初夏の山小舎。
標高1400メートルの高地に遠慮ない紫外線が降り注ぎます。
この時期の日差しはたっぷりの乾燥力と殺菌力を持っています。
GWに家族と孫一家が使った布団を干しました。
布団だけはたっぷりある山小舎です。
冬でも10組、夏だと20組分は用意できます。
シーツ、布団カバー、タオルケットの洗濯も含め、寝具の管理は、山小舎暮らしのルーテイーンです。
軽トラを移動して荷台を活用。
物干しざおも総動員します。
半日紫外線に当てた布団は、フカフカ、おひさまの匂いになりました。
60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
初夏の山小舎。
標高1400メートルの高地に遠慮ない紫外線が降り注ぎます。
この時期の日差しはたっぷりの乾燥力と殺菌力を持っています。
GWに家族と孫一家が使った布団を干しました。
布団だけはたっぷりある山小舎です。
冬でも10組、夏だと20組分は用意できます。
シーツ、布団カバー、タオルケットの洗濯も含め、寝具の管理は、山小舎暮らしのルーテイーンです。
軽トラを移動して荷台を活用。
物干しざおも総動員します。
半日紫外線に当てた布団は、フカフカ、おひさまの匂いになりました。
さあ、今年も夏野菜の定植の時期がやってきました。
GWの連休が終わった頃。
暖かい初夏のような陽気があったと思えば、霜注意報が出て夜は暖房ガンガン(標高1400メートルの山小舎で)の日もあります。
蓼科山の山頂の雪は一度消えましたが、また白くなっています。
畑では徐々に夏野菜の苗を植え始めました。
農協や直売所に寄った際に苗の売り場をのぞきます。
よさそうな苗、珍しい品種の苗を見かけたときはチャンスを逃さず購入します。
この日は、購入してあったズッキーニ4株、長ナスと丸ナスを2株ずつ、オクラを4株定植しました。
苗購入後も低温障害を防ぐため、夜間は室内に入れて管理しました。
また、定植後はこまめな水やりができないこともあり、例年は初期成育に失敗し、成長と成果がうまくいかなかったものがありました。
セロリ、オクラ、ナス、ゴーヤなどです。水が好きな品種に必要な実機に十分な給水ができなかったことや、最近の品種が苗の時から水分、肥料分が整った環境で育っており、逆境に弱いといった理由もあると思います。
ことしは大きめのオクラの苗が手に入ったので、植付時と初期成育時に水やりをたっぷりしようと思います。
そうして初期のうちにある程度大きくしておければその後の成果につながるのでは?と期待します。
トマト、キューリ、残りのナス、ピーマン類など、夏野菜の主力品種の植付は5月中旬以降の予定です。
今回は1930年代に映画会社ユニバーサルが製作したホラー映画3作。
この時代、ユニバーサルは、吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男、狼男などを題材にホラー映画を連発し、ヒットさせた。
吸血鬼や狼男は古くからの伝説が題材。
フランケンシュタインは原作ものだった。
それらをハリウッド式に(再)映画化したのがユニバーサルで、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシ、フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフは、永遠のハリウッド・アイコンとなった。
「魔人ドラキュラ」 1931年 トッド・ブラウニング監督 ユニバーサル
吸血鬼伝説はヨーロッパに古くから伝わり、またドイツで「ノスフェラトウ」、デンマークで「吸血鬼」の、古典ホラーの名作となる映画化がされていた。
ハリウッドでの最初の(おそらく)吸血鬼ものの映画化。
主演のベラ・ルゴシは舞台で吸血鬼を演じてヒットさせていたという。
この映画のヒットで、ドラキュラのスタイルを確立させた。
死んで棺桶に入った時のベラ・ルゴシの服装もドラキュラスタイルだったとのこと。
ストーリーは中欧トランシルバニアのドラキュラ城に、不動産賃貸借の契約にやってきた若者が、ドラキュラに襲われて子分となる。
子分はドラキュラとは異なり、人間の血は欲せずクモやネズミの血を欲し、また日の光にも耐えられる。
この子分の助けで、トランシルバニアの土を入れた棺桶ごと、船でロンドンへ渡る。
精神病院へ収容された子分を夜な夜な呼び出し手助けさせ、ドラキュラはロンドンの上流階級に食い込む。
狙いは上流階級の令嬢。
眼力でを虜にし、毒牙にかける。
そこに立ちはだかる超常現象専門の博士(巻き舌が激しいドイツ訛り)。
その対決の結末やいかに!
