講談社現代新書「愛と暴力の戦後とその後」を読む

ブックオフの100円コーナーに立ち寄るのが趣味の山小屋おじさん。
タイトルと目次を見て,カンで選んだこの本。
読んでみてびっくり。
いい作品に巡り合いました。

著者・赤坂真理について

1964年東京生まれ。
雑誌編集者を経て小説家に。
「東京プリズン」にて毎日出版文化賞などを受賞。

本作執筆の動機

本書の前書きに「研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近代史を知ろうともがいた一つの記録」とあります。
また、「習ったことより原典を信じることにした。少なからぬ原典が英語だったりした」とも書かれています。

本書の構成と切り口

著者が本書のテーマとしている近代史において、欠かせない概念なりキーワードがあります。

その中から、憲法(戦前、戦後とも)、戦争と日本軍、降伏と占領、安保条約、戦後政治、オウム事件などを取り上げて論評しています。

著者は、必要に応じて原典(安保条約などは英文)にあたり、また戦中派世代の実母のエピソードや、自らの子供時代やアメリカ留学時代のカルチャーショックな経験を取り入れて語ってゆきます。

本書の内容拾い書き

本書138ページに以下の記述があります。

「私が大日本帝国軍を見るとき一番傷つくのは(中略)大日本帝国軍は大局的な作戦を立てず、(中略)陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し(中略)多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。」
「それは正規軍といえる質だったのだろうか?この問いに直面するとき、日本人として本当に傷つく。本当に恐ろしくなる。」と。

また、「日本軍人」は「戦後の受験エリート」と、机上の空論を弄する点では同じではないか、と指摘しています。

さらに、オウム真理教と近代日本が「神を創ってそのもとにまとまり、戦って負けた」点でそっくりであり、その点でオウム事件は多くの日本人にとって「身内」の犯罪だった、とし。
「身内」の犯罪だったががゆえに、事件後は何もなかったように「隠ぺい」されたとの指摘しています。

安保条約については英文の原典にあたり、その条文第一条が「日本が欲し、アメリカにお願いする」と構文されていることを示しています。
日本国を主語とする条約文を外国であるアメリカが書いていることも。
しかも「勝手に」書かれた日本がまんざらでもなく、アメリカと日本の倒錯的な相思相愛関係がその条約に映し出されている、と述べています。

ある意味で戦後を象徴するであろう憲法9条については、アメリカが英文で書いたからこその明快なラディカルさがあると評価し、日本人が日本語で書いたのならもっとあいまいない表現になったろうと述べています。

また戦後の日本政府は、田中角栄に代表される「大きな政府」だったときも、小泉、安部に代表される「小さな政府」による現在も、一貫して自由主義的であり、弱者に対する姿勢は「自己責任」を押し付けてきたとも指摘しています。

感想

女性の直観と感性が日本近代史の本質を明快に壟断しています。

同時代を生きる「共犯者」としてだれもが口をつぐんでいた「あいまいな日本」の根本が暴かれています。

日本人が、「知っていても知らないふり」で通してきたことを素材にしています。

例えば、「地位協定」と言われる、日米の不平等な秘密条約があります。
最近、マスコミでも報道されてきています。

著者はジャーナリスチックなアプローチだけではなく、独自の観点で日本近代史に迫っています。

おじさんが気になったのは、「傷つく」というフレーズが作品中に時折出てきたことです。

著者の繊細な感性が「傷つく」のは、祖国日本が、あいまいな概念と、無責任なシステムのまま、「近代化」の嵐渦巻くグローバルな現代社会に乗り出しては、弱者が一方的な不利益を被ってきた数々の歴史を見た時だったのでしょうか。

平易な文体で読みやすく一読をお勧めする本です。

 

 

 

おじさんの失敗 ブログの写真が消える

「山小舎おじさんの東京長野暮らし」のブログも100回を超えました。
読んでいただきありがとうございます。

さて、先日、過去のブログに一部訂正する必要があったので開いたところ、写真が消えている記事があることに気づきました。
写真が消えた記事は2018年12月1日付から2019年2月18日付の間のものです。

原因は、ブログ機能中の写真ホルダーのデータを、当該日付間において消したためだと思います。
写真データの一部を消したのは、新しく記事を作り写真データをブログ機能(ワードプレス)に移管する際、反応が遅かったので、てっきりデータ過剰だと素人判断の上、とりあえず、2018年12月以降の写真データを分を消したのです。
ブログ機能のレスポンスを早めるためでした。

ところがブログの写真データは、ホルダーのデータと紐づいていたため、元データが消去されたブログ掲載の写真が消えてしまったのでした。
全く素人判断は恐ろしいものです。

これから暇を見て写真の復活作業を行います。
パソコンのデスクトップに保存されている当該写真データをブログに移し、ブログの文間に写真を張ってゆきます。
できるだけ元通りに復元するつもりですが、記憶違いなどにより、若干の不手際があるかもしれません。

写真あってのブログですのでこのままにはできないと思います。
東京にいる間に作業完了を目指しています。

今後ともよろしくお願いいたします。

月遅れのお墓参り 北海道へ帰る

9月21日から23日、北海道へ墓参りしました。

妻、息子と娘一家の計7人の大移動。
初日は朝6時半の飛行機で羽田をたって旭川空港へ。
9時の旭山動物園の開演を待って入園。
地震の影響か、人出は多くない。ゆっくりと巡る。
シロクマ、アザラシなどが泳ぐ姿を水槽越しにすぐ近くで見られて、孫も大喜び。

その日のうちに札幌へ移動。
眠気に負けず、札幌までの高速道路の運転は娘の婿さん。
夕食の後、遅れて札幌で合流した息子を、婿さんともども、すすきので迎える。
妻、娘らをホテルに残し、男3人で改めてのジンギスカン。
いつもは観光客が並ぶジンギスカン店・だるまは、並ばずに入れました。
すすきのは、金曜日で人出は多いが、いつもの外国人団体の数は少ない印象。
ジンギスカンは相変わらずのうまさでした。

翌日は、札幌市内でお寺参り。両親と兄の墓参です。
住職は父親の17回忌を覚えてくれ、丁寧にお経をあげてくれました。

親せきの家により、仏壇へお参り。そこには祖母が眠ります。
夕食はその親戚のアレンジで、いつもの海鮮居酒屋へ集合。サンマ、カニ、ウニなどの海産物を堪能。
地元ではタチと呼ばれる、真タラの白子は、冬がシーズンですが、出ていました。すかさず、天ぷらを注文。

北海道を離れて40年近く。今では第2の自宅が長野にある状態で、ふるさとへの距離はますます遠ざってますが、元気な限り、毎年のお墓参りで帰郷するのを楽しみにしたいと思います。

帰りは千歳空港から。近くの道の駅・サーモンパークへ寄る。
インデイアン水車を見るが、まだサケの遡上は少なかった。