夏だ!松本スイカ市だ!

今年のスイカ市は9時開場を目指して7時に山小舎を出発しました。
去年は、9時ころ出発して午前中についたのですが、目指す百瀬農園のスイカは直前で本日の販売終了となったからです。

松本市郊外のスイカ選果場
選果場に集められたスイカ

新和田トンネルを抜け、20号線で塩尻峠を越えます。
塩尻のまちでコーヒーとサンドイッチの朝食。

山形村、松本方面へサラダ街道などの農道を走って、目指すスイカ市会場へ着いたのが9時前。
既に駐車場は満車に近く、人気の農園のテントには20人から数十人の列がありました。

9時前から目指す農園のテントに並ぶ人々

炎天下、百瀬農園の列の最後尾に並びます。
今年は買えそうです。
スイカの値段はL玉で2300円と、覚えている限りの値段1600円からはこの数年でかなり値上がりしています。

今年の値段はL玉が2300円
波田の百瀬農園がお気に入り

2玉買って、一つは自宅に送り、一つを持って帰りました。
大きなスイカです。
百瀬農園の直売所を仕切る、いつものおばさんが、やや年を取ったものの元気な姿を見せていました。

山小舎に持って帰ったスイカは、別荘地内を流れる急流に一晩漬けて冷やします。
やって来る孫たちの楽しみになります。

9時過ぎにはスイカ市を立ち、来た道を戻ります。
途中の山形村の直売所にも寄ってみます。
トウモロコシや桃などが盛大に集荷されていて、大賑わいです。
加工用のブルーベリーや完熟トマトの大袋、炭火焼き用のトウモロコシなどを仕入れます。

帰る途中に山形村の直売所による

真夏の信州は1年分の収穫で賑わっています。

沿道では秋に収穫の野菜の作付けが行われていた

令和7年畑 休耕地農道の草苅り

収穫が始まった畑作業です。

私が借りている(ことになっている)畑は、今収穫期を迎えている圃場のほかに4枚ほどの休耕地があります。
休耕地には夏の旺盛な雑草が猛り狂っています。
雑草のことは気になっているのですが、猛暑の中、畑で収穫し、潅水し、伸びた枝を管理し、側溝から水を汲むだけで汗だく、フラフラです。
除草の気力、余力がないままに過ごしてきました。

炎天下の農道にはびこる雑草

とはいえ借りている農地が雑草まみれになっているのを放置するのも忍びありません。
この日は休耕地で除草することにしました。

休耕地は面積が広く、またこの日は収穫と出荷も予定していたため、除草は農道部分のみとしました。

休耕地の現状

カラカラに乾き、さすがの生命力を誇る雑草も枯れかかっている農道に刈払機をかけます。
土ぼこりとともに雑草がカットされてゆきます。
こちらも炎天下の作業で息絶え絶えです。
何とか休耕地脇の農道全部を刈りました。

刈ったそばから枯れ草のように乾いてゆく雑草
刈り終えた農道。法面にはまだまだ雑草が残る

この日は、穂が出てきたトウモロコシに糠の追肥しました。
また実がついてきた枝豆にもたっぷり潅水します。

糠を撒く

トマトがかなり収穫できました。
キューリは乾燥の影響で小休止です。
白ナスの結実が順調です。

収穫したトマト
キャベツを初収穫

真夏の白樺湖

山小舎近くの観光地といえば一番に思いつくのが白樺湖。
もとは湿地だった場所をせき止め人口の湖とした場所です。
今は大規模に観光開発され、ホテル、遊園地、スキー場、各種アクテイビテイ、土産物店が集まっています。

20~30年前のリゾートブーム、ペンションブーム、スキーブームの時には湖畔に観光ホテルや土産物店が林立?していたようですが、ブームが去った後は多くが廃墟となっていました。
近々はその廃墟も撤去されてゆき、新たな宿泊施設だったりが整備されてきつつあります。