ベラ・ルゴシの眼力。
スポットライトを目に当ててのクロースアップ。
狂気すれすれの表情。
蝙蝠に身をやつし、どこへでも侵入する。
人の常識や好意につけ込み躊躇なく悪を行使する。
古くは疫病、現在のコロナ禍にも例えられるであろうその災禍。
人間が抵抗できないさまは、宇宙人の侵略にも例えられようか。
現代に在っては、無意識に人々を洗脳する悪意の情報操作にも通じる。
意のままに操られる子分。
苦もなく陥落する美人令嬢。
常識に縛られ、右往左往するだけの婚約者青年。
ドラキュラに敢然と立ち向かうのが超常現象専門のヘンデキング博士。
ドラキュラが鏡に映らなかったり、トリカブトに弱かったり、十字架に致命的だったりを次々と暴き、令嬢を守らんと、ドイツ訛りで訥々と周りを説得する。
「吸血鬼の強みは、自らの存在が迷信だとおもわれていること。」だと喝破し、科学文明に支配された現代の隙間で悪を行使せんとする勢力を見抜き、けん制し、征伐する博士が頼もしい。
ヨーロッパ文明の深いところに由来する伝説のせいか、ハリウッド製吸血鬼映画は、けれん味に徹した切れ味に乏しく、ヨーロッパの歴史に遠慮した風が見られる。
「フリークス」で歴史に残るカルトムービーの原祖となったトッド・ブラウニング監督の手腕は、ドラキュラ城の埃っぽさや、吸血鬼を迷信と信じながら惑わされる現代人の不安、などの演出に非凡さを発揮はしたが。
吸血鬼伝説と現代の相克については、先の映画化「ノスフェラトウ」「吸血鬼」はもちろん、のちのイギリスハマープロによる映画化「吸血鬼ドラキュラ」や、ポーランドからの亡命者ロマン・ポランスキーによる「吸血鬼」、さらにはアンデイ・ウオーホル「処女の生血」など、面々と製作され続けた歴史上の吸血鬼映画全体の検証を待たなければならないのかもしれない。
「フランケンシュタイン」 1931年 ジェームス・ホエール監督 ユニバーサル
ベラ・ルゴシがドラキュラのイコンであったとしたら、ボリス・カーロフはフランケンシュタインの怪物の元祖となった、そのメークによって。
カーロフはこの作品にクレジットされていない。
モンスター役の俳優名は「?」となっている。
冒頭、ユニバーサル映画のタイクーン、カール・レムリからのメッセージが映される「耐えられない人がいましたら、今のうちにご退場ください」と。
おどろおどろしい古い風車を改造した研究室。
嵐の夜、雷が鳴り響く。
ここら辺の演出は、その後のフランケンシュタインものや「バックトウザフーチャー」に至るまでのハリウッド式「研究室」のお約束、となった。
背むしの助手は死刑囚だった人間で名前はフリッツ。
墓場から死体を盗み、大学から脳を盗み出すのはフリッツの仕事。
監獄に戻すぞ、と脅かされながら仕事をするが、盗む予定の善人の脳を取り落とし、あわてて犯罪者の脳を持って帰るなど仕事ぶりはいい加減だ。
フランケンシュタイン博士は決してマッドサイエンテイストというわけではないが、裕福な家庭と美人の婚約者を今は顧みず、異端で先進的過ぎる自分の研究結果を最優先することに取りつかれている。
怪物が生まれ、脱走してからが映画の本題。
犯罪者の脳を持つ怪物だが、人間の心を併せ持つ。
村人に徹底的に排除され、攻撃される怪物だが、邪気のない心を持った幼女とは一瞬の交流を持つ。
一方、改心したフランケンシュタイン博士は婚約者と結婚を決意。
結婚式当日、着飾った花嫁に迫る怪物。
