護岸工事でDIY!

田舎暮らしの醍醐味といわれるものがいくつかあります。
畑だったり、鶏飼いだったり、薪作りだったり、渓流釣りだったり、山歩きだったり・・・。
いずれも都会暮らしでもできることですが、田舎ではそれらがぐんと身近になります。

DIYという言葉があります。
家具作り、簡単なリフォーム、ペンキ塗り、土木仕事・・・。
それらを自分で行うことです。
昔は日曜大工などという言葉もありました。

DIYは、山小舎おじさんの苦手な分野です。
簡単な家具さえ作れません。
庭の法面に簡単な階段が欲しくても作り方がわかりません。
山小舎で行ったDIYらしきことというと、台所の流しと窓の間の垂木に透明防水塗料を塗ったくらいです。

やろうと思っていることはたくさんあります。
ストーブの背後にレンガで防火壁を付け足すこと(現在でも防火壁はあるが少々面積が足りないような気がする))。
居間の天井の梁にそれらしい塗装をすること(梁の1本だけが鉋をかけた無垢の状態になっている)。
などなど・・・。

気になっていることの一つが、山小舎の裏手の小川の護岸工事です。
普段は水無川だが、台風や大雨になると水流が起こる小川で、ちょうど山小舎の裏手に向かって水路がカーブを切っている。
水流が激しくなるとこのカーブが削り取られてゆく可能性が高い。
事実、朽ちたような丸太が小川に並行して打ち込まれている。
先代オーナーが施したものだろう。
ほおっておくと土地が削られ、山小舎の土台に影響するかもしれないから。

その部分に土嚢を積むことも考え、管理事務所にも相談した。
「言ってくれればやります」との返事だったが、正式に依頼しないまま現在に至っている。

今日は護岸工事をDIYしてみた。

岸に杭を打ち、丸太を杭の山側に並べれば護岸になるであろう。
さらに丸太で作った壁の山側に石だの、土を詰めてゆけば堤防になるはずだ。
幸い手ごろな丸太は転がっている。

まず、細めで、杭になる丸太をチェーンソーでカットする。
ついでに先端部分もカットしておく。
杭は長めにしたいが、丸太の都合で長さはバラバラになった。
杭の山側に並べる丸太も見繕っておく。
あまり長いと扱えないので、適当な長さに切っておく。

次いで、現地に行き、いきなり杭を打ち込んでゆくが、基礎部分は河原。
石がごろごろしており、ハンマーで叩いても素直に打ち込まれてゆくとは限らない。
困ったが、位置を替えて何度か打ち込んでいるうちに、何とか砂利の隙間に入り込み、杭3本ほどがしっかり基礎の河原に打ち込まれた。

杭より太めの丸太を杭の山側に並べてゆく。
杭の長さが見事に不揃いで、見栄えのほか実用的にも不安があるが、今のところ丸太による壁らしきものができてきた。

丸太の壁の山間に石を投げこんでゆく。
水害の時、丸太製の堤防が水で洗われ、丸太は崩れなかったとしても、山側の土が水とともに流されてゆくのを防ぎたい。
本来は土嚢がいいのだろうが、できるだけたくさん石を詰め込んだ堤防の基幹部を丸太の山側に形作りたいものだ。

不揃いの杭に長さが工事の信ぴょう性を疑わせる出来栄え
水無川の川底を入れ込んでのカット
川の下流方向を眺める
山小舎の裏手を入れ込んだカット。土台が削れかかっている

本日の作業はこれで終了。
第二期工事は、長めの杭を追加して、長めの丸太を横通しし、石と土に寄る丈夫な堤防基幹部を作る予定です。

杖突街道→伊那→塩尻

10月に入った秋晴れの日。
軽トラで旅に出発した。

鄙びた別世界のような杖突街道を走って、高遠では行きそびれていた郷土資料館へ入り、伊那でソースカツ丼を食い、国道153号線を北上しつつ箕輪町の直売所で仕入れ、さらに北上して行ったことのない塩尻市内を見物しよう、という予定だった。

杖突街道での発見

伊那地方と諏訪地方を結ぶ杖突街道こと国道152号線。
杖突峠を越えて古都・高遠までの沿道風景は、時間から取り残されたような鄙びた集落が続く、山小舎おじさんお気に入りのルートだ。

高遠歴史博物館で買った杖突街道のマップ。情報がてんこ盛り

木造の古い建物が目をかすめた。
木造校舎か?と立寄ってみた。
正体不明の建物だった。

とりあえず写真撮影して、近くに神社があったので表敬訪問。
貴船神社とあるその神社。
案内板を見ると京都の本家・貴船神社から正式に勧請された、とのこと。
縁結びで有名な貴船神社。
調べてみると全国に450社の分社があるという。

