ガッテン農法 ネジネジの教えを乞いに

ガッテン農法シリーズです。
最近の山小舎おじさんの畑関係の活動は、ガッテン式の畝立てと、ネジネジづくりが主な内容になっています。

ネジネジを作って、畑の隅っこや、山小舎の玄関、軽トラの運転席に置いています。

ところがある日、ネジネジ関係の動画を観ていて、これまでの作り方が間違っているのでは?との疑問が沸き起こりました。
ねじり方の向きが逆だったのでは?という疑問です。

そこで、ネジネジ実習会の講師を務めた、富士見町在住のN氏にメールで確認しましたが理解に至りません。

気になりっぱなしのネジネジ問題を解決したくて、富士見町のN氏を訪ねて再度、教えを乞うことにしました。

当日の天気は快晴。
富士見町までのルートは八ヶ岳を望むロケーション。

茅野、原村、富士見町と過ぎるにつれ、角度を変える八ヶ岳の姿。
その圧倒的な存在感は、地域にパワーをもたらす源泉が八ヶ岳にあることを余すことなく伝えている。

茅野から見る八ヶ岳連峰

携帯のナビ通りに軽トラを走らせると、N氏の農園にたどり着いた。
八ヶ岳山麓まで見渡す限りの高原の畑の中に点々とする集落。

その集落の中に住み、定住7年目というN氏。
奥さんともどもガッテン農法を実践し、収穫物は直売所などに出荷しているとのこと。
農閑期の現在は、八ヶ岳連峰の権現岳、編笠山にも登り、山頂にネジネジを置いてきたとのこと。

富士見町のN氏農園から見る八ヶ岳連峰

玉ねぎの世話で忙しいN氏に詫びながら、農園のビニールハウスで、山小舎おじさんの疑問に教えを乞う。

改めて疑問への解答をいただくとともに、イラストで分かりやすく書かれたマニュアルをコピーさせてもらう。

N氏の農園のビニールハウスで教えを乞う
デモ用にN氏が作成してある本式ネジネジ
コピーをいただいたマニュアルの1枚

まずは疑問点を解決できた山小舎おじさん。
正しいネジネジを作り直して、農作業や生活を助けてもらいたい、と思った次第。

ゆくゆくはガッテン農法先輩のN氏のように、ますます活動的な田舎暮らしを送りたいと思いました。

シナノゴールド

長野はリンゴの季節が最終コーナーを回ったところ。
11月に主力品種のフジが出てきてラインアップが勢ぞろいした。

最近は夏リンゴといって8月下旬から小型で硬くすっぱい品種が出てくる。

9月になって、紅玉をはじめ、秋映、陽光、シナノスイート、シナノリップ、王林など早生系の品種が出てくる。
同時期にラインアップされるのが、シナノゴールドという品種。

外見は黄色味がかった色味で、熟してくるとほんのり赤味がさす。
実はパリッとしてジューシー。
酸味と甘みが程よく、香り高い。

山小舎おじさんは、リンゴ狩りに行ってこれを食べ、孫ともども、すっかりファンになってしまった。

それからは、直売所に行くたび買い集めて、時折自宅に送っている。
だんだんと、処理しきれないほど集まってしまったのでジャムにしてみた。

最近人気のシナノゴールド

スーパーで値引き品が目に止まり、買っておいたやつをジャムにした。
値引き品は3個で280円ほど。
これは安いと思った。
これまでの最安値はさる場所の無人販売所での3個、200円だったから。

3個で税込み300円は安いほう

実が硬めなので、煮崩れるのに時間がかかったが、特有の香りは失われていない。
リンゴジャムといえば赤味がトレードマークだが、たまには黄色のジャムもいい。

皮付きでジャムにする
大人締めの食味の品種なので、砂糖は白砂糖に少しザラメをブレンドした
やや時間がかかったが煮えてきた
小瓶に3つできた
残ったジャムをパンに乗せて試食