村では怪物に湖に投げ込まれ、水死した娘を抱いて復讐を誓う村人が群れ始める。
映画はマッドサイエンスの悲劇を怪物自らの悲劇を通して描いている。
無自覚な群集心理の恐怖とマッドサイエンテイストへのしっぺ返しもしっかりと。
吸血鬼もののように歴史と伝統の世界ではなく、現代科学と群集心理、人間の感情の世界なので、ハリウッド映画は存分にその力を発揮している。
カーロフはそのメイク姿で怪物の歩き方、動き方をよく表現している。
フランク・キャプラの「毒薬と老嬢」では、そっくりな怪物とドイツ訛りの博士(ピーター・ローレ)を登場させ、作中の相手人物に「ボリス・カーロフ?」と何度も言わせていた。
「ヤングフランケンシュタイン」などでも再映画化されている。
「フランケンシュタインの花嫁」 1935年 ジェームス・ホエール監督 ユニバーサル
前作では「?」だったボリス・カーロフがトップにクレジットされている。
いかに人気が出ていたかがわかる。
前作で村人の襲撃により水車とともに燃えつきた、はずの怪物が生き残っていた。
かたやマッドサイエンスから足を洗って村の有力者として暮らしていたフランケンシュタイン博士のもとに、本物のマッドサイエンテイストが近寄る。
このマッド博士は、なんと瓶の中に人間を発生させている。
この描写がすごい、撮影技法もだが、コンセプトが完全に科学を逸脱して、伝奇の世界に行ってしまっている。
悪夢のようなシーンだ。
マッド博士に半ば脅迫されてフランケンシュタイン博士は再び人造人間をつくる。
今度は若い女性の死体で。
この人造人間、「メトロポリス」のマリアのようにも見える。
ぶっ飛んだキャラクターで、伝奇性は瓶の中の小人とどっこいどっこい。
その後の映画で再登場はしていないのはなぜか。
一方、カーロフ扮する怪物の方は、村人に追われ、捕まったりしながら小屋に逃げ込む。
そこには盲目の世捨て人のような老人が住んでおり、怪物の人間性と感応して穏やかな一瞬を過ごす。
女版人造人間はまマッド博士が怪物のパートナーとして作ったが、二人は結ばれることはなかった。
カーロフのフランケンシュタインの怪物役は1939年の「フランケンシュタインの復活」をもって終了。
この3作をもってカーロフの怪物役は永遠のハリウッド・アイコンとなった。
五月晴れの日。
用事があって富士見町へ行きました。
昼になったので用事の前に食事をとりました。
JR中央本線の富士見駅前はロータリーになっており、観光案内所をはじめ食堂などがあります。
駅舎の一角に立食い蕎麦もあります。
かねがね一度寄ってみたいと思っていました。
ところがGWが始まったこの日、立ち蕎麦店の窓口には「準備中」の看板がありました。
念のために暖簾をのぞき込んで聞いてみました。
係は40代くらいの女性が一人でした。
「準備したツユがなくなって・・・。」と女性。
「GWで、思ったよりお客さんが多かったのか?」と山小舎おじさん。
すると女性がツユの鍋の蓋を開けて「一人分だったらできるかな」とのこと。
慌てて、「発売停止」の看板がかかる自販機でてんぷら蕎麦の食券を購入しました。
てんぷらは出来合いのものでしたが、蕎麦そのものは信州らしく美味しかったです。
それにしても、こういった柔軟といいうか、人間的というか、アナログそのものの対応に時々接することがあるのが田舎暮らしの醍醐味でしょうか。
その間にも続々訪れる来客に謝りつつ、女性は新しいツユを沸かす準備に追われていました。
どうもありがとう!
