軽トラ流れ旅 駒ケ根高原登山口へ

これまで、流れ旅では県内の様々な場所へ行きましたが、やはり遠い所への日帰り旅はきついものがあります。
伊那の駒ケ根以南だったり、木曽地方だったり、県北では白馬、小谷だったり、飯山以北だったり、は軽トラでは行ったことがありません。

また、県内には見るだけでも心打たれる山々がいたるところに鎮座していますが、地元の八ヶ岳を除き、北アルプスや中央アルプスなどは、たまに遠くから見るだけの存在です。
山岳県長野に居てもったいない話です。

今回は、中央アルプス木曽駒ケ岳の麓の街・駒ケ根にある、駒ケ岳の登山口まで行ってみようと思いました。
駒ヶ根では、駅前には何度か行ったことがありますが、駒ケ根といえば中央アルプスの登山基地の町、そこにはまた別の顔がありそうです。

9時前に山小屋を出発。
杖突街道を走り、高遠の直売所に寄って、駒ケ根に着いたのは11時前でした。

駒ケ根の市街地から、中央自動車道の高架をくぐって、まっすぐ山の方へ登ってゆくと駒ケ根高原と呼ばれる場所に着きます。
ここら辺一帯が、木曽駒ケ岳の登山口です。

観光案内所やや直売所、ロープウエイ客用の有料駐車場が見えます。
観光客用の食堂、レストラン、日帰り温泉、ホテルなどもそろっています。
シーズン中の登山客のほか、ロープウエイで千畳敷カールまで登り散策するハイカーや団体客までを受け入れ可能な大規模施設群です。

登山口の風景
観光案内所と直売所がある建物
駒ケ岳方面を望む

地方都市・駒ケ根はご多分に漏れず、駅前などは閑散としています。
が、ここ駒ケ根高原は設備が最新なものに更新されており、人が常に訪れている活気があります。

上高地と同じように、ここ登山口から奥は一般車両が通行禁止です。
バスに乗ってロープウエイなりに向かわなければなりません。

雲が沸き立つ中央アルプス方面の山々

観光案内所で聞くと、ロープウエイまではバスで30分。
千畳敷の一周コースは1時間ほどで回れるとのことですが、今は紅葉も終わり、寒いとのこと。
近くの温泉場として有名な早太郎温泉のことを聞くと、登山口一帯が早太郎温泉郷で、日帰り施設も2,3か所あるとのことでした。

ここから先は一般車両通行止め
ロープウエイで登った先の千畳敷カールの案内パンフ

少し離れた、こまゆき荘という宿泊施設で日帰り入浴しました。
無色、無臭の単純泉でしたが、あったまりました。
620円でした。

あいにくの雨天で、中央アルプスの雄姿は望めませんでしたが、駒ケ根登山口の、シーズン中の賑わいをそこかしこに窺うことができ、自然の遺産としての山岳の有難さを感じられる旅でした。

軽トラ流れ旅 秋の高山村~渋温泉

秋は旅の季節です。
もうすぐ日中が短くなります。
寒くなる前に旅をしなければ。
行ったことがない場所は県内にもたくさんあります。

9月中旬に家族と一泊した高山村の七味温泉。
そこの立寄り湯にもう一度行ってみたい。

帰りは奥山田温泉を越えて渋温泉まで峠越えをしよう。
長距離の旅だが8時に出れば明るいうちに帰ってこれる。
温泉にも二か所入れる。

高山村までは、真田から菅平を越えて須坂に下り、中野を通って行こう。
天気は小雨模様だが、高山村の秋の恵みと温泉が待っている。

須坂におりてからは携帯のナビが頼り。
つい先日、家族で通ったルートを行きます。
高山村のJA選果所に寄ってみます。
紅玉リンゴと地元産のシードルを買いました。

高山村のJA選果場

その先の高山村歴史民俗資料館は寄りたかった場所です。
人気のない館内には受付にシルバー?らしきおじさんが一人。
100円で入館すると館内の照明をオンにしてくれました。

高山村歴史俗資料館のメインの展示物は、湯倉という場所で発掘された7000年前の縄文時代の人骨です。

高山村歴史民俗資料館

20~30歳台の女性の人骨が保存状態よく発掘されており、発掘時の状態で展示されています。
これは希少価値がある展示物なのではないでしょうか。

縄文時代の人骨

信州は諏訪地方の縄文遺跡、土偶のほか、各地の巨大な前方後円墳の存在が知られている場所です。
縄文人が北信の地で生活していても何の不思議もありません。
保存状態の良さは不思議そのものですが。

人骨発見時のニュース

資料館を出て一本道を奥へと進みます。
山田温泉の街に到着して一休み。
足湯もあるショップで地元のグッズを物色します。
地元産のワイン、味噌のほか美味しそうなネクタリンを買いました。

高山温泉郷・山田温泉のスパ・ワインセンター
山田温泉の立寄り湯

更に松川渓谷に沿って進みます。
つい先日に泊まった七味温泉に来ました。
今日は無人の立寄り湯に入ります。
相変わらずいい湯です。
昼前の入湯でしたが、疲れるどころかかえって目が覚め、体がしゃっきりしました。
温泉が効いたのです。

七味温泉紅葉館の野天風呂
野天風呂入り口
誰もいないので浴槽をパチリ

元気が出て、七味温泉から初めてのコースを奥山田温泉方面に進みます。

これからという時に通行止めの立て看板。
シルバーのおじさんが近いづいてきます。
「自転車のロードレースがあるから、1時まで通行止め。渋温泉に行くのだったら戻った方が早いよ。ここで待ってもいいけど」とのことでした。

