新型コロナについて 上海からのリポート 続報

3月末。
上海の日本人友人から続報が入りましたので、内容を転送します。
日本でのコロナ対応とは、ある意味で極端に異なる中国政府の対応ぶりがうかがえます。

(レポート内容)

上海はいま急速に日常を取り戻しつつあります。
大公園中心だった公園開放が全ての公園に及び動物園、博物館、図書館、植物園、大娯楽施設など映画館、カラオケを除き全てが開場となりました。
しかし人々の心はそう簡単には元どうりとはいかず何かに怯えているようにも見えます。

しかしこれはある意味いい事だとおもいます。
統計上はこの20曰間,上海から感染者は出ていずそういう安心感はみんな持っているのですが、あまりにも徹底した厳かい体制から曰常生活に戻ることになにかとまどいがあります。

それに政府は今迄通りマスクをし手洗い、人込みを避け、換気を良くすることなどを推奨して緊張感を持って生活することを求めています。
マンションの入口は依然として検温所があり通行証も必要です。
でも今日から配達の人々は入ることが出来るになりました。それと公園など公共施設に入場するにはスマホによる登錄が必要です。
このように政府市民ともども試行錯誤をしながらコロナウイルスから解放を目指していますが、繁華街の人出を?とみるとこれは8割がた戻っているように思います。

この騒動が始まって初めて一昨日料理店へ入ったのですが、5分くらいの入りで、入口で消毒してくれました。

上海市の感染者のその後ですが3月3曰の338名でビタッと止まって入院者も18名を残すところで、形勢が突然激変しました。

10曰ほど前から先ずイランから3名,イタリアから2名その後はイギリス、アメリカ、ドイツ等留学生を中心に外国人の駐在員も含めて感染者が94名にも及びます。

入国者はまず北京へ、2番めに上海へ向かいます。
たまりかねた政府は昨日北京空港への入国を禁止しほかの空港へ向かうようにもとめました。
それと同時に検査を徹底させるため全ての入国者にpcr検査を実施し14曰の隔離を自費でもとめました。
これにより上海への負担はさらに重くなります。

さて上海から数千名,中国全土から4万2千名以上に上った紧急医療救援隊ですが現地で热烈な送迎会を受けて続々と、行くときの悲壮感や心意気と打って変わって柔らかな安堵に满ちた表情で凯旋してきました。
歓迎、白衣の天使と大きく書かれた横断幕の前で空港には上海市長も出迎えました。
しかしこれで解散ではなく、上海市郊外のホテルで2週間の隔離生活に入るそうです。
なお上海隊はまだ1400名が残っているということです。
上海隊の隊長を務めた大病院の副院長の人がテレビのインタビューで現地の模様を詳しく話していたのですが初めは防護服も不足していて、8時間休息がなかったそうです。
そのような中で驚いたのは、上海隊には一人の感染者も出なかったそうです。

中国からは今イタリアやイランに救援隊が出ているのですが、この先生も一段落したら出かけたいと話していました。すごいです 。

さて武漢ですがホンダなど大企業を中心に操業を開始し、また武漢から労働者が新幹線の特別号車で広東へ通勤をはじめています。
武漢の中心駅が最後の大規模な消毒を終え今日から武漢のすべての駅が再開しました。

こうして日常を取り戻しつつある中国ですが 世界では大変な事態になっていますね。
今日ネットでニューヨ一クに住む日本人がすでに失業者が街に溢れだしていると書いていて驚いたのてすが、この2か月の中国のことを改めて考えてみると14億人の中国人がすべて隔離されて生活している状熊の中でどうして平稳が保ってこれたかというと、休業中の会社員だけでなく全ての飲食店の店員などにも滞りなく給料が支払われていたことが一番大きく、さらに医療救援隊人たちには3倍の給料が上乘せされた、またコロナウイルスに関しては検査や治療费が無料だったことがみんながかくさず申し出たことにつながったと思います。

曰本は比較的平稳なように見えますが、中国も含めて油断はきんもつですね。
お互い気を引き締めて完全終息に向けて頑張っていきましょう。
一刻も早く世界が平稳を取り戻すことを祈ってやみません。

以上です。

新型肺炎について、上海からのレポート

新型肺炎の流行は気になるところです。

山小舎おじさんの知り合いで、上海に住んでいる日本人がいます。
20年近く前から調布の田んぼ作りで一緒に活動していた人です。
その人は現在、中国人女性と結婚して上海に移住、時々帰ってきています。