今どき富士見町の規模の駅で立食い蕎麦店は珍しいのではないでしょうか。
そのサービスぶりも含めて。
ことしもゴールデンウイークに孫たちがやってきました。ここ数年は、GW、夏休み、秋のリンゴ狩り、と孫たちがやってくるのが恒例となりました。
山小舎へ着いてからは、長和町内の長門牧場へ行くのがお決まりで、またその時々で上田城や松本城などへ出かけていました。
上の孫が3年生、下が保育園の年長さんになった今年は一味違う山小舎を楽しみました。
まず、山小舎の周りを楽しみました。
なんと山菜のわらび採りをしました。
山小舎周辺では蕨が採れるのです。
ジイジの畑のお手伝いでポットに種まきもしました。
トウモロコシとインゲンを蒔きました。
お出かけは近場の蓼科牧場へ。
ゴンドラに乘ってスキー場のてっぺんへ。
そこから御泉水自然園の遊歩道を一周。
思わぬ湿原と原生林の風景に触れ、一同リフレッシュしました。
このほか、鹿教湯温泉の日帰り入浴など、孫たちもお気に入りの近場のコースでGWを楽しみました。
中野食堂という上田の塩田平にあるローカル食堂でラーメンセットを食べてきました。
上田市の食べログを見ると出てくる中野食堂。
上田電鉄別所線の中野駅近くの住宅地にあります。
中野駅は、信州二の宮・生島足島神社の最寄り駅・下之郷から別所温泉方面に、3駅ほど行った駅です。
塩田平は、旧東山道沿いの古くから開けた地域。
広がる田園地帯には、駅に沿って集落、宅地が点在しています。
単線私鉄の別所線が塩田平を上田市街地につなげています。
日曜の昼。
朝ご飯を抜いて目指す中野食堂に入店しました。
案に相違し店内に客の姿はありません。
愛想のよい若いおかみさんにオーダーします。
メニューは定食系、丼物、カレー、麺類など。
食堂の王道を行くものです。
今回頼んだのはラーメンとカツ丼のセットです。
食べてみると、ラーメンは昔ながらの安心する味。
カツ丼も味はいいのですが、小どんぶりといえ、ご飯の量の多いこと。
チェーン店の富士そばと比べると、小カツ丼のご飯が優に倍、いや3倍近くはあるのではないでしょうか。
コンデイションを整えてきたにもかかわらず、最後は食べきるのがやっと。
食が細くなってきたのでしょうか。
食べているうちに2組の中高年夫婦が入店。
見るともなく見ると、それぞれ単品のカツ丼やラーメンを注文していました。
なるほど。
若めのスタッフで地域で頑張っている中野食堂でした。
桜の季節が終わった頃の雨の日、諏訪市にある高島城へ行ってきた。
秀吉の家臣が築城。
のちに関ケ原の戦いで戦功を得た地元諏訪氏がの居城となったお城。
かつては諏訪湖に面し、湖畔に浮くように建っていたという。
明治維新で廃城となり、天守閣なども壊されたが、昭和40年代に地元の募金によって天守閣が復元されたという。
お濠には名残の桜の花びらが残っていた。
門をくぐり城内へ。
普段は市民が三々五々集まる城址公園には人の姿はなく、八重桜と枝垂桜が花見シーズンのラストを飾っていた。
天守閣へ登ってみる。
3階建ての閣内。1階と2階は高島氏の歴史、郷土史などを展示する博物館になっている。
3階が展望室。
この日は雨で諏訪湖方面は展望が効かず、もちろん富士山なども霧の彼方。
晴れた日の展望は絶景であったろう。
1、2階の展示室には、甲州街道の錦絵のレプリカがあり、当時の凍った諏訪湖の湖面を歩く旅人の姿等が描かれていて興味を誘った。
歴史を感じるお濠。
諏訪湖方面をバックにそそり立つ天守。
落ち着いた城内公園。
諏訪の歴史と分化を味わえる場所だった。
山小舎には先代オーナーからの家具が大量にあります。
ダイニングテーブルとイスもその一つです。
がっしりとした椅子が10脚近く。
硬い木で座席と背もたれが作られ、シート部分には厚めのビニールが張られた重い椅子です。
今までこれらの椅子をきれいにしたことがなかったので、ある晴天の日に掃除することにしました。..
