シラカバを伐採したが その7 最終章

初夏に伐採を始めた山小舎の裏のシラカバの処理が最終段階を迎えました。
いよいよ割ったシラカバを、乾燥台への積みこみます。

裏の斜面の端っこに、玉割し、四つ割りしておいたシラカバが散在しています。
この後は、四つ割りしたものを風通しの良い場所に積み上げるのですが、積み上げる場所は近場にします。
斜面に、空いた乾燥台が2パレット分空いています。

なお、本式に乾燥させるには四つ割りではなく、さらに半分くらいにした方がよいのですが、省力化のためと、ほかに燃料として利用できる薪がたくさんあるため、四つ割りのままとりあえず積み込むこととします。
このまま来年の夏を過ぎるまで置いておきます。
燃料として使う前に、必要に応じて割り進めることにします。
その方が割りやすくもなりますし。

ということで、現場までなるべく近くに軽トラをバックで進めます。
軽トラの荷台まで、四つ割りしたものを二つずつ抱えて運びます。
軽トラの重量が、斜面を進むのに支障がないように気を付けます。
四輪駆動の軽トラの性能が素晴らしいとはいえ、斜面でスリップするのは勘弁です。
積み込んだら、乾燥台まで発進します。

軽トラに四つ割りにしたシラカバを積み込む
乾燥台に積み込む

乾燥台に積み込みます。

積み上げる

風通しがよく、また崩れないように積み込みます。

シラカバの伐採、玉割、薪割り、積込み作業の終了です。

ふたつのパレットに積む
シラカバを伐採した現場は今

信州ソウルフード放浪記VOL.39 戸倉駅立食い蕎麦かかし

戸倉上山田温泉の玄関口・しなの鉄道(旧国鉄信越線)戸倉駅の待合室に、立食い蕎麦店があります。
蕎麦を手渡すカウンターにはパック入りの焼き鳥や総菜、おにぎりなどが並びます。
お客さんが蕎麦をすするのは、待合室の椅子です。
テーブルもあります。

しなの鉄道戸倉駅

戸倉温泉は千曲川の右岸、上山田温泉は左岸にあります。
上山田温泉は、芸者さんがいて、飲み屋街が何本もの路地に続く歓楽街的な温泉場です。
温泉ホテルが何軒も建っています。

駅前には、温泉へ誘うアーチが掛かる

戸倉温泉には今はやりのスーパー銭湯的な、日帰り温泉施設があります。

軽井沢と長野市を結ぶ、しなの鉄道戸倉駅はこの両温泉への最寄り駅です。

立食い蕎麦かかしへ寄ってみます。
お店の中から「何にします?」と元気な声が掛かります。
目前のパックの列に目を取られつつ、メニュー表の中からかき揚げ蕎麦を注文します。
ついでに目に入った、柴漬け入りのおにぎりも。
かき揚げ蕎麦550円、おにぎり180円は今どきの適正価格でしょう。

立食い蕎麦かかしの全景
カウンターのパック入りお惣菜
またまた、お惣菜

料金は店主に手渡しの、今時珍しくなった完全アナログ・対面コミュニケート方式です。
一気に昭和の懐かしさが漂います。
カウンター前のテーブルの上の、割りばし入れ、七味、おしぼりも強烈に「昭和」を主張します。

店を取り囲むようにテーブル席が広がる

店主からそばを受け取り、テーブル付きの椅子でいただきます。
待合室には誰の姿もありません。
懐かしい蕎麦ダシの味と、手作りおにぎりを一気にかき込みます。

かき揚げ蕎麦とおにぎり

三々五々、部活を終えて帰ってきた高校生たちが、駅に降り立ち、散ってゆきます。
過ぎし日の、ローカルな駅の風景そのままです。

店主に了解を得て、店周辺の写真を撮りました。
状況が許せば、一杯飲んでゆきたくなる場所でした。
ここは、信州の角打ちのような場所なのかもしれません。

守屋山表参道 守屋神社

諏訪(茅野)と高遠を結ぶ峠道の杖突街道(国道152号線)。
杖突街道を諏訪側から越えたところに、古屋敷という集落があります。
諏訪大社の神長官・守矢氏の弓矢の埋蔵伝説がある場所とのことです。
杖突峠から少し離れたところに登山口のある守屋山は、諏訪の神様の依り代であるといわれています。

