軽トラ流れ旅 12月の松本で味噌、醤油

12月に入っての流れ旅は遠方の山間部は避けて、比較的近場の都市部を目指します。
なぜなら峠道の路面凍結が怖いからです。

姫木の山小舎前はこの通り

松本に出かけました。
少し前のローカルチャンネルで、松本市内の醤油・味噌などの醸造店、ワサビ店、乾物店を回って、老舗の食材を訪ねる番組をやっており、店の名前などをメモしておいたことがありました。
松本へ行くことがあったら、寄ってみようと思っていました。
味噌や醤油は自宅へのお土産にすると喜ばれます。
信州の醸造食品は美味しいのです。

松本への経路は、丸子へ下り三才山トンネルで峠を越えるルートをチョイス。
心配した路面状況は、乾いており心配なし。
冬のように寒い松本市内につきました。

インバウンド越しに見る国宝松本城天守
冬に備えて雪つりされた松

松本城の駐車場も空いています。
底冷えのするお堀端を、まばらなインバウンド客の様子を眺めながら歩きます。
お城から北アルプスの雪景色が見えないのが残念です。

お城から駅方面へ延びる通りで萬年屋へ、まずは味噌を探します。
萬年屋は創業天保3年の味噌屋です。
お城前の大名町店は味噌に限らない品ぞろえをしているようです。

店に入ってみると思った以上の品ぞろえ。
味噌のほかに醤油、漬物、菓子、乾物までそろえており、観光客向けのアンテナショップのようです。

萬年屋大名通店
店内に展示された味噌

次に向かった小口ワサビ店は角を曲がったところにありました。
表通りを曲がると、インバウンドのギラギラ?が消し去られた落ち着いた世界。
店のおばさんにも浮かれた雰囲気はなく、トークもスムーズ。
安曇野わさびを2本買い、保存方法も教えてもらいました。
冷凍保存はダメでそのまま冷蔵がいいとのことでした。

小口ワサビ店
店内の安曇野生わさび

市内の大久保醸造所の醤油が欲しかったので、観光案内所に行ってみました。
若めのお姉さんが二人いて、てきぱきと情報をくれました。
教えてもらった中町通りへ行きました。
セレクトショップのようなところに大久保醤油がありました。

大久保醤油が欲しいというとショップのお姉さんのスイッチが入ったのか、「どこで知った?」から「どういうタイプがいい?」などなど矢継ぎ早のトークが繰り広げられます。
最後には2種類の醤油の特徴と利用方法をメモに書いてくれました。
ついでにランチのおすすめを聞くと、蕎麦なら四柱神社隣のこばやし、洋食なら翁堂かもりよし、と答えてくれました。

大久保醸造所の醤油
ショップのお姉さんが書いてくれたメモ

観光案内所から中町通りへ行く途中に四柱神社にお参りしました。
中心部にある広めの神社の境内には、インバウンド客がチラホラしています。
10円を納めて本殿を下っていると、研修旅行なのか県内からの中学生の男女グループがお参りに上がってくるところでした。
その中の女子が「お賽銭ある?10円はダメだよ、遠縁というから」と友人に声をかけていました。
先におじさんにも教えてよ!あつおじいさんか。

四柱神社
参拝する中学生ら

ランチは中町通近くの翁堂で。
順番を待つ間に、近くの開運堂へ行ってどら焼きなど。
開運堂のどら焼きは県内では洗練された味がします。

翁堂は老舗の洋食屋。
旅行客はもちろん、地元の客で盛況です。
ボルガライスは、揚げたてのカツがサクッとしており、ソースも手抜きのない味です。
1550円は上がったなあ。

翁堂のショーウインド
ボルガライス
開運堂のどら焼き

松本の町の雰囲気は、空襲の経験もなく、細い道が残っていたり、街角に歴史の残滓が染みついています。
良い点でもあり、よそ者にとっては違和感を感じる点でもあります。
良くも悪くもプライドを感じる町です。
信州人の内に秘めた頑固さが県内では一番表層に近い人たちが住んでいるところです。
信州では一番、現代の日本標準にアップデイトした街でもあります。

閉店したパルコの建物

軽トラ流れ旅 羽黒下の仲好食堂

佐久穂町に行ってきました。
東信地方の小海町と佐久市の間の町です。

小海町は高原野菜の野辺山がある南牧村から北上したところの町。
佐久市は新幹線駅のある佐久平から岩村田、中込、臼田、野沢といった地域を含んだ東信地方の大都市。
その間にあるのが佐久穂町です。

群馬県境から八ヶ岳山麓の八千穂高原までが佐久穂町の区域です。
小海線が走っており、八千穂、羽黒下などの駅があります。

山小舎おばさんからのリクエストで、冷凍ブルーベリーが欲しいとのこと。
また、調布の彩ステーションのレギュラーメンバーに羽黒下出身のおばあさんがいて、小生と顔を合わすたびに『野菜が美味しい。楽しみにしている。私も長野出身です、羽黒下です。』と聞いていたのです。

