DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 子役万歳!動物万歳!

アメリカ映画には、子役ものが伝統の一つだ。
動物ものも。

有名な子役といいえば、シャーリー・テンプル、マーガレット・オブライエン、デイアナ・ダービンなど。
彼女らは当時の日本でも人気者で、テンプルちゃんなどの愛称で呼ばれた。
マーガレット・オブライエンは日本に招かれ、美空ひばりと共演もした。

動物では何といっても名犬ラッシー。
山小舎おじさんなどはテレビドラマのラッシーを毎週見ていた世代。
番組で流れるミツワ石鹸のCMソングまで覚えている。

世界一の映画会社MGMでも、子役を主人公にした映画は定番のジャンルで、ミッキー・ルーニー、ジュデイ・ガーランド、エリザベス・テーラーなどがスタジオ内にある学校に通いながら映画出演していた。

今回はMGMが製作した子役と動物が主演の作品を3本見た。

「名犬ラッシー・家路」 1943年 フレッド・M・ウイルコックス監督 MGM

大人になっても「猿の惑星」などで活躍した、ロデイ・マクドウールがラッシーの飼い主の少年役。
ラッシーを買いとる侯爵の孫役で11歳のエリザベス・テーラーが出演。
実質的な主役はラッシー。

大戦下のイギリス・ヨークシャー。
厳しい生活を送る家族。
父は犬好きの侯爵にラッシーを売る。
学校の行き帰りを共にし、学校帰りにラッシーと遊ぶのを楽しみにしている少年は悲しむ。

侯爵が住むスコットランドに連れてゆかれたラッシーは、ヨークシャー目指して何百キロの旅にでる・・・。

子供向きのドラマだが、ラッシーの旅の途中のエピソードは、十分に見ごたえのあるエピソードが続く。

嵐に遭って倒れたラッシーを見つけて介抱し、元気になったラッシーを黙って旅出させる老夫婦のエピソードが心温まり、老夫婦の人生の余韻までを残す。

エリザベス・テーラーとラッシー

馬車を仕立て、芸を仕込んだテリアとともに、日本でいうところのタンカ売のような商売をして歩くおじさんとのつかの間の道連れのエピソードもいい。

放浪者であり、ボヘミアン、人生哲学者であるこのおじさんのキャラは、この時代ならではの世間離れしたもの。
行商に集まる当時の人々の描写にも、時代を感じてしみじみする。
おじさんはラッシーとの別れに際し「孤独に耐えられないなら、行商人はできない」と自分に言い聞かせる。

少年ロデイは品行方正で個性に乏しいが一生懸命な演技。
お嬢様役のエリザベスは演技らしい演技はしないが、美人女優の片鱗を示し、大人の顔が子供の体に乗っているよう。

ラッシーは水に濡れたり、足を引きずったりの演技。
子供をさえ酷使する当時の映画スタジオで、動物が「虐待」されるのは当たり前だったのだろう。
同じようなコリーが何頭も用意されて、酷使しつつの撮影だったといわれている。

「緑園の天使」 1944年 クラレンス・ブラウン監督 MGM

クレジットの順番は、ミッキー・ルーニーが単独トップ。

子役時代からMGMで活躍したルーニーは当時24歳。
青年時代になっても「アンデイ・ハーデイ」シリーズなどで人気を継続していた。
この作品では、過去の事故のトラウマから各地を放浪して歩く元競馬ジョッキーの役。

ミッキー・ルーニー主演アンデイ・ハーデイシリーズ第4作「初恋合戦」(1938)。左ジュデイ・ガーランド、右ラナ・ターナー

実質の主役である、エリザベス・テーラーは当時12歳。
イギリスを舞台にしたこの作品にふさわしい英語を話し(エリザベスはイギリス生まれ)、乗馬にも熟達していたエリザベスはこの役を熱望。
主人公役には体が小さすぎる、というハンデを、3か月で身長を7センチ半伸ばし、体重を4キロ半増やして克服したという(自伝より)。

「緑園の天使」。エリザベス・テーラーとミッキー・ルーニー

監督には、グレタ・ガルボ出演作を手堅くまとめるクラレンス・ブラウンを起用。
単なる子供向け映画にはしない、というMGMの姿勢が見て取れる。
テクニカラー作品。

1950年ころ、ハリウッドを訪問した淀長さんとクラレンス・ブラウン

とにかくエリザベス・テーラー扮するベルベットが元気。
年頃の姉(「ガス灯」でデビューしたアンジェラ・ランズベリー。のちのテレビドラマ「ジェシカおばさんの事件簿」)が、ボーイフレンドを見て胸がドキドキするのに対し、ベルベットは馬を見ると胸がドキドキする設定。