また、杖突街道は中央構造線に沿って走る谷沿いの道で、西側と東側では地質が異なっているそうです。
街道の沿線には、パワースポットの寺社があったり、地質が露呈している場所が複数あります。

山小舎おじさんは、高遠、伊那方面に行くときに杖突街道をよく通ります。
ある日、山小舎への帰りに杖突街道を通っていて、古屋敷付近に通りかかりました。
ふと見ると古い神社がたたずんでいます。
時間があったので軽トラを止めて寄ってきました。

守屋神社の碑と鳥居
手水鉢には水があふれている

守屋神社です。
諏訪のご神体・守屋山の参道に立つ古社です。
参道といっても車道ではありません。
今ではほとんど通る人もない山道です。

石段を上ると本殿が見える
本殿前には常夜灯がともる

神社は小規模な集落に建つにしては立派なものです。
手入れもされています。
境内の空気も澄んでいます。

境内から鳥居越しに杖突街道を見る
隣のバス停

隣がJRバスの高遠側からの終点のようで、展開場所と停留所がありました。

まだまだ、諏訪の神様信仰が生き残っている、守屋山周辺でした。

DVD名画名画劇場 「悪女」リタ・ヘイワース

前回の当ブログ「ダンシング」リタ・ヘイワースで、彼女の唯一無二のダンスの才能を再確認したあとは、1940年代後半の彼女の役どころとなった「悪女」ぶりを見てみよう。

リタの代表作となった「ギルダ」、当時の夫オーソン・ウエルズの監督・主演になる「上海から来た女」である。

「ギルダ」  1946年  チャールズ・ヴィドア監督  コロムビア

『私の知り合った男たちはだれでも(中略)ギルダに恋をするの、そして私に醒めるのよ』(1994年文芸春秋社刊「ハリウッド帝国の興亡・夢工場の1940年代」P377)。

1940年代のセックスシンボルであり、長い茶髪の巻き髪と妖艶なダンスで観客を魅了したリタ・ヘイワースは、ハリウッドのアイコンとして生きたのみならず、実生活でも数度の結婚と離婚をし、数知れない恋愛に身を投じた。
結婚相手にはイスラム教のプリンスにして世紀のプレイボーイといわれた、アリ・カーンもいたが数年を経ずして離婚となるのが常だった。

1946年のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験で投下された核爆弾は、リタ・ヘイワースの写真で飾られ、『ギルダ』と名付けられていた。

イタリアの戦後庶民の生活を描いた「自転車泥棒」で、やっと職を得た主人公が、街中で貼ったポスターは、敗戦国イタリアの現実とは似ても似つかない、リタ・ヘイワースによく似た女性の艶姿だった。

その絶頂期に撮られ、今でもリタ・ヘイワースの代表作といわれるのが「ギルダ」。
その題名は、リタの代名詞のようにもなっている。

「ギルダ」より

物語は戦時中のアルゼンチンに流れてきた、いかさま賭博師のファレル(グレン・フォード)が路上のサイコロ賭博で素人をだます場面から始まる。
暗闇にまぎれた、港近くの場末で繰り広げられるすさんだシーンはフィルムノワールそのものの滑り出しだ。

やがて、ファレルは非合法だが堂々と営業しているカジノ(もちろんイカサマあり)のオーナーに雇われ、やがて支配人となる。
ある日、旅行に出かけたオーナーが連れて帰ったのがギルダ(リタ・ヘイワース)と呼ばれる、長い茶髪の女だった。

ギルダはファレルの過去の恋人だった。
オーナーは二人の関係を怪しむが、ファレルは支配人の職務に徹する。
一方、ギルダはファレルを誘惑しようとしたり、ほかの男と遊んだり、勝手気ままにふるまう。

