春の一日。
おじさんは自転車に乗って自宅に近い谷戸の風景をたずねました。
国分寺崖線と調布(深大寺、佐須地域)の谷戸
多摩川の河岸段丘が調布市内に2段残っている。
2段目の段丘は、国分寺崖線と呼ばれる。
国分寺駅前の殿ヶ谷戸公園内の湧き水に端を発する野川が、崖線に沿って走っている。
調布の深大寺、佐須地域には、その国分寺崖線から、野川方面に谷戸の地形が形作られている場所がある。
扇央部分は、都立農業高校の農園となっており、湧き水を利用した実習わさび田が残る。
扇端へ向かう切通しの部分は公園、キャンプ場として自然が残り、扇端に至って田畑が広がっている。住宅が迫る中、23区外とはいえ、東京では貴重な風景だ。
おじさんが結婚した30年前から10年ほど、この深大寺、佐須谷戸地域のすぐわきに住んでいた。
谷戸の風景は、30年前から基本的に変わっていない。
初夏になると当時小さかった子供と、田んぼでギンヤンマを追いかけ、用水路に浸かってザリガニ、ドジョウをすくった。
その昔、中央自動車道が、国分寺崖線を斜めに切り裂いて、谷戸の一部を崩壊させる前は、子供が泳げる池ができるほどの湧き水の水量があったらしい。
谷戸の扇端には都立農業高校の農園。
内部は武蔵野の原生林に近い風景が残る。
実習わさび田。
流れ出る湧き水。
崖線の上にも畑が残る。
農家の敷地に残る欅の巨木。
途中の切通しは、公園、キャンプ場として整備されているが普段は人気に乏しい。
ホタル園ではホタルの幼虫を移植してきて6月にホタル観賞会が開かれる。
切通しを下る道は、「引きずり坂」と呼ばれる。
村の娘を蛇が引きずって行ったという伝説が残る。
扇端は、田んぼと畑がまとまって残っている。
用水路の取り入れ口。
清流を好むホトケドジョウが生息する。
地域住民が耕している田んぼがある
谷戸の先端に近い場所にあるこの田んぼは100坪ほど。
近くの農家の所有だが、ここ20年以上、市内の任意団体が、この田んぼを舞台に米作りをしている。
その団体とは、野川で遊ぶ街づくりの会だ。
会長のo氏は現在65歳。
実はおじさんも20年前から数年間、田んぼづくりに参加していた。
農家に耕運機を借り、苗代づくりの指導を受け、近くの農家から「くろつけ」の仕方をまねした。
田植えは子供らを動員し、稲穂が垂れると案山子を作り、稲刈り後はハザをかけ、農家の納屋から年代物の脱穀機を引っ張り出し、モーターを回して脱穀した。
11月23日の勤労感謝の日には、新嘗祭として餅つきした。
おじさんは数年後、やめてしまったが、会と田んぼづくりはo氏を中心に活動を続けている。
調布市の保全計画
野川で遊ぶ街づくりの会が活動する田んぼを含むこの谷戸地域が調布市による環境保全計画の対象となっている。
扇央の部分は農業高校の農園として、切通しの部分は、ホタル園や円、キャンプ場としてすでに保全されているので、主に扇端に向けて広がる農地が保全の対象となっている。
しかも、所有者が相続などで手放すことになった農地を調布市が購入するということになり、すでに1か所、1反歩ほどを購入済みといいうのだから画期的だ。
おじさんは何年ぶりかでo氏に田んぼでばったり会うまでそういった事情を知らなかった。
ただし、購入済みの農地及び今後購入してゆく農地についての、具体的保全方法については、その方策も、保全する主体も未定とのこと。
野川で遊ぶ街づくりの会のような団体が保全主体として、文化としての田んぼの保全に一役買ってゆけるのか?
それとも、よくある農業公園のように、一見、環境保全されているようで実は魂の入っていない「かつて農地、実は空き地」になってしまうのか?
各地に行政と市民が一体となった景観保全活動があるので参考とし、調布独自の観点も維持したスタイルで景観が保全されることを望みたいものだ。
おじさんとしてはかつてご縁があったよしみで、長野の農的生活と調布の田んぼづくりがささやかにコラボでもできたらなと思うのです。