奥山田温泉方面の道をサイクリストたちが下ってきた

近くには店も何もありません。
温泉効果で空腹を感じていた山小舎おじさんは、戻ることにしました。
高山村中心部まで下り、小布施、中野、山之内町を通って渋温泉に行くことにします。
途中で食べる場所はあるでしょう。

北信はりんごの季節

渋温泉までの道中はおおむね順調でしたが、中野市内の中心部の郊外型レストランが集中している一角は渋滞の上、どこの店も並んでいるほどの混雑でした。
日曜日の昼時なのでしょうがないのですが。

やがて山ノ内町に入り、川に沿って走ると湯田中温泉を過ぎた先が渋温泉でした。
急に古い温泉街の風情が漂いました。

渋温泉の風景
自噴の源泉

有料駐車場に軽トラを止め、管理しているおじさんにヒアリングします。
立ち寄り湯の場所と、渋温泉名物の木造4階建ての温泉宿の場所を聞きました。

地図を出して丁寧に説明してくれるおじさん。
「宿泊していない人が入れる外湯は1か所だけ。入浴券は買ってもらってから、近くの店の人に鍵を開けてもらってください。」、「木造4階建ての旅館は金具屋さんですね。」とテキパキしています。

有料駐車場入り口

ここで外湯の入浴券を買い、地図をもらってレッツゴー。
まずは金具屋さんを目指します。
メイン道路から1本入った路地は風情があります。

温泉街の一角に木造4階建ての立派な旅館がありました。
昔ながらの玄関は、2時過ぎの時間のこともあり、閉まっています。
戸を引いて従業員に声をかけパンフレットをもらいました。

温泉街
木造4階建ての金具屋旅館

次いで外湯へ入ります。
向かいの食料品店のおばさんに声をかけて入り口を開けてもらいました。
外からは鍵がないと入れないスタイルのようです。

立寄り湯・大湯

外湯には熱いお湯があふれていました。
つかっただけで目が覚めそうなお湯です。

渋温泉の温泉街は日曜日とはいえ、ひっそりとしています。
浴衣を着た外人カップルを見掛けたくらいです。
15時の当着時間を迎えるころになると、だんだん賑わってくるのかもしれません。
親切に答えてくれた駐車場のおじさんに挨拶して帰路に着きました。

渋温泉街点描
路地の風景
射的場
巨大な獅子頭

令和6年青春18きっぷ 穂高、松本の旅

青春18キップの利用期限が間近に迫った9月上旬、大糸線に乘って旅に出ました。
目指すは穂高と松本です。

茅野駅前の駐車場に軽トラを置いて松本行きの列車に乗ります。
7時台の列車は、例年通り通学の高校生で満員です。
松本に着くと列車は大糸線の普通列車となったのでそのまま乗り続けます。

朝7時過ぎの茅野駅下りホーム

大糸線は松本と新潟の糸魚川を結ぶJR線です。
線路は北アルプスを左に見ながら北上し、白馬、小谷などを過ぎ新潟へ入ります。

目指す穂高は、松本から安曇野台地を進み、梓川を渡って北アルプスが見えてきたところにあります。
沿線の田んぼは色づき、収穫が間近です。

実り多き安曇野の風景背景は北アルプス

穂高駅で降りた山小舎おじさんは穂高神社を目指します。
3度目の参拝です。

穂高駅に到着

境内へ向かわんと手水場によると、ご夫婦がペットボトルに水を汲んでいます。
聞くと、湧水との掲示板があるので汲んでいるとのこと、飲んでみると確かにおいしい水でした。

今回の参拝は順を追って行いたいと、大鳥居まで戻ってくぐってみました。
近くの公園には学校をさぼった?高校生たちが楽しそうに遊んでいます。
いつものように穂高神社の鳥居は参拝者たちをゆったりと迎えています。
真ん中の神楽殿、正面の拝殿、ご神木の杉の巨木が絶妙に配置された境内は、いつも通り明るく、凛々しく整然としています。

穂高神社大鳥居
凛とした境内

神主さんがいたので了解をとって拝殿内を撮らせてもらいました。
一人の参拝客がお祓いを受けていました。

拝殿内部

帰りに駅前にある安曇野市観光情報センターに寄ってみました。
係の女性たちはこの日も愛想よく対応してくれました。
穂高神社の鶏については「最近いませんね」という人と「この間いましたけどね」という人がいました。
穂高神社の神の使いの鶏は、この日は見かけませんでしたがどうしているでしょうか。

再び大糸線に乗って松本へ。
上りの列車は白馬方面から帰ってきた登山客でほぼ満員でした。
酷暑の松本駅に到着です。

賑わう松本駅

まずは松本駅構内を探索してみます。
松本は長野とともに県下の大都市ですが、駅に限ると新幹線の泊まる長野駅の充実ぶりに後れを取っています。
駅ビルを歩いてみると、県内の名産品、名物を買ったり味わったりする場所はそこそこあるものの、効率よくまとまっている長野駅に比べると分散しており、まだまだローカルっぽさが残っています。

