余りに暇なものだから、グループにいつの間にか紛れ込んだ正体不明の若者ジョニーの誘導で、黒ミサに興味本位で参加し、100年前に滅んだドラキュラの復活とヘンシング博士一族への復讐に、きっかけを与えてしまう。
そのグループにはヘンシング博士(現代の)の孫娘ジェシカ(ステアニー・ビーチャム)がいる。

70年代とドラキュラの接点をどう表現するのかというのが本作のポイントの一つだったが、無為な若者の興味本位のオカルト趣味がもたらす心理的隙間をそこに持ってきたわけだ。
カッシング扮するヘンシング博士の研究も、存在も、70年代の世相からはかけ離れており、いきなり博士とドラキュラの古式豊かな抗争劇を持ってきても現代とはつながらなかったろうから。

軽薄で空虚な現代の若者たちが、オカルトに取り込まれ、その象徴たる吸血鬼に簡単に篭絡されてゆくというストーリーは、事実は小説より奇なりではないが、悪の前に非力な現代人を象徴していて、その意味でのリアリテイーがある。

ドラキュラの超人的能力の誇張や、対するヘンシング博士の神の力を背景にした正義の表現は最低限に抑え(老境に差し掛かったカッシングに敢えて年齢を意識させた演技をさせて)、現代人の不安定な心理の危うさの恐怖を強調した作品。
ドラキュラ本人ではなく、その弟子の子孫のジョニーをメインに持ってきてその不気味さを強調し、現代とのマッチングをしてもいる。
ここには、イロモノとしてのドラキュラではなく、現代の不安というリアリテイを背景とした緊張感を持った新たなドラキュラものを目指した製作陣の姿勢がみられる。

ジェシカ役のステファニー・ビーチャムはマーロン・ブランドと共演した「妖精たちの森」(71年 マイケル・ウイナー監督)でブランド相手に体当たり演技でデヴューした女優。
存在感は十分で、演技も上手い。
新世代の若者の浮遊感には似合わなかったが、悪夢に汗だくで悶える演技や、ドラキュラの花嫁として白いドレスから見事な胸の形をのぞかせる場面などは圧巻だった。

ジョニーに誘惑され、ドラキュラに崩壊させられる若者グループの一員で「シンドバッド7回目の航海」(74年)や「007私を愛したスパイ」(77年)でスターダムに上った、無名時代のキャロライン・マンローも出ている。

ハマープロによるドラキュラシリーズは、7作目の「新ドラキュラ・悪魔の儀式」(73年)でクリストファアー・リーとピーター・カッシングの最後の共演を終え、「ドラゴンVS7人の吸血鬼」(74年)でシリーズ最終作を迎えることとなる。

軽トラ流れ旅2025  最近話題の小諸の町へ行ってみる

小諸が何かと話題です。
「小諸人なからマップ」というタウンマップが、2024年7月に「小諸人なからマップ製作委員会」より発刊されてローカルニュースにもなりました。
若い女性らしい感性と情報量に溢れたタウンマップです。
駅前の観光案内所で200円で買い求めました。

軽井沢で中山道と別れ、越後を目指す北国街道の宿場であった小諸。
懐古園として市民に慕われる小諸城址。
島崎藤村と「千曲川スケッチ」。
JR小海線の終着駅として旧信越線(現しなの鉄道)と連絡する交通の要衝。
近年ではリンゴ園のほか、ワイナリーなどでも有名です。

地方都市のご多分に漏れず、駅前や北国街道沿いの商店街がシャッター通りとなった後、近年では、空き店舗などに若者や移住者などの店が開店したり、ウイスキー蒸留所やワイナリーが設置されたりしているようです。

まず、小諸市街から高峰高原の方向へ登った場所にある、小諸蒸留所へ行ってみました。
地元産のウイスキーを生産しているという噂の近代的なラボです。

ホテルのロビーとバーのようなホール兼バーでは、バーテンダー相手に昼間からウイスキーをあおる若めのお役さんがいます。
ガラス越しに蒸留所のラボが見えます。

ウイスキーのラボ

お土産でもと物色しますが売っているものは見当たりません。
受付で聞くと「ウイスキーの生産が2年目です。3年で出来上がりますので発売は来年末になります」とのこと。
残念でした。

