日曜日に穂高と白馬へ行ってきました、青春18きっぷの旅です。
穂高神社再訪
茅野から松本へ行き、大糸線のホームへ。
連絡するのは穂高行き普通列車。
通路片方にボックスシートが並び、反対側はベンチシートという作りの車両です。
白馬や南小谷まではゆかない、穂高止まりの下り列車なので乗る人もほとんどいません。
松本郊外の宅地の風景を抜け、田んぼばかりの農村風景となった頃、穂高駅に着きました。
車窓からも見えたこんもりした森が穂高神社です。
朝9時の穂高神社は、鳥居へ向かう途中の木漏れ日の鮮やかさが新鮮です。
鳥居をくぐる際の空気感に襟を正します。
2,3年前に来た時同様、境内は掃き清められ、鳥居正面の神楽殿は真新しい姿をとどめています。
拝殿にお参りします。
ふと見渡すと、穂高のお祭りで活躍する、御船が見えました。
桃太郎をテーマにした作りです。
毎年9月に行われる御船まつり。
船をかたどった山車がぶつかり合うというもので、安曇野に船でやってきたという遠い祖先の言い伝えを今に伝えるものといわれています。
船で当地にやってきたという安曇野の祖先の神様にして、北アルプス総鎮守でもある穂高神社を後にします。
穂高神社の鶏がいない
前回、穂高神社に来た時に印象的だったのが境内を走り回っていた放し飼いの鶏。
神様のお使いだとのことでした。
今回、その鶏の姿がないので聞いてみました。
先ず、お守りを売っている巫女さんに聞きました。
今はいなくなりました、野獣に捕られたのでしょうか?とのこと。
売店でコーヒーをテイクアウトした際に店主のおばさんにも聞いてみました。
最近まで2羽いたんですが、いなくなりましたね、とのこと。
皆さん鶏と神社の関係は認識しており、またいなくなったことは知っているようです。
駅に向かい下りの列車を待つ間に、駅前の観光案内所に行って見ました。
お土産の生わさびを買いつつ、係の人に鶏のことも聞いてみました。
あれっいなくなったんですか、知りませんでした。とのこと。
穂高神社から神の使いがいなくなってしまいました。
鶏よ、よかったら戻ってきてください。
大糸線の車窓より
穂高から南小谷行きの列車に乗ります。
座席は8割がた埋っています。
信濃大町を過ぎて北上します。
車窓にはそろそろ北アルプスの姿が見えてもいいのですが、この日天気は良く気温も高いのですが、雲が里山の上あたりにかかっていて、背後に壁のようにそびえるアルプスの姿は見えません。
標高が上がるにつれ、水田の間にそば畑が広がり収穫前の白い花を咲かせています。.
大町と白馬の間の山間に湖が3つ続きます。
木崎湖、中綱湖、青木湖です。
天気の良い休日とて湖面には釣舩やモーターボートが浮かんでいます。
諏訪湖と違い、藻なども発生していません。
遠目からでも、静けさと水質の良さがうかがえるようです。
このあたりの地形、安曇野が湖だったころの名残なのでしょうか。
白馬は外来者天国?
白馬で下車します。。
11時を過ぎていたのでまず腹ごしらえ、とネットで調べたとんかつ屋へ向かいます。
12時過ぎになってロースカツ定食にありつくことができました。
有名店らしく、県外ナンバーの車両が開店時間に詰めかけるのですが、店の玄関は締まっています。
11:30の開店時間も過ぎてから中から店の人が顔を出し、そこにいる人の予約を受け、ついでに開店時間を12:00に書き直しました。
CLOSEDの看板は出したままです。
コロナで、予約客のみの対応という方針もあるのかもしれませんが、開店前の看板からではよくわかりません。11:30にやってきた県外ナンバー車両は、あきらめて開店前にほとんど去ってゆきました。
店内のレイアウトも一人ずつアクリル板で区切られており、テーブルには瓶入りのソースとチューブ入りのからしが乗っています。
注文と同時に会計でした。
1100円のロースカツ定食は、肉が特段厚くもなく、また明らかにお米の質が悪く、ごはんが美味しくありません。
高遠で食べた1000円のソースカツ丼の方がずっとおいしかったでした。
近くには、キャンプサイト用品のショップがあり、庭ではマルシシェが開かれていました。
スタバのテラスで憩う人々は都会からの移住者なのか、避暑客なのか、観光客なのか?
マルシェの出店者も、来客も地元の人ではなく、”外来者”ばかりのようでした。
店内には外国人の姿や、関西弁をしゃべる人の姿も目に付きます。
ここで駅に戻り貸自転車を借りて行動。
まずは白馬村歴史民俗資料館を目指しました。
自転車で15分もかかりましたでしょうか、白馬グリーンスポーツの森という場所の一角に資料館がありました。
係の女性が一人います。
入場無料です。
このあたり、外来者が集まるエリアとは異なる、のんびりした空気が流れています。
資料館はワンフロアだけのスペース。
石器時代からの歴史、林業、農業に関する歴代の道具のほか、塩の道という現在の大糸線にトレースする旧街道のパノラマが目を引きました。
白馬らしく登山やスキーの歴代の道具の展示もありました。
続いてマップを頼りにジャンプ台まで。
長野オリンピックのジャンプ会場です。
ここに至るまでの道すがら、とにかくたくさんのペンションを見ました。
それも3,4階建ての大掛かりな建物をよく見ました。
現在はともかく、スキーや避暑に訪れる客でごった返した時代があったことをうかがわせます。
ジャンプ台の下でしばし休憩。
ジャンプ団体で日本チームが優勝した時の競技の模様を思い出します。
この日はトレイルランの大会が開かれているようで、高低差のある地形の中をランナーたちが駆けてゆきます。空にはパラグライダーが浮かんでいます。
こういった地道な活動、観光は無理がなくていいものです。
白馬村内には温泉もたくさんあるようです。
八方というエリアをとおると、温泉施設があり、足湯は満員でした。
トレイルランのゴールがあり、次々とランナーたちが帰ってきます。
古くから登山とスキーの基地として開発され人があふれていた白馬村。
ペンションブームを経て、国内・海外からの移住者が増え、観光客の人気も続いています。
一方、古くからこの地方の中心地として主に農業・林業で栄えてきた歴史があります。
地元の人にとって、外来者は生活の糧でもありましょうが、両者の接点は金だけで、生活圏から人的交流まで隔絶されているのかな?とも思いました。
先のとんかつ屋の客あしらいにしても、貸自転車屋の全く事務的な対応にしても、明らかに外来者に対する、飽き飽きした感情、人的な交流を拒否する感情、があるような気がしてならないのです。
もともと外部に対して閉鎖的な県民感情のベースが、観光基地として長年外来者に荒らされてきた白馬にあって強化された結果なのかもしれませんが。