松本駅外観
駅ビルの物産館では珍しやザザムシが売っていた

昼食は駅前にある立蕎麦屋へ。
かつては駅構内にあったという蕎麦屋さんです。

駅向かいにある立食い蕎麦

この日の目的は新築の松本市立博物館です。
お城近くの中心街にそのモダンな姿はありました。
酷暑から逃れるように館内へ。
いきなり開放感十分の吹き抜け構造と階段が出迎えます。

松本市博物館のモダンな外観

今時の博物館風に何でもかんでも展示する方式ではなく、時代順にテーマに沿ってわかりやすさを重視した展示内容に松本市のやる気を感じます。
重要な展示物を並べるのではなく、テーマに沿った再現模型を展示の中心において、伝えたいことをアピールしています。
さすがにインバウンドブームのはるか以前から、常に外国人観光客が街中を闊歩する国内有数の観光都市です。
松本市がアピールしたいテーマの一つが、商都松本の歴史的文化財でもあるあめ市だということが博物館の展示からわかります。
あめ市は戦国時代から続く年頭の市で、商都松本の重要な歴史遺産だそうです。

城下町松本の模型。手が込んで再現性の高い展示物のひとつ
甲冑は映える展示物
あめ市を象徴する宝船は商都松本の象徴でもある

松本といえば、松本城、北アルプス登山基地、旧制高校、のイメージですが、博物館では歴史ある商業都市の部分にも光が当たっています。

次いで向かったのはかつての松本の映画街に残るシアターです。
松本には旧映画館の流れをくむミニシアターがありません。
旧映画館は全滅しています。
その中で、上土シネマという映画館が現在はミュージアムとなっていると聞いて出かけてみました。

かつての映画街にたたずむ上土シネマの建物

上土シネマのほかにも、映画館の建物が残る上土地区に目指すミュージアムはありました。
こじんまりとした映画館の建物をミュージアムとして再利用しています。
人がいないので二階に上ってみると、座席が残る館内を覗くことができました。
この施設が残り、再利用されるかどうかは主宰者次第でしょう。
できれば残してほしい遺産ではあります。

モギリの内側から撮ってみた
劇場内部がそのままの姿でのこる

中心部にもまだまだ興味深いスポットがある松本の旅です。

軽トラ流れ旅 金沢峠から法華道を下る

手許に、高遠歴史博物館で購入した「歩くための絵地図 信州高遠 杖突街道」(200円)があります。
諏訪と高遠の境目の杖突峠、金沢峠、守屋山から高遠へと下る杖突街道、法華道、鎌倉道などの歴史と現在の姿を作者が歩いて絵にした地図です。

絵地図、金沢峠付近

山小舎おじさんは高遠や伊那が好きでよく行くのですが、その時通るのは茅野から杖突街道を通るルートです。
よく整備された舗装道路で、トラックやバスを含めた車両のほとんどがこのルートを通ります。

江戸時代までの高遠からの参勤交代や、甲州街道で江戸に向かう人が歩いたのは杖突街道ではなく、鎌倉道と呼ばれ杖突街道を分けて金沢峠を越えるルートと、法華道と呼ばれ長谷村から山室川沿いに金沢峠を目指すルートだったとのことです。

絵地図、芝平付近

通ってみたかった法華道を、金沢峠を茅野側から越えて高遠まで軽トラで走ってみました。

絵地図、荊口付近

茅野から金沢峠への最短ルートは誰も通らない林道だった

茅野から甲州街道を少し上ると旧金沢宿の集落があります。
かつての甲州街道の宿場として、高遠からの峠道と甲州街道の合流点でもありました。
この日は金沢宿から金沢峠を目指すことにしました。

金沢地区にある独鈷石
解説文

携帯のナビに金沢峠を検索して山小舎を出発。
甲州街道の金沢地区に来てもナビは杖突街道経由のルートを指定し続けます。
ナビを無視し、地図であたりをつけて金沢峠方面と思しき交差点を右折し、山側に登ってゆきます。

甲州街道金沢宿
金沢峠へ延びる農道

道は金沢の集落の間を上る1車線です。
やがて簡易舗装の農道のような道となりました。

国有林を分け入る

林道もしくは登山道のような砂利道を上ってゆきます。
冬期間や悪天候の日は遭難しそうな道です。
軽トラのエンジンを頼りに時速10キロからせいぜい20キロ、ギアはファーストからセカンドで進みます。
一度止まると再スタートまでタイヤがスリップします。
路面は凸凹ですが砂利は敷かれています。
ガードレールはありません。

後ろから1台の四駆車がライトをつけて登ってきました。
物好きな人もいるのだなあと思っていたら茅野市の車でした。
月曜日の見回りなのでしょうか。

途中にある見晴台
かつての展望は国有林の成長とともに隠れた

山の中に取り残されたかのような孤独感に襲われながらでこぼこ道を上ってゆき、ようやく開けた道に出ると金沢峠に着きました。
そこは千代田湖を通り、杖突街道へと通じる道や、芝平峠を抜けて法華道で高遠へと下る道、入笠山への道などが集まるポイントでもありました。

金沢峠は往来もなく山の中

山室川沿いの悪路を行き、芝平の集落へ

ここから芝平峠方面へ向かいます。
道路端に立てられた看板には「この先悪路です。携帯の電波も届きません。高遠方面へは千代田湖経由で杖突街道への迂回をお勧めします」とあります。
通行止めではないのでこのまま進むことにします。