自宅へ良いお土産ができた。

かりんのシロップ漬け

かりんのシーズンでもある。
直売所ではよく見かける。
4,5個入って200から300円と安い。

種類は日本種の本かりんと西洋種のマルメロがある。
地元長和町はマルメロで町おこしをしており、道の駅の名前も「マルメロの駅」という。

かりんの木が庭先にある家も多く、収穫した実を分けてもらえることもある。
加工法ははちみつ漬けが一般的か。
はちみつに溶け出したかりんの成分は咳止めとして重宝する。

ということで、山小舎に集まったかりんを加工することにした。
直売所で買ったり、スーパーの値引き品で買ったり、庭で収穫したのをもらったりして集まった。

はちみつ漬けが簡単で間違いないが、はちみつが高いので、シロップ漬けにすることにした。
ネット検索すると、氷砂糖で漬け込むとはちみつ漬けと同様のシロップができるようだ。

今回のシロップ漬けに抜擢したかりん達

容器を探し、消毒と乾燥。
かりんは色づきの良いものを選別して洗っておく。

かりんを切る前に短時間、熱湯で煮る。
煮ることは消毒にもなる。

いかに濃度の濃い砂糖漬けにするとはいえ、雑菌の繁殖は避けなければならない。

山小舎でもこれまでに様々な食品加工に挑戦したが、生の柿を洗わずに発酵させる柿酢は、3回挑戦してうまくいったのが1回だけ。
あとは青カビが浮いたり、酢でないものに発酵したりの失敗だった。

漬物も同様。
たくあんは2年連続失敗で、今年はあきらめ。
毎年うまくいくのは梅干しと干し柿くらい。

切干大根や、ドライフルーツ類も、ほったらかしではうまくいかない。
乾燥がすすまない時はカビが出る前に、ストーブを使ってでも乾燥を促進させなければならない。

仮にも食品加工。
容器や材料の準備、消毒など、手間がかかるのだ。
その心は、発酵を司る菌への関心の度合いなのかもしれない。

熱湯でかりんを煮て消毒

ということでかりん漬けに話を戻す。

容器は熱湯消毒し乾燥させる。
かりんも熱湯で煮る。

あとはかりんをスライスして種も含めて、氷砂糖と交互に容器に詰めてゆく。
容器は密封せず、冷暗所に貯蔵。
ときどき振って砂糖を溶かしてゆく。

まず縦にカットする
短冊に切ったかりんと氷砂糖

年明けに山小舎を点検に来た時には、かりんシロップがうまくいってるかどうかがわかるだろう。

消毒し乾かした容器に交互に詰めて保存

12月の山小舎

令和2年も師走になりました。

山小舎周辺では先月末から雪が降り始めました。

寒い日はストーブをガンガン焚いてやっと部屋が温まります。

朝と、外出から帰った後は灯油ストーブの力を借ります。

そういった気温の朝は、屋根や積んだ薪の上が白くなっています。
日が当たるまで雪は残ります。

薪割フィールドは白くなっていたある朝
雑木林の地面もうっすら積雪

日が当たっている間はいいのですが、日が陰ると野外での活動はしんどくなります。
動いている間はまだしも、止まって行う作業は日中の晴れの日に限られます。
最も冬の間は晴天が続き、雨や雪の日が少ないですが。

冬らしい晴天に恵まれたある朝

来年の3月いっぱいはこういった気候が続きます。

標高700メートルの畑にも雪が降った

ガッテン農法 ネジネジ実習会

山小舎おじさんが実践しようとしているガッテン農法。

とりあえず農法通りの畝づくりを実践中だが、ガッテン農法と切っても切れないのが「ネジネジ」。
稲わらをねじり、ススキの茎に巻き付けたりして作る、「ネジネジ」を土壌改良などに役立てようとする試み。
ガッテン農法をまとめた三浦伸章さんが2年ほど前に到達した「境地」だそう。

