中山道下諏訪宿の面影を訪ねに下諏訪町に行ってきました。
下諏訪宿は中山道を京に向かって、和田峠を越えたところ、現在の長野県小県郡から諏訪エリアへ郡をまたいだ場所にあります。
また下諏訪宿は甲州街道の最終地点でもあります。
現在でも国道20号線(甲州街道)は、塩尻峠を越えた地点で、国道19号線と合流し、その役目を終えています。
軽井沢で峠を越し、佐久地方を進んできた中山道が、いよいよ諏訪という信州の一つの中心地に降り立ち、木曽を抜けて中部地方へ向かわんとする起点の場所が下諏訪宿なのです。
また、下諏訪の町は諏訪大社の下社を中心とする町でもあります。
下社は、諏訪市、茅野市にある上社とは、覇権を争い、対立してきた歴史があります。
「国譲り」で高天原系の神様に追われた、出雲神がのがれてきて、地元の土着神(モリヤ神)と戦ったのは上社に於いてのことであり、神長・守矢家と大祝・諏方家が続いてきたのも上社周辺での話です。
つまり、肉食・狩猟系のバリバリの諏訪の神様らしいのは上社のことなのです。
では、下社とはいったい?
宿場街道資料館
旧中山道のメインルートに資料館がありました。
旅籠だった古民家を保存し、その時代の民具を展示したり、下諏訪宿の当時の歴史を展示しています。
思いのほか細かい展示物に感心しました。
当時の文化、風俗の再現が細かくなされています。
皇女和宮の降嫁も幕末当時の中山道にとっては、経済的負担も含めて歴史的なイベントだったようで、資料を駆使して展示されています。
街道点描
本陣、甲州街道との合流地点の碑、などを見てゆきました。
下諏訪は今でも温泉の町。
温泉旅館や立寄り湯などが町内に点在します。
地元出身の女流歌人・今井邦子という人の実家が保存されており、資料館になっています。
青塚古墳
旧中山道の1本裏に諏訪地方唯一といわれる前方後円墳があります。
誰が埋葬されているのかはわかりません。
埴輪などが出土したそうです。
現在は市街地に飲み込まれてひっそりと存在しています。
信州は古墳が多い場所で、中央との結びつきを推測させる前方後円墳も見られます。
大和地方のそれと異なり、まったく歴史の闇に埋もれてしまっている古墳たちです。