芝平峠の分岐点

人気のない悪路を時速10キロほどで下ります。
八ヶ岳の美濃戸口から美濃戸へ至る道も相当の凸凹道でしたが、それに続く悪路です。

芝平方面へ下る法華道

やがて巨大な堰堤が現れました。
山室川の上流に、洪水防止のために作られているのです。

山室川上流の堰堤

左側には渓流の山室川。
ガードレールもない悪路を下ります。
ぽつぽつと人家が見えてみました。
移住者の別荘のようです。
廃屋もあります。
人気のない芝平の集落に小学校の廃校がありました。

法華道
沿道の廃屋

50年程前まで分校だった小学校です。
古い造りの建物ですが、その大きさが周りの静けさと不釣り合いなほどです。
建物は当時のまま残っているのですが、児童や職員の活動の跡はほとんど残っていません。
人間の営みの場としての学校の機能はすでに失われて相当の時間が立っているのがうかがえます。

芝平分校の廃校

パワースポット弘妙寺へ

道が整備され、人家が多くなっていました。
芝平から荊口と呼ばれる地区に来ました。
右手にカフェの建物を過ぎると弘妙寺というお寺がありました。
絵地図に載っているお寺ですので寄ってみました。

弘妙寺の案内板

日蓮宗弘妙寺は気の寺としてパワースポットなのでした。
現役感のみなぎる本堂に立ち、案内に従って庫裏の呼び鈴を押します。
出てきた奥さん(なのか住職の娘さんなのか)から厄除けのお守りをいただきます。

堂々たる本堂
厄除けのお守りをいただく

「どちらから?芝平峠を越えて?それは大変でした。
芝平の上流はかつて集団離村をした場所です。今上流に住んでいるのは移住者ばかりでゴミ収集車も行きません。道が荒れているのも行政がそのせいなのでしょう。
分校が廃校になったのは50年くらい前でしょうか。
この地区も移住者の方が多いくらいで、彼らがいないと成り立ちません。隣のカフェも移住者がやってますが地区の行事などよくやってくれています。
中央構造体のせいなのか敏感な人は気を感じるようです。私も目の前のイチョウの木の近くでは体が軽くなります。」
とは女性が語ったこと。

大きなお寺は歴史を感じますが、その現役感はパワースポットとして、運動選手、実業家、ゴルファーに聖地としてあがめられ、数々の来訪者に応対してきた賜物なのでしょう。

イチョウの木に触れてみると何となく体に風が通ったような気がしました。
それよりも山室川の谷を望む寺のたたずまいの清々しさに心洗われる思いでした。

イチョウに触れていると来訪者らしき女性が寺に登ってきました。
「本堂にお参りしたいのですが」というので庫裏の呼び鈴を押して寺の女性に案内を乞うように伝えました。
お寺はパワースポットとして来訪者を引き付ける場所のようでした。

大地から気を運ぶ大イチョウ

法華道を下りきると長谷村に出ます。
田んぼに稲が揺れる麓の村です。

道の駅で遅めの昼食を摂りました。
高遠を通り、伊那から蓑輪町を抜けて帰りました。

長谷村の道の駅でソースカツ丼

「杖突街道の絵地図」を生かし、楽しんだ旅でした。

令和6年青春18きっぷ 身延線チョコッと旅

山小舎と東京に自宅を行き来することが多くなりました。
気が付けば青春18きっぷの季節です。
鉄道の旅が好きな山小舎おじさんは、迷わず切符を購入することにしました。

自宅に帰る日、茅野駅で窓口の駅員さんに18きっぷを売っているかどうか聞きました。
すると券売機で買えるとのこと。
夏の観光シーズンで券売機に人が並ぶ中、外に出てきてくれた駅員さんの操作で買えました。
みどりの窓口が全国の駅で廃止されている中、券売機でほとんどの切符が買えるのですね。

この日はまっすぐ自宅に戻り、再び山小舎へ18きっぷで取って返しました。

甲府駅に到着してふと見ると10分後に身延線の連絡がありました。
甲府駅の1番ホームの奥の4番、5番に身延線ホームがあります。
この日は台風の影響で身延線は甲府と鰍沢口間でのみの運行。
身延線のハイライトである、下部温泉にも身延にもゆきません。
でも、折り返し甲府に戻らなければならない身としてはちょうど良い行程かもしれません。

甲府駅1番ほーに掲げられている身延線案内板

甲府駅の4番ホームにひっそりとたたずむ身延線の2両編成列車はワンマンカーでした。
乗客はガラガラでした。

発車してしばらくは甲府の郊外風景の中を走ります。
駅駅はホームをつなぐ橋がなく、踏切を渡って改札口に出る作りになっています。
住宅の間に放置された畑やソーラーパネルが設置された風景が続きます。

身延線沿線の駅の作り

甲府盆地の南端の山々に近づくと、田んぼが広がってきます。
しばらくは山すそに沿って列車は走ります。
街道筋の歴史がありそうな町が続きます。
今では甲府のベッドタウンでしょうか。

市川大門駅は中国風の建物
甲府盆地南端に広がる田園風景

やがて終着の鰍沢口に到着。
ここは甲府盆地の端っこ。
日蓮宗の総本山がある身延やその先の静岡県まではまだまだあります。

この日の終着は鰍沢口(無人駅)
駅の通路に張られた観光ポスター

鰍沢口駅のあるこの場所はかつて、甲府と静岡を結ぶ富士川の水運で栄えたという歴史ある土地です。
今は商店らしい店もありません。
あわよくばここでランチでもと考えていた山小舎おじさんは炎天下の中、富士川を眺め、何度かあたりを歩き回って駅に戻りました。

街角の案内板
富士川を望む

ここから先、静岡県に至るまでの山岳ルートが身延線のハイライトなのでしょう。
今回は初めて乗るローカル線の雰囲気だけを味わいました。
次回また!

