令和6年 畑は今・・・

4月下旬になって今年初めて畑を訪れました。

先ず玉ねぎを見に行きました。
幸いほとんどが活着して冬を越えていました。
まだまだ丈は短かったですが後2か月、6月の収穫まで元気に育ってほしいと思いました。

厳寒を乗り越え春を迎えた玉ねぎ
よく頑張った!玉ねぎ

ガッテン農法で作った畝を毎年使っています。
畝には不思議と雑草が生えていません。
マルチングしているからでしょうか。
このまま土寄せしてマルチを被せれば、無農薬、無肥料で今年も夏野菜を栽培できそうです。

ガッテン式畝(草がない列)と畝間(雑草だらけの列)

しかし畝間には早くも雑草が支配的です。
畝間に雑草を生やし、畝の保湿や土壌維持に役立てる農法もあるようですが、気になるので畝間の雑草は春の段階で一度起こしておきます。
起こした後は、日光で雑草を枯らし、残った土壌で畝に土寄せしてからマルチングしようと思います。

畝間の雑草を鍬で起こす
同上

続いて気になる畑へ向かいました。
ネットを張って鹿よけをしている畑です。
畑に着くとキジの雄が鳴きながら走り回っているのが見えました。
ここら辺に巣を作っているいつものキジが不意の闖入者に驚き警戒したようです。

さて2張りのネットは盛大に崩れていました。
支柱が倒れまくっています。
冬には強風が吹くこともある場所ですが、風上ではなく風下の支柱が倒れています。
冬の間にネット内に侵入した鹿が力任せにネットと支柱を踏み倒しながら脱出したためと思われます。

ネットが支柱毎倒され扉も開きっぱなし
もはやネットの体裁なし
畑には鹿の足跡

今年は畑仕事開始が遅れているので、まず管理機をかけ、鍬で畝を作ってジャガイモを植える作業を第一に行います。
5月以降は、ガッテン式畝にマルチングの上、夏野菜を定植したり、ポットにインゲンにゃビーツなどを撒き、芽出しすることを優先に作業したいと思います。

ネットと支柱の修繕はそのあとです。

この日はガッテン式畝の畝間の雑草を鍬で起こしました。
半袖でもいいくらいの温かさでしたが、数列起した後に雨が落ちてきたので作業を終了しました。

山小舎備蓄の野草茶の原料はヨモギ、ヤーコン葉、スギナですがヨモギが切れていたので畑の周辺で摘み取りました。
まだ短くて柔らかく弱々しいヨモギは集めるのに手間がかかりました。
畑はやっと春を迎えたころなのでした。

ヨモギを摘む。まだ春先でこの量がやっと
畑の角では水仙が満開

桜を求めて八ヶ岳半周 (後編) 臼田・稲荷山公園

桜を求めて八ヶ岳を半周、小海町まで来ました。
このまま国道141号線を北上して佐久市に入ります。
佐久市は南北に長く、臼田、野沢、中込、岩村田といった町が合併して成り立っています。

141号線を走り臼田地区に入ってゆくと右側の山頂に宇宙ロケットを模した構造物が見えてきます。
JAXAか何かと提携した天文関係の施設?あるいはスピリチュアルの何か?
県内には南牧村の野辺山に国立の天文台があったりするので、関連する施設が佐久にもあるのか?

佐久市臼田の稲荷山公園案内図

千曲川ほとりの稲荷神社の駐車場に軽トラを止めます。
鳥居わきには、葉桜となったソメイヨシノが最後の花をつけています。

朱色の鳥居のトンネルをくぐって登ってゆきます。
振り返ると千曲川の流れが、朱色の鳥居の列越しに眼下に広がります。
少々頑張って登った先に稲荷神社の本殿がありました。
まずは臼田のお稲荷様にご挨拶です。

稲荷神社
稲荷神社本殿
稲荷神社由緒書

神社の境内は公園の敷地につながっていました。
稲荷山公園です。
散策する人の姿が見えます。

眼前に141号線から見えた巨大なロケットが姿を現しました。
ロケットは公園の頂に立っており、近くで見ると遊園地の施設のように見えます。
JAXA関係の施設ではないようです。

ロケット型の展望台
コスモスタワー(展望台)案内

ロケットは展望台になっており、階段で3階まで登れるようです。
混みあうと行きかうのに困難が生じるほどの狭い階段を上ってみます。
行きかう家族連れは2,3組で閑散としています。

