ガッテン農法 ネジネジ実習会

山小舎おじさんが実践しようとしているガッテン農法。

とりあえず農法通りの畝づくりを実践中だが、ガッテン農法と切っても切れないのが「ネジネジ」。
稲わらをねじり、ススキの茎に巻き付けたりして作る、「ネジネジ」を土壌改良などに役立てようとする試み。
ガッテン農法をまとめた三浦伸章さんが2年ほど前に到達した「境地」だそう。

11月に茅野で行われたガッテン農法の講習会でも、ネジネジに関しては、三浦さんによるデモンストレーションと、参加者による簡単な実習があった。

「ネジネジ」を乗せると重いバケツの軽くなり、土中に埋めると土壌が団粒化し、雑草も抜きやすくなる、という触れ込み・・・。

体験すると、気のせいかもしれないが、石が詰まったバケツも軽くなるような感じだし、今後の畑作業を考えると、神頼みであっても、野菜の品質、収穫量の向上と、作業の省力化は推進したいのが、山小舎おじさんとしての本音。

そういうわけで、12月初旬に行われたネジネジ実習会にも参加。
この度の講師は三浦さんではなくて、富士見町在住の農園主のNさん。
自身の農園主宰7年目で、ガッテン農法、ネジネジの実践者だ。

開催時間ギリギリに慌てて会場の茅野市の民家へ行くと、講師のNさんと民家の主が楽しそうに稲わらを梳いており、良い意味で拍子抜け。
蓼科山に見守られるあたりのゆったりとした雰囲気そのままの、リラックスした実習会となった。

会場の民家の縁側にはかりんが干されていました

稲わらをねじって丸める簡易スタイルのネジネジ作りから、ススキにねじった稲わらを巻き、畑に埋めるための本式のネジネジ作りまでを実習。
他の参加者は、一人を除き全員女性。
こういった感性の鋭さ、柔軟さは女性の方が・・・と思わざるを得ない。

講師のNさんによるネジネジ実習会
Nさんのデモンストレーションを見守る参加者

1回の実習でネジネジ作りが身に着いたとはとても思えないし、ましてはその原理など想像もつかないが、結果に貢献してくれればそれで充分。
費用がほとんどかからないのもいい。
来年の畑に期待し、ネジネジを試してみようとする山小舎おじさんでした。

会場を貸していただいた家主の玄関先には本が

令和2年 山小舎暮らし前半を終えて

今年前半の山小舎暮らし総括です。

毎年、4月から11月までの山小舎暮らし。
8か月間の前半4か月が過ぎました。
4月から7月までの暮らしを総括してみます。

4月から7月までの期間。
畑のカレンダー的には、畑起しから、種まき、苗の植付け、夏野菜の収穫開始を行う時期。
いうならば、畑作業のハイライトに相当するときで、作業的にもハードな頃です。

また、この時期は、別荘地の作業アルバイトが始まる季節です。
作業内容は4月から5月いっぱいくらいが落ち葉集めや、側溝掃除。
6月からは草刈りが主な作業となります。

山小舎おじさんが、今年、畑作業と別荘地作業バイトに費やした日数を数えてみました。

4月から7月の間で畑に行った日数が43日でした。
バイトに行った日数が31日。

今年は4月15日に山小舎に来ましたから、その間107日。
自宅に帰った日数が5日あり、実質の山小舎滞在日数が102日だから、滞在日数の42%を畑作業に費やし、30%をバイトに費やしていた計算になります。

バイトの日は畑には行けませんからこの数字は重複してはいません。
残りの日数28日(約30%)は、県内を旅したり、買い物や気晴らしに出たり、来訪した家族らと過ごしたり、雨で活動できなかった日となります。

バイトした日はカレンダイーに赤丸をつけている
畑に行った日は青いマーカーで表示
「休養」の文字が出てきた。外出先の表示も
日々の記録はパソコンでも管理
長雨の7月。雨でバイトが全日稼働できない日が多い。

