上田へ行ってきた。
山小屋からみて、一番近い都市は茅野だが、山小屋の住所である小県郡(ちいさがたぐん)は上田地方に属する。
茅野から大門峠を越えると、途端に人気が少なくなり、ローカルな雰囲気になるが、かつては上田は信州の中心地だった。
例えば、江戸時代以降、江戸を出発する五街道が整備される前のこと。
当時の中央、近畿を出発し、東国・陸奥を目指す東山道は上田を通過した。
そのころ各地の中心部に置かれたのが国府や国分寺。
信濃の国府と国分寺は上田に置かれた。
関東は武蔵国といい、国府が現在の府中市に置かれた時代である。
戦国時代には、実戦に強い真田氏の本拠地であったことは有名。
近代にあっても、鉄道が引かれたのは諏訪地方より先。このころは、諏訪の人が東京へ行くのに、一日かけて徒歩で上田に出、汽車に乗ったという。
戦前、県内の遊郭は、長野、松本と上田にだけあったとのこと。
それだけ上田盆地に物資と人が集まり、産業が起きたということだ。
今は、ひっそりとしたローカル都市だが、街の隅々に味があるのは、豊かな時代を経た名残なのだろう。
上田地方の信仰の中心が、生島足島神社。
10世紀の律令時代に編纂された、延喜式に載っているいわゆる式内神社。
成立時期が不明、というほど古い。
本殿の周りを池が囲うという何とも言えぬ雰囲気のある神社で、折々に市民が集う。
おじさんは何度か訪れている。
去年来たときは、神楽殿で小学生の巫女さん3人が舞っていた。
神楽殿のすそでは、巫女デビューする後輩を見守る中学生くらいの女の子たちが舞いを見守っていた。
伝統が継承されているのを感じられたものだった。
山小屋の毎年のお守りは、ここと、諏訪大社でもらうことにしている。
諏訪と上田の二大古社に毎年挨拶しているわけだ。
この日は七五三で、本殿で祈祷を受ける家族連れが並んでいた。
いつ寄っても、堂々として気品のある所なのがいい。
境内の直売所を覗いてみると、柿やリンゴを中心に、付近の農産物が売られていた。
細長型の渋柿が15個も入って250円だったので買った。干し柿を追加する。