藤純子「女渡世人おたの申します」

ラピュタ阿佐ヶ谷の、令和4年から5年にかけての年越し企画、2か月にわたる「血沸き肉躍る任侠映画」特集があった。
藤純子主演の「女渡世人おたの申します」を見てきた。

「女渡世人おたの申します」 1971年 山下耕作監督 東映

「おたの申します」とは「よろしくお頼み申し上げます」をやくざ風の言い回しにしたもので、藤純子は「女渡世人」「緋牡丹博徒」などの主演シリーズ中、仁義を切るシーンで使っている。

「女渡世人」シリーズは「緋牡丹博徒」シリーズをヒットさせた藤純子による新シリーズ。
「おたの申します」はその第二弾。

監督は東映京都撮影所で「将軍」と呼ばれた山下耕作。
脚本は「仁義なき戦い」シリーズでやくざ映画の新境地を切り開いた笠原和夫。

重要なわき役に島田正吾と三益愛子を配しており、東映プログラムピクチャア中では異色にして鉄壁の布陣。
映画は期待にたがわぬ完成度の高いものだった。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに飾られた本作のポスター

「緋牡丹博徒」シリーズなど、藤純子主演の任侠映画のパターンは、仁義を通して渡世稼業(ばくち打ち)に生きる女渡世人の藤が、悪徳やくざの理不尽な所業に耐えかねて殴り込み、日ごろ藤の応援団を自任する親分(若山富三郎)が助っ人に駆け付けるなどして悪漢をやっつける、というもの(だと思う)。

「おたの申します」ではそのパターンを一ひねり。
藤は主なストーリーのむしろ脇に回り、理不尽な所業に苦しむ渡世人(ばくち打ちではなく、正業を営んでいる)を島田正吾が演じて、正統派の芝居をたっぷり見せる。
その妻役の三益愛子による、大時代的ではあるがそれでも抑えた演技も任侠映画に枠を超えて見ごたえがある。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷のロビー風景

「男はつらいよ」シリーズでもパターンが煮詰まっていた時期に、浅丘ルリ子扮する場末の歌姫・リリーを創出し、道東を走る夜汽車の中で寅さんと邂逅させたり、東京の場末の街でリリーが実母に金をせがまれたりする場面によってリリーの「異色な」キャラ付けを行い、シリーズに新境地を開いたことが思い出される。

「緋牡丹博徒」シリーズで藤がバッタバッタと悪漢を斬り伏せるというファンタジィに疲れた東映が、ここは藤のスーパーウーマンぶりを抑えて、しっとりとした人情の世界を描き、シリーズの世界に厚みを持たせよう、としたのが本作ではなかったかと推察する。

ロビーに飾られたポスターより

悪漢の理不尽に耐える正義の人、の役柄は島田正吾がしっかり演じ、盲目の妻・三益愛子は藤を息子の婚約者と思って情けをかける。
不肖の息子はとっくに殺され、藤は婚約者でも何でもない渡世人だと知りながら。

その状況に悩む藤は、威勢のいい女渡世人ではなくて一人の若い女として描写される。
とはいっても堅気の女衆は決して、やくざの藤を受け入れない。

ラストシーン、堪忍袋の緒を切って悪漢に殴り込み、しょっ引かれる藤に、ただ一人三益愛子が思わず「お前は本当の(義理の)娘だと思っている」と声をかける。
思わず「おっかさん」と叫ぶ藤。

「義理と人情」の虚構の話が「真情」に変わった瞬間。
母親の愛を知らずに育った女渡世人が弱弱しい年相応の娘に戻り、母を慕う心情を吐露した瞬間だった。

「日本映画全作品の鑑賞が目標」といい、ラピュタ阿佐ヶ谷の客席でも時々見かける、落語家の快楽亭ブラックが生涯ベストテンで第二位にランクした作品。
いつどこのメデイアに、だったのかは覚えていないが。

特集パンフの作品解説

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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