今回の軽トラ旅は、9月のお彼岸の頃の旅。
上田地区から峠を越えて青木村へ、そこから旧東山道を通り、保福寺峠を越えて松本方面へ流れました。
青木村は収穫シーズンだった
上田市内の鹿教湯から、小県郡青木村へ抜ける峠道・県道12号線は、2019年の台風19号の被害で長らく通行止めになっていました。
今年2022年の春にようやく開通となりました。
ほぼ一車線の道幅の山道で通行量は少なく、たまに対向車が来ると緊張します。
ここを通行したときに同乗していた家族は、もう通りたくない、と言っていました。
山小舎おじさんはなぜだか時々走りたくなる道です。
狭い山道を抜け、峠を下りると、青木村の里の風景が広がります。
収穫期の田んぼの間に、蕎麦の花が咲いています。
江戸時代になって中山道が別ルートで整備される以前は、このあたりを通る東山道が西と東を結ぶ主要街道でした。
村の歴史文化資料館を訪れました。
村出身の東急グループ創始者の五島慶太の業績を展示する記念館と併設して歴史文化資料館がありました。
展示コーナーは4つに分かれています。
昭和の生活を記録した民俗資料館、遺跡土器の展示コーナー、郷土出身の俳人栗林一石路の展示室、義民資料展示室です。
まず、古墳から発掘された直刀に驚かされます。
また石棒も展示されています。
この地方が、諏訪の神様やミシャグジ神と関連することもうかがえます。
昭和の暮らしの記録と展示物のコーナーを見ます。
様々な展示物を見ると、青木村が豊かな地域(だった)ことがうかがえます。
かつては多くの人口を抱え賑やかだった様子、高度成長時代以降は都会並みの生活水準を享受し、当時の最先端の電化製品を駆使していたことに、軽く驚かされました。
山小舎おじさんなどは青木村というと勝手に過疎地域をイメージしますが、おじさんが育った北海道などよりよほど物資、文化に恵まれた地方だったようです。
本州と北海道の違いなのでしょうか。
義民資料室へ行くと江戸時代の青木村の存在感が伝わってきます。
青木村の歴史は一揆とともにあったようです。
展示資料を見るとやはり東北、信越地方に一揆が多く発生しています。
農産物(穀物)の生育にハンデがあった地域です。
いかに勤勉でおとなしい民度を持つ地域とはいえ、人間には最低限必要な生活水準があり、我慢の限度もある。
青木村に限らず、上田、松本などにも一揆の記録があり、主導者を義民としてたたえ伝える歴史があるのでしょう。
時の権力者の徳川家康を恐れさせ、大坂冬の陣では家康の本陣寸前にまで迫った真田幸村といい、信州人は怒らせると怖いのかもしれません。
道の駅あおきへ行くと、太鼓の演奏をやっていました。
義民太鼓の幟が立っています。
やはり義民の歴史は村の誇りなのです。
満員の食堂で、義民太鼓の太鼓の音を聞きながら天丼を食べました。
量は十分。
ご飯は地元のお米なのでしょうが、ぜいたくを言えばもうちょっとご飯が美味しければ・・・と思いました。
直売所へ行くと、キノコ、リンゴ、ブドウ、新米と秋の実りであふれています。
この地域は全国的にもマツタケの名産地で、時期には松本方面からもマツタケを求めて人がやってくるのです。
保福寺峠を越える
青木村と松本を結ぶ峠道が保福寺峠を越える県道181号線。
東山道が通った道で、明治になってウエストンという外国人がここの峠から眺めた風景に感動し、飛騨山脈を(北)アルプスと名付けたという。
現在は青木村と松本を結ぶ主要道路は、青木峠をトンネルでくぐる国道142号線にその座を譲っている。
県道181号線も2019年の台風19号の被害で、保福寺峠越ができなくなっていた。
山小舎おじさんにとっては初の道です。
麓には集落が広がる。
まもなく道幅一車線となり、対向車ゼロの山道が続く。
止まっている車はキノコ採りの地元の車。
走っても走っても、深い山に分け入ってゆくだけで先が見えない。
ところどころに東山道遊歩道の標識が現れる。
遊歩道というにはふさわしくない寂しさ、山の気配が支配的です。
ようやく峠に到着。
松本方面からバイクが1台通って行った。
軽トラを下り、少し歩いてウエストンの碑を見る。
明治時代にここまで来たというウエストン。
村人の案内で、籠できたのか、馬を使ったのか。
当時のゆったりとした時間の中とはいえ、休む場所にも事欠き、途中で宿泊など思いもよらぬ道中だったろう。
青木村に前泊し、早朝出発して1日かけて往復したのだろうか。
周りの景色を眺める余裕もなく、東山道の昔を思う暇もなく、とにかく遠いと思いながら走った峠越え。
かつて家族とともに美ヶ原から山道を松本に下った時もたいがい遠く感じましたが、信州の山塊の懐の深さに改めて畏れを感じた山小舎おじさんでした。
麓の化石館で驚く
峠を境に小県郡青木村から松本市へ。
まもなく集落が現れ、県道181号線が国道143号線とぶつかるところに化石館があった。
最近、孫娘が博物館好きだとわかった山小舎おじさん、情報収集も兼ね寄ってみる。
なんでも、松本市四賀というこの地区は化石の宝庫らしい。
館内に入ってみる。
子供が親しみやすいように、化石に触れたり図鑑が並べてあるロビー。
その奥の展示室には復元されたクジラの大化石が、青くライトアップされて宙に浮かんでいた。
立派なアンモナイトなどの化石も多数展示されている。
化石好きな人にはたまらない空間だろう。
ロビーへ戻る。
付近の地形のパノラマがあった。
化石の出土ポイントがたくさんある。
この地区の見どころは、化石と虚空蔵山だと感じた山小舎おじさん。
事務室の学芸員のお姉さんに、化石出土ポイントと虚空蔵山について質問。
クジラの化石が出土した状態で保存されている場所があるとのことで、その場所の地図をいただく。
虚空蔵山のビューポイントも聞いたがそれについては明確な回答はなかった。
虚空蔵山までは遠いから、まあいいか。
とりあえず地図に沿って進む。
人知れぬ川のほとりに、ガラス張りで展示された一角が見えた。
中を覗くと小型クジラのほぼ全身状態の化石があった。
震災前の宮城県で見た、歌津魚竜館の.化石を思い出した。
帰りは松本市街を通り、直売所に寄ってリンゴや漬物を買って帰りました。
まだまだ暑さが残る初秋の流れ旅でした。