11月に茅野で行われたガッテン農法の講習会でも、ネジネジに関しては、三浦さんによるデモンストレーションと、参加者による簡単な実習があった。

「ネジネジ」を乗せると重いバケツの軽くなり、土中に埋めると土壌が団粒化し、雑草も抜きやすくなる、という触れ込み・・・。

体験すると、気のせいかもしれないが、石が詰まったバケツも軽くなるような感じだし、今後の畑作業を考えると、神頼みであっても、野菜の品質、収穫量の向上と、作業の省力化は推進したいのが、山小舎おじさんとしての本音。

そういうわけで、12月初旬に行われたネジネジ実習会にも参加。
この度の講師は三浦さんではなくて、富士見町在住の農園主のNさん。
自身の農園主宰7年目で、ガッテン農法、ネジネジの実践者だ。

開催時間ギリギリに慌てて会場の茅野市の民家へ行くと、講師のNさんと民家の主が楽しそうに稲わらを梳いており、良い意味で拍子抜け。
蓼科山に見守られるあたりのゆったりとした雰囲気そのままの、リラックスした実習会となった。

会場の民家の縁側にはかりんが干されていました

稲わらをねじって丸める簡易スタイルのネジネジ作りから、ススキにねじった稲わらを巻き、畑に埋めるための本式のネジネジ作りまでを実習。
他の参加者は、一人を除き全員女性。
こういった感性の鋭さ、柔軟さは女性の方が・・・と思わざるを得ない。

講師のNさんによるネジネジ実習会
Nさんのデモンストレーションを見守る参加者

1回の実習でネジネジ作りが身に着いたとはとても思えないし、ましてはその原理など想像もつかないが、結果に貢献してくれればそれで充分。
費用がほとんどかからないのもいい。
来年の畑に期待し、ネジネジを試してみようとする山小舎おじさんでした。

会場を貸していただいた家主の玄関先には本が

浅間山、山麓に行ってみた

令和2年、12月になったある日、急に思い立って浅間山を見に行ってきた。

ひとつ山越しゃ、見える景色が一変する信州。
地域地域で仰ぐ山々も変わってくる。

茅野から見えるのが八ヶ岳連峰、松本からは北アルプスが地元を見守る山、というか地域のシンボル的な存在だとすれば、上田、佐久地方にとっては浅間連峰が、同様な存在なのではないか。

佐久地方から遠望する浅間山の秀峰

ということで、空気も澄み、仰ぐお山の姿も鮮烈なこの頃、佐久地方の母なる山、浅間山に近づきたくて軽トラを走らせた。

地図を見ると、小諸から山麓までのルートがある。

あたりは上信越高原国立公園エリアだ

10月に孫たちとリンゴ狩りをした小諸のリンゴ園の脇を通り、浅間山麓へと登ってゆく。

峠への道を登ってゆく

シーズンオフ、曇天、行きどまりのルート(冬季間、群馬へ抜ける道、湯ノ丸港高原へ抜ける林道は閉鎖)。
通行量はほとんどない。

浅間山登山口への分岐点を過ぎる

浅間山の山頂も雲がかかっている。

雲がかかった浅間山山頂

けっこうな傾斜のルートを登りきると、群馬との県境の車坂峠に到着。
下山してきた登山者もいるにはいたが、肌寒い気温と霧。
単独行の高齢登山者一人のほか、あたりに人影はない。
浅間山一帯が完全なシーズンオフであることを物語っている。