実感としては畑とバイトで働きずくめの春から夏でした。
畑は側溝の整備から、耕耘、畝立て、二度のジャガイモ植え、草刈り・・・と1反歩以上の広い面積と格闘しました。

本来は畑づくりは、毎日畑に顔を出し、気が付いた作業をちょこちょこやるものなのでしょうが、何せ軽トラで片道30分の場所にあるロケーション。
イメージは通い仕事です。

畑にバイトに・・・1週間のうち6日は長靴を履いている

バイト仕事はフルタイムなので、歳とともに段々きつくなってきたのが偽らざるところです。
今年は高原でも暑かった日が多く、一日終わると作業着が汗でぐっしょり、体はバリバリに固まる・・・という日が続きました。

暑さで頭痛がする、という経験もしました。
歳のせいなのでしょうか。

作業服はバイトの時の「制服」

一時期は、週に3日の畑、3日のバイトのスケジュールでしたが、正直よくやったと思います。

休みの日や雨の日などに、茅野や上田などの町に人の顔を見に行ったり、外食したり、気になる観光スポットに出かけたりもしましたが、今年の上半期の印象は、暑い中での畑作業とバイトの日々です。

バイトの時にはめる手袋。玉切、薪割の時にも使用

山小舎暮らしの目的の一つに、古民家由来の貴重な山小舎の、保全とブラッシュアップがあるのですが、今期はほとんどできませんでした。

精いっぱいの畑とバイトの日々に余力がなかったのが実際でした。
ベランダ、玄関先など、リフォームが必要な部分から日々の掃除、整頓まで手付かずに近い状態でした。

また、家内をはじめ家族の意向に、山小舎を来客用にブラッシュアップするということがあるのですが、日々に追われて生活しているおじさんにはいまいちそれが理解できず、やってきた家内にがっかりされたりもしました。

今後は2階を来客用に整備する方向で、家族らとベクトルを合わせたところです。

二階の様子。本棚には児童書を買いそろえつつあるところ・・・

8月位以降はバイトを休んでいます。
お盆休みと家族の来訪で気が抜けたのか、怠け癖が付いたのか。
酷使を免れた体はほっとしていますが。

収穫の時期に合わせてせっせとジャムを煮たり、たまりにたまった材木を薪に割って干したり、室内を掃除したりしています。
気晴らしに信州の素晴らしい自然の中を軽トラで走り回るのも楽しみの一つです。

既に9月。
令和2年の山小舎暮らし後半は、畑や地域からの恵みを活用しつつ、家族の意向を取り入れた山小舎の保全、管理を意識してゆこうと思います。
畑は来季に向け、食害防止の観点からの保全と土壌改良に注力して行こうと思います。

またも新潮新書「日本農業への正しい絶望法」を読む

ブックオフで買ってあった本。
雨で山小屋に閉じこもっているときに読んだ。
テレビかスマホ、パソコンを見る機会が多い昨今、紙の文字は新鮮だった。
読書の輝きの再発見!

今どきの農業ブームへのアンチテーゼ

著者は1962年生まれの農学博士。
本の帯には「有機栽培だからおいしい」「農業は成長産業だ」「日本人の舌は厳しい」全部ウソです。の刺激的なキャッチコピーが並ぶ。
はて、最近流行の「日本スゴイ・農業版」のウソを暴く本か?
それも現代風なジャーナリステイックな文体で?

