五輪久保でのリンゴ摘みバイトの帰り、境内の紅葉が見事なお寺の前を通ります。
津金寺というお寺です。
当ブログでも紹介したことがあるお寺です。
まずは紅葉が目を引きます。
山門からは佐久盆地と浅間連峰が望めます。
本堂の前には散ったイチョウの葉が黄色い絨毯となっています。
今年は紅葉の時期が遅いような気がします。
すでに11月中旬。
平地でも朝晩の寒さが厳しくなってきます。
貴重な紅葉の時期です。
60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
五輪久保でのリンゴ摘みバイトの帰り、境内の紅葉が見事なお寺の前を通ります。
津金寺というお寺です。
当ブログでも紹介したことがあるお寺です。
まずは紅葉が目を引きます。
山門からは佐久盆地と浅間連峰が望めます。
本堂の前には散ったイチョウの葉が黄色い絨毯となっています。
今年は紅葉の時期が遅いような気がします。
すでに11月中旬。
平地でも朝晩の寒さが厳しくなってきます。
貴重な紅葉の時期です。
11月中旬に近づき、山小舎周辺は急に寒くなりだしました。
初雪がちらついた翌日は、朝、霜が降りていました。
何やら本格的な霜でした。
山小舎のベランダに置いてある、玉ねぎなどの野菜が凍るほどではありません。
戸外の水道栓もまだ落とさなくてもいいでしょう。
ただ日が暮れて来たり、夜間、あるいは朝一番の山小舎内部が寒くてしょうがありません。
薪ストーブ全開で焚くとともに、室内の防寒を考えなます。
まず、1階から2階への吹き抜け部分を塞ぎました。
夏の間の採光のために数年前に開けた吹き抜けは、冬を迎える前にベニヤでふさぐのが、寒い季節の恒例です。
今年は11月中旬に行いました。
本格的な冬になると、例えば野菜を室内で保存していても凍ってしまいます。
長期不在時は、水道を落とすだけでなく、トイレタンクや浴室の水回りに不凍液を入れておくなどの管理もしなければなりません。
室内の防寒では、階段や洗面所への通路をビニールで塞ぐなどの対応も必要となります。
昼間は晴天だと小春日和になる今の季節は、最後の戸外作業の稼ぎ時です。
冬に向けての山小舎管理とともに、薪割り、畑作業を終わらせなければなりません。
初雪が降りました。
10月中は、暖かい日は半袖でも戸外で作業できたくらいの今年の姫木平ですが、さすがに11月の声を聞いて外気がピリッとしてきました。
日が暮れると、ストーブをガンガン焚いても寒さがひたひた押し寄せる日がやってきました。
ある日の朝、屋根にうっすら雪が積もっていました。
積もるほどではなく、薄く張り付いたというか、さらっと積もった雪でした。
陽が射すとなくなる雪だと思って、すぐ外に出て撮影しました。
日陰や室内は凍えるような寒さですが、日差しはまだ明るさを保っています。
暖かい日はまだまだ外で作業ができます。
10月下旬、姫木別荘地の標高地点では紅葉と落葉の真っ盛りとなっています。
この日は畑の帰りに和田峠の麓の男女倉地区にある黒曜の水という湧水を組むために回り道をして帰りました。男女倉までは中山道を通り、底から山小舎までは、鷹山経由で帰りました。
鷹山線の沿道には紅葉の風景が広がっていました。
姫木に入ってからも紅葉は続きます。
姫木別荘地内の道路にはミズナラなどの落葉が降り積もっています。
もうすぐ別荘地内は、カラマツも含めて葉っぱという葉っぱを落とし切り、紅葉も終わって冬を迎えるばかりの風景となります。
令和6年も、10月20日を過ぎました。
8月のお盆を過ぎると、例年秋風が吹き始めていた、標高1500メートル近くの山小舎周辺ですが、今年は10月に入っても生暖かい日が続き、朝起きると寒気のため窓を開ける日が続きました。
とはいっても、10月になると夜には気温が下がり、窓を閉めてストーブで暖を取る時期です。
昨夜は急激に冷えて、少々の暖房では室内も肌寒く、窓を開けるどころか、二階への吹き通しを閉めたくなるほどでした。
そして今朝は霧があたりに立ち込めていました。
まるで「高原の朝」のような光景です。
郷の天気予報は晴れなので、日差しとともに霧は引いてゆきます。
天気が良いと、洗濯物を干せますし、何より外での作業ができます。
つい先日までは、薪割りなどの重作業では半袖になっていた山小舎周辺も、これからは長袖でなくては風の冷たさに耐えられなくなり、やがてヤッケを着なければ外に出られなくなるのです。
いつの間にか、ミズナラが落葉し、モミジなどが紅葉してきました。
今年も蓼科山に登りました。
今年は大河原峠コースに初挑戦です。
来年あたり孫たちと登る時のコースの下見を兼ねました。
秋晴れの平日、8時に軽トラで山小舎を出発し、蓼科山7合目登山口を過ぎて林道を進み、8時45分に大河峠駐車場に到着。
すでに8割方満車です。
案内板で登山道を確認し出発です。
今日の予定は山小舎のある将軍平までです。
山頂まで行くと帰りの体力の自信がなかったこともあります。