中国での新型肺炎流行のニュースを見て心配になり、LINEで連絡をとってみました。
以下の通り返信が来ましたので本人の許可を取って転載します。

なお、明らかな変換ミスはこちらで修正しました。
また文章ごとに段落を改めました。

こんにちは‍‍。武漢が閉鎖されてから丸一月が経ちました。
今の私達上海の人たちは小区と呼ばれる数棟から数十棟の塀に囲まれたマンションの中で息をひそめるように暮らしています。
幾つかある門は正面玄門关 正面玄関以外は全て閉鎖され、出入りは特別今回発行された証明書を提示することになりました。
住人以外の立ち入りは親戚といえでも禁止です。
用事のある時は門のところまで出向いて行くことになります。
外出から帰ったときは全ての人に検温がおこなわれます。
配達の人も同様で荷物は警備の人受け取ります。

外出もできるだけ控えるように通達されているし皆恐怖感があるのでたまに街に出ても人出は通常の2割ぐらいでしようか?
それにス一バ一や市場、商店街には必ず検温所があって、一度の外出で何度も検温されることになります。
マスク着用が義務付けられていて、していない人はバスも地下鉄もタクシーも乗車を拒否されます。
咳をするにも気をつけないと、ひどいと通報されかねないのでそういう人は出かけることを控えるので安心な面はあります。
それほどみんな気を使っています。

そのマスクですがなかなか手に入らないのですが小区で5枚ずつ配布したのと薬局で混雑を避けるために予約製で5枚買うことができます。
高値で売り出した人が何人も逮捕されました。
偽マスクを販売した人達も即逮捕されました。
今の上海人はこういう事には敏感ですぐパトカーを呼び警察も厳しいのです。
昨日久しぶりに散歩に出たのですが商店街は閑散としていて開店している三分の一くらいか?いつも太極拳に通っている公園も閉鎖されていて学校も休学中なので元気な声も聞こえません。オンラインで授業を行なっているようです。

十日から会社も始まっているのですが70%くらいの出勤率だそうで、自宅勤務も多いそうです。春節の休暇が終わって中国各地から帰ってくる人達で感染者が増加するのではという懸念がありましたが幸いそういう事もありませんでした。
帰宅した人達には二週間の自宅待機が義務付けられましたが、これが厳格に守られたのは上海人の住まい方にあります。
現在は帰宅者は全てチェックされ外出できないし、用事があれば居住委員会が代行してくれます。

最近の二千五百万都市上海の感染者の推移です
16日328名、
17日332名、
18日333名、
19日333名、
20日334名、
21日334名、
22日335名、
23日335名、
24日335名です。


次に退院者の推移
16日、140名
17日、161名
18日、161名
19日、177名
20日、199名
21日、211名
22日、227名
23日、249名
24日、261名 となっています。


この様に既に80パーセントの人が退院しています。

ちなみに死亡者が3名います。
これらの情報は每日スマホの画面で閲覧でき住所氏名年龄性别,行動歴がわかります。
ちなみに私の住む渋谷区感染者は17名,時々通る、歩いて10分から20分くらいのところに4か所感染者が出て一帯が封銷され近付かないようにしています。

次にこれまでの経緯を記します、武漢が閉鎖された1月23曰の数日前からニュースで危険なウイルスが広がって来ていると知ったのですがその時はこんなに大ごとになるとは思ってもいなかったので春節を利用して24日(大晦日)から近辺の旅行に出かけました。
すると3曰目の朝バスの中で団体旅行禁止命令が出たとガイドさんから伝えられて、予定を繰り上げて帰路に着きました。
上海市に入るところでチェックがあるかもしれにというという話でしたがそういうこともなく帰宅しましたが翌日あたりから大変な騒ぎとなりました。
上海へ入る地下鉄、髙鉄(新幹線)バス、自動車もすべて検査体温チェックが行われるようになり、公園閉鎖,料理店の营業停止と厳しさをまししていきました。

今日のニュースでは上海の病院では全ての病院が正常な状態に戻ったと伝えています。
このように上海に関してはコロナウイルスの経緯封じ込めに成功しつつあると思います。
他方湖北省、武漢に目を向けるとまだまだ悲惨な状況が続きそうで心が痛みます。
これもすべて隠蔽体貭と初動の遅れによる医療崩壤があり、地方政府が制御不能に陥った結果だと残念でしかたりません。
その証拠に湖北省,武漢以外では明らかに收束に向かっているからです。
ただし感染者,退院者がほとんど上海と同じ様な経過をたどって来た北京の病院で一昨日突然大量の感染者が出たのには哑然としています。

