DVD名画劇場 ジェームス・ギャグニー ギャングスター!

ジェームス・ギャグニーは1930年代にギャング役で売り出したスター。

DVDで、出世作「民衆の敵」と、自伝のタイトルにもなった「汚れた顔の天使」を見ることができた。
いずれもギャグニー全盛期の作品。
どちらの作品にも、ギャグニーの切れ切れの動きと愛嬌ある表情が炸裂していた。

「民衆の敵」 1931年 ウイリアム・A・ウエルマン監督  ワーナーブラザーズ

1909年のタイトルで始まる。
貧民街の二人組。
すばしこい悪ガキコンビだ。

やがて腕を見込まれ、悪の組織の下請けとして「活躍」しはじめ、暗黒街に名を売る。

ギャグニーには移民の母親とまじめな兄がいる。
兄は非行に走る弟を容赦なく叱る、母親は嘆く。
弟は叱られ、嘆かれるたびに、より反発し悪事に走る。

金を手にし、女をとっかえひっかえ。
豪華な部屋に住み、イカす車を乗り回す。

ギャグニーの演技というかキャラクターが見どころ。
売り出し中のギャングぶりがいい。
気に入らない相手にはビールを吹きかけ、口うるさい情婦にはグレープフルーツを押し付ける。

情婦の顔にグレープフルーツを押し付ける!

小柄な体をきびきび動かし、ウインクしたり睨んだり忙しく変化する表情。
精悍でかつ愛嬌もあり、ギャグニーがスターになるべくしてなったことがよくわかる。

ウエルマン監督の演出は、余計な要素は盛り込まず、貧民街出身の非行少年がギャングスターとなり、必然的に破滅するまでをテンポよく描く。
観客や、自主規制に対するエクスキューズを気にするより、ギャグニー扮するギャングを冷徹に淡々と見つめる。

ギャング映画の見せ場は、銃撃シーン。
この作品の銃撃シーンは暗く救いがない。
ひたすらスピーデイでショッキングで乾いている。
ラストシーン、板に括り付けられたギャグニーの死体が、立ちあがるように送り届けられる衝撃。

30年代のセックスシンボルといわれたジーン・ハーローが出ている。
一種独特の存在感があり、彼女が出ているシーンは映画のトーンが変わって見える。
さすがのギャグニーもハーローの存在感にはかなわなかった。

「汚れた顔の天使」 1938年 マイケル・カーテイス監督  ワーナーブラザーズ

「民衆の敵」でギャングスターとして売り出したギャグニーは、その後、西部劇やコメデイなど多彩な役に挑戦。
ギャング役は1950年を最後に遠ざかることになる。
本作ではギャング役を演じる。

貧民街出身で、相棒とともに非行を重ねる少年時代。
ここまでは「民衆の敵」と同じだが、そのあとがかなり違う。
ギャグニーは非行少年のまま、ギャングとして悪の道を進むが、相棒は改心して何と神父となる。

ギャグニーと神父役のパット・オブライエン

ギャングと神父となった二人だが友情は変わらず。
ギャグニーは神父が非行少年の更生のために行っているバスケットボールを手伝ったりする。
神父は神父で、非行少年更生のもとを発つため、ギャングと権力の結びつきを糾弾しようとマスコミに訴える。

ギャング映画としてのキレもありながら、同時に進行する非行少年更生の話が、映画全体のテンポとテンポとムードを阻害し、中途半端な印象をぬぐえない。
世論と自主規制を大いに意識し手の作りなのだろうが、神父の単純な勧善懲悪に簡単に乗ってしまうマスコミの描写が薄っぺらい。

ただしラストはいい。

死刑を宣告されたギャグニーに神父が最後の頼みをする。
英雄的に死ぬのではなく、命乞いしてみじめに死んでほしいと。
鼻で笑うギャグニーだが、演技か真実か、泣きながらみじめに死んでゆく。

ここが映画のテーマなのだが、そこに至るまでの、神父や非行少年たちの描写がいかにも観客受け(世論受け)を狙ったようでしらけてしまう。
そうなると、ギャング場面のギャグニーのきびきびとした演技も、観客受けを狙ったマイルドなものに見えてしまうは気のせいだろうか。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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