オーナーの実像は、戦前のドイツ企業から委託された戦略物資・タングステンの利権を、戦後になって不法に横取りしたカルテルの主宰者であり、ドイツ人(ナチスの末裔?)に脅迫される身。
やがて飛行機事故を装って姿を消す。
オーナーに代わってカルテルの実権を握るファレルだが・・・。

この映画、ストーリーはいろいろと枝葉を広げるが、その骨子は、ファレルとギルダの関係を描くことにある。
お互いを十分意識しながらも、面と向かえば、「憎しみしか感じない」と互いをなじる両者。
本心なのか、突っ張っているのか。

ファレルはオーナーの手前、ギルダに本心を打ち明けたり、手を出したりしない。
ファレルが品行方正な男であるはずもないのに、この関係性が最後まで続く。

ギルダは、他の男と遊びまわったり、早朝にファレルの寝床があるカジノでギターを弾き語りするなどして「悪女」ぶりを発揮する。
ギルダとファレルの結末やいかに?

この作品でのリタは、低い声、作り笑い、けだるさ、たばこ、に象徴される、男を誘う擦れた色気に満ちた姿で登場する。
「晴れて今宵は」「カバーガール」で見られた陽気さ、清純さ、親しみやすさ、からの演技的脱却だ。
まるでギャングの情婦のようなキンキラのコートを着て、髪をかき上げる仕草も板についている。

そして何よりこの映画のハイライトは、終盤のリタのソロのダンスシーンだ。
男たちの庇護を逃れて異郷のクラブで踊るギルダ。
最初のナンバーは深いスリットスカートをたくし上げながら、陽気にキレキレな動きで踊る。
一気に映画が締まる、輝く。

リタ・ヘイワース畢竟のダンスシーン

そして、追いかけてきたファレルの見ている前で、黒いドレスと手袋で腰をくねらせるギルダ。
ここがこの映画の山場で最大の見どころ。

手袋をゆっくり外して、観客に投げる、ネックレスも。
『ジッパーを下げるのは苦手なの』と男どもを誘う。
興奮する男ども(と映画を見ている観客たち)。
リタ・ヘイワースの女優生活のハイライトともいえる名場面。

この後に、ファレルの手下に舞台から引きずり降ろされ、ファレルに右手でビンタを食らい顔をカメラに向かってのけぞらせるまでが一連のシークエンス。

かたくなだったファレルの挑発に成功し、感情むき出しで手を出させることができた、「悪女」リタ・ヘイワースの一生の名刺代わりの、写真映えする名シーンだ。

グレン・フォード(右)

最後にファレルに一途な恋心を吐露し、二人でアメリカでの再出発を予定するのは、当時の検閲を意識した、ハピーエンデイング。
このためにギルダの悪女ぶりが不徹底となった。
イカサマ賭博師のはずだったファレルが、女だけには身持ちがいいというあり得ない設定も、同様に検閲を意識したからか。

ギルダについては甘いエンデイングが、マニアックな「悪女」から、わかりやすい「悪女」として一般化することに寄与し、リタ・ヘイワースが、時代の女性性の象徴となることに一役買い、人気をあおったのだろう。

「上海から来た女」  1946年  オースン・ウエルズ監督  コロムビア

リタ・ヘイワースが、オーソン・ウエルズと結婚していた時に作られた作品がこれ。
天才児にしてハリウッドの問題児、オーソン・ウエルズがやっと実現させた、4本目の長編劇映画である。

「オーソン・ウエルズ偽自伝」(バーバラ・リーミング著 1991年文芸春秋社刊)という、ウエルズの評伝がある。

「偽自伝」表紙

「上海から来た女」を見るにあたって、本書を紐解き、リタとオーソンに関する部分のみ拾い読みしようと手に取った。

だが、あまりに面白いので、二人が出会った1942年から、1948年の両者の離婚まで細大漏らさず読み進めてしまった。
その間、オーソンは、2本目の作品「偉大なアンバースン家の人々」が本人の意向にかかわらず、(契約によって)撮影所により再編集され激高したり、南米で長期ロケしながら未完成に終わった次作「すべて真実」の撮影済みフィルムの権利関係でゴタゴタしたり。
やがてコロムビアのタイクーン、ハリー・コーンの援助により「上海から来た女」を製作することになるのだった。

