上田にあるミニシアターで、2022年に亡くなったゴダール追悼特集が上映された。
会場は上田映劇と同じNPOが運営している映画館トラゥム・ライゼ。
上田映劇、トラゥム・ライゼともに、ワンスクリーンでフィルム上映も可能な昔ながらの映画館。
上映作品はいわゆるミニシアター向けの作品が多い。
近年全国上映されたパゾリーニ(「テオレマ」「王女メデイア」)やブレッソン(「たぶん悪魔が」「湖のランスロ」)、ミムジー・ファーマー(「モア」「渚の果てにこの愛を」)などの旧名作の再輸入プログラムもカバーしているのがうれしい。
ゴダール追悼上映の全国プログラムもカバーされ、そのうちの2作品に駆け付けた。
「小さな兵隊」 1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督 フランス
ゴダールの長編第二作であり、のちにゴダールの妻、アンナ・カリーナの長編デビュー作。
撮影は「勝手にしやがれ」と同じくアンリ・ドカエ。
フランスからの独立戦争であるアルジェリア戦争。
アルジェリアの独立派と保守派の、フランス国内における抗争を背景に、保守派の鉄砲玉として独立派の幹部を暗殺する主人公と、独立派の女性(アンナ・カリーナ)の出会いと別れを描く。
ハリウッド映画であれば、派手なアクションと男女間の立場を超えたロマンス、体制派の価値観に沿った結末とセンチメンタルな男女の分かれ(独立派の女性が、保守派の男の手の中で死亡)で終わるのがパターンだが、ゴダールの手法は全く異なる。
処女作「勝手にしやがれ」はハリウッドのB級ギャング映画に仮託していたその作風が、「小さな兵隊」では、一見スパイ映画に仮託した風ではあるが、ゴダール自身の特性を濃厚に漂わせる、重たく、暗い政治的作品となっている。
保守派の義勇兵を脱走しジュネーブの街を漂う主人公は、ゴダール映画の主人公らしく、とにかくしゃべりまくり、動き回る。
追跡する保守派の幹部から、脱走を免責する代わりに独立派の幹部の暗殺を命じられるが、優柔不断に避け続けたり、暗殺に失敗したりする。
独立派につかまり、証拠が残らないような拷問を延々とされる。
独立派の女性は拷問の末殺されたことをにおわす。
主人公の前に現れる独立派の女を、初々しいアンナ・カリーナが演じるが、作中臆面もなくカリーナにそそがれるゴダールの視線は、映画監督でなかったら最も女性にもてない(理解されない)であろうゴダールのオタクっぽい暗さに満ち満ちている。
全編オールロケ、対話する人物の間を往復する手持ちカメラ、一つの芝居の間に関係のないカット(演技の後のオフショットだったり)が挟まる手法、はゴダール映画ならでは。
ヌーベルバーグの作家たちも、予算があれば豪華セットでクレーン撮影によるワンショットワンシークエンスの演出をしたかったと思う。
が予算がなく、何よりそこまでの経験、力量(演出力と俳優の演技力も)がない若手監督にとって、撮影セオリーをあえて無視したカメラはやむを得ないもの。
また、わざとらしいドラマチックさを排除する編集手法もゴダールならでは。
アルジェリア戦争という政治的なテーマは、例えば大島渚がどうしても「日本の夜と霧」を作らなければ前に進めなかったように、ゴダールにとっては必然のテーマだったのだろう。
そのためか、「勝手にしやがれ」「女は女である」「男性女性」といった、B級ギャングやミュージカル、ポップミュージックに仮託したときの軽やかさ、明るさがない作品となった。
作品に漂うのは重さと暗さ。
それこそがゴダールの本質なのだが。
一方でアンナ・カリーナを撮るときの、学生映画の作り手の主演女優に対するようなまなざしは、ほほえましいというかなんというか。
ゴダールのアンナに関する憧れは、次作「女は女である」でついに炸裂。
「小さな兵隊」ではぎこちなかったアンナの演技も満開となるのだった。
「カラビニエ」 1963年 ジャン=リュック・ゴダール監督 フランス
今回の追悼特集には「はなればなれに」がラインアップされていた。
残案ながら見逃がしたが、アンナ・カリーナ主演で、ギャング映画に仮託したミュージカルの色付けがある作品とのことだった。
「カラビニエ」はゴダールの一方のカラーである、暗い政治的メッセージに彩られた作品。
出演は、素人だったり無名の俳優だったりするが、主人公の家族役の2人の女優などは、アンナ・カリーナやのちのアンヌ・ヴィアゼムスキーに似ており、色気もある魅力的な女優で、ゴダールの女性の好みが見事に反映されている。
また、予算のなさはいつものことながら、トラクターにベニヤを被せたような戦車を1台と、戦闘シーンでは複数の爆薬を設置するなどの大盤振る舞いを見せている。
大掛かりな戦闘シーンは第二次大戦時のニューズリールで代用しているが。
王様の命令で戦争に行く主人公たち。
戦地では美女を思いのままにでき、財宝をわがものにできると信じた無知の主人公井たち。
戯画化され誇張され、また省略化された戦場場面を経て自宅に戻った二人が、家に待つ女性二人に持ち帰ったものは世界各地の絵葉書だった。
やがて王様はレジスタンスに追われ、主人公たちも王様側の兵隊に殺される。
ゴダール初期の作品で、寓話的内容ながら戦闘シーンなど、具体的な描写に心がけた作品となっている。
のちのゴダール作品の象徴性(「中国女」ではベトナム戦争の米軍爆撃機をプラモデルで表現)への移行以前の貴重な作品だった。