バイト開始!

今年も姫木別荘地管理事務所のアルバイトが始まりました。
山小舎おじさんは連休直前からの参加です。

半年ぶりにつなぎ作業服を引っ張りだしました。
4月なので寒さを心配し、つなぎの下には半袖シャツの上に薄めの長袖を着て出かけました。
その日は、日差しが強く暑いほどでしたので、午後は長そでを脱ぎ、半そでの上につなぎという夏のスタイルにしました。

冬の間吊るされていたつなぎ作業服を干してバイトの準備

バイト仲間は例年通りのメンバーがそろっていました。
平均年齢がまた一つ上がりました。
30代が一人いるものの、70代が3人、60代が2人のメンバーでした。

久しぶりに会う方々の元気な顔を見ながら、路肩や側溝の落ち葉を掻きだし、集めて積み込みました。今年初の作業にしては体が動きました。
1日働くと腰が痛くなりますが、汗をかき、なまった体の内部が一巡しすっきりするのが何ともいえません。

今年から支給されたセット。草刈り時の前掛け、メガネ、軍手、ゴム手、帽子など

春先は落ち葉集め、初夏になると草刈りがバイトの仕事です。
これから10月まで週2回ほどのペースで参加しようと思います。

何よりこちら側の都合が優先なので、家族が山小舎に来たり、旅行に行ったり、自宅に帰ったりすることがあるとバイトは休みます。
それでもいい勤務形態なのが気に入っています。

年の瀬の信州  茅野

茅野駅周辺で、「年の瀬」を探しました。

茅野駅とつながっている商業ビル・ベルビアのホールには巨大なクリスマスツリーが立っています。
12月も中旬を迎え、ツリーの足元にデコレーション?が施されていました。

ベルビアのロビーの巨大なツリーとデコレーション
ベルビアの駅通路入り口。メリークリスマス!

最初はイエス生誕のベツレヘムの風景でも模したのかな?と思いましたが、そうではないようです。

今度はベルビアと反対側の茅野駅東口へ行ってみました。

駅の外へ出て、SLがおいてあるあたりを見ると、立木にイルミネーションが施されているのが見えました。
駅周辺の年末の「映え」スポットのようです。
昼間なのが残念です。

東口広場のイルミネーション

更にポスターにつられて市民会館へ行ってみると、ホールの片隅にクリスマスツリーのデコレーションがありました。
観る人もいなくがらんとしたホールが寂しかったですが。

会館内のレストランは食事やお茶をたしなむ地元マダムたちで賑わっていました。

駅の連絡通路でポスターを発見
市民会館のロビーに飾られたツリー
市民会館の通路には子供が作った三角帽子も

茅野にも静かに年末がやってきます。
メリークリスマス!

師走の茅野駅ホーム。はるか向こうに八ヶ岳

年の瀬の信州  丸子

上田市丸子地区の直売所・あさつゆに、しめ縄の特設売り場ができていました。

直売所あさつゆの特設会場外観

あさつゆの本体とは別棟のビニールハウス(春には野菜の苗売り場になります)に紅白幕の飾りつけ。
田舎に於いてはこの紅白幕というシロモノ、おめでたい時やハレの場に出現するもので、地元にとってはお祭り感を演出する際に欠かせないもの。

紅白幕は、都市部でもかつては花見の席などに張り巡らされていましたね。
日本人に特別感を抱かせる伝統的なツールなのでしょう。

たまたまあさつゆに立ち寄った山小舎おじさんも、当然のように吸い寄せられるほどの磁力と特別感を、紅白幕は醸し出しておりました。

特設会場の入り口にも工夫が

会場に入ってみると、予想通りというか予想以上の品ぞろえ。
街のホームセンターや年の市などでは太刀打ちできないほどの季節感が、広めのビニールハウス内に炸裂しておりました。

