新々・諏訪の神様が気になるの 下社御射山社

下諏訪への途中

ある日、中山道下諏訪宿へ行こうと和田峠を下り、下諏訪の町へと軽トラを走らせていた。
中山道をトレースして走る国道142号線、現在はトラックがひっきりなしの幹線物流ルートだ。

沿道には峠の茶屋があったという「西餅屋」の地名や、幕末期に攘夷のため上洛せんとする水戸浪士を迎え撃った諏訪の高島藩が、戦没した浪士を弔った「水戸浪士の墓」、などの地名、旧跡が点在している。

また、天下の奇祭といわれる諏訪大社御柱祭で、運ぶ途中の丸太を坂から落とす「木落し坂」と呼ばれる場所もある。
御柱祭は諏訪地方の各所で行われ、それぞれの場所に「木落し坂」はあるのだが、映像などでみられる有名な場所がここ下諏訪町の木落し坂なのだ。

国道142号線を70キロで真っ逆さまに下る途中、国道の左側に木落し坂の方向看板を目の隅に認めた山小舎おじさんは、行きがけの駄賃とそちらの方向へと左折した。

それ以来、木落坂方面の看板を見ることなく、林道へと迷い込んでいった。

御射山林道を行く

山すそを巻くように進む林道だった。
舗装道路はすぐにダート道となり、ところどころ長雨の水たまりができていた。

右側に崖が続くが、木々の間からふもとの集落が見え、標高は高くはない。
諏訪湖の北側の山塊を貫くというか、その中を行き来する林道だ。

堂々たるスギの林、カラマツ林、雑木林などが続く。
林が開けた場所に、ミツバチの巣箱が置いてあったりした。

対向車は軽トラが1台きりだった。
林道の出口に、御射山林道開通記念の碑が建っていた。

林道をさ迷い始めて、木落坂への道を誤ったことに気が付いたがそのまま進んだ。
このまま進んでも、まったく別の地域にたどり着く心配はなかった。

というのも、諏訪湖北岸の山塊の林道を走っているのであり、林道の出口を下ってゆけば下諏訪の町へ下りることになるのがわかっていたからだった。

林道の開けた場所では養蜂が行われていた

下社御射山社

愛想のない林道に突然鳥居が現れた。
思いもよらぬことだった。
軽トラを下りて碑と案内板を見ると御射山社とある。

そういえば諏訪大社全盛の時代、霧ヶ峰、八島湿原のあたりで狩猟を象徴した祭祀を行い、その場所を御射山と言っていたような・・・。

後で調べると、霧ヶ峰の御射山を旧御射山といい、林道沿いのこの場所が現在の御射山だったのだ。
また、上社にも御射山があることも知った。

偶然とはいえここまで来たからには社の全容を見ずには帰れない。

鳥居の横は車両の通行できる広さの道が続いている。
遠慮なく軽トラで上がってゆくことにした。

やがて現れた池にびっくり。
山中の湧水が溜まった池なのだろう、何とも言えぬ雰囲気。
恐ろしくはない。

本殿まで徒歩で行く。
賽銭箱もなく、祠が三つ並んでいる。

とにかくすがすがしい空気。
山のオゾンのせいもあるだろうが、諏訪の神様の祭祀を行う場所が有するすがすがしさのせいでもあろう。

思わぬ参拝に気持ちも晴れる山小舎おじさんだった。
参拝後は間もなく林道出口に到達し、坂を下りて下諏訪の町へとたどり着くことができました。
木落坂訪問はまた後日。

林道わきに突然現れた御射山社の参道入口
鳥居わきに立つ案内板
参道の途中にある池
池と祠の間の境内には巨木が立つ
奥まった場所に祠が三つある
林道開通記念碑が分岐点に建っていた
林道の分岐点には道路標識も

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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