7月下旬の日曜日、大門街道で茅野から帰る道すがら、白樺湖を1周してみました。
大門街道は自家用車で引きも切らず、またアルピコ交通の路線バスも増発されてそこそこの乗客を乗せて走っていました。

湖対岸の無料駐車場です。
車中泊?の車が並ぶほかに、三菱アイが集まっています。
社会人サークルのオフ会なのでしょうか。

無料駐車場に集まる自家用車
三菱アイの集まり

更に走ると池之平ホテルに近づき、人の姿が多くなります。
1年中客の姿が絶えない池之平ホテルです。

池之平ホテル近く

コンビニの後ろ側にはテントがたくさん建っています。
マルシェのような催し物でしょうか。
賑やかさがマックスです。

コンビニの背後にテントが見える

ファミリーランドという遊園地も賑わっています。
夏らしい風景です。

遊園地ファミリーランド

1周して池之平側の無料駐車場によってみます。
高原らしいうら寂しさを感じる風景です。
湖岸では結婚カップルが写真に納まっていました。

蓼科山
結婚カップル

夏の山小舎リフレッシュ! 障子紙の張替え

今年の山小舎は来客も多く、室内外のリフレッシュの年です。
しばらく行わなかった「大掃除」「廃棄」「手入れ」を行っています。
使わない布団・毛布・シーツ類は思い切って捨て、食器棚もほぼ10年ぶりに中味を取り出し不要な食器類を捨てました。
年1回のルーテイーンとしての、カーテン洗い、本の整理、食糧庫の整理なども行いました。

3年ぶりのルーテイーン復活となったのが、障子紙の張替えです。
玄関への引き戸として障子戸が使われている山小舎では、障子がポイントの一つです。
使う頻度も高く、枠はともかく障子紙の劣化は進みます。日本家屋には障子や襖が似合います。
今年は思い切って障子紙を張り替えました。

軽トラの荷台も使い戸外に障子戸を広げる

晴れた日に障子戸を外に出してホースで水をぶっかけました。
木製の調度品に水をかけるのはご法度なのでしょうが、この際、作業の省力化です。
ついでに枠そのものをきれいにできます。

そこにホースで水をかける

水をかけた障子戸から障子紙を剥がし、枠の汚れをたわしで洗い流します。
洗ったそばから真夏の日差しで乾いてゆきます。

障子紙を剥がす
枠をきれいにして乾かす

乾かした障子戸を室内に持ち込んで紙貼りです。
この作業が大変なのです。
ノリの濃さ、枠への糊付け加減、紙の貼り方、とすべての行程で技能的、能率的な作業が求められます。
昭和の家庭では大掃除の一環として毎年行われていました。
昔の日本人の能力の高さを思い知らされます。

新しい障子紙を貼ってゆく
つぎはぎだらけながら貼り終える

体力、気力、集中力が必要な障子紙貼り作業。
3枚の障子戸に貼り終わるまで、体感時間は半日、気力は1日分使います。

雑ながらなんとか貼り終わりました。

障子がきれいになるのは何とも言えません。
住居に手が入っていて、室内の生気がよみがえる気がします。

3年目の課題がクリアーできました。
家族、来客が来た時の話題にもなります。

ただし水をかけまくった木枠が膨張したのか、引き戸自体の滑りが悪くなったのが難点です。

障子戸をはめる
防寒にも役立つ障子戸がリフレッシュ!

薪仕事2025 玉切り開始

カラマツの丸太が来たので玉切り開始です。

玉切りとは丸太を薪にする加工の一工程で、丸太を幅40~50センチに輪切りにする作業です。
チェーンソーを使って行います。

すでに試運転を終わり、刃も新品に替えているチェーンソーを起動させます。
一応、刃に棒やすりをかけてから作業を始めるのがお約束です。

また、騒音が出る作業ですので、作業する時間帯や曜日に気を付けます。
平日の午前か午後に作業するにしても、あまり長時間続けて行わないようにします。

うちのチェーンソーは燃料満タンで20~30分の稼働時間です。
燃料満タンにしておいてなくなるまで、せいぜい2クール、仕事がたまっていても3クール分の連続作業時間に留めるようにします。
自身の疲れと隣近所の騒音被害に考慮するためです。

