ママチャリ徘徊記 溝の口、新城、小杉

東京の自宅にいる冬の間は、ママチャリでほっつき歩くのが趣味です。

溝の口

この日は、狛江のあたりで多摩川を渡り、川崎側の土手を走って溝の口を目指しました。

気温10度を超える昨今は戸外活動日和です。
平日は土手を歩く人の姿もまばらですが、河原で日向ぼっこをしたり、グラウンドで野球の練習をする学生たちの姿がありました。

多摩川の左岸に二子多摩川の高層ビル群が見えてから、土手を下り、旧大山街道と呼ばれる道を走り、溝ノ口を目指します。

武蔵溝ノ口駅はJR南武線と東急田園都市線が交差する駅です。
南部線沿線の一角に、昔ながらの商店街が残っています。
溝の口駅西口商店街です。

10軒に満たない数の商店が軒を連ねています。
今はほとんどが飲み屋などの飲食店になっています。
八百屋が1軒だけ残っています。
かつては団子屋や、古本屋もありましたが、飲食店に代わっていました。

昨今は自粛中なのか、明かりが消えた商店街。右手に古本屋があった
16時になると焼鳥屋が営業開始です

この商店街から外れたところの「餃子の店 南甫園」が山小舎おじさんの行きつけです。
この日はランチのカツ丼を食べました、500円。
期待通りの町の食堂の味です。

昨今は昼のみ営業の南甫園

武蔵新城

溝の口から南武線に沿って川崎方面へママチャリを走らせます。

次の駅は武蔵新城です。
駅前にアーケード商店街があったので寄ってみました。
「あいもーるアルコ」という名前の商店街です。

昭和の時代も遠く過ぎ去り、かつては流行の最先端であったであろう、アーケード付きの商店街もその〈時〉が過ぎ、買い物客はロードサイドのスーパーマーケットやショッピングモールに移っています。

「あいもーるアルコ」は、そこそこの歩行者数はありましたが、単なる通行客や暇つぶしの老人客が多いようにも感じます。

駐輪の多さも昔ながらの風情

地方都市などに取り残されたように残っているアーケード街の、〈寂寥感〉というか〈虚脱感〉のようなものをここでも感じました。

地元の金融機関といえば川崎信用金庫

自転車が普通に通行しているので、今時珍しいな、と思っていたら、やはり「自転車は押して通行しましょう」の看板がありました。
ほとんどの人が、看板を守らないで通行しているところが〈ユル〉くていいな、と思いました。

標語の看板の脇を颯爽と自転車が通る

武蔵小杉

ここまで来たら、もう少し足を延ばして小杉まで行ってみましょう。

20年ほど前、仕事で川崎、横浜一帯を回っていた時、府中街道の小杉駅付近はよく通りました。
駅を過ぎたあたりのガード下にバラックのスラム街のような一帯が残っており、嫌でも目につきました。
闇市崩れの一杯飲み屋群だったのか、それは取り残された〈戦後の風景〉のようでした。

果たしてあの風景が残っているのか?

昔の記憶を頼りに府中街道を進み、南武線のガード下を見ると、かつてのバラック群はありませんでした。

府中街道のガード下。右手奥にバラック街があった

駐輪場や道路拡張用の更地に変わっています。
バラックではないものの、当時の風情を残す建物が1棟残ってはいましたが。

バラック街のあったあたり。駐車場になっていた
バラック街に唯一残る建物。撤去間近か

バラック群は、背後に墓地がある土地柄でした。
周辺はもともとの飲み屋街だったことがわかります。

バラックが撤去された当たり、左手に墓地が見える
周辺には小杉らしい、昭和の飲み屋が残っていた

戦後の生き証人?のような風景がまた一つ永遠に姿を消しました。
あのスラム街は〈なかったこと〉にされるのでしょうか?

片側1車線の府中街道を南武線の高架がまたぐ小杉駅周辺

府中街道沿いにごちゃごちゃと商店が軒を連ね、低めのガードがその上を走る、という昔ながらの武蔵小杉の風景の骨格は変わっていませんでした。

別の飲み屋街から高層マンションを望む

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です