静岡方面へ続く身延線

韮崎平和観音

自宅と山小屋の往復には、自家用車のほかでは高速バスか鉄道を使います。
時間的には高速バスが早く(バス停・高速深大寺から高速茅野までが約2時間半)、レスポンスもいいのですが、旅好きな山小舎おじさんとしては鉄道の旅も捨てがたいのです。

JR中央線に、高尾から大月行き、甲府行きなどに乗り、終着で途中下車。
そこで昼食を摂るのんびり旅です。
甲府には行きつけの定食屋まであります。

高速道路を走る旅と違い、鉄路を行く旅は視線が低いので見える景色が人間サイズの上、案外視界も広いのです。
鉄道は町をつなげて走るので、商店街、住宅地、農地など、場所場所の人間の暮らしの景色が見られるのもいいのです。

ということで、夏のある日、自宅から山小舎へ戻る道中、山梨県の韮崎に途中下車しました。
車窓から見える大きな観音様の麓に行ってみようと思ったからです。

線路からほど近く観音様は見えます。
韮崎駅の改札口で駅員さんに聞きました、「観音様へのルートを教えてくれますか」。
「まず、駅のガードをくぐって。案内板はないと思うけど。登りが急ですよ。」との返答でした。

ガードをくぐって駅の反対側へ出ます。
小高い山の上の観音様は街から遠望できるので方向は迷いません。

駅からガードをくぐった商店街にかかる鳥居
商店街からは平和観音が見える

「窟観音入り口」の看板があったので進んでみます。
平安時代にこの地を訪れた弘法大師が掘った観音様が石窟に安置され、岩場の麓には雲岸寺というお寺が立っている場所でした。

まず窟観音へ行ってみる
トンネルの出口にはお地蔵さまが並ぶ

まずは石窟と窟観音を見て回ります。
中央線韮崎駅の近くにかような石窟が残っていることに驚きました。

窟観音が収められているお堂
崖下から望むお堂

目指す平和観音は雲岸寺が立つ場所から小高い山(断層)を登った場所にあります。
平和観音までは舗装道路が続いており、そこそこの交通量もあります。
徒歩で夏に歩くのは一苦労でした。

汗をかきつつ登った崖の上に平和観音が立っていました。
甲府盆地とその向こうの富士山を望む場所です。
あたりの雰囲気は甲府盆地を走る国道20号線の活気と喧騒から離れたのんびりしたものでした。

平和観音が立つ高台は市民の墓所でもある
平和観音を仰ぎ見る

女性的な造りの観音様は遥か甲府盆地から東京方面を眺め、世の安寧と平安を祈念しておられるのでしょう。
忘れられたような静けさの中、たたずむ観音様でした。

軽トラ流れ旅 松本スイカ市~今井恵みの里~塩尻の花火屋と平出の泉

真夏日の松本平に向かいました。
毎年行っている松本のスイカ市で波田のスイカを買うためです。

松本郊外の波田地区はスイカが名産です。
シャリシャリしたスイカが食べられます。

朝7時半に山小屋を出発して向かいました。朝から炎天下の軽トラ旅です。
三才山トンネルを抜けて松本側に下り、梓川沿いに南下して会場へ向かいました。

9時半前には会場のスイカ選果場に着きましたが、既に駐車場は9割がたが埋まっており、テント前には長い行列ができています。

今年の松本スイカ市。だいちゃんすいかに並ぶ列

毎年この時期には県外ナンバーの車両も含めた来場者であふれています。
遅くに到着して売り切れだった年もありました。

毎年、スイカ農家が数軒ほどテントを張って出店しますが、今年は2軒ほどが出店。
1軒は例年購入している百瀬さんのもの、もう1軒が最近大人気の通称だいちゃんスイカ、名前を出しての出店はこの2軒だけでした。
だいちゃんスイカには30メートルほどの列ができています。

山小舎おじさんご指定の百瀬スイカのテント
百瀬スイカ、本日完売・・・

迷わず百瀬さんのテントに向かいましたが、到着寸前に無情の本日完売のプレートが出されました、残念。

隣を見るとJA松本ハイランド名のテントがあったのでそこに向かいました。
おそらくJA加盟の各農家の出品によるものなのでしょう。
波田スイカの呼称はありませんでしたが、何度も来れる場所ではありません、ここで購入しましょう。
1個を調布の自宅に送り、1個は持ち帰りました。
L玉が2100円で、去年の1900円から上がっています。
その前は1600円でしたが。

選果場にはスイカが並ぶ

買い終わって炎天下の選果場を後にします。
松本から山形村を抜けて塩尻に南下するアルプスグリーン道路と呼ばれる農道を走ります。
途中に、直売所と道の駅が1か所ずつあります。

そこではスイカなど季節の農産物が花盛りと積まれ、買い物客で賑わっています。
信州の、夏到来です。
この1か月の間に、スイカ、桃、スモモ、ブルーベリー、枝豆、トウモロコシのほか夏野菜が出盛りとなり、8月中旬にはその季節が去ってゆくのです。
信州の野菜農家にとっては1年分の稼ぎ時なのです。

