ハリウッドと米国の40年代を俯瞰する大冊を読み終えました。
当時を過ごした米国人ならではの、また名字から察するに、ドイツか東欧にルーツを持つおそらくユダヤ系の著者(オットー・フリードリック)ならではの、「距離感」がキープされた、批評精神に満ちた一冊でした。
本書後半のテーマは歴史の潮流に翻弄された、ハリウッドとそこに依拠する芸術家たちの顛末になります。
1940年代後半のアメリカの歴史潮流は、冷戦時代を背景にした、ルーズベルトのニューディール政策など容共的な姿勢からの反動をベースにしたもので、反米活動的なものの摘発が盛んだったようです。
ハリウッドでは後にマッカーシズムとも赤狩りともいわれる、いわゆる「非米活動」の摘発が下院で繰り広げられ、また社会の空気に支配的となり、結果として左翼的(具体的にはアメリカ共産党員か、シンパか)な芸術家(映画製作者、監督、脚本化、俳優など)が摘発、投獄されていったのでした。
当初は、MGM、ワーナーなど大手撮影所の「帝王」たちも、言論の自由を武器の観点から、自社の映画製作の自由を宣言しますが、後には共産主義については反対に回ります。
政治家たち(のちの大統領ニクソンもその一人)の執拗な干渉(左派と思しきハリウッド人に対する下院への召喚と証言の強要)の結果、チャールズ・チャップリンン、ベルナルド・ブレヒトは米国を去り、俳優のジェームス・ガーフィールドは失意の死に至ります。
エドワード・G・ロビンソンも仕事が激減したそうです。
シンパとみなされそうになった、ハンフリー・ボカードは身をひるがえして活動から去ってゆきました。
下院に召喚されたハリウッド人は19人いました。
その中で最も戦闘的でかつ証言を拒否した、10人のハリウッド人(ハリウンドテン)は侮辱罪で投獄されます。
監督のエドワード・ドミトリク、脚本家のドルトン・トランボなどです。
著者のフリードリックは必ずしも彼らハリウッドテンを英雄視せず、同情的でもなく、公聴会で質問をはぐらかすハリウッドテンたちのしたたかさを強調しているのが印象的です。
そうこうしている間に、産業としての映画そのものの凋落傾向が見えてきます。
大手撮影所がヒットを生む企画に往生し、ならばと有力芸術家たちが立ち上げたいわゆる独立プロダクションでも、例えば名作「素晴らしき哉・人生」を製作したフランク・キャプラらのプロダクションが破産しています。
ほかの独立プロは推して知るべしでした。
独禁法違反でブロックブッキングシステム(映画制作会社が末端の映画館までを直営支配する構造)が摘発され,大手映画会社の凋落を後押しします。
40年代終盤にはこうした凋落の打開策として、聖書を題材にした大作が企画され、「サムソンとデリラ」「クオバデイス」などが製作されますが大勢に影響はありませんでした。
こうした時代の潮流の中、本書の著者は、チャップリン、イングリッド・バークマン、ビリー・ワイルダーなどの映画人にスポットを当てています。
チャップリンについては、本人が『いかに見栄っ張りで単純でセンチで様々な知的な罪を犯そうとも、ハリウッドのどの作家にまして時代の核となる問題を把握し、映画で正しく評価することをやってのけた』としています。
言うまでもなく「モダンタイムス」から「独裁者」「殺人狂時代」の製作を評価してのことでしょう。
イタリアの監督ロベルト・ロッセリーニの下へ走ったバークマンの行いがいかにハリウッド人に理解されなかったか(彼らは、バークマンには関心と興味があったものの、彼女が愛したロッセリーニの「戦火のかなた」「無防備都市」には全く興味を示さず、理解の対処外だった)についても淡々と述べています。
名匠の名高いビリー・ワイルダーが「失われた週末」の成功に続いて製作した「サンセット大通り」についてのエピソードにも章を割いています。
著者によるとワイルダーは『人間嫌いで、死を連想させる不気味な感性を持ち、冷酷で粗暴』だそうです。
それくらいの個性でないとハリウッドでのし上がり、生き残っていけないのでしょう。
もちろん有り余る才能は当然として。
ある意味で映画史のエッセンスともいえる1940年代前後のハリウッド通史です。
この本は、日本人の映画評論家には書けないし、書きたくても情報を持っていない題材に満ちたところの「10年間のハリウッドにおける全事象についての論評」です。
生々しいエピソードの数々もさることながら、その背景に切り込んだ筆致により、ハリウッドの否映画という文化の本質と流れに理解が至ります。
目から鱗が落ちる思いで読みました。