また、作業中は、刃が土や石をかまないように注意します。
石や鉄をかむととたんに切れなくなり、棒やすりで研いでも切れ味が復活しません。
切れないチェーンソーでの作業は時間ばかりがかかり全く進みません。
マシンもエンジンが加熱したりします。

作業初めのこの日は、短めの丸太を2~3本カットするに留めました。
マシンのエンジンの調子と刃の切れを確認するための小手調べといったところです。
条件さえ整えば例年通りの作業工程で行ける、とあたりが付いたところで終了しました。

この後はしばらく炎天下で玉切りの作業が続きます。

玉切りが終わると、管理事務所から薪割り機を借りてきて薪割りです。
できれば夏のうちに薪割りまで終わらせたいところです。

山小舎メンテナンス 風呂場のシャワーと蛇口

今年の冬、山小舎の水道の水抜きのミスがあり、風呂場のシャワーと蛇口の切り分けの部品が壊れました。
蛇口部分の水抜きが不完全だったため、シャワーと蛇口が同時に出るようになったのです。

2月の来訪時に発覚し、業者に来てもらいましたが、古いタイプのため部品がなく、ユニットバス全体を取り替えないとダメと言われていました。
シャワーと蛇口につながる栓を止め、浴槽につながる栓を生かすと、浴槽にお湯を張ることはできました。

この度山小舎のトイレの水洗化、雑排水の浄化の発注を別の業者に行いました。
その際、風呂場のシャワーも見てもらったのですが、シャワーと蛇口そのものを取り替えることで対応してもらうことができました。

壊れたシャワー、蛇口を取り外す

業者さんには3時間ほど風呂場にこもってもらい、新しいシャワーと蛇口を設置してもらいました。
久しぶりにシャワーを使えるようになりました。
山小舎の利便性の一つの復活です。

新しいシャワー・蛇口を取りつける。空いた穴は後日塞いでくれた

なお、本題のトイレ、雑排水の浄化の工事は、町からの助成金の枠が今年はすでにいっぱいのため、来年になります。
そうなると汲み取りは必要なくなり、水洗トイレとなり、雑排水の浸透桝の問題もなくなります。

引き続き冬場の水抜きには気を付けなければなりませんが。

令和7年畑 野菜出荷第三弾

野菜の出荷が本格化しました。
毎週火曜日を出荷日と決め、山小舎おばさんの彩ステーションへ送ります。

トウモロコシ

この日も畑へ向かいました。
前回の出荷日は雨。畑での収穫作業もそうですが、選果、箱詰めなどの作業が雨天下ではできません。
近くの農協のテント下を借りて、野菜を拭き、新聞紙にくるんでから箱詰めしました。

この日は青天、畑も乾燥しています。
キューリは一休みで1本だけの収穫。
ナスが盛んになり、白ナスなど多数を収穫。
トマトも始まりました。

ズッキーニ、ゴーヤ、ルバーブ
ナス
トマト

珍しい所では夕顔、ルバーブなど。
インゲンも出盛りです。

夕顔
インゲン
ピーマン類

今回からは野菜保存用のポリ袋を用意しましたので、種類別にまず袋に収納します。
トマトを一番上に箱詰めしてゆき、袋の間には丸めた新聞紙を緩衝材として詰めます。

上田市丸子地区のクロネコヤマトの集荷場へ行って着払い、午前中着で発送します。

姫木のバイト仲間にも配りましたが、白ナスを焼いて食べると絶品だったそうです。
種のある太いキューリが大好物だという人もいました。

DVD名画劇場 淀長さんベスト121より 「散り行く花」、「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」

