溝の口西口商店街

JR南武線と東急田園都市線が交差する武蔵溝ノ口駅。
昨今は都心へのアクセスの良さからマンション開発とともに駅周辺が再開発され、近代化し、賑わっている界隈です。

自宅から自転車で散歩するのにちょうど良い距離のため、多摩川のサイクリング道路を使って溝の口までよく行きます。
この日は溝の口駅の西口商店街を目指してペダルをこぎました。

多摩川にかかる二子橋まで走り、大山街道沿いに溝の口駅に向かいます。
南武線の踏切の手前を斜め左に折れると、「溝の口駅西口商店街」の看板が迎えてくれます。
ここから駅西口入り口までの一帯が商店街になっています。

西口商店街の看板、右手が八百屋

本ブログでも取り上げたことのあるこの商店街。
10年位前は、八百屋が2軒くらい、団子屋1軒、古本屋もある商店街でした。
現在では八百屋が1軒のほかは飲み屋が続く一帯になっています。
立ち飲み屋や、外にビールケースの上にベニヤを乗せた「テラス席」を置いた、今風の飲み屋ばかりです。

飲み屋が続く現在の商店街

唯一残る八百屋の店先に樽に入ったたくあんが1本200円で売っていたので買ってみました。
八百屋の大将が大儀そうにやってきて「酸っぱいよ」と一言。
たくあんを袋に入れ、手渡し、代金を受け取るまでの間、何度も「酸っぱいよ」を繰り返していました。
向かいにあった団子屋のことを聞いてみると「閉まった」と一言。
商店街の活気のなさを象徴するような八百屋とのやり取りでした。

かつては古本屋がったあたり

商店街を抜けたところにあるいつもの食堂でランチ。
500円のカツ丼です。
いつもそこそこ客が入っている食堂です。
肉の厚さ、うまさ、量などは値段相応のカツ丼ですが、そこはプロの食堂の味つけ。
シッカリ一食分満足させてくれます。

ランチタイムカツ丼500円の食堂

府中街道が駅前を横切り、駅と府中街道から多数の脇道が伸び、交差する溝の口駅前。
パチンコ屋の店員が声をかけ、戦後から続いたであろう安売りの八百屋が残る混とんとした風景。
再開発以前の溝の口の街の様子が、裏道にはまだ残っています。

再開発の溝の口に残る古い建物

ゆっくり探せばまだまだ昭和の風景に出会えそうな溝の口の駅周辺です。

淡島千景と「やっさもっさ」

神保町シアターの「女優魂 忘れられないこの1本」という特集で、淡島千景の「やっさもっさ」が上映された。

神保町シアターの特集パンフレット表紙

原作者の獅子文六自らが「敗戦小説」と名付けた三部作、「てんやわんや」「自由学校」に次ぐ第三弾が「やっさもっさ」。
三部作全作を松竹の渋谷実が映画化している。
淡島千景は「てんやわんや」と本作「やっさもっさ」では主役を務めるなど、三部作全作に出演している。

淡島千景の評伝にしてインタヴュー集「淡島千景女優というプリズム」表紙

獅子文六は戦前にフランスに渡って演劇研究に携わり、帰国後は小説も発表。
戦中、戦後と新聞小説などで活躍。
特に戦後は、戦後社会の混乱やその後の経済成長期の世相や人物像を、ユーモアを交え、風刺的に描いて人気を博した。
上記の「敗戦小説」三部作のほかにも、高度成長期に株でのし上がってゆく、地方出身のエネルギッシュな主人公を描いた「大番」など映画化された原作が多い。

「敗戦小説」について作者の獅子文六は、「戦後の世の中で、腹が立ってしょうがなかったし、書きたいもやもやがたくさんあった」と、その執筆動機を語っている。

「てんやわんや」は戦後出現したアプレガールが、敗戦に意気消沈した男たちに代わって逞しく、華やかに、毒々しく生きる姿を描いた(揶揄した)もので、「自由学校」は戦後の解放された気風を背景に、お互い勝手気ままに生きる夫婦の姿を戦後闇市風景をバックに描いた(揶揄した)もの。
本作「やっさもっさ」は占領軍の置き土産たる混血児の養育院を舞台に、やり手の女性理事長とたくましく生きるパンパンを対比、併せて戦争で腑抜けになった男の姿を描くもの。

三部作を監督した渋谷実は、松竹で小津安二郎、木下恵介と並び三巨匠と呼ばれた存在だった。

渋谷実は現在ではあまりその名を聞かない。
理由は、映画賞を受賞するような作品を撮らなかったこともあろうが、大向こう受けする題材、表現を好まず、喜劇を装った何気ない描写の中に愛すべき人間性を謳う、という作風が後世にアピールしていないように思われるのだ(筆者は渋谷作品は「本日休診」「もず」「モンローのような女」の3本しか見ていなかったので断定的なことはいえないが)。

淡島千景は渋谷監督について「最初に渋谷先生に使っていただいたことがわたしの幸運の初めだと思います。宝塚の後に、私の芸能の道をつけてくださったのは渋谷先生だと思います。」(「淡島千景 女優というプリズム」P99)と感謝の言葉を述べており、この言葉が渋谷実の映画監督としての存在感、影響力、力量を正確に表しているのだと思われる。

渋谷はまた、松竹をレッドパージされた家城巳代治監督の師匠でもあり、のちに数々の名作を撮ることになる家城は生涯渋谷を師と仰ぎ、また渋谷も折に触れ松竹退社後の家城にアドバイスを贈ったという。

「淡島千景 女優というプリズム」より

「やっさもっさ」  1953年  渋谷実監督  松竹

黒白スタンダード。
淡島千景が若い。

26歳で宝塚から松竹入りした淡島は、気が付くと年増のやとな芸者だったり(「夫婦善哉」1955年 豊田四郎)、得体のしれない男どもの間を駆けまわる年齢不詳のご婦人だったり(「貸間あり」1959年 川島雄三)を演じており、要するにおばさんっぽい役が多かった。

時には「麦秋」(1951年 小津安二郎)のように主人公(原節子)の親友役のようなお嬢さん役もあったが、印象的には「駅前シリーズ」で森繁やのり平のアドリブをやり過ごし、受け止める、頼りになる「お姉さんというにはしっかりした年齢の女性」という役が多かった。

文芸春秋社1999年刊「キネマの美女」より
「キネマの美女」淡島千景の評。的を得ている

主役級では淡島千景、わき役では浪速千恵子。
たくさん出演作があって、どれ、という当たり役が浮かばないが(淡島千景には「夫婦善哉」があるが)、出演すれば場面が締まるし、何よりも安心してみていられる女優さん、がこの二人。
親しみがわきすぎて、日本映画にいるのが当たり前の顔、でもある。

「てんやわんや」(1950年)では渋谷監督のもと、セパレートの水着姿で颯爽とデヴューした淡島千景。
本作「やっさもっさ」では、エリザベスサンダースホームをモデルにした混血児のホームの理事長を演じ、パリッとしたスーツ姿で登場する。
後半には、敗戦後の日本をなめた不良外人とダンスしながらよろめいたり、肩もあらわなドレス姿で酔っ払ったりもする。

「淡島千景 女優というプリズム」より

戦後の風潮を背景に「自由で自立した」アプレガールの後日談、との設定の役柄でもあるらしい。
占領時代を背景に、詐欺師の不良外人のほかに、朝鮮戦争に苦しむ米兵、米兵を金づるとしながら混血児のわが子に向ける複雑な感情のパンパンらを相手に、忙しそうに活躍し、時々はよろめく「その後のアプレガール」を実年齢20代の淡島千景が演じる。
混血児ホームという、敗戦の現実がむき出しになった現場を舞台にはしているが、「その後のアプレガール」は都会的で颯爽としており、今時の「上場会社のスマートなOL」風にも見える。