建物外からバーのある内部をのぞく

次いで駅へ向かいます。
なからマップを入手し、昼食を摂ってから、北国街道沿いの古い街並みを歩きましょう。

小諸駅から駅前通りを見る
駅近くの飲み屋街

駅構内はローカル色溢れるムード。
地場野菜の無人販売と、待合室には駅の歴史をたどる展示物。
列車の運行本数の少なさは昨今のローカル鉄道の実情を物語っていますが、立ち去りがたい小諸駅構内です。

小諸駅構内。手前に無人販売コーナー
待合室の片隅の展示コーナー

ランチは駅前通りの雑居ビル二階にある洋食屋・キャンデイライトで。
1階の入り口に出ているサンプルが目に留まりました。

「なからマップ」でのキャンデイライト紹介部分

上がってみると高齢の夫婦が切り盛りするローカル色あふれる店内。
ソースかつ、コロッケ、エビフライが乗ったお重のランチが750円。
甘いソースが特色です。
喫茶で談話する婦人も利用する街の喫茶兼食堂。
残ってほしい店です。

北国街道沿いに歩いてみます。
脇本陣の古民家が残っているあたり。
建物は宿と喫茶に利用されています。
この日は座敷で何かの集まりも催されていました。

北国街道沿いの武家屋敷
脇本陣跡

古い建物が残る北国街道を歩き、藤村プロムナードという何ともない通りを通って軽トラの駐車場所へ戻りました。

街道沿いの古い酒屋
改造沿いの街並み

次回は小諸蕎麦の名店、中心街の甘味処「みつばち」、ワイナリー、などを訪問したいと思います。

(地元情報)

小諸在住の姫木管理事務所職員からの話です。

北国街道沿いに建つ長野銀行職員がコロナに感染したときのことだそうです。
コロナ発生期の長野県内では、毎日のニュースに新規感染者を発表していました。
「本日の発症者は、上田市の40代男性会社員1名。これまでの県内発生者は累計30名」などと。

そのころ長野銀行小諸支店の女性行員が感染したそうです。
田舎なので、ニュースなどを情報源にすぐ本人が特定されたのでしょう、アングラ的に。
それで銀行のガラスに投石されたそうです。
管理事務所職員は、投石後の割れたガラスにビニールをかけた建物に入ったことがあったそうです。

コロナという、地球規模の壮大な金儲けの茶番劇が生んだ悲劇です。
何年間も毎日毎日テレビで「宣伝」したおかげで、日本国におけるコロナの存在は、絶対で、アンタッチャブルなものとなりました。
高齢者を中心に何度でもワクチンと称する治験薬をわが身に打ち、また打つことを強要され、県外ナンバーの車で帰省したり外出することが家族から止められ、また白眼視されました。
つい最近のことです。
その時代の社会的、経済的、健康的被害は全く清算されるどころか、増幅、再生産されて今日に至っています。

長野銀行への投石は、「おらが町に疫病を持ち込んだ恥知らずな非国民」への非難だったのでしょうが、多かれ少なかれそういった風潮は田舎に限らず都会でもあったのではないでしょうか。

江戸時代の身分制度、戦前の挙国一致と同じように、21世紀のコロナによる統制においても、体制に反するものへの庶民レベルの制裁は生きていたのです。

薪仕事2025 去年のカラマツを割る

薪仕事が溜まっています。
まず今年やってきた丸太を玉切りします。

まだまだ丸太が残る
チェーンソーで玉切りしてゆく

法面下の薪の乾燥台には去年以前に積んでおいた薪がたくさんあります。
その中には、カラマツの大きな口径の玉を四つ割りにして積んだのものがあります。
積んだ当時は生木で硬く、とりあえず薪割り機で割って積んでおいたのです。

