アービング・サルバーグは、創世記ハリウッドの第二世代の製作者で、ユニバーサルを経てMGMで活躍し、デヴィッド・O・セルズニック、ダリル・F・ザナックとともに、当時のハリウッドで「奇蹟の若者たち」と呼ばれた。 映画は『ショーマン特有の勘とドラマツルギーに精通し、激しく飛び交う言葉と音とを見事に統一する能力を要求される』製作者がいなければ生まれない、といわれたその製作者の一人がサルバーグだった。
サルバーグは、その存在がのちに伝説となり、スコット・フィッツジェラルドの小説「ラスト・タイクーン」のモデルとなった。
アービング・サルバーグ。妻のノーマ・シアラーと
ニューヨークのユダヤ人移民の中流家庭に生まれたサルバーグは、第一世代のタイクーンたちとは違っていた。 第一世代のタイクーンたちが、『(くず拾い時代に身に着いた癖で)撮影所内を歩き回っては釘が落ちていると口に含ん』だり、『ムッソリーニに憧れて、かの制服を模倣して着用し、部屋にかの肖像を掲げ』たり、『威張り、口汚くののしり、半可通を振りまわすばかり』という、有名なエピソードに見える、育ちの悪さを隠せない、映画館主上がりのユダヤ人たちだったのだとしたら、サルバーグは『手際よく、きわめて説得的で、品がよかった』(1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」P80)とされる存在だった。
1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」。フィリップ・フレンチ著。表紙はワーナー兄弟
英国人著者による「映画のタイクーン」ではサルバークについて、『看板作品なる、あまりもうけは期待できないが、撮影所に名誉と活気をもたらし、優れたタレントの出演を容易にした作品を制作した。』(同著P80)と評価している。 さらに『芸術的要求と本社営業部に固有な現実的要求との調整をものの見事に果たす能力を持っていた』(同P80)、また『事故の意見をはっきりと正確に表現することができ、絶対に自分が恥じ入る類の映画を作らなかった』(同P80)と述べている。
『サルバーグの存在とその影響力のおかげで、MGMはハリウッド随一の最も華々しい撮影所となり、その体裁の良いスタイルときちんと整った作品、きら星のごとく並ぶスターたちで有名だった』(同P82)とも。
「映画のタイクーン」より
また、パラマウントの制作部長B・P・シュルバーグを父に持つのちの小説家バット・シュルバーグによる「ハリウッド・メモワール」ではサルバーグについて、ハリウッドで最高の教養人の一人だとしたうえで『サルバーグは酒をたしなまず、一日二十時間働き、美人の妻ノーマ・シアラーと結婚後も一緒に住み続けた彼の母親に尽くした病弱な聖人であった』(「ハリウッド・メモワール」P307)と述べている。
あるフランスの映画人もサルバーグについて称賛している。 ピエール・ブロンベルュジェという映画人はのちにジャン・ルノワールからヌーベルバーグまでの映画製作者として名を残したが、若き日、戦前のハリウッドのMGMスタジオでサルバーグとともに、製作中の作品のラッシュフィルムを見て意見を言い合うという経験をした。
ここに山田宏一著の「わがフランス映画誌」(1990年 平凡社刊)があり、著者が1987年の第二回東京国際映画祭に来日したブロンベルジェにインタビューした記事が載っている。 ブロンベルジェは「ほぼ一年間、MGMで彼(サルバーグ)と一緒に仕事をすることができたことが、私のキャリアの真の出発点となったといってもいいでしょう。素晴らしい冒険でした。サルバーグは私にとって映画の学校でした。プロデユーサーは一つのことだけに拘らずにできるだけ広い視野を持たねばならないこと、監督が常に最後まで作品の精神を見失わずに仕事を続けていくことができるようにしてやらなければならないことを学んだのも、サルバーグとの付き合いからでした。」(同著109P)と述べたという。
ブロンベルジェの回想から浮かび上がるのは、効率と興行力のみを追求する製作者像ではなく、映画という文化の創造性をも尊重することができた、ハリウッドプロデューサーの姿だった。
ピエール・ブロンベルジェによるサルバーグについての回想が載っている「わがフランス映画誌」