「店自伝」奥付き

「偽自伝」が面白いのは、内容(破天荒なウエルズの行状と、彼を恐れ、対立し、押し込めようとする撮影所などの外部勢力)が面白いうえに、著者(と訳者)の簡潔で的を得た構成(と筆致)が、またいい。

「偽自伝」から、1942年から48年までの、オーソンとリタに関する記述を書き出してみる。

オーソンがリタにアプローチした1942年当時、リタはヴィクター・マチュアと熱い中だった。
『リタを電話口に出すまで5週間かかった』、『でも、いったん電話に答えてくれたら、もうその夜から外で会ってくれた』(「偽自伝」P276)とオーソンは述べる。
オースン・ウエルズは雑誌で見たリタ・ヘイワースに一目ぼれし、周囲には結婚すると漏らすほどだったという。

[『(リタは)異常なほどの傷つきやすさと、飾り気のまったくない性格を備えていて、その点にオーソンは我を忘れて引き込まれていった』(同書P276)

オーソンとリタが付き合い始めたころ、オーソンはデイズニーと提携した「星の王子さま」、イギリスのアレクサンダー・コルダ製作による「戦争と平和」の企画があったが、どちらも実現はしなかった。
オーソンの生涯に、累々と発生した、未完成のままだったり、実現しなかった企画のひとつだった。

RKOは、オーソンと契約していた3本の映画(「市民ケーン」「偉大なアンバーソン家の人々」ともう1本)の3本目は、たとえキャンセル料を払ってでもオーソンには撮らせたくなかった。

1943年9月、リタ主演の「カバーガール」撮影中、二人は結婚届を提出した。
立会人はオーソンの盟友、ジョセフ・コットン夫妻他だった。

1944年3月、リタは妊娠した。

リタは、オーソンの話に懸命に耳を傾け、また政治志向のオーソンを支えようとした。
オーソンはこのようなリタを愛した。
が、一方で、映画、演劇、ラジオ、新聞コラム、大学映画学科での講演などで多忙なオーソンは、しばし自宅を離れ、仕事の合間には、女性との関係が、独身時代同様に途切れなかった。

オーソンが信頼していた秘書のシフラ・ハランが、回想する。
『(私は)リタに対しては、オーソンの浮気を悟らせないよう精一杯の努力をした。』
『リタは可愛くて、美しくて、チャーミングで、気持ちが優しかった。一緒にベッドに入らないことには相手の愛情が信じられないという女の一人だったの』(「偽自伝」P309)。

1944年12月長女レベッカ誕生。

ルーズベルトの選挙応援で長期不在だったオーソンは、この時期ジュデイ・ガーランドとも浮名を流した。

1945年9月、インターナショナルピクチュアズという映画会社がオーソンに「ストレンジャー」の監督をオファー。オーソン3作目の監督作品となった。
ハリウッドでの信頼回復(予算とスケジュールの厳守、わかりやすい内容)を第一目標に臨んだオーソンは、当時、自身の浮気のためリタによって自宅から追い出されていたが、かえってスタジオのスイートルームに泊まり込み、仕事の合間に女性を連れ込んだ。
リタは「ギルダ」の撮影に入っていた。

また、この時期に上演されたオーソン演出の舞台劇「80日間世界一周」は、観客には好評だったものの批評が芳しくなく、収支的には大損害だった。
赤字補填のため、オーソンはコロムビアのタイクーン、ハリー・コーンから25000ドルを借りた。

ハリー・コーンは、東欧系ユダヤ人移民の家庭に生まれ、成功してからは机にムッソリーニのサイン入り肖像画を置き、マフィアの友人がいる、典型的な旧世代のタイクーンだった。
「偽自伝」には、『スターを夢見る新進女優の口にペーパーナイフを突っ込んで歯並びを調べると、唾液で濡れたそのペーパーナイフで今度はスカートをめくりあげ太腿を検分するという男だった』(同書P277)とハリー・コーンの実像が活写されている。
『(コーンの)リタに対する所有欲はすさまじかった』(おなじくP277)とも。