そのままではストーブに放り込むことができないほどの大いので、実用サイズに割って山小舎の近くに持ってくることにします。

法面の下のカラマツの薪台

法面を軽トラをバックで下り、カラマツの積み台付近に持ってきます。
薪を荷台に放り込みます。
乾燥台1基の薪を軽トラ2往復で運び上げます。
少々法面が緩んでいても4駆の軽トラは大丈夫です。

軽トラを法面下につける
カラマツの薪を軽トラに積み込む

運んできた薪を作業スペースにおろし、少しずつ割ってゆきます。
まだまだ斧で断ち割るほど乾燥してはいないので、楔を使います。
楔を打ち込むとひびが入るので、斧で断ち切って実用的なサイズの薪とします。

作業スペースへ運ぶ
おろしたカラマツを半分ほどに割ってゆく

軒下などに積み上げておいて夏中の暖房(というか湿気の除去や煮炊のため)とします。

軒下に積み込む

まだまだ薪仕事は続きます。

道東旅行 2025夏

夏休みの5日間、釧路周辺の道東に旅行しました。
メンバーは山小舎おばさんに下の息子、娘一家4人の計7人です。

行程は、1日目が釧路空港に集合し、阿寒町のゲストハウスに移動、夜は釧路に出て回転ずしの夕食。

2日目は釧路川でのカヌー、厚岸の道の駅で牡蠣のランチ組とノロッコ号組は別行動、釧路の市場で食材を調達して宿泊は釧路湿原内の達古武湖畔キャンプ場のバンガロー、夕食は海鮮炭火焼き。

3日目は、湿原を展望しつつ阿寒に移動、タンチョウを見てソフトクリームを賞味、宿泊は阿寒湖畔のホテル、若い人はナイトツアーに参加。

4日目は鶴居村を目指し山越え、途中、鶴居村の廃校を利用したクラフトビール工場などによって村内の貸別荘に投宿、自炊。


5日目は釧路市内で豚丼を賞味し、空港から帰還。

全行程で地元の立寄り湯を利用、阿寒以外は自炊でした。

まずは釧路市内の六花亭でお買い物
1日目の宿泊は阿寒町のゲストハウス
築60年の住宅をリノベしたというゲストハウスの内部
阿寒町では前日に夏祭りがあった
旧阿寒町役場前に立つ標識

娘一家の企画なので、キャンプ場やゲストハウスを利用した旅でした。
釧路市内のホテルが割高だったこともあります。
観光よりも釧路湿原でのカヌーなどの体験を重視したこともありました。
現地に土地勘がなく、行ったり来たりの行程となりましたが。

釧路川カヌーに出発
カヌーの展示
塘路駅に着いたノロッコ号
厚岸道の駅のカキフライ

孫たちは何とか最後まで元気に過ごしました。
山小舎おじさんの方がくたびれて、阿寒でのナイトツアーをキャンセルしたり、食べる量をセーブしたりで大変でした。
飲む量は減らしませんでしたが。

達古武湖畔
キャンプ場で夕食。花咲ガニを食べる
BBQの夕食

展望台から見た釧路湿原や、牧草地にいる野生のタンチヨウには感激しました。
カヌーに乗ったメンバーはオジロワシも見たそうです。
阿寒湖や達古武湖の景色には、俗化から取り残されたかのような道東の自然が残っていました。

釧路湿原細岡展望台
阿寒アイヌコタン
アイヌ民族村
阿寒湖の風景は昔と変わらぬ

一方で、湿原のあちらこちらに見られる小規模なソーラーパネル、離農した酪農家の荒れた農地、古い商店が全滅した阿寒町の中心部、すっかり様変わりした阿寒のアイヌコタンと称する土産物屋群などには、古い道産子として感じるものがありました。

鶴居村などの中心部は開いているのがAコープと最近の飲食店のみで、そのほかに村営?の近代的な温泉宿泊施設がセットになっているという、古いものが一掃された今どきの田舎の風景で、それはそれで過去に拘泥しない北海道らしくていいのですが、地方の特色などはあまり感じられないのでした。

