地元パワースポット訪問記VOL.15 日本アルプス総鎮守・穂高神社

気になっていた穂高神社へ行った。

ガイドブックには「信州屈指のパワースポット」と、凛と輝く社屋の写真とともに紹介される穂高神社。
是非いかなきゃ!

穂高神社があるのは安曇野市。
山小舎から行くには諏訪側へ峠を越え、北上しなければならない。
しかも交通量が集中する松本周辺を抜けなければならない。

うーん、混むのは嫌だなあ。
そこで、諏訪側に出て国道20号から19号に入った後、アルプス側に迂回北上し、松本を避ける形で安曇野を目指すことにした。

国道19号線沿いの塩尻から山沿いの山形村へと迂回する。
通称「サラダ街道」と呼ばれている県道25号線を進む。

周辺はバラエテイに富んだ畑作地帯。
いろんな作物が植えられていて観ていて楽しい風景。
リンゴの収穫は終わっていた。

上高地から流れてきた梓川を越える

安曇野市に入ったあたりで、山裾の道から大糸線沿いのメインルート、国道147号線に下りた。

安曇野市の中心部で、大糸線の豊科駅があるエリアは、長野自動車道の安曇野インターにも近く、地元商店街のほか、郊外型チェーン店も並んでおり、交通量も多かった。
北アルプスが雪を湛えた姿を見せている。

安曇野から望む北アルプス
安曇野市豊科地区の商店街

かつては「壁」として日本列島を東西に隔てていた日本アルプス。
その東側は「毛人」の住む場所といわれていた。
朝廷が京都にあった時代の一方的な歴史観だが、なるほど遠望される北アルプスは、近寄りがたくも決然としてそびえる壁のようだ。

安曇野市豊科郷土博物館に寄ってみる。
郷土が現在まで受け継いでいる「御船祭り」に特化したといっていい館内のレイアウト。
手作りの「御船」がぶつかり合う祭りの映像が流れている。
石器時代からの歴史を追うような、一般的な郷土博物館より、郷土の一押しに特化したレイアウトは印象的に映った。

二階では特別展示として、郷土から出征し特攻隊として戦死した青年の資料や、満蒙開拓団、空襲、疎開などに関する聞き書きなどが展示されていた。
きちんと保存されている当時の遺品や、手打ちのワープロによる説明文などを見ると、まじめな県民性がうかがえるようだった。

博物館玄関にあったニホンカモシカの毛皮。寒さに強そうな手触りだった

国道147号線を北上して穂高神社へ。
日曜とはいえ、渋滞ともいえる交通量にビックリ。
大糸線・穂高駅駅前の穂高神社までは程ない距離。

穂高駅前の商店街の背後に隠れるようにして穂高神社はあった。
鳥居をくぐって1時間無料の駐車場へ。
境内に入ってびっくり。

まず、そこら中に鶏が放し飼いになっている。
あとで聞くと「神様のお使い」だからとのこと。

混んでもいなく、閑散ともしていない参拝客。
ガイドブックの写真で目に付くピカピカの社屋は、拝殿の前、境内の中央に立つ神楽殿。

思わず足取りが軽くなり、自然に笑みがこぼれるかのような雰囲気。
来てよかったと思えるありがたさ。
これだけ有名で、参拝者も数知れずの歴史を持ちながら、今も境内に流れるすがすがしい空気。

拝殿
神楽殿
ご神木

帰りに境内にある、御船会館という宝物館に入ってみる。
ここも、安曇野郷土博物館同様に、御船中心の展示だった。
7年ほどごとに行われる遷宮の行事にも、御船に乗った飾り物が欠かせないようで、歴代の写真が展示されていた。

安曇野地方。
真のパワースポット、北アルプスの神々しいパワーを背景に、空気がすがすがしいエリア。
そうすると穂高神社は、「北アルプスのパワーを受取る場所」という意味での「パワースポット」なのだろうか。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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