「散り行く花」  1919年  D・W・グリフィス監督  ユナイト

映画の父と呼ばれるグリフィスは、イタリアの「カビリア」(15年)を数十回見て「イントレランス」(17年)を撮った。
そのあとにトーマス・バークの短編を原作に撮ったのが本作である。
主人公の12歳の少女役には、撮影当時23歳になろうとしていたリリアン・ギッシュをキャステイングした。
グリフィスとリリアンの出会いは彼女が16歳の時だった、以来グリフィスは自作に起用し続けた。

リリアン・ギッシュ

グリフィスの美少女好みは今では伝説的で、「国民の創生」で追いつめられて山から身投げする美少女や、「イントレランス」バビロン編の戦車を操る美少女などが今に残るが、現実のグリフィスが常に美少女たちに取り囲まれていたといわれる。

「散り行く花」(原題:イエローマンと少女)を見るときにグリフィスの好みを前提にリリアン・ギッシュの服装、上方、表情、仕草に注目することになる。
彼女はロンドンの貧民窟に、妻に逃げられて残った娘を召使のように虐げる父親と暮らす少女ルーシーを演じる。

帽子からのぞく巻き髪、ショールを肩掛けした貧しいワンピース、うつむき加減に顔をかしげている。
歩くときは猫背加減であきらめたような顔つきで、表情が浮かぶのは、父親の理不尽な折檻におびえるときだけ。

虐待されるルーシー

一方、清朝時代の中国から一人の青年が『野蛮で無秩序な西洋人に心の平和を伝えよう』との夢をもって渡英する。やがて夢破れ、今では貧民窟の雑貨屋に収まっている。
演ずるは白人俳優のリチャード・バーセルメス。
この作品ではほかの重要な中国人役にも白人を配しているし、ちょっとだけ画面に映る黒人役も黒塗りした白人エキストラだったりする。
そういう時代の作品だった。

ルーシーは、スラム街のボクサーの父親から理不尽な扱いを受け続ける。
時としてその描写はサデイステイックである。
これはグリフィスの好みであるのだろうか。
折檻そのものに興味があるのか、耐える美少女が好みなのかはわからないが。

父親の荒れ狂う鞭を逃れてルーシーがイエローマン(中国青年)の店へ迷い込む。
かねてからルーシーを崇拝していたイエローマン(字幕でもこう表記されている)は大切な花のようにルーシーを扱う。

イエローマンに匿われるルーシー

ここで字幕の字体が装飾体になり、大げさな美文調で二人の出会いが綴られる。
ルーシーに中国服を着せ、ベッドに横たわらせ、線香を焚いて仏壇に祈るイエローマン。
彼はルーシーを『ホワイトブロッサム』と呼ぶ。
ルーシーもただうっとり。
「散り行く花」のまさにハイライトシーンだ。

チャイナスタイルのルーシー

グリフィスの美少女趣味が、サデイステックなものだけではなく、美少女に対しプラトニックにかしずく方向性を持っていることがわかる。

この作品でスターダムに乘ったリリアン・ギッシュは、60歳を超えたときの「狩人の夜」(55年 チャールズ・ロートン監督)でも、90歳を超えたときの「八月の鯨」(87年 リンゼイ・アンダーソン監督)でも、良識に溢れたキャラクターを演じ、清純派としての生涯を全うした。

淀長さんベスト121の7番目にランクインした作品。
なお淀長さんは「MyBest37 私をときめかせた女優たち」でリリアン・ギッシュを取りあげている。
サブタイトルは「奇跡の映画。女神」だった。


「ノートルダムのせむし男」  1923年   ウオーレス・ワースリー監督  ユニバーサル

怪奇俳優として一世を風靡したロン・チャニーが、ヴィコトル・ユゴー原作の「ノートルダムのせむし男」のカジモドを演じる。
ノートルダム大聖堂、その建物内部、宮殿の間、中世パリの貧民窟、地下水道などを大セットで再現し、数百人のエキストラに当時の服装をさせ再現した大作。
製作はカール・レムリとアービング・サルバーグだが、実質の製作者は出演を熱望したチャニーその人だったという。