杖突街道からこの木造建物が目についた
正面から見た木造建物
京都から勧請した貴船神社
貴船神社の本殿
このあたりの集落は新しい蔵が目立つ

さて不思議な木造建物の件。
この先で寄った、沿道唯一の直売所の駐車場で荷造りしていた地元?の男性によると、地元(藤沢地区)の公民館だったとのこと。

沿道唯一の直売所は閉まっていた

高遠を経て伊那で昼食

高遠では歴史博物館へ寄ってみる。
ここの展示の目玉の一つが、絵島囲屋敷。
絵島という江戸時代の女性が、大奥で女中頭の身でありながら、歌舞伎見物で帰城の門限を破り、当地に島流しにあって、27年間幽閉の身を過ごした屋敷が博物館に隣接しているのです。

高遠歴史博物館で購入した朱印

13時を回ったので慌てて伊那を目指す。
目指すソースカツ丼屋は、長野県の食堂の例にもれず、昼食は14時までの営業時間。
遅れるわけにはいきません。

目指す、たけだという食堂に着いたのが13時36分。
既に看板は「準備中」に裏返っています。
店員に掛け合ってみましたが、「ごめんねラストオーダーは13時30分なの」というばかり。
残念ながら諦めました。

さてどこで何を食べようか?何度か行ったことがある田村食堂へだめもとで行ってみますと、こちらは「ラストオーダーが13時45分」の看板が。
同時刻に滑り込み、快く受け入れてもらいました。

たけだを目指したがかなわず、田村食堂へ

国道153号線沿いに出現する信濃国二ノ宮・小野矢彦神社

伊那から北上して箕輪町の直売所で季節の紅玉リンゴなどを仕入れ、さらに国道153号線を北上する。

伊那地方と塩尻・松本方面を結ぶ国道153号線は交通量も多く、車両の運行速度も速い。

長野県の交通事情は、運転マナーもよく、奥ゆかしいイメージがあるが、どうして、平地を走る主要国道・バイパスの車は飛ばす。
のろのろ走っているとあっという間に後ろがつながってしまう。

国道20号線の塩尻峠、佐久平を北上する国道141号線などは、通行車両が「必死になって先を争って走る」印象がある。

ということで、後ろを気にしながら走っていると、ただならぬ雰囲気の神社が左手に出現して慌ててストップする。
辰野町小野地区と塩尻市にまたがる、小野矢彦神社だった。

国道153号線沿いに出現する小野矢彦神社。巨木がそびえる
手水場はコロナ下(禍)でも閉鎖されていない。心意気やヨシ!

境内に外にまでにじみ出る荘厳な雰囲気。
境内には巨木が立ち並ぶ。
取り急ぎ拝殿に参拝。

参拝したのは小野神社のほうで、矢彦神社は隣にあったらしい。
信濃国二ノ宮とのことがだが、二ノ宮は上田の生島足島神社もそうだったよなあ、と思う山小舎おじさんでした。

小野神社の拝殿。派手にデイスプレイされている
小野神社の神楽殿は拝殿の正面に建つ

塩尻でびっくり!

塩尻は松本と隣接し、つながってしまっている印象だが、実際訪れてみると個性豊かな町だった。

国道から市街地方面へ折れると目の隅に看過できない建物が飛び込んできた。
よく見ると映画のポスターが貼られた建物だ。
東座と銘が打たれた大き目の建物。
よく見るとピンク映画のポスターも貼られている。

待てよ、これは絶滅危惧種の昔ながらの映画館の生き残りではないのか?
慌てて軽トラを止める。

塩尻東座の建物が現れた

「新東宝映画」「大蔵映画」の文字がうれしいというか時代錯誤というか。
都内でも、ここ2.3年で飯田橋駅前にあった専門館が撤退し、上野と池袋にのみ現存するピンク映画の上映館が、一般映画上映館と併存とはいえ塩尻に残っていたとは!
後日ゆっくる訪問することにして写真撮影を済ます。

上映作品のポスター
一般映画上映の1号館入場口

行き当たりばったりの塩尻初訪問。
町の情報を得ようと塩尻駅でパンフ類を収集する。

隣の観光案内所に行って再度びっくり!
コンテナにマスカットを山盛りにして、「3房で100円」の張り紙。
どうしたものかと眺めていると、職員が「駅構内で栽培しているんですよ、黄色めのものが熟してます。種は出さずに食べると甘いです」とのご案内。
思わず100円玉を出し、買う旨を伝えると、袋に詰めてくれ、おまけにもうひと房をくれました。
昔ながらのマスカットは香り豊かで、甘さ充分でした。