50年前には純潔のアイヌ人が店先で木彫りのデモンストレーションを行い、子熊がつながれていた阿寒の土産物屋は、店主も商品群もすっかり様変わりしておりました。

空間の広さと食材のすばらしさは道東らしくて最高でしたが。

鶴居村の廃校を利用したクラフトビール工場へ
ビール工場はモセツリ小学校の校舎
早速ビールを試飲

釧路の町は、駅周辺のかつての中心部は閑散として、ホテルだけが建っており、ロードサイドには小規模なモールに全国チェーン店が集まるという街になっていました。
釧路の人口であんなにモールとチェーン店は必要ないはずなので、数年後にはいくつかのモールが閑散としているかもしれません。

野生のタンチョウが頻繁にみられる

2025 ヒメキフェステイバル

姫木平別荘地では管理事務所が主催して夏祭りを行っています。
かつては盆踊りをメインに、金魚すくい、くじ引きで当たるカブトムシなどの出し物を行っていましたが、コロナで中止に。
再開後は、出し物を一変してヒメキフェステイバルとして開催されるようになりました。

例年、帰省や来客などでこの時期は不在だった山小舎おじさん。
姫木のお祭りは見たことがありません。
管理事務所のバイトの方々が、会場のテント設置や駐車場の誘導員に動員されるのですが、それにも参加したことがありません。
今年はたまたまフリーで山小舎に滞在していたので9年目で初めて参加してみました。

フェステイバルの会場

当日は雨交じりの曇り空。
7時半に集合します。
駐車場の誘導でのバイト参加です。
会場のロータリーでは、キッチンカーやクラフト出店者が既に開店の準備をしています。
雨合羽を着て仕事です。

担当した駐車場

担当した駐車場は会場に近く、クラフト出店者用の駐車場です。
福井や姫路などの県外ナンバーの車が多数駐車に来ます。
近くのゴミ捨て場に来る別荘住民も多く、また通行止めの道を入ろうとする車や別の駐車場を探す車などが詰め掛けるので、その誘導や案内などで午前中はてんてこ舞です。

昼になって一段落。
交代で昼休みです。
支給された2000円の昼食代で、キッチンカーを回ります。
芋煮と玉こんにゃく、アンズのスコーンにイタリアンコーヒーを食べてほぼ2000円でした。

会場の人出
キッチンカーが並ぶ
山形芋煮で一服
デザートは安曇野から出店のスコーン屋さんで

フェステイバルの出し物は音楽やヨガなどもあり、去年は野外で行われたとのことですが、この日は室内に会場を移して行われました。

クラフト出店のテント

15時でフェステイバルは終了。
テントの撤収に入りましたが、折からの大雨で合羽ごとずぶ濡れ。
結構大変な一日でした。

雨模様の会場

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (その1) 水と雪と宇宙に潜むもの

特集・妄執、異形の人々」とは

これはシネマヴェーラ渋谷というミニシアター(上映番組はまさに名画座というにふさわしい)の夏の恒例特集のタイトルから頂いたネーミングです。
シネマヴェーラでは夏になるとこのタイトルを銘打ち、石井輝夫の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」や新東宝版「一寸法師」などのカルトといわれる邦画作品を上映していたのです。

カルト作品の上映が一巡し、シネマヴェーラが『妄執、異形の人々』特集を取りやめた今日、代わりにDVD名画劇場の夏の特集として、洋画版カルト作品を特集してみたのです。
第一回は、怪物が出てくる3作品の特集。

得体のしれぬ神の創造物は、水面下にも雪山にも宇宙にもいるのでした。

「大アマゾンの半魚人」  1954年  ジャック・アーノルド監督  ユニバーサル

サイレント時代には、ロン・チャニー主演で「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」など大掛かりなゴシックロマンでヒットを飛ばし、トーキーになって「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」などで、主演のベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフともども伝説を作ったユニバーサル映画が新たな怪物を創造した!