山形村にある道の駅今井恵みの里では、季節柄か七夕の飾りが天井からかかり、スイカの試食サービスに客がならんでいます。
秋の長芋、白菜、初冬のリンゴなど、季節ごとの安曇野の恵みが一堂に会する直売所がある道の駅で、山小舎おばさんもお気に入りの場所です。

山形村の道の駅、今井恵みの里。直売所へのアプローチ
山形村もスイカの産地。松本スイカ市よりかなり空いている
飾られていたスイカ

地元の桃のはねだしが1箱2500円、少々高い気がしますが加工用に買いました。
ジャガイモのデストロイヤーがあったのでこれもゲット。
ビーツは見当たりませんでした。
昼ごはんにソースカツ丼弁当も。

加工用桃
ホックリ甘いデストロイヤー
本日の昼食。580円

この日は塩尻まで下って、花火屋へ行く予定です。
まだ10時半ですが、弁当を食べる日陰を探しながら塩尻方面へ下ります。

ここで、急に平出の泉を思い出しました。
塩尻郊外にある縄文遺跡群の中ほどに湧く青く澄んだ沼です。
スマホで調べると案外近いので花火屋の前に寄ることにします。

平出博物館の近くに泉はありました。
年配の男性が二人、カメラをもって泉を眺めていました。
確かに底まで見通せる澄んだ水でした。
神秘の青をたたえています。

青くたたずむ平出の泉

平出を後に塩尻の中心部に向かいます。
大門の通りにはテキヤのテントが並んでいます。
夜のお祭りの準備のようです。

テキヤのテントが並ぶ塩尻市中心部

塩尻には今では珍しい花火屋さんがあります、この店季節以外はひっそりと文房具を扱っているようです。
セットではなくバラで売っており、種類も豊富です。
孫らのために手持ち花火を中心に選びました。
買った後、2割ほどの分をおまけで選ばせてくれるサービスの良いお店です。

花火屋の入り口

会計をしながら店のおばさんに、表で準備しているお祭りのことを聞きました。
玄播祭、とのことでした。
なんでもこの地方にいた古狐の玄番之丞というものに由来したお祭りとのこと。

お祭りの由来が塩尻市図書館に掲示されていた

茅野ドンパン、上田ドドンパ、丸子ワッショイといった現代風、町おこし的な命名のお祭りが多い(と思われる)信州で、地域の伝説にのっとったお祭りがそこそこ大規模に行われているなんて、塩尻は素敵なところじゃないですか。

軽トラ流れ旅 大河原峠~小海~稲子湯

初夏の流れ旅、今回は蓼科山のもう一つの登山口・大河原峠を通り、佐久へ下りた後、再び八ヶ岳山中に戻って、山腹の秘湯・稲子湯に浸かってきました。

まずは蓼科山のすそ野を巻いて、7合目登山口を過ぎ、林道を抜け大河原峠を目指します。
蓼科山の登山口は何か所かありますが、大河原峠もその一つです。

蓼科山の登山口、大河原峠

狭くグネグネとした林道をやっと抜けると,標高2090メートルの大河原峠です。
蓼科山へ登る時には、今度はここからもいいな、と思っての下調べの意味もありやってきました。

この日はあいにくの曇天。
峠は風もあり、肌寒いくらいです。
大河原峠の駐車場は満車。
装備を整えた登山客が三々五々登ってゆきます。

ここからのコースは、メインの登山口の7合目登山口より距離は長いものの平坦と聞きました。
ただ、峠に到着するまでの林道が長く、時間がかかります。
道幅も狭く、車両の走行も容易ではないので、どうでしょう、孫たちと蓼科山に登るとしたら、ここまで来るより多少登りがきつくても、7合目からの方がいいように思いました。

大河原峠より佐久方面を望む
登山客で満車の駐車場

大河原峠を後にして初めての道を佐久方面に下ります。
峠を越えると別荘などの建物が見え始めます。

やがてJAXA宇宙空間観測所のパラボラアンテナが見えてきました。
蓼科スカイラインと呼ばれる道は片側1車線の走りやすい道路です。

大河原峠から佐久へ下る途中のJAXAパラボラアンテナ

道を降りたところは佐久市の臼田地区。
国道141号線を右折して佐久穂、小海方面へ向かい直売所などで産品を見て回ります。
夏の収穫シーズンを目前にした佐久地方では、レタスやセロリなどの新物が出回っています。
他にも何か珍しいものがあるかもしれません。

昼食は小海駅に直結したアルルという商業施設にある食堂・月華に入ります。
ご夫婦二人でやっている食堂でカツ丼を注文するとソースカツ丼が出てきました。
食べやすい味でしたが量が多く、満腹になりました。

小海駅直結の商業施設アルル
食堂月華のソースカツ丼
カウンターにNHKデイレクター和田勉の色紙があった

ここまでくると、141号線沿いのスーパーナナーズと高原のパン屋さんに寄らずには帰れません。
2軒ともこの地方のローカル店で、それぞれ2,3店舗を近場に展開しています。
ナナーズは今でもレジ袋を無料サービスしてくれます。
店内で作る総菜が美味しいので感心します。
この日は夕食用にコロッケのほか、お米なども買い込みました。

高原のパン屋さんは、手作りのあんパンやカレーパンが美味しく、地元で人気のパン屋です。
家族へのお土産にあんパンを買い込みました。
自宅へは息子の誕生会のために近々帰ります。