サルバーグはしかし、1936年37歳の若さで肺炎で死んだ。 彼は製作者としての自分の名前を映画にクレジットしない主義だった。 今回、サルバーグがMGM時代に製作した4本を鑑賞した。
「ベン・ハー」 1925年 フレッド・ニブロ監督 MGM
サルバーグがMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーと共同制作したサイレント映画の巨編。 1907年に15分のサイレント作品で映画化され、本作が2度目の映画化。 有名なチャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」(1959年 ウイリアム・ワイラー監督)は、3度目の映画化で本作品のほとんど忠実なリメイク作品。
エルサレムに登場するメッサラ
原題は「Ben-Hur:A Tale of the Christ」。 ローマ時代のエルサレムに住むユダヤ人のベン・ハーが友人でローマ軍人のメッサラの奸計で奴隷にされ、苦辱を味わうが、やがては戦車競走でメッサラを破り、追放されていた母妹との再会を果たすというストーリーに、イエスの誕生から磔までを並行して描くもので、どちらかというとイエスの生涯の描写の方に力点が置かれているんじゃないか?と思わせるほどの作品となっている。 イエスは(かつての日本映画に於ける天皇の描写のように)顔出しはもちろんなく、腕から先しか画面に出てこないが、「誕生」「マグダラのマリアへの許し」「最後の晩餐」「ゴルゴダの丘」などの新約聖書のエピソードはテクニカラーで表現されるという力の入れようだ。
ベンハーに扮するラモン・ナヴァロ(右)
1880年に発表されたという原作をもとにしている。 宗教色が濃い内容で、キリスト教原理主義的な興味を満足させるとともに、ユダヤ人を英雄的に描くというハリウッド的主張を反映した作品となっている。
気になったのは、イエスの誕生を予言して「東方の三賢人」が供物をもって祝った、とわれわれが記憶していることが、本作では「南方の三賢人」としてアフリカからやって来る内容になっていたこと。 また、布教をするイエスを取り巻く信徒が「軍隊」(Rhegion)と表現されていたこと。 史実はどうなのか、日本人とアメリカ人の宗教感の違いから、映画はアメリカ人に迎合した内容としたのか。
キリスト教には1800年代にイギリスで設立された「救世軍(Salvation Army)」という組織がある。 アメリカ人あるいは西洋人にとって、キリスト教と「軍隊」とは親和性があるのだろうか。
ベン・ハーの性格描写も実利的で、上記のRhgion発言のほか、戦車競走に勝ち怨敵メッサラを屠った後「目的を喪失したこれからどうしよう」と悩み「そうだイエスに帰依してRhgionに参加しよう」というが、まるで実利名誉に満足した金持ちが宗教に寄付し布教にいそしもうとするように見える。 そうか、それがアメリカ人の価値観だもんな。
何より目を見張るのはそのスケール。 20年代にはD・W・グリフィスが超大作「イントレランス」を作り、実写では今に至るも空前絶後の大セットと群衆を使って戦闘シーンを再現したが、本作でもエルサレムの城壁のセットの巨大さ、戦車競走の実物大の競技場とフィールドに立つ巨象、実物大と思われる奴隷船などが用意された目を見張る大作である(これらをほとんど実写で再現した、1959年ベン・ハー」もまたすごいが)。
戦車競走の競技場
いずれにせよ正々堂々、何の迷いもない価値観の映画化は、現代の迷いに満ちてヒネくれた映画にはない、王道感と幸福感に満ちたものだった。
迫力ある戦車競走シーン
「戦艦バウンテイ号の叛乱」 1935年 フランク・ロイド監督 MGM
「ベン・ハー」でキリスト教原理主義的満足を観客にもたらしたサルバーグは、本作で権威主義的強権や非人間的な規則などに対して人間性尊重の観点からの批判を試みた。 現実世界の救いのなさをせめて映画館の中でだけでも観客に忘れさせんとするかのように。