1946年、オーソンは、25000ドルを用立ててくれたコーンとの約束により、「上海から来た女」を製作した。

以上、長々と、「オーソン・ウエルズ偽自伝」から引用してしまった。
ここまで「偽自伝」を読んでから「上海から来た女」を鑑賞した。

DVDカバー

「上海から来た女」は、前作「ストレンジャー」の、わかりやすい結末と納得のゆく人物像による物語ではなく、明らかに「市民ケーン」的な作品だった。
というのは、何よりオーソン自身の個性と好みが優先された映画だからである。

オーソン・ウエルズは豊かな個性と知性、知識に彩られている人物だ。
豊富な文学的知識に彩られた『哲学的』ともいえるナレーションを自身の声で行うことができる。
また、映画に於いて、特徴的、実験的な画面構成を創出でき、またそのための撮影技法を撮影監督とともに作り出せる。

「市民ケーン」の場合では、さらにこけおどしの権威主義に対するオチョクリを堂々と繰り広げてみせた。
まさに自他ともに認める、アメリカ芸能界の風雲児にして反逆児だった。
本人は、芸能人としての自らの評価だけには満足せず、一時期本気で政界(民主党系)に進出しようと考えてもいたようだったが。

オーソン・ウエルズとリタ・ヘイワース

更に「上海から来た女」では、ブレヒトに影響された、『異化効果』が取り入れられている。
これはオーソンがかつて企画して実現しなかった、ブレヒト作の舞台「ガリレオ」への思いからだといわれている。

『オーソンは、(中略)俳優が役柄から自分を切り離し、同時にそれによって観客に感情移入を起こさせないというブレヒトの演劇理論の中心原理を極めて巧妙に応用した映画を作ったのだ』(「偽自伝」P349)

全編、野心満々の若きオーソン・ウェルズのナレーションに彩られたこの作品は、『異化効果』実現のために、納得のゆくストーリーテリングの代わりに、突発的なシチュエーションと、唐突で非説明的な象徴的なセリフをちりばめた。
そのために、映像はショッキングなものであり、悪夢的な状況をなぞってはいたものの、観客に納得のゆく説明は行われなかった。
『オーソンが心配していた通り、コーンには(この)映画が理解できなかった』(「偽自伝」P349)。

オーソンは、主演を演じる当時の妻リタ・ヘイワースの豊かな茶髪を金髪ショートヘアにさせ、全盛を誇ったプロポーションは、アカプルコの海で日光浴する短い場面での水着姿とヨット上でのショートパンツ姿のカットに留めた。
アカプルコの夜景をバックに、白いドレスのすそを翻して逢引きに向かうリタの夢幻のようなカットはあったが。

アカプルコで水着姿のリタ

そしてこの作品のハイライトは、これまで多く語られているように、ラストに近く、チャイナタウンの京劇のシーンから、遊園地のマジックミラーに主要人物が集まる場面である。

数々の映画で引用されることになった、多面の鏡に映る多面の人物の描写。
特に敵役の弁護士(リタ演じるエルザの夫)が10面以上もの鏡に映る姿で突然登場するシーンの斬新さ!
この人物の怪物性、異常さをこの上もなく映像的に表現した場面で、見ていて思わず声が出た。

鏡の間の場面

発砲により、鏡が割れ、人物が虚空から現実に戻るシーンも象徴的。
画面左に横たわったリタ演じる悪女の死にざまを見る突き放したカメラ。
どれも鮮烈だった。

鏡に映るリタ

この鏡の間のシーンは、オーソンがこの作品で表現したかった『異化効果』のための技法であろうが、一方で「市民ケーン」のかなめの場面(幼いケーンが母のもとから連れ子なる場面や、功成り名を遂げたケーンが妻に見放される場面など)で使われた、当時の実験的なパンフォーカス撮影のように、作品の中核をなす技法である。