3階から展望すると眼下にパノラマが広がります。
公園の芝生で遊ぶ子供たちの姿が見えます。
目を転じると千曲川の流れや佐久盆地の景色が広がっています。

コスモスタワーから公園を展望
コスモスタワーから展望する千曲川

公園には、ロケットから広場への滑り台のほか、広場、階段、ベンチなどが配置され広々としています。
舗道に沿って満開の桜並木がありました。

公園でゆったりと過ごすファミリーやカップル、子供たちの姿を見て山小舎おじさんもまったりしました。

公園を後にし、稲荷神社の方に戻ります。
鳥居を逆戻りするのではなく、別の山道をゆったりと下って駐車場に戻り、軽トラで山小舎へと帰りました。

稲荷山公園内の桜並木

桜を求めて八ヶ岳半周(前編) 南牧村・海尻城跡

山小舎開きを終え、山小舎おばさんを諏訪南インターまで送った後、桜につられて軽トラで八ヶ岳周辺をドライブしました。

茅野や原村、富士見の平地では桜の満開が終わっていましたが、八ヶ岳周辺の標高が高い場所ではソメイヨシノなどの桜が満開です。

富士見町の畑の脇の桜。背後に八ヶ岳連峰

八ケ岳エコーラインを使い、山梨県に入り、八ヶ岳高原ラインを走り、美し森など清里高原を抜けて軽トラを走らせます。
このルート、富士見高原エリアには桜が見られますが、山梨県の八ヶ岳高原ライン沿線にはほとんど桜がありませんでした。

清里を過ぎ国道141号線に合流、野辺山高原を抜けて走ります。
坂を下って長野県南牧村の海ノ口地区に入るとぽつぽつ桜の木が見えてきました。

かつては湖が広がっていたというこのあたり、その名残は海ノ口、海尻、小海などの地名に残っています。
千曲川がその源流に端を発し、国道141号線やJR小海線と並行して流れています。

南牧村海ノ口地区の中学校校庭にて

国道141号線に沿った南牧村海尻地区に、海尻城跡という人知れぬ城跡があります。
小高い山の上にあり、そのふもとには天台宗の医王院という立派なお寺が、海尻城跡を守るように建っています。

海尻地区の天台宗医王院。鐘楼を兼ねた山門が見える

医王院には立派なたたずまいの仁王像と山門があり、思わず立ち止ってしまう程です。
近くの諏訪神社の道路わきに軽トラを止め、医王院の境内に桜を探してみました。

山門をくぐる手前に木で作った鳥居のようなものがあり、「史跡海尻城」と看板があります。
見上げれば15分ほどで登れそうな小山の頂が城跡のようなので登ってみました。
眼下に医王院の大きな本堂を見ながらの山登りです。

山門手前の参道を海尻城跡へと分け入る
城址へと山道を上りながら、医王院山門を桜越しに振り返る
山道から桜越しに医王院の本堂

戦国時代以前に地方豪族によって建てられ、武田氏から地元勢力へと主を替えたというお城の跡地です。
地方豪族の「館(タテ)」の大きなものだったのでしょうか、それでも三の丸まであったとのことです。
街道筋と千曲川を眼下にした絶好の立地です、かつてはさぞ栄えたのでしょう。

小山の頂の海尻城跡
山頂の奥には一族を祀る碑が結界を張って守られていた

訪れる日も少ない、昔日の海尻城跡と、それを守る医王院の訪問を終え、再び141号線に戻ります。

国道141号線は、佐久市に入る前に小海町を通ります。
小海町は南牧村の北隣にある、千曲川流域で小海線沿線の近隣では大きな町です。

走っていると児童公園の桜が目に留まりました。
色合いが微妙に違う桜が配置されています。
ちょうど散り始めた花びらが桜吹雪というか雪の花が降っているようです。
そのただなかにいると体が震えるような思いでした。

小海町の児童公園の見事な桜
無人の公園の散る桜に癒される

桜の旅前編終了です。
後編では141号線沿線の佐久市臼田地区の稲荷山公園で桜に出会いました。

令和6年山小舎開き

今年の山小舎開きは4月中旬です。

1月は孫たちが橇で滑った山小舎前の道も春模様

山小舎おばさんに送られて、荷物とともにやってきました。

2か月ぶりの山小舎は残雪などはすっかりなく、春の芽吹きを待つ木々の気配に満ちています。

山小舎は無事だった

暖房はまだまだ必要ですが、寒さは冬の厳しさはありません。
山小舎の地下に下りて上水道の水を上げ、凍結防止の電熱線への通電を切りました。
水道は夏モードでもう大丈夫でしょう。