登山者への警告
峠から見た浅間山山頂

湯の丸高原への林道が閉鎖されているので、元来た道を引き返す。
とりあえず浅間山に近づけたドライブだった。

中山道シリーズ第五弾 芦田宿と茂田井間宿

今回、中山道二十六次・芦田宿と、その江戸よりにある茂田井間宿を訪ねた。

芦田宿

白樺湖から、県道40号線を使い、雨境峠を越えて下ってゆくと立科町の中心部に着く。
旧甲州街道との交差点を左折すると、中山道芦田宿だ。

長和宿と望月宿の間にあり、諏訪に向かって笠取峠のふもとに位置する宿場だ。

旧甲州街道・芦田宿

全国的に有名な場所でもなく、山小舎おじさんもあまり来たことがない。
通過するには旧中山道ではなく、新道を使うことが多いので通過することもほぼない。

本陣跡の門構え
現役で営業中の旅館

現役の旅館や、現役の醤油屋、本陣跡などを表面から見て歩き、町の中心部と思しきエリアに建つ「ふるさと交流館」に入ってみた。

ふるさと交流館に入ってみた

最初はいぶかしげに対応してくれた女性職員。
館内にはリモートワーク風にパソコンに向かう利用者、井戸端会議風に情報交換する利用者が三々五々。
平時のこともあり、全員女性だ。

来館の意図を伝えると、職員さんは地域紹介のパンフをくれたり、現役旅館のマッチをくれたり、付近の直売所の情報交換に応じてくれたりした。
部外者には戸惑ったものの、相手の意図を理解するとフレンドリーに対応してくれた職員さんに感謝。
館内に展示されている、東山道、東海道、地元の名士などの資料を見せてもらう。

この芦田宿には、立科町の役場がある。
昔からの街の中心地なのだが、車の流れ、商圏は完全に中山道の新道沿線に移っている。

町の中心部とバス停

ひっそりと時を刻む芦田宿の現在。
真新しい白壁の古民家が軒を連ねる歴史遺産的なエリアでもなければ、古民家が一掃され、宿場の香りが残っていない町に変貌していることもない。
無理なく自然な感じが好ましかった。

茂田井間宿

芦田宿から望月宿(江戸方面)へ歩いてすぐの場所に茂田井間宿がある。
間宿というのは、幕府が定めた正式な宿場ではなく、その中間にあり、宿場で賄いきれない客などをさばくための場所だという。
したがって本陣などはなく、殿様はあくまで正式な宿場の本陣に泊り、家来が泊まるのだという。

旧中山道。茂田井間宿には古い町並みが残っている

ここには造り酒屋が2軒残っており、その白壁が目を引く。
酒屋の一つ大澤酒造が民族資料館を併設しているので入ってみる。

大澤酒造の門構え、敷地内に資料館がある

声をかけると50代くらいの当主が出てきて、二階にある資料館の電気をつけてくれる。
びっくりしたのが鎧兜の展示。
かつての当主が殿様より賜ったものという。
宿場の住民で会っても名主を務めるような存在ならば、名字帯刀を許されたのだ。
名のある街道筋で歴史を刻んだ旧家の重みを感じることができる空間だった。

資料館の中央には鎧兜があたりを睥睨する
名主としての歴史を感じさせる展示物

入場料代わりに酒蔵の新酒を1本購入。

大澤酒造大吉野新酒を購入

通りがかりに見えた諏訪神社。
柱を組んだような本堂脇の外観が珍しくて寄ってみる。
かつての名工が刻んだ彫刻を保護するために柱で囲んでいるようだった。

集落にある諏訪神社
左の骨組みの中に名工の彫刻が保存されている

軽トラを駐車したのはかつての集落の中心地。
村立の学校から後に公民館として使われたという木造の愛すべき建物の前の広い駐車場。
バスが展開するというその場所は、今ではJAも閉店し、ひたすら無聊の時を刻んでいるようだった。

村立学校だった建物
柿の実越しに遠望する浅間連峰

ガッテン農法畝づくりの実践 その3

ガッテン農法にはまっています。
畑に行くたびに畝を掘り、資材を投入して畝立てをしています。
今回はガッテン農法の畝づくりに必要な資材の調達についてレポートします。

枯れすすきを調達

ガッテン農法で大量に必要なのがススキ。
今はススキがシーズンではあるのですが、いかに田舎暮らしの山小舎おじさんといえども、大量のススキを調達するのはひと手間です。