ロン・チャニーのカジモド

まずはノートルダム大聖堂の大セットを生かした撮影に見とれる。
聖堂のバルコニーからはるか下を眺めた広場の大群衆、聖堂の壁を上り下りするカジモドのスリリングな動き。

チャニーのメイクは一目見たら忘れられない。
顔の原型をとどめない、ほほのコブと突き出した右の眼球。
チロチロと舌を突き出す演技と、背を縮めたかのような短い体躯と曲がった脚でひょこひょこ動くのも不気味。

鞭うたれるカジモドに水を恵むエスメラルダ

暴君ルイ11世治世下のパリ。
大聖堂には誠実な執事がいて、その兄の謀略に生きるジュハンがいる。
王の親衛隊長フィーバスや貧民窟の大将クロピンも。
そのクロピンには、さらってきた赤ん坊をジプシーの踊子として育て上げた娘のエスメラルダ(パッツイ・ルース・ミラー)がいる。

死の間際に大聖堂の鐘をつくカジモド

エスメラルダは優しい娘で、公開むち打ちの刑にされたカジモドに水を恵んでやる。
親衛隊長のフィーバスはエスメラルダに一目ぼれして追いかけまわす。
ジュハンは謀略をめぐらし、カジモドを捨て駒のように使い倒すが純粋な心のカジモドはジュハンへの恨みを忘れず、エスメラルダに心を許す。
善人と悪人をはっきり分けるのが文豪ユゴー流なのか。

体制側の腐敗、上流社会出身の武術者の無力、大衆の反乱などが表面的に描かれるが深みはない。
大聖堂に象徴されるキリスト教的正義の維持と主人公のハッピーエンドはハリウッド流価値観によるものだろう。
原作ではエスメラルダが死ぬが、映画では親衛隊長と結ばれる。
どちらも、姿形は醜くとも心は純粋なカジモドは死んでゆくのだが。

淀長ベスト121の20番目。
オリジナルの日本公開タイトルはこの通りだが、DVD版では「ノートルダムの男」となっている。


「オペラ座の怪人」   1925年  ルバート・ジュリアン監督    ユニバーサル

日本公開時のタイトルは「オペラの怪人」。
今回はDVD版のタイトルで紹介する。

「ノートルダムのせむし男」ですさまじいメイクを見せたロン・チャニー主演の怪奇ロマン。
隠れた主役はパリのオペラ座そのものである。

ファントムメイクのロン・チャニー

華やかなオペラ座には伝説がある。
地下の拷問室だったところにはファントムが棲む、と。

音楽の天才で、オペラ座のプリマドンナが気に入らないと、舞台のシャンデリアを落とすなどの妨害をし、近づくスタッフには死をもって応えるファントム。
一方気に入ったプリマがいると、壁越しに歌を教えたりする。
今回のドラマはただ気に入られただけではなく、愛をささげ、またプリマから愛をもって応えることを要求したファントムの物語。

ファントムとクリスチーヌ

導入部、その他大勢のバレリーナたちが集団で右往左往しながら、オペラ座の奈落や地下室でファントムの存在をスタッフに聞いて回る。
可愛いバレリーナの集団に見とれながらドラマに導かれる。

美人プリマのクリスチーヌがファントムに気に入られる。
クリスチーヌの前に仮面をかぶって現れるファントム。
その仮面は、ピーター・ローレにも中国劇の人形にも似た情けない表情なのがかわいい。

仮面舞踏会に現れたファントムの雄姿

ファントムの性格は独善的でわがままでおまけに独占的。
とても女心にアピールするものではなく、20年代の完全に受け身の女性をしても全く受け入れられない。
クリスチーヌにしても脅迫的になされたファントムとの約束を、解放後に即破るくらい一方的なものなのだ。

クリスチーヌの性格付けもこの時代にしては全くの受け身ではなく、その場しのぎの嘘をつきながら、自分の欲望に正直に生きる行動的な女性に描かれている。

ピアノを弾きながらのポーズ。これがファントムのパフォーマンスだ

映画の後半は、驚異的にメカニカルに守られているオペラ座地下のファントムの部屋(基地でもある)における攻防がスペクタクルに描かれる。
頭脳的で、ナルシステイックなファントムのふるまいが凄い。
50年後に「ファントムオブパラダイス」(1974年 ブライアン・デ・パルマ監督)としてオマージュされるほどのハリウッド古典キャラクターのパフォーマンスの原典を見る喜び!