ゴロゴロとした石畳の登山道を進みます。
大河原峠コースの登山道はあまり歩きやすくはありません。
結構斜度がある割には、敷石が動いたりします。
健脚の人には関係ないでしょうが、足腰が弱ってきた年代には応えます。
登山道は雨の際には水が流れる場所に設置されているのか、土のままにしておくと道が流失してしまうので、掘れた地形の底に石を配置して作られています。
やがて傾斜が緩やかな尾根道となります。
白く立ち枯れた木々が現れてびっくりします。
道東の野付半島のトドワラのような風景です。
一か所だけではなく何か所も同様な風景が続きます。
やがて「トドワラ」の背後に蓼科山の山頂が見えてきました。
歩き疲れてきたころ下り坂となり、人の声が聞こえてきて将軍平に着きます。
三々五々登山客が休んでいます。
7合目登山口から登ってくる人が圧倒的に多い印象です。
山小舎に入って休みます。
この日の山小舎の管理人は女性でした。
雨水を使ったホットコーヒーを注文。
値段は去年の650円?から700円に上がっていました。
山小舎は11月初旬の連休まで営業とのこと。
小学校の遠足があるか?と管理人にきくと、よくあるとの返事。
最初に登った時に佐久穂の小学校一行と一緒になったことを思い出しました。
一休みしたら下山開始。
これからが大変でした。
下りが急になると足腰がこわばって動かないのです。
これまでは多少膝などがカクカクしても、歩き続けられていたのですが、足が出ないというか筋肉が体を支えられないというか。
これはまずいなあと思いながら滑らないように休みながら、そろりそろりと足を出しながら下りました。
後で姫木管理事務所の登山が趣味の人に聞くと「足が動かなくなるのは水の不足。カロリーも」とのこと。
年齢による衰えばかりではなく、水分と栄養の不足があったようです。
確かにペットボトル半分ほどの給水と、昼食など食事がないままの登山でした。
肝心の大河原峠コースですが、聞いていたよりは急なところもあり、歩きやすくはなかったことと、景色、雰囲気はどこにでもある登山道という印象でした。
神社の境内然とした雰囲気が漂う7合目コースの特色はなく、特に大河原峠コースを選択する意味はないな、と思いました。
来年、孫たちと登るとして、水と食料を適度に摂りつつ、7合目登山口コースを使うことにしたいと思います。
令和6年の夏は、東京では梅雨明け以前に真夏日が続いたりと酷暑の様相を呈しています。
標高1400メートル以上の山小舎でも、7月中旬になって、30度以上の真夏日に襲われています。
今月になって毎週1回以上を草苅バイトに出ている山小舎おじさん。
猛暑日に当たると、日陰はいいのですが、日向での作業は強烈です。
30分から40分に1回の休憩があり、平均年齢70歳のバイト仲間たちは気を使ってもらえるのですが、それでも体力が消耗しダメージを食らいます。
山小舎おじさんはある時、午後になってから、熱がこもって気分が悪くなりそうでした。
つなぎを着ての仕事なので、暑さが逃げないのです。
それでも体力があるうちはいいのですが、午後になると体がギブアップしそうになる時があるのです。
先日も別のバイト仲間が苦しさを訴え、休憩してました。
バイト休みのこの日も真夏日です。
客用の布団や、ダイニングの椅子のソファーを、ぎらぎらの日光に当て乾かします。
バイト用のつなぎ服も干します。
30年以上住んでいる人によると、かつては「シーツが1日で乾かなかった」ほどの姫木も、温暖化の影響なのか真夏日に襲われるようにもなりました。
洗濯ものや、布団干し、これからシーズンの梅の土用干し、薪の乾燥などには都合がよいのですが、山小舎がこれだけ暑いと、平地の畑などの暑さはとんでもないことになっているので行動が制限されます。
山小舎周辺でも直射日光下での作業は気が進みません。
午後2時を過ぎるとひんやりした風が吹き始め、日暮れから翌朝までは涼しいことが救いです。
5月9日に雪が降りました。
朝起きたらまさかの光景が目の前に広がっていました。
今は5月です。
GWには夏のような日差しがあったばかりです。
ここ2,3日は肌寒く、雨がちな天気でしたが、振れ幅が大きすぎます。
さすがにべちゃべちゃのみぞれのような雪です。
おそらく麓の集落では雪ではなくて雨が降っているのでしょう。
雪は標高1500メートル限定のことだと思います。
それにしても・・・。
昼前に陽が射し始めました。
あっという間に雪は溶け去りました。
今年の気候っていったい・・・。
桜を求めて八ヶ岳を半周、小海町まで来ました。
このまま国道141号線を北上して佐久市に入ります。
佐久市は南北に長く、臼田、野沢、中込、岩村田といった町が合併して成り立っています。
141号線を走り臼田地区に入ってゆくと右側の山頂に宇宙ロケットを模した構造物が見えてきます。
JAXAか何かと提携した天文関係の施設?あるいはスピリチュアルの何か?