7メートルほどの畝を立てる場合、ススキが一抱え程は必要になります。
数株から10株ほど固まって生えているススキを5回ほど刈って、一抱え程になります。

大門街道沿いのススキの群落。茎の堅い立派なススキが採れる

山小舎から畑の間でススキの群落を探します。
道から近く、軽トラが駐車できる場所、明らかな敷地内ではないこと、が条件です。
ススキは道端にいくらでも生えてはいますが、条件に合う群落となるとそうはありません。

別荘地近くの空き地のススキ。細い茎だが大量にとれる

が、やはり山道。
人に迷惑が掛からないで刈れる場所はあります。

目星をつけた場所で、刃の付いた鎌で刈ってゆきます。
思わず、「俺は河原の枯れすすき・・・」のメロデイ-を心で口ずさみます。

紐で縛って軽トラに積み込みます。
紐で縛らないと走っているうちに風圧で飛んで行ってしまいます。

一抱えを縛って運ぶ。これで1畝とちょっとの量

落ち葉を調達

ガッテン農法では落ち葉も使います。
山小屋周辺に、ミズナラの落ち葉なら無限にあります。
が畑に持ってゆく荷姿に落ち葉を整えるのは、これもひと手間です。

熊手で落ち葉を集め米袋に詰める

熊手で集めて米袋に詰めますが、乾いた落ち葉は軽いものの、まとめるのが大変なので、霜や雨で湿った時を狙います。
7メートルの畝で1から2袋分の落ち葉が必要になります。

燻炭を調達

ガッテン農法の畝づくりでは燻炭を使います。
これは、もみ殻を焼いて自作します。

山小舎付属の炉です。
廃材から生ごみまで何でも燃やします。
これで燻炭を焼いています。

普段はごみ焚きに活躍する炉

まず、炉の中の灰や燃えカスを取り除きます。
種火をおこします。
燃えやすい端材などを使います。
簡単に消えてはまずいので、しっかり火をおこします。

種火はしっかりとまんべんなく燃やす

炉の空気取り入れ口を閉じます。
蒸し焼きにするので、空気が入れば完全燃焼し、灰になってしまいます。
もみ殻の灰はそれで利用価値があるのですが、今回の目的は燻炭化です。

自作の金属板も使って空気取り利口を封鎖

煙突を立てて、その周りにもみ殻を投入します。
しばらく、煙突から盛んに煙が出ます、炎が出るときもあります。

煙突の周りのもみ殻が焦げてゆきます。
燃え具合を見て、もみ殻を混ぜたり、煙突を外したりしながら炭化を待ちます。

翌朝にはもみ殻燻炭が出来上がっています。

種火の上に煙突を立て・・・
煙突が倒れないようにしながらもみ殻を入れてゆく
もみ殻は盛れるだけ盛っておく
翌日に焼きあがった燻炭。少々ごま塩だが・・・

地元パワースポット訪問記VOL.15 日本アルプス総鎮守・穂高神社

気になっていた穂高神社へ行った。

ガイドブックには「信州屈指のパワースポット」と、凛と輝く社屋の写真とともに紹介される穂高神社。
是非いかなきゃ!

穂高神社があるのは安曇野市。
山小舎から行くには諏訪側へ峠を越え、北上しなければならない。
しかも交通量が集中する松本周辺を抜けなければならない。

うーん、混むのは嫌だなあ。
そこで、諏訪側に出て国道20号から19号に入った後、アルプス側に迂回北上し、松本を避ける形で安曇野を目指すことにした。

国道19号線沿いの塩尻から山沿いの山形村へと迂回する。
通称「サラダ街道」と呼ばれている県道25号線を進む。

周辺はバラエテイに富んだ畑作地帯。
いろんな作物が植えられていて観ていて楽しい風景。
リンゴの収穫は終わっていた。

上高地から流れてきた梓川を越える

安曇野市に入ったあたりで、山裾の道から大糸線沿いのメインルート、国道147号線に下りた。

安曇野市の中心部で、大糸線の豊科駅があるエリアは、長野自動車道の安曇野インターにも近く、地元商店街のほか、郊外型チェーン店も並んでおり、交通量も多かった。
北アルプスが雪を湛えた姿を見せている。