実は、正統派農業関係者である著者が、日本農業衰退を現場の豊富な実例によって分析した本だった。

著者の強みは、農業行政はもちろん、現場の農家と接点を持ち、また最近流行の有機農業、自然農業、「外向き発信型農業」などにも詳しいことだ。

*「外向き発信型農業」とは生産物そのものより消費者などへの発信を重視する農業スタイルのこと。

著者が薦める「技能集約型農業」

著者が日本農業の本当の特徴にして生き残る道として示すのが、技能集約型農業という概念だ。

篤農家、名人として営々と日本の畑に受け継がれてきた農業技能。
有機農業、無農薬などと標榜するわけではないが、本当の意味で品質のいい作物を作る人。

例えばほかに人が作った稲の葉っぱを見て触って、その田んぼの状況、農家の対応を言い当てることができる名人のことと、そういった人が作る作物のおいしさ。

これは、日本の農村が営々と築いてきた集落の秩序があってのことだと著者は分析する。
技能集約型農業により、環境や健康が保たれ、農村に雇用を生むと説く。

著者が憂う、農業をめぐる現状

現在は、集落の秩序そのものが衰退し、有意の農家が技能集約型農業を目指そうとも、周りの農家と行政、JAが目先の利益に走るため困難とのこと。

いまの流行は、有機農業、自然農業といったキャッチフレーズのみの「外向き農業」か、手順を単純化した「マニュアル農業」であり、農業者として最重要な生産物の品質向上より、マスコミ受け消費者受けが最優先のものになっていると著者は分析する。

また、農家も農地転用による目先の利益を優先し、意欲のある新規参入者に休耕地を貸すより、いつでも農地転用、売却のことを考えているのが現状と分析。
「農家は被害者でいい人」の常識を打破する。

また無秩序な農地転用などを抑制してきたJAが弱体化によりその機能を果たせなくなっていることを指摘。

消費者もマスコミ情報をうのみにし、自らの舌で農産物を選別していないこと、また舌そのものが退化し、作物を選別できない、とする。

おじさんが本書を読んで考えること

おじさんが20代のころ、短期だが農家に住み込んで働いたことがあった。
千葉の専業農家で3町歩の畑を持ち、スイカを主力作物としていた。
農薬を使わない農家で、有機農産物の産直グループに卸していたが、作業は20代のおじさんにもきつかった。

朝6時起床。
顔を洗って地下足袋をはいてから、作業終了後の日没まで地下足袋は履きっぱなし。
昼食1時間、夏には納屋で昼寝ができたが、午前と午後のお茶の時間以外はひたすら野良で作業が続いた。

スイカだけで1町歩ほども作っていたから、初夏には天気のいい朝に、スイカの苗を覆うトンネルのすそを引き上げ、夕方に戻す作業を中腰で行うだけで腰が曲がるほどだった。

本書で「最近の日本人に農作業を行う体力はない」と論じていたが、この作業を今の若い人はなかなかやらないだろう。

おじさんらの世代は「農家は大変だ。自分は農家はできない」と漠然と思っていたものだが、偽らざる実感だ。

日々の農作業に耐える体力、集落の縛りと秩序の中での生活はサラリーマン家庭で育ったものが馴染むものではない。
農家の生れついたものか、選ばれた人間がよくするものだ。

かつてはそれが一般常識だったように思う。

いまの農業ブームは、本来の技能(と体力)集約型農業が衰退する隙間に咲いた仇花で、マニュアル農業を前提としマスコミが持ち上げ、消費者が勘違いして持ち上げているものなのかもしれない。

 

新潮新書「キレイゴトぬきの農業論」を読む

山小屋には雨の日もあります。
おじさんはいつか読もうと積んであった本の一つを紐解いてみました。

新潮新書の「キレイゴトぬきの農業論」という本です。
2013年9月の発刊。
著者は久松達央という人で、1970年の生まれです。

おじさんこの本を古本で100円で買いました。
買った場所は、茅野のブックオフだったでしょうか。

一気に読みました。
日頃おじさんが思っていたことを言語化してくれた本でした。
また、おじさんのような、旧世代の情緒的田舎暮らし派に足りないところをズバリ指摘してくれる本でもありました。

1.著者はどんな人?

著者は、慶応大学を出た後、一般企業に就職し、5年後に脱サラして茨城県土浦市で就農。
現在は3ヘクタールの農地を6人のスタッフで切り回し、消費者に直接販売する方法で活動中の自称「日本一話のうまい農家」。

2.著者の農業の対するアプローチとは?