「市民ケーン」のパンフォーカス、「上海から来た女」の鏡の間は、オーソン・ウエルズが映画史に残した永遠の記憶であり、爪痕である。

本作におけるリタ・ヘイワースは、『スタイルの良さ』という最終兵器を懐に秘めた、『演技する女優』という存在によくトライしていた。

彼女が演劇出身者的な『演技派女優』となることは終生なかった。
リタ53歳の時のフランス映画「渚の果てにこの愛を」での、出奔した息子をスペインのドライブインで待つ母親役を見ても、その誠実で女性的、人間的なありのままの姿以上の演技はなしえていない。

ということは、「上海から来た女」が彼女の最高作だったのではないかと思われる。

DVD裏面

シラカバを伐採したが その6

8月に倒木、玉切りまでたどり着いたシラカバの伐採のその後です。

玉切りしたまま9月が過ぎました。
2階から眼下を眺めるのですが状況は全く変わりません。
ほかの丸太や玉の薪割りは終わりました。
さあ、シラカバの番です!

絶好の薪割り日和

くさびと大小のハンマーをもって山小舎の裏に向かいました。
のちに、鉞とチェーンソーも道具に加えました。

おもむろに、玉の切り口にくさびをセットし、小ハンマーで軽く打ちます。
くさびが固定出来たら大ハンマーで全力で打ち込むと、節などがなければ割れます。
スパッと割れない場合は、鉞で打ち込みます。

玉にくさびを打ち込む
くさび二つでだいたい割れる

節があり、くさびを打ち込んでも、ひびが入らないような玉もあります。
チェーンソーを使ったり、鉞で打ち込んだりします。

玉は、二つ割りし、もう一回割って四つ割りにします。
四つ割りでも、燃やすには大きすぎるのですが、人力で細かく割っている労力を考え、四つ割りのまま、乾燥台に積み込もうと思います。
1年ほど乾燥させ、燃やす前に大きいものは細かく割るつもりです。

スパッと割れない場合は鉞で断ち切る

玉は全部で40個もあったでしょうか。
10個処理すると汗だくで息も上がります。
午前中に2セット。昼食と休憩をはさみ、午後に2セット。
ほぼ割り終わりました。

四つ割りにした薪の山

後日、近めの乾燥台に積み込もうと思います。

ほぼ薪割りを終える

令和6年畑 トウガラシ収穫

今年余りかまえなかった10月の畑に行きました。
夏から放ってあった雑草の残りを刈るためです。
それとトウガラシを収穫するためです。

夏の盛りに猛威を振るった雑草たちも、夜の寒さで半分枯れてきた畑。
枯れた雑草が圃場に倒伏し、覆い尽くしている中、ススキ、ゼンマイなどの雑草が青々と屹立していました。
それらをざっくり草刈り機でなぎ倒しました。
ツル系の雑草が草刈り機の刃に絡みます。

とりあえず、秋の草苅りを終えました。

この後は、本格的に草草が枯れたころに、鹿よけネットの撤収を行いたいと思っています。

その後、夏野菜を採り終わった圃場へ向かいます。
トウガラシが植わっている場所です。

収穫を待つトウガラシ

ここでは、夏草刈りを数度行ったせいか、雑草の猛威は鳴りを潜めています。
キューリ、ズッキーニなどの作物は枯れて、溶け去っています。
ナス、ピーマン類、ゴーヤ、ツルナなどは、株によっては生き残っていて、少々の収穫がありました。

ゴーヤ、白ナス、ツルナ
赤くなった万願寺トウガラシなど

トウガラシの根を抜き取ります。
ガッテン農法の畝に根付いた根っこは、深く、がっちり根を張っていて、自力では抜き取れないこともあります。
トウガラシの根っこも3本中、1本はやむなく鎌で切り取りました。