安曇野から望む北アルプス
安曇野市豊科地区の商店街

かつては「壁」として日本列島を東西に隔てていた日本アルプス。
その東側は「毛人」の住む場所といわれていた。
朝廷が京都にあった時代の一方的な歴史観だが、なるほど遠望される北アルプスは、近寄りがたくも決然としてそびえる壁のようだ。

安曇野市豊科郷土博物館に寄ってみる。
郷土が現在まで受け継いでいる「御船祭り」に特化したといっていい館内のレイアウト。
手作りの「御船」がぶつかり合う祭りの映像が流れている。
石器時代からの歴史を追うような、一般的な郷土博物館より、郷土の一押しに特化したレイアウトは印象的に映った。

二階では特別展示として、郷土から出征し特攻隊として戦死した青年の資料や、満蒙開拓団、空襲、疎開などに関する聞き書きなどが展示されていた。
きちんと保存されている当時の遺品や、手打ちのワープロによる説明文などを見ると、まじめな県民性がうかがえるようだった。

博物館玄関にあったニホンカモシカの毛皮。寒さに強そうな手触りだった

国道147号線を北上して穂高神社へ。
日曜とはいえ、渋滞ともいえる交通量にビックリ。
大糸線・穂高駅駅前の穂高神社までは程ない距離。

穂高駅前の商店街の背後に隠れるようにして穂高神社はあった。
鳥居をくぐって1時間無料の駐車場へ。
境内に入ってびっくり。

まず、そこら中に鶏が放し飼いになっている。
あとで聞くと「神様のお使い」だからとのこと。

混んでもいなく、閑散ともしていない参拝客。
ガイドブックの写真で目に付くピカピカの社屋は、拝殿の前、境内の中央に立つ神楽殿。

思わず足取りが軽くなり、自然に笑みがこぼれるかのような雰囲気。
来てよかったと思えるありがたさ。
これだけ有名で、参拝者も数知れずの歴史を持ちながら、今も境内に流れるすがすがしい空気。

拝殿
神楽殿
ご神木

帰りに境内にある、御船会館という宝物館に入ってみる。
ここも、安曇野郷土博物館同様に、御船中心の展示だった。
7年ほどごとに行われる遷宮の行事にも、御船に乗った飾り物が欠かせないようで、歴代の写真が展示されていた。

安曇野地方。
真のパワースポット、北アルプスの神々しいパワーを背景に、空気がすがすがしいエリア。
そうすると穂高神社は、「北アルプスのパワーを受取る場所」という意味での「パワースポット」なのだろうか。

長和の里 地域いきいき券

山小舎おじさんにも、町からいわゆる地域振興券が配られた。
引換券を持って、別荘管理事務所に行くと、町内限定の金券3,000円分と町内の温泉施設への入場券2枚をもらえた。

別荘オーナーに配布されたチラシと引換券

山小舎おじさんは住民票は長和町に移していない。
が、固定資産税と地代を合わせて10万円弱、町(と財産区)に毎年納め、町民税約6,000円を納付している。
他の別荘オーナーも同様だ。
それなりに町の財政に貢献しているのだ。

もらった金券と招待券

町内で使うとしたら、限られた飲食店、コンビニ、直売所、ガソリンスタンドくらいしかないが、ありがたいことだ。
コロナ様様、なんちゃって。

金券は500円券が6枚です

早速、町内にある道の駅での買い物に使わせていただきました。
鷹山ファミリー牧場の煮込み用牛肉720グラム。
煮込み用としては見るからに肉質よく、家族にも好評だったもの。
2,000円分の振興券で購入し、自宅に送りました。

長和町さん、ありがとうございます。

鷹山ファミリー牧場の煮込み用牛肉