小野神社、矢彦神社の戦争遺産

信州で戦前から続く文化遺産に接していると、戦前の文化がそのまま残っている例に接することがあります。

例えば御柱祭のトランペットマーチです。
御柱を氏子たちが引いて歩き、世話人が要所で木遣りを詠いますが、その際に地元の青年団などが景気づけにトランペットでマーチを演奏します。

その曲目が、旧日本陸軍の突撃ラッパだったりします。
今どき日本国内の公共の場所で、それなりの公人が旧国軍の戦意高揚の曲を高らかに奏であげるものでしょうか。
あっけらかんとした痛快さに驚きました。

それこそ戦後すぐにGHQが目の敵にし、それの意を汲んだ国内勢力がGHQなりに忖度して自主規制してきた文化の一つなのではないでしょうか。
その時期もとうに過ぎ、今や昭和遺産としてレトロブームの一環なのかもしれませんが。

そういうことで、辰野町小野地区の国道153号線を走っていると目につく古い神社、小野神社と矢彦神社を訪れてみると、同様な遺物に接することができます。
そこには、戦前の国威発揚のたまものなのでしょうか、大砲の弾丸だったり、砲筒だったりが境内に飾られています。

小野神社の鳥居
小野神社本殿

小野神社には大砲の弾丸の碑が建っています。
同社には、乃木希典書の忠魂碑もあります。
国内の大きな神社は、明治以降の国家神道時代を生き抜いてきた施設ですから、戦前の国威発揚時代の遺物だったり、土俵だったりはよくあります。
弾丸も神社にはよくあるものの一つなのでしょうか。
異彩を感じたのは私だけなのでしょうか。

小野神社境内の弾丸碑
小野神社境内の土俵

秀吉時代に行われた、知行割りの結果として分社して小野神社の隣に立つ矢彦神社には、大砲の筒が碑として立っています。
これも弾丸同様に、現代にあっては、歴史と時代の変遷を色濃く感じさせる遺物です。

矢彦神社鳥居
矢彦神社本殿
矢彦神社境内の砲筒碑

会津若松の白虎隊終焉の地、飯盛山へ行った時のことを思い出しました。
そこの一角に鍵十字をあしらった碑が建っています。
鍵十字はドイツ国防軍のトレードマーク’(現在も)ですが、この碑は、戦前のドイツが白虎隊の精神に感動して贈ったものだそうです。
戦後直後はGHQによる没収を恐れて、地元有志が隠していたとのエピソードが添えられていました。
歴史を感じさせる重みがありました。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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