収穫したトウガラシ

トウガラシは、今年も期待通りの出来です。
陰干しして、東京に送ったり、山小舎で年中使いたいと思います。

カマキリの卵が枝についていた

薪割り機を返却

薪割り機を借りての薪割り作業が終わりました。
薪を割って、乾燥台に積み終わるまで、実働5日ほどかかりました。
作業が終わったので、管理事務所に返却します。

返す前に燃料を満タンにします。
燃料はガソリンです。

燃料は満タン返し

薪割り機を軽トラに積み込みます。
軽量な機械だと、平地からラダーレール上を押して乗せたり、自走させて積み込みますが、薪割り機は自走しない重量機械です。
どれくらい重いかというと、水平な場所でしか人力で引っ張ったり、押したりできないほどです。
それも、よっこいしょと始動をつけてから、はずみで押したり、引いたりしないとだめなのです。

軽トラへの積み込みは、とにかくラダーレールを水平に設置しなければ、山小舎おじさんの力で積み込むことはできません。
そこで、斜面を使うのです。

まずは軽トラを斜面の下に移動

軽トラを斜面の下に止め、ラダーレールが水平になるようにします。

軽トラを下にして、ラダーレールが水平になるように設定

若干斜度はありますが、薪割り機に勢いをつけラダーレール上を移動させ、軽トラの荷台に積み込みます。

ラダーレールが水平ではないものの積み込みにトライする

一気にやらないと、途中で薪割り機が止まったら動かすのが大変ですし、万が一斜面を薪割り機が下って行ったら、重機で引き上げるしかありません。

何とか自力で積み込むことができました

無事、積込みができました。ロープで固定し、出発です。

運転中、機械が動かないようにしっかり縛り付ける

りんごの季節到来 紅玉のチャツネ

りんごの季節となりました。
信州のリンゴ畑は色づいています。

昔からある品種の紅玉は、その酸っぱみとコクが料理などに重宝します。
立科町、北信の高山村などの道の駅や直売所に行くと、毎年、真っ赤な紅玉を買っておきます。

今年も紅玉でチャツネを作りました。
カレーや洋風煮込みなどに隠し味で使うと深みが出る調味料のチャツネ。
山小舎おじさんは「檀流クッキング」を見てチャツネを作り始めました。
火宅の人にして食通の檀一雄、の息子の檀太郎が文庫本にまとめた、カラー写真集のレシピ集があるのです。
今年もレシピを再確認して、作業開始です。

紅玉を皮付きのまま、芯を取ってスライスします。
ニンニクとショウガをみじん切りしておきます。

フライパンでニンニク、ショウガを炒め、紅玉のスライスを投入します。
弱火にして蓋をし、時々混ぜながらしばらく置きます。

紅玉に火が通り、透明に煮崩れてきたら調味料の準備です。
レーズンをみじん切りしておきます、ザラメ、酢、塩、レモン汁、とうがらしを分量分用意します。
それぞれを投入して、混ぜながら煮込みます。

汁けがなくなったら出来上がりです。
煮沸した保存瓶に入れ、抜気して保存します。

初登場!ローゼルを加工する

ローゼルという野菜?に初めて出会ったのは、伊那のグリーンファームという、攻めた!直売所で、でした。

赤い実?が詰められたワンパックが、420円でした。

信州に来てから、ガーデンハックルベリー、ナツメの実、青いトマト、トウガラシの葉、などなどの珍しい食材を目にしてきました。
また最近は、ポポーなどという外来種?の食材も目にします。

ローゼルを見掛けた時は「こういう食材があるのか。売っているくらいだから食べられるのだろうし、加工レシピの紙も入っているしな。」と思い、買ってみることにしました。
元気そうな赤い色も気に入りました。

伊那グリーンファームで入手した、飯田産のローゼルのつぼみ

買って帰ってから、ビニールパックに同封されていたレシピを広げてみますがよくわかりません。
ネットで検索して加工法を確認しました。

実?からガクを外し、さらに種を抜いて残りの部分をジャムにし、ガクは乾かしてハーブティーに、種は来年の種まき用にするみたいでした。
といいうか実だと思っていたのは、実ではなく、つぼみとのことでした。
ハイビスカス系のローゼルという植物のつぼみをが売られているのでした。