羽黒下と聞いてもわからず、小海線の中込の近くだと聞いて場所がだいたいわかりました。
そして佐久穂町の直売所で地元産のブルーベリーやハスカップの冷凍品を何度か買ったことを思い出しました。
羽黒下とブルーベリーを求めて佐久穂町に出かけました。

山小舎から上田方面に下り、国道18号線を群馬方面へ。
途中で国道141号線(佐久甲州街道)へ折れ、南下して佐久穂町につきました。
直売所へ直行しますが冷凍庫にブルーベリーの姿はありません。
代わりに巨峰とシャインマスカットの粒が冷凍されています。
レジで聞くとブルーベリーは売切れて入荷がないとのことです。

佐久穂町の直売所で冷凍の葡萄をゲット

さっさとブルーベリーは諦めて羽黒下駅を目指します。
141号線から千曲川を渡るとひなびた商店街がありました。
小海線沿いの駅駅の商店街は、中込といい野沢といい岩村田といい、人気と活気がないのがお約束ですが(小海線沿いに限りませんが)、さらにいっそう寂れて、忘れ去られたような商店街でした。

羽黒下駅前の商店街

先ずは駅をチェック。
折から小淵沢方面から列車が到着し、高校生が10人ほど下車してきました。
有人駅ですが駅員さんの姿が見られません(たまたまだと思います)。
高校生たちは迎えの車に乗り込んだり、徒歩や自転車で散ってゆきます。

JR小海線の羽黒下駅
広い駅前広場

改めて駅から商店街に沿って歩いてみます。
郵便局、貯木場、酒屋があります。
閉まった旅館があります。
地元名産のヒスイ蕎麦を食べさせる、新しめの店がありましたが定休日でした。

駅前の酒屋
駅前の貯木場
廃業した旅館
駅近くにある常夜灯?

閉店してから10年以上たっていそうな商店の列の一角に、暖簾を下げた食堂がありました。
仲好食堂です。
恐る恐る玄関を引いてみると、3組の客がテーブル3脚を占めています。
それなりに活気があります、安心してテーブルに座ります。

仲好食堂外観

その店は70代後半から80代とおぼしき女性がワンオペでやっている食堂でした。
動きはとても遅いのですが、のぞけば見渡せるキッチンでは元気よく中華鍋が振られています。
仕事途中と思しき客層を見ても食堂としての機能は維持されているようです。

食堂内部。メニューが見える

向かいのテーブルにカツ丼が運ばれてきました。
東京風の卵でとじた出来立てのカツ丼は勢いがあって美味そうです。
別のテーブルのおじさんたちは五目のラーメンをすすり込んでいます。
小生がキッチンをのぞいた時に、おばさんが中華鍋を振って作っていたメニューでしょうか。

ようやく手が空いて水が運ばれてきたタイミングでカツ丼を注文。
新聞を取りにゆくと、コップ酒を飲んでいたおじさんが「それ昨日のだ」といって自分が読んでいた今日の信濃毎日をよこしました。

食堂内部。コップ酒のおじさん

瞬く間にカツ丼を完食です。
味噌汁と併せて一般的な食堂に望む最高レベルの味です。
作りなれた感と、活気ある食堂の勢いがありました。
いつの間にか2組が食べ終わって退場しています。
勘定に立ち上がると、コップ酒のおじさんが「早いね」と言ったので「お腹が空いてたもんですから」と答えました。

カツ丼を爆食

今日の新聞をおじさんの指示によりテーブルに置いたまま退場します。
動きは遅いのですが「いらっしゃい」と「ありがとうございました」の声がまだまだ張りのあるワンオペおばさんでした。
当然のように第二波の入店はなく、表の人通りは更にない羽黒下の仲好食堂です。

続く商店街。空いている店舗はほとんどない

折角佐久に来たので、佐久市野沢地区にあるピンコロ地蔵に久しぶりにお参りして帰りました。

ピンコロ地蔵
参道は閉まっていた
商店街のたい焼き

短大生のガイド付き電車で別所温泉・北向観音御開帳へ

別所線の短大生ボランテイアガイド

始めて上田電鉄に乗りました。

上田電鉄は上田駅から別所温泉へつながる約30分の私鉄です。
その昔は、上田城のお濠に駅から、真田町などを経由して市内を循環、郊外へは丸子町や別所温泉への路線を走っていたそうです。
今残るのは別所線の一路線のみ。
沿線には長野大学、上田女子短期大学などがあり塩田平を通って別所温泉までを結んでいます。

ある日の信濃毎日新聞に、上田女子短大生による、別所線のボランテイア車掌の乗務が再開されるとの記事が載っていました。

10月、11月の休日の何本かのダイヤで実施されるとのことです。
ある10月の土曜日、10:23上田駅発のボランテイア車掌乗務便に乗ってみました。

新幹線の停車駅でもある上田駅
上田電鉄別所線乗り場

早めに上田駅について、別所線の乗り口へ行き、一日フリー乗車券を買って出発を待ちます。
10:23発の列車2両は早めに入線しています。
はかま姿の女子短大生二人が乗り込みます。
慌てて後に続きます。
車内は8割ほどの乗車率です。