レジのおばさんに断って会場内を撮影。壮観だ

レジのおばさんに聞けば「農家さんが冬は暇だから作ったものです。年配の人のみならず、移住し新規就農して3年目くらいの人も出してます」とのこと。

自宅用にしめ飾りを購入

嬉しい話です。
決してまだまだ「過疎」とはいえない町場の丸子地区。
上田と合併したとはいえ、県立高校(かつての丸子実業、現在の丸子修学館)もある地域の中心です。

「丸子にも移住者がいて就農しているのか」。
高齢化して空き家は多いだろうけど。

季節感を大切にしたいと、自宅の分と山小屋の分のしめ飾りを買った山小舎おじさんでした。

茅野駅とつながった商業ビル・ベルビアのホールにはクリスマスツリーが出現

実りの秋

令和5年も実りの季節を迎えました。

暑かった夏。
暑すぎて外出する気にもならなかった8月、9月ですがその間にも季節は進んでいました。
田んぼはいつの間にか黄金色に波打っていました。

刈り取った稲をハザに干す風景があちこちで見られるのも信州ならでは。

直売所やスーパーには早くも新米が出ています。
あちこちの畑では夏野菜の終わりの時期を迎え、秋物の大根が育っています。
山小舎おじさんは夏の暑さにやられて、今年は秋野菜の作付けはできませんでした。

手前にコスモス、後ろにハザの風景

信州はいよいよ実りの時期の最終章を迎えます。
お米が採れてリンゴの収穫期を迎えるといよいよ実りの季節の終わりです。

スキー場跡地の草苅

山小舎がある姫木別荘地の中央の斜面にはスキー場の跡地があります。
既にリフトやロッジなどは撤去され、斜面のみが残されたスキー場跡地です。
初夏にはわらびの採取地となりますが、それ以外は、景観的にも実利的にも何の貢献もなくたたずんでいます。

姫木管理事務所では毎年秋に、スキー場跡地の草刈りを行います。
1年ほおっておいたスキー場斜面はススキやその他の雑草に覆われています。
その丈は1メートルほどにもなるでしょうか。
数年ほおっておくと灌木が生え始める草原です。

毎年春から夏にかけて、別荘地の道路側溝の落ちが除去や、初夏からの草刈り作業に出ている山小舎おじさん。
おじさんにとって作業バイトは、貴重な住民間のコミュニケーションの場であり、体力増強の機会であり、現金収入の手段でもあるのです。

とはいっても毎年8月を過ぎると、バイトへの意欲と体力も失せていた山小舎おじさん。
毎年9月過ぎに行われる、スキー場の草苅は今年が初めての参加でした。

下から見上げるとススキが原は昨日までの作業で刈られた跡が段になっています。

斜面の草刈り作業は、下半身の安定と草刈り機の動作の連動が必要な高度なものであることに思いがいたります。

草刈りの時期を迎えた姫木スキー場跡地

標高と水平に谷側に向けて刈り落してゆくのですが、慣れるまでは大変です。
平地で行う草刈り以上に、足腰に負担がかかります。
おまけに9月とは思えない日差しが降り注ぎます。

40分に一度、15分の休憩がある、老人には優しい労働形態なのですが、この日ばかりは休憩が待ち遠しいこと。

休憩時間は草刈り機とヘルメットを置いて一息

それでも休憩時間に見上げる空の高さは信州の田舎ならでは。

バイト仲間との情報交換も貴重。

前半はひたすら苦しく重かった体も、夕方にはひと汗かいて軽くなったような気がしました。

9月とは思えない青空と積乱雲

丸子城址に登る

上田市丸子地区は、諏訪と上田を結ぶ大門街道沿いに開けた町です。
大門街道に沿っては依田川が、和田峠に端を発し千曲川への合流を目指して、流れています。
その大門街道と依田川を見下ろす小高い里山の山頂に丸子城址があります。

丸子公園にかかる案内板

山頂の丸子城址からふもとに広がる一帯が丸子公園となっています。

桜が散り始めたころ、畑作業を終えた山小舎おじさんは丸子公園へと寄ってみました。
依田川沿いの丸子公園は桜の名所であり、五月の節句の時期には、数多くのこいのぼりが、川を渡って吊り下げられ、風に泳ぐ場所でもあります。