JR塩尻駅
観光センター入口
駅構内特産のマスカット特売現場!
駅構内には黒葡萄が実っていた

折角なので、イヅツワインの醸造所まで行ってみます。
塩尻はワイン醸造の名所でもあります。

イヅツワインの売店でワインとジュースを購入しました。
醸造所限定品などはなく、むしろ出荷優先で販売しているとのことでした。

国道19号線沿いの、桔梗が原と呼ばれる当たり、イヅツのほかに五一ワイン、アルプスワインなどの醸造所が集まっているエリアです。

塩尻市桔梗が原のイヅツワイン工場売店

杖突街道から派生する金沢街道などの旧街道筋はぜひ行ってみたいともいました。
また、塩尻の東座は近々訪問したいと思いました。
うれしい宿題二つをもらった今回の旅でした。

上田アリオに行ってきた

アリオといえばセブンイレブン系のショッピングモール。
長野県第三の都市、上田にはもともと西武系のイオンタウンがあったが、後発のアリオが上田駅近くにモールを出店したもの。

ご存知の通り地方都市では(昨今は首都圏でも、都内でも)既存の商店街は閑古鳥が鳴いている状況。
とはいえ、住民の日々の買い物、休日のショッピングの需要はあるわけで、国道沿いの郊外型店舗群がその受け皿となっていたが、近々のマーケテイングというか、商圏として出現したのが、モールという存在。
大規模なものとしてはららぽーと、一般的には○○タウンなどと呼ばれる複合型商業施設が全国的に存在する。

上田では、駅前から続く真田坂、それと直行する海野町商店街などが元来の商店街なのだが、人通りはほとんどない。
店舗を占めた商店も目に付く。

では上田の消費者はどこにいるのかというと、イオンタウンだったりアリオ。
特にアリオは真新しい店内と、全国チェーン店の出店で、休日は地元のファミリーやヤングが繰り出している、という印象だった。

「印象だった」というのは、山小舎おじさん、このアリオに過去1回行ったときに、店内をそぞろ歩く人たちを見て「上田の人は(商店街にではなく)ここにいたのか!」と安心した記憶があったからだ。

地方では、人気のない商店街や住宅地をみて「ひとがいないんだなあ」と感じるが、いざ何かの行事が開催されると、スタッフや参加者に人があふれ「人がいるじゃないか!」と思うことがある。
例えば、茅野市街地では歩く人の姿を見るのも稀な印象だが、蓼科高原映画祭開催の時は、市民ホールと新星劇場に和解世代も含めた住民スタッフが溢れ、「茅野にもこんなに人がいたんだ!」と安心する。
今年のコロナ騒動では、春先の休日に諏訪湖畔に散歩する人の姿が溢れ、普段感じられない地域住民の人数の多さを実感し、頼もしく思ったものだ。

何が言いたいのかというと、地方都市にはまだまだ人がいるということだ。

閑話休題。
前置きが長くなりました。

この日の上田アリオ。
平日の午前中に訪れると、1階のイトーヨーカドーのスーパーマーケットエリアは人が集まっているものの、ショッピングエリア、レストランエリアは閑散としておりました。

上田アリオの入口
1階のイトーヨーカドー
2階から1階通路を見る

もともと地方では、人口の絶対数が少ないうえに、日中、若い人は学校に、壮年は職場に、主婦はパート先に・・・と居る場所が決まっています。

食堂も全国チェーン店以外は、14時から休業時間に入ります。
東京のように勤務時間が様々だったり、何をしているのかわからない人が大量にいたりすることがないので、結果として人の行動は規律的になります。
昼食にしても12時から13時の間にほぼ全員が摂るわけで、食堂はその時間以外に空けておいても客が来ないのです。

たとえ話が長くなりましたが、ついでに続けます。

平日日中のショッピングセンターの閑散ぶりは、東京でも見られます。
街中のスーパーに見られる閑散とした店内と、休憩コーナーで時間をつぶす高齢者の姿です。
この日の上田アリオの雰囲気もそれに近いものでした。

地方に特有の「のどか、のんびり、まったり」した雰囲気ばかりではない「閑散」とした雰囲気。
これが原因は、地方云々というばかりではなく、大きくいえば日本全体の景気停滞、社会の疲弊に端を発するのかもしれませんが。