一日フリー乗車券
車両

列車がスタートし、女子短大生のアナウンスが始まります。
車内にはボランテイア目当てのお客さんはほとんど見当たりません。
はかま姿の女子短大生と記念撮影する人は、山小舎おじさんを含めて2人しかいません。
多くの乗客は別所温泉北向観音の御開帳を目指しているのでした。

車内
沿線マップ

ボランテイアさんの案内は、停車駅ごとに歴史、名物などを予定の原稿を読み上げて、もう一人が手書きの駅名と名産の写真を順番に提示するもので、乗客とのやり取りや、その他の出し物はなく、非常に素人っぽいものでした。
彼女らが本物の素人女子短大生なのですからしょうがないのですが。

千曲川鉄橋を渡る。2019年の台風ではこの鉄橋1脚が崩落した
塩田平の風景

写真撮影の際はひとこと断わってから行い、SNSへのアップはしないようにとの事前アナウンスがありました。
3枚ほど彼女らの写真を撮ったのですが、前言により掲載できません。
残念。

短大生手製のちらし

県内には、長野市から湯田中温泉を結ぶ長野電鉄、松本から上高地方面に延びる松本電鉄の私鉄があります(第三セクターは除く)。
いつか乗車したいと思っています。

北向観音御開帳と別所温泉

別所温泉駅構内
趣のある別所温泉駅外観

ということで別所温泉駅に到着。
歩いて温泉街を目指します。
数年前に軽トラで訪れた別所温泉、そのころから変わっていません。
御開帳があるという北向観音を目指します。
自家用車の車列が駐車場を目指して伸びています。

北向観音門前横丁
横丁から北向観音への階段を望む

北向観音前の門前横丁を通り、階段を上ると境内です。
人で埋まっています。
有料で御開帳される本尊を拝もうとする人たちです。
1時間待ちだそうです。

北向観音境内にて
無料参拝の列に並ぶ
有料で御開帳の列に並ぶ人々

無料の列に並んでさっさとお参りします。
本堂?に上がると両側に山伏スタイルの修行者が数人並んでいました。
ご本尊は拝めませんでしたが、お参りが済んでから回向柱にタッチします。
善光寺の御開帳の時と同じく、略式の御開帳参拝スタイルです。

御本尊のありがたみをつなぐ回向柱
境内にある愛染カツラ
右往左往する群集を見守るお地蔵様

御参りをすまし門前横丁を流します。
御開帳記念の温泉まんじゅうを1パック買ってみます。

折角別所温泉に来たのだから、温泉に浸かります。
一番近くの大師湯という銭湯式の立寄り湯に入ります、300円。
歴史さえ感じる、いいお湯でしたが浴室と浴槽が狭く、5人も入ればいっぱいなほどの狭さでした。

大師の湯

温泉を出てから、門前横丁に戻ってジェラードを食べます。
既にアイスには向かない季節となっていますが、温泉上がりには欠かせません。
小布施の栗という種類のジェラードを頂きました。

ジェラード

昼どきですがぴったりくる食堂が見当たりません。
上田まで帰って駅蕎麦でも食べようかと別所温泉駅まで来ました。
次の電車がほぼ1時間先なので、次の駅まで歩こうか?と道にでたら直売所らしき建物がありました。
中にはお惣菜やらおにぎりやらが並んでいます。
それらを買って駅で食べることにしました。

この日の昼食

上田電鉄別所線の旅でした。

軽トラ流れ旅2025  最近話題の小諸の町へ行ってみる

小諸が何かと話題です。
「小諸人なからマップ」というタウンマップが、2024年7月に「小諸人なからマップ製作委員会」より発刊されてローカルニュースにもなりました。
若い女性らしい感性と情報量に溢れたタウンマップです。
駅前の観光案内所で200円で買い求めました。

軽井沢で中山道と別れ、越後を目指す北国街道の宿場であった小諸。
懐古園として市民に慕われる小諸城址。
島崎藤村と「千曲川スケッチ」。
JR小海線の終着駅として旧信越線(現しなの鉄道)と連絡する交通の要衝。
近年ではリンゴ園のほか、ワイナリーなどでも有名です。

地方都市のご多分に漏れず、駅前や北国街道沿いの商店街がシャッター通りとなった後、近年では、空き店舗などに若者や移住者などの店が開店したり、ウイスキー蒸留所やワイナリーが設置されたりしているようです。

まず、小諸市街から高峰高原の方向へ登った場所にある、小諸蒸留所へ行ってみました。
地元産のウイスキーを生産しているという噂の近代的なラボです。

ホテルのロビーとバーのようなホール兼バーでは、バーテンダー相手に昼間からウイスキーをあおる若めのお客さんがいます。
ガラス越しに蒸留所のラボが見えます。

ウイスキーのラボ

お土産でもと物色しますが売っているものは見当たりません。
受付で聞くと「ウイスキーの生産が2年目です。3年で出来上がりますので発売は来年末になります」とのこと。
残念でした。