水洗いする

早速加工します。
まず全体を水洗い、ついで、ガクと種を取り外します。

手でガクを取り、種を取り出す
ガクと種

ネットでは、ガクの部分をカットしていましたが、入手したローゼルは、手でガクをむしり取った後、種を手で取り出す方が早いので、そうしました。

残った部分は想像以上に少なくなりました。
ジャムにするために砂糖をまぶしてしばらく置きました。

ガクと種以外をジャムにする

ガクと種はザルに乗せてストーブのそばに置きました。

ハーブティー用に乾燥させるガク
来年の種まき用にする種

ジャムを煮ましたが、分量が少なくすぐ煮えました。
出来上がったジャムは、小さな瓶にも、満杯にならないほどの量でした。
ガクのハーブティーともども味わうのが楽しみです。

攻めまくり!伊那グリーンファーム直売所

伊那市にグリーンファームという直売所があります。
NHKの「ドキュメント72時間」という番組で紹介されるまで、山小舎おじさんは知りませんでした。
どうも、道の駅とか、農協の直売所ではなく、個人経営のマーケットのような場所らしいのです。
ノーチェックの場所でした。

番組を見たら、面白そうな場所だったので、伊那方面に行ったついでに寄ってきました。
実に攻めまくり!の直売所でした。

この日は日曜日、昼近くの駐車場は満車に近い盛況です。
伊那市の西側の田園地帯にあるグリーンファーム。
野菜や鶏卵の生産者である団体が経営しているようです。

伊那グリーンファームに到着

夏のような日差しの中、軽トラを止めて店舗に向かいます。
まず目に入るのは、店舗の建物の外壁に沿って並ぶ中古家具の姿です。

店舗の外側には古家具の山が

それを眺めながら店舗入り口へ向かうと、信州ではなかなか見ることができない、大人数の列が入り口に向かって並んでいます。
「えっ、こんなに混んでいるの?」と一瞬ひるみました。
なんと、人気の大学芋を買うために人が並んでいたのです。

店舗内に入ると買い物客で混雑しています。
直売所というよりは、廉価販売の倉庫風の店の雰囲気が漂います。

商品は、雑貨、菓子、金物、調味料から古本、古レコードまであります。
野菜、果物のコーナーが面積の半分ほどを占めているとはいえ、何でもありの商品構成です。

「ドキュメント72時間」でも、入植したばかりの素人風の生産者が、ハーブを出品している場面がありました。
古本や、古レコードを出品する人もいるのでしょう。

陳列商品には信州の特産品が
乾物、荒物も売っている
地域に必要な日用品の数々

来客のお目当ては何と言っても野菜、果物などの生産物。
折から季節的にはブドウをはじめリンゴ、ナシで大盛り上がり。
この日はマツタケなどもありました。

メインは新鮮野菜と果実

オオスズメバチの生きた成虫を、幼虫が入っている巣ごと売られているのは初めて見ました。
熊肉や鹿肉などもあります。

これは!危なくないのか。値段高いけど
ジビエの品ぞろえも抜かりなく

野菜では、ローゼルというハイビスカスに似た植物のつぼみや、最近見掛けるポポーという作物の実などもありました。
ローゼルは初めて見ました。

総菜、弁当などは売られていませんが、グリーンファーム手作りの新米おにぎりがありました。
パンやエスニックカレーの弁当はありましたが、ここでランチなどを調達しようとすると、選択肢が少ないかもしれません。

外へ出ると、ケージの中に鶏が数羽遊んでいて子供が眺めています。
この鶏も売り物で2700円とありました。
ソフトクリームの売り場もあり300円と割安です。

旨そうなおにぎりがてんこ盛り
ランチにはエスニックカレーも
攻めてるなあ

ローセル、おにぎり、グリーンファームさんの鶏卵のほか、保存瓶、酢の大びんなどを買いました。

帰りの駐車場には中京圏を中心に県外ナンバーの車が押し寄せての大盛況でした。
家族にも一度見せたいと思う伊那グリーンファームでした。

グリーーンファーム駐車場より西方を望む