史実に基づく映画化だという。 1800年代、西インド諸島の植民地経営のため、奴隷の食料用にパンの木の苗を、タヒチから挑発して運べ、との命令でバウンテイ号がイギリスポーツマスを出港する。 強権的で私利私欲の塊の艦長にイギリス人名優チャールズ・ロートン。 彼に反発し反乱の首謀者となる士官にひげをそったクラーク・ゲーブル。 希望に燃えて乗船するが、艦長にいじめられ抜く青年士官にフランチョット・トーンという若い男優。 嵐などの困難、士官同士の子供じみたいさかい、そして艦長による水夫たちへのサデイステックな仕打ちなどが繰り返されながら、バウンテイ号はアフリカ喜望峰を回り、インド洋を越え、太平洋のタヒチ島に到着する。
チャールズ・ロートンとクラーク・ゲーブル
タヒチでは若者たちが船をこいでバウンテイ号に殺到し、娘たちは船員を歓待する。 タヒチ島民の無垢な歓待ぶりはおそらく史実だったのだろう。 それよりも驚くのは、バウンテイ号乗組員の航海に対する執念だ。 艦長の必要以上の強権ぶりも、行き過ぎとはいえ当時の帆船による長期航海を規律あるものにし、目的を達成するための手段として見ればある意味納得できる。 映画では嵐の夜、自ら舵を握ってずぶぬれになって指揮を執る艦長の姿を描写する。 腕利きで、目的達成のためには強力なリーダーシップを発揮する艦長の姿は、のちの反乱によってボートで追放された後、仲間を叱咤激励して貴重な食料を公平に分配する姿としても描かれる。 たっぷり盛り込まれた海洋シーンはきれいごとだけではない海と公開の厳しさに満ちたものとなっている。
タヒチに着いたバウンテイ号に漕ぎ出す島民
一方、ゲーブルとトーンの両士官ら反乱組は艦長を追放しタヒチの南洋美人をパートナーとして楽園のような暮らしぶりである。 悪鬼のように復讐に再来する執念の艦長を見て、ゲーブルが逃げ出し、トーンは無実を信じ艦長に同行して帰国する。 それぞれの結果や如何。
フランチョット・トーンとタヒチの恋人
カタリナ諸島での長期ロケ。 当時珍しかったであろう南洋風俗をたっぷり盛り込んだドキュメンタルな楽しみにも満ちた作品。 島民には現地語?をしゃべらせ、ゲーブルらを現地娘をくっつかせる(ゲーブルの相手はメキシコ人女優だという)。 当時としては、差別感の少ない視野の広い作品だったのではないか。 人間性の勝利を謳う主題も製作者サルバーグの主張に沿っているものと思われる。 アカデミー作品賞を受賞した本作は、のちにハリウッド映画の1ジャンルとして定着した、南洋ものの走り?の作品で、たっぷりとロケされた南洋情緒に、悪意や差別感がなく品の良い作品となっている。
「桑港」 1936年 W・S・ヴァンダイク監督 MGM
この作品に描かれたものは製作者サルバーグの理想なのかもしれない。 人間性への共感、精神の気高さへの尊重、スペクタクルを越えて貫かれる愛。 それらが明るく、格調高いトーンで謳いあげられている。
舞台はサンフランシスコ。 歴史上の大地震がシスコを襲う1906年の新年が明けた。 西海岸の新興都市で享楽と悪がはびこるこの町の歓楽街でパラダイスという名のレヴュー付きバーのオーナーのブラッキー(クラーク・ゲイブル)のもとに火事で焼け出された歌姫メリー(ジャネット・マクドナルド)が職を乞いにやってきた。 マリーのオペラ仕込みの本格的な歌声に驚くも高給で雇い入れるブラッキー。
パラダイスにてゲーブルとジャネット・マクドナルド(右端)
ブラッキーは地元育ち。 若くして悪の道に入るが根は人間性に満ちた男。 ポーカーに負けた相手に「コーヒー代だ」と100ドル渡したり、店のお祝いには従業員全員シャンペンを奢り掃除係のおばさんも誘う。 ブラッキーには幼馴染で神父になっている親友(スペンサー・トレイシー)がいる。 一方、メリーに一目ぼれしてオペラにスカウトしようとするライバルのバーレーという町の顔役がいて最後まで二人の邪魔をする。
乱暴だが人間性に満ちた男ブラッキーが、純真な歌姫マリーに惹かれる。 マリーは己の打算や幸せ(ブラッキーへの愛)よりも魂の救いを優先する女性だった。 二人の心を見抜き、見守る神父。
マクドナルドとゲーブル
すったもんだの挙句ブラッキーのもとに戻り、黒いストッキング姿のミニスカートで舞台に出ようとするマリーを、パラダイスの楽屋で止める神父。 親友の反抗に殴って応えるブラッキーだが、マリーは楽屋を去る、本来の自分の役割に改めて気づいたかのように。