建物外からバーのある内部をのぞく

次いで駅へ向かいます。
なからマップを入手し、昼食を摂ってから、北国街道沿いの古い街並みを歩きましょう。

小諸駅から駅前通りを見る
駅近くの飲み屋街

駅構内はローカル色溢れるムード。
地場野菜の無人販売と、待合室には駅の歴史をたどる展示物。
列車の運行本数の少なさは昨今のローカル鉄道の実情を物語っていますが、立ち去りがたい小諸駅構内です。

小諸駅構内。手前に無人販売コーナー
待合室の片隅の展示コーナー

ランチは駅前通りの雑居ビル二階にある洋食屋・キャンデイライトで。
1階の入り口に出ているサンプルが目に留まりました。

「なからマップ」でのキャンデイライト紹介部分

上がってみると高齢の夫婦が切り盛りするローカル色あふれる店内。
ソースかつ、コロッケ、エビフライが乗ったお重のランチが750円。
甘いソースが特色です。
喫茶で談話する婦人も利用する街の喫茶兼食堂。
残ってほしい店です。

北国街道沿いに歩いてみます。
脇本陣の古民家が残っているあたり。
建物は宿と喫茶に利用されています。
この日は座敷で何かの集まりも催されていました。

北国街道沿いの武家屋敷
脇本陣跡

古い建物が残る北国街道を歩き、藤村プロムナードという何ともない通りを通って軽トラの駐車場所へ戻りました。

街道沿いの古い酒屋
改造沿いの街並み

次回は小諸蕎麦の名店、中心街の甘味処「みつばち」、ワイナリー、などを訪問したいと思います。

(地元情報)

小諸在住の姫木管理事務所職員からの話です。

北国街道沿いに建つ長野銀行職員がコロナに感染したときのことだそうです。
コロナ発生期の長野県内では、毎日のニュースに新規感染者を発表していました。
「本日の発症者は、上田市の40代男性会社員1名。これまでの県内発生者は累計30名」などと。

そのころ長野銀行小諸支店の女性行員が感染したそうです。
田舎なので、ニュースなどを情報源にすぐ本人が特定されたのでしょう、アングラ的に。
それで銀行のガラスに投石されたそうです。
管理事務所職員は、投石後の割れたガラスにビニールをかけた建物に入ったことがあったそうです。

コロナという、地球規模の壮大な金儲けの茶番劇が生んだ悲劇です。
何年間も毎日毎日テレビで「宣伝」したおかげで、日本国におけるコロナの存在は、絶対で、アンタッチャブルなものとなりました。
高齢者を中心に何度でもワクチンと称する治験薬をわが身に打ち、また打つことを強要され、県外ナンバーの車で帰省したり外出することが家族から止められ、また白眼視されました。
つい最近のことです。
その時代の社会的、経済的、健康的被害は全く清算されるどころか、増幅、再生産されて今日に至っています。

長野銀行への投石は、「おらが町に疫病を持ち込んだ恥知らずな非国民」への非難だったのでしょうが、多かれ少なかれそういった風潮は田舎に限らず都会でもあったのではないでしょうか。

江戸時代の身分制度、戦前の挙国一致と同じように、21世紀のコロナによる統制においても、体制に反するものへの庶民レベルの制裁は生きていたのです。

軽トラ流れ旅2025 鬼無里街道をゆく(後編)

鬼無里の中心部にやってきました。
人気はありませんが、長野市の支所の建物やカフェなどがあります。

右手に古そうなお寺がありました。
鬼女紅葉の墓所があるという松厳寺です。
広々とした駐車場に唯一軽トラを止め境内を巡ってみます。

松厳寺山門

歌舞伎などの演目にもなったという鬼女紅葉の伝説は、956年に都からこの地に流された紅葉という美人が、都恋しさに生まれた息子ともども軍勢を立ち上げ、鬼となって戦ったが征伐されたというものです。
その紅葉の居所跡と墓所が鬼無里にあるのです。

本堂
本堂内部

松巌寺の立派な本堂を拝みます。
自動ドアで本堂の扉が開くようになっています。
遠慮なく中に入り、お参りさせてもらいます。
広くて立派な本堂には往時の鬼無里の興隆が偲ばれます。
山門の近く、数体のお地蔵さんに守られるように紅葉の墓所がありました。

紅葉の墓所を守るお地蔵様
紅葉の墓所

軽トラを進め、旅の駅鬼無里に入ります。
直売所と食堂が併設された道の駅のような施設です。
直売所に入ると、イチョウ、クワ、カキ、クマササなどの乾燥させた葉が一袋200円で売っていました。
他の直売所の半値で、種類も豊富です。
一袋400円で備長炭も売られています。
買い!です。

鬼無里旅の駅
購入した乾燥葉
購入した備長炭

少し早めですが食堂で昼飯です。
名物の蕎麦を頂きます。
ピーマンの天ぷらが食べ放題です。
蕎麦は二八蕎麦。
有名蕎麦店に比べると、蕎麦そのものの打ち方、ダシの手作り感が今一ですが、鬼無里で食べることの意義あり!です。