(以下抜粋)
野菜のおいしさの三要素を、旬、品種、鮮度と規定し多品目の野菜を、露地栽培し、直送することで、商品たる野菜を差別化している。

畑から玄関までが有機農業。
いかにいい形で消費者に届けるかをコントロールできてこその有機農業。

農業界はマーケット志向より、仲間内での評価を優先しているが、いいものかどうかはお客さんが決めるのだ。

農業技術は食べる人との関係の中で初めて意味を持つ。

自分の農園の売りは、ほかの農家、特に大手が手を付けない面倒な部分を引き受けているからです。

自分の農園は発信力とネットワーク力を持っている。

提示の仕方によって同じものでも価値を変えられる。

(感想)
農業志向の旧世代のこだわりが「無農薬」、「有機」であったとしたら、現世代の著者のこだわりは「路地栽培」(旬)、「鮮度」(顧客志向)に変化(進化?)しているのか!おじさん感激!

「自分の農園の売りは、ほかの農家、特に大手が手を付けない面倒な部分を引き受けているからです。」

この言葉は新しい視点。
というか、農業を生きた産業、やりがいのある産業にしたい人にとって大きなヒントとなる金言。
漠然とした思いを具体的な言葉にしてくれた著者に感謝。

今はやりの、というか何十年も前から実業界(会社世界)で言われてきた、社会化、見える化、顧客志向の考え方を農業に取り入れたわけだけど、その通りだと思う。

3.著者による農業についての提言

農業は自由な仕事。ゴールにどうアプローチするかに制限がない。

賛成。

定年おじさんと仕事

おじさんにとって仕事とは

定年退職後のおじさんは、退職金のほかには年金ぐらいしか収入がないのが通例だ。
株だの不動産収入だのという不労所得には縁がない。
隠居生活を送るにはまだ体力、気力が残っている。
定年退職しておきながら、おじさんにとって無職という状況は脊髄反射的に落ち着かない。
会社生活を終えて心底清々し、二度と会社には足を踏み入れたくない、と思っていてもだ。
かみさんや子供が働いている家庭で毎日過ごすのであれば、なおさらである。

これは、たとえ単身で田舎に暮らしていても同じだ。
アルバイトなどで報酬を得た時の達成感、充実感は、年金をもらった時の安心感とはまた違う。

改めて実感する。男は働いてナンボやと。
だったら、無理せず男のサガに逆らわず、定年退職後の時間を過ごそうではないか。60歳代よ。

おじさんの就業の現実

とはいえ、定年後のおじさんの仕事には何があるか。
ハローワークにでも行ってみるといい。
年齢不問の求人は数多くあるがそれは建前で、実際に特技のない60歳以上が採用される職種といえば、交通整理が関の山。

だから多くは可能な限り会社に残ろうとする。
今は65歳まで会社にいられる。
サラリーが3分の1になり、年下の社員に相手にされなくなるのを我慢すれば、通勤定期がもらえ、退社時間まで時間がつぶせる場所が用意されるのだ。
ほかにやることがなく、家庭に居場所がない多くの60歳代には願ってもないことなのである。

我がおじさんが住む、長野県の別荘地でも働き場所はある。別荘の管理会社が採用する作業バイトである。
別荘住人など60歳代以上が10人近く就業している。
主に別荘住人を採用対象としているので労務管理はゆるく、極端に言えば行きたいときに行けば働ける。
ただし丸1日もの落葉かきや雑草刈りの仕事は、慣れない60歳代にはきつく、例え週3回程の勤務でも続かなかったものだ。

働きたいが仕事がない。
かといって会社にはもう残りたくない。
いざ仕事があってももう無理はできない。
というのが定年おじさんの実情なのだ。
わがままかなあ?