その医療崩壤ですが、上海から真っ先に医療支援隊1380名が数日して1500名の第二陣が救助に向かいました。
その後大病院中心だった救隊が三日前八次となる救援隊は中規模の病院(東山病院くらいの)まで駆け付け正に上海中の病院が空っぽになるのではと心配になるほどの势いです。
このようにして中国中の病院から武漢入りした医療隊は3万人に上ると言われています。
8曰で完成させた病院は前もって現地入りしていた1300名の軍隊の医療隊が治療にあたりその後2次の救援隊も现地入りました。

まだまだ続く 最初のころ现地の医療么従事者は訳もわからない混乱状態の中で極度の睡眠不足疲劳,ストレスの中では多くの感染者,死亡者も出で正に不条理な犠牲者というほかありません。救援隊の方々人たちは大勢だし髪の毛もばっさり切って勇ましく出発していますが(勝ってくるぞと勇ましく)正にこちらでも(白衣の戦士)と呼ばれています。
新しく现在入りした人たちによって以前からの人たちの労苦が少しでも和らぎみんな無事で帰ってこられることを祈るばかりです。

今の時点で考える所は、上海のような普通の医療体制ならそれほど恐ろしいウイルスではないのではないか?という事です。
きちんと栄養、睡眠 を取り、手洗い、マスクを付け(他人のため)免疫力を高めることが肝心なことだと思います。
お互い十分気を付けて早く普通の曰常生活に戻れる日を待ちたいと思います。
以上です。^_^

 

臨場感のあるレポートです。
奥さんが中国人であり、現地に溶け込んで暮らしている人なので中国人目線の気持ちが伝わります。

なお、文中、略字の漢字が散見されるのは中国製のスマホだからでしょうか?
中国製スマホで日本語変換ができるのかな?

*文中にある「東山病院」とは調布駅前にある中規模の総合病院です。

講談社現代新書「愛と暴力の戦後とその後」を読む

ブックオフの100円コーナーに立ち寄るのが趣味の山小屋おじさん。
タイトルと目次を見て,カンで選んだこの本。
読んでみてびっくり。
いい作品に巡り合いました。

著者・赤坂真理について

1964年東京生まれ。
雑誌編集者を経て小説家に。
「東京プリズン」にて毎日出版文化賞などを受賞。

本作執筆の動機

本書の前書きに「研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近代史を知ろうともがいた一つの記録」とあります。
また、「習ったことより原典を信じることにした。少なからぬ原典が英語だったりした」とも書かれています。

本書の構成と切り口

著者が本書のテーマとしている近代史において、欠かせない概念なりキーワードがあります。

その中から、憲法(戦前、戦後とも)、戦争と日本軍、降伏と占領、安保条約、戦後政治、オウム事件などを取り上げて論評しています。

著者は、必要に応じて原典(安保条約などは英文)にあたり、また戦中派世代の実母のエピソードや、自らの子供時代やアメリカ留学時代のカルチャーショックな経験を取り入れて語ってゆきます。

本書の内容拾い書き

本書138ページに以下の記述があります。

「私が大日本帝国軍を見るとき一番傷つくのは(中略)大日本帝国軍は大局的な作戦を立てず、(中略)陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し(中略)多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。」
「それは正規軍といえる質だったのだろうか?この問いに直面するとき、日本人として本当に傷つく。本当に恐ろしくなる。」と。

また、「日本軍人」は「戦後の受験エリート」と、机上の空論を弄する点では同じではないか、と指摘しています。

さらに、オウム真理教と近代日本が「神を創ってそのもとにまとまり、戦って負けた」点でそっくりであり、その点でオウム事件は多くの日本人にとって「身内」の犯罪だった、とし。
「身内」の犯罪だったががゆえに、事件後は何もなかったように「隠ぺい」されたとの指摘しています。

安保条約については英文の原典にあたり、その条文第一条が「日本が欲し、アメリカにお願いする」と構文されていることを示しています。
日本国を主語とする条約文を外国であるアメリカが書いていることも。
しかも「勝手に」書かれた日本がまんざらでもなく、アメリカと日本の倒錯的な相思相愛関係がその条約に映し出されている、と述べています。

ある意味で戦後を象徴するであろう憲法9条については、アメリカが英文で書いたからこその明快なラディカルさがあると評価し、日本人が日本語で書いたのならもっとあいまいない表現になったろうと述べています。