これまでの原作ものから一変、ユニバーサルが作ったのは、オリジナルストーリーによる、未知の怪物が未踏のジャングルの水面下から現れ、探検隊を襲うという、今もファンに愛される伝奇的SF映画だった。

半魚人とジュリー・アダムスその1

白人の老博士が、アマゾンの奥深く海洋生物の調査を行っていたところ、未知の生物の手の化石を発見する。
博士はブラジルの海岸部で肺魚の研究をしている教え子の科学者たち(その中には若い美女も含まれている)の応援を得て、化石生物の本格調査をすべく、現地人が近寄らないブラックラグーンと呼ばれる沼沢地へ船で乗り込む。

チェアに寝ころび、蚊帳付きのベッドで暮らす優雅な探検隊は、危険を顧みずアクアラング一丁で怪しげな沼での潜水を繰り返す。
美女(ジュリー・アダムス)は白いホットパンツ姿で男たちの潜水を見守りながら、ある時は我慢できず、白い水着姿で未知の沼に飛び込む。
水底の水草の陰では半魚人がその姿を眺めている。
たまたまその姿を目撃した男たちは、未知の生物存在の証拠を持ち帰らんと興奮する。

半魚人はテントを襲い、船によじ登っては、現地人スタッフを絞め殺したりもするが、美女が泳いでいるのを見るとシンクロして泳いだり、その足に恐る恐る触ろうとしたりと、かわいらしい仕草も見せる。
最後には、思い余って美女を抱き上げて沼に飛び込み、棲みかへ連れ込むが、白人男どもが黙っているはずもなく、水中銃とライフルで仕返しされるという結末が待っている。
手つかずの神秘が文明人によって蹂躙されることになる。

半魚人とジュリー・アダムスその2

3D映画として製作され、今に至るまでファンを持ち、その後の海洋ショッカーものや怪物ものの原典としてリスペクトされている作品。
何よりも半魚人のデザインが、映画のイメージとぴったりな点が素晴らしい。
永遠のキャラクターの誕生だ。

ジュリー・アダムスの水着姿と絶叫ぶりと半魚人のマッチアップぶりも最高。
白い水着のジュリー・アダムスを抱き上げた半魚人のスチール写真は、(少なくともSF)映画史上の名場面の一つである。

平和的な弱者でもある半魚人。
一方、半魚人を殺してでもアメリカに持って帰ろうとする探検隊のスポンサーの野望。
それに対し、科学者的良心を持つ主人公(ジュリー・アダムスの恋人役)というお馴染みの登場人物。
根本的には白人中心の価値観で、現地文化への興味や尊重に乏しいという、50年代のハリウッド映画そのもの。
それよりは、半魚人のデザイン、ジュリー・アダムスの水着姿を楽しむ作品。
半魚人の水中シーンにも力を入れている。
半魚人が泳げば泳ぐほど、人間の動きと同一であることが露わになってはいたが。

続編も3Dで製作されたとのこと。
捕獲された半魚人がアメリカに連れてゆかれ、人間として再教育されるが、うまくいかず人間を襲い、パニックが起こる、というもののようだった。

ジュリー・アダムス。「決闘一対三」(53年)より

「恐怖の雪男」  1957年   ヴァル・ゲスト監督   イギリス・ハマープロ

イギリスのハマープロダクションが、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」で全世界的にヒットする直前に製作した作品。
折からヒマラヤ初登頂や雪男の足跡の写真が世界的ニュースとなったタイミングで製作された。

出だしからハリウッド映画とは違う、ドキュメンタルで地味な緊張感。
これがイギリス映画のムードなのか。
ハリウッド映画なら、絶叫要員の若手女優に色気のある格好をさせ、大衆小説の舞台のような無国籍なセットで、『出るぞ、出るぞ』とゾクゾク感をあおるところ。

東宝の「獣人雪男」(55年 本多猪四郎監督)では、雪に閉ざされた山奥の駅で登山者がいつ来るかわからぬ列車を待つという出だしから、秘境感漂う伝奇的な映画空間が意図的に演出されていた。

本編の「恐怖の雪男」では博士(ピーター・カッシング)が植物研究で滞在するヒマラヤ奥地の僧院の日常風景から始まる。
ラマ僧たちの読経の声、奥の部屋に鎮座するラマと彼に仕えるラマ僧たち。
セリフが多いラマ以外はアジア人エキストラを使っている。