二八蕎麦
食べ放題のピーマン

旅の駅の向いに、ふるさと資料館があります。
県外ナンバーの車で賑わう旅の駅と比べ、来館者が誰もいませんでした。

松代藩時代から麻の栽培で栄え、年貢は麻を売った現金で収めたという鬼無里。
物資の流通でも栄え、近代では善光寺平より早く映画館などができたという。
戦後、GHQにより麻の栽培が禁止されてからは、たばこ、養蚕などを振興したという。
また、和算の天才学者などが生まれ育った地域だという。
それらの歴史、文化が展示された広い資料館を存分に堪能。
色々歴史を解説してくれた学芸員のおばさんも頼もしかった。

麻の束
祭の山車

おやきで有名だといういろは堂に寄ってみる。
県外からの客でいっぱいのお店でおやきを買って帰る。
具がたっぷりでおいしかった。

おやきのいろは堂
購入したおやき

鬼無里街道を進み、鬼女紅葉の居住地だったという、内裏屋敷跡へ行ってみる。
草蒸した高台にその場所はあった。
この地域には東京、西京、二条、三条などの地名が残る。
都からの流れ人が住んだ歴史が確かにあるのだろう。

内裏屋敷跡
内裏屋敷跡に立つ供養塔

内裏屋敷の後は、鬼無里の湯で立寄り湯。
鉱泉の沸かし湯だというが質感のあるお湯が楽しめました。

鬼無里の湯

ずいぶん遠くまで来ました。
暑い中、帰るのも大変でしたが、充実した流れ旅でした。

夏の鬼無里街道

軽トラ流れ旅2025 鬼無里街道をゆく(前編)

7月の三連休の中日、猛暑を突いて北信・鬼無里(きなさ)街道へと軽トラを走らせました。

朝8時に出発、朝の涼しさが残っている大門街道を下ります。
塩田平を下って、千曲川沿いに出ます。
坂城町のあたりのコンビニでコーヒーの一服。
コンビニには坂城の夏祭りのポスターが貼ってありました。

「坂城どんどん」のポスター

いつもの上山田温泉街を抜けるとき、両側のお祭りの屋台に出くわしました。
信州では相当規模の大きな屋台の列です。広場には上山田温泉祭の神輿も準備されていました。

上山田温泉には屋台が並ぶ

さらに千曲川左岸を北上し、千曲市の稲荷山地区に来ました。
古い蔵造りの街並みが残っている地区です。
ふと見るとお囃子の声がします。
軽トラを止めて見物することにしました。

稲荷山の祇園祭でしょうか。
獅子舞が出て、山車が出るようです。
山車の最上部には芸者さんのようなきれいどころが二人座り、1階部分にはお稚児さんのような姿も。
山車を引くのは法被を着た男集です。獅子舞の後ろには子供獅子舞もいます。

稲荷山祇園祭?
山車が出発
獅子舞も

お祭りの参加者は大勢いるのですが、見物人はほとんどいません。
炎天下を避けるためか、地区の人々はほとんど参加しいて、見物する人数がそもそも残っていないのか。

20年ほど前、青森の下北半島にある陸奥大湊のねぶたを見たことがありました。
リアカーに乗ったねぶたが練り歩き、家々の前では椅子などを出して見物していますが、見物人よりねぶたの参加者の方が多かったのを思い出しました。

日陰で見物する人

千曲市を過ぎると長野市です。
ルートは長野市の西から市街地へ入ってゆきます。
その前に、篠ノ井の共和選果場へ寄ります。
あらゆる季節の野菜果物が売っている直売所があります。
が、この日は定休日でした、残念。

定休日の共和選果場

長野市街地へ入ります。
信州の都です、雰囲気が県内のほかの町とは違います。
県庁通りを北上して信州大学にぶつかります。
いつもは右折して善行寺方面へ行くのですが今回は左折。
鬼無里、白馬方面へと初めての道へ入ります。

長野市県庁通り

鬼無里街道は、大町街道とほぼ並行して小谷・白馬と長野を結ぶ街道です。
その昔は、糸魚川から小谷を経由した物資を善行寺・松代へと運ぶ街道筋として栄えたそうです。
街道の中ほどにある鬼無里地区では畳糸などの原料としての麻の栽培で栄えたそうです。

鬼無里街道へ入る

長野市街地から鬼無里街道へ入ったとたん、交通量は減り、トンネルと隧道の連続で、深い谷を流れる川を見ながら急坂が続きました。
時々現れる集落は急坂に家々がへばりつくようです。

ダムと集落
ダム湖をのぞく

狭いトンネルをアルピコ交通の大型路線バスが走っています。
走り続けると鬼無里の中心部につきました。(後編につづく)

北アルプスが見えた
鬼無里街道沿いの田圃

軽トラ流れ旅2025 「中央構造線」上を行く 大鹿村に山塩を求めて

農村歌舞伎と山塩で有名な大鹿村に行ってきました。

大鹿村は、伊那谷と南アルプスの間を走る国道152号線・秋葉街道沿いにある村です。
山間にある大鹿村に通じているのは、南北に走る秋葉街道と、伊那谷の松川町から山を越える道が2本あるだけです。