また戦後の日本政府は、田中角栄に代表される「大きな政府」だったときも、小泉、安部に代表される「小さな政府」による現在も、一貫して自由主義的であり、弱者に対する姿勢は「自己責任」を押し付けてきたとも指摘しています。

感想

女性の直観と感性が日本近代史の本質を明快に壟断しています。

同時代を生きる「共犯者」としてだれもが口をつぐんでいた「あいまいな日本」の根本が暴かれています。

日本人が、「知っていても知らないふり」で通してきたことを素材にしています。

例えば、「地位協定」と言われる、日米の不平等な秘密条約があります。
最近、マスコミでも報道されてきています。

著者はジャーナリスチックなアプローチだけではなく、独自の観点で日本近代史に迫っています。

おじさんが気になったのは、「傷つく」というフレーズが作品中に時折出てきたことです。

著者の繊細な感性が「傷つく」のは、祖国日本が、あいまいな概念と、無責任なシステムのまま、「近代化」の嵐渦巻くグローバルな現代社会に乗り出しては、弱者が一方的な不利益を被ってきた数々の歴史を見た時だったのでしょうか。

平易な文体で読みやすく一読をお勧めする本です。

 

 

 

おじさんの失敗 ブログの写真が消える

「山小舎おじさんの東京長野暮らし」のブログも100回を超えました。
読んでいただきありがとうございます。

さて、先日、過去のブログに一部訂正する必要があったので開いたところ、写真が消えている記事があることに気づきました。
写真が消えた記事は2018年12月1日付から2019年2月18日付の間のものです。

原因は、ブログ機能中の写真ホルダーのデータを、当該日付間において消したためだと思います。
写真データの一部を消したのは、新しく記事を作り写真データをブログ機能(ワードプレス)に移管する際、反応が遅かったので、てっきりデータ過剰だと素人判断の上、とりあえず、2018年12月以降の写真データを分を消したのです。
ブログ機能のレスポンスを早めるためでした。

ところがブログの写真データは、ホルダーのデータと紐づいていたため、元データが消去されたブログ掲載の写真が消えてしまったのでした。
全く素人判断は恐ろしいものです。

これから暇を見て写真の復活作業を行います。
パソコンのデスクトップに保存されている当該写真データをブログに移し、ブログの文間に写真を張ってゆきます。
できるだけ元通りに復元するつもりですが、記憶違いなどにより、若干の不手際があるかもしれません。

写真あってのブログですのでこのままにはできないと思います。
東京にいる間に作業完了を目指しています。

今後ともよろしくお願いいたします。

月遅れのお墓参り 北海道へ帰る

9月21日から23日、北海道へ墓参りしました。

妻、息子と娘一家の計7人の大移動。
初日は朝6時半の飛行機で羽田をたって旭川空港へ。
9時の旭山動物園の開演を待って入園。
地震の影響か、人出は多くない。ゆっくりと巡る。
シロクマ、アザラシなどが泳ぐ姿を水槽越しにすぐ近くで見られて、孫も大喜び。

その日のうちに札幌へ移動。
眠気に負けず、札幌までの高速道路の運転は娘の婿さん。
夕食の後、遅れて札幌で合流した息子を、婿さんともども、すすきので迎える。
妻、娘らをホテルに残し、男3人で改めてのジンギスカン。
いつもは観光客が並ぶジンギスカン店・だるまは、並ばずに入れました。
すすきのは、金曜日で人出は多いが、いつもの外国人団体の数は少ない印象。
ジンギスカンは相変わらずのうまさでした。

翌日は、札幌市内でお寺参り。両親と兄の墓参です。
住職は父親の17回忌を覚えてくれ、丁寧にお経をあげてくれました。

親せきの家により、仏壇へお参り。そこには祖母が眠ります。
夕食はその親戚のアレンジで、いつもの海鮮居酒屋へ集合。サンマ、カニ、ウニなどの海産物を堪能。
地元ではタチと呼ばれる、真タラの白子は、冬がシーズンですが、出ていました。すかさず、天ぷらを注文。

北海道を離れて40年近く。今では第2の自宅が長野にある状態で、ふるさとへの距離はますます遠ざってますが、元気な限り、毎年のお墓参りで帰郷するのを楽しみにしたいと思います。

帰りは千歳空港から。近くの道の駅・サーモンパークへ寄る。
インデイアン水車を見るが、まだサケの遡上は少なかった。