冬使ったシーツを早速洗濯

来月早々にはやってくる娘孫一家が冬の間使ったシーツを洗濯して、干し、山小舎仕事の開始です。
これから天気のいい日には布団も干そうと思います。

山小舎おばさんは2泊して東京へ帰宅。
8シーズン目の、山小舎おじさん単独生活の開始です。

狭山境緑道全線走破

2月27日付の本ブログで狭山境緑道のことを書きました。

狭山境緑道は武蔵野市関町から東大和市の多摩湖まで、全長10.5キロメートルの緑道です。
大正時代に東京への上水道供給事業として掘削開始され、多摩川を水源とする人造湖の多摩湖(下村山貯水池)から、武蔵野市の境浄水場までをほぼ直線で結んだ取水路が完成しました。
取水路はのちに取水管が地下に埋められ、その上が遊歩道として開放され、現在に至っています。

春真っ盛りとなったこの日、武蔵野市関町から東大和市多摩湖までの緑道全行程を自転車で往復してきました。

自宅から関町5丁目の緑道出発点に向かいます。
途中、緑道が多摩湖の水を届けている境浄水場の脇を通ります。
境浄水場は井之頭通りに沿って広がる広大な施設です。

武蔵野市の境浄水場を井之頭通りから見る

浄水場が途切れてから少々ゆくと、井之頭通りが五日市街道に合流する関町5丁目交差点に着きます。
ここから狭山境緑道が出発します。

関町5丁目交差点。緑道の出発点

関町から花小金井まで

桜が散った4月中旬の緑道は、つつじ、ヤマブキ、ハナミズキなどの天国です。
ウオーキングの人々が、花々に囲まれながら気持ちよさそうに歩いています。

つつじ
ハナミズキ

関町から花小金井駅のあたりまでは、人通りも多く桜並木が整備された道です。
沿道の民家は、緑道に沿って花を植えたり、庭木を手入れするなどして緑道の維持管理に協力しています。
サイクリングロードのようにスポーツ自転車が高速で突っ走るようなシーンも少なく、とにかくのんびり散歩する人、駅などへの生活道路として使用する人の姿が見られます。

沿線の農家のプレゼンテーション
沿道には桜の巨木が残る
桜並木が続く花小金井近く

春を迎えた農地が耕されています。
都市農業がまだまだ元気です。

花小金井から小平まで

花小金井駅周辺を過ぎると緑道の人出が収まってきます。

沿線には、民家に交じって広々とした公園が多くみられるようになってきます。

桜吹雪の名残

小平の古民家などを集めたふるさと村という施設があります。
この日は休館日でしたが、空いている日は古民家の庭先で羽根つきなどで遊ぶファミリーの姿などが見られます。

小平ふるさと村は本日休館

西武新宿線の小平駅はこのあたりの中心の駅で南口にはロータリーが広がり、商店が集まっています。

小平から多摩湖まで

小金井市、小平市と通過してきた緑道が、東村山市、東大和市へと向かいます。

東村甘市内の緑緑道
八重桜

人通りはますます少なくなってきます。
西武線の踏切を渡ったり、線路と並んで進みます。

八坂という駅を過ぎてからは、西武多摩湖線と並行して進みます。

東村山市内の西武線踏切
八坂駅

線路の向こうに広々とした東村山中央公園の景色が広がります。

東村山中央公園方面を遠望

まもなく緑道の終点、東大和市の武蔵大和交差点です。
この先は丘陵となっており、多摩湖を抱える公園が広がっています。

多摩湖は大正時代に作られた人造湖で、下村山貯水池というのが正式名称のようです。
公園に入ってゆくと、広い湖面に建つ取水塔が見えます。
湖の反対側は埼玉県所沢市で、西武ドームの銀屋根が遠望されます。

多摩湖に建つ取水塔
湖面の向こう側は埼玉県

帰りに緑道わきのうどん屋へ寄ってみました。
元気のいいおばちゃんが仕切る繁盛店でした。
手打ちのゴツイうどんを汁につけてすする食べ方は、武蔵野地方から埼玉にかけての伝統的食文化です。
東村山のきくやといううどん屋はまた来たくなるうまさでした。