ハリウッド映画なら必要以上に強調するであろうエキゾチシズムが、ギラギラしたものではなくどこか記録映画風にも客観的表現にも感じられる。
アジア各地に植民地支配を実践してきたイギリス文化の蓄積がなせる業なのか。

紅一点の博士の妻も登場するが、博士の同僚の研究者、登山者であり、知性的ではあるがセクシーではない。
雪山の物語であるから肌も出さない。
危機的状況にも絶叫はしない。
ましてや雪男に(抱きかかえながら)拉致されることなど、金輪際ない。

ラマの僧院の中庭を歩く博士

未知の生物・雪男(劇中ではイエテイ、スノーマン、クリエイチュアと表現される)へのこの映画のアプローチは、現地ラマ僧たちが語る『見てはいけないもの、畏れの対象、いないもの』と認識の認識に準拠している。

博士は実在を調査したいと思い、植物研究と銘打って僧院に滞在し、チャンスをうかがっているところに、本国から一団がやって来る。
雪男で一儲けしようという山師のような男(フォレスト・タッカー)率いる一行で、現地人を手荒く使い、ポーターには賃金を払い伸ばし、下品に食事をする。
博士はこの一団に同行する。
雪男への尽きせぬ科学的興味のため。

山師を迎える博士と妻

良心的科学者と功名的実業者を対立的に配置するのは「大アマゾンの半魚人」同様だが、細かな描写には大きな違いがある。
現地人に対する白人の支配的な振る舞いの具体的描写には、イギリスのしたたかな歴史の滓を感じるし、延々とした高所の登山シーンでは、ヒマラヤの自然への畏敬を感じる。
「大アマゾンの半魚人」ではあまり感じられなかった、現地の自然、風土への興味、関心といったものが、「恐怖の雪男」ではチベット文化、ヒマラヤへの客観的な尊重として映画の根底をなしている。

文化的側面のみの映画ではなく、雪男の謎から醸し出されるサスペンスに満ちた作品でもある。
人間同士の葛藤、自然との対決のスリルもある。
何より強調されるのは、雪男そのものより、雪男を使っての名声、実利の妄想に突き動かされる人間達が醸し出す我執の迷宮である。

檻で雪男を捕まえようとする一行

ヒマラヤとチベット文化の最深部に位置する触れてはならぬ象徴が雪男だった。
映画終盤までその具体的描写は、テントの内部に延びる腕と咆哮だけで表現され、最後に至るまでバックライトに浮かぶ全身像と、顔半分の描写に留められる雪男の姿のみが表れるだけである。

山師が射殺した一匹を観察した博士は、それを『知性を持った優しい表情』と表現し『人間が介入すると滅びる存在』と評価する。
このセリフは、雪男の実像を、特撮の着ぐるみで描写するより効果的に表現している。

山師一団はことごとくヒマラヤの自然によって死に絶え、かろうじて生き残った博士は、身の危険を顧みず助けに来た妻たちとともに僧院に生還する。
ラマの前で『雪男はいなかった(人間が介入してよい存在ではない)』と報告する博士のセリフがこの作品の結論だ。

ヒマラヤという大自然が支配した、人知が及ばない世界がここに広がっていると同時に、その更に未知の最深部の象徴である雪男は、ましてや部外の人間にとっては、触れてはならぬものなのだった。


「禁断の惑星」  1956年  フレッド・マクラウド・ウイルコックス監督   MGM

ハリウッド最大の映画会社MGMが、2年の歳月をかけ、イーストマンカラー・シネマスコープという当時最高クラスの仕様で仕上げた大作。
宇宙船の光速以上での惑星間移動、宇宙船内の先進的装置類、ロボットの登場、などで後年のSF映画の先駆となった作品といわれる。

船長とアルタ

ファーストシーンで画面の上から宇宙船が現れるのは「スターウオーズ」にコピーされている。
また、宇宙船の乗組員が正体不明の怪物(人間の攻撃的な意識が凝り固まったもの)と闘うというコンセプトは、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどのSF小説(スペースオペラと呼ばれる宇宙冒険ものではない種類の)を連想させる。
登場人物は、メカニカルな専門用語や哲学的用語を駆使し、観客をおどろおどろしい世界に引きずり込むのではなく、むしろ突き放す。