背もたれに刻まれている木彫。
埃が20年分たまっているその溝を雑巾とブラシで拭います。
ついで脚からシート部分まで雑巾で拭きます。
そのまま外に出して高地の強烈な紫外線に全体を当てて消毒します。
ついでにシートに乗せていたクッションを分解し、カバーを洗濯、中身を天日干しします。
今シーズンの来客用に、椅子をきれいにしました。
アヌーク・エーメはフランスの女優。
1932年パリに生まれる。
両親はユダヤ系の舞台俳優だった。
戦時中はユダヤ人迫害から逃れるため地方に疎開したり、ドイツ占領中は黄色の星を胸につけるのを避けるため、母親の姓を名乗ったりした。
1947年、パリでスカウトされ映画デビュー。
イギリスにわたり演劇学校に通った。
この度見ることができた「火の接吻」は出演3作目に、「黄金の竜」は4作目に当たる。
代表作は「モンパルナスの灯」(1958年)、「甘い生活」(1960年)、「ローラ」(1961年)「8 1/2」(1963年)。
そして「男と女」(1966年 クロード・ルルーシュ監督)。
この「男と女」の美貌の未亡人役で強烈な印象を残す。
山小舎おじさんなどはリバイバルで見て、その音楽と映像、そしてアヌーク・エーメに魅せられ、陶酔し、上映していた映画館の風景ともども夢に出てきたほどだった。
「火の接吻」 1949年 アンドレ・カイヤット監督 フランス
アヌーク16歳の作品。
当時新鋭のアンドレ・カイヤット監督。
共演にセルジュ・レジアニ、ピエール・ブラッスール、マルチーヌ・キャロルと一線級のスタッフ、配役による大作である。
舞台は戦後のベニス。
子供や少女が街角で物売りをし、アヌークが当家の娘を演じる貴族?の家系のお屋敷は没落していかがわしいブローカーまがいの男(ブラッスール)に牛耳られている。
ベニスの映画スタジオでは「ロミオとジュリエット」が撮影されようとしており、プロデユーサーが主演女優(キャロル)を連れて小道具の骨董品を探しに、アヌークの屋敷へやってくる。
ベネチアガラスの職人アンジェロ(レジアニ)とアヌークがスタジオに潜り込み、ロミオとジュリエットの代役に採用される。
二人は一目で恋に落ち、物語の舞台・ベローナでのロケを通して親密になる。
一方で、アヌークとの結婚を条件に没落屋敷に出資していたブローカー、彼の支援に頼るアヌークの両親、屋敷のメイドらが入り乱れ、絡む。
ロミオとジュリエットよろしく若い二人が悲劇的な結末を迎える。
映画では芸達者たちがさまざまなエピソードを披露している。
悪徳ブローカー役のブラッスールは悪ふざけ寸前の精力的な動きでわかりやすく卑小な悪人を演じる。
最後にアンジェロの代わりに撃たれて死ぬ場面では、見ているこちらも溜飲が下がり思わず笑ってしまう程の怪演。
屋敷のメイドとして20年仕えているレテイシアという老女もぶっ飛んでいる。
元判事の気弱な主人の隠れた愛人兼慰め役として屋敷に君臨しており、戦争で気がおかしくなった下男で判事の従弟を手なずけてもいる。
アヌークのベローナロケにはメイドとしてついてゆくが、道中のバスから出演者らと仲良くなり、アヌークなど放っておいて勝手に盛り上がる。
演じるはマリアンヌ・オズワルドという女優。
これも怪演中の怪演。
上流階級の内幕をブラック風に描くところはルイス・ブニュエルの映画のようであり、ブラックをギャグ寸前にまで徹底した演出。
劇中でまともでさわやかなのはアヌークとレジアニ扮する若きカップルだけである。
二人はベローナのロミオたちの墓守(訪れるファンのレターを毎日燃やすのが日課)に祝福され、ジュリエット役のマルチーヌ・キャロルにその恋を応援される。
ロケの合間に川で泳ぐ二人。
スカートをまくって川に足を漬けるアヌーク。