東村山のうどん店・きくや
3Lうどん、肉汁てんぷら付き

春の花々に囲まれ、湖の絶景に接し、思わぬ地元の美味に舌鼓。
感激の狭山境緑道の輪行でした。

東村山の小学校にて

玉川上水緑道の散りゆく桜

桜が散り始めました。
玉川上水沿いの緑道に、散りゆく桜を眺めてきました。

杉並区内の玉川上水緑道

玉川上水は江戸時代に開かれた上水道で、多摩川の羽村から四谷までの43キロほどを流れています。

現在でも都内を流れる川(水路?掘割?)として管理保存されており、上水道に沿って遊歩道が整備されています。また、小金井市内では沿道の桜並木が花見の名所となっています。
三鷹市内で太宰治が愛人と入水自殺をしたのも玉川上水です。

上水の流れは今も

玉川上水が三鷹市内で人見街道と交差し、東八道路に沿って流れるあたりに桜の並木があります。

桜吹雪も終わった沿道の桜

この日、すでに桜吹雪も終わりかけたころ、自転車で見に行ってきました。

桜の巨木が上水道の歴史を物語っています。
既に季節は桜からヤマブキなどに移っています。

桜の巨木が残る
ヤマブキが満開

三鷹から杉並区に入るこのあたり、平日は人通りも少なくのんびりしています。
来年は満開の時期に来ようと思った多摩川上水の桜でした。

緑道には桜吹雪の名残が

千鳥ヶ淵の葉桜

ソメイヨシノが満開となった数日後、千鳥ヶ淵に行ってみました。

九段坂下から靖国通りを上り、武道館のある北の丸公園を左手に見て進みます。
夏には蓮の葉で水面が隠されるお濠を桜越しに眺めます。

靖国通り沿いの昭和館から見た皇居のお濠
北の丸公園方面の人々

人波が多くなってきましたが想像以上ではありません。
自分のペースで歩けます。

千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵に浮かぶボート
千鳥ヶ淵の対岸の桜

千鳥ヶ淵に着くと桜並木に沿ってお祭りの時のように見物人の列が続いています。

近くで見るとソメイヨシノは葉が出ており、花はかなり散ってしまっています。

桜はかなり散っていた

外国人が多数います。
中国、韓国のほかラテン系、南アジア系と思しきグループの姿が目につきます。
白人は大体カップルで歩いています。

目の前に裸足で槍を持ち、民族衣装を着たカップルが歩いています。
付いて行ってみると、同じく民族衣装を着た女性の一群に合流していました。
この一団はリーダーと思しき男性が率いており、アマチュアが自然発生的に集まったものではないようでした。

目の前を歩く民族衣装のカップル。男性は裸足
集まった民族衣装の一団

歩いているうちに戦没者墓苑の入り口に着きました。
Uターンして靖国通りに戻り、市谷駅まで歩いて帰りました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は等しく戦没者が祀れた国立霊園
靖国神社の大鳥居が覗く

府中競馬場、競馬博物館

自転車での散歩の途中、府中競馬場(正式には東京競馬場)の前を通りました。
周辺には制服を着た交通整理のおじさんたちが多数出動しており、競馬場で何か開催されているようでした。

府中競馬場東門

東門の前を通ると、人々が三々五々門から入場してゆくのが見えました。
駐輪場に立っている係員さんに聞くと「今日は場外馬券売り場が営業しており無料で入場できる」とのこと。
開催日には200円で入場できるとのことでした。
時間があったので入ってみました。

広い広い競馬場に初めて入りました。
学生時代、札幌の競馬場の関係者駐車場でバイトしたことがありました。
制服、ヘルメットを着用し駐車場内を巡回するだけのバイトでした。
入ってくる車のほとんどが黒塗りのベンツだったような記憶があります。
サングラスをかけた人が運転しているような印象がありました。

この日の府中競馬場には幼い子供連れのファミリーがたくさんいました。
子供らは、簡単な遊具が設置してある公園で元気に走り回っています。
芝生にシートを広げるグループもいます。
ベンチで一人黙する男性は馬券を買いに来た人でしょうか。

この日は無料の入場ゲートをくぐる
城内の案内

中世より武蔵野の中心であった府中は現代にあっても三多摩地区の中心です。
刑務所、税務署、法務局、ハローワークなどの行政施設が置かれています。

ギャンブル施設においても、競馬場のほかなぜか競艇場まであるのは戦後政策のせいでしょうか。
ちなみに競輪場は戦前に京王線終点の遊興施設として作られ、戦後には米軍のダンスホールに接収された歴史を持つ京王閣がその会場となっています。
京王閣は府中の隣、調布市にあります。