宇宙船が目指す惑星にたどりつき、着陸するまで、高速から減速する際に乗員を磁気的に防護したり、着陸地点を立体的宇宙図の中で特定したり、惑星の軌道に乗ってから着陸に至る行程を表現したり、と科学的事実を踏まえて宇宙間移動を描写する。
単にホラーとしてのSF映画ではないことがここからもわかる。

アルタはロボットを制し船長らを博士の書斎に迎える

円盤形宇宙船から階段で惑星に降り立った乗員らが、まったく平服で体を防御していなかったり、宇宙船を守るため隊員が夜警の番をしたりと、前時代的な描写もある。

20年前から惑星に住み着き、宇宙船の着陸に協力的ではなかった博士(ウオルター・ピジョン)の住処は未来型SF映画そのもので、博士が作ったロボットの能力はドラえもんそのものの万能型。
ここら辺は近未来的SFだ。

映画のミューズとして、裸足に体にぴったりしたミニワンピース姿で登場する博士の娘アルタ(アン・フランシス)に早速隊員が迫るというアメリカ映画らしすぎる展開もある。

ロボットは宇宙船に迎えられ操縦する

しかし、隊員らが感じている、博士とその住処、研究対象、20年の間に生まれ育った娘への違和感は、作品のテーマとも結びついた映画の基調をなす。
博士は隊員に重大な秘密を隠しているし、社会と常識を知らずに育った娘が纏う違和感は彼女が博士の犠牲者だということだ。

アン・フランシス扮するアルタは、シーンごとに新しいミニワンピースに着替えるし(隊員から煽情的な格好を非難され、ロボットに命じてロングドレスを作らせる場面があるが)、朝は裸で池で泳ぐし(水着という概念を知らず)、隊員らとキスしても体が反応しない。
絶叫担当でも科学者のような存在でもない。
お色気担当ではあるが。
彼女の、アメリカンガール的な明るさが、妖艶さと反対の、人知に染まらぬ自然児的な色合いを出している。

ウオルター・ピジョン、アン・フランシス、ロボット

ある日宇宙船が襲われ、隊員が惨殺される。
時期を知った博士は船長らに惑星の秘密を打ち明ける。

惑星には20万年前に高度な文明が栄えていたが、滅んだこと。
ただし各種の高度な装置が、自分でエネルギーを補給し、メンテナンスしながら残っていること。
ここで隊員に紹介される、創造力養成装置という3次元の思考実現装置がスゴイ。
この作品に関わった、脚本家、デザイナーたちのオタク性が存分に発揮された場面だ。

『怪物が美女を抱く』のがハリウッド製SF映画のお約束

自らの意識が怪物となり、隊員のみならず自分にも襲い掛かろうとしたあげく、博士が自らとともに惑星の最期と怪物の破壊を行う。
人間性に目覚めたアルタは愛する船長とともに脱出し地球へ向かう。

作り方やキャステイングによっては、猟奇的・伝奇的な作品になったであろう素材だが、科学的デイテイルへの徹底したこだわりと、オタク的創造性により、地味ながらまじめで内省的な作品となった。

長々とした科学的、哲学的セリフと、それを視覚的に表現したオタク性。
色を添える美女までを配したゼイタクなSF映画であった。

アン・フランシス。「禁断の惑星」は彼女の代表作となった

雪男についての思いで

私が25歳から26歳のかけての、1981年に、バックパッカー旅行でネパールに1か月ほど寄ったことがあります。
カトマンズとポカラに滞在したのですが、ポカラから1週間ほど山歩きをしたことがあります。
秀峰マチャプチャレの周りを1か月かけて回るジョムソンルートというトレッキングコースの、ほんの一部を歩きました。

ルート上には車道などはなく、村々を結ぶ交通手段は歩くこと。
物資の運搬にはポニーのような馬を何頭か仕立てて行ったり、急病人はおぶって運んでいたりしました。
外国人にも人気なそのルートは、沿道の村に茶店や食堂、宿泊施設などがあり、コカ・コーラやパンケーキなどといったメニューを出している店もありました。