バズーカお時という物騒な仇名のパンパン(倉田マユミ)がいい。
父親の黒人米兵からさらにふんだくろうと、施設に放りこんだわが子に会わせろとホームに怒鳴り込み、ガラスをたたき割る。
いざ、子供に会うと親の愛情に目覚め、米兵が死んだあとは、自分の故郷に連れ帰り、周りのいじめには体を張って我が子を守り抜こうとする気の強さ、逞しさ。
アプレガールの逞しさより、共感を得やすく、なにより根性が入っている。

戦後、外地から帰って腑抜けのようになっている夫(小沢栄)に幻滅する淡島だが、夫はこっそりと英語能力を生かしてパンパンたちのラブレターを代筆してやり、その金で一杯飲んだりしている。
最後は改めて人生出直そうと決心して淡島を抱きとめる。

淡島の先輩で産児制限協会会長の高橋豊子は、今でいうサバサバ・はきはき女。
威勢よく主義を主張し、演説のようにしゃべりまくる。
小津映画では割烹の女将として画面を横切り、一言しゃべるだけのおばさんが、こんな演技もできる人だったとは。しまいには、酔いつぶれた淡島を抱き上げ、おぶって布団まで運んでしまう。
根源的な女性の逞しさが、彼女を通して描かれる。

若き日の山岡久乃はホームのスタッフ役。
その他大勢の役ではなく、ホームのシーンでは出ずっぱりで、外人によろめいた淡島にはきつい諫言をいつもの早口でまくし立てる。

新たに混血児を預けに来る老婆役の北林谷栄(実年齢42歳だが、70歳には見える)は抑えた演技でオーバーアクションなし。
高橋豊子に熱演させ、北林にはほとんどしゃべらせないとは、渋谷実監督ただものではない。

最初は威勢がよく、いわば無意識に「いいとこどり」しようと生きてきた「その後のアプレガール」も、数々の現実、本来の意味での逞しい女達の姿を見て、最初は現実逃避しようとしたものの、やがて覚醒し地道な再生への決心をする、というのが本作品の骨格。

戦後のアプレガールの限界、パンパンとGIが蠢く日本の現状、をリアリズムではなく、被虐でもなく描いた作品。
結果としてしっかり風刺は効いているし、押さえたブラック気味のユーモアが根底に流れている。
パンパンとその息子、腑抜けの日本男児に前向きな希望を感じさせるエンデイングもよかった。

渋谷作品、肩ひじ張って見に行くと肩透かしされるが、淡々として味がある。
「てんやわんや」と「自由学校」も見なくてはなるまい。

神保町シアター特集パンフより

三多摩ソウルフード迷走記VOL.2 京王つつじヶ丘駅前「支那そば見聞録」

つつじヶ丘駅前に古くからある見聞録という店。
ここのラーメン(商品名は支那そば)が美味しいのです。

駅北口を下りてロータリーを眺めると、右後方に奥まって建物があります。
側面に大きく「支那そば見聞録」と書かれています。

駅北口から見た店の外観

入ってみると愛想のいい大将と、奥さんと思しき女性がいます。
60代後半の夫婦です。

店を始めて30年以上、つつじが丘界隈の飲食店では2番目か3番目に古いとのことです。
一時、若い大将に代わったことがありましたが、2、3年で元のスタッフに戻りました。
聞くと現大将の甥っ子さんが店を引き継いだ時期があったとのことです。

暖簾をくぐる

カウンターにテーブル席が二つ。
昼時などには近くの勤め人や独身の男性で混みます。
が並ぶほどではないのがいいところです。

夜もやっていて、サラリーマン時代の山小舎おじさんは、飲んだ帰りに時々寄りました。
ビールを1本頼んだ後、支那そばで締めたものでした。

支那そばは、東京風のしょうゆ味ラーメンですが、鶏ガラのダシに魚介系が効いているのが食欲をそそります。
油が適量に浮いてパンチも効いています。
このダシの味は昔から変わりません。
今風のとんこつ味に全くなびいていないところも素敵です。

支那そば665650650え650えn650えん650円650円

時々無性に食べたくなる間違いのない味。
続いてほしい店です。

史跡・武蔵国府跡を訪ねて

府中には律令時代の国府(武蔵国府)がありました。

大化の改新後、西暦700年代から鎌倉時代までのほぼ300年間、朝廷が、中国に倣って法律と地方制度の整備によって国内を治めた時代のことです。
地方はクニと呼ばれる地域に分割統治され、現在の東京都全部と埼玉の一部、川崎、横浜の大部分は武蔵国と呼ばれました。
武蔵国の国府(県庁所在地に当たる)が現在の府中に置かれました。

現在、府中市の大國魂神社がある場所を挟んで広い範囲に武蔵国府がありました。
今日は武蔵国府の跡を訪ねました。

大國魂神社境内の東隣に「武蔵国府跡」と表示される展示スペースがあります。
かつての発掘作業の現場の一つで、発掘された国府の柱を再現したモチーフが並んでいます。
誰もいない展示室に入ると、現在の地図に国府のスペースを重ね合わせた全体図や、国府とは何かの説明パネルが並んでいます。

大國魂神社わきにある武蔵国府跡の展示室

建物自体は小さいのですが、館内の説明を読むと律令時代の壮大な国府がよみがえるようです。

建物内の展示パネル
柱をモチーフにしたモダンな展示室内部

見学を終えて自転車に乗ろうとしたとき作業服姿のおじさんがやってきました。
施設の管理者と名乗るおじさんは、「史跡に興味があるなら、府中本町駅隣にも国府の発掘現場があり3Dスコープを借りて案内が受けられるよ。大國魂神社境内にも資料館があるよ」と教えてくれました。

こんな年寄りにも近寄ってしゃべってくれる人がいるだけでも感激です。
失礼のないように応対します。

管理者のおじさんは「発掘現場まで案内しますよ」と言って歩き出しました。
どうやらおじさんの勤め先は大國魂神社構内の郷土資料館(図書分室なども入った建物)のようです。
職場に戻るついでに案内してくれることのようです。

「大國魂神社はご利益がありますよ。通るたびに頭を下げてお参りしてます。平日にこんなに人出がある神社もそうないでしょうね。」神社の境内を横切りながら管理者おじさんの話がはずみます。

この日も参拝客で引きも切らない大國魂神社境内

管理者おじさんは、郷土資料館に寄り、いろいろなパンフレットを見繕ってくれました。
目指す国府跡の発掘現場は、競馬場へ向かう通りに出てラウンドワンの向いにあるとのことです。

府中本町駅に隣接した広いスペースが武蔵国府跡でした。
発掘現場を埋め戻して保存し、昔あった建物のミニチュアや柱の模型を展示した公園になっていました。
広い人工芝のスペースもあり、家族連れが三々五々遊んでいます。

プレハブの管理棟を訪ね、3Dのゴーグルを借りました。
ゴーグルとイヤホンをつけ、公園内のポイントに近づくと案内の音声が流れ、バーチャル映像が見えるのです。

府中本町横の武蔵国府発掘現場
人工芝が敷き詰められた発掘現場全景

国府の壮麗な建物の復元や、国司らが行う蹴鞠や歌会の様子がゴーグルの3Dで再現されます。
また、のちの時代に徳川家康がこの地で鷹狩をしたり、府中御殿と呼ばれる建物を建てたことを知りました。

国府の建物のミミニチュア
ここにも柱のモチーフが

現地の先達の導きによって、より深く武蔵国府に出会えた山小舎おじさん、実り多い一日でした。
関係者の皆さん、ありがとうございました。

大國魂神社参道のケヤキ並木。源頼朝が寄進し、家康も大坂の陣戦勝を祈願した

三多摩ソウルフード迷走記VOL.1  国分寺だるまや食堂

三多摩のソウルフードを迷走します。
第一回は国分寺駅前にある食堂だるまやです。

JR国分寺駅の北口は数年前に再開発されました。
駅ビルには飲食店などが並び、構内に隣接してタワーマンションが建っています。

昔ながらの旅館やロールケーキが美味しかった果物屋などが建ち並ぶ商店街が一掃され、ロータリーが整備されました。
ただ、その一角を除くと昔ながらの駅近くの商店街の風景が残っており、学生の姿が多いのもいるのも国分寺ならではです。