丸子城は第一次上田合戦で、真田側の武将の居城として、徳川軍を迎え撃った実戦の場でした。
第一次上田合戦は、群馬県の沼田城を討った真田(幸村の父の時代)に、徳川が沼田城の放棄を求め、真田がこれを拒否したため、徳川が真田を懲らしめに出兵しておこりました。

真田本隊が陣取る上田城を攻めた徳川でしたがどうしても落ちず、一方の真田方である丸子城へと進撃先を変更しました。
丸子城は激戦の末、徳川軍の征伐を許さず膠着状態へ。
やがて徳川軍は佐久方面へ撤退していきました。
真田軍の徳川に対する最初の勝利の戦さです。

公園内の遊び場

さて、令和5年の丸子公園。
麓の公園は桜の季節。
家族連れが三々五々、子供を遊ばせています。

山小舎おじさんは山頂の城跡を目指し、山道を登り始めます。
案内板によると、500メートルで二の郭と呼ばれる場所につき、そこから350メートルで山頂の一の郭(天守)につきます。

丸子城址案内板

畑作業でウオームアップしたせいか、さしたる疲労もなく坂道をたどってゆくことができました。
山道はしっかり整備されていて、足元に不安はありません。
不安は自分の脚自体だけです。
日曜なので思ったよりハイカーの姿が多く、数組とすれ違う。
幼児や足の若干不自由そうなご高配の姿もあります。
さすが山の国長野県です。
春先なので風が冷たいです。

丸子城へ向かう山道

二の郭に着くと家族がシートを広げて日向ぼっこしていました。
復元された物見台に上ると、幼い兄弟も自力で登って遊んでいきました。

物見台からはふもとの大門街道はもちろん、遠く浅間山や菅平方面までが望めます。
和田峠方面は目と鼻の先だます

二の郭
二の郭から望む浅間連峰方面
上田市街から菅平方面

ここから見れば外敵の行動は丸裸だなと思いながら、一の郭を目指します。
終点までは、隣の山の山頂まで行かなくてはなりません。

一の郭へ向かう尾根道
あの山の頂上が一の郭

少し息が切れてきたが一の郭へ着きました。

井戸以外に何の遺跡もなく、歴史の彼方に過ぎ去った丸子城。
変わらぬものはここから眺める遥かな山々の姿だけなのだろう。

一の郭後の達東屋から八ヶ岳方面を望む
大門街道、依田川を見下ろす

立科町 津金寺

少し前のこと、3月の末に、津金寺というお寺を見てきました。
立科町にある古いお寺です。

上田市の丸子地区から山を越えて佐久方面に抜ける道沿いにあります。
その道を通るときにはいつも「立派なお寺があるなあ」と思っていました。

ある日、佐久方面から丸子へ寄って帰る道すがら、ふと思い立ち、その「立派なお寺」に寄ってみました。

津金寺は古代東山道沿いに702年の開基とし、長く信濃地方の学問の拠点だったお寺です。
戦国時代に織田信長の軍勢に焼き討ちに遭いましたが、江戸時代には漸次復興したとのことです。

駐車場に軽トラを入れ境内に降り立ちます。
境内の広さがわかります。
境内全体の案内図や建物の案内板が訪れるものを案内してくれます。

まず山門を眺めてみます。

仁王門(山門)を横から見る
仁王門正面

仁王門といわれる山門で、立派な仁王様が、浅間連峰方面ににらみを利かせています。

古いが力強い仁王像

本堂らしき建物が池と橋の向こうに見えます。
観音堂と呼ばれる建物で、折から開花目前の桜が風景を彩っていました。

山門をくぐると観音橋の向こうに観音堂が
観音堂

観音堂横の墓所には数々の墓石が並び、歴史の古さと地域の人心のよりどころであったことを示しています。

観音堂横の墓石の群れ

立派なお寺ですが人気がないのが寂しかったです。

遠くには残雪をいただいた浅間山の姿が見えました。
立科町の春が間近でした。

浅間山がのぞく

立岩和紙の里新そば祭り

長和町の立岩和紙の里で、新そば祭りが開かれました。

畑で菊芋堀りの作業を終え、丸子のスーパーに買い物に下りた山小舎おじさんが、いつもの通り和紙の里を通り過ぎようとしたとき、敷地内に屋台のテントを見かけました。
リンゴ詰め放題などもやっています。
新そば祭りの幟もたっています。