おじさんの「仕事」は「生産」を目指す

定年おじさんは仕事に対してわがままだろうか?
家計を担う主力からは引退した。
男一匹程度は当面自活できる。
家族と喧嘩別れしたわけではない。それどころか、家族や知り合いに喜んでもらうのが生きがいである。

働けはするが体力的に無理はできない。いやなことまでしたくはない。
何らかの手段で報酬を得て達成感を味わいたい。

畑を借りている。
山小屋の周りは1500メートルの高地なのでトレーニングには向くが、野菜の栽培には向かない。
周りが傾斜地なのでそもそも耕地には適さない。

縁があって高度600メートルほどの地に耕地を借りることができた。
最初は1か所50坪ほどの畑だったが、同じ大家さんからもう1か所同程度広さのを使って欲しいとのことだった。耕運機も草刈機も使っていいとのこと。
ことしから2か所の畑を耕すこととなった。

素人にいきなり100坪規模の耕作は厳しいが、山小屋暮らしの「仕事」のひとつ。畑は長らくやってみたかったことのひとつである。

去年は収穫の全部は、自宅消費のほかは大家さん、別荘地の近所へのおすそ分けだった。
インゲンがとってもとってもできた。大根は短かった。白菜は途中で病気が出た。玉ねぎはピンポン玉程度の大きさだった。

今年は、トマトを昨年の倍の作付けとし、ジャガイモ,サツマイモ、とうもろこしなどに初挑戦。
ジャガイモはそれでも山小屋や自宅、おすそ分けでは処理できないほどの収穫となった。
ハックルベリーや食用ホオズキといった珍しい苗も植えてみた。

作物を別荘地内で7月中旬より開催される朝市に出品した。
毎日出品するほどの収量はなく、一日おきに出店した。

ハックルベリーのジャムの作り方を説明して買ってもらった奥さんが、うまくできたからと、また買いに来たことがあった。
食用ホオズキを食べたことがないというおばあさんが、試食をして買っていったことがあった。

「仕事」の成果である作物を介した会話のうれしさ。
作物が売れ、価値へと変換する瞬間の幸せ。
ここまで育った作物の健気さへの感謝。

生産という仕事が報酬に「昇華」した瞬間!

定年おじさんの生きがいが一つ見つかった。

 

 

 

初めまして定年おじさんです

自己紹介

1956年北海道生まれ。大学卒業まで実家暮らし。1年浪人、2年留年ののち25歳で卒業。                                      就職試験に全部落ち、やむなく1年間の海外放浪。                 帰国後は、東京に出てバイト暮らし。農産物の産直を営む会社に入社。結婚。2児を設ける。                                      産直会社を退職。病気で入院したこともあり、いわゆる普通の会社に33歳で途中入社。3人目が生まれ、60歳の定年までサラリーマン生活。その間に3年半の単身赴任あり。2016年に定年。1年間の嘱託社員を経て2017年に退職。

現在の生活

妻の知り合いが、長野県に別荘を持っており、何度か妻に同伴で訪れていた。     別荘地内に付近の古民家を移築した建物で、柱や梁はしっかりしているが、空き家期間が長く、古色蒼然とした状態だった。ご縁があってその建物を譲り受けた。                                    退職後、単身にて居住。冬季間は東京の自宅に戻るものの、4月から11月くらいまで田舎暮らしを続けて2年目。                             自宅には妻と末の息子がそれぞれ仕事を持って居住中。長野には、娘一家も含め、時々遊びに来る。また、家族の行事に合わせ月1回程度はこちらも自宅に帰る。

現在の心境

東京でのサラリーマン暮らしを30年近く。出世とは縁がなかったものの、一人前に中年太りの身にはなった。もともと田舎暮らしにあこがれてはいたが、結婚後は現実的な生活に追われていた。                                   50歳代後半から、休日は家族に相手にされなくなってきて、もっぱら自転車で半日、近くの商店街などをさまようのを楽しみとした。同じ境遇と思われる中高年のサイクリストや散歩者を見かけた。                               山小屋(当該建物を家族はこう呼ぶ)暮らしのチャンスを得て、今時としては少々早めにリタイア。元気なうちに念願の田舎暮らしをと決断した。              わが身のとっても人生のテーマである、「定年後のおじさんとの居場所や生きがい」について、ささやかな実践の一例として発信したいと思う。