そうは言いながらも心ではブラッキーを愛しているマリーは、カフェ組合の出し物コンテストに勝手にパラダイス代表で出場し優勝する。 そこへ駆けつけたブラッキーは、マリーが去った腹いせもあり優勝トロフィーを投げ捨てる。 その時突如として起こる大地震。 ブラッキーは「マリー!」と叫ぶ。
ジャネット・マクドナルド
マリー役のジャネット・マクドナルドは、ブロードウエイのミュージカルスターからハリウッド入り。 吹き替えなしのソプラノを劇中の数々の舞台シーンで披露する。 彼女の持つ品の良さと純真さがマリーの役柄にあっている。 淀長さん解説のシネアルバム「ハリウッド黄金期の女優たち」では、『顔がきれいで、歌もソプラノですごくうまかったからね、凄い女優でした。品もあって、みごとでした』(同書P123)とある。
また終盤の大地震のシーンが大掛かり。 大火災シーンや延焼防止のための建物爆破シーンなどは精巧なミニチュアで再現。 大掛かりな地割れのシーンも再現された。 実写で被害を再現するシーンの数々は、スペクタクルとしても、ブラッキーとマリーの「再生」「再開」への序章としても生きている。
悪の道に染まった人間の救い、愛する人を魂の目覚めへ導く純な心。 それぞれをブラッキーとマリーに託して描く。 理想の高さはサルバーグの信条だろう。 理想が高すぎて、甘く、先が読めるところはこの作品の印象をぼやけさせたが。
「大地」 1937年 シドニー・フランクリン監督 MGM
映画の冒頭、アービング・サルバーグに捧げるとの文言が入る。 公開を待たずに37歳で死亡したサルバーグの遺作にして、サルバーグ映画の完成形といえる作品。
サルバーグの理想像が主役の一人、ルイーズ・ライナーの演技によってもたらされた。
1965年の日本再公開時のパンフレット
原作はパール・バック。 中国で育ったアメリカ人女性である。 彼女によるリアルな中国人の描写とともに、当時のアメリカの世論が中国寄り(ルーズベルトが親中、反日だった)だったためもあり、「大地」は、脚本化され舞台でヒットし映画化された。
ルイーゼ・ライナー
主役の中国人夫婦を演じるのは、ポール・ムニとルイーズ・ライナー。 どちらもオーストリア系のユダヤ人で、ムニは幼少期にアメリカに移住し、ライナーは現地で舞台女優として活躍ののちハリウッド入りした。 日本人から見ると西洋人が中国人を演じるのは、顔の造作、ふるまい方を見ても無理がある。 英語を喋って中国人を演じるのだからなおさら。 特にポール・ムニの大げさなジェスチャーと尖った鼻。 無理やり作った辮髪姿が似合わない。
村民を指揮するワンルン
ハリウッド映画である以上、主役は英語でしゃべらなければならないし、本作品はドキュメンタリーではない。 むしろ、ルイーズ・ライナー扮する農婦オーランの表情、体の傾け方、ふるまいに、製作陣による中国にむけての(それ以上にアジア全体に向けての)精一杯の関心と尊重を感じることができる。
ワンルンとオーランに扮した、ライナーとムニ
オーランは実家が飢餓で流浪中に売られ豪農の下女として生活していた。 劇中では奴隷(Slave)と表現されている。 貧農のワンルンといわれるがままに結婚し一家を支えて働き続ける。 口数はごく少なく、いつもうつむき加減、夫への愛情や恥ずかしさは体を傾けて表現する。 すべてを受け入れ、寛容で、感情を主張しない、アジアの女性の生き方であり、ふるまいである。 オーランはまた耐えるだけではなく肝心な時には体を張って主張もする。 彼女によって飢餓にあっても農民の命である土地は残り、都市部へ出稼ぎに出て命をつなぐことができた。
映画の製作陣(サルバーグと監督のフランクリン)は、演技者として力のあるルーズ・ライナーに、メイクを施し、この映画の製作意図を伝えて、西洋人としてはこれ以上ないほどの中国人農婦オーランを作り出した。
オーランに扮するライナーと子供たち
雹が降り出す嵐の中の麦の刈り入れ、辛亥革命間近の都市部での暴動と鎮圧、ラストのイナゴの襲来と闘う人々。 これらのスペクタクルシーンは群衆の数、舞台の広大さなどによって迫力あるシーンになっている。 映画の終盤にスペクタクルシーンを加えてドラマの転換点とするのもサルバーグ流か。
農婦オーランの生涯はまさに大地そのものだ、という本作の主題がルイーズ・ライナーの演技によって見事に現れていた点を称賛したい。