乗りに乗ったロン・チャニー

ロン・チャニーのメイクは、仮面を取ったあとの怪奇派的メイクより、仮面をかぶったままの想定外の不気味さがいい。
怪物におびえる美人の演技をクリスチーヌ役のメアリー・フィルピンが完璧に演じるが、これはのちの怪奇SFドラマにおける美人の恐怖演技の模範となったはず。

ハリウッド第一期タイクーンの一人、カール・レムリ率いるユニバーサルが、トーキーになってヒットさせた、べラ・ルゴシやボリス・カーロフのドラキュラ、フランケンシュタインものの先駆を成す、ユニバーサルホラー作品の古典。

恐怖する美女の決定版、メアリー・フィルピン

軽トラ流れ旅2025 鬼無里街道をゆく(後編)

鬼無里の中心部にやってきました。
人気はありませんが、長野市の支所の建物やカフェなどがあります。

右手に古そうなお寺がありました。
鬼女紅葉の墓所があるという松厳寺です。
広々とした駐車場に唯一軽トラを止め境内を巡ってみます。

松厳寺山門

歌舞伎などの演目にもなったという鬼女紅葉の伝説は、956年に都からこの地に流された紅葉という美人が、都恋しさに生まれた息子ともども軍勢を立ち上げ、鬼となって戦ったが征伐されたというものです。
その紅葉の居所跡と墓所が鬼無里にあるのです。

本堂
本堂内部

松巌寺の立派な本堂を拝みます。
自動ドアで本堂の扉が開くようになっています。
遠慮なく中に入り、お参りさせてもらいます。
広くて立派な本堂には往時の鬼無里の興隆が偲ばれます。
山門の近く、数体のお地蔵さんに守られるように紅葉の墓所がありました。

紅葉の墓所を守るお地蔵様
紅葉の墓所

軽トラを進め、旅の駅鬼無里に入ります。
直売所と食堂が併設された道の駅のような施設です。
直売所に入ると、イチョウ、クワ、カキ、クマササなどの乾燥させた葉が一袋200円で売っていました。
他の直売所の半値で、種類も豊富です。
一袋400円で備長炭も売られています。
買い!です。

鬼無里旅の駅
購入した乾燥葉
購入した備長炭

少し早めですが食堂で昼飯です。
名物の蕎麦を頂きます。
ピーマンの天ぷらが食べ放題です。
蕎麦は二八蕎麦。
有名蕎麦店に比べると、蕎麦そのものの打ち方、ダシの手作り感が今一ですが、鬼無里で食べることの意義あり!です。

二八蕎麦
食べ放題のピーマン

旅の駅の向いに、ふるさと資料館があります。
県外ナンバーの車で賑わう旅の駅と比べ、来館者が誰もいませんでした。

松代藩時代から麻の栽培で栄え、年貢は麻を売った現金で収めたという鬼無里。
物資の流通でも栄え、近代では善光寺平より早く映画館などができたという。
戦後、GHQにより麻の栽培が禁止されてからは、たばこ、養蚕などを振興したという。
また、和算の天才学者などが生まれ育った地域だという。
それらの歴史、文化が展示された広い資料館を存分に堪能。
色々歴史を解説してくれた学芸員のおばさんも頼もしかった。