山小舎から大鹿村を目指すには、いつもの杖突街道で高遠へ出て、秋葉街道を南下します。
秋葉街道の途中には長谷村、分杭峠があります。
九州から東西に列島を横断し、諏訪湖へと続く中央構造線上にある分杭峠は、「ゼロ磁場」としてスピリチュアルな名所となっています。

軽トラ流れ旅では、まず恒例の杖突峠を越えて、高遠に行きました。
そこの直売所をのぞき、タマリーという液肥を買い求めます。
この液肥は野菜の根の張りに効果的なのです。
まお。この日はお米の入荷はないとのことでした。

高遠から国道152号線・秋葉街道を南下します。
まもなく道の駅・南アルプスむら長谷が見えてきます。
なおも進むと右手に巨大な美和湖というダム湖が見え隠れします。
交通量は少なくなります。
左手には広々とした河川敷が広がり、採石場などが建っています。
このあたりでは砕石採砂が許されているのか、または河川工事の最中なのか。

交通量のほとんどない山道を登ってゆくと、伊那谷の駒ケ根への分岐点の中沢峠を越え、いよいよ分杭峠です。

分杭峠が近づくにつれ関連商法の店が出てくる
磁場ゼロを売り物にしたショップ

ゼロ磁場ということで全国から「気」による癒しを求めるファンを集める分杭峠。
駐車場がないので、長谷村からのシャトルバスがシーズン中は運行しているとのこと。
狭い秋葉街道沿いの分杭峠を越えるとそこは大鹿村の領域です。

分杭峠
大鹿村へ入る

中央構造線沿いのこのあたりには、地層の断絶が露呈した「露頭」があちこちにあります。
分杭峠近くにも北川露頭という場所がありました。

北川露頭

案内板

北川露頭を見て街道を下ってゆきます。
何となく集落になってきたなと思うと大鹿村の中心部です。
まずは山塩を求めて、「塩の里」によってみます。
道の駅のように、直売所と食堂が併設している施設です。

露頭近くの神社
神社近くの廃屋

人気のない塩の里でしたが、山塩は売っていました。
山塩とは岩塩でも、昔海だった場所で採れる塩でもなく、中央構造線の岩盤の間に流れ込む海水が温泉と混じって噴出したものを煮詰めて作ったものだそうです。

塩の里
これが山塩だ

直売所ではそのほかに蕎麦の乾麺と味噌を買いました。
近くの山塩館という温泉は立寄り湯はしていないとのことで、食事をすべく道の駅・歌舞伎の里大鹿を目指しますが、その前に春の歌舞伎が行われる神社と、中央構造線博物館を見ることにしました。

映画「大鹿村騒動記」の舞台にになった食堂
春の大鹿歌舞伎が行われる神社境内

大鹿村の郷土博物館・ろくべん館と中央構造線博物館は隣接しています。
ろくべん館は入場無料。
ここの展示を見て知ったのですが、大鹿村は昭和36年に村の中央部を流れる川の氾濫と、大西山の山崩れで多数の死者を出す大災害に見舞われていたのです。
ろくべん館から程近くの一部が露呈した山は大西山だったのです。

その当時のニュース映像などを見るにつけ、山間の災害の大変さが痛感されます。
大西山の山崩れは、中央構造線に構造的原因があり、そこに大雨で地盤が緩んだためとのことでした。
今に続く、河川工事のダンプの列や川沿いの砂利、砂の山々は60年前の自然災害の復旧ですが、根本的には中央構造線上の村の宿命のように見えました。

ろくべん館の展示内容より
大鹿歌舞伎の展示
かつての基幹産業、林業の展示..
中央構造線博物館、石・石・石の展示内容
博物館から望む大西山の山崩れ跡

道の駅で昼食です。
どれもボリューミーで魅力的なメニューですが、蕎麦とカツ煮のセットにしました。
田舎の食堂のお約束はご飯の盛がいいことと、腹いっぱいのボリューム感です。
お腹も気持ちも満足です。

道の駅
道の駅の食堂メニュー
カツ煮定食そばセット。1100円

直売所を一回りして、山塩ジェラードブルーベリー乗せをデザートに食べて大鹿村を後にしました。

軽トラ流れ旅2025 アンズを仕入れに松代へ

6月はアンズのシーズンです。
信州の夏の収穫が始まる季節です。
アンズを求めて、量り売りが行われる松代の選果場へ向かいました。

上田の真田地区を抜け、地蔵峠を越えると松代です。
今は長野市に吸収合併された松代町は、戦争時代の大本営掘削から戦後の群発地震で勇名をはせました。
古くは真田家が治めた場所として名をとどめています。

関ケ原の合戦を前に、真田幸村と親父が西軍につき、兄の信之が東軍についたのですが、信濃の弱小大名としてはやむを得ぬ戦略的対処だったのが、その後流された幸村が大坂の陣で名を上げたが討ち死に、断絶。
対して徳川方についたおかげで信之の家系は今も続いており、松代の名家となっているのです。