セーラー服姿(1920年代のイギリスの少女は通学服として着用)で馬に飛び乗り疾走する。
家では、型どおりに権威的な父親の言うことは聞きつつ、独特の迫力で家庭と家業を切り盛りする母親に深く傾倒している。

母役はアン・リヴィアという女優。
単なる美人女優でも良妻賢母タイプでもない。
20歳の時にドーバー海峡を泳ぎ渡って栄誉と小金を得た過去があるが、いまはイギリスの片田舎の肉屋のおかみさんに収まっている。
いざという時には自分がそうであったように、勇気をもって進む人間(ベルベット)を応援する、という真に勇気あるキャラ。

この母親と、放浪の異分子ミッキー・ルーニーの存在が互いに化学反応を起こし、ベルベットのやる気と努力と希望に点火する。
母親と放浪者は、単なる田舎の子女の人生に飛躍を与えるべく、作りこまれたキャラであった。

男子しか出場できない大障害レースに出るため髪を切って男に扮するベルベット。
ルーニーがエリザベスの髪を切るシーンは監督ブラウンが本当に切るように指示し、出来上がりの映像も本当に切っているように見える。

がエリザベスの自伝によると、監督の指示に抵抗し、断髪後のカツラを作って撮影に臨んだという。
エリザベス・テーラーの「強さ」がうかがえるエピソードだ。

髪を切るシーン

ホームドラマとして大人の鑑賞に堪える作品。
大人たちの中を12歳のエリザベス・テーラーが駆け回り、馬で疾走しまくって存在感を十分に発している。

「仔鹿物語」 1947年 クラレンス・ブラウン監督 MGM

「緑園の天使」では少女を取り巻く大人や青年の人物像を描き分けたクラレンス・ブラウンが、さらに深く、味わい深い描写で少年の周りの世界を描いた作品。
子供向けというには、暗く、現実的で、残酷でさえあるドラマになっている。

登場するキャラは、自然が好きで夢見がちな主人公の少年。
知識人として地域に頼られながら、天然で世間離れしたところもある父親。
子供を2人亡くし、1人を死産し、以来心を閉ざす母親。
足が悪く、木の上の秘密基地で暮らしながら、少年に夢の世界を伝える隣家の友達。

主人公を子役のクロード・ジャーマン・ジュニア、父親をグレゴリー・ペック、母親をジェーン・ワイマンが演じる。

中央ジェーン・ワイマン

舞台は1800年代後半、南北戦争後のフロリダの湖沼地帯。
戦争に敗れた南部の知識人が新天地を求めて開拓に移住した背景が読み取れる。

母は開拓の苦労に疲れ、夢を見る時期はとっくに過ぎている。
父は夢をあきらめず、開拓地での苦労も、たまに町へ行くことも、両方楽しみつつ、妻へのいたわりも忘れない。
生き残ったただ一人の息子の成長が生きがい。

少年は裸足で暮らす。
熊に家畜を襲われ、父とともに熊を追う。
豚を隣人に盗まれる。
大嵐で作物が全滅する。
隣家の友人が死ぬ。
マイルドな描き方で表現されるが、どれもシビアな開拓生活の現実だ。

少年は動物を飼うことを母親から禁じられているが、あるとき父親が撃った母鹿に取り残された仔鹿を持って帰り、飼うことを許される。

この仔鹿が、大事な作物を食べ、防護の柵を立ててもそれを飛び越える。
少年が兄弟のように大切にしていた存在に裏切られる。
鹿が少年を裏切るのではなく、現実が夢を裏切るのだ。
やむなく鹿を撃った傷心の少年に父親が言う「受け入れて前に進むんだ」と。

父の言葉は、少年に現実を教える言葉であろう。
一方でこういう見方もできる。
大人の価値観に合わせそれに従え、と。

それは当時の常識でもあったろうし、第二次大戦に勝ち我が世の春を謳歌するアメリカの支配層が大衆に従わせたい価値観でもあったろう。

もし、仔鹿が異民族や異教徒の暗喩だったらどうなのだろう?
少年の悲しみと納得のいかなさは、いわゆる大人の価値観への疑問とはならないか。

かつて、動物であろうと人間であろうと、自分たちの価値観にそぐわないものに対して不寛容な人間の歴史が長くあった、という自制につながるメッセージが、そこに浮かび上がっては来ないだろうか。

この映画の根底を流れる暗いトーンは、そのような人間の宿痾に対する、必ずしも楽天的とはいえない現状と未来を諦観してのものだったのかもしれない。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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