衣料品店が並ぶストリート
ストリート中ごろには、ハロウイーンのデイスプレイ
シネマコンプレックスも併設
TOHOシネマズのロビーは最新式

とはいえ、新築でこぎれいな、上田アリオ。
で歩いていて気持ちのいい場所です。

上田では貴重な新刊書店もあります。
レストラン街のほかにフードコートもあり、昼食には便利です。
何より全国チェーンの衣料、雑貨店がもたらす都市カルチャーとの直結感が貴重です。

1階のレストラン街、和洋中がそろう
2階のフードコートはそこそこの人出

用事を済ませ、カフェで一息つきながら、午後を迎えたに山小舎おじさん。
その時間には下校時の高校生など、午前中より客層が若返り、人数も増えてきました。
「やはり上田で一番賑やかな場所だ」と感じることができました。

この日の用事はJTB
スタバで休憩した

実は、アリオ訪問記を「パワースポット探訪記」の一環としてまとめる予定でしたが、訪問後、その気持ちがなくなりました。
ひとが集まる場所としては上田で一番なのでしょうが、その割にパワーを頂けなかったという気持ちでした。

それが原因は、自然発生的で歴史ある場所ということではない、現代の商店街・モールの持つ性格なのでしょうか。
地域との共存共栄というよりは、採算が悪くなればいつでも撤退してゆく、という、そのコンセプト。
それを承知で刹那に訪れる人々の移ろい感。

安易に「パワー」を求めてさまようことへの自戒も含めて勉強になりました。

裏山に上ってきた

山小舎の背後には国有林の山がそびえています。
9月の末日、裏山を登ってきました。

登山口?から林道を越えてトレイルへ

別荘地の道路から登山口を伝って裏山ハイキングの開始です。
この道、ほとんど通る人はありません。
獣道のような登山道を登ってゆくと林道に出ます。

登山口?けものみち?からゴー
国有林の間から山小舎が見える
林道に出る

林道を横断して、さらに踏み固められた道をもぼってゆくと、斜面を削った道に出ます。
その道をたどって山を巻いてゆくと尾根に出ます。
大門峠から続く尾根です。

林道を渡って再び登り口へ
斜面を削った道をたどってゆく
尾根に出る

尾根は、防火帯のように草木が削られ、砂利が敷かれた道が続いています。
長門牧場から霧ケ峰方面につづく尾根伝いの道で、分水嶺トレイルと呼ばれ、毎年初夏にトレイルランが行われる道です。

山小舎からここまでの所要時間は小1時間でしょうか。
ちなみに、山小舎前任者の「仙人さん」は、健脚にものを言わせて『白樺湖までの所要時間:25分』と書き残されていましたが。

山小舎おじさんではとても無理。
白樺湖まで下る時間を含めると優に倍以上の所要時間がかかりましょう。

尾根は分水嶺トレイルと呼ばれる
尾根沿いにあった標識

分水嶺から白樺湖を望む

遮ることのない景色を分水嶺から楽しみます。
目を北に向ければ蓼科山、東の眼下には白樺湖が浮かびます。
あたりは一面の薄の原っぱです。

分水嶺トレイルから見た蓼科山
大門峠方面へと続く分水嶺
眼下には白樺湖が望める

折角なので、尾根から白樺湖畔へ下りることにします。
大門峠から続くビーナスラインに出ます。
車山高原を経て、霧ヶ峰、美しが原へ続く観光ルートです。

分水嶺から白樺湖畔へ下りる途中のビーナスライン

更に下ってゆくと白樺湖畔の大門街道に出ます。
平日のこともあり、ハイカー、登山者などの歩行者には一人も出合いません。

湖畔へ下りて大門街道を渡る

白樺湖畔をゆっくり

白樺湖畔の西側でゆっくりします。
土産物屋が2軒ほどと、食堂が1,2軒、宿屋が2.3軒営業している湖の西岸です。

湖畔ではスワンボートが営業中
湖畔の釣り人

夏の間はともかく、紅葉にはまだ早い9月末の平日は人気も少ない白樺湖畔です。

土産物屋前のアルパカの人形
かつては湖畔を馬車が引かれていたのか
西岸の土産物屋は軒並み閉店している

一休みした後、やってきたルートをたどって山小屋まで戻りました。
気持ちのいい初秋のハイキングでした。

付録・裏山ルートで見たもの

植物とキノコ

?タケ
ベニテングダケと思われる
トリカブトの花が咲く
マムシグサ

動物の足跡

鹿の寝床と思われる
鹿が食べた木の皮
動物がひっかいた跡。熊か?
動物の骨。鹿のあごの一部か?