国分寺駅北口の一角(2023年秋に撮影)

昔ながらの商店街の一角に食堂だるまやがあります。
昭和の食堂のテイストが色濃く残っている店です。

入ると日本人のバイトのお姉さんが「空いてる席どうぞ」と迎えてくれます。
時にはバイトがお兄さんのこともあります。
近くの東京経済大学などの学生さんなんでしょうか。
バイトさんはホール係とキッチンの下働き(盛り付けや、玉ねぎの皮むきなど)をしています。

だるまや食堂の正面風景

昼食時はたいてい相席になります。
タイミングがいいと2人席に座れることもあります。

メニューは、各種定食(焼き魚、煮込み豆腐、マーボー、野菜炒めなど)がメインで、カレー、カツ丼、鰻重、チャーハンもあります。
定食などについてくるみそ汁には、たっぷりの野菜(にんじん、大根など)と大きなわかめが入っており、手作り感が十分です。
ごはんの盛も多く定食一人前で満腹になります。
カツカレーはカツも大きく、ご飯の盛もいいので食べきるのが大変でした。

店の前の看板(2023年秋当時はカレーが700円だった)

最近はもっぱらカレーライスかチャーハンにして、時々レバニラ定食などを頼んでいます。
客層は個人の男性客がメインで、学生カップルや働く女性などが混じります。
休日には家族客も来ます。

この日頼んだのはカレーライス。
市販のルーを溶かしたようなよく食べる味のカレーです。
豚肉と玉ねぎ、にんじんがたっぷり入り、シーフードの味もします。
何よりボリュームがたっぷりで、ご飯の量もともかく、ルーが最後に余るくらいかかっているのがうれしい一品です。

具がたっぷり入り、ルーの量が感動的に多いカレー(現在800円)

国分寺に来た時はここに寄ってしまいます。
ずっと600円台だったカレーが750円になり、今では800円に上がったことが気がかりです。

家族連れの客に子供がいると、店主自らヤクルトを子供に持ってくることもあります。
店主のこういったポリシーに貫かれた食堂です。

新春の山歩き  大垂水~小仏城山~高尾山

1月の高尾山系で山歩きしました。
国道20号線沿いの大垂水から、小仏によって高尾山まで歩くというコースです。

地図もなく、歩いたこともないコースですが、道案内の看板と他のハイカーたちを頼りにとにかく出発しました。
ペットボトルに水道水を汲み、コンビニでおにぎりを2個と缶コーヒーを買いましたです。
コンビニで軍手も買いました。

JR八王子駅から相模湖駅行きの神奈中バスに乗ります、9時47分発です。
気温は4度です。
バスは1時間ほど走って八王子市内を抜け、高尾山口駅に寄って国道20号線を上ってゆきます。
高尾山口バス停で大勢のシルバーハイカーが乗ってきて、満員になりました。
ストックを突いてようやく乗車するような高齢者もいます。

八王子駅北口のバス停で、相模湖駅行バスに乗車

峠道を上って大垂水バス停に着きます。
運賃は八王子駅から610円でした。
ここで全員が下車しました。
バス停からハイカーたちは思い思いのスピード、コースで出発。
たちまちばらけてゆきます。

大垂水峠は小仏峠と並ぶ東京都と神奈川県の県境。
列車や高速道路は小仏トンネルを抜けますが、国道20号線は大垂水峠で県境を越えます。

神奈中バス、大垂水バス停で下車
国道20号線登り車線側の側道を上ってゆく

バスを降りた皆の後に着きながら国道わきの舗道を上ってゆき、道案内の看板通りに高尾山への道をたどりました。
コースは三方に別れ、高尾山ルートには、前を行くハイカーは誰もいませんでした。

高尾山方面のルート
道端のお地蔵さん

しばらく細い道をなだらかに上ります。
やがて合流地点にきました。
二人ほどハイカーがいました。
看板を見るとこのまま高尾山へ向かうルートがありますが、小仏峠に寄ってみたかったのでその方向へ進みました。

林道をたどってしばらく行くと、やがて林道は途切れ、細い道になりました。
滑り落ちないように用心して進むと、大垂水からの道との合流地点に出ました。

そこから急な上りが続き、階段を登りきると、小仏城山と呼ばれる場所に出ました。

最初の合流地点
小仏城山に向かう急な登り

小仏城山には茶店が営業していました。(土日だけの営業かもしれません)。
木製のベンチとテーブルがたくさんあり、ハイカーたちが思い思いに休んでいます。
コンロを焚いてラーメンを作っているハイカーもいます。
スポーツ少年団なのでしょうか、2、30名の小学生グループがおにぎりを食べています。

小仏城山は高尾山から小仏峠、景信山を結ぶ尾根道にあり景色の良い場所です。

小仏城山の城山茶屋
茶屋のベンチで憩うハイカーたち

ここで持参の缶コーヒーを1本飲んだ山小舎おじさんは、高尾山町を目指してスタートです。

下り階段の尾根道が続きます。
非常によく整備されたコースです。
滑りやすい砂利や木の根の露出がほとんどなく、木製の階段も新しいものでした。

大垂水から小仏まではほとんど見ることのなかったハイカーの姿が、ひっきりなしに小仏方面へ向かってすれ違います。

ルート上の高尾山系案内板
景色のいい展望台

高尾山頂に着きました。
人の姿が一段と多くなります。
ハイカーというより行楽客の姿です。
中国人など外国人の姿、声が多くなります。

高尾山頂
山頂の茶店

山頂からケーブルカーの駅まで歩きます。
行楽客の間にうずまるように進みます。

歩いてゆくと高尾山の守護神・薬王院や薬王院に至る参道、ご神木・蛸杉、サル園などが次々に姿を現します。
高尾山の名所が集中するあたりです。

舗装された道をひっきりなしに行楽客が歩いています。
ファミリー、カップルにとっては絶好の行楽場所です。

山頂からケーブルカー駅方面に下ると薬王院に出る

薬王院はパワースポットです。
今はケーブルカーができていますが、昔は自力で登らないと参拝できなかった場所にあるお寺です。
2キロほど歩かないと参拝できない戸隠神社と同じコンセプトです。
ありがたさは現在でも濃厚に残っています。
人が集まるはずです。

薬王院にお参りする人々
薬王院本堂前
ケーブルカー駅近くのご神木・蛸杉

行程2時間を超えるころから足に疲れが出てきました。
下りになると膝や腰にガタが来るだけではなく、足の筋肉全体が痛くなって思うようなスピードが出ません。
ケーブルカーで下ろうか、とも思いましたが人がたくさん並んでいるのを見て諦めます。

舗装されたメインルートを下ります。
ハイカーの姿は少なくなり、山頂での込み具合が嘘のように閑散としています。
道幅があって本来は歩きやすい道なのですが、思ったより斜度があり、足に負担がかっかり、膝と腰に痛みが出てきます。
休み休み下ります。

ケーブルカー駅を過ぎて、高尾山口へ向かう道

ケーブルカーの駅と、土産物屋、蕎麦屋の列が見えてきて下山完了です。
昼食は、八王子によって(駅近くの500円のとんかつ定食を)食べようと思います。
とりあえずお疲れ様。

とてつもなくリフレッシュできた新春の山歩きでした。

高尾山口のケーブルカー駅に到着
ケーブルカー駅に向かう参道

film gris特集より④ ドミトリク、ウルマー、ベリー、エンドフィールド、ワイルダー

シネマヴェーラ渋谷で上映されたfilm gris特集。
1947年から51年に撮られたアメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルムノワールたちの特集。
挙げられた作家は、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ヒューストン、サイ・エンドフィールド、ジョン・ベリー、ジュールス・ダッシン他。