松代中心部のマップ

松代城、真田家の家宝を展示した博物館、武家屋敷、大本営跡、天皇御座所跡、松代温泉など見どころの多い松代ですが、6月のアンズ、秋の長芋など名物の産地でもあります。

カンカン照りのある日、10時ころに選果場につくと、アンズの量り売りコーナーはすでに人だかりがしていました。折角来たのだからと遠慮なくビニール袋をもって人だかりに割り込みます。
そこには先客が選んだ残りしかありませんでしたが、それでもチョイスしていると、新しいB品がどんどん運ばれてきます。
そこに群がる人々・・・、と言いたいところですが手を伸ばすのは我他には一人程がいるばかり。
さすが信州人の遠慮深さ。
秩序ある方々は人を押しのけて奪い合うなどというはしたないことはしないのです。
おかげで、山小舎おじさんは満足するまでアンズをチョイスし、満杯までビニール袋を詰めることができました。
4キロでした。

JA松代選果場
加工用アンズの量り売り
ついでに特産の長芋も

目的を果たしたので、あとは昼食まで町の探索です。
久しぶりに、NPO松代まち歩きセンターに寄ってみることにします。
ここにいるミタさんというおじさんから、松代温泉やまちの食堂、旧飲み屋街の場所、アンズの仕入れ場所、皆神山のことまで、それこそ松代の楽しみ方の情報をもらったことがあったのです。
いるかどうかのぞいてみます。

ミタさんはいました。
パソコンに向かって作業していましたが、気にせずしゃべりかけると椅子を立って相手をしてくれます。
いつもながら雑談を交わしていると、『NPO仲間で今日オープンするカフェがあるからぜひ寄ってくれ』ということで、ランチは駅前の「おむすびカフェ」で、となりました。
センターでのお土産は松代高校が開発したレトルトカレーです。

こういったところに並んでいいるお土産物も、知っている人からストーリーを聞くことで、購買のきっかけとなるのです。
ミタさんのトークがなければ買っていませんから。
日頃から、結論が出ない問題でもある、『地域の町おこし』を考え、日々実行しているミタさんは貴重な存在として松代になくてはならない人です。

センターで松代高校特製カレーを

カフェに行く前に、松代に来れば寄る地元のスーパー現金屋に行きます。
小粒なネクタリンなどを買いました。
何せ安いのです。

町内のスーパー現金屋

現金屋で加工用のネクタリンを

その向かいには、つたやという菓子店があります。
和菓子から洋菓子、パンまでそろう地元の人気店です。
ミタさんの話だと、店が繁盛し若い職人たちがたくさんおり、商品を開発しているとのこと。
その話を聞いて、商品ケースを眺めると、なるほど美味しそうで元気のあるケーキがたくさん並んでいるではないですか。
今回はおやきとお供えのどら焼きを買いましたが、次回は洋菓子もいいと思いました。

町内の菓子どころ・つたや
つたやでのチョイスはおやきとどら焼き。きのこのおやきが素晴らしかった

地図を見つつ、松代駅を目指します。
長電・松代駅はすでに廃線となり駅舎だけが残っています。
線路跡は広大な未舗装の無料駐車場になっています。
駅前にはかすかに街の名残が匂い、ラーメン屋の看板などが残っています。

長野電鉄松代駅は駅舎だけが残る
駅舎の内部
駅前の風景
駅前に残るラーメン屋の建物

カフェに入り、『ミタさんの紹介で来ました』というと『NPOはあの人のおかげでもっている』と反応がありました。ソーキそばはダシが美味しく、具材のラフテーの味付けも絶品でした。
見かけより満腹となりました。
『松代駅の駅舎は維持費もかかるので今年中に解体される』との話でした。

本日のランチ
お結びカフェが入っている建物

長電松代駅前の風景を見ることができた松代の旅でした。
アンズは帰ってから早速加工しました。

選果場で買ったアンズを洗って加工

軽トラ流れ旅2025 伊那の街を愛する

伊那市にあるレトロな映画館に「鹿の國」を見に行きながら、いつもの伊那の町を味わってきました。

伊那市駅前の風景

この日は夏至前の6月中旬とは思えないカンカン照り。
冷房の効かない軽トラのコックピットもボイラーのようです。
何十回とたどった杖突峠を越えて伊那に向かいます。

杖突街道を下り、高遠の町に至ります。
町はずれにある直売所によってみます。
季節ごとに、知っている直売所に顔を出し、地場の産品を眺めるのが好きなのです。

高遠の直売所は小規模ですが、近所の農家の野菜が魅力です。
秋にはマツタケなども並びます。
この日目がいったのは、『撒くだけで根の張りが違う』と手書きのPOPで人を誘う?液肥でした。
試しに買ってみるか?と1本手に取ります。

タマリーという液肥のPOP、さっそくわが畑に散布

店内を一巡すると、今時では珍しくお米の5キロ袋が目に入りました。
店番のおばさんに聞くと『高遠は長谷村の方からの水と、藤沢の方からの水が合流するの。美味しいので有名なお米ができる。毎日30キロ精米して持ってくる。』とのこと。
業者がいて、地元の米を集め、都度精米して直売所におろしているのです。
ゼロ磁場で有名な分杭峠から長谷村を経由する水系と、杖突峠から藤沢集落を経た水系が合流する高遠で育った米とのこと。
中央構造線地帯で育ったお米です。
5キロ3000円と値段も手ごろ、入手します。