さてここから山小舎への帰還ルートですが、野辺山を回って清里からエコーラインで八ヶ岳の山すそを回遊するのが一般的です。
この日は、最短で茅野へ抜けることができる八ヶ岳横断コースのメルヘン街道を通ることにしました。

小海から松原湖畔を通ってメルヘン街道を目指していると、稲子湯方面の看板があります。
時間があるので寄って行こうと思いました。

麓の集落の狭い道を抜け、高原野菜の広々とした畑を抜けると山道に入ります。
やがて本沢温泉への分岐点を越えます。
本沢温泉は最終駐車場から2時間歩かないとたどりつけないことで有名な温泉です。

やがて稲子湯の建物が見えました。

八ヶ岳中腹の秘湯・稲子湯

北八ヶ岳の登山基地としてひっそりとたたずんでいる稲子湯。
開湯して100年。
天狗岳、硫黄岳への出発地点の宿です。

この日は駐車している車は2台、そのうち1台は立寄り湯に来た高齢者のものでした。
そのおじさんが出てゆくのと入れ違いに建物の中へ。
中には管理人のおじさんが一人います。
入浴料は650円でした。
ちなみに一泊二日の料金は9,870円とのことです。

閉鎖されている売店と食堂。かつての賑わいを思わせる

自炊宿のような、昭和の香り漂う館内を通り温泉へ。
浴室の入り口を過ぎると硫黄臭がして温泉らしさが迫ってきます。
浴室は東北の温泉場のような年季の入った秘湯感にあふれたもので、最近のスーパー銭湯のような温泉に入りなれた身には懐かしくもあり新鮮でもありました。

ここまでコミュニテイバスが運行している

帰りのメルヘン街道は、標高2000メートルの麦草峠を越えたあたりから、霧雨に覆われ視界がふさがれるほど。
ワイパー全開で点灯し、慎重に走行します。

肌寒くもあり、初夏とはいえ山の気候の厳しさを思い知らされました。

天気一変のメルヘン街道

軽トラ流れ旅 須坂動物園でカピバラ温泉

テレビのローカルニュースで須坂動物園のカピバラ温泉のことを見た。
孫たちがリンゴ狩りに来た時に誘ってみたが乗ってこなかったので、自分だけでも見に行こうと思っていた。

須坂へは菅平を越えてゆく。
雪の心配がなくなったある平日、軽トラを出発させた。

上田市の真田地区から上ってゆくと菅平高原に至る。
スポーツの合宿シーズンも過ぎ、スキーシーズンにはまだ早い菅平は、人気がなくひっそりとしていた。
ゲレンデにのみ雪が残りブルドーザーがその雪を広げている。

菅平のスキー場はシーズンの準備

菅平から峠道を下ると須坂市。
心配した道路の凍結などはなかった。

須坂に下りてからは、動物園のある臥竜公園を目指す。

動物園の臨時駐車場は市内の百々川河川敷にあった。
沿道のイチョウ見事な紅葉が青空に映える。
川の向こうには雪を頂いた北アルプスが聳えている。
まったく、環境が良すぎて別世界のような須坂の風景に心癒される。

須坂市では北アルプスの出迎え
イチョウの紅葉が盛り

動物園の入り口で「カピバラやってますよね?」と確認して入園。
南口から入園するとそこには遊園地が広がっている。

菅平方面の山々をバックに三々五々、広い空間に遊具が点在する遊園地。
家族連れが思い思いに遊んでいる。
環境がよすぎるというか、のんびりしているというか、人が少ないというか、この安心感がたまらない。

須坂市動物園内の遊園地

臥竜公園の里山のすそ野を、巻くように長く伸びる動物園の通路を歩いてカピバラ舎へ急ぐ。
舎の前には人だかり。

人だかりに交じって舎を覗くと、狭い浴槽に一匹ずつカピバラが入っている。
飼育係のお兄さんが舎の中でマイクで何かしゃべっているが、声が小さすぎて聞こえない。
お兄さんのアピール度の低さというか、押しの弱さというか、しゃしゃり出る意欲のなさに「信州」を感じる。

舎の内部と外では1台ずつのカメラが回っている。
ニュースの取材か、動物園側の記録か。

カピバラ舎前の人だかり
入湯中のカピバラ

観客は平日なので子供は少なく、若いカップルが多い。
おじさんの単身はほぼいない。
観光客ではなく地元の人ばかりか。

カピバラって大きな動物なんだなあ。
山羊や羊より太いもんなあ。
カピバラのほかにはオオワシとフラミンゴ、ツキノワグマぐらいが「スター」の須坂動物園。

動物園を出て臥竜公園を散策する。

ジャージを着た小学生たちが体育の授業か池の周りを走っている。
ゴールでタイムを計る先生の声を聴くと11分ほどで一周している。

りんごの無人販売をしていた園芸店を思い出し、そこまで歩く。
リンゴ2袋を買う。

地元客の真似をして、茶店によっておでんを食べる。
一串100円。
店のおばさんの「ごゆっくり」の声に甘えて、池を見ながら心行くまで過ごしてみる。
時間が止まったようだ。