麻の束
祭の山車

おやきで有名だといういろは堂に寄ってみる。
県外からの客でいっぱいのお店でおやきを買って帰る。
具がたっぷりでおいしかった。

おやきのいろは堂
購入したおやき

鬼無里街道を進み、鬼女紅葉の居住地だったという、内裏屋敷跡へ行ってみる。
草蒸した高台にその場所はあった。
この地域には東京、西京、二条、三条などの地名が残る。
都からの流れ人が住んだ歴史が確かにあるのだろう。

内裏屋敷跡
内裏屋敷跡に立つ供養塔

内裏屋敷の後は、鬼無里の湯で立寄り湯。
鉱泉の沸かし湯だというが質感のあるお湯が楽しめました。

鬼無里の湯

ずいぶん遠くまで来ました。
暑い中、帰るのも大変でしたが、充実した流れ旅でした。

夏の鬼無里街道

軽トラ流れ旅2025 鬼無里街道をゆく(前編)

7月の三連休の中日、猛暑を突いて北信・鬼無里(きなさ)街道へと軽トラを走らせました。

朝8時に出発、朝の涼しさが残っている大門街道を下ります。
塩田平を下って、千曲川沿いに出ます。
坂城町のあたりのコンビニでコーヒーの一服。
コンビニには坂城の夏祭りのポスターが貼ってありました。

「坂城どんどん」のポスター

いつもの上山田温泉街を抜けるとき、両側のお祭りの屋台に出くわしました。
信州では相当規模の大きな屋台の列です。広場には上山田温泉祭の神輿も準備されていました。

上山田温泉には屋台が並ぶ

さらに千曲川左岸を北上し、千曲市の稲荷山地区に来ました。
古い蔵造りの街並みが残っている地区です。
ふと見るとお囃子の声がします。
軽トラを止めて見物することにしました。

稲荷山の祇園祭でしょうか。
獅子舞が出て、山車が出るようです。
山車の最上部には芸者さんのようなきれいどころが二人座り、1階部分にはお稚児さんのような姿も。
山車を引くのは法被を着た男集です。獅子舞の後ろには子供獅子舞もいます。

稲荷山祇園祭?
山車が出発
獅子舞も

お祭りの参加者は大勢いるのですが、見物人はほとんどいません。
炎天下を避けるためか、地区の人々はほとんど参加しいて、見物する人数がそもそも残っていないのか。

20年ほど前、青森の下北半島にある陸奥大湊のねぶたを見たことがありました。
リアカーに乗ったねぶたが練り歩き、家々の前では椅子などを出して見物していますが、見物人よりねぶたの参加者の方が多かったのを思い出しました。

日陰で見物する人

千曲市を過ぎると長野市です。
ルートは長野市の西から市街地へ入ってゆきます。
その前に、篠ノ井の共和選果場へ寄ります。
あらゆる季節の野菜果物が売っている直売所があります。
が、この日は定休日でした、残念。

定休日の共和選果場

長野市街地へ入ります。
信州の都です、雰囲気が県内のほかの町とは違います。
県庁通りを北上して信州大学にぶつかります。
いつもは右折して善行寺方面へ行くのですが今回は左折。
鬼無里、白馬方面へと初めての道へ入ります。

長野市県庁通り

鬼無里街道は、大町街道とほぼ並行して小谷・白馬と長野を結ぶ街道です。
その昔は、糸魚川から小谷を経由した物資を善行寺・松代へと運ぶ街道筋として栄えたそうです。
街道の中ほどにある鬼無里地区では畳糸などの原料としての麻の栽培で栄えたそうです。

鬼無里街道へ入る

長野市街地から鬼無里街道へ入ったとたん、交通量は減り、トンネルと隧道の連続で、深い谷を流れる川を見ながら急坂が続きました。
時々現れる集落は急坂に家々がへばりつくようです。

ダムと集落
ダム湖をのぞく

狭いトンネルをアルピコ交通の大型路線バスが走っています。
走り続けると鬼無里の中心部につきました。(後編につづく)

北アルプスが見えた
鬼無里街道沿いの田圃