府中競馬場の話に戻ります。
小高い丘に登ると馬場が遥かに見渡せます。
馬場は、芝生と土の二つのタイプがあります。
馬場が取り囲むフィールドも見渡せないほど広いのですが、開催日にはここに移動販売車などが集まるとのことです。

全部は探訪できないのでせめて競馬博物館に入ってみることにしました。
デパートのエレベーターガールのような制服姿のお姉さんが一方ならぬ丁寧さで迎えてくれます。
ここも金をかけた施設であることがわかります。

城内の競馬博物館入り口

場内は全国の公立博物館のような手狭さ、そっけなさとは対照的です。
吹き抜けの階上階へは広々としたエスカレーターが常時動いています。
白塗りの壁は明るく広がる空間を演出しています。
学芸的な香りの施設というよりは、場にそぐわない百科事典を陳列した金満経営者の社長室のような居心地の悪さも若干漂っています。

1階に展示されている馬の種類の模型
新人騎手紹介。女性騎手もいた

肝心の展示内容ですが、歴代の名馬や名騎手のモニュメントばかりではなく、競馬の歴史も丁寧にされていました。

競馬の歴史コーナー。競馬の始まりは戦車競走

馬を使った競争は紀元前の戦車競走から始まり、特にヨーロッパで発達したこと。
日本では中世に始まったことがわかります。
中世の日本では武者を乗せた馬の競争があったようです。
流鏑馬や野馬追のような文化遺産が現代でも残っており、馬を使った多分に儀式的、お祭り的な行事が競馬だったのでしょう。

19世紀のイギリスの競馬場のジオラマ模型

西洋式競馬の始まりは幕末の外国人居留地がその始まり。
日本でも賭け事としての競馬がたちまち広がったとあります。
戦前の日本では優秀な軍馬の生産が競馬の興隆の目的の一つだったともあります。

明治時代の日本の競馬馬券。この時代、既に不正はあったとのこと
全国各地に点在する競馬場

外国では、競馬のほかにドッグレース、闘牛などが発達し、日本では競輪、競艇がなぜか公営ギャンブルとなって今日にいたっています。
日本における公営ギャンブルの発生と内実は不透明そのものですが、国公認の各胴元には莫大な金員が集まることだけは確かです。
その周辺にはなけなしの金をはたいて賭けにいそしむ、よれよれのジャンパーを着た多数の浮かない顔の人々が群れていることも。

場外に立ち飲み屋が残っている。この日は4軒が営業していた

「国有地」の桜満開

自宅の近くに通称「国有地う」と呼ばれる場所があります。

自宅裏の遊歩道から望む「国有地」

調布市の柴崎地区。
農業用水路が使われなくなり蓋をして遊歩道となっている突き当たり。
市が管理しているグラウンドがあります。
その周りに幾本かのソメイヨシノがあります。

グラウンドわきの桜が満開

今年も満開になりました。

枝ぶりもよく、桜の下では毎年近所の野球チームや家族連れなどが花見をします。

グラウンドでは野球する人の姿が

子供の声が絶えないグラウンドは、今年も本格的な春となりました。

神代植物公園周辺の桜

ソメイヨシノが満開です。
神代植物公園の周りを歩いてみました。

自宅から植物公園方面へ向かい、都立農業高校の実習農園の脇を抜けると青渭神社にぶつかります。
さっそく満開の桜が目に入りました。

青渭神社付近のソメイヨシノ

青渭神社の前のバス通りを北上しつつ、植物公園方面を見ると桜が咲いています。
ここら辺は人出も少なく花見をするには穴場です。

植物公園の方に向かう道路にも桜が

バス通りを北上して西原五差路という交差点に着きました。
整備された緑地が広がっています。
ここは花見のポイントになっていました。
人出が多く、シートを広げている家族連れもいます。

西原五差路近辺はいつも間にか花見の場所になっていた

西原五差路を西に折れ、植物公園の北端に接するバス通りを行きます。
この通りの桜並木は数年前までは枝ぶりがよく、バスの背中や側面に触れんばかりに枝が伸びていました。
桜の季節は花のトンネルになっていましたが、今ではすっかり枝が剪定され、昔の面影はありません。

植物公園北端のバス通り沿いの桜。剪定された姿

桜並木が尽きるところから植物公園の駐車場になっており、車が続々やってきていました。
植物公園入口付近には桜がありません。
入口はやってくる入場者で賑わっていました。

植物公園へ向かう人々