本ブログでは、film gris特集の上映作品から、これまで3回に分けてポロンスキー、ロッセン、ベリー、ロージー、ダッシンの作品について述べてきた。
第4回目の今回は、3回目までに掲載できなかった5作品について述べてみたい。

「十字砲火」 1947年  エドワード・ドミトリク監督  RKO

1947年に始まった米国議会下院の非米活動調査委員のハリウッドに対する公聴会、いわゆるハリウッド赤狩り。
公聴会に証人として喚問されたハリウッド映画人のうち「自身が共産党員であったか」などの質問に対する証言を拒否するなどして、議会侮辱罪で刑事告訴され有罪収監された10人がいた。
彼等はのちにハリウッドテンと呼ばれた。

ハリウッドテンの一人が、若き映画監督のエドワード・ドミトリクだった。
彼は収監中に転向宣言をし、共産党員の仲間の名前を証言した。
結果、彼はハリウッドのブラックリストから名前を除かれ、仕事に復帰できた。

当時、ハリウッドのブラックリストに載った人間が仕事に復帰しようとするには、こうするよりほかに手段はなかった。
映画監督のエリア・カザン、ロバート・ロッセン、脚本家のバット・シュルバーグらが同様に「転向」し、仕事をつづけた。

本作「十字砲火」はドミトリクがブラックリストに載る前に撮った作品。
ユダヤ人差別を批判する作品として知られている。

「十字砲火」の一場面

軍人仲間がバーで飲んでいる間に、一人の軍人と意気投合しホテルの部屋で飲み直していた羽振りの良い男が何者かに殺される。
羽振りの良い男はユダヤ人だった。
退役軍人で現役兵にも影響力のある男(ロバート・ライアン)と、事件を調査する軍曹(ロバート・ミッチャム)、酒場の女、そして警察が登場する。
果たして真相はいかに。

飲み疲れた頭のようによどんだ空気のバーの止まり木と、暗く締め切った警察の尋問室などを舞台に、デスカッション劇のように映画が進む。
回想シーンの舞台は連れ出し飲み屋と女の部屋だ。

登場人物達は真相を知ってか知らずか、胸に一物あるのかないのか。
思い思いに勝手な推測を述べ、自己を弁護し、見ている我々を混乱させる。

回想シーン。
その日ユダヤ人の部屋に招かれた軍人は、酔ったまま部屋を抜け出し女のいる店へ。
出た来た女は、軍人と店を出て自分の部屋へ連れ込むが、そこに別の男が現れる。
別の客であろうその男は「女の夫だ」と名乗るなど、訳が分からなくなる。
見ている我々の頭も酔いで霞んだよう。

連れ出し飲み屋の女に扮するのがグロリア・グレアム。
ニューヨークの演劇出身。
フランク・キャプラの「素晴らしきかな人生」(47年)でデヴューし、主人公の幼馴染で活発で派手目の女友達役(のちに主人公の幻想シーンでは、すさんだ故郷であばずれの商売女に落ちている)として映画デヴュー。
ニコラス・レイの「女の秘密」(49年)ではスター女優の足元をすくおうとする若い付き人を、「孤独な場所で」(50年)では苦悩する良人をあざ笑うかのような冷たい妻を演じた。

一癖もふた癖もあるその美貌は、スクリーン上の悪女役で生かされただけでなく、実生活でも夫だったニコラス・レイを苦しめ、離婚したのちになんとレイの連れ子(グレアムにとって義理の息子)と結婚し2児を生むなど、奔放なを極めた。
単なる悪女役というより、すさんで捨て鉢な演技をすると光る女優で、家庭的なキャラとは対極にあったがそれが魅力だった。

さて、映画は迷宮に迷い込んだまま、悪夢として終わるのかと思いきや、ユダヤ人蔑視の退役兵が犯人だとわかって終える。
混迷のドラマに無理やり結末をつけたようなエンデイングだが、どうやらユダヤ人差別批判の主題のため犯罪劇をくっつけたというのが、この映画の構成だったよう。
だが、取ってつけたような差別批判に納得性が乏しく、むしろ一人のサイコパスの犯罪劇として完結していれば、悪夢のような展開のノワール劇として成立したのにと思わせる。

なお、作品中でロバート・ライアン扮する人物に対し「サイコパス」という表現が使われており、この時代からすでに異常性格の一種として認識されていたことがわかる。

一方で、人種差別者をサイコパスにしたことがこの映画の主題をあいまいにしたのではないか。

悪女の代名詞グロリア・グラハムの若き姿を拝めたのは価値があった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「野望の果て」  エドガー・G・ウルマー監督  1948年  イーグルライオンプロ

エドガー・G・ウルマー監督もオーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人の一人。
戦前のドイツ時代から映画人のキャリアをスタートさせており、ジンネマン、ワイルダー、シオドマクらによる戦前のベルリンの日常を描いた「日曜日の人々」(1930年)にも参加している。
渡米後はイデッシュ後の映画製作にかかわり、またハリウッドでは数々のB級ホラー作品を監督するが「恐怖の周り道」(1945年)がカルト映画として今に残る。

本作「野望の果て」は、ウルマーが独立プロでB級作品を連発していたキャリア中盤の作品。
「恐怖のまわり道」以外見る機会が少ないウルマー作品に接する貴重な機会でもあった。

「野望の果て」はB級ながら、正統派の大河ドラマのような構えの作品。
ノースターながら、ザカリー・スコット(ルノワールの「南部の人」に主演)や相手役の清純派ダイアナ・リンらが堂々たる演技を見せる。

全編を通しての夢の追想のような幻想感は、同じくヨーロッパ脱出ユダヤ人組のマックス・オフュルス監督の名作「忘れじの面影」(1948年)を、また少ない予算を駆使したであろう豪邸のパーテイシーンでは、オフュルスの「快楽」(1952年)、「たそがれの女心」(1953年)の夢のような舞踏会シーンを、一瞬思い出させる。

シネマヴェーラの特集パンフより

ユダヤ人として生まれ、金持ちの娘(ダイアナ・リン)を救ったことから一家の援助を受け進学する主人公(ザカリー・スコット)。
次第にパワーゲームに目覚め、世話になった一家と娘を裏切りながら、株の世界でのしてゆく。
富豪となった後の孤独感は、虚業の世界で富のみを追求し、他人を裏切り続けた代償。
富を得ることにのみによっては、被差別民のルサンチマンの昇華にはならない。

富豪となった主人公の前に、裏切って捨てた娘とうり二つの若い女性(ダイアナ・リン二役)が現れ、改心した主人公が、その人生で隠し続けた真心を吐露する、が時すでに遅し。
虚業に人生をささげた嘘の男が滅亡してドラマが終わる。

自らもユダヤ人であるウルマー監督の自省の念も入っているのか?
普遍的な人生訓なのか?
きれいごとでは決して済まない人生の流れの中で、唯一変わらぬ清い心と姿を表現したダイアナ・リンが忘れられない。

「テンション」  1949年  ジョン・ベリー監督  MGM

真面目一筋の夫(リチャード・ベースハート)を翻弄し、わがまま一杯の欲望妻(オードリー・トッター)が成金の浮気相手と海でバカンス。
そこへ乗り込む夫を成金は妻の前で殴って撃退。
夫は別の人物に成りすまして成金に復讐しようとするが、直後に成金は不審死。
浮気相手が死ぬとしれッと夫のもとに帰る妻。
事件の真相を暴く刑事は、妻を誘惑してまで違法ぎりぎりの捜査を行う。

シネマヴェーラの特集パンフより

犯罪映画とはいえ、夫、妻、刑事と極端な人物ばかりが登場するノワール劇。

成金の男の海辺の別荘で水着で寝そべるオードリー・トッターの浮気妻ぶりが色っぽい。
根っからの悪女度では「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)のラナ・ターナーには負けるが、「魅力があるうちに高く買ってくれる男に自分を売って何が悪いのよ」とでも言わんばかりの、そこら辺にいそうな欲望妻感が出ていて適役。