高遠さくら米のPOP
さくら米5キロ袋

それから伊那へ急ぎ、旭座で鹿の國」を見ます。
終映は12:30分、カンカン照りの市内に出ます。

歩いていると餅屋さんがありました。
一度か二度買ったことがあります。
メニューは減っていましたが営業は続いていました。
線路をまたいだ昭和の古民家風の食堂のことを聞きましたが、経営者の高齢で廃業したとのことです。

街角の餅屋さん。おやきの中味もあんこだった
餅屋と線路を挟んだ並びの元食堂。風格さえ感じる建物だ

そのまま味のありすぎる裏道を歩いていると、今日のランチどころ「門」の裏口に出ました。
メニューを確かめて入店。
ほぼ満席の来客です。
高齢のママさんも元気な様子。
前回食べたソースカツ丼が忘れられず、再度注文。
前回は、飛込の客と見破られたのか、運んでくれた叔母さんが『丼の皿を使って食べるといいですよ』とレクチャーしてくれましたっけ。
分厚いソースカツ丼を伊那で食べるうれしさを堪能します。
「門」のソースは少ししょっぱい気がしました。
一巡した客も去り、食べ終わるころには空席が目立つのも信州の、田舎の食堂らしさです。

食堂門の裏口
ソースカツ丼ロース1450円は蓋を使って食べる
蓋を開ければこの通り
「門」裏口の向い側にも昭和レトロ?な建物が残る

表のアーケードに出ると古本屋さんが目に入りました。
入ってみると店の規模の割に品ぞろえがいいようです。
映画の本を買い、店主と雑談します。
『映画は好きですが、時間がなく旭座には行ったことがありません。古い映画館を回っている人が旭座にも来るようです』とのこと。
「鹿の國」を見た話をすると関心を示していました。

アーケード街の古本屋を発見

まだまだ早い時間帯ですが帰途に着きます。帰りのルートは、伊那市から北上して辰野を通り、塩尻に入ったところで峠越え、20号線の塩尻峠の道に合流し、和田峠から姫木へ向かいます。

途中いつもの、南箕輪村の「ファーマーズあじーな」という直売所によってみます。
加工用のいちごの大箱を仕入れるのは毎年ここでです。
いちごのシーズンは終わっていました。

軽トラ流れ旅2025 北相木村・群馬県境を行く

北相木村へ行ってきました。
長野県南東部、群馬との県境に位置する山村です。

軽トラで八ヶ岳の東山麓に出ました。
小海町から北相木村にむかう道に入りました。

その前に腹ごしらえ。
小海町の駅近くの直売所の食堂で限定10食の手打ち蕎麦です。
千曲川とその向こうのJR小海線を眺めながらのランチです。

食堂の人に北相木からぶどう峠、十石峠方面の道路事情を聞きました。
数年前の台風による通行止めはなくなったものの、道が険しいとのこと。
通行できるのなら大丈夫でしょう?

小海町の直売所「プチマルシェこうみ」
限定10食の手打ち蕎麦
千曲川と小海線方面を見つつ

そこから群馬方面は初めての道です。
国道沿いの町とは一味違った落ち着いた集落が続きます。
何より空が高いです。

小海町から北相木村をめざす
群馬県へ向かうみち
村営バスの停留所

道路沿いに縄文遺跡の栃原岩陰遺跡がありました。
洞窟を利用した縄文時代の住居跡で、様々な骨などが出土したとのことです。
簡単な柵が建てられているだけの洞窟ですが、おそらく大変貴重な遺跡なのでしょう。

栃原岩陰遺跡
遺跡があった洞窟

さらに群馬方面へ進みます。
直売所、役場、考古博物館などがありましたが、日曜日のこともあり?いずれも休館でした。
ここから県境のぶどう峠までは集落もない山道です。

道沿いの滝

ぶどう峠までの道はほとんど対向車もいない山道でした。
道路状況は悪くないのですがひたすら曲がって登る道が続きます。
いつまでたっても、どこへにも出ない?山道ドライブです。

ぶどう峠からは群馬県

そのうちなんとなく山里に下りてきました。
群馬県上野村でした。

上野村と言えば日航機の墜落現場・御巣鷹山がある所。
道路沿いに「御巣鷹山慰霊碑方面」の案内が出てきました。
そっちの方向へ行ってみましたが、トンネルが続きダムが出てきて、目的地は遥か先なことがわかりましたのでUターン。
上野村の集落に戻り十石峠へと向かいました。

群馬県上野村の上野ダム
上野ダムより御巣鷹山方面を望む

十石峠は長野県との境、ぶどう峠の北側に位置します。
またまた深い山塊を走ります。
ほとんど通行量のない山道をひたすら走ります。
結局、ぶどう峠から群馬県内を通り、寄り道しつつ十石峠で長野県に戻るまで3時間ほどかかりました。

十石峠を通って長野県へ

軽トラ旅にとってはきつい山旅でした。