どこかで昼食でもと考えていた山小舎おじさん、和紙の里に立ち寄ることにしました。
新そばも気になります。

今川焼の屋台が一張り、何張りかのテントの下には新米、お茶、クルミ団子などを売る出店が2、3軒、軽トラでリンゴ詰め放題をやっているのはリンゴ農家でしょうか。
出店の間を歩いている人の数がかわいそうなほど少ないのが、地元長和町らしい憎めない田舎の風情を醸す。
やはり目玉は新そばのみか。

和紙の里の食堂へ入ると、順番待ちのお客さんの列。
今日のメニューは新そばのもりと辛味の二種類のみ。
おじさんも名前を書いて順番を待ちます。
待つ間に気になるリンゴ詰め放題へ向かいます。.

町内の山すそにブドウ園と隣接するリンゴ園があり、そこの出店とのことです。
リンゴはシナノゴールドとシナノスイートの二種類。
500円払ってビニールの袋をもらい詰め込みます。
20個近くも詰め込んだでしょうか、最後は出店者のおばさんに手伝ってもらってあふれんばかりに詰め込みました。軽トラに運ぶ間に1個落としてしまうほどでした。

リンゴを軽トラに運んで食堂に戻ると間もなく名前を呼ばれて席に着きました。
もりそばを頼みます。

運ばれてきた蕎麦。
ツユがたっぷりあって、蕎麦湯がセットされているのがいいですね。
じゃぶじゃぶツユに漬けてそばをすすり、蕎麦湯も全部飲み干します。

新そばは噛み応えがあり、新鮮な感じがしました。

高遠、青木村など各地で新そばのニュースが届きます。
あと2、3か所で新そばにトライしてみようと思いました。

納豆に和える野沢菜

山小舎のお向かいさんは、スコットランド出身の65歳。
山小舎おじさんとほぼ同年齢ということもあり、付かず離れずの付き合いは、おじさんが先代のオーナーに導かれて山小舎に遊びに来始めてから、かれこれ7、8年。

この紳士、スコットランド出身がアイデンティティ。
車にユニオンジャックをシールしていたり、ここぞという日には伝統のスカート姿になったりする。
毎朝バグパイプの練習をしていたことも。

最近は故合って独身をかこつこの紳士。
働き先を上田の中学校の英語講師から、地元和田地区の漬物工場へ変えてしばらくたつ。

時々製品のアウトレットや試作品をいただくことがある。
野沢菜漬けが主力商品の工場らしいが、社長が意欲的で色んな新製品をトライアルしている。
スモーク野沢菜、という漬物もいただいた。
野沢菜にスモークの香りをつけたもので、酒のつまみに最高だった。

今般いただいたのが、納豆に和える野沢菜。
そのアイデアに驚くまでもなく、新アイデアね、と抵抗なく試食させてもらった。

今般いただいた新製品がこれだ!

山小舎でよく食べる地元大豆を使った大粒の納豆に混ぜてみる。

山小舎御用達の納豆がこれだ!

野沢菜の塩味を考慮し、しょうゆを使わずに食べてみた。
少々塩味が足りなく感じた。

まずは、しょうゆなしで混ぜてみる!

二度目はしょうゆを加えてみた。
野沢菜も多めに混ぜてみた。

納豆ご飯にしていざ試食!

薬味というより、野沢菜も一緒に食べる納豆ご飯になった。
これはこれでいい。

野沢菜漬けは信州のソウルフード、というかそれ以前に食卓の必需品なのだから。

薬味ということなら、からしやネギの方がアクセントがはっきりしている。
納豆に和える野沢菜、は薬味ではなく、納豆と一緒に食べる食卓のお供、なのだった。