上田市丸子地区は、諏訪と上田を結ぶ大門街道沿いに開けた町です。
大門街道に沿っては依田川が、和田峠に端を発し千曲川への合流を目指して、流れています。
その大門街道と依田川を見下ろす小高い里山の山頂に丸子城址があります。
山頂の丸子城址からふもとに広がる一帯が丸子公園となっています。
桜が散り始めたころ、畑作業を終えた山小舎おじさんは丸子公園へと寄ってみました。
依田川沿いの丸子公園は桜の名所であり、五月の節句の時期には、数多くのこいのぼりが、川を渡って吊り下げられ、風に泳ぐ場所でもあります。
丸子城は第一次上田合戦で、真田側の武将の居城として、徳川軍を迎え撃った実戦の場でした。
第一次上田合戦は、群馬県の沼田城を討った真田(幸村の父の時代)に、徳川が沼田城の放棄を求め、真田がこれを拒否したため、徳川が真田を懲らしめに出兵しておこりました。
真田本隊が陣取る上田城を攻めた徳川でしたがどうしても落ちず、一方の真田方である丸子城へと進撃先を変更しました。
丸子城は激戦の末、徳川軍の征伐を許さず膠着状態へ。
やがて徳川軍は佐久方面へ撤退していきました。
真田軍の徳川に対する最初の勝利の戦さです。
さて、令和5年の丸子公園。
麓の公園は桜の季節。
家族連れが三々五々、子供を遊ばせています。
山小舎おじさんは山頂の城跡を目指し、山道を登り始めます。
案内板によると、500メートルで二の郭と呼ばれる場所につき、そこから350メートルで山頂の一の郭(天守)につきます。
畑作業でウオームアップしたせいか、さしたる疲労もなく坂道をたどってゆくことができました。
山道はしっかり整備されていて、足元に不安はありません。
不安は自分の脚自体だけです。
日曜なので思ったよりハイカーの姿が多く、数組とすれ違う。
幼児や足の若干不自由そうなご高配の姿もあります。
さすが山の国長野県です。
春先なので風が冷たいです。
二の郭に着くと家族がシートを広げて日向ぼっこしていました。
復元された物見台に上ると、幼い兄弟も自力で登って遊んでいきました。
物見台からはふもとの大門街道はもちろん、遠く浅間山や菅平方面までが望めます。
和田峠方面は目と鼻の先だます
ここから見れば外敵の行動は丸裸だなと思いながら、一の郭を目指します。
終点までは、隣の山の山頂まで行かなくてはなりません。
少し息が切れてきたが一の郭へ着きました。
井戸以外に何の遺跡もなく、歴史の彼方に過ぎ去った丸子城。
変わらぬものはここから眺める遥かな山々の姿だけなのだろう。