4日ほどかけて到達した村には、マナスルやダウラギリを遠望できる丘のふもとにありました。
ヒマラヤの名峰を肉眼で見られる地点まで到達したのです。
その村にはトレッキング客専用のロッジがあり外人客で賑わっていました。
そういうロッジには、たいがい英語で接客するスタッフがおり、12歳くらいに見える女の子だったり、若い男だったりが達者な英語で接客しているものでした。
彼ら以外のスタッフ(家族経営?)は恥ずかしそうにしているのが常でした。

そういったロッジの囲炉裏に当たりながら、英語を話す現地人のスタッフ(若い男)と、カナダから来た二人連れと話していたとき、思いついて「イエテイはいるのか?」とスタッフに聞いてみました。
彼は、バカにするなと言わんばかりの顔で、半笑いしながら否定しました。
私は意地悪にも「カナダにはサスカッチというイエテイがいるよ」と言って、カナダ人の方を見ました。
カナダ人は苦笑いしながら「ビッグフット」と答えました。

その時のネパール人の、あっけにとられて、茫然自失、しばらく開いた口を塞ごうともしない表情が忘れられません。

若いネパール人が迷信として記憶の底に葬り去っていた、前近代的な地域性や民族性に、外国人が無神経に触れたことへの思いもよらぬショックからのものなのか、それとももっと深いタブーのようなものがあるのか。

私にとって、イエテイの棲みかに最も近くまで行った場所で聞いた現地情報は、何も得られなかっただけでなく、その背後の漆黒の闇に深さを思わせたのでした。

令和7年畑 8月になりました

畑は8月になりました。
炎天下が続きます、降雨量は少ないです。

畑は、毎週一回の出荷のほかにも、別荘地内の知人に配る分の収穫があるようになりました。

旺盛なヤーコン

娘一家が孫を連れての山小舎滞在中に一度畑に向かいました。
収穫と潅水と枝などの管理のためです。

ズッキーニは黄色い品種が良く成った
夕顔がぶら下がっている

トマトが今が盛りと真っ赤になっています。
ナスは白ナスを中心に実をつけています。

枝豆が食べられそうです。
全部抜いて持って帰ります。
山小舎で根を切り、葉を落としておきます。
トウモロコシは結実と同時に小動物によって倒されています。

収穫その1

近所2軒に配り、残りは山小舎おばさんと娘で分けてもらいました。
娘は、トマトを煮てソースを作ると喜んでいました。

収穫その2

2025 山小舎来客第四弾!

8月1日から6日まで、入れ代わり立ち代わり来客があった山小舎です。

1日から3日までは、娘一家4人が来ました。
社宅以来のママ友一家4人も一緒でした。
子供たちがそれぞれ同学年の仲良しです。
この家族は3年前にも一泊できています。
今回は2泊です。

来客を迎える準備
炭火焼きの用意
この日のメニュー書
炭火焼きで盛り上がる

間の1日は、ジイジこと山小舎おじさんはフリー。
若い二家族で行動してもらいます。
依田窪プールや、立岩和紙の里での体験紙漉き、温泉立ち寄りなどを楽しんだようです。

用意した桃
用意したミートソース

初日は室内での炭火焼きをメインに、地元のチーズ、ハム、ピクルスなどの前菜を用意し、二日目は久しぶりに外でBBQをしました。
椅子やテーブルなどは軒下を漁って何とか用意、食材は信州豚、アルプス牛のほか、たれに漬けておいたスペアリブなど。
大いに飲んで食べました。
総勢8人+おじさんでの大宴会となりました。

BBQの用意
夜の花火

3日目に娘の旦那が、ともだち一家の車で帰京。
代わりに山小舎おばさんがやってきました。
それからは、おばさん主導の元、行きつけの上田のイタリアンレストランや、駒ケ根への小旅行などを楽しみました。

駒ケ根への小旅行。養命酒工場付属の公園にて
同上

暑い日が多く、体力を使いましたが、貴重な夏休みとなりました。

ある日の朝食
毎日の洗濯