県内には南牧村の野辺山に国立の天文台があったりするので、関連する施設が佐久にもあるのか?
千曲川ほとりの稲荷神社の駐車場に軽トラを止めます。
鳥居わきには、葉桜となったソメイヨシノが最後の花をつけています。
朱色の鳥居のトンネルをくぐって登ってゆきます。
振り返ると千曲川の流れが、朱色の鳥居の列越しに眼下に広がります。
少々頑張って登った先に稲荷神社の本殿がありました。
まずは臼田のお稲荷様にご挨拶です。
神社の境内は公園の敷地につながっていました。
稲荷山公園です。
散策する人の姿が見えます。
眼前に141号線から見えた巨大なロケットが姿を現しました。
ロケットは公園の頂に立っており、近くで見ると遊園地の施設のように見えます。
JAXA関係の施設ではないようです。
ロケットは展望台になっており、階段で3階まで登れるようです。
混みあうと行きかうのに困難が生じるほどの狭い階段を上ってみます。
行きかう家族連れは2,3組で閑散としています。
3階から展望すると眼下にパノラマが広がります。
公園の芝生で遊ぶ子供たちの姿が見えます。
目を転じると千曲川の流れや佐久盆地の景色が広がっています。
公園には、ロケットから広場への滑り台のほか、広場、階段、ベンチなどが配置され広々としています。
舗道に沿って満開の桜並木がありました。
公園でゆったりと過ごすファミリーやカップル、子供たちの姿を見て山小舎おじさんもまったりしました。
公園を後にし、稲荷神社の方に戻ります。
鳥居を逆戻りするのではなく、別の山道をゆったりと下って駐車場に戻り、軽トラで山小舎へと帰りました。
山小舎開きを終え、山小舎おばさんを諏訪南インターまで送った後、桜につられて軽トラで八ヶ岳周辺をドライブしました。
茅野や原村、富士見の平地では桜の満開が終わっていましたが、八ヶ岳周辺の標高が高い場所ではソメイヨシノなどの桜が満開です。
八ケ岳エコーラインを使い、山梨県に入り、八ヶ岳高原ラインを走り、美し森など清里高原を抜けて軽トラを走らせます。
このルート、富士見高原エリアには桜が見られますが、山梨県の八ヶ岳高原ライン沿線にはほとんど桜がありませんでした。
清里を過ぎ国道141号線に合流、野辺山高原を抜けて走ります。
坂を下って長野県南牧村の海ノ口地区に入るとぽつぽつ桜の木が見えてきました。
かつては湖が広がっていたというこのあたり、その名残は海ノ口、海尻、小海などの地名に残っています。
千曲川がその源流に端を発し、国道141号線やJR小海線と並行して流れています。
国道141号線に沿った南牧村海尻地区に、海尻城跡という人知れぬ城跡があります。
小高い山の上にあり、そのふもとには天台宗の医王院という立派なお寺が、海尻城跡を守るように建っています。
医王院には立派なたたずまいの仁王像と山門があり、思わず立ち止ってしまう程です。
近くの諏訪神社の道路わきに軽トラを止め、医王院の境内に桜を探してみました。
山門をくぐる手前に木で作った鳥居のようなものがあり、「史跡海尻城」と看板があります。
見上げれば15分ほどで登れそうな小山の頂が城跡のようなので登ってみました。
眼下に医王院の大きな本堂を見ながらの山登りです。
戦国時代以前に地方豪族によって建てられ、武田氏から地元勢力へと主を替えたというお城の跡地です。
地方豪族の「館(タテ)」の大きなものだったのでしょうか、それでも三の丸まであったとのことです。
街道筋と千曲川を眼下にした絶好の立地です、かつてはさぞ栄えたのでしょう。
訪れる日も少ない、昔日の海尻城跡と、それを守る医王院の訪問を終え、再び141号線に戻ります。
国道141号線は、佐久市に入る前に小海町を通ります。
小海町は南牧村の北隣にある、千曲川流域で小海線沿線の近隣では大きな町です。
走っていると児童公園の桜が目に留まりました。
色合いが微妙に違う桜が配置されています。
ちょうど散り始めた花びらが桜吹雪というか雪の花が降っているようです。
そのただなかにいると体が震えるような思いでした。
桜の旅前編終了です。
後編では141号線沿線の佐久市臼田地区の稲荷山公園で桜に出会いました。