ご近所立寄り湯めぐりVOL.2 蓼科別荘地と蓼科温泉

八ヶ岳中信国定公園の中心部に近く、古くからの別荘地で有名な蓼科という土地がある。

温泉が湧き、旅館街を形成し、街の金持ちが別荘を建てた場所。歴史は古い。
今では東急リゾートがゴルフ場などを大規模開発。
ふもとの茅野からのルートであるビーナスラインは交通量も多い。
おじさんの山小屋からは割と近いのだが、これまであまり行ったことがなかった。
今回軽トラで半日散歩としゃれこんだ。

小津安二郎ゆかりの別荘を訪ねる

茅野駅前の商業ビル内の小津安二郎コーナーの一角では、古い(戦前の?)蓼科の映像が流れている。
ボンネット式のバスが坂道を登ってゆき、温泉宿では若い女中さんたちが笑っている。
古い観光絵葉書のような光景の中には活気が感じられた。

映画監督の小津安二郎が蓼科の別荘で毎年脚本を書いていたのが、昭和30年代から40年代にかけて。

無芸荘という建物は執筆用ではなく、迎賓用に使われた別荘とのことで、立っていた場所から中心地のプール平に移築された由。

小津監督と蓼科のご縁は、蓼科高原映画祭という形で地元に残り続けている。

共同湯・蓼科温泉へ入湯

古い映像に残る蓼科温泉街の活気は今は面影もない。
古い旅館が少し残るだけ。

水の流れは変わらない?

共同湯・蓼科温泉へ入ってみた。
熱めの湯。かすかに硫黄臭がする。500円。

管理人のおばさんと話す。
中心部のプール平の由来とは、かつて温泉プールがあったからとのこと。

かつては道の終点だった、蓼科温泉街もビーナスラインが、車山や美ヶ原の方まで通って、泊り客が減ったとのこと。

ふもとの東急リゾート開発のゴルフ場や、温泉街のホテル、旅館も経営は苦しいようだとのこと。

また、住んでいる別荘族も高齢化で、温泉に集まる様子は養老院のごとし?とのこと。

温泉自体は源泉から引いた60度のお湯をそのまま使っており、時々ゴボッと湯が沸くような音がする。
熱かったが、加温した湯を使う、最近の大規模な温泉施設に比べると本来の温泉らくて良かった。

ついでに奥蓼科温泉郷を覗きに行く

蓼科温泉を出て、ビーナスラインを白樺湖方面に進む。道路わきに別荘が点在する。
学校や企業の保養施設の看板も目立つ。
おじさんの住む別荘地に比して、メジャーな雰囲気がする。

奥蓼科温泉郷という場所がある。
蓼科温泉から、さらに八ヶ岳連峰の懐に入ったところ。ついでに行ってみた。

ビーナスラインから林道を抜け、メルヘン街道という、八ヶ岳横断道路をまたぎ、湯の道街道という道に出る。
渋温泉というところで行きどまりになる道だ。

最初に現れたのが、信玄の隠し湯の謂れの、辰野館。
大規模な一軒宿で木造三階建の造り。
寂れた休館を撮影。

ここから道を進み、どん詰まりにあるのが渋の湯。
山懐の温泉。

二軒のうち一軒はつぶれていた。

バス停もあった。1日3本の便。

ビーナスラインを走る

ビーナスラインは、茅野の中心部から、蓼科温泉を抜け標高1700メートルの高原を走り、白樺湖へ降りる。

さらに大門峠を横に抜けて、車山高原から美ヶ原へ至る。

天気が悪いと霧が立ち込めることもある高原の道。
蓼科山の麓を半周して今日の小旅行を終えた。
寒いというより冷たさが身に染みる時候だった。

 

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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