伊那旭座で「鹿の國」を見る

たまたま伊那のミニシアター旭座のサイトを見ていたら、「鹿の國」の上映最終日が迫っていたので出かけることにしました。
旭座で見るのは初めてです。

伊那旭座

諏訪湖から太平洋に流れる谷沿いに広がる伊那谷。
下流に向かって右手に中央アルプス、左手に諏訪地方から山梨県にかけての境をなす山々に囲まれています。

伊那市は上伊那と呼ばれる伊那谷北部の中心都市で、人口比の飲み屋の多いことでも知られています。

伊那錦町の飲み屋街

伊那市に唯一現存する映画館の旭座は、明治時代に開館した芝居小屋をルーツに、大正2年に現地に移り、芝居などの出し物の間に映画上映を行ったといいます。
戦後になり映画専門の劇場となりました。
県内最大級のスクリーンを擁し、旭座1は352人、別棟の旭座2は204人の定員で、経営はタバタ映画社です。
全国で9館のみという現存木造映画館のうちの一つにかぞえられ、上映作品は、シネコンで上映されるロードショー作品が主流です。

旭座1の全景

静まり返った伊那の街はずれに、忘れられたようにたたずむ昭和感丸出しの映画館が旭座です。
シネコンでもなければ、ミニシアターでもない(今流の分類ではミニシアターとなるのであろうが)、木造の味のある外観。
「コナン」の新作ポスターがかかっていなければ営業しているかどうかもわかりません。
昭和からタイムスリップしてきたかのような空気感に、劇場そのものが覆われています。

旭座1の近景

「鹿の國」の開映5分前に映画館のドアを開ける。
チケット売り場の窓口は当然開いていない、入場口左手のモギリにも人がいない。
声をかける寸前、右手の事務所?に人の気配がし、70代くらいのおじさんが動いた。
「鹿の國、シニアで」と声をかけると、料金表を指し示しつつ、モギリにやって来る。
忙しいのか、話しかける雰囲気ではない。
この雰囲気、昭和の映画館スタッフが持つ、堅気でもなく、そうかといってヤクザっぽいわけでもなく、せかせかした人を寄せ付けないオーラを思い出させた。
フィルム上映の有無や、作品選択などを聞きたかったが諦める。

旭座1のチケット売り場

観客は一人。
スクリーンの大きさ、きれいさ、場内の設備の良さは経営のプロっぽさ、封切館の雰囲気を思い出させた。
2階席もあるのだった。
開映直前におばさんが入ってきて観客が二人に。
上田映劇、長野相生座、塩尻東座など県内のミニシアター系の木造映画館での経験でも特筆される観客の少なさだ。

旭座1の場内とスクリーン
罰胸の旭座2の全景

「鹿の國」  2025年  弘理子監督  ヴィジュアルフォークロア製作・配給

『ミシャクジ ミシャクジ 目には見えない何者かがここにはいる』。
諏訪の雪景色のなかの鹿の群れの映像にナレーションが被る。
いきなり諏訪の神様の核心に迫る出だしだ。

この映画の狙いは諏訪という場所の民俗学的興味なのか。
だとしたら諏訪大社に祀られる諏訪の神様の正体こそがその核心であろう。
そして諏訪の神様とは、古事記に現れる人格を持った固有名詞ではなく、岩や石に象徴される精霊が宿る自然だったり、神職と呼ばれる人が行う神事だったり、一般人が営々と繰り返す営みだったりを通して現れるものなのだろう。

大祝と呼ばれる神職が諏訪大社にはあった。
選ばれた少年は、冬から春にかけて御室とよばれる半地下の筵小屋に閉じこもる。
翌年の豊作を祈り、生命の誕生を祝う神事だとされている。
映画では、途絶したこの神事を再現する。
公民館で大祝役の少年を呼び、中世の芸能研究者を呼んでレクチャーする。
『神様は芸能を好む』、という研究者の解釈により、村の顔役たちが鹿肉を食らいながら御室で繰り広げたであろう宴を地元の衆の演技で再現する。

上伊那地方のある家族。
屋号がミシャクジだという。
三つに割れた桜のご神木の元で毎年春の神事を行う。
この貴重な記録、参加しているのが年寄りばかりというのは気になった。
若い人がその場にいないというのは、諏訪大社の役職(神長官、大祝)同様、近年で断絶するということなのか。

諏訪大社のお札には、『鹿食免』というお札がある。
江戸時代以前の肉食禁止の時でも、諏訪を中心とする地方では鹿の狩猟と肉食は許されていた名残である。
大社でお札をもらい、鹿を捕り、肉を神事のために大社に納めるハンターがいる。

諏訪に移住し、モンペと着物姿で機械を使わずに田圃を作る人がいる。
それを助ける集落の老婆がいる。
腰は曲がっているが、農作業は体が覚えている。

明治以前の神仏習合の時代、諏訪大社周辺には無数の寺があった。
象に乘った普賢菩薩が大社のご神体ともいわれたという。
この映画では、その時代以来であろう寺の僧侶が大社でお経をあげる場面が記録された。
僧侶は言う「諏訪の神様とは、タケミナカタノミコトでも普賢菩薩でもなく、ミシャクジとよばれる精霊などの集合体なのだろう」と。

「鹿の國」チラシ

この作品のうまさは、諏訪の神様に解釈を、中世の芸能研究者や僧侶などに語らせていること。
解釈が必要なことは専門家に語らせ、その解釈を映像化している。
また、上伊那の屋号がミシャクジと呼ばれる一家の神事など、貴重な事実を記録している。

ミシャクジと並ぶもう一つのキーワード「鹿」については、上社の春の神事「御頭祭」での、鹿の首を神主が押し頂く場面、ハンターが狩猟する場面等々で繰り返し扱っている。
『鹿亡くしてはご神事はすべからず』。
中世の風土記に書かれた言葉であるという。

「鹿の國」チラシ裏面

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です