レジアニが誘うと、後ろを見ていてと言って服を脱ぐ。
偶然通りかかった墓守が驚く。
服で体を隠し、墓守が去った後、裸で川に飛び込む。
当時のハリウッド映画では不可能なシーン。
新人のアヌークだったからできたシーンだろうし、映画の本気度とそれにこたえる10代のアヌークの意欲を感じる。
アヌークはまた、ジュリエットの衣装から透ける足、ネグリジェから透ける胸、悪徳ブローカーに襲われて服が破れる場面など、容赦ないカイヤット監督の演出に体を張って応えている。
女優として生きる覚悟が感じられる。
フランス映画の写実的というか、芸術至上的な傾向も。
相手役のセルジュ・レジアニは、のちの「肉体の冠」(1952年)などが印象的な若き演技派。
当時27歳。
なんといってもアヌーク・エーメの若さ、美しさはセンセーションであったろう。
その彼女のキャリアの出発点となった作品であった。
(おまけ)
監督のアンドレ・カイヤットは弁護士から映画監督に転身した変わり種。
代表作は「裁きは終りぬ」(1950年)、「洪水の前」(1954年)、「眼には眼を」(1957年)、「ラインの仮橋」(1960年)。
ヴェネツイア映画祭で2度のグランプリを受賞するなど国際的な評価が高い。
ところが最近名前を聞かなくなった。
2003年刊の集英社新書「フランス映画史の誘惑」にもその名前が掲載されていない。
「フランス映画の歴史と全体像を簡潔に読みやすく紹介すること」(同書P14)を目的とした同書に於いてさえ。1964年刊の岡田真吉著「フランス映画のあゆみ」には当然ながらその名が掲載されているが。
特にフランス映画史については、いわゆる「カイエ・デユ・シネマ」派の論評が現在の主流というか、流行であり、彼らの好みが日本の研究者・評論家たちにも大いに影響している現状がある。
カイエ派がカイヤットの存在あるいは作風を嫌ったのかどうか。
俳優の演技力に立脚し、脚本の構成力ありきのカイヤット作品は確かにカイエ派の好みではないのだが、映画史から抹殺するにはもったいない力量を持っていることは確かなのではないか。
「黄金の竜」 1949年 ロナルド・ニーム監督 イギリス
製作は「第三の男」のアレクサンダー・コルダ。
監督はのちにハリウッドで「ポセイドンアドベンチャー」を撮ったロナルド・ニーム。
ブリテッシュノワールと呼ばれる戦後のイギリス製犯罪映画の1作。
トレバー・ハワード扮する英国のエージェントが北アフリカのチェニジアで、発掘された遺跡をイギリスへ運ぶために現地へ向かう。
イギリスのエージェントという物々しさ、植民地?の遺跡を勝手に運び去るという帝国主義的ふるまい、にイギリスらしさが覗く。
チェニジアってフランスの植民地ではなかったか。
チェニジアでロケをしたという作品。
現地の市場の風景などには歴史的映像価値がある。
エージェントがたどり着く辺境のバー兼宿屋の若き女主人がアヌーク・エーメ、当時17歳。
初々しいが謎めいていて大人の落ち着きもある。
トレバー・ハワードは中年丸出しで、アヌークの相手役にはふさわしくないし、アクションシーンも似合わない。
プログラムピクチャーのパターンを踏襲。
訳の分からぬ現地人、堕落して悪に染まった白人に正義の主人公が立ち向かう。
アヌークの役は、心ならずも戦乱の本国(フランス)を離れた傷心のヒロインとして、のちの映画で言えば007のボンドガールのイメージか。
なるほど、若々しいセパレートの水着姿も見せる。
謎めいた雰囲気も消え、海で遊び、ヨットに乗って、エージェントにすっかりなつく若い女の子の姿。。
そんなアヌークもまたいいけど。
ブリテッシュノワールと呼ばれるジャンルが映画史上にあることを知りました。
のちのスパイもの、007とはどうつながっているのかな。