この妻を上回る破壊度なのが刑事役の男優。
ジャック・パランスのように癖のある風貌で手際よく捜査を進める。
手練手管の汚れた刑事だが、疑惑の対象を浮気妻と定め、誘惑して関係を持ちながら追いつめてゆく。
この刑事の前では、浮気妻も哀れな子羊だ。

浮気妻に扮するオードリー・トッターが登場するカットでは必ずポワーンとしたお色気BGMがかかる。
ハリウッド流手法でアメリカ製のテレビドラマなどでもよくつかわれた古い演出方法だ。
これがオードリー・トッターにぴったりはまる。

一方、夫が変装しているときに出会う女性(シド・チャリシー)は、純情で真面目に描かれる。
シド・チャリシーはリタ・ヘイワースに似ているグラマーだが。

貞淑であるべき妻を欲望にまみれた存在に描く、という手法はノワールそのもの。
「貞淑な妻」に象徴される「健全な社会」の裏側を暴くという意味での社会批判を陰のテーマとした作品ともいえる。

A級作品ではないが、MGM系列の穴埋め番組としては上出来。
「その男を逃すな」同様、ジョン・ベリー監督の手堅い手腕が見られる。

「群狼の街」  1950年  サイ・エンドフィールド監督  

赤狩りでハリウッドを脱出したエンドフィールド監督作品。

無名キャスト、ロケの多用、遊びのないリアリズム、アメリカ社会のポピュリズム批判、弱者への視点、などまさにfilm grisの要件を満たした作品。

シネマヴェーラの特集パンフより

失業した主人公。
妻は心配し家庭は困窮する。
不景気の時代でも調子よく詐欺や強盗で世を渡る者はいる。
誘われてそんな男の運転手となる主人公。
金には困らなくなるが、いったん入った悪の道から抜けることはできない。

事件を騒ぎ立てる煽情的なジャーナリズムが描かれる。
「群衆」(1941年)、「市民ケーン」(1941年)、「地獄の英雄」(1951年)と映画で告発され続けれるアメリカ社会の宿痾である。

ラストはジャーナリズムによってあおられた群衆の暴動で監獄が破られ、囚人たちは主人公を含めてリンチを受け押しつぶされる。

日本の左翼独立プロの作品のように、無名の俳優を使って、ドキュメンタルに淡々と撮られた作品。
余計なエピソードなどはないので、ストレートに社会批判のテーマが迫ってくる。

「地獄の英雄」  1951年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

「深夜の告白」(1944年)をヒットさせ、「失われた週末」(1945年)でアカデミー賞を受賞したビリー・ワイルダーはパラマウントでは好きなようにふるまえたという。

「サンセット踊り」(1950年)はワイルダーらしく悪意に満ちたハリウッド内幕もので、スニークプレヴューでは観客の嘲笑を浴び、試写を見たMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーを激怒させたものの、批評では絶賛を浴びた。

この「サンセット大通り」は、犯罪映画の体裁を取りながら、過去の栄光にすがる往年の大女優の妄執ぶりを正面から描いた作品で、彼女の夫だった往年の大監督で今は執事として彼女の下着を洗っている、という役をエリッヒ・フォン・シュトロハイムに演じさせ、「蝋人形のような」と劇中でナレーションされる老俳優役にバスター・キートンなどを実名で登場させる。

シュトロハイムはオーストリアハンガリー帝国出身のユダヤ人であり、人種的にもハリウッドでのキャリア的にもワイルダーの大先輩なのに。

大女優役のグロリア・スワンソンはこの時すでに実業界で成功しており、往年の大女優の妄執を演じるにしても、うらぶれた感じよりも、実像から滲み出す美貌と余裕が感じられたものの、役名の「ノーマ・デズモンド」にもワイルダーの細かな悪意が感じられた。

「ノーマ」はMGMのラストタイクーン、アービング・サルバーグの妻、ノーマ・シアラーからとったと思われ、「デズモンド」は、1920年代に愛人だった清純派女優に殺された?スキャンダルの主人公、ウイリアム・デズモンド・テイラー監督からとってはいないか?
だとするとワイルダーの「ハリウッド帝国」に対する寒々しい悪意と嘲笑がにじみ出たネーミングにならないか。

「ノーマ」については、1920年代にスワンソン、メリー・ピックフォードと並び称されたノーマ・タルマッジからの援用なのかもしれない。
ノーマ・タルマッジは夫のジョージ・スケンクがユナイテッドアーチスツの社長だったのでチャップリンとのつながりがある。
さらにノーマの妹ナタリーはバスター・キートンと結婚している。
「サンセット大通り」でのワイルダーのチャップリンとキートンへのこだわり(揶揄)からして、「ノーマ」の出典は、タルマッジなのかもしれない。
いずれにせよワイルダーの「ハリウッド帝国(村)」に対する皮肉・嘲笑が込められたネーミングである。

また、サイレント時代に実際に大監督といわれ栄華を極めたシュトロハイムが自己そのもののパロデイ役を演じるなど、人をバカにしたといおうか、弱い者いじめめいた内輪ネタにもほどがある配役。

しかもシュトロハイムは未完に終わった「クイーンケリー」(1929年)で、製作・主演にあたったスワンソンと揉め、彼女に大損害を与えた過去がある、との因縁まであるのだから何をかいわんや。

もっとも映画とは本来「見世物」であり、題材はアクション、犯罪、スリラー、エロ・グロ、ゴシップなどが受ける。
「サンセット大通り」は、ハリウッドのゴシップである「内輪ネタ」を題材に選び、グロ寸前の味付けを施した際どい企画で観客受けと批評家受けを狙う、という意味ではワイルダーの作戦勝ちでもあるのだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

ワイルダーの毒にまみれた「サンセット大通り」の次作が「地獄の英雄」。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーが監督し、ロシア系ユダヤ移民の両親のもとニューヨークの貧民街で生まれ育ったたカーク・ダグラス(1989年に邦訳が出版された自伝が「くず屋の息子」)が主演するドラマである。

この作品ではワイルダーの切り札「ハリウッドの内輪ネタ」は影を潜め、その毒はアメリカ社会のポピュリズムと煽情的なジャーナリズムに向けられる。
原作ものの映画化が多く、原作の力を借りて才能の枯渇を補っていたワイルダーには珍しく、オリジナルとはいえないまでも、実話からヒントをもらっただけの企画であることもポイント。

ニューヨークの売れっ子新聞記者だったダグラスが、アル中と上司の妻を寝取る癖により解雇され、ニューメキシコへと流れつく。
持ち前のはったりで地元新聞の記者職にありつくが退屈でしょうがない。

ある時にガラガラヘビ退治の取材に赴く途中で、インデアンの墓場で聖なる山といわれる場所で落盤があり、山の麓で土産物屋を営むインデアンが生き埋めとなっている現場に出くわす。
さあ、ダグラスの腕の見せ所だ。

あることないことでっち上げ、救出作業を遅らせて現場を仕切り、煽情的な記事と写真を送稿するダグラス。
現場には物見高い群衆であふれ、出店や遊園地まででき始める。
全国の新聞社が集まってくる。
現場を独占支配するダグラスの狙いは特ダネを全国紙に売りつけてのニューヨーク復帰だ。

毒々しくも空しいジャーナリズムの「売れてナンボ」の世界をカーク・ダグラスの、非情で狡猾な演技を通して描く。
「どこを切ってもカーク・ダグラス」にしか見えない、エネルギッシュにして暑苦しい演技ではあったが。

返す刀で、ニューメキシコの田舎町の汚職しか考えていない保安官や、流れ着いてインデアンの夫と結婚したものの土産物屋暮らしが嫌でしょうがないダンサー崩れの妻(ジャン・スターリング)のけだるさを描きこむのがワイルダーのスキのなさ。