臥竜公園は須坂市民の憩いの場
公園内の茶店で一服

昼食はこれもローカルテレビで見たことがある洋食店へ。
何とか店にたどりつき、人気のないショッピングセンターに隣接した入り口を入り二階へ。

入るまでわからなかったが、地元のサラリーマンや夫婦連れなどで満席の店だった。
しかも途切れず来客がある。

須坂の人気洋食店かねきへ
かねきのメニュー

名物らしいオムライスを食べる人が多いようだったが、フライ盛り合わせを注文。
須坂の人気店の味を満喫する。

地元の人で賑わう店。
地元テイストを味わうにはちょうどいい場だった。

注文したフライセット

帰りは隣町の松代へ寄り、松代温泉松代荘で温泉。

須坂での地元テイスト感の満喫で癒され、体と心が安心・脱力したのか、入湯後は不覚にも大広間で寝入ってしまった山小舎おじさんの旅でした。

ここは効く!松代温泉

軽トラ流れ旅 大岡ひじり学園収穫祭

11月中旬。
信州では多くの場所で紅葉も終わり、初雪の便りが聞かれたころ。
大岡にある山村留学の施設で収穫祭があった。
ひょんなことからその情報を知った山小舎おじさんは軽トラで駆け付けた。

大岡ひじり学園という山村留学施設。
大岡は今は長野市の一部だが、市の中心部からは1時間ほどもかかろうか、というほどの山間部。
長野市中心部から国道19号線で西へ向かい、信州新町という地区から山間部を南下したエリアである。

たまたま見た「長野市民新聞」の記事で、大岡ひじり学園の山村留学生が、大岡地区の在来品種のそばを栽培し、来る収穫祭でふるまう、とのニュースに接し、興味を持った。

長野市民新聞11月14日号に載った大岡ひじり学園関係の記事

山小屋から学園までは2時間の行程。
通ったことのない山道を通らなければならない。
折から山小舎周辺は真っ白な雪景色。
行く先の峠道もどんな状況かわからない。
一回は訪問をあきらめたが、当日朝の山小舎周辺は晴れで気温も高めで雪が溶け始めている。
思い切って長靴で出発した。

8時半に出発し、長野へ向かう時のいつもの道を千曲川に沿って北上する。
千曲市の稲荷山地区を過ぎたあたりで西方へ山越えの道に入る。
大岡地区へのショートカットの道。
通るのは初めて。
雪が残っている。
交通量もなく、人気に乏しいが雰囲気のある山村の道をマイペースで走る。

千曲市から大岡に抜ける山間部の集落風景
リンゴ園にも雪が積もっていた

やがて眼前にアルプスの眺望が現れる。
雪を頂き、中腹に雲のたなびきを従えたアルプスのパノラマが広がる。
北アルプスを望むには長野市の山間部か、安曇野エリアまで来なければならない。
ここまで来たのだ。

やがて学園への案内板が道路沿いに現れる。
ひじり学園のひじりとは大岡地区に隣接する麻績村にあるリゾート地・聖高原から来ているのだろう。
山村留学施設のほか、立派な住宅付きのクラインガルテンなども整備した大岡地区は、過疎対策に力を入れていることがわかる。

大岡近くの分岐点
北アルプスの眺望

雪が残る学園前の道にはすでに路駐で車が集まっている。
11時開場を前に太鼓の音が聞こえる。

ひじり学園に到着

開場を前に留学生の父兄会長さんが来場者に挨拶をしているところだった。
留学生が抽選権を配っている。

収穫祭開演前の風景

施設の建物前のスペースにはバザー会場のテントがあり、地元農家出品の野菜のほか、焼きそば、焼き鳥、コーヒーなどが出店している。

留学生施設前の出店

人の流れについて行って施設の中に入ってみると、雑貨や食品などが市価の半額程度で売られており、地元の人たちが段ボールに入れて買いあさっている。
山小舎おじさんも慌てて50円で買い物バックを買い、カレールーや食用油、氷砂糖、鯖缶などを1200円ほど買いあさった。
これも集客の手段なのか、安い!

施設入り口には留学生がなめした小鹿の革があった

施設内は、留学生、府警、関係者、地元民で盛況。
バザーのほかに、1年間の活動報告、これまでの二十数年間の山村留学の記録などが展示されている。
四半世紀も続いているのは、地元の協力体制のたまものなのだろう。
施設内部にはその間の歴史と普段の生活の匂いが染みついており、ここが教育施設だと物語っている。

留学生の活動報告の展示

在来種のそばが食べられるのかな、と思っていたが初日に父兄にふるまわれて終了とのこと。
それではと、大広間のラーメン食堂へ行き、しょうゆラーメンを注文する。
200円。

周りの紅白の幕が張られた大広間は部屋といい飾りつけといい、日本の(田舎の)伝統形式そのもの。
温泉施設の大広間を思い出す。
地元民との交流や発表会はここで行われるのだろう。

食堂で食べられるラーメン

やがて舞台では留学生の踊りの発表が行われた。
6人の中学生女子による踊りは若々しくてかわいい。
大広間に詰めかけた父兄らはラーメンを注文しつつ、子弟の発表にカメラを向けていた。

食堂(大広間)の全景
中学生による踊りの発表

帰りの時間を気にし始めた山小舎おじさんは外へ出て、出店で大根、ヤーコンなどの野菜を購入。
溶け始めた雪の中帰途に就く。

帰りも初めてのルートで麻績村へ南下。
ひなびた山村と山の景色が続く山間のルートだった。
日陰の路上には雪が残っていたが危なくはなかった。

麻績村からさらに山越えで青木村へ、そこから鹿教湯温泉へ抜けて帰った。
いつもの旅と違い、若々しいエネルギーに触れる旅でした。
結局、長靴のまま帰ってきた晩秋の旅でした。