夫が埋まっているのをいいことに、田舎を脱出しようとダグラスに迫る妻に、ダグラスの平手打ちが飛ぶ。
とりあえず男女はくっつけようとするハリウッド流演出へのワイルダーなりの、これも「批判的精神」か。

夫の両親の敬虔な信仰心の描写は「失われた週末」で示されたインデアン的なもの(アル中の主人公に唯一、飲み代5ドルを恵んでくれた、飲み屋の娼婦の部屋の入り口にトーテムポールがあった)へのワイルダーなりの関心とつながっているのか。

ワイルダー作品としてはあそびが少なく、ストレートな「批判的精神」に貫かれた「まじめ」な作品。
ワイルダーの主張がそのまま出ているように見える。
だからこそこの作品が「清廉潔白なるアメリカのジャーナリズムへのいわれなき攻撃」だとして批評家に酷評され、観客にも無視されたのだろう。

パラマウントに損失をもたらしたというこの作品は、現在ではワイルダーを語るうえで重要な作品だと捉えられている。

令和6年1月 東銀座~築地~有楽町

用事があって東銀座に行きました。

東銀座駅コンコースの歌舞伎座案内

日比谷線東銀座駅で降ります。
駅のホームやコンコースには場所柄の演劇広告が掲示されています。

戸田恵子主演「虹のかけら」のアド

戸田恵子主演(三谷幸喜演出)の舞台がやっているのでした。
アンパンマンの声で有名な、実力派戸田恵子ですが歌もうまいのでテレビで見て驚いたことがあります。
マニアックな隙間番組で起用されることはあっても、舞台の主役を務めるとは。
うれしい驚きです。

歌舞伎座地下

東銀座駅は歌舞伎座の最寄り駅でもあります。
駅からつながって歌舞伎座の地下街に向かうこともできます。
大衆芸能の歌舞伎の劇場が、江戸の商業の中心地・銀座の外にあり、さらに外側にある河岸(築地)との間に位置するというのは納得のゆくところがあります。

歌舞伎座

東銀座での用事を終え、晴海通りを南下して築地場外市場へ行ってみます。
既にセリ場を豊洲に移した築地場外。
海外からの観光客でごった返していました。
海苔巻きでも買って帰ろうかと思いましたが、有名店には数十人ものアジア人たちが並んでおり諦めました。

築地場外市場
築地場外の風景
外人観光客が闊歩する築地場外の小路

ついでに晴海通りを渡って築地本願寺に寄ります。
改めて大きく、立派なお寺だと感心します。

印度風建築の築地本願寺の威容

晴海通りを北上し、有楽町駅を目指します。
銀座四丁目を越え、有楽町駅前に着きました。

銀座潤丁目交差点。左和光デパート、右銀座三越

劇場街でもある有楽町駅前。東映の本社が入っている東映会館があります。

有楽町駅前の東映会館

東銀座から築地にゆき有楽町へ戻る散歩でした。

有楽町駅前の交通会館にある北海道アンテナショップでソフトクリームを食べて帰りました。

film gris特集より③ ハリウッド時代のジュールス・ダッシン

ジュールス・ダッシンも赤狩りのブラックリストに挙げられた映画監督。
1951年にアメリカを離れ、以降ヨーロッパで映画を撮り続けた。

ロシア系ユダヤ人移民としてアメリカで生まれたダッシンは、イデッシュ語演劇の俳優などを経て1940年にハリウッド入り。
1944年から1950年までアメリカ国内で映画を撮り、なかでも「裸の町」(1948年)はセミドキュメンタリータッチの犯罪映画の原点ともいわれる作品だった。

ヨーロッパに渡って4年後の1954年、フランスで「男の争い」を撮りカンヌ映画祭で話題になる。
同年、ギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会い、以降メリナ主演で「宿命」(57年)、「掟」(58年)を撮る。
1960年にはメリナ主演、ダッシン助演で「日曜はダメよ」を撮り、アカデミー主演女優賞などを受賞した。

1971年刊のメリナ・メルクーリ自伝「ギリシャわが愛」表紙

手許にダッシンのヨーロッパ時代の盟友にして妻であるメリナ・メルクーリの自伝がある。
「ギリシャわが愛」と題した自伝で、彼女の少女時代から、演劇を志し、数々の恋人、友人らと出会った青年期。
映画に進出し、ダッシンに出会い行動を共にする壮年期に至るまで、を彼女らしい自由な感性のままにつづったもの。

「世界で私のもっとも愛するギリシャ」の書き出しで始まるこの自伝には、戦中戦後のギリシャ国内の混乱と1966年に起こった軍事クーデターという時代の流れと、祖国を愛するがゆえに歯に着せぬ言動を続けるメリナの姿があふれ出る。
彼女は軍事政権から国籍はく奪されながらも、ダッシンとともにアメリカで舞台に、自由を訴え続ける(自伝の出版後、軍事政権が崩壊し、メリナは祖国に帰還する)。

自伝より、ダッシンについての章

自伝には、1954年のカンヌ映画祭でのダッシンとの出会いの様子が。
また、当時のアメリカ国内の反共ヒステリーの様子が活写されている。

ダッシンについて
「ハリウッドのブラックリストにのった人物と知っていたから、いかにも被害者面をし、悲痛な雰囲気を漂わせた男とばかり思っていた(中略)五年間というもの全く干されてきたこの男は、陽気で、楽天的で、弾むような精神の持ち主だった。」(自伝P136)

赤狩りについて
「1947年、ハリウッドが共産主義者の巣窟として攻撃され、非米活動調査委員会はハリウッド映画にはアカの宣伝が含まれていると決めつけた。この知らせにヨーロッパの人々は腹を抱えて笑ったものだった。けれどもその笑いは長くは続かなかった。アメリカ映画は屈服し、崩壊したのである。」(自伝P137)

何という生き生きとした情景描写であり、また歯に衣着せぬハリウッドに対する評価であろうか。
まさに自由人メリナ・メルクーリの面目躍如の一節であり、興味深い。

「日曜はダメよ」で共演したメリナとダッシン

上映中のシネマヴェーラ渋谷のfilm gris特集では、ハリウッド追放前(メリナとの邂逅前)の貴重なダッシン作品が上映された。

シネマヴェーラの特集パンフより

「真昼の暴動」 1947年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

原題は「Brute Force」。
囚人の脱獄ドラマであるから、囚人の野獣性を表す命名かと思いきや、「野獣」は、実は刑務所の看守長に象徴される権力側の本質であった、というもの。

反体制志向とヒューマニズムに貫かれた作品ながら、虐げられる側の怒りを強烈にフィーチャーした作品でもある。
主演のバート・ランカスターをはじめ、囚人役たちの演技からは、その不屈さ、強さ、やさしさが立ち上っており、ゆるぎない精神性が表れている。

シネマヴェーラの特集パンフより

看守長役のヒューム・クローニンは、無表情で小柄、職務に忠実な役人風。
だが実像は己の欲望にのみ忠実なサデイスト。
何やらナチス系の悪役をほうふつとさせる存在。
看守長を取り巻く、刑務所長や役人などが、そろいもそろって優柔不断だったり、己の栄達のみを考え、悪を助長する小役人キャラであることも、ナチス台頭時のイギリス他列強首脳の優柔不断な対応を思わせる。

権力側がそのように悪質で強力な場合、虐げられる側はえてして弱く、善良に表現されることが多いが、どっこいこの作品では、囚人側もランカスターに象徴されるように、不屈で逞しくゆるぎなく描かれているので、全編緊迫感に満ち、決闘アクションもののようにスリリングに映画が進む。

緊迫感が高まるに任せ、ラストまで突っ走るこの作品は、ランカスターの怒りが看守長を叩き潰すまでを「痛さ」を伴った痛恨の画面を通して描き切る。
が、観客にカタルシスをもたらすアクションの爆発はすぐに終わる。
囚人たちの爆発は確かに第一の敵である看守長を叩き潰しはした、が、同時にランカスターもやられ、鎮圧される。

これだけの暴動があっても鎮圧後は何事もなかったかのように刑務所(体制)は続く場面で映画は終わる。
体制とは、権力とは、決して俗人的なだけのものではなく、虐げられる者たちの反発だけでは決して揺るがないものだというように。

ダッシン初期のヒット作で、その映画的サービス精神、馬力、緊張感が全面に満ちた傑作。
ランカスターにとっては「不屈の男らしさ」という後々までの俳優としてのキャラを確立した作品。

囚人の一人の回想シーンに出てくるのが、ロバート・シオドマク監督の「幻の女」(1944年)、「容疑者」(1945年)、「ハリーおじさんの悪夢」(1945年)に出ていたエラ・レインズ。
シオドマクのノワール調の映画では、訳アリの悪女っぽい役柄で印象的な女優さんだった。
この作品では、妻のために不正経理を行った真面目な囚人の若妻役で一場面だけ登場する。

「裸の町」 1948年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

裸の町とはニューヨークそのもののこと。
活気にあふれ、猥雑で腹黒く、勝ち組負け組に分かれるが、時代の先端を行き魅力的な街のこと。

「真昼の暴動」に続いてジュールス・ダッシンを監督に起用した製作者のマーク・ヘリンジャーのナレーションで始まるこの作品。
「今までの映画とは違います。スタジオではなくニューヨークで全編ロケして作りました」との口上が述べられ、セミドキュメンタリーと銘打ったこの作品が始まる。

街の雑踏、地下鉄駅、夜のとばり、夜間も稼働する工場、早朝の新聞社など、ニューヨークの実写が続く。
続いて、窓越しの遠景ショットで、ある夜のある部屋での殺人事件が窓越しに映し出される。
あっという間にドキュメンタリーからドラマに移行していたことに気づかされる。

ドラマが語られる間も、ロケ撮影を多用し、街の住民たちを巻き込んでのゲリラ的撮影が行われる。
当時としては画期的な手法である。
今見ると、街頭ロケのやり方などはおとなしく、むしろドラマ部分の劇的興奮の方が印象的に感じるが。

シネマヴェーラの特集パンフより

戦争当時はヨーロッパで従軍していた新人刑事(ドン・テイラー)と海千山千のベテラン刑事(バリー・フィッツジェラルド)のコンビが絶妙。
わき役の刑事たちの生活感もすごい。

新人刑事の家庭では不在気味の旦那に不安を募らせる新妻の様子も描かれる。
人物描写もセミドキュメンタリータッチなのだが、ここら辺にこの作品の価値がある。

徹底した足で稼ぐ捜査。
ベテラン刑事の的確な指示と、四の五の言わずに足を動かす新人刑事。

カメラも俳優と一緒に街へ飛び出してゆく。
犯人を追いかけるシーンのロケでは通行人が走る俳優を避け、また振り返る様子が捉えられる(隠し撮りではあるが、路上のおそらく車中から撮られていたり、建物の階上からの俯瞰ショットで撮られている)。

「仁義なき戦い」シリーズの、街頭の通行人を巻き込んだかのようなゲリラ撮影のカットを思い出す(こちらは俳優のアクションを通行人がいる路上で、手持ちの隠しカメラによって撮影しており、驚き避ける通行人の姿が生々しくとらえられる。後日制作者は警察に呼ばれさんざんに絞られたという)。

犯人を追いつめる終盤では、地下鉄の高架下をパトカーが追いかけるカットが鉄橋の真上から撮られる。
「フレンチコネクション」(1971年 ウイリアム・フリードキン監督)の1シーン、ジーン・ハックマンが地下鉄に乗った犯人を、信号無視で鉄橋の下を追走したスリリングな名場面の、これが原典だ。

街角で遊ぶ女の子、ハドソン川にかわるがわる飛び込む少年たち。
街角には女性が颯爽と歩き、今ではクラシックカーと呼ばれるアメ車が走り回る、馬車も現役で働いている。
ニューヨークの実景が活写され、単なるつなぎカット以上の効果を挙げている。

主役をニューヨークとし、その懐で右往左往する人間を描いた作品。
どこを切ってもニューヨークが顔を出す中で、ドラマ部分がスリリングで、サービス精神満点。
正義が貫かれ、馬力があり、すっきりした結末を迎えるドラマ作りはダッシンらしくていい。

1948年当時のニューヨークの風景からは富と余裕が感じられる。

「街の野獣」  1950年  ジュールス・ダッシン監督   20世紀FOX

ハリウッドの赤狩り騒動でブラックリストに載ったダッシンが、イギリスで撮った作品。
ロンドンを舞台にしたノワール作品だが、配役はハリウッドのA級ランク(予算はB級だろうが)。
監督としてのダッシンの評価がすでに定まっていることがうかがえる。

ロンドンの貧民街で詐欺を生業にしているチンピラ(リチャード・ウイドマーク)が追っ手から逃げ回るシーンで始まる。
チンピラには正業時代に結婚を誓った女(ジーン・ティアニー)がいる。
サッカーくじの借金取りである追っ手から逃げ回ったチンピラは女の部屋に逃げ込み、5ポンドを借りて借金を払う。
女は男との結婚を夢見ながらキャバレーで働いている。

ジーン・ティアニーは、「タバコロード」(1941年)、「ローラ殺人事件」(1944年)をはじめ「哀愁の湖」(1945年)、「幽霊と未亡人」(1947年)に出演したA級スターだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

チンピラはひょんなことからかつての強豪プロレスラー(スタニスラフ・ズビスコ)に気に入られ、ロンドンのプロレス興行権に手を出す。
プロレス興行はボクシング以上にプロモーター(≒やくざ)の利権(≒シノギ)。
素人やチンピラが手を出せるものではないが、強豪に気に入られている(プロモーターは強豪の息子でもある)というただそれだけで、リンチと抹殺を保留され、調子に乗るチンピラ。

強豪レスラー役のズビスコはプロレス史上のレジェントで、プロレスが真剣勝負だった時代にグレコローマンスタイルで一世を風靡し、1925年には当時当たり前となりつつあった「筋書」のあるプロレスのタイトルマッチで掟破りの勝利をするなど、リアルなセメントレスラーとしてファンの人気を集めていた。
「街の野獣」出演当時は引退していたが、映画での役柄通り、ショーマンスタイルのプロレスを嫌悪する伝説のレスラーだった。

前作「裸の町」では、殺人の下手人がプロレスラーという設定で、トレーニングのシーンもあり、ダッシンのプロレスに対する興味のほどがうかがえたが、本作では重要なわき役として伝説のプロレスラー(ズビスコ)を起用。
トレーニングシーン、けいこ場でのセメントマッチのシーンに長時間の尺を取っている。

プロレス興行からも締め出され、当然の落とし前として惨殺され川に捨てられるチンピラを、若いウイドマークがシャープな動きで熱演。
可哀そうなだけのジーン・ティアニーには、秘かに彼女を思い続けていたアパートの真面目な若者と結ばれるエンデイングが用意される。

ロンドンの下町の光と影。
乞食たちを束ねるくず拾いの親玉。
バッタ品専門の故買業者の女。
嫌がる女を情婦に囲い続ける太ったキャバレー経営者。
チンピラを誘惑して情夫から逃げようと計るやり手女。

そろいもそろって癖のありすぎるキャラクターが蠢き回る。
悲惨なはずの彼等からは、同時にユーモラスな人間味も感じられるのは監督ダッシンの持ち味か。
「真昼の暴動」のルサンチマンの暴発や、「裸の町」のような徹底したリアリズムは影を潜め、スターシステムにのっとったノワール風ギャング映画の色合いが濃い。

製作はサム・スピーゲル(作品クレジットはS・P・イーグル名)。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、のちに「アフリカの女王」(1951年)、「戦場にかける橋」(1957年)、「アラビアのロレンス」(1962年)を製作したひと。
50年前後にはオーソン・ウエルズ(「ストレンジャー」(46年))やジョセフ・ロージー(「不審者」(51年))などメジャーでの起用が忌避されていた監督を起用していた。
またエリア・カザン監督バッド・シュルバーク脚本で「波止場」(1954年)を製作した。

本作での2大スターのキャステイングや、20世紀FOXの配給(=出資)を勝ち取ったのは製作者スピーゲル(イーグル)の功績であろうがこの映画、実情は、ブラックリストの監督を起用し、イギリスの貸しスタジオでハリウッドスターをプロデユーサーの腕力で招集して撮影された、いわば独立プロ作品、ということなのだろう。
ハリウッドで最後にダッシンに手を差し伸べたのが、スピーゲル(イーグル)ということになる。

本作でハリウッド(イギリスでの撮影だが)での活動を終えたブラックリスト上のダッシンにはこの後、仕事のオファーはもちろんなく、またハリウッド関係者は、映画祭などでも彼と一緒に写真に写ることを避けたという。

ヨーロッパに脱出したダッシンが、「男の争い」でカムバックし、また盟友にして妻となるギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会うまでにはこの後4年の時が必要だった。

film gris特集より② ジョセフ・ロージー初期作

ジョセフ・ロージーは舞台演出家出身のアメリカ人映画監督。
ユダヤ人ではない。
左翼系演劇時代にはドイツから亡命中のベルナルド・ブレヒトとも協働したという。

制作者ドーリ・シャリーの引きでハリウッドに渡り、「緑色の髪の少年」で映画デヴュー。

シャリーはMGMを皮切りに、セルズニックプロ、RKO、ふたたびMGMと渡り歩いたプロデユーサーで、「少年の町」(1938年)、「らせん階段」(1946年)、「十字砲火」(1947年)、「二世部隊」(1951年)、「日本人の勲章」(1955年)などを手掛けた。
中でも、当時(今でも)マイナーな存在の日系人とその差別問題をさりげなく取り上げた「二世部隊」「日本人の勲章」はユニークなテーマ性を持っており、シャリーの特性を表している。
進歩的映画人に寛容なシャリーが、左翼のジョセフ・ロージーにデヴュー作を撮らせることになる。

ジョセフ・ロージー

ロージーは、ハリウッドで5本ほど監督(「緑色の髪の少年」(48年)、「暴力の街」(50年)、「M」(50年)、「不審者」(51年)、「大いなる夜」(51年))するが、1951年非米活動調査委員会の影響によりブラックリストに載り、アメリカを脱出。
以降イギリスを本拠にヨーロッパで活動し、最後までハリウッドには戻らなかった。
代表作に「エヴァの匂い」(1962年)、「できごと」(1967年)、「恋」(1970年)など。

ビスコンテイやベルイマンと同じく舞台演出家としても高名なロージー作品には、ジュリー・クリステイー(「恋」)やアラン・ドロン(「暗殺者のメロデイ」(72年)、「パリの灯は遠く」(76年))、ジェーン・フォンダ(「人形の家」(73年))などのスターが出演することでも知られた。

シネマヴェーラ渋谷のilm gris特集では、ロージーの貴重なハリウッド時代の作品が取り上げられた。

「緑色の髪の少年」 1948年  ジョセフ・ロージー監督  RKO

戦争孤児で親戚のおじさんと暮らす少年の髪の毛が緑色に変わった。
少年は仲間にいじめられて家出する。
緑色の髪は戦争の悲惨さに対し人々に注意を向けさせるための象徴だと気づいた少年は町に戻り、人々に説くが、人々は受け入れない。

戦後すぐに起こった核実験や反共の嵐。
時代に流されて疑問を感じない人々。
これらへの警鐘をテーマとした反戦寓話。
緑色の髪の毛を表現する意味もあり、カラーで撮られた。

おじさん役のパット・オブライエンと少年

ナイーブなテーマと平板な造りに初々しさを感じるジョセフ・ロージーのデヴュー作。

少年のおじさん役のパット・オブライエンが味のある演技を見せる。
髪の色が変わった少年を精神医学的に分析する博士にロバート・ライアンだが、性格上特色のない役でロバート・ライアンを使うのはもったいない感じもした。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

映画的興奮と過度なテクニックの使用を避け、淡々とした描写に徹するロージーの持ち味がデヴュー作で早くも発揮されているのが興味を引く。

シネマヴェーラの特集パンフより

「不審者」 1951年 ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

ロージーの長編4作目。
力のこもった一編に仕上がっている。

サイコパス気味の警官(ヴァン・ヘフリン)が、夜を一人で過ごす人妻(イヴリン・キース)にほれ込み、パトロールがてらの訪問を繰り返す。
偶然二人が同郷だったことなどから打ち解け、警官の手練手管もあって二人は恋人関係に。

警官はパトロール中の事故を装い、人妻の亭主を射殺。
裁判で無罪を勝ち取り、人妻と結婚する。

ここら辺から二人の力関係が変わってゆき、予定外の妊娠から完全犯罪がばれるのを防ぐために、砂漠の廃墟に逃げ込んむ頃には、開き直って堂々とする女と、嘘にうそを重ねようとあたふたとする男と、二人の心理的状況が逆転する。

「不審者」の一場面。砂漠の廃墟で出産を待つイヴリン・キースとヴァン・ヘフリン

全体を通して芸達者なヴァン・ヘフリンの一人芝居ともいうべき演技力に支えられている。
好人物役が多いヘフリンだが、サイコパス気味の役も上手に演じ、悪徳警官の小悪党ぶりから、自滅に向かうあたふたぶりまで大車輪の演技を見せる。

監督であるロージーの関心は、サイコパスによる犯罪映画にあるわけではないので、途中からヘフリンの異常ぶりは薄められ、「ひょっとして人妻に横恋慕しただけの小心な小悪党」だったのか、と思わせる。
むしろ土壇場での「開き直った強い女心」の潔さ、あるいは「不正は正直な正義の前には所詮無力」であることを描きたかったのか。

夜のシーンが多く、光と影を塩梅した撮影が秀逸で、一見サイコサスペンス調の映画でありながら、平凡な人物の奥底に潜む異常性と小心さとその破滅を描いた作品。
力がこもるのは演じる役者であり、作る側は淡々としてクールに人間性を描くというのがロージーらしい。

シネマヴェーラの特集パンフより

「大いなる夜」 1951年  ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

この作品を最後にハリウッドのブラックリストに載ったロージーがアメリカを離れることになる、上映時間73分の中編。

都会の下町のバー。
17歳の主人公が尊敬する父がマスター。
父は離婚している。

主人公の17歳の誕生日。
父はバースデーケーキを作ってくれた。
その夜に新聞記者をやっている街のボスがバーにやってきて、父をステッキで殴り倒す。
黙って耐える父。
主人公は耐えきれず、ボスへの復讐を誓って夜の街をさ迷う。
バーの引き出しにあった拳銃をもって。

夜の歓楽街で見知らぬ大人と仲良くなったり、女性と初めてのキスをしたり、ボスに詰め寄って拳銃が暴発したり。悪夢で始まった少年の一夜は、迷宮のような大人の世界に翻弄される。

突然降りかかった不条理な悪夢は、当時の反共の世相の恐怖感を反映したものか。

権力の象徴としてのボスの存在。
少年が交わる大人の世界の猥雑さ、権力者へのスリより、手のひら返しは、世間一般の頼りなさ、ご都合主義を表しているのか。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

主人公の少年のナイーブさ、頼りなさ、解決能力のなさは、現実的なロージーの世界観を反映しているのか。
ショッキングな設定ながら、地味に淡々とした描写に終始するところがロージーらしい。
彼が求めるのは映画的テクニックによる興奮ではなく、役者の演技を通しての熱